勘違いが生み出した「倭人伝の”卑弥呼”」

陶荒田神社でオオタタネコに思いをめぐらせた後、再び葛城山系を東に越えて、奈良県桜井市の箸墓古墳に向かいます。

箸墓古墳の埋葬者は、卑弥呼の可能性が高いヤマトトトヒモモソヒメですね。
オオタタネコと同じ時代に活躍した巫女です。

こちらがその箸墓古墳。

IMGP0240-11.jpg

左が後円部分で、右が前方部分です。
前方部分の右奥に見えるうっすらとした山が耳成山です。

ヤマトトトヒモモソヒメは、箸墓古墳が建造された時代から見ても、まず間違いなく『魏志倭人伝』に記された「卑弥呼」です。
ただしいくつかの勘違いが重なって、「継姪」という言葉があるのかどうか知りませんが、義理の姪(異母兄の娘)に当たるヤマトトトヒメと同一人物視されて、崇神天皇が「男弟」とされ、ヒコフツオシノマコトを卑弥呼の死後立った「男王」だと思い込んだ結果、『魏志倭人伝』のような記述になったとみられます。

実際は、第8代祭祀王ヤマトトトヒモモソヒメの死後、第9代(第101代)祭祀王に「継甥」のヒコフツオシノマコトが就任し、「継姪」のヤマトトトヒメは伊勢大神を祀る祭主に任命されています。
ではなぜ、崇神天皇が卑弥呼の男弟になるかというと、ヤマトトトヒメが崇神天皇にとって実の叔母であると同時に、同母兄のヒコフツオシノマコトの異母姉になるからです。
つまりヤマトトトヒメの義理の弟(継弟)が崇神天皇なんですね。
しかしながらこのことは、記紀の専門家でもあまりわかっている人はいません。
だからいまだに間違って、崇神天皇がタケハニヤスの反乱の際、オオビコに向かって「私の継兄」と言っているのに、「汝(オオビコ)の継兄」と誤訳しています。
あれは『古事記』に書かれているままが正しいんですね。
このように記紀の専門家でも間違える、複雑な人間関係が当時あったわけです。
中国の歴史家がヤマトトトヒモモソヒメとヤマトトトヒメを同一人物であると勘違いしても、致し方ないことであったということになります。
(続く)
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