祈りの装置としての神社、そして雛型日本という考え

本当に「神様」が、日本を世界の雛型として創造し、足の裏のツボのように全体と連動する仕組みを作ったのかどうかはわかりません。
でも、たとえ「神様」が雛型として日本を創ったのでなくても、偶然に日本がまるで世界の雛型のような形になったことを利用しない手はありません。つまり日本を世界の雛型と思うことによって、世界の国々や地域のイメージがしやすくなるんです。

これは神社に行くのと同じです。そもそも我々がなぜ神社に参拝するかというと、神社に行くほうが神様をイメージしやすいからです。鳥居をくぐって神域に入り、ご神体の前で拝礼をして祈る。そのほうが神様をイメージできるんですね。
もちろん中には、神様などどこでもイメージできるから神社など必要ないという人もいるでしょう。
それはそれでいい、というのが私の考えです。
自由自在に神様をイメージできるのなら、神社に行く必要はありませんね。心の中にその神様の社を建てて、そこでお参りすればいいだけの話です。でも、それができない人も大勢いるわけです。

同様に日本が世界の雛型であるとイメージできれば、たとえば中東のイスラエルで紛争があった場合、伊勢神宮にお参りして中東をイメージして癒したり、祝福したりすることにより、戦いや争いのエネルギーを中和したり鎮めたりすることが可能になるかもしれませんね。アメリカのエネルギーが暗くて変だと思えば、アメリカの地域に対応する北海道の当該神奈備山に詣でて、北米大陸の特定の場所に「光」を降ろすこともできるはずです。日本が世界の雛型であるというのであれば、「日本のお役目」は本来はそういうものだったはずですね。

イメージは、具体的であればあるほど、真摯であればあるほど、強くなります。
神社はある種、そのイメージの力を増幅させる装置であると考えることもできます。
ということは、自分の欲望から願えば、その欲望だけが強くなってしまうことが多々あるんですね。
だから欲望で願ってはいけないんです。無欲、かつ、いい感情で、いいイメージを、それも非常に具体的に思い描けばいいだけです。いい感情で、謙虚に、そしてイメージを高め、イメージを実現させるーーこれが祈りの基本だと思っています。言って見れば、スポーツ選手のイメージトレーニングに似ています。

さて、ここからが本題です。
実は羽根ラインも、尖山や下田富士のピラミッドラインも、三上山ー二上山ラインも、ただ測量・通信ラインとしてあるのではないんですね。日本列島を鮮明にイメージできるための装置であり、祈りのラインであったと私は考えています。
(続く)
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