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ケルト民族の前にブリテン諸島にいた謎の民族(その11)

昨日に引き続き、ブルー・ナ・ボーニャの遺跡群の説明を続けましょう。

このことから何が推論できるかというと、ニューグレンジが最初に建造された「宮殿」あるいは人工丘だとすると、夏至の日の入りライン上にノウスの「宮殿」あるいは人工丘を建造したことになります。ノウスの丘から見れば、ニューグレンジは冬至の日の出ライン上の丘です。

で、この二つの丘を結んだ線分を三角測量の基線とするんですね。
すると、ドウスの「宮殿」は、ニューグレンジから見て夏至の日の出ライン上で、その距離が基線の二倍となる場所に意図的に造られた人工丘であると解釈できるわけです。

彼らはおそらく丘と丘を結ぶ作業をしたはずです。丘と丘を結び、つまり高みと高みを結び、それを基線として測量し、聖なる場所の位置を決めていきます。そして、三つの丘を結ぶことによって彼らは春分、夏至、秋分、冬至という季節を簡単に知ることができたわけですね。もっとも、わざわざ三つの丘に登らなくても、一つの丘に登って太陽の昇ったり沈んだりする方角を見るだけでも季節の観測はできます。たとえばニューグレンジの丘の上から春分や秋分の日を知りたければ、その真東か真西に何か目標物を置けばいいだけです。そこでニューグレンジの真東に何かないかどうか地図上で調べてみました。すると、二キロほど離れた場所にありました・・・・ニューグレンジのビジターセンターが・・・。

まあ、当時はビジターセンターはなかったでしょうから、きっとビジターセンターの場所に何か目印があったかもしれませんね。

新著『竹内文書と平安京の謎』で詳しく説明してありますが、イギリスのストーンヘンジはまさに同じやり方で建造されています。
既に多くの研究者が指摘しているように、夏至の日の朝ストーンヘンジの中心に立つと、北東のアヴェニューという出入り口とその付近にあるヒールストーンという立石から太陽が昇ってくるのを見ることができます。

しかしイギリスの研究家らが見落としているのは、ストーンヘンジの夏至の日の出ラインには、ヒールストーンやアヴェニューの先があるということです。実はその地域の最高峰であるウォルベリー・ヒルから夏至の日の出が昇るのが見える場所にストーンヘンジを建造した可能性が極めて高いんですね。しかもストーンヘンジは、その日の出ラインと、エイヴベリーの大ヘンジとミルク・ヒル(エイヴベリー付近の最高峰)を結んだ直線との交点に正確に造られています。

このように、ストーンヘンジの複合体遺跡とそこから北に30キロほど離れた場所にあるエイヴベリーの大ヘンジの複合体遺跡は、地図上で詳しく調べると、ウォルベリー・ヒルという最高峰と、ミルク・ヒル、ナップ・ヒルという最高峰や次鋒を結び、かつそれを基線にして三角測量を実施、見事に高みと高みを結んだライン上にすべての遺跡群が並んでいることがわかります。つまり両複合体遺跡の遺跡群の配置はすべて、「高み結び」を使ってデザイン・設計されていると結論づけることができます。

今回の新著を読んでシルベリー・ヒルとマーリンの丘という約5000年前に建造された二つの人工丘の配置を知るだけで、おそらく読者の皆さんは非常に驚かれると思います。5000年前には既に我々の想像を超えるような高度な測量技術があったことが判明します。次回はイギリスの巨石遺構とアイルランドの巨石遺構は、同じ測量技術者によって建造されたかどうかについて言及しましょう。

今日はその新著の見本が出来上がる日です。配本は来週の30日ですから、31日ごろから書店に並ぶと思います。出版社は成甲書房です。

ストーンヘンジ。

DSC_0333-1_20150723130758d84.jpg

ヒールストーン。

35-2.jpg

(続く)
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