ニギハヤヒには「大物主」の称号がオオナムヂから譲位されていた

昨日のブログで、『古事記』に出てくる「八重事代主」の八重は7人8代の「事代主」と「大物主」を一人の人物にダブらせたことを暗示する「8重」であったのではないかとの解釈を紹介しました。でも、今朝起きてやはり8人の9代の「事代主」と「大物主」が隠されているのではないかとの考えが浮かびました。

このブログは毎日、ほぼリアルタイムで書いてます。つまりその日、自分の頭に浮かんだ歴史の諸々を解釈しながら整理しているだけなんですね。当初、三輪の大物主はニギハヤヒしかいないと解釈しました。ところが、大和の事代主も三輪の大物主と同一人物のように書かれていたので、その可能性にも言及しました。そして昨日、八重には8代の「事代主」と「大物主」が隠されているのではないかとアイデアが浮かんだわけです。だいたい、そういうアイデアは朝起きるとやってきます。というのも、私が一番活動しているのは、夜間寝ている時だからですね。寝ている間に「潜在意識」がいろいろな情報を集めてきて、その情報を整理してくれます。すると、朝目覚めると、文章が出来上がっている、という感じでしょうか。

で、今朝、浮かんできたのは、もう一人の大物主(謎の八人目の大物主)はやはりニギハヤヒであったのではないか、という考えでした。
こういうことです。

オオナムヂは大国主兼大物主でした。
オオナムヂはオオトシことニギハヤヒに命を救われて、ニギハヤヒを三輪山の神として祀ることを約束しました。
ここまでは『古事記』を正確に読むとわかることです。

既に説明したように、このときの和睦の条件が、ナガスネヒコの妹をニギハヤヒが正妃とすることと、ナガスネヒコが軍事王になること、それにニギハヤヒが近畿の王として君臨することだったと思われます。それに加えてオオナムヂは、自分を助けてくれたニギハヤヒに出雲の王統を示すものを渡したように思うんです。というのも、ニギハヤヒはスサノオの末子ではありませんから、出雲国(スサ国)の王位継承者ではなかったわけです。王位継承者はオオナムヂの正妃スセリビメです。スセリビメには王統を示す神器(十種神宝)があったはずです。その神器の「暖簾分け」か、神器そのものの移動があったような気がするんですね。そう考えないと、王位継承者でないニギハヤヒがなぜ「十種神宝」を持っていたと記紀に記されているかを理解できません。

で、その十種神宝が何かというと、おそらく本質的には「出雲(スサノオ)神道」の祭祀や秘儀にかかわる奥義のことです。この奥義を知ることは、そのまま王位継承者であることの証でもあったのではないでしょうか。
そのことを示す証拠が、ニギハヤヒの本名が「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」であることです。
いつの間にか太陽神(天照)、星の神(国照)、火の神(天火明)とともに「櫛玉」という称号も得ています。
この「櫛玉」はスサノオの正妃クシナダヒメから来ているのは明白ですね。
オオナムヂの子で、出雲国の王位継承候補者の一人であるコトシロヌシの本名がクシヒコでしたね。つまり「櫛」は出雲族にとっては重要な意味があるんです。

三輪山の神として祀るということは、正統な王位継承者であることを示す「大物主」の称号をニギハヤヒが継承したとも解釈できるんですね。オオナムヂからニギハヤヒへの「大物主」の委譲があったと見るわけです。その代わり、オオナムヂには初代大物主の称号である「大国主」が与えられた、と見ます。

ただし、ニギハヤヒは「大物主」の称号を生前か死後、出雲のコトシロヌシであるクシヒコに譲位しているように思われます。だからこそ、クシヒコは事代主であり、大物主であったわけです。歴代の出雲族の王で事代主と大物主の両方を務めたのは、クシヒコだけですから。

こうした和議の内容は一切省略、しかも本当は8人9代あった「大物主」と「事代主」の系図を大雑把に端折って「八重事代主」と書いたのが、『古事記』編纂者であったのではないでしょうか。そう考えると、なぜ「三輪の大物主」がニギハヤヒであったり、大和のコトシロヌシであるツミハであったりするか理解できますね。記紀編纂者に言わせると、どちらも「間違いではない」わけです。
(続く)
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