5000年前の古代人の完璧な測量技術52(測量に使われた二つの神山)

なぜ神の山である「上山」という同じ名前を付けられた山が等間隔に一直線上に並んでいるのかという問題です。
その事実を解釈するときに考えられるのが、次の三つの可能性です。

(1)古代の人々が、同じような標高の三つの山がたまたま等間隔(33・4キロ)に三つ直線上に並んでいることを測量によって知っていたので、「上山」という同じ名前を付けた。
(2)古代の人々は、一直線上に等間隔に並んでいることを知らずに、測量もせずにまったく偶然にたまたま「上山」という名前を付けた。
(3)古代の人々が、同じような標高の三つの山が一直線上に等間隔に並ぶように、三つの山全部かそのうちの一つか二つを人工的に建造して、意図的に「上山」と名付けた。

一番単純で簡単な解釈は(2)ですね。
全くの偶然にしてしまえば、それ以上何も考える必要はなくなります。
神様のせいにしてしまえばいいんです。

しかしながら、現実を見てみましょう。
少なくとも真ん中にある京都の南端に位置する三上山は、測量に使われた聖なる山であることは間違いのない事実です。
既に説明したように、恭仁京の宮殿は三上山の真南にあります。
偶然に宮殿の真北に三上山があるとは考えづらいですよね。

大和の二上山も、藤原京や平城京の古都造営には欠かせない測量山であり、聖なる山でした。
なぜなら、平城京の宮殿(大極殿)は京都の三上山と大和の二上山を結んだ直線上にあるからです。
藤原京も二上山の真東に造られ、夏至の太陽が昇るのは三輪山からであるように設計されています。
飛鳥京から見れば、二上山に夏至の夕日が沈むように設計されてもいますね。

つまり確実に言えるのは、大和の二上山と京都の三上山は、測量的にも、風水的にもなくてはならない重要な山として、「神の山」と名付けられたということです。間違いなく、古代の人々は、少なくとも二つの「上山」は測量していたんです。

それらを示したのが、『竹内文書と平安京の謎』の123ページに掲載された地図なんですね。
次回はこの地図を参照にしながら、古代日本の都がどのように建造されていったかを見て行きましょう。
(続く)
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