藤原京の造り方

翌3月15日。
この日は寒く、小雪が舞う天気でした。

最初に向かったのは、藤原宮跡です。
初めて首都として計画的に造られた都市が藤原京です。
藤原京は日本書紀では「新益都(しんやくのみやこ)」と呼ばれています。
その大極殿があった場所が藤原宮。

IMGP0278-1_20170422100041aad.jpg

北西方向の入り口から撮影したものですが、天香山が奥に見えますね。

藤原宮の大極殿があった場所付近から北の耳成山を撮影。

IMGP0285-1.jpg

右のこんもり茂った森が大極殿が建っていた場所だとみられます。

東北東の夏至の太陽が昇る方角にあるのが、三輪山。

IMGP0288-11.jpg

そして夏至の太陽が沈む方角にあるのが、二上山です。

IMGP0289-11.jpg

冬至の太陽が沈む方角にあるのは、畝傍山ですね。

IMGP0290-11.jpg

大極殿は畝傍山から、耳成山と天香山を結んだ直線に引いた垂直二等分線上に建造されました。
すべてが計算されて、配置されていることがわかりますね。
これが後に平安京にも使われた「タカミムスビ」による都建造法の原点とも言えるものです。
詳しくは拙著『竹内文書と平安京の謎』をお読みください。
(続く)
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