古代エジプトにおける「一神教文明」と古代ユダヤ人の符合

『旧約聖書』を信じるならば、「古代ユダヤ人」の中で最初に飢饉を逃れて古代エジプトにやって来たのは、アブラハムでした。おそらく紀元前2000年から紀元前1800年ごろの間のことでしょう。

次に、そのひ孫に当たるヨセフが奴隷としてエジプトに売り渡され、そこで頭角を現し、宰相にまで出世したわけです。で、その出世頭の宰相を頼って、古代ユダヤ人たちが大量に入り込んできたという図式です。それが紀元前1700年から1500年ごろではないかと思われます。

古代ユダヤ人が古代エジプト王朝の宰相にまで上り詰めたことと、古代ユダヤ人の大量流入によって、当然、多くの文化的軋轢が生じたと思うんですね。なにしろアブラハムは世界三大一神教の「信仰の父」ですから、その子孫たちが一神教的でないはずはありません。シュメル文明の影響を受け、多神教を信仰する古代エジプト文明・文化と真っ向から対立するわけです。

こうなると、数の論理が物を言うはずですね。エジプトの人たちに「特別な神」がいる、唯一絶対的な神がいるという考えを植え付けてしまえばいいんです。実際にどのようなことをやったのかはわかりませんが、結果は古代エジプトの宗教史から見て取れますね。最初にエジプトの神官の中で、アメン神を崇め称える神官たちのグループ「アメン神団」が出てきました。そしてさらには、アテンを絶対的に崇める、アメンホテプ4世改めアクエンアテンが登場して、一神教的アマルナ宗教改革を進めるわけです。

時は、紀元前14世紀ーーこれが古代エジプトにおける一神教文明の最盛期となります。紀元前16世紀ごろから大量に流入してきた一神教の民「古代ユダヤ人」がじわじわと古代エジプトの多神教文明に影響を与えたのだと考えると、妙に辻褄があってしまいます。

実際、これに近い考えを持っていた学者もいました。それがユダヤ人の母を持つ、オーストリアの精神科医ジグムント・フロイト(1856~1939年)ですね。彼は『モーセと一神教』の中で、アクエンアテンの時代と「出エジプト」の年と推定される年代が近かったのではないかとみて、アテン神が同じ「唯一神教」であるユダヤ教の神ヤハウェの原形であるとする説を唱えたんですね。これは結構鋭い洞察であると私は考えます。どちらがどちらに影響を与えたのか断定はできませんが、アテン神の信仰と絶対神ヤハウェの信仰には、同じグループが背後にいたように思えるんですね。どうも怪しい。単なる偶然の一致には思えません。

ところが、このアマルナ宗教改革はアクエンアテンの王一代で終焉を迎えます。で、その子ツタンカーメンは父の死後王位に就くと、多神教文明に舵を取りますが、若くして死んでしまいます。この辺りも怪しいですね。少なくとも、アテン神を絶対視する「一神教」はこれ以降、排除されます。

そしてここで、エジプトから古代ユダヤ人の大量脱出である「モーセの出エジプト」が起きるわけです。
(続く)
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