崇神は西暦258年の戊寅の年に亡くなった

私の現在の興味は神武以前の「神代の歴史」なので、神武以降の古代史にはあまり踏み込ませんが、「卑弥呼」が誰で、「邪馬台国」はどこにあったのかぐらいは押さえておきたいですよね。ということで、今日は卑弥呼を取り挙げます。

卑弥呼は、『魏志倭人伝』などの中国の史書に記されている倭国の女王です。
『魏志倭人伝』によると、倭国は元々は男子を王としていましたが、倭国全体で長期間にわたる騒乱が起こりました。いわゆる「倭国大乱」ですね。そこで、卑弥呼という一人の少女を女王に「共立」することによってようやく混乱を鎮めたということになっています。

卑弥呼自身については、おおよそ次のように書かれています。
「邪馬台国に居住し、鬼道につかえ、衆を惑わした。年長となったが、未婚であった。弟が国政を補佐した。王となって以来人と会うことは少なかった。1000人の従者が仕えていたが、居所である宮室には、ただ一人の男子が入って、飲食の給仕や伝言の取次ぎをした。樓観や城柵が厳めしく設けられ、常に兵士が守衛していた」

で、これがいつの時代かというと、わかっているのは卑弥呼が亡くなった年です。「正始8年(247年)頃に卑弥呼が死去すると大きな墳墓がつくられ、100人が殉葬された」と同書に記されているからです。また景初2年(238年)以降、帯方郡を通じて魏に使者を送り、皇帝から「親魏倭王」に任じられたとも書かれています。

では、西暦238~247年ごろの日本の王(天皇)は誰であったのでしょうか。正統竹内家の口伝によると、そのころの統治王は神武から数えて10代目となる崇神であったというんですね。『古事記』では崇神天皇以降、亡くなった年の干支を記すようになっています。戊寅(つちのえとら)に亡くなったと書かれているので、口伝と『古事記』の記述が正しいとすると、崇神は258年の戊寅の年に亡くなったことになります。

さて、次に口伝と『魏志倭人伝』の記述を比較しながら、整合性があるかどうか、検証して行きましょう。
(続く)
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