神とつながる「聖地」としての神社、磐座、そして祈り

神を感じ、わかることができるのであれば、なんでもOKというのが古神道および神道です。
その前段階として、心を整える装置が神社であり、磐境や磐座がある「聖地」であると思ってください。
鳥居(磐境)をくぐって神域に入り、御手洗で手や口を浄め、本殿や磐座の前で心を整えますね。
もちろん神社ではなく、教会でもモスクでもお寺でもどこでもいいんです。
それぞれの流儀で、心を整えます。そして祈り。

この祈りによって、神の意識とつながりやすくなります。
ただし問題は、この祈りに「我(が)」があっては神につながらないということです。
よく言われることですが、「かがみ(鏡)」から「が(我)」を取れば、「かみ(神)」となります。
単純でしょ。心を整えるということは「我」を取り払い、ニュートラルにすることなんですね。
鏡はそのための装置の一部です。鏡は自分のありのままの顔や姿を映し出します。
「我」は顔に出ますね。だから鏡は、そこから「我」をなくしやすくするための道具でもあるわけです。
すると、あら不思議、神につながるんです。

だから「俺が」「私が」とお祈りしているかぎり、神と深くつながることは、かなり困難になるということでもありますね。

で、祈りの基本は「感謝」と「癒し」と「祝福」です。
この基本を守れば、「我」や「欲」が入り込む余地はありません。

これが神とのつながり方です。あとは感じて、わかるだけ。
実際、後述するつもりですが、この祈りがなければ、大地に描かれた「神々のライン」も本当の意味で活性化することはありません。

そして、神とつながるもう一つの大きな装置としてこの世界に存在するのが、音楽、音のハーモニーだと思っています。
(続く)
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