5000年前の古代人の完璧な測量技術62(越王オロチのライン)

オオナムヂやスクナヒコナがもたらした測量土木技術が、平安京などの古都建造に利用されたことは間違いない事実だと思います。
でも問題は、それ以前に、既に古代日本には高度な測量技術があったのではないか、という点です。
それが本書『竹内文書と平安京の謎』の第二章、第四章、第五章で取り上げた、東経137度11分の「羽根ライン」など縄文時代に作られたとみられる測量ラインです。

そのヒントとなるのが、オオナムヂが国作りをするずっと前に起きた、スサノオのヤマタノオロチ退治です。
神話では、オロチは大蛇や怪物のように描かれています。
しかしながら『古事記』をよく読むとわかりますが、オロチは「越のヤマタノオロチ」と書かれています。
つまり越国を支配していた土着の王であった可能性が強いわけです。
『古事記』はその点、非常に正確にオロチの支配地域を描写していて、谷を八つ、山の峰を八つ越えるくらい大きく、八つの頭と八つの尾を持つと書かれています。
それは地名に残されていて、鳥取の「八頭」と富山の「八尾」がそれに該当します。
つまり鳥取から富山までの山陰・北陸地方を広く統治していたのが越王オロチです。

『古事記』はさらに詳しく、越国が国土の測量に使った山の名前すら記しています。
高天原を追放されたスサノオが降り立った地が「船通山」の麓であったと書かれているんですね。
この出雲にある船通山が越国の測量山です。

どうしてそういうことがわかるかというと、アマテラスやスサノオが大陸からやって来る前の縄文時代の歴史を記録したとみられる「竹内文書」を読み解いたからです。
「竹内文書」で聖地とされている富山の「尖山」と「天柱石」を結んだ直線は、見事に「八尾」と「八頭き」を貫き、「船通山」に至るんですね。
それだけではありません。
国常立之神が「羽根飛登行所」から天空浮舟に乗って飛び立った先が「鑓ヶ岳」であると書かれていますが、西から船通山、八頭、天柱石、八尾、尖山を結んだ直線は、東のこの鑓ヶ岳をも結んでいるんですね。
天空浮舟が測量に使う気球とか、夜間の焚火で飛ばす測量の光のことを隠喩的に表現しているのだとしたら、まさにその飛び立った先が鑓ヶ岳であったわけです。
これこそ、オロチか、あるいはオロチの祖先が作った「ヤマタノオロチライン」であったのではないでしょうか。
(続く)
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