皆神山と尖山の間に起きた、神のなせるシンクロニシティ

皆神山とは浅からぬ因縁があります。共同通信社富山支局の記者だった1984年の4月か5月ごろ、当時富山大学文学部の教授だった山口博氏と出会い、「竹内文書」という変わった古史古伝が富山にあることを紹介されます。そこで県立図書館に行って、「竹内文書」を公開した竹内巨麿の息子がその一部をまとめた『神代の万国史』を読んだわけです。そこには、富山・立山町の尖山が古代スメラミコトの神殿であることや羽根という地名の由来が天空浮舟と関連があることなどが書かれていました。そのうち立山町の尖山について、山口教授と話し合って、山口教授説として「古代日本のピラミッドであった可能性がある」という原稿を書き上げました。ただしその原稿は名古屋支社デスクの手元にストックされて、出番を待っている状態でした。

デスクの手元に渡って2-3週間が経ったころ、日ごろから情報交換していた長野支局の同期生から電話がかかってきます。
その同期は「どうもサンデー毎日が『日本に最古のピラミッドがあった』という特集記事を書くらしい。今、長野市松代にある皆神山を調べており、お前の原稿と重複するから、サンデー毎日の記事が出る前に原稿を出したほうがいいのではないか」と言います。

早速、私はその旨を名古屋支社のデスクに伝え、出稿日程を調整してもらいました。そして出稿日をまさに「日本にピラミッドがあった」という特集を組んだサンデー毎日の発売日に当てたわけです。それが1984年の6月19日です。サンデー毎日はその特集記事のトップに皆神山を取り上げました。一方、富山の尖山を取り上げた私の記事は、地元富山の北日本新聞の19日付け夕刊トップ、産経新聞の19日付け夕刊社会面トップ、名古屋タイムズの20日付け朝刊トップなど大きく取り上げられました。

実は共同通信の地方支局の記者にとって、その地元の新聞のネタを後追いすることはあっても、自分の記事が地元紙のトップ記事になるということは滅多にありません。だから、とても名誉なことなんですね。というのも、地元の情報に関して言えば、地元紙の記者のほうがはるかに人数は多いですし、何よりも圧倒的な情報網を持っているからです。その情報網を潜り抜けて、地元紙のトップ記事を飾ることがあれば、それは特ダネということになります。

さて、ここで本当に面白いのは、シンクロニシティが起きたということです。
私はサンデー毎日に知り合いはいませんでしたから、「日本のピラミッド企画」のことはまったく知りませんでした。
向こうもまったく私が同じような取材をしているなんてことはわからないわけです。
だけど、遠く離れた知らない者同士が、まったく同じ時期に、同じテーマで取材を始め、それを記事にするというのは、偶然にしては出来過ぎていると思いませんか。何か仕組まれている感じがしますよね。戦前の同じ時期に大本教と天津教が台頭し、海軍と陸軍に多くのシンパを作りながら、結局同じように弾圧されたのも、大掛かりなシナリオがあったように思われます。

そのタイミングでしか起こりえない、その時代の大きなうねりのような動きや流れ--これが「神仕組み」とも呼べるシンクロニシティなのではないでしょうか。
(続く)
スポンサーサイト
Secret

プロフィール

白山菊理姫竹内文書

Author:白山菊理姫竹内文書
FC2ブログへようこそ!



最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR