羽根ラインはいつの時代に作られたのかという問題

昨日、北海道の縄文遺跡の取材から戻って来ました。
その取材の詳細は、後日お知らせするとして、羽根ラインに話を戻しましょう。

東経137度11分の南北の羽根ラインと北緯35度23分の東西の羽根ラインがあることを前回紹介しました。
で、今回の新著でさらに明らかとなるのは、岐阜県河合村の羽根と富山県婦中町の羽根の秘密です。

どちらも東経137度11分の羽根ラインから少し外れていますが、何らかの関連性があるのではないかということはずいぶん前からわかっていました。とくに位山や天柱石と関係がありそうだと考えられました。そこで「竹内文書」に出てくる「聖地」を地図上で正確に結んだところ、一つの事実が分かったんですね。その聖地とはどこかというと、アメノニニギノスメラミコトの神殿跡であるとされる富山県横江の尖山、武内宿禰の墓があるとされる富山県高岡市の二上山、モーゼの三つ子塚があるという石川県の宝達山、天神第5代天一天柱主大神を祀った富山県平村天柱石、それに上古の神々が降臨したという位山です。

本当にそういう「聖地」であったのかはここでは議論しません。大事なのは、「竹内文書」にそれらの場所が大事な場所、すなわち「聖地」として「記録」されているということです。そして今回、古代測量技術集団が使った三角測量点が羽根という地名として残った可能性が強いということがわかりました。

つまり、こういうことです。婦中町の羽根は、天柱石と富山市の羽根を結んだ直線と、尖山と宝達山を結んだ直線が交差する、まさにその点にあるんですね。一方、河合村の羽根は、宝達山と位山を結んだ直線と、二上山、富山市の羽根、尖山の三点を結んだ直線に対して尖山から引いた垂線との交点にあります。この時、尖山と河合村の羽根を結んだ直線は、天柱石と婦中町の羽根と富山の羽根を結んだ直線と平行線にもなります。さらに言えば、河合村の羽根は位山からも白山からも等距離にある地点に正確に置かれた点でもあります。

このような点は偶然であるはずはなく、古代測量技術集団が意図的に置いた測量点である、ということができるわけです。

また、このとき浮かび上がる幾何学図形や垂線の引き方が、イギリスのストーンヘンジ、エイヴベリーの両複合体遺跡とその地域の最高峰を結んだ時にできる幾何学図形の描き方に非常によく似ていることがわかります。29ページの図1-2と62ページの図2-2ですね。

似ているからと言って、同じグループがやったとは言えません。だけど、どうやら我々の知らない古代において、同じような測量技術や知識を持つ古代人が世界中にいたのではないかと推論することができるんです。ただしいつの時代かはわかりません。ブリテン諸島でラインを引いた人たちが、今から約5000年前の時代の人たちであることはわかっています。でも、羽根ラインを作った人たちがいつの時代の人たちなのかはまったくわかりませんね。越王オロチが日本を統治していた時代より前だとは思いますが、確たる証拠はありません。

そこで、ちょっと発想を変えてみました。
もし、5000年前の古代において地球規模の文明が既に繁栄していたのだとすれば、日本の縄文時代の遺跡にもその測量技術の痕跡が見いだせるはずではないかと考えたわけです。それが第五章に書かれている「縄文遺跡群と神秘の測量」です。高度な測量土木技術を持つ「縄文文明」が古代の日本にはあったのではないか、と。その手がかりが北東北と北海道の縄文遺跡にあったんですね。
(続く)
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