大洪水の前と後をつなぐ「土と石の文明」

紀元前9000~1万年に建造されたとみられる、トルコのギョベクリ・テぺの「巨石神殿」の発見により、シュメル文明以前の人類史の見方が大きく変わりました。「大洪水」を生き延びた人々は、かなり早い時期に農耕・定住生活を始め、巨石神殿を建造できるほどに高度な技術を持っていたことになるからです。つまり、何らかの文明の継承が大洪水の前と後にあったのではないかと見ることができるんですね。そうでなければ、これほど早く巨石構造物を建造できなかったのではないか、ということです。

その文明にはどのような特徴があったかというと、前回のブログに書いたように「土と石の文明」です。既に何回も紹介しているように、『旧約聖書』にそのヒントがあります。バベルの塔の物語の中に、世界に一つの言語しかなかった時代は、漆喰(土)と石が使われていたことが示唆されているからです。それが煉瓦とアスファルトに取って替わりバベルの塔を造ったときに、塔は崩れ、言語はバラバラになった、と。「言語」を「文明」ととらえれば、バベルの塔の話は非常に象徴的に人類史を物語ったエピソードであると考えることができます。

で、前回言及し忘れたのですが、5000年前のブリテン諸島と縄文時代の遺跡の間には、驚くべき相関関係があるように思われます。それが「土」で作られたヘンジ(土塁・盛り土遺構)です。こちらも既に紹介しましたが、約4000年前に構築された垣ノ島遺跡の「U」字形の盛り土遺構(ヘンジ)は、長さ120メートルと規模はブリテン諸島のものよりも小さいですが、マーデンヘンジやワウルズ・バンクの「D」字形ヘンジによく似ています。そして今回の北海道縄文遺跡取材でわかったのですが、紀元前1200年ごろ造られたとみられるキウス周堤墓群の周堤は、まさにヘンジそのものでした。

まずは写真をご覧ください。

IMGP6625-2.jpg

結構大きな「ヘンジ」であることがわかります。実は道路で一部分断されていますが、ちゃんとサークルになっているんですね。このような「ヘンジ」が8基あります。大きい「ヘンジ」の直径は75メートルありますから、まさにストーンヘンジ並みの大きさです。高さも一番高いところで5・4メートルあるそうですから、エイヴベリーの大ヘンジ並みの高さです。

ただ、ブリテン諸島のヘンジと違うところは、このサークルの中に複数の墓穴があることです。だから、「周堤墓」と名付けられたんですね。でも、用途はたとえ違っても、構造はヘンジです。墓穴には立石が伴うものも見つかっていますから、少なくとも「土と石の文明」の痕跡がこの遺跡からも見て取れます。

話を元に戻します。「大洪水」の前と後の文明について、でしたね。

「土と石の文明」は大洪水後も、トルコのギョベクリ・テぺ、ブリテン諸島、それにマルタ島に引き継がれ、シュメル文明やエジプト文明でも開花したと私は考えています。また、縄文文明も「土と石の文明」であることは明らかです。

実はこうした超古代史的な文明の流れを主唱している「文献」があるんですね。それが「正統竹内文書」と「竹内文書」、それに『オアスペ』です。
(続く)
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