大本営移転、信州遷都(首都松代)計画

「縄文の美」の続きをやる前に、今回の信州甲州第二回取材旅行(10月22-24日)の最初の目的地であった松代の話を紹介しましょう。

縄文時代からずっと時代は下って、太平洋戦争末期のころです。
本土大決戦をもくろむ軍部の最後の拠点として、信州松代に大本営および政府各省庁を移転しようという計画があり、極秘裏に建設が開始されました。

つまり東京から信州への遷都、首都を松代に置く構想ですね。具体的には、既に紹介した皆神山、象山、舞鶴山(別名・白鳥山)の三つの山の地下に大地下壕(松代大本営地下壕)を建設し、舞鶴山に皇居と宮内庁と大本営を、象山に各省庁と通信、放送施設、皆神山に測量庫(当初の計画では皇族の住居を造る予定だったが、岩盤が弱く断念された)を造ることになりました。それぞれの地下壕は碁盤目のように掘り抜かれ、総延長距離は10キロを超えました。

写真は象山の地下壕の出入り口です。

IMGP7614-1.jpg

見学できるようになっており、ヘルメットを被って入っていくと・・・・

IMGP7610-1.jpg

このような地下通路が碁盤目のように張り巡らされておりました。
この通路上に、各省庁の間仕切りと通り道が建設されたそうです。

工事は、主に強制連行された朝鮮人労務者約6000人が中心となって、1944年11月11日から翌年の8月15日の終戦まで9か月の間、突貫工事で行われ、全行程の約8割が完成しました。工事期間中の犠牲者は約210~250人ではなかったかと推定されています。

そうした事実関係について知りたい方は、原山茂夫氏の『新てさぐり松代大本営』(定価1000円)がお勧めですので、是非現地等で入手してください。

それはそれとして、問題はなぜ松代が遷都地候補になったか、です。

一般的には、松代が地質学的にも固い岩盤地帯となっており、海からも遠く、自然の要塞のように四方を山で囲まれていること、などが理由として挙げられています。

しかしそれとは別に、何かもっと重大な理由があったのではないか、と言うのが私の考えです。それは次回、ご紹介しましょう。

IMGP7619-11.jpg

上の写真の左端に写っている山が皆神山、その右のやや尖った山(のろし山)の中腹にあるのが舞鶴山、そして右端の均整のとれた小さな山が象山です。
(続く)
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