5000年前の古代人の完璧な測量技術68(縄文時代の高度な測量技術)

5000年前の古代日本にも、古代イギリスや古代エジプトのように、数十キロ離れた場所までの緯度や経度、方位角、距離を正確に測量する技術集団がいたーー。
それを前提にして北東北の縄文遺跡を調べたところ、すべての主要縄文遺跡が、山などの聖地や他の遺跡を結んだ2本以上の直線の交点にあることがわかったんですね。
重要な拠点だと、7、8本の直線の交点になっています。

しかし残念ながら、紙幅や図表作製の技術的問題(主にわかりやすさの問題)から、北東北におけるすべての縄文遺跡の測量的に意味のある配置を地図にして掲載することはできませんでした。
その代わり、本書366ページの巻末資料で、北東北と北海道の40を超える主要縄文遺跡および目立つ主要な山(聖山)がどのような測量ライン上にあるかを記しておきました。

ということは、もちろん北東北だけではなく、北海道の縄文遺跡も、意味のある測量線上に存在しております。
以前のブログにも書きましたが、北海道の恵山からは青森の恐山三山がよく見えます。

IMGP7407-11.jpg

上の写真は恵山。下の写真はその恵山から恐山のある下北半島を写したものです。

IMGP7364-11.jpg

カラスの嘴の先に見える山が恐山三山の一つ大尽山です。

北海道の函館山からは青森県津軽平野に彼方にそびえる岩木山すら見えました。

IMGP7421-11.jpg

IMGP7401-12.jpg

上の写真はいずれも函館山から撮影した岩木山です。

彼らは対岸の目立つ山を測量点にして、「高み」と「高み」を結びながら、次々と聖なる場所を
配置していきました。
縄文時代の拠点の配置には、平安京建造と同様に、「タカミムスビの法則」が使われたわけです。

そして古代にはそうした高度な測量技術があったことを伝える文献が「竹内文書」であったのだと考えています。
実際、「竹内文書」のキリスト渡来伝に出てくる地名(松ヶ崎港、キリストの墓、大石神ピラミッド、十和利山)を結ぶと、完璧な直線となります(本書191ページ参照)。
古代においてそのような測量技術があったと仮定しないと、この一直線上の配置は説明できないことになります。

ということは、東経137度11分の羽根ラインを含め、伊豆下田富士の二つのピラミッドラインなどすべての意味ある直線が、縄文時代には既にあったとしても不思議ではないわけです。

このように日本をはじめとして、5000年前の地球上には、かくも高度な測量技術が既に存在していました。
その事実を説明することのできる仮説は、かつて栄えた古代文明の生き残りたちが古代日本におり、その文明の一部が継承されたのではないか、というものです。

この仮説が『オアスペ』に記されたパン文明の伝説と一致するんですね。
(続く)
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