縄文時代の測量技術者にとっては緯線を引くことはわけもないことであった

秋田県・黒又山周辺の神社群が緯線(東西線)を含む測量線上に並んでいたり、82キロ離れた秋田県と岩手県の縄文遺跡が完璧な緯線上にあったりするように、北海道の縄文遺跡と目立つ山を結んでもやはり完璧は緯線ができます。

たとえば、千歳東インターのそばにあるキウス周堤墓群は、約86キロ離れたニセコ連峰最高峰のニセコアンヌプリと同緯度(北緯42度53分)にあります。厳密には30秒ほどニセコアンヌプリのほうが南にあるのですが、86キロの距離で30秒のずれは極めて少ない誤差の範囲です(実際、ニセコ連峰のイワオヌプリを測量山とすれば、数秒の誤差すら完璧に解消されます)。

同様に、羊蹄山から11キロほど西に離れた同緯度(北緯42度49分)には、曽我北栄環状列石が配置されています。こちらも厳密には5秒ほど羊蹄山山頂(最高点)より北にありますが、ご存知のように羊蹄山の頂上は平らに見えますから、現在の最高点でない山頂部なら5秒の誤差は完全に解消されます。

ということは、縄文時代の北海道の測量技術者にとっても、緯線を引くことはわけもないことだったということがわかりますね。
しかも距離を計算できていた可能性が強いことが、新著239ページの図5-10を見るとわかってきます。さらに241ページの図5-11を見れば、三角測量をして距離を測っていた痕跡すらあることがわかるんですね。

そんなのは偶然の一致ではないかと思う人もいるでしょう。そりゃ、たくさん遺跡があれば、数撃ちゃ当たるでそうなる可能性もあるでしょう。だけど、ここでは北海道や北東北の限られた主要縄文遺跡しか選んでいないわけです。その位置関係が測量的に意味のある配置にあるということは、測量して配置されたとしか言いようがないわけです。

今回の北海道縄文遺跡の取材でも、面白いことがありました。余市町から小樽市にかけては、大谷地貝塚、西崎山環状列石、地鎮山環状列石、忍路環状列石といった縄文遺跡群があることで有名です。この中で重要なのは、現地に行けばすぐに気が付くのですが、船取山が重要な測量山として利用されたということです。今は樹木がうっそうと茂っているので、意識しなければまず気が付きませんが、忍路環状列石は船取山と環状列石のある地鎮山が見える場所に位置しています。地鎮山の頂上にある環状列石からも木立の陰から船取山が確認できます。で、その船取山と西崎山の山頂にある環状列石を直線で結ぶと大谷地貝塚に至るように設計されているんですね。

このように縄文時代の環状列石が配置されていることは、実は地元の人もまずわかっていません。実際、船取山の位置を確認しようと地元の人に聞いても、わからない人が多かったです。だけど船取山は、目の前に見える目立つ山なんです。そう指摘しても、「あの山に名前なんてあったのかな」という返事が返ってきたこともありました。でも、それは仕方のないことでもあるんですね。

思い出してください。ケルト人はブリテン諸島に先住民が巨石文明を築いてから2000年後にやってきて、辛うじて神話の中でその巨石文明の建造者が何者であったかを「ダーナ神族」などとして残しました。北海道の人たちも、アイヌ民族以外は、縄文時代が終わって2000年以上経ってからやって来た人が大半です。そのアイヌ民族にしても、ケルト人と同じで、もしかしたら環状列石を縄文時代に造った人たちとは別の民族かもしれないわけです。そんな昔のことを覚えているはずはありませんよね。

今日の写真は小樽市の忍路環状列石。

IMGP6580-2.jpg

中央奥の木の向うに見えるのが、船取山です。
地鎮山は向かって右手の方角にあります。
(続く)
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