皆神山=世界中心遷都論が背景にあった

要塞の地ということ以外に信州松代が選ばれた理由は、宗教的な知識や儀礼と関係があったのではないか、と思われます。
言霊的には信州は「神州」ですから、まさに「現人神」である天皇にふさわしい名前の地であるわけです。

加えて、軍部の人間に「竹内文書」や新宗教「大本」のシンパがいたことも関係してくるのではないかと思われるんですね。
私が調べたところでは、陸軍には「竹内文書」の信奉者が、海軍には「大本」の信奉者が多くいた節があります。
そしてそのどちらも、皆神山を神々がこの世界を物質化するときに拠点とした神聖な場所だと主張していた可能性があります。
既にご紹介したように、大本の教祖・出口王仁三郎は戦前、皆神山のことを『月鏡』で次のように書いています。

「信濃の国松代町の郊外にある皆神山は尊い神山であつて、地質学上世界の山脈十字形をなせる地であり、世界の中心地点である。四囲は山が十重二十重にとりかこんで、綾部、亀岡の地勢と些しも違はぬ蓮華台である。唯綾部は日本の山脈十字形をなせる地で、これは又世界的であるだけの違ひである。大石凝真素美翁は、此地に帝都をおかれたなら万代不易の松の代を現出することが出来ると主張し、世界中心遷都論を唱へて囹圄の人となつた事実がある。真素美翁ばかりでなく外にもさういふ説を唱へた人があるが、最近飛行機が盛になるにつれて東京は安全の地でないと云ふ見地から、信州遷都論が一時或有志によつて伝へられた事があるが、全く此皆神山は蓮華の心に当つて居るのだから、四方の山々に砲台を据ゑつけてさへ置けば、如何なる飛行機をもつてしても襲ふ事は出来ぬ安全地帯である。こんな要害のよい所は、世界中外にない。」

ちなみに出口がここで紹介している大石凝真素美とは、「天津金木学」「天津祝詞学」「天津菅曾学」という、いわゆる「三大皇学」を確立したことで知られる、幕末から明治・大正にかけての言霊学者、国学者です。

このことからもわかるように、皆神山は一部の神道家たちによって、神の山として、世界の中心として君臨すべきであるとの考えがあったわけです。当然のことながら、軍幹部にもそういう考えがあって、信州・松代遷都を決断したと見るべきではないでしょうか。

IMGP7620-1.jpg

向かって左が皆神山、中央の尖った山がノロシ山でその中腹にある、色の濃く見える山が舞鶴山(白鳥山)です。
(続く)
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