夕日の時間9

流れる雲の間に富士山が見える夕日です。

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夕日の時間8

人々が見入る夕日です。

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シルエットが綺麗ですね。

夕日の時間7

海に映える夕日です。

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夕日の時間6

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雲が主役の夕日もありますね。

夕日の時間5

光と影。

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光と雨が交差する瞬間です。

夕日の時間4

西伊豆・旅人岬の夕景です。

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西伊豆はあちらこちらに夕日のメッカがありますね。

夕日の時間3

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これは西伊豆の夕日です。
2月7日に撮影しました。

夕日の時間2

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夕日の時間

しばし夕日をご堪能ください。

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天の川と鍋倉渓、八咫烏とカラス天狗

長寿岩の後、訪れたのは、その名も神野山の中腹にある巨石群・鍋倉渓です。

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山の斜面に沿って石積みのようになった巨石群が、それこそ天の川のように延々と続いています。

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富山・立山町の尖山の斜面の石積みにちょっと似ていますね。
規模はこちらのほうが大きいです。

巨石の一部には、文字のような模様も見受けられました。

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この山頂近くまで続く「天の川」の巨石群・鍋倉渓と、山頂近くにある王塚、八畳岩、天狗岩の三つの巨石の関係が、天の河と、ベガ、デネブ、アルタイルの関係を投影した関係になっているのではないかと、地元の研究家は考えているのだそうです。

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非常に面白い考えですね。

最後に八咫烏ならぬ、カラス天狗を鍋倉渓の駐車場で見つけました。

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3月12日から16日までの京都・奈良の神社をめぐる八咫烏ツアーもこれで終了です。

山添村の巨石球

京都、奈良の神社めぐりの旅も、村屋坐弥富津比売(むらやにいますみふつひめ)神社で完了です。
この日(3月15日)は三重の伊賀に泊まって、翌16日、東京方面へと帰途につきます。

ただし帰る前にもう一か所だけ、立ち寄る場所がありました。

奈良・山添村です。
この村からはたくさんの巨石群が見つかっています。
太陽を彷彿とさせる巨大な長寿岩とか、天の川を思わせる列石群・鍋倉渓です。
私の二冊目の本『竹内文書の謎を解く』で、古代人が大地に星座を描いた可能性があるとして紹介した巨石群なんですね。
山添村役場の方にはお世話になりました。ありがとうございました。

最初に向かったのは、長寿岩です。

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1995年にふるさとセンター建設の造成工事中に出土しました。
約一億年前、地下10~20キロの地中でマグマが固まってできた花こう岩の巨石球だそうです。
それが幾度にもわたる地殻変動で地表近くに出てきたと書かれています。

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巨大な恒星のモニュメントのようです。
コスタリカの石球群の巨大版ですね。

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きっと古代人もこの巨石を見たら、磐座として祀ったのでしょうね。
(続く)

村屋坐弥富津比売神社のご祭神たち

奈良県磯城郡田原本町の近くから撮影した三輪山です。

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その三輪山が見える田原本町には、非常に謎に満ちた神社があります。

それがこちらの村屋坐弥富津比売(むらやにいますみふつひめ)神社。

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本殿です。

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何故謎に満ちた神社かというと、まず主祭神の名前がミホツヒメを祀っているのに、ミフツヒメとなっているからです。
以前のブログでも指摘しましたが、ミホツヒメはタカミムスビの娘ですが、ミフツヒメとなるとフツヌシか、タケミカヅチの娘の可能性が出てきます。

そこでまず、この神社の摂社を含めた祭神を見て行きます。

本殿祭神 彌富都比賣神 配 大物主大神
摂社 市杵嶋姫神社・物部神社「炊屋姫命、宇麻志摩遲命 配 物部守屋連」
   服部神社「天之御中主命、天之御鉾命」
   村屋神社「経津主神、室屋大連神、武甕槌神、大伴健持大連」
   久須須美神社「天之久之比命、事代主命」

この神社に祀られた神々の関係が面白いのです。
最初のミフツヒメと大物主が祀られているのは良くわかりますね。
大物主ことオオトシが日向族のフツヌシかタケミカヅチの娘と結婚したことを意味しますから、夫婦が祀られているわけです。

では摂社の市杵嶋姫神社で、炊屋姫命(ミカシキヤヒメ)、宇麻志摩遲命(ウマシマヂ)が祀られているのはどうでしょうか。
ウマシマヂはミカシキヤヒメとオオトシ(大物主)の間に生まれた息子ですから、母子が祀られてるのはすぐにわかります。
でもなぜ、市杵嶋姫神社で祀られているのか、と思いませんか。
宗像三女神の一人イチキシマヒメはやはりダミーだからだと私は思うんですね。
誰のダミーかと言うと、ミカシキヤヒメではないかと思っています。
息子オオトシの妃になったので、スサノオが娘として養子縁組したということです。

で、もう一人の宗像三女神タキツヒメはスセリビメの別名というわけです。
しかも、事代主(コトシロヌシ)だけでなく、タケミナカタもスセリビメの子です。
だって、ミナカタとムナカタは似ているでしょ。
ムナカタ(宗像三女神)の子であるから、ミナカタと名付けたのではないでしょうか。

もう一つの謎は 久須須美(クスズミ)神社で祀られている天之久之比命(アメノクスヒ)、事代主命(コトシロヌシ)の関係です。
クスズミは誓約でアマテラスから生まれた五柱の男神の末子です。
アメノクスヒは誓約でアマテラスから生まれたアマツヒコネの息子です。
叔父と甥の関係ですからそう不思議はないですね。
でもコトシロヌシは、どう考えても場違いです。
ということは、このコトシロヌシはスセリビメの子ではないコトシロヌシということになると思うんですね。
大和国の王である大物主ことオオトシと、日向族の王族の娘ミホツヒメが結婚して生まれたコトシロヌシです。
それが山末之大主神のオオヤマクイ。天火明の「火」とタケミカヅチ(フツヌシ)の「雷」を持った「火雷神」です。
それ以外に「鴨都味波八重事代主」のめぼしい候補者はおりません。
唯一いるとしたら、アマテラスの孫のタケツノミ(タケチヌツミ)だけです。
いずれにしても、アマテラスから見れば、妹の子供、すなわち甥っ子のようなものですから、自分の息子や孫と一緒に祀られていても違和感は全くないことになります。
かなり系図を知っていないとわからないご祭神たちであることは間違いありませんね。
(続く)

久延彦神社とスクナヒコの神

大直禰子神社の後、さらに歩いて久延彦神社を参拝しました。

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奥の小さな小山の上に神社があります。

本殿です。

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ご祭神の久延彦は知恵の神様。海の向こうからやってきた小さな神がカミムスビの息子のスクナヒコナであると言い当てた、博識の神様です。
カミムスビと「神」が付くからには、その息子であるスクナヒコナは、スサノオと極めて近い親戚である可能性が高いです。
スサノオの息子、でなければ、スサノオの兄か弟あたりでしょうか。
そのスサノオの兄弟か息子が、正統な王位継承者スセリビメの娘婿・大国主(オオナムヂ)の国作りを助けたという物語が『古事記』の国作り神話の中に隠されています。

この大国主の「大」と少名彦の「少」の関係は大将と副将の関係でもあります。
開化天皇の兄にも四道将軍の一人オオビコとスクナヒコタケイゴコロという兄弟がいました。
この兄弟の関係も大将と副将だったと考えられています。
「大」と「少」はペアであると覚えておくといいですね。

この久延彦神社からの眺めはとてもいいです。

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遠く二上山までを見渡せます。
大和三山も見下ろせる位置にあるのですが、樹木が茂っていてよく見えませんでした。

最後は、大神神社の鳥居から三輪山を望みます。

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(続く)

オオタタネコを祀る大直禰子神社(若宮社)

大神神社のそばにあるソーメンのお店でお昼を食べた後、向かったのは、大神神社の摂社・大直禰子神社(若宮社)です。

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本殿をお参りします。

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主祭神はもちろんオオタタネコです。普通、大田田根子(禰子)と書きますが、「田田」の代りに「直」と書くこともあります。これは『先代旧事本紀』に亦の名としてそう書いてあるからですね。

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崇神天皇の時代、国難に遭ったときに、大物主神を祀る祭主に大物主の直系であるオオタタネコを抜擢したところ、国は平和になったと書かれています。
『先代旧事本紀』では、天日方奇日方命(アメヒカタクシヒカタ)の直系でタケイイカタスと鴨部のミラヒメとの間に生まれた息子であるとされています。
でも私は、系図入れ替えによって、そのように隠された巫女であったと思っています。
隠された理由は、ミカシキヤヒメの直系だからです。
ネコという名前が付けられているということは、皇族であったということです。
該当者が一人いますね。
トヨスキイリヒメよりも前に伊勢大神を祀る祭主となった人です。
いつか、そのことを詳しく説明いたしましょう。
(続く)

大神神社のご祭神・大物主神について

再びやって参りました。大三輪の素麺・・・・・というよりは、大神神社(おおみわじんじゃ)ですね。

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大神神社を訪れるのは二度目です。

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前回はご神体山の三輪山に登り、磐座をお参りしております。

主祭神は大物主神。オオナムヂとスクナヒコナも一緒に祀られております。

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なぜこの三神が一緒に祀られているかは、おわかりですよね。
オオモノヌシが、オオナムヂとスクナヒコナがやっていた「国作り」を助けて完成させたからです。
つまり、この大和の地に統一王朝を建てた立役者がオオモノヌシなのです。
ナガスネヒコの妹ミカシキヤヒメを娶り、統一大和王朝の初代王となりました。
オオナムヂだけではできなかったと『古事記』にも書かれていますね。

で、このことからもわかるように、オオモノヌシと大国主ことオオナムヂは別の神です。
『日本書紀』に、オオモノヌシは「オオナムヂの奇魂とか幸魂である」と書かれていたり、あたかもオオモノヌシと大国主が同じ神であるかのように書かれたりしているので、誤って同一神扱いされてしまっているんですね。

なぜオオナムヂの「奇魂・幸魂」であるかというと、ナガスネヒコに追い詰められたオオナムヂの命を救ったうえに、国作りの完了(統一大和王朝)という幸せをもたらした「櫛玉」こと天照国照彦天火明櫛玉ニギハヤヒノミコト(出雲名はオオトシ)だからです。

ただし個人的には、オオナムヂの「幸魂」はスセリビメであったと思います。スセリビメと結婚したから、オオナムヂは出雲の王になれたわけですからね。
でもスセリビメはスサノオの直系で正統な王の継承者でしたから、姿も名前も隠さなければならなかったわけです。

重要なのは、その大物主ことニギハヤヒの子孫(ツミハ)と、賀茂の祖神・タケツノミの子孫(イクタマヨリビメ)が結婚して生まれたのが、ヒメタタライスズヒメであったことです。
この姫こそ、正統な王位継承者。
出雲族の王子・佐野命はその娘婿として政略結婚することにより、「神」の名を冠したカンヤマトイワレビコ(神倭磐余彦)、神武天皇になることができたわけです。
(続く)


八咫烏神社と八咫烏君

次は少し東に向かって、宇陀市の八咫烏神社を訪れました。

こちらがその八咫烏君。

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今やサッカーの神様ですね。

拝殿です。

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八咫烏はご存知のように、神武天皇を熊野から大和へと道案内したタケツノミ(アヂスキタカヒコネ)のことですね。
途中、日向族の神武と、大和族のヒメタタライスズヒメとの政略結婚を快く思わない部族の長たちを説得して回ったのが八咫烏です。
ヒメタタライスズヒメはそのタケツノミの娘説と孫説があります。
タケツノミはタケチヌツミとも呼ばれたようです。
アマテラスとスサノオの直系ですから凄いのですが、スサノオの直系ゆえに名前が隠されたわけです。

ちょうど鳥居をくぐって帰ろうとしたときに、空を見ると・・・

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鳥居の真ん中の空に、ぽっかりと青空が浮かんでおりました。
こういうシンクロニシティが旅の醍醐味でもありますね。
(続く)

鳥見山と等彌神社

再び山から平地に降りてきて訪れたのは、奈良県桜井市桜井の等彌(とみ)神社です。

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等彌と言えば、「登美」。そして鳥見山ですね。

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つまりトミビコがかつて住んでいた名前の山の神社ということになります。
トミビコとはナガスネヒコのことです。
むっちゃんこと竹内睦泰氏によると、ナガスネヒコには日ノ本将軍(ひのもとしょうぐん)という別名があったそうです。
記紀や『先代旧事本紀』によると、武内宿禰もナガスネヒコの妹ミカシキヤヒメとニギハヤヒ(オオトシ)の直系ということになっています。

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鳥見山がご神体で、これは拝殿でしょうか。立派な拝殿ですね。名前は「上津尾社」です。
現在は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)が祀られております。
(続く)

スセリビメの隠された神名

昨日は飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社の主祭神ウスタキヒメ(臼滝姫)がたくさんの別名を持つ神であり、名前の響きから宗像三女神のタキツヒメ(高津姫、多紀都比売)ではないかと書きました。
でも本当の秘密は、そこにはありません。
というのも、これほど本当の神名が隠された神はほかにいないからです。
なぜ隠さなければいけなかったか。
それはスサノオの直系であり、しかも正統な王位継承者だったからではないでしょうか。

「えっ、女性で王位継承者って、出雲国にいた?」と疑問に思う人もいるかと推察しますが、答えは「イエス」です。
末子相続の出雲族ではスセリビメが正統な王位継承者でした。
その娘婿がオオナムヂ。
葦原主国(キエンギ=シュメール)出身のアシハラノシコオです。

その証拠に『先代旧事本紀』には、国譲りの際に登場する、スセリビメの後を継ぐ王位継承者であるコトシロヌシの母親が高津姫と書かれています。
高津姫は宗像三女神の末子タキツヒメのことです。
宗像三女神はみなスサノオの娘ですが、その母親は誰かというと、長女のタキリヒメはまずアマテラスの子で間違いないと思います。
次女は飛ばして、末子で三女のタキツヒメの母親はアマテラスではないはずです。
なぜなら、末子タキツヒメは同じく末子のスセリビメの別名の可能性が高いからです。
コトシロヌシの母親は『古事記』ではカムヤタテヒメということになっていますが、これもスセリビメの別名です。
それはそうです。
もしコトシロヌシが正統な王位継承者でなければ、国譲りを日向族のタケミカヅチがオオナムヂに迫ったときに、オオナムヂが国譲りしていいかどうかなんて、コトシロヌシに尋ねるはずがありませんからね。
その証拠に、アヂスキタカヒコネにはオオナムヂは一切尋ねておりません。
ということで、カムヤタテヒメとタカツヒメ(タキツヒメ)が実はスセリビメであることが、『古事記』と『先代旧事本紀』をよく読むと、わかるようになっているのです。
また、謎の水の女神セオリツヒメも、実はスセリビメの別名であったのではないかと私は思っています。
今日は、記紀に隠されたスセリビメの神名について私見を述べました。
(続く)

飛鳥川の「水の女神」ウスタキヒメ

奥飛鳥の山奥から平地に戻る際に、ふと足を止めた神社があります。
その名も『飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社(あすかかわかみにいますうすたき ひめのみことじんじゃ)』。

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本殿を持たず、後方にある南淵山をご神体とする神社です。
長い階段を登って行くと、拝殿があります。

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この神社のご祭神は、神社の名前からわかるように宇須多伎比売命(ウスタキヒメ)です。
大国主ことオオナムヂの妃であるとされていますが、記紀にも名前が記されていない謎の女神です。

「奈良県高市郡神社誌」には宇須多伎比売命は宗像三女神と異名同体の神であると書かれているそうです。
臼滝姫、高津姫、滝津姫、瀬織津姫などたくさんの異名を持っている水の神のようです。
アマテラスの荒魂ともされているようですから、やはりアマテラスの子なのでしょう。
アマテラスの子なら、タギリヒメの可能性もあります。
でも名前の響きから推測すると、宗像三女神の三女タキツヒメでしょうか。
昨日紹介したカヤナルミの母親の可能性が高いですね。
(続く)

 

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