古代エジプトに突如現れた「一神教」の背景

メソポタミアで開花したシュメル文明のバックボーンは、多神教という信仰・文化でした。
そのシュメル文明の多神教的精神および文化的血脈は古代エジプトや古代ギリシャへと引き継がれていくわけですが、古代エジプトにおいて一時期、一神教が台頭して、宗教戦争的様相を呈したことがあったんですね。古代エジプト第18王朝のアメンホテプ4世の時代、すなわち紀元前14世紀のアマルナ時代です。

このとき世界初の一神教とも言われる「アテン信仰」が生まれました。
アテン信仰は、唯一アテン神のみを祭る宗教です。アテン神は元々、夕陽を神格化した神であったとみられ、主にテーベ(現ルクソール)で祀られていた地方神の一つでした。夕陽も太陽ですから、一種の太陽神と見ることもできます。

で、この太陽神の一形態とみられるアテンが唯一絶対神と見なされるようになった理由は、アメンホテプ4世の妃ネフェルティティがアテン神を熱心に信仰していたからです。つまり、多くある神々の中でネフェルティティはアテン神のことをえらく気に入っていました。朝日よりも夕日が好きというわけです。まあ、嗜好の問題ですね。

その妃ネフェルティティの影響で、アメンホテプ4世もアテン神を信仰するようになりました。元祖かかあ天下といったところでしょうか。一方、当時のエジプトでは、旧来の太陽神アメンが人気投票で一番だったんですね。ところが、このアメン信仰を利用して、アメン神を讃えていたエジプトの神官たち(アメン神団)はファラオをも凌ぐ権勢を誇るようになってきたんです。こちらも言うなれば、アメン神を絶対神化した一神教みたいなもの。昼間の太陽が大好きな集団と考えることもできます。

アメンホテプ4世は、このアメン神団の力を削ぎ、王権を強化しなければならないと考えたようです。それで、自分の名前にある「アメン」という文字を嫌って、「アクエンアテン(アテン神にとって役に立つもの、というような意味)」に改め、王家としてのアメン信仰を停止しました。紀元前1368年ごろには、アテン神に捧げる新都アケトアテン(現アマルナ)を建設。王朝発祥の地テーベを放棄し、遷都します。同時に他の神々の祭祀も停止したので、アテン神のみの一神教になったわけです。これを「アマルナ宗教改革」と呼びます。

しかしながら、この宗教改革はあまりにも急激だったために、アメン神団らの激しい抵抗に遭い、最終的には失敗します。アクエンアテンが亡くなった後、その息子であるツタンカーメン王の時代に、エジプトはアメン信仰に戻るんですね。「世界初の一神教」であるアテン信仰は消滅しました。

面白いでしょう。多神教という文明に一神教が殴り込みをかけた図式にも思えますよね。すると、当時既に一神教の原型を作っていた人たちの存在が浮かんできませんか。そう、あの世界三大一神教の「信仰の父」とされているアブラハムの子孫たちです。「美人局的戦略」でエジプト王から莫大な財を得て、カナンの地に「自分たちの国」を作ろうとした人たちでもありますね。

そして『旧約聖書』には、アマルナ革命があったとみられる時代に、彼らがエジプトにいたことがちゃんと記されているんですね。それがあの有名な「出エジプト」です。
(続く)
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