アイルランド見聞録3(タラの丘とダナン神族の王)

タラの丘は、5000年以上前に造られた羨道墳を含む古代遺跡の宝庫です。
案内板の写真を使って説明しましょう。

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写真の下から上に向かって坂を上る感じになっています。写真上のやや中央左より辺りが丘の一番高いところです。
写真左に車を止める場所があり、そこから写真左上にある教会に向かってなだらかな斜面を登り、教会の墓地を抜けるとタラの丘の頂上付近に出ます。

そこで最初に目にする、はっきりとした遺跡がこちらの羨道墳。上の写真の教会やや右上に見える小さなマウンドがそれです。

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「人質たちの小山」と呼ばれていますが、後代のケルト族の伝説的な歴代の王が各地の王(豪族)から人質を取っていた習慣があることから便宜上そう呼ばれているだけで、実際は紀元前3350年ごろのケルト族よりもはるかに古い時代の王の墓であったのではないかとみられています。つまりケルト神話で言うところのダナン神族の王の墓であった可能性があるわけですね。

この羨道墳の中には入れませんが、案内板の写真を見ると、入り口の側の壁面には同心円のシンボルが描かれていることがわかります。

IMGP9853-11.jpg

この塚の先の丘の上には、ダナン神族が造ったのではないかとされる、有名な石柱が立っています。
ケルト神話で「運命の石」と呼ばれる立石です。

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この立石は、元々は先ほど紹介した「人質たちの小山」、すなわち「ダナン神族の王の塚」のすぐ北側に立っていたとみられています。しかし、1798年に起きたイギリス軍とアイルランド反乱軍の戦いである「タラの戦い」の後、その戦闘で敗れて死んだ400人の反乱軍戦士の墓碑として現在の場所に移されたということです。つまり、立石が立っている土台の部分は近代になって造られたことになります。

ちなみにケルト神話によると、正統な王がこの石に触れると、石は叫び声を上げるそうです。

最後に紹介するのは、「大宴会場」と呼ばれる盛り土構造を持つ巨大な土木遺構です。
一番上の写真で言うと、写真の中央を斜めに横切っている巨大な盛り土遺構がそうです。
全長200メートル以上あります。5000年前に造られたと考えられています。

近くで見ると、こんな感じです。

IMGP9892-11.jpg

左右に土手が築かれ、まるで王の戴冠式のための参道のように見えます。
実際、この「参道」は最初の写真を見ればわかるように、「人質たちの小山」こと「ダナン神族の王の塚」を明確に指し示していますね。おそらく5000年前のダナン神族の王たちは、この「大宴会場」と呼ばれる参道を通って、「運命の石」に触り、そして王位に正式に就任したのではないでしょうか。
(続く)
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