5000年前の古代人の完璧な測量技術67(黒又山の完璧な二等辺三角形)

大湯環状列石のそばに鎮座する黒又山が、北東北に縄文遺跡群を束ねる扇の要に相当し、しかも測量の中心であったことを前回は見てきました。
特に伊勢堂岱遺跡と御所野遺跡を結んでできる、緯線(東西線)を底辺にした二等辺三角形は見事としか言いようがありません。
まるでシルベリーヒルとマーリンの丘を結んでできる、秒まで一致する東西線を彷彿とさせる高度な測量技術です。

と、ここまで考えると、やはり5000年前の縄文時代にも、高度な技術を持つ測量技術集団が既に古代日本にいたのではないかと思えてきます。
それこそ秒単位、センチメートル単位で、数十キロ離れた二点間の方位と距離が正確かつ精密に測れるような測量技術です。

そのように仮定して、黒又山を測量点として、そのような精密な測量技術の証拠がないかと思案してみました。
実は先ほど紹介した伊勢堂岱遺跡、御所野遺跡、黒又山が作る二等辺三角形は、厳密に言うと、少しだけ御所野遺跡と黒又山を結んだ直線の方が、伊勢堂岱遺跡と黒又山を結んだ直線より長いんです。
その違いは、42キロの距離で1キロほどですから、誤差の範囲と言えば、誤差の範囲です。

でももし本当に高度な測量技術を持っていたとしたら、意図的にこの「誤差」を作り出した可能性もあります。
そこで、黒又山ではない場所に、二等辺三角形の頂点を置いたのではないかと仮定して、御所野遺跡と黒又山を結んだ直線上に御所遺跡と伊勢堂岱遺跡の二点から完璧に、一センチの誤差もない頂点の座標を計算して出して見ました。
それが本書225ページに掲載されている次の地図の点Pです。

img067-11.jpg

中央上部にある(1)が黒又山、左下には(4)の大湯環状列石があります。
で、黒又山から右下へと延びている、御所野遺跡と結んだ直線上に、完璧な二等辺三角形の頂点となる測量点Pがあるわけです。
この測量点Pに向かって、伊勢堂岱遺跡から延ばした直線に注目してください。点Pから左下に伸びている直線ですね。
神社が4つ、この直線に沿って並んでいるのがわかります。
そしてさらにその直線を延ばしていくと、点Pの先にある(2)の根市の神社に至ります。
つまり5つの神社が1500メートルの距離の直線上に綺麗に並んでいることがわかりますね。
しかも、根市の神社は黒又山の真東に位置しています。
これは偶然ではありえませんから、間違いなく、意味のある直線、すなわち測量線であることが確認できるんですね。
測量線上に神社を配置したわけです。

一応断っておきますが、この地図は国土地理院の地図をそのまま利用していますから、神社の位置もそのままです。
恣意的に直線上に神社マークを並べたわけではありません。

今度は黒又山の真西を見てください。(3)の風張の神社が鎮座しています。
つまり根市の神社、黒又山、風張の神社は完璧な東西線を形成しています。
さらに、二等辺三角形の点Pとの位置関係を調べると、黒又山から点P、点Pから根市の神社、それから黒又山から風張の神社までの距離が全く等しくなっていますね。完璧な二等辺三角形が二つできるわけです。
点Pと伊勢堂岱遺跡、そして御所野遺跡を結んだ完璧な二等辺三角形を含めると、計3つの完璧な二等辺三角形が北東北の大地に浮かび上がってくるんですね。

ということは、縄文時代の測量技術集団は既に、40キロ以上の距離が離れた大地をカンバスに見立てて、精密な幾何学図形を描くことができた可能性が高いということになります。
それを前提にすると、次々と縄文遺跡群の配置の謎が解けてくるんですね。
(続く)
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