5000年前の古代人の完璧な測量技術56(平安京の作り方)

少なくとも大国主ことオオナムヂから始まったとみられる日本の国土測量の「ハイテク技術」は、ニギハヤヒの大和王朝や、神武・崇神の大和朝廷においても引き継がれ、飛鳥京、藤原京、平城京、平安京と連綿と継承されていたのではないか、と私は見ています。
というのも、都の造り方が同じだからです。聖なる山と山、聖なる高みと高みを結び、都の位置や規模を決めて行きます。

その測量方法が、大文字焼きや五山送り火という行事や祭事として残されたというわけです。
たとえば平安京を見てみましょう。

最初の起点はおそらく京田辺市の甘南備山です。つまり神の降臨する神奈備山ですね。
この甘南備山の頂上から北を見ると、右に比叡山、左に愛宕山の2大巨峰がそびえているのがよく見えます。
古代の国土設計士は、この二つの巨峰と甘南備山を使って、平安京をデザインすることを考えたはずです。
そこで、次の地図をご覧ください。本書86ページに掲載されている地図です。

img061-11.jpg

甘南備山が(3)、比叡山が(1)、愛宕山が(2)ですね。
愛宕山と(5)の嵐山を結んだ直線と、比叡山と(6)の大文字山を結んだ直線の交点がPです。
次に、甘南備山とPを結んで、直線を北に引いていきます。
この直線を平安京の中央軸としたわけです。
その際、より明確に中央軸を引くために、(4)の船岡山を人工的に造ったのではないかと私は見ています。

さらに嵐山と大文字山を結んだ直線と、中央軸との交点に平安宮の朱雀門(11)を建造。
平安京の幅は、愛宕山と曼荼羅山(7)を結んだ直線や、左大文字山(10)と船岡山を結んだ直線、さらに愛宕山と大文字山を結んだ直線や、船岡山と嵐山を結んだ直線によって決められたというわけです。
お気づきのように、ここには五山送り火で使われる山がすべて使われています。
図では(9)の船山だけ利用されていないようになっていますが、これはわかりづらくなるのであまり線をたくさん引きたくなかったという作図上の都合によるものです。実は平安宮(宮城)の幅を決めるときに利用されています(具体的には甘南備山と船山を結んだ直線で、平安宮の南西角が決められています)。

そしてこの五山をすべて結んで出来上がるのが、大文字焼きの「大」の字であり、陰陽師の五芒星であったというわけです。
次はその「大」の字に隠された秘密について語りましょう。
(続く)


スポンサーサイト
Secret

プロフィール

白山菊理姫竹内文書

Author:白山菊理姫竹内文書
FC2ブログへようこそ!



最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR