イムホテプはシュメール人であったのか

古代エジプトで初めてピラミッドを建設したとされるイムホテプは謎の人物です。
彼が登場したのは、紀元前2600年ごろのエジプト第三王朝の時代。
王族の出身でもないイムホテプは、まさに彗星の如く現れ、建築、設計、土木、医術などの分野でその天才ぶりをいかんなく発揮しました。太陽神ラーの神官となり、ジェセル王の宰相としても活躍した超人的な存在でもありました。

ところが彼が何者なのかはまったくわかっていないんですね。いったいどこから来たのか、人種的には何人なのかも不明です。まさに突如現れた天才としかわかりません。

ただ、ここで大事なポイントは、彼の知識と知恵が当時の古代エジプト文明の科学を凌駕していたことです。彼は全く新しい方法で、ピラミッドを建造します。すなわち、それまでは王墓などの建造物には日干し煉瓦が使われていましたが、これに代わって、切り出した石材を積み重ねる方式を採用しました。強度がまったく違いますから、これにより巨大ピラミッドの建造が可能になったわけです。

彼の知識は治水においても多大な貢献をしました。ジェセル王から水不足による深刻な飢饉対策を求められ、ナイル川を氾濫させる方法を説いたという記録が残されています。

こうした彼の知恵と知識がどこから来たのか、という問題を考えた場合、その一つの考え方として、古代エジプト文明以前に栄えた文明から来たのではないかと見るのも理に適っていますよね。4500年前の古代エジプト文明以前の文明と言えば、メソポタミアに開けたシュメールのメソポタミア文明です。

シュメールはチグリス、ユーフラテスという大河に挟まれた地域でしたから、治水の知識を持っていたとしても不思議ではありません。ということは、イムホテプが持っていた知恵と知識はシュメールのそれを継承したものであった可能性があるわけです。

シュメール、シュメル、スメルーーーシュメールとはスメル(スメラミコト)族のことであった、と誰か言っていました。
そう、実はイムホテプがシュメール人だったとすると、正統竹内文書の口伝の内容とも整合性が出てきてしまうんですね。

どのような口伝の内容だったかというと、氷河期が終わったことによって起きた大洪水後に最初に文明が開けたのは今から1万2000年前の日本だったというんですね。その証拠としては、確かに青森県の1万6000年前の大平山元遺跡からは炭素年代測定では世界最古ともいわれる土器が見つかっています。文明の定義にもよりますが、それから4000年後に「縄文文明」が開花したとしても不思議はありませんね。

で、その後「古代縄文日本文明」がどうなったかというと、口伝では大陸に渡ったグループがいたというんですね。そのグループ名は「スメル族」。その初代の王の名前を取って「オオゴトオシオ朝」と名付けることもできるそうです。その彼らがどこに行ったのかというと、それがシュメールであったのだと竹内氏は言います。
(続く)
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