与那国の海底に眠る「太陽石」はパン文明の痕跡か

太平洋にかつて謎の大陸があったとするのは、「竹内文書」も「正統竹内文書」も同じです。
ただし呼び名は違います。「竹内文書」ではミヨイ、タミアラという国が太平洋上にあったことになっています。一方、「正統竹内文書」では、かつて「あー大陸」「うん大陸」があったと伝わっているそうです。竹内氏はこの口伝について、おそらく「あー大陸」が大西洋にあった比較的小さなアトランティス大陸で、「うん大陸」が太平洋上にあったムー大陸ではないかと話しています。

しかしながら、ここには大きな問題があるんですね。
かつて太平洋上にそのような「大陸」があったことを示す決定的な証拠がないことです。

もっとも、『オアスペ』によれば、ジャパンこそ沈没を免れたパン大陸の一部であるわけですから、日本そのものがパン大陸があった「証拠」になりえますね。でも、それでは沈没したパン大陸の痕跡がどこにあるのか、という話になります

これに対して、与那国島の海底遺跡が水没したパン大陸の痕跡であると主張することもできます。この与那国海底遺跡は、私も15年前に潜ったことがあります。現在でも人工物なのか、自然の摂理によるものなのか結論が出ていないようですが、実際に見た印象から言えば、楔の跡のある二枚岩や整然としたテラス構造を見ればわかるように、あれは間違いなく人工的に加工されています。その決定的な証拠は、「太陽石」です。直径2メートルほどの丸い巨石が海底の五角形の巨大な台座の上に乗せられて、台座にはいく筋もの線が彫られたようになっています。この筋は、ある一定時期の太陽の日の入りと日の出の方角を刻んだ線であると考えられます。つまり巨石カレンダーとして使われた形跡があるんですね。

この太陽石は、「ある特定の場所から太陽が昇る、ある時期において、この島全体を『神の座』という意味で、レムリアと呼ぶ」とする、退行催眠中の秋山氏の言葉とイメージ的に符合しますね。また秋山氏によると、パン文明においては、丸いものを直接地面に置くことは厳しく禁止されていたそうですから、丸い巨石が台座に乗せられていたことも、説明がつくわけです。

実はこれと同じような巨石が陸上にあります。
久米島で「石時計」と呼ばれている500年前の「太陽石(ウティダイシ)」です。県指定史跡で、村人は、この石で日の出の位置の移り変わりを定点観測し、それを元に、農作業や航海の時期などを設定していたとされています。

年代こそ異なりますが、陸上にあるものは遺跡として認められ、海底にあるものは認められないというのはおかしな話です。たとえば、もし与那国の海底遺跡が陸上にあれば、古代の巨石神殿跡か祭祀場、あるいは石切り場として、県指定史跡になってもおかしくないと思うんですけどね。少なくとも海底の太陽石は、「太陽石(ウティダイシ)」として認められたはずです。まあ、県が指定しようがしまいが、遺跡は遺跡です。

ということで、今日の写真は与那国海底遺跡の太陽石。

img004-21.jpg

上から見ると、五角形の台座の上に設置されていることがわかります。

img004-11.jpg
(続く)
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