「邪馬台国」は大和にも九州にもあった

邪馬台国はどこなのかーーー。実は面白いことに「邪馬台国」は大和にもあり、九州にもあるんですね。どういうことかというと、西暦56年に神武とイスズヒメの政略結婚により出雲族と日向族の和睦が成立して、大和に統一王朝ができました。これが大和国、すなわち『日本書紀』に記されている「ヤマト(日本)の国」です。

国名の変遷については後で触れますが、このヤマト(日本)の国はずっと大和地方にあったわけではないんですね。正統竹内家の口伝によると、その後何度か、生きのこったナガスネヒコ(兄)の残党(蝦夷)に破れて、九州・日向に敗走しているのだそうです。ということは、「ヤマトの国」は事実上の九州遷都をしているわけです。

つまり、「ヤマトの国」には大和時代と九州時代があったわけですから、九州にも大和地方にも「魏志倭人伝」の言うところの「邪馬台国」はあったことになりますね。その証拠に、九州と大和に同じ地名が残っているはずだから探してみるといいと竹内氏は言います。

竹内氏の説によると、「邪馬台国」は中国側の誤りで、やはり「ヤマト」が正しいのだそうです。
確かに『日本書記』にもそう書いてありますね。
大和に統一王朝が出来たとき(神武天皇記)の記述を見ると、国名について次のように記されています。

「饒速日命(ニギハヤヒノミコト)は、天の磐船に乗って大空を飛び回り、この国を見てお降りになったので、名付けて『空見つ日本(やまと)の国』という」

統一王朝を事実上作り上げたニギハヤヒが「ヤマトの国」と名付けたと明記されています。
その正式な国名を「魏志倭人伝」の編者が「邪馬台国」と適当に訳してしまったというのが真相なのかもしれませんね。
(続く)
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