5000年前の古代人の完璧な測量技術61(オオナムヂと葦原)

オオナムヂがシュメール文明を継承するシュメール人の末裔であると考えると、合点が行くことがあります。

『古事記』では、スサノオがオオナムヂを初めて見たときに、なぜかは書かれていませんが、「アシハラシコオ」だと一瞬で見抜いたことになっています。
アシハラノシコヲとは「葦原色許男」と書きます。
葦原の強い男というような意味ですね。
そう、「葦原」と言えば、シュメール人たちの住んでいた場所のことです。

何度か書いたと思いますが、シュメール(正確にはスメルかシュメル)はアッカド語で、シュメール人たちは自分たちのことを「頭の黒い人たち」と呼び、自分たちの国を「キエンギ」と呼びました。
で、この「キエンギ」がどういう意味かについては諸説があります。
「キ」は大地。「エン」は主とか統治者という意味で間違いないのですが、問題は「ギ」の解釈です。
「ギ」を「高貴な」とか「文明」と見る向きがある一方で、元々の「ギ」の意味である「葦」と見ることもできるからです。
ですから、「高貴な王の国」と解釈する一方で、「葦が主となる大地の国」とも解釈できることになります。
とくに「エン」には、上から見渡すようなニュアンスがあるので、「見晴るかす葦原の大地」というように訳すことも可能なんですね。
私は、この後者の解釈を採っています。
この後者の解釈を取ったときに、記紀に登場する「豊葦原の国」とか「葦原中国」と、「キエンギ」が相呼応するわけです。

そこで、スサノオとオオナムヂが初めて出会った場面に戻ります。
確かにオオナムヂはその後、スサノオに認められ「葦原中国」を統治することになります。
だが、初対面の時はまだ、どこの馬の骨ともわからぬ「異人」であったはずですよね。
それにも拘わらずスサノオが、オオナムヂのことを「葦原色許男」と呼んだということは、オオナムヂがその顔立ちから古代メソポタミアのシュメールにいた部族の子孫であることがすぐにわかったからではないでしょうか。
逆にそう考えないと、なぜいきなり「アシハラノシコヲ」と呼ばれたのか、理解できませんね。

私が言いたいことが段々わかって来たのではないでしょうか。
つまり、5000年前に一大都市文明を築いたシュメール人たちの末裔である「シュメール文明の継承者」が技術と知識を携えて、日本に渡来してきたわけです。
その一人がオオナムヂ。
その知識と技量が高く評価されて、スサノオから国土計画を任せられたのが、オオナムヂの国作り神話の真相です。
そのことを古代日本人も知っておりました。
だから柿本人麻呂が『万葉集』で、「吉野の妹背山を建造した偉大なる神」としてオオナムヂを称えているわけです。

5000年前の歴史と技術を知るシュメール文明の血脈が、引き継がれ引き継がれて、古代日本にやって来た事実が何となく浮かび上がって来ますね。

オオナムヂやスクナヒコナがもたらした国土測量技術や風水の知識が、古代日本の都を建造する際にも使われました。
その測量技術は、オオナムヂの子アヂスキタカヒコネに引き継がれ、賀茂氏に継承され、それは陰陽師によって現代にまで血脈として受け継がれているわけです。

だけどここには、もう一つの問題もあります。
それは次回以降にお話ししましょう。
(続く)
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