大国主の「国譲り」は紀元前1世紀ごろか

西暦1世紀という「新ミレニアム開幕」の時代に古代日本で起きたゴタゴタを少し整理しておきましょう。

ほぼ確実とみられるのは西暦56年ごろ、神武が大和に誕生した統一王朝の王に就任したことです。「漢委奴国王」印とみられる金印が中国から授与される一年前に神武が即位した、とする正統竹内家の口伝を根拠にしました。息子タギシミミを従えての「東征」でしたから、おそらく当時の神武は40~50歳ぐらいであったのではないかと思われます。ほぼキリストと同世代になりますね。

神武はアマテラスの玄孫の子ということになっていますから、そこから類推すると、日向族の女王アマテラスと出雲族の王スサノオの「誓約(政略結婚)」があったのは、紀元前1世紀後半から紀元前2世紀中ごろにかけての出来事だと思います。その50年後ぐらいに、日向族の奇襲作戦とも言える「出雲の国譲り」があったのではないかと私は見ます。紀元前1世紀前半から後半にかけてということになりますね。

つまり、こういうシナリオが考えられます。紀元前2世紀ごろ、後の日向族となるアマテラスに代表される「アマ族(天孫族)」が海のシルクロードを使って日本の九州地方に上陸、先住民たちを征服しながら日向国を建国します。一方、陸のシルクロードを使って、後の出雲族となるスサの一族が山陰か北陸地方に上陸、越国王の八岐大蛇を退治(越国の王女と政略結婚)して、8人兄弟の末子クシナダヒメを娶り、出雲国を建国します。

やがて出雲国と日向国は対立し、つばぜり合いを繰り広げた末に出雲国優勢のまま和睦が成立、スサの王スサノオと天族の女王アマテラスが政略結婚したわけです。

その後の展開は既に説明した通りです。
政略結婚が事実上破たんしたため、日向国が出雲国に奇襲攻撃をしかけ、出雲国の弱体化に成功します。ところが日向国にも内乱が生じて、統一国家樹立どころではなくなります。
その混乱を収めようと、近畿を勢力圏にしていた「スサノオとオオナムヂの子孫たち」が「アマテラスの子孫」を迎え入れて、統一王朝を樹立することにした、というような感じでしょうか。

おおよそこのようなあらすじを念頭において記紀を読むと、記紀編纂者の書いている「神話」の意味がよりはっきりとしてきます。

とにかく、そのような苦労の末にようやく誕生した統一王朝ですから、最低でもアマテラスとスサノオの直系の王子と王女の政略結婚でなくてはならなかったわけです。同時にそれは統一王朝の王統に、他の古代日本の王たちの王統をできる限り盛り込むことでもありました。それを次回お話ししましょう。
(続く)
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