三者の血統が混じってできた近畿ニギハヤヒ王朝

「大国主の国譲り」が紀元前1世紀であったとすると、やはりどうしても矛盾が出てくるのは、ニギハヤヒは「神武東征」の際に生存していなかったのではないかという問題です。結論から言うと、ニギハヤヒの系図もまた、オオナムヂの系図と同様に2、3世代分すっ飛ばされている可能性が高いということです。ということはナガスネヒコの系図も2、3世代省略されていることになります。

とりあえず、紀元前1世紀半ばに「国譲り」があったとしましょう。「出雲の国作り」は「国譲り」の前ですから、それよりも以前に琵琶湖のそばで、ニギハヤヒとナガスネヒコとオオナムヂの間で和睦があったはずです。記紀の記述から、その際、ナガスネヒコの妹ミカシキヤシマとニギハヤヒが政略結婚することにより、いわゆる「手打式」があったわけです。その政略結婚で生まれたのがウマシマヂであると書かれていますね。

記紀ではここまでしか記されていません。しかし、和睦が三者会談によって行われたことを思い出さなければなりません。当然、オオナムヂの血統をニギハヤヒ王朝に取り入れる必要があったということです。そうならば、ウマシマヂの正妃か、ウマシマヂの同母姉妹(おそらく末子相続なので妹)の夫をオオナムヂの直系から取らなければ三者会談による政略結婚が成立しません。このことが記紀では完全に隠されているんですね。

ただし、このウマシマヂも「曲者」です。物部氏の祖とされていますが、その後の系図を見ると、三者会談による政略結婚で生まれた子であるというより、その2、3世代後に生まれた子であるように思うんですね。その理由については後で詳しく説明します。

ここでは議論の進める都合上、ニギハヤヒとミカシキヤシマの間に生まれた子をウマシマヂ1世というように呼びましょう。
第一のシナリオは、ウマシマヂ1世が出雲のコトシロヌシ(クシヒコ)の妹、もしくはクシヒコの娘と結婚したことです。これは十分に可能性がありますね。第二のシナリオは、ウマシマヂ1世の妹が、出雲のコトシロヌシ(クシヒコ)の息子コモリの正妃となったイクタマヨリヒメである可能性です。これも「あり」なのではないかと思われます。いずれにしても、次の世代には必ずオオナムヂの直系がニギハヤヒ王朝に入り込んでいるはずです。

こういう議論をすると、読者の皆さんの中には逆賊ナガスネヒコ一族の血が天皇家に入り込んでいるはずがない、けしからん話だなどと憤慨する方もいるかもしれません。でも、実は記紀も明確に認めているんです。仮に神武の正妃イスズヒメがナガスネヒコ一族出身でなくても、第八代孝元天皇の正妃ウツシコメ(開花天皇の母)と、孝元天皇の側室で開花天皇の正妃となったイカシコメ(崇神天皇の母)は紛れもなくナガスネヒコの妹ミカシキヤシマの直系であると明記されています。ナガスネヒコ一族との間に政略結婚があった証拠でもあります。

こういうことはごく普通にあったわけですね。
これからお話しする「エシキとオトシキの話」も同様です。最後まで神武軍に抵抗したエシキは殺されましたが、オトシキの娘はおそらく天皇家の正妃になっていますからね。
とにかく、可能な限り政略結婚を重ねて行かないと、戦いは終わらないという現実が古代にはあったわけです。
(続く)
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