イチキシマヒメの謎

安芸の厳島神社の全景です。

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フェリーに乗っている時に撮影しました。
次は社殿から大鳥居を撮影。

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干潮時間であるため、干潟のようになっていますね。

さて、イチキシマヒメがなぜ謎の姫かというと、アマテラスとスサノオの政略結婚(誓約)によって生まれた宗像三女神のうち、唯一子供がいなかったとされている神だからです。

長女のタギリヒメは、ご存知のように、オオナムヂと結婚して、八咫烏ことアヂスキタカヒコネと、タカヒメ(別名シタテルヒメ)を生みました。これは記紀にも明記されていますから、ほぼ間違いないところでしょう。

末子のタキツヒメ(タギツヒメ)も、『先代旧事本紀』によると、オオナムヂと結婚して、タカテルヒメとコトシロヌシを生んだことになっています。

ここで『古事記』との矛盾が出てきます。タキツヒメがタカテルヒメを生んだのはいいとして、コトシロヌシの母親はカムヤタテヒメとなっています。

ここで思い出してほしいのは、日向族がオオナムヂに国譲りを迫った際、出雲の王位継承者が誰であったかが浮き彫りになることです。
出雲の正統な王位継承者は、アヂスキタカヒコネでも、キマタノカミでもなく、コトシロヌシとタテミナカタでした。
つまり、コトシロヌシとタテミナカタの母親はスセリビメ(別名カムヤタテヒメ)であった可能性が非常に高いんですね。
ここが一つ目の問題点です。

二つ目の問題点は、なぜイチキシマヒメが誰とも結婚しなかったのか、ということです。
結婚したのかもしれませんが、子供はいないことになっています。
何か不思議ですよね。
しかも、『古事記』では2番目に生まれた神でとされているのに、『日本書紀』本文では3番目、『日本書紀』第二の一書では最初に生まれたとされているんですね。「第三の一書」に至っては、最初に生まれた瀛津嶋姫(おきつしまびめ)の別名が市杵嶋姫であるとまでされています。

同じような不思議なケースはニニギノミコトの子供のときにもありました。
コノハナノサクヤヒメが火中出産したとき、王子が三人生まれたことになっていましたが、生まれた順番も滅茶苦茶だし、どう考えても一人分多く記されています。
早くして亡くなった可能性もありますが、その後の物語に登場するのは海彦と山彦だけですからね。
真ん中のホツセリはダミーであった疑いがあるんです。

すると、宗像三女神の真ん中の子もダミーであった可能性が出てくるんですね。
あくまでも可能性の話です。

では誰のダミーか、という話になります。
火中出産の三王子の場合は、天火明のダミーであったと私は考えています。
つまり天火明ことニギハヤヒを日向族の系図に無理やり入れるという改ざんですね。
そして宗像三女神のイチキシマヒメは、私にはスセリビメのダミーであったような気がしてならないんですね。
こんなことを唱えている人は他にいませんから、あくまでも私論です。

こうした系図操作はよく行われます。
たとえば、スサノオとアマテラスの誓約でアマテラスが自分の子であると認めた五王子の長男オシホミミは、実はアマテラスの夫だったという説があります。で、他の四王子がオシホミミとの子であるわけです。ただしニニギを入れると、五王子になります。
誓約の前にあった出雲族のスサノオとの戦闘で命を落とし、だから別名が天忍骨命(アメノオシホネ)と伝わっているわけです。
誓約に時には既に、骨を偲ぶしか方法がない状態であったということです。

スセリビメもスサノオの子ですから、三女神に入っていてもおかしくありません。
しかも末子で正統な王位継承者(末子相続)でありながら、その消息は記紀から途中でパタリと消えてしまいます。
それでは忍びないというので、宗像三女神に忍び込ませたということは十分に考えられると思います。
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