「天」が「神」になったとき

磐船神社から南南東に4キロほど離れた大阪・生駒市の矢田丘陵の山中には、ニギハヤヒノミコトの墓があります。
生駒市総合公園に車を止めて、公園管理室で場所を聞きます。

そしてテクテクと歩くこと、約15分。
鉄塔のそばの山中にニギハヤヒの墓が現れました。

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ちゃんと石碑が建っております。
ただしここが本当にニギハヤヒの墓であるのかどうかは謎です。
大正時代に、郷土の伝承保存を目的に発足した「金鵄会」が、記紀や『先代旧事本紀』を参考にして、地理的関係からこの地にあった「山伏塚」を「山主塚」と読み直し、近くの白庭山の山の主であるならばニギハヤヒに違いないと推定したのだそうです。

ニギハヤヒは、上賀茂神社のご祭神・賀茂別雷神の父方の祖父になります。
そして先に紹介した下鴨神社のご祭神であるタケツノミは、賀茂別雷神の母方の祖父です。

で、金鵄というのは、賀茂別雷神の別名である可能性が強いんですね。
八咫烏・賀茂から生まれた金色のトビ。
これで形勢が決まったわけです。
「天」が「神」になったとき、日向族の王ホホデミノミコトの名に、スサノオの王統を示す「神」が冠せられ、神武天皇(カンヤマトイワレビコ)の統一王が決まりました。

生駒市総合公園から見た生駒山です。

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(続く)
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ニギハヤヒを祀る磐船神社

参拝が終わった後、上賀茂神社のそばのお漬物屋さんで「きざみすぐき」をお土産に買って行きます。
この「すぐき漬け」は、400年ほど前から上賀茂神社の神官の家に伝わっているそうです。

で、次に向かったのが、こちら。

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大阪・交野市にある磐船神社です。
ご祭神はニギハヤヒノミコト。
ニギハヤヒが天磐船に乗って降臨した「河内国河上の哮ヶ峯(たけるがみね)」が、この辺りだとされているんですね。

神社のご神体は、本殿のすぐ後ろにそびえる「天磐船」。

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神社の脇を流れる天野川を跨ぐように横たわる高さ約12メートル・長さ約12メートルの舟形巨岩です。

さて、御祭神のニギハヤヒノミコト。
正式名称は『先代旧事本紀』によると、天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊ですね。
「尊」と書いてあることからわかるように、正統な王です。
神武王朝以前に存在した、大和統一王朝の正式な王というわけです。

当然、オオトシのことですからスサノオの直系なのですが、それがわかってはまずいわけです。
そこで「天火明」だけをオシホミミの長男として日向族の系図にこっそり入れたというのが真相です。
でも、そんなに間違ってはいません。
なぜならタカミムスビの娘ミホツヒメと結婚した段階で、日向族の王統の婿養子になったと考えれば、日向族の系図に紛れ込ませても支障はないはずですものね。
オオナムヂだって、婿養子としてスサノオの息子の系図に入っております。
オオトシは宗像三女神の娘である高照姫とみられる天道日女とも結婚していますから、気分はほとんど日向族だったのかもしれません。

でもこれだけでは隠しきれなかったので、オオモノヌシという神名にして、オオトシの名を隠したことは既に説明した通りです。
そのオオモノヌシから朱塗り矢が生まれて、その子が賀茂別雷神です。
だったら、賀茂別雷神って、もしかして鴨王(かものきみ)のお父さんだと思いませんか。
それが正解です。
鴨王の娘は安寧天皇と結婚したと『日本書紀』に記されています。
(続く)

消息を絶った賀茂別雷神のその後

火雷神ことオオヤマクイと、カモタケツノミの娘タマヨリヒメが結婚して生まれたのが、上賀茂神社のご祭神である賀茂別雷大神です。
すなわちアヂスキタカヒコネを祖神とする賀茂家の血に、「雷」と「火」の血が入った子であることが示唆されているわけです。
ですから、本当は賀茂別火雷大神でも間違いではないことになります。

で、不思議なことに賀茂別雷神は、成人式(元服)の祝宴の後、消息を絶ちます。
どうして消息を絶たなければいけないかは、もう読者の方々はお分かりですよね。
オオヤマクイがスサノオの直系だからです。
アメノワカヒコの喪屋を切り倒して姿を消したアヂスキタカヒコネと同じことが、ここでも起きているんですね。

社伝の神話では、その後、賀茂別雷神は上賀茂神社のご神体山である神山(こうやま)に降臨されて戻ってきたことになっています。
こちらがその神山。

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社殿の奥の山です。

でも賀茂別雷神は元服後、本当はいなくなってはいませんでした。
元服後に名前を変えたんですね。
だから記紀神話では、別の神の名前でちゃんと登場しております。
タケツノミと同様に、スサノオの直系であることがまったくわからないようになっています。
記紀解釈の中でも、おそらく秘伝中の秘伝です。
そのことについて書かれた本も、おそらく世の中に出ておりません。
でも解読の仕方はお教えしましたよね。
記紀を注意深く、かつ正確に読んで、正式な神名とその神の出自を知るために各地の神社を訪ね、取材することです。

このことは、私の次の本には書く予定です。
その時まで今しばらくお待ちください。
と言いながら、実は既にもう答えは過去ブログの中でそれとなく書いていますので、勘の良い方ならわかったはずです。
このクイズの答えは明かしませんが、読み解けるようなヒントは差し上げるつもりです。
(続く)

オオヤマクイが火雷神と呼ばれる理由

オオヤマクイがなぜ火雷神(ホノイカヅチノカミ)と呼ばれているかを説明しましょう。
昨日のブログで書いたように、これは俗説ではありません。
というのも、オオヤマクイの両親が誰と誰であるかを知っていれば、納得できるからです。

オオヤマクイの父親はオオトシで、母親はアメノチカルミズヒメですね。
オオトシは、三輪山の大神と呼ばれていることからもわかるようにオオモノヌシことニギハヤヒのことです。
その別名が『先代旧事本紀』にも記されていますが天火明です。
つまり父方は「火」を持っているわけです。

一方、母親のアメノチカルミズヒメは、「天」と書かれていることからもわかるように日向族の王族の娘です。
オオモノヌシことニギハヤヒと結婚した日向族の王族の娘といえば、『日本書紀』にも記されている、タカミムスビの娘ミホツヒメ(三穂津姫)のことです。
で、ミホツヒメの別名がミフツヒメ。
どうしてミホツヒメがミフツヒメになるかというと、ミホツヒメを主祭神とする「大和国城下郡の村屋坐彌富都比売神社」では、「ミフツヒメ」と呼んでいるからです。

こちらがその村屋坐彌富都比売神社。

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現在の奈良県磯城郡田原本町蔵堂にありますが、田原本町は能発祥の地であると書かれていますね。
本殿はこちら。

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オオモノヌシのことをよくオオクニヌシことオオナムヂのことだと解釈する向きがあります。
それもわからなくはありませんが、ミホツヒメに関しては、間違いなくオオトシのことを言っております。
というのも、ミホツヒメのことについて書かれた『日本書紀』では、オオナムヂが国譲りで亡くなった後、日向族のフツヌシに帰順した2柱の神の一人としてオオモノヌシの神の名が挙げられているからです。
どう読んでも、オオナムヂが亡くなった後ですから、オオナムヂとは明らかに別人ですよね。
そのようなオオモノヌシとは、オオナムヂの「奇魂」である「櫛玉」ことオオトシしかおりません。

するとここで、ミフツヒメとはフツヌシの娘のことではなかったかという疑問も生まれてきますね。
つまり日向族のフツヌシと大和族のオオトシの間で政略的な結婚があったのではないか、ということです。
そうです。フツヌシの娘ミフツヒメのことをタカミムスビの娘ミホツヒメとして、オオトシと結婚させた可能性があるんですね。

ではフツヌシとは誰かというと、『先代旧事本紀』と『古事記』ではタケミカヅチ(建御雷之男神)の別名であるとしています。

ようやく出てきました。「雷」です。

つまり「火」と「雷」の血を引く両親から生まれた神が「火雷神」となるわけです。
長々と説明しましたが、オオヤマクイが火雷神である理由がわかりましたでしょうか。
それは両親の血統からきているんですね。
(続く)

上賀茂神社の賀茂別雷命と大山咋神の神話

京都市北区にある上賀茂神社です。

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正式には賀茂別雷神社。
ご祭神は賀茂別雷大神(カモワケイカヅチノオオカミ)。

カモワケイカヅチは、オオヤマクイと、アヂスキタカヒコネ(タケツノミ)の娘タマヨリヒメとの間に生まれた息子です。
記紀神話にはこの名前では登場しません。

この神名は『山城国風土記』逸文に登場するんですね。
それによると、タケツノミ(賀茂建角身命)の娘タマヨリヒメ(玉依姫)が石川の瀬見の小川(鴨川)で遊んでいたところ、川上から丹塗矢が流れてきたそうです。
ヒメがそれを持ち帰って寝床の近くに置いたところ懐妊し、男の子が生まれました。
その子が賀茂別雷命だったんですね。
賀茂別雷命が成人し、その祝宴の席で義父の賀茂建角身命が「お前のお父さんにもこの酒をあげなさい」と言ったところ、賀茂別雷命は屋根を突き抜け天に昇っていったので、この子の父が神であることがわかった、丹塗矢の正体は乙訓神社の火雷神であったというようなことが書かれています。

『古事記』のオオモノヌシとヒメタタライスズヒメの話とそっくりですよね。
当然です。
同じ話ですから。

WIKIを読むと、この二つの話と、『秦氏本系帳』(阿礼乎止女と大山咋神)の話を混同して、「賀茂別雷命の父は松尾大社の大山咋神である」との俗説が生まれた、というようなことが書かれていますが、俗説ではありません。
記紀を非常に正確に読むと、賀茂別雷命の父がオオヤマクイであることがわかるようになっているんです。
次はそのことを詳しく説明しましょう。
(続く)

下鴨神社の申餅とみたらし団子

上賀茂神社のご祭神の話から始めようと思ったのですが、その前に、下鴨神社で紹介しておきたいことがあることに気がつきました。
それがこちら。

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申餅です。
葵祭りの申の日に、小豆の茹で汁でついた御餅が神前にお供えされましたが、その御餅を「葵祭の申餅」と呼んでいたそうです。
写真を獲らなかったのでお見せできませんが、御餅の色が変わっていて、「はねず色」です。
「はねず色」は、明け方の一瞬、空が薄あかね色に染まるときの色で、命の生まれる瞬間を表わすのだそうです。
その御餅を140年ぶりに復元したものが、神社境内の明橋休憩処で食べることができます。
何ともかわいらしい御餅で、小豆の粒が美味しかったです。

御餅の次は団子です。
団子と言えば、みたらし団子。
みたらし団子の由来は、下鴨神社が行う『御手洗祭』が語源とされているんです。
下鴨神社の境内には御手洗池(みたらしのいけ)と御手洗社があります。

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ご祭神であるセオリツヒメについては、いつかこのブログで紹介します。

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この池から湧く水の泡を形どったのが、みたらし団子であると言われています。
御手洗祭では、竹の先を10本に割って串を扇状にし、各々の串に5個の団子を差した合計50個の串団子が神前にお供えされたそうです。
下鴨神社の西駐車場の出口から出て、北大路通りを渡ったすぐのところに「賀茂みたらし茶屋」があります。
砂糖醤油の葛餡をたっぷりかけた甘辛いみたらし団子を楽しむことができます。

下鴨神社の食べ物の宣伝はこのぐらいにして、次はここよりさらに北にある上賀茂神社のご祭神の話をしましょう。
(続く)

瀬見の小川とタケツノミの化身たち

下鴨神社の続きです。
こちらが昨日のブログで紹介した鴨長明の歌の中に出てきた「瀬見の小川」です。

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境内の糺の森の中を流れております。
中央で泳いでいるのは鴨さんですね。
賀茂建角身命の化身でしょうか。

そしてこちらは糺の森の中にいたカラス。

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八咫烏さんですね。
同じく賀茂建角身命の化身ですね。

さて、クイズの答えです。
「朱塗り矢」とは誰のことか、でしたね。
ズバリ、オオヤマクイです。別名ヤマスエノオオヌシノカミ(山末之大主神)。
『古事記』では鏑矢を持つ神と書かれています。
京都・嵐山にある松尾神社(松尾大社)では、松尾の神は、鳴り鏑(鏑矢)になって川を流れ下り、乙女と交わったという神婚神話が伝えられています。
もちろん、ご祭神はオオヤマクイです。
そして、松尾大社のご祭神オオヤマクイと、下鴨神社のご祭神タマヨリヒメが結婚して生まれたのが、上賀茂神社のご祭神というわけです。
(続く)

下鴨神社と鴨長明

下鴨神社の境内にある摂社の河合社には、鴨長明の組み立て式居所「方丈」が復元されて展示されています。
こちらがその写真。

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鴨長明は、賀茂御祖神社の神事を統率する禰宜(ねぎ=神職の一つ)の鴨長継の次男として京都で生まれた鎌倉前期の歌人ですね。
本当は禰宜になりたかったのですが、その夢は叶わず、出家して閑居生活を余儀なくされました。
『新古今和歌集』に10首入撰しています。

そのうちの二首を紹介しましょう。

見ればまづ いとど涙ぞ もろかづら いかにちぎりて かけ離れけむ

(もろかずらを見るといよいよ涙がもろくこぼれ落ちる。いったいどのような前世の約束で、わたしは賀茂の御社と離れてしまったのであろうか)

石川や 瀬見の小川の 清ければ 月も流れを たづねてぞすむ

(石川の瀬見の小川は清らかだから、月もそして賀茂の御社も、その流れを尋ね求めて、そこに澄んで、鎮座しているのだ。)

下鴨神社に対する愛着がひしひしと感じられますね。
様々な理由により神職を継ぐことが叶わなかったことから鴨長明は強い厭世観を抱くようになり、やがてあの普及の名作『方丈記』を生み出したのだと考えられています。
(続く)

賀茂御祖神社(下鴨神社)の森

京都の下鴨神社です。

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正式名は賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)。
御祖ですから、賀茂氏の祖神のこと。つまり京都ではカモタケツノミと呼ばれている神様を祀った神社です。
もう一柱のご祭神が、タマヨリヒメ。
タケツノミの娘で、”丹塗り矢”と結婚して子供が生まれました。
丹塗り矢と聞いて誰のことか分かった人は、かなりの古代史通です。
『古事記』にちゃんと書かれていますから、御自分で見つけてくださいね。
これは古代日本の王たちの血脈を知るためには是非とも知っておくべき重要な事柄です。
”丹塗り矢”さんとタマヨリヒメの間に生まれた子供が非常に重要な人物だからです。

この下鴨神社の境内を取り囲んでいる森が「糺(ただす)の森」。

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糺すという字を使っているわけですから、詮議の場、すなわち占いにより事実を見極める場であったのではないでしょうか。

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瀬見の小川の流れる豊かな森で、鴨やカラスなどの鳥が多く生息しています。
京都で私が最も好きな場所の一つです。
3月13日にお参りしました。
(続く)

アヂスキタカヒコネとカモタケツノミ

今回の取材旅行では、賀茂一族の神社を中心にお参りしてきました。
京都の上賀茂、下鴨。
大和の高鴨(上鴨)、中鴨、下鴨。

この京都の賀茂(鴨)氏と大和の鴨氏は、元々は一緒に住んでおりました。
で、基本的にご祭神も同じなのですが、それぞれ別々の名前で呼んでおります。

京都では賀茂氏の祖神は八咫烏ことカモタケツノミ(鴨建角身)。
大和では鴨氏の祖神はカモノオオミカミ(迦毛大御神)ことアヂスキタカヒコネです。

だから京都の人にアヂスキタカヒコネの話をしても、誰のことだかわからない、という状態になります。
逆に、大和の人にタケツノミの話をしても、ピント来ないという状態になります。

これはどうしてかというと、自分と瓜二つのアメノワカヒコの喪屋を切り倒したときに、アヂスキタカヒコネが出雲族と決別したからなんですね。
アヂスキタカヒコネと言えば、オオナムヂとタギリヒメの間に生まれた子ですから、出雲族のスサノオと日向族のアマテラスの両方の直系であるわけです。
そのアヂスキタカヒコネが出雲族を見限り、日向族側についたことを示唆しています。
『古事記』ではそれを非常に文学的な表現で、出雲族側に付いたアメノワカヒコの喪屋を切り倒して蹴飛ばしたと語り伝えているわけです。
喪屋を切り倒すなんて尋常ではありませんよね。
それほどの決意であったことを示しているんです。

出雲族(アメノワカヒコ)と決別したアヂスキタカヒコネがその後どうなったかというと、大和の葛木山を拠点にしてアヂスキタカヒコネという本名を保ちつつ、タケツノミ(八咫烏)になったわけです。
その後の活躍は、日向族の神武東遷を助けた八咫烏として記紀に描かれていますね。

『新撰姓氏録』でも、タケツノミは大和の葛木山に降臨した八咫烏のことであると書かれていますから、葛木山の神社(高鴨、中鴨、下鴨)で祖神として崇められているアヂスキタカヒコネはどう考えても八咫烏です。
でも大和では、アヂスキタカヒコネと八咫烏は分けて考えられています。
それでいいんです。
喪屋切りによって、出雲のアヂスキタカヒコネと決別、別人の八咫烏になったからです。
別人となったアヂスキタカヒコネことタケツノミの賀茂一族は、後に京都・山城の地に集団で移り住み、賀茂氏の祖神として下鴨神社のご祭神となっているわけです。

ところで、アヂスキタカヒコネが蹴飛ばした喪屋が落ちたところが、岐阜県・美濃加茂の喪山です。
大和にいた賀茂一族が、後に集団で移住した先が美濃加茂。
きっと、アヂスキタカヒコネの出雲族との決別を象徴する喪屋の話を残すために、地元の山に喪山という名前を付けたんでしょうね。
地名というのは、このように歴史を紐解くヒントを残してくれているわけです。

隠し味は「うまし」

これまで見てきたように、基本はスサノオの直系であることを何とかして隠すことです。
オオトシを天火明にして日向族の系図に取り入れたのはいいのですが、天火明と結婚した妃の本当の名前を入れてしまっては、オオトシが天火明であるとばれてしまいますよね。だからカグヨヒメ(香用姫)とは書けなかったわけです。
そこで『先代旧事本紀』では天道日女という別名を当てました。
記紀に至っては、アメノカグヤマ(天香山)の母親の名前さえ、記していません。
それだけ隠したかったわけですね。

ところが天香山と大香山が同一人物であることが推定されますから、香用姫と天道日女が同一人物であることがわかり、同時にカグヨから賀夜(香具夜)が導かれ、さらに賀夜奈流美姫から、高照姫が連想されていくわけです。
高照姫も、本名を出してしまうと、スサノオの直系(宗像三女神のタキツヒメの娘)であることがわかってしまいますから、出せなかったんですね。

で、先日、コトシロヌシの母親がタキツヒメであるという説を否定しましたが、もし宗像三女神の末娘タキツヒメが、スサノオの末娘であるスセリビメのことであるとしたら、コトシロヌシの母親がタキツヒメであっても矛盾しないことになるとだけ付け加えておきます。あくまでも可能性の話ですけどね。

スサノオの直系であることを隠すと同時に、記紀編纂者がもう一つ隠さなければならない系図がありました。
それがナガスネヒコ一族の血統です。

昨日のブログで、天香山がミカシキヤヒメ(!)の娘ホヤヒメ(穂屋姫)と結婚したと書きました。
なぜ穂屋姫がミカシキヤヒメの娘であることがわかるかというと、『先代旧事本紀』に天香山は異母妹と結婚したとあるからです。
「異母妹」だけでは、穂屋姫の母親が誰であるかわかりませんよね。
ところが、新潟の弥彦神社に行けば、穂屋姫が誰の娘であるかわかるようになっているんですね。

弥彦神社の主祭神は天香山です。
ところが摂社を見て歩くと、そこに天香山の妃神を祀った神社があることに気がつきます。
妃神の名前は、熱穂屋姫と書いて、ウマシホヤヒメとなっています。
「熱」と書いて「ウマシ」とは、食べ物を火で熱すると美味くなるから「うまし」と読ませるんでしょうか。
それはともかく、ウマシと聞けば、ウマシマヂですよね。
つまりウマシホヤヒメは、ウマシマヂの妹か姉であることが推察されるわけです。
父は天火明ことオオトシ。母はミカシキヤヒメ。
まさに天香山の異母妹になるわけですね。

神社には本名が記されていますが、記紀や本紀で本名を書いたら、ウマシマヂと兄弟関係にあることがバレてしまいますよね。
だからわざと「ウマシ」という文字を外して、穂屋姫と書いたわけです。
このように、神社に行ったら、摂社をお参りすることも非常に大事なことがわかってきます。
神社の摂社にはだれが祀られているか、どうしてその神が祀られているかを見るわけです。
すると、記紀では知りえないような神々の親戚関係や系図がわかってくるんですね。

天道日女・香用姫の正体

さて、天道日女と同一人物とみられるカグヨヒメ(香用姫)とは誰なのかという問題が残っていました。
このカグヨヒメが祀られているとみられるのが、飛鳥坐(あすかにいます)神社です。

変わった神社の名前ですよね。、『出雲國造神賀詞』に「賀夜奈流美命ノ御魂ヲ飛鳥ノ神奈備ニ坐テ皇孫命ノ近守神ト貢置」とあることから、大国主神(オオナムヂ)が皇室の近き守護神として、賀夜奈流美命の神霊を飛鳥の神奈備に奉斎した神社であると考えられています。だから「飛鳥にいらっしゃる神の社」と名付けられたわけですね。

おそらくこの謎の女神・賀夜奈流美命がカグヨヒメではないかと私は思っています。
カグヨとカヤで名前が似ているでしょ。
かぐや姫の物語のモデルとなったオオツツキノタリネノミコ(大筒木垂根王)の娘・カグヤ(ヨ)ヒメは加具夜姫と書きますから、十分連想できる名前です。「加」と「具」を足して「賀」にした可能性もありますね。
もちろんオオナムヂの息子であるトリナルミ(鳥鳴海神)ではないかとの説があるのも知っておりますが、「大物主櫛長瓦玉命(おそらくニギハヤヒ)」、「阿遅須伎高孫根乃命」(アヂスキタカヒコネ)、事代主(ツミハヤエコトシロヌシ)とともに皇室を守護する神として描かれていますから、よほどの神様です。
ならば天香山を生んだカグヨヒメが適任者です。
天香山は別名高倉下。神武東遷の際に大活躍しましたね。尾張連の祖です。

そのように偉大な女神であるにもかかわらず、名前が知られていないのは、名前が変えられているからです。
本当の名前はタカテルヒメノオオカミ(高照光姫大神命)。
そう、宗像三女神のタキツヒメとオオナムヂの間に生まれたタカテルヒメです。
『先代旧事本紀』では事代主の同母妹としておりますが、私は異母妹説を採ります。
なにしろ大神ですから、ニギハヤヒやアヂスキタカヒコネ、ツミハヤエコトシロヌシとともに皇室を守護する役目を担ったとしても、不思議ではないわけです。

突飛な説のように思われるかもしれませんが、 『大神分身類社鈔』 によると、加夜奈留美命は高照姫の別名であるとされています。
 
これでようやく、こんがらがった神名の謎が解けてきました。
オオトシと結婚したアメノミチヒメ(天道日女)はどうやら、別名カグヨヒメであり、本名は高照光姫大神であった可能性が強いんですね。
つまりアヂスキタカヒコネと同様に、アマテラス、スサノオ、オオナムヂの直系です。
オオトシがその直系の娘と結婚して生まれたのが、天香山(アメノカグヤマ)と御年神(ミトシノカミ)です。
その天香山は、ミカシキヤヒメ(!)の娘・ホヤヒメ(穂屋姫)と結婚。
その三世孫のヨソタラシヒメは孝昭天皇の后となったわけですね。
4つの王統を引き継いだ凄い血統です。

飛鳥から帰宅

昨日、京都・奈良・伊賀をめぐる5日間の取材旅行から戻って来ました。

もちろん、飛鳥坐神社(あすかにますじんじゃ)にもお参りに。
この神社のご祭神については後で触れるにことにして、非常に面白い取材でした。
写真はまだパソコンに取り込んでおりませんのでご紹介できませんが、奈良には神名が隠された神社が多くあるとの印象を受けました。
たとえば橿原神宮からほど遠くない場所にある大歳神社。
見落としたのかもしれませんが、神社の社名を記したものや案内板がどこにも見当たりません。

でも神名が隠されたのには、ちゃんと理由があるんですね。
そこら辺のことも追々説明して参りましょう。

また、トミビコ(ナガスネヒコ)ゆかりの地にも足を運びました。
古代史家は見落としがちですが、ナガスネヒコ一族の血も、崇神天皇に流れていたことが大事なんですね。
叡智を絞って、どのように古代日本を建国していったのか。
ここに、これから光(スポットライト)を当てていきたいと思っています。

アメノミチヒメの正体

オオトシと結婚したアメノミチヒメ(天道日女)とは誰か、という問題でしたね。

天(アメ、アマ)というからには、日向族の王族の娘であることがわかります。
オオトシは、ミホツヒメ以外にも日向族の王族から姫を娶っていたんでしょうか。
実は『日本書紀』にヒントがあります。オオトシの別名である天火明に天香山(あめのかぐやま)という子供が生まれて、尾張連の祖となったと書かれているんですね。
記紀には、この天香山の母親が誰だか書かれていませんが、『先代旧事本紀』にはちゃんと明記されています。
それがアメノミチヒメなんですね。
日向族なんだから、公に記紀にも記せばいいではないかと思われるかもしれませんが、そうはいかない事情があります。
実はアマテラスとスサノオのハイブリッドである可能性があるからです。
スサノオの直系は隠すのが、記紀のルールでした。

だからアメノミチヒメは、日向族の王族と言えば王族ですが、同時にスサノオの出雲族の王族の娘であるかもしれないんですね。
おそらくこのアメノミチヒメは、『古事記』でオオトシと結婚したと書かれているカグヨヒメ(香用姫)です。
カグヨヒメだから、アメノカグヤマが生まれたわけです。
ということは、『古事記』でオオトシとカグヨヒメの間に生まれたとされているオオカグヤマトオミノカミ(大香山戸臣神)と、『日本書紀』のアメノカグヤマ(天香山)は同一人物ということになりますね。

ここでもう一つのルールが判明しました。
基本的に、日向族の王族は「天」、スサノオの出雲族の王統は「神」、オオトシことニギハヤヒの王統は「大」という名がつけられたのではないかというルールです。つまり日向族から見れば天香山は、出雲族から見れば大香山となるわけです。

では、香用姫って、誰よ、ということになりますよね。
この香用姫の正体を知るには、奈良県にある飛鳥坐神社(あすかにますじんじゃ)に訪れなければなりません。

今日はここまでですが、ご参考までに『先代旧事本紀』には次のように書かれています。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊は、天道日女命を妃として、天上で天香語山命(あまのかごやまのみこと)をお生みになった。
天降って、御炊屋姫を妃として、宇摩志麻治命をお生みになった。
(続く)

消された日本超古代史の真実

一日遅れの告知となりますが、昨日(3月9日)発売されたムーの別冊『消された日本超古代史の真実』に、昨年の「ムー4月号」に私が書いた総力特集「歴史を覆す古史古伝 正統『竹内文書』の謎」が再掲載されました。
オムニバス形式の別冊で、私が正統竹内文書、ほかのライターがそれぞれ別の古史古伝のことについて書いています。
既にムーに掲載された古史古伝の特集モノを集めた別冊で、それぞれの古史古伝について飛鳥昭雄氏が個別にコラムを書いているという構成になっています。

簡単に私の部分の内容を説明すると、第73世武内宿禰のむっちゃんこと竹内睦泰氏が語る正統竹内家の口伝を多角的に紹介しています。
その口伝の内容が正しいとすると、どういう歴史が考えられるのかを真摯に検証しています。

竹内氏の口伝内容は正否がわかれるところですが、私はかなりの部分で真実の歴史を伝えているのではないかと考えています。
口伝の中で特に優れているのは、ニギハヤヒがオオモノヌシであり、しかもスサノオの4男オオトシのことであるとしている点です。
私はこれが正しいという前提で『古事記』を読み返したところ、三輪山の神がオオトシであると事実上書かれていることを見つけました。
つまり三輪山の神が書かれた直後にオオトシの神裔が紹介されているからです。
神裔はその神が活躍した直後に書くという古事記のパターンを知っていると、三輪山の神であるオオモノヌシの大神がニギハヤヒであることがわかるのようになっているわけですね。

あと、むっちゃんの口伝で非常に面白いなと思ったのは、ヤマトトトヒモモソヒメの「モモソ(百襲)」が第百代の日御子を襲名したという意味だという口伝があることです。
いままでこういう解釈をした人はいないのではないでしょうか。
仮に事実でなくても、その発想力が素晴らしいです。
この口伝のお蔭で、大英博物館に展示されているスメル(俗に言うシュメール)の女王プアビのイメージが卑弥呼のイメージと一致するという事実が浮き彫りになってくるわけですね。そのことは記事にも書いてありますので、お読みください。

竹内氏は昨年11月、『古事記の宇宙』(青林堂刊)という本を出版しました。
実はこの本は玄人受けする非常に面白い本です。
天忍骨ことオシホミミの正式名称になぜ「勝」が三つも付いているのかとか、オシホミミは実はアマテラスの夫だったとか。
あと、ほとんどの人はあまり意に介しなかったでしょうが、賀茂別雷命の父親をオオヤマクイにしているところもミソです。
もちろん神社に伝わる社伝などの伝承を紐解けば、そうなります。
これをさりげなく口伝として紹介しているところがいいんですね。
非常に大事な系図です。

竹内氏のもう一冊の本『正統竹内文書の謎』(学研刊)も(アマゾンの読者書評ではあまり評価されていないようですが)、これもなかなかおもしろいです。
先ほど紹介した「百襲」の話はこの本に載っています。
あ大陸、ん大陸の口伝もほほえましいかぎり。
記紀の記述を基本的に踏襲しながらも、キリスト来日伝承など、ところどころに奇抜な発想がちりばめられているところが正統竹内文書の魅力であると言えそうです。

今日はここまで。
次こそ、宿題となっている系図の続きを書きましょう。

記紀の系図の読み解き方

厳島神社の境内にいる鹿です。

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こちらはシラサギ。

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潮溜まりに取り残された魚を狙っていますね。

さて、天忍骨ことオシホミミや、天火明やイチキシマヒメに見られるように、記紀に記された系図の解読は非常に難しい作業です。
しかしながら、一つのルールのようなものがあることがわかります。
日向族の王統には名前に「天」を付けて、スサノオの出雲族の王統には「神」を付けます。
たとえばカムヤタテヒメなら、名前に「神」が付いていますから、スサノオの直系の娘であることが示唆されるわけです。
この場合はスセリビメですね。
では、スサノオの息子のオオトシが結婚したアメノチカルミヅヒメは誰かと言うと、名前に「天」が付いていますから日向族の王族の娘であることがわかります。

えっ、オオトシって日向族の王族の娘を娶ったの!?
と、驚かれる読者もいるかもしれませんね。
でもちゃんと『日本書紀』に書いてあるんです。
日向族の実質の王であったタカミムスビが、娘のミホツヒメを娶るようにオオモノヌシに迫る場面が明記されているんですね。
オオモノヌシとはオオトシのことであることは『古事記』に「三輪山の神説話」で暗喩的に記されていますから、オオトシが結婚したアメノチカルミヅヒメはもしかしたらこのミホツヒメかもしれないということがわかるようになっているんです。

それでは問題です。
オオトシと結婚したアメノミチヒメとは誰でしょうか。
(続く)

イチキシマヒメの謎

安芸の厳島神社の全景です。

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フェリーに乗っている時に撮影しました。
次は社殿から大鳥居を撮影。

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干潮時間であるため、干潟のようになっていますね。

さて、イチキシマヒメがなぜ謎の姫かというと、アマテラスとスサノオの政略結婚(誓約)によって生まれた宗像三女神のうち、唯一子供がいなかったとされている神だからです。

長女のタギリヒメは、ご存知のように、オオナムヂと結婚して、八咫烏ことアヂスキタカヒコネと、タカヒメ(別名シタテルヒメ)を生みました。これは記紀にも明記されていますから、ほぼ間違いないところでしょう。

末子のタキツヒメ(タギツヒメ)も、『先代旧事本紀』によると、オオナムヂと結婚して、タカテルヒメとコトシロヌシを生んだことになっています。

ここで『古事記』との矛盾が出てきます。タキツヒメがタカテルヒメを生んだのはいいとして、コトシロヌシの母親はカムヤタテヒメとなっています。

ここで思い出してほしいのは、日向族がオオナムヂに国譲りを迫った際、出雲の王位継承者が誰であったかが浮き彫りになることです。
出雲の正統な王位継承者は、アヂスキタカヒコネでも、キマタノカミでもなく、コトシロヌシとタテミナカタでした。
つまり、コトシロヌシとタテミナカタの母親はスセリビメ(別名カムヤタテヒメ)であった可能性が非常に高いんですね。
ここが一つ目の問題点です。

二つ目の問題点は、なぜイチキシマヒメが誰とも結婚しなかったのか、ということです。
結婚したのかもしれませんが、子供はいないことになっています。
何か不思議ですよね。
しかも、『古事記』では2番目に生まれた神でとされているのに、『日本書紀』本文では3番目、『日本書紀』第二の一書では最初に生まれたとされているんですね。「第三の一書」に至っては、最初に生まれた瀛津嶋姫(おきつしまびめ)の別名が市杵嶋姫であるとまでされています。

同じような不思議なケースはニニギノミコトの子供のときにもありました。
コノハナノサクヤヒメが火中出産したとき、王子が三人生まれたことになっていましたが、生まれた順番も滅茶苦茶だし、どう考えても一人分多く記されています。
早くして亡くなった可能性もありますが、その後の物語に登場するのは海彦と山彦だけですからね。
真ん中のホツセリはダミーであった疑いがあるんです。

すると、宗像三女神の真ん中の子もダミーであった可能性が出てくるんですね。
あくまでも可能性の話です。

では誰のダミーか、という話になります。
火中出産の三王子の場合は、天火明のダミーであったと私は考えています。
つまり天火明ことニギハヤヒを日向族の系図に無理やり入れるという改ざんですね。
そして宗像三女神のイチキシマヒメは、私にはスセリビメのダミーであったような気がしてならないんですね。
こんなことを唱えている人は他にいませんから、あくまでも私論です。

こうした系図操作はよく行われます。
たとえば、スサノオとアマテラスの誓約でアマテラスが自分の子であると認めた五王子の長男オシホミミは、実はアマテラスの夫だったという説があります。で、他の四王子がオシホミミとの子であるわけです。ただしニニギを入れると、五王子になります。
誓約の前にあった出雲族のスサノオとの戦闘で命を落とし、だから別名が天忍骨命(アメノオシホネ)と伝わっているわけです。
誓約に時には既に、骨を偲ぶしか方法がない状態であったということです。

スセリビメもスサノオの子ですから、三女神に入っていてもおかしくありません。
しかも末子で正統な王位継承者(末子相続)でありながら、その消息は記紀から途中でパタリと消えてしまいます。
それでは忍びないというので、宗像三女神に忍び込ませたということは十分に考えられると思います。

安芸の厳島神社とイチキシマヒメ

時間は前後逆になりましたが、こちらが本家の厳島(安芸の宮島)。

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厳島神社の鳥居をくぐって進むと、海中の大鳥居が見えてきます。

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外国からの観光客も多いですね。

社殿を撮影。

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社殿は有浦(ありのうら)と呼ばれる湾の奥に建っていますから、満潮になると、海の中に浮かぶ社殿となります。
で、厳島神社のご祭神といえば宗像三女神。なかでも厳島の名前からもわかるように、イチキシマ(イツキシマ)が主祭神ではないかと考えられています。
別名はサヨリヒメ。
非常に謎めいたお姫さまでもあります。
次は、この謎に迫りましょう。
(続く)

近江の厳島

昨日紹介した白鬚神社の続きです。

順番が逆になりましたが、こちらが本殿です。

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本殿の裏手にはご神体山があり、その中腹の奥宮のそばに、ピラミッド石があるわけです。

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綺麗な山容を持つ山ですね。

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この神社も厳島神社と同様に水の中に鳥居が立っております。

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そのために「近江の厳島」と呼ばれているそうです。
そうだとも知らず、前日に広島の厳島神社を訪れておりました。
ちょっとしたシンクロニシティですね。

雲間から光がこぼれ落ちます。

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この日も静かに日が暮れて行きました。

ピラミッド石を結ぶ点と線

今日ご紹介するのは、琵琶湖畔にたたずむ白鬚神社のご神体の一つとされるピラミッド石です。
この白鬚神社は滋賀県高島市にあり、全国にある白鬚神社の総本社とされています。
ご祭神は猿田彦。
昨年10月26日に訪れました。

その本殿の奥に社があり、そのそばにピラミッド石が鎮座しております。

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近寄って撮影。

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形としては三角錐です。
まさに岐阜県笠置山の中腹にあるピラミッド石そのものですね。
こちらがその笠置山のピラミッド石。

DSC_0270-12.jpg

三角錐です。
道を隔てた反対側にもう一つピラミッド石があります。

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これも形は三角錐。
笠置山にはもう一つ似たようなピラミッド石があり、その三つのピラミッド石が夏至の日の入りライン上に並び、その直線は笠置山の山頂に向かっています。
さらにその直線を延ばしていくと、下田富士と寝姿山の武山、鵜渡根島といったピラミッド型の山・島をを結んだラインと一致するわけですね。
岐阜県と静岡県の伊豆半島、伊豆七島を結ぶ「ピラミッド・ライン」です。

滋賀県と岐阜県の間にもピラミッドのラインがあったのではないでしょうか。
少なくとも白鬚神社と笠置山のピラミッド石は、同じ文化を持つ人たち(測量技術集団)が建造しているのは間違いないと思います。

ヤタガラスの強さの秘密

ヤタガラスの続きです。

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ヤタガラスがどうして凄いかというと、アマテラス、スサノオ、オオナムヂ(オオクニヌシ)の直系だからです。
この血統を利用しない手はないですよね。
葛城一言主の強さの秘密はそこにあるのだと思っています。

天照大神と八咫烏

いつものように夕陽を見ていると、カラスが目に留まります。

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そこで夕陽とカラスのツーショット。

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アマテラスと八咫烏でしょうか。
アマテラスの娘タギリがオオナムヂと結婚して生まれた皇子ですから、ヤタガラスはアマテラスの孫にあたりますね。

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