海の彼方に消えた二人の王子

記紀の記述が本当だとすると、ウカヤフキアエズとタマヨリビメの間には、海人族の血が4分の3、日向族の血が4分の1流れている王子が4人生まれました。
王位継承の第一優先権を持つ長男がイツセ、記紀によって順番が異なりますが、二番目に生まれたのはイナヒ、三番目に生まれたのがミケヌ、そして最後に生まれたのが後に神武天皇となるトヨミケヌ、亦の名をカムヤマトイハレビコでした。

この二男のイナヒと三男のミケヌについて、『古事記』の記述は実にあっさりしています。
事績は一切なく、イナヒは「亡き母の本国のある海原に入り、ミケヌは波の上を踏んで常世国に渡った」と、淡々と記されているだけなんです。

『日本書記』の記述では、イナヒは「剣を抜いて海に入り、サヒモチノカミになったとされ、ミケヌは波頭を踏んで常世の国に行った」と書かれています。ほとんど同じような記述ですが、それが神武東征の最中に起きたことにしているところが違うところです。

何か不思議ですよね。二人にはいったい何が起きたんでしょう。

普通に読むと、単純に海で亡くなったのかなと思ってしまいますが、それぞれに書き方が違うところが気になります。
まず、イナヒが「亡き母の本国のある海原に入った」とはどういうことでしょう。
亡くなったとは書いてありませんから、本国に帰ったと読めなくもありませんね。
でも海神の国とはどこにあるのでしょうか。

歴史学者たちは、海神の国は現在の福岡市東部にある筑前国糟屋郡阿曇郷ではないかとみています。
安曇連の本拠地とされているからですね。彼らは北部九州を拠点にして、古くから中国や朝鮮半島とも交易などを通じて関連があったとされています。

ということはもしかしたら、イナヒは中国や北朝鮮に渡ったとも考えられますね。なにしろあの辺一帯は「本国のある海」ですから。平安時代初期の815年に、嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑『新撰姓氏録』には、それを裏付けるような記述が見受けられます。それによると、何とイナヒは新羅王の祖になったというんですね。

「新羅」というのは六世紀の国号ですから、時代が合いません。でも新羅の前身は辰韓あるいは秦韓ともされていますから、紀元前2世紀までさかのぼることはできます。ならば一応、イナヒが秦韓と合流した可能性はあります。

まあ、源義経がジンギスカンになるのが民間伝承ですから、そのような物語も言い伝えとして残っていたのかもしれませんね。

ミケヌが「常世の国に渡った」という表現はどうでしょうか。
「常世の国」は、海の彼方にあるとされる異世界のことですから、もうなんでもありです。
私は単純に海で亡くなったか、「神武東征」中に亡くなって水葬をしたと読みます。ただ、正統竹内文書の口伝では、ミケヌはピラミッド造りの天才であったようですから、どこかの国でピラミッドの建造に熱中していたかもしれませんね。
(続く)
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