葛城一言主の正体

大和に葛城山があるように伊豆にも葛城山があります。
部族で集団移住した賀茂氏が同じ名前を付けたことは既にご説明した通りです。

その伊豆の葛城山には2013年2月14日に訪れています。
これがその時の写真。

葛城山山頂から富士山の方角を望みます。

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雲で富士山は見えませんが、写真中央やや右下にあるやや尖った鷲頭山を結んだ延長線上に富士山があります。
その手前に見えているのは愛鷹山ですね。

次の写真は、上の写真中央左下に浮かぶ淡島をアップしたものです。

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どこから見ても、綺麗な円錐形の山に見えます。

次は、葛城山の山頂付近の風景です。

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山頂には葛城神社もありますが、かなり新しい時代(1961年)に建てられた神社だそうです。
多分ご祭神は葛城一言主。
賀茂一族の祖神的神様ですね。
スサノオの息子ということになっていますが、オオナムヂと宗像三女神のタギリヒメとの間に生まれたアヂスキタカヒコネ(タケツノミ、八咫烏)の別名ではないかと思っています。
喪屋をばっさり切り捨てる性格は、吉凶を一言でばっさり表現する一言主に通じるものがあると思います。

この写真を撮影した当時は、なぜ伊豆にも葛城山があるのかまったく見当もつきませんでした。
伊豆の地名にその答えがありました。
三島も同様です。
三島市などは、本家大阪の三島よりも有名になっていますものね。
気づかないわけです。
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我が家の枝垂れ梅とコノハナチルヒメ

我が家の枝垂れ梅が五分~六分咲きとなりました。

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少しいつもより早いかなと思いましたが、昨年のブログを見ると、ほぼ同時期の開化です。

「花」という名前が付いている女神では、コノハナノサクヤヒメが有名ですが、もう一人コノハナチルヒメも重要な女神です。
山の民の王(オオヤマツミ)の娘とみられる彼女が結婚した相手は、ヤシマジヌミ。
スサノオとクシナダヒメとの間に生まれた長男です。
長子相続が多かった日向族からみれば、ヤシマジヌミは出雲族のサラブレッド。
やはり系図はあやふやにしておきたいですよね。
そこで、ヤシマジヌミはオオナムヂのご先祖様ということにしてしまいました。
この系図書き換えによって、ヤシマジヌミの子孫は雲散霧消してしまうんですね。

コノハナチルヒメが、コノハナノサクヤヒメの姉イワナガヒメで同一人物であるとの見方もあるようです。
ニニギは、実はアマテラスとオシホミミの息子ですから、時代的には一致しますね。
面白い見方だと思います。

夕焼け空が織り成す影絵

今日は陰の祭祀王のことを考えていました。
ヤマトトトヒモモソヒメの死後、祭祀王は地下に潜ったように思うんですね。
その初代「陰の祭祀王」がヒコフツオシノマコトです。
表がオオタタネコとトヨスキイリヒメ。
祭祀王が陰と陽に分かれたわけです。

ということで、今日のテーマは影。

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夕焼け空が影絵を演出します。
陰と陽。

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影を作る太陽が地平線の向うに消えて行きました。

ヤタガラスが鴨になった話

カモメは八咫烏ではなくとも、ヤタガラスは鴨になったことは有名な話です。
ヤタガラスの別名はタケツノミ。このタケツノミの娘が鏑矢を持つ神と結婚して生まれたのが賀茂氏です。
つまり八咫烏が鴨になってわけですね。

こちらはシラサギ。

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先日母校の高校を久しぶりに訪ねたときに、近くを流れる川にいたところを撮影しました。
ふわふわとした綺麗な白い羽毛に覆われています。
一本足で立っていますね。
白い鳥といえば、ヤマトタケルです。
ヤマトタケルは死して大きな白鳥となり、伊勢から大阪へと西へ進み、空の彼方へと飛び去っていったのだと『古事記』には記されています。

淡島と富士山

これが駿河湾に浮かぶ淡島と、富士山です。

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手前の円錐形の島が淡島。
この日の富士山には小さな笠雲がかかっておりました。

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富士山の手前の山並みが愛鷹山。富士高天原の愛鷹山は、平安京の愛宕山に相当するかもしれませんね。
左上を飛んでいる未確認飛行物体は、もちろんカモメです。
カモメはヤタガラス? 
今年の1月16日に撮影しました。

古代史の謎の解き方

古代史の謎を解くとき、私の場合はかなり直感と潜在意識の力を借ります。
たとえば三島のミゾクイとは何者かを知りたいとき、夜寝る前にある程度ミゾクイの情報をインプットしたうえで、潜在意識に「ミゾクイとは何者かを教えてね」と淡く伝えたうえで眠ります。
すると明け方、夢現の中、答えのヒントが浮かんでくるんですね。
そのときは「スエツミミ」を調べよ、でした。
そしてミゾクイとスエツミミをセットにして考えて、推論するという作業をするわけです。
質問を明確に設定して、潜在意識に淡く、そして真摯に尋ねることがポイントですね。
こうした潜在意識の活用法とメカニズムは、今回のシンクロニシティの本に詳しく書いてありますので、参考にしてください。

「三島のミゾクイ」の続きで、先日、伊豆半島を取材旅行しているときにも、明け方の夢現の中で、潜在意識からある種の回答がありました。
「伊豆半島と紀伊半島は相似形になっているので、地名を調べればいいのだ」と、夢現の中で潜在意識から告げられます。
もう、それで私はピンと来てしまいます。
なぜなら、近畿地方に三島や葛城山があるように、伊豆にも三島や葛城山があることを、以前から不思議に思っていたからです。
潜在意識はそれが相似形的な場所にあるということを教えてくれます。
淡路島はさしずめ、伊豆の淡島でしょうか。賀茂はまさに賀茂ですね。三島には加茂川まであります。
それで、大和の葛城山にいた賀茂氏がそのまま、伊豆半島に集団で移住してきたことがわかるわけです。
そして同じような地形や場所に同じような名前を付けた、ということです。

中には名前が同じでないものもあります。
ただし地形はほぼ相似形です。
琵琶湖は芦ノ湖。
富士山は比叡山辺りでしょうか。
面白いでしょ。
こうして謎が解けていくわけです。

記紀に隠された古代日本の王たちの系図

記紀に隠された”暗号”のような「古代日本の王たちの系図」を読み解くために覚えておくべきことは何か。
実は非常に簡単です。
その系図の秘密を読み解くカギは、スサノオの直系であることがいかに隠されているかを知ることです。
既に一部は『竹内文書の謎を解く2』や『誰も知らない世界の御親国日本』で書きましたが、スサノオの息子であるオオトシは、三輪山の神、オオモノヌシ、櫛玉(奇魂)、ニギハヤヒ、天火明という名前に変えられて、スサノオの直系であることが隠されました。
同じくスサノオの(宗像三女神の)直系であるアヂスキタカヒコネは、喪屋を切り倒して姿を消した後、タケツノミ、八咫烏に名前を変えて再登場します。
オオヤマクイも同じです。オオヤマクイという名前を使うとスサノオの直系であることがバレてしまうからです。
スセリビメはカムヤタテヒメに変えられた上に、実子コトシロヌシがヤエコトシロヌシにすり替わりました。
スサノオはその神名すら変えられています。

ではなぜスサノオの直系を隠さねばならなかったのか。
簡単に言ってしまうと、高天原を追放されるようなことをした「大逆人」だったからです。
大逆人と言っても、あくまでもアマテラスの属する日向族にとって大逆人であったという意味です。
記紀を読むと、おそらく日向族の巫女を手籠めにして、政略結婚によって娶ったアマテラスを激怒させたという理由が高天原追放の理由です。アマテラスの前夫・天忍骨命を殺害した許せぬ仇・敵でもありますから、まあ大逆人と言えば大逆人ですね。
もちろんその背景には、政略結婚によって男の子が生まれなかったということもあります。
生まれたのは女の子ばかりの宗像三女神。
「誓約」で負けたのは果たしてどちらだったのか。

次の本では、こうした古代日本の王たちの系図を可能な限り詳らかにします。
オオヤマクイは何と言う名前の神に変えられたか。
その子の名前は何か。
オオタタネコとは何者か。
これらの謎を解くヒントはすべて、記紀と、神社の由緒や古い社名に書かれています。
今日はちょっとだけ次の本のさわりをご紹介しました。

伊豆・広瀬神社の御祭神

一昨年の12月3日。何か呼ばれた感じがしたので立ち寄ったのが、静岡県伊豆の国市の広瀬神社でした。

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ご祭神を見ると、ミゾクイミミ姫ほか二神となっています。

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ミゾクイミミ姫。ミゾクイミミの娘ですね。
『日本書紀』でいうタマクシヒメ。『古事記』でいうところのイクタマヨリヒメであると思われます。
鴨ツミハヤエコトシロヌシと結婚して、生まれたのがヒメタタライスズヒメ。
神武の后になった祭祀王のことです。

大和の葛城山周辺もそうですが、伊豆に来ると神武天皇以前の神様の系図を読み解くヒントがあるんです。
私だったら、ほかの不詳の二神のうち一柱は山末之大主神でしょうか。
次はちょっとその触りだけ、お話ししましょう。

三島大社と主祭神の謎

静岡県三島市の三島大社です。

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三島大社の本殿。

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境内にある金木犀。

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何と樹齢1200年ということです。

三島大社の主祭神は、オオヤマツミとツミハヤエコトシロヌシです。
.本当はオオヤマクイとしたかったのではないかと思いますが、するとコトシロヌシの素性がばれてしまいますものね。
でも本を正せば、オオヤマツミです。オオヤマツミの娘がスサノオと結婚して、オオトシが生まれ、そのオオトシの息子がオオヤマクイです。
コトシロヌシがツミハヤエコトシロヌシとなっているところがミソですね。
正式名称はカモツミハヤエコトシロヌシです。
この名前から、たどれる人はたどれます。

三島市内には奇岩が点在しています。
こちらはその一つの「たたり石」。

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オドロオドロしい名前ですが、本来の名前の「たたり」は、糸のもつれを防ぐための綛(かせ:紡いだ糸ををかけて巻き取る「工」字形の具)をつける道具の「たたり」を指しました。
三島大社前の旧東海道の真ん中にあって、行き交う人々の通行の流れを整理することから「たたり」と名付けられたそうです。
つまり糸を整理する道具と交通整理をかけていたんですね。
ところが、邪魔になって取り除こうとするたびに災いが起きたので、祟りの意味でも使われるようになったとのことです。
今では神社によって境内入り口付近に移され、交通安全の霊石として崇められているそうです。

上白岩遺跡のストーンサークルと大宮神社

私がブログをアップしていない時は、大体取材で外出しています。

一昨年(2015年)の12月2日。この日も伊豆に取材に行きました。
目的地はこちらです。

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静岡県伊豆市にある上白岩遺跡(かみしらいわいせき)です。
いまから4000年前の縄文時代中期の遺跡で、環状列石(ストーンサークル)や配石遺構があるのが特徴です。

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昔はこのようなストーンサークルがいたるところにあったのではないかと思われます。
で、この遺跡のほぼ真北には小高い丘があり、その頂上には神社があります。
こちらがその丘です。

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ちょっとした古墳のような丘ですね。
鳥居をくぐって階段を登ると、神社があります。

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大宮神社。
祭神はオオナムヂとオオヤマクイ。
古代史においては、非常に重要なキーパーソンです。
なぜここにオオナムヂとオオヤマクイが祀られているかと言うと、賀茂氏がここに集団で移住してきたからです。
このことを知っている人は、あまりいません。
オオヤマクイと賀茂氏の関係を知る人すら、ほとんどいませんからね。
この2柱の神は、今私が書いている本と深い関係があります。
それらの歴史的事実も、いつかこのブログ上で明らかにしようと思っています。

番外「七高山と近江富士には不可思議な関係」

本書『竹内文書と平安京』を書いている時、遊びで近畿地方の七つの霊山である「七高山」についても「タカミムスビの法則」が適用できるかどうか調べたことがあります。
そうしたら、見事にタカミムスビで説明できたんですね。
紙幅の関係で省略しましたが、ここでそれを簡単に紹介しましょう。

「七高山」とは、比叡山、比良山、伊吹山、愛宕山、神峰山(かぶさん)、金峰山(きんぷせん)、葛城山のことです。
七高山は、役行者ともゆかりの深い修験霊場の山で、必ずしも単独峰を指してはいません。
そこでまず、測量点探しから始めました。
たとえば、吉野山とその南方の山上ヶ岳を含む霊場を包括している金峯山は、吉野山にある金峯山寺と山上ヶ岳を測量点としていると考えられるわけです。
神峰山は、神峰山寺の北にある裏山(標高273メートル)を測量点とし、ほかの五山は最高峰(たとえば比良山なら武奈ヶ岳、比叡山なら大比叡)を測量点としたと考えました。

まず全体的な七山の配置で特徴的なのは、伊吹山を先端とする鋭い鋭角の矢印のような形になっていることです。
これは二上山―三上山―三上山(近江富士)―白山のラインとほぼ同じエネルギーの流れを指していることになりますね。
つまり「炎」と「勇」が合体した第三の地流気の導線です。

次に愛宕山が、伊吹山と金峯山寺のある吉野山から等距離(80・7キロ)にあることに注目しました。
また、愛宕山から武奈ヶ岳を結んだ距離(32・9キロ)は山上ヶ岳と葛城山を結んだ距離(32・8キロ)とほぼ等しく、愛宕山から大比叡と葛城山をそれぞれ結んだ直線がなす角度はほぼ90度となっています。
そのことから、愛宕山が三角測量の基準点であったことは間違いないと思われます。

大比叡は愛宕山と金峯山寺をそれぞれ結んだ直線のなす角度がぴったり90度であり、葛城山も伊吹山と金峯山寺をそれぞれ結んだ直線のなす角度もほぼ90度です。
神峰山と葛城山を結んだ距離49・8キロは、伊吹山と武奈ヶ岳を結んだ距離49・3キロにほぼ等しくなっています。
つまり、まるで距離と方角がきちんと測量されたかのように七高山が配置されていることがわかるんですね。

これだけでも七高山が近畿地方の測量に関係した山であることがわかるのですが、この七山の測量点に、近江富士こと滋賀の三上山を加えると、測量山としての色彩が飛躍的に強まるんですね。
たとえば、神峰山から山上ヶ岳と近江富士にそれぞれに引いた直線のなす角度はほぼ完璧な90度となります(誤差わずか3分、すなわち0・05度)。
また金峯山寺から大比叡と近江富士までの距離はそれぞれ77・4キロと完全に一致し、その誤差は何とわずか18メートルです。
この誤差も金峯山寺の測量点(建物の中央付近を測量点とした)を50メートルほど東南東方向に動かせばまったく解消される計算です。

また愛宕山と近江富士を結んだ直線は武奈ヶ岳と金峯山寺を結んだ直線とほぼ直角で交わり、武奈ヶ岳と近江富士を結んだ直線も伊吹山と愛宕山を結んだ直線とほぼ直交します。
そのときできる伊吹山、武奈ヶ岳、近江富士、愛宕山の菱形の配置図は、大和の三輪山、耳成山、天香久山、畝傍山の配置図をそのまま拡大したような位置関係になっているんですね。

さらに加えて見事なのは、七高山と近江富士の間の距離の関係であります。
近江富士と大比叡を結んだ距離は18・6キロ。その約2倍が近江富士と愛宕山の距離36・8キロとなり、そのさらに2倍が近江富士と葛城山の距離73・5キロとなっているんです。
そのほか18・6キロの5倍が愛宕山と山上ヶ岳を結んだ距離93・9キロにほぼ等しく、6倍が武奈ヶ岳と山上ヶ岳を結んだ距離112・3キロにほぼ一致することを考えると、近江富士と大比叡を結んだ線分は三角測量の基線となったことは間違いないと思われます。

つまり七高山は、近江富士を中心とする測量兼光通信のネットワークであったかもしれないわけですね。
七高山と近江富士には不可思議な関係がありそうです。
地図も書いたのですが、見つかりませんでした。
いつか地図が出てきたら、地図を使って再度説明いたしましょう。

5000年前の古代人の完璧な測量技術73(エネルギーのツボと祈り)

おそらく古代測量師のグループは、こうした大地のエネルギーの流れが存在することを知っていたと思われます。
そうでなければ、イギリスの聖マイケルラインや、東経137度11分の羽根ライン、それに三上山ー三上山ー二上山の神山ラインを作ったりはしなかったと思うんですね。
ナスカ平原にも、巨大な矢印や、星-宇宙飛行士ークジラのラインを作る必要はなかったはずです。
何かその方向にエネルギーを流したい理由があったと私は見ます。
大地のエネルギーを流す「ツボ」が、いわゆる聖地とかパワースポットと呼ばれる場所なのではないでしょうか。
そのツボを活性化させるのが、人の心、魂です。

イギリスの聖ミカエルライン周辺では、ダウザーたちによって、二つの異なるエネルギーが流れていることが報告されています。
その結果から、聖ミカエルラインに沿って陰と陽のエネルギーが流れており、その交差点に聖地を築いたのではないかとも考えられているんですね。
古来、岬の先端とか、尖った山の頂上に神が降臨すると考えられたのも、このためだと思います。
その聖なる地点で祈る--そのために描かれた回路図のような装置がこれまで見てきた測量ラインが作られた根底にあるのだと考えています。
そしてその装置の画竜点睛となるのが「人の祈り」というわけです。

『異次元ワールドとの遭遇』にも書きましたが、天柱石で私たちがやった「祈り」も、これに関係があります。
当時はよくわかっていませんでしたけどね。今ならわかります。

そういうわけで、このシリーズもこれでほぼ終わりです。
「ほぼ」と書いたのは、もうちょっとだけ「おまけの続き」があるということです。
(続く)

5000年前の古代人の完璧な測量技術72(エネルギーを流す回路図)

ナスカの地上絵には実用的な効用があったのではないかと考える理由は、ナスカの地上絵が基本的に一筆書きで描かれて、まるで何かのエネルギーを流す回路図のようになっているからです。

秋山氏との共著『あなたの自宅をパワースポットにする方法』の「上級・地流気編」で紹介しましたが、どうも地球の大地には我々の目には見えないエネルギーの流れがあるようなんですね。

一つは宇宙から来ている北から南に流れる「炎」と秋山氏が名付けた「地流気(地球に流れているエネルギーみたいなもの)」エネルギーで、もう一つは常に東から西に流れている「勇」と秋山氏が名付けた「地流気」です。
で、この二つとは別に、「炎」と「勇」が合体したエネルギーがあります。
名前は付いていませんが、このエネルギーは鬼門から裏鬼門、すなわち北東から南西へと流れています。

お気づきのように、宇宙の気である「炎」は、東経137度11分の羽根ラインに沿って流れているわけです。
別の見方をすれば、羽根ラインは「炎」の導線です。
「勇」は基本的に太陽が描く線のようなものです。平安京の場合は、比叡山と愛宕山、大文字山と嵐山を結んだ直線がそうですね。
それから第三のエネルギーは、イギリスの聖ミカエルラインや、三上山ー三上山ー二上山のラインです。
それぞれがエネルギーの導線になっているんですね。
天と地のエネルギーがここにはあります。

実は、ここまでがハードの部分です。
天と地のエネルギーを活性化させるには、ソフトの部分がないといけません。
そうしないと、この導線は機能しないんですね。
そのソフトが何かというと、人のエネルギーです。
人がそのラインを意識して、祈ったときにラインが活性化するわけです。
(続く)

5000年前の古代人の完璧な測量技術71(星と宇宙飛行士の物語)

ナスカ平原に描かれた直線の秘密に迫りましょう。
花ー宇宙飛行士ークジラが一直線上に描かれたのはなぜか、ということですね。

ところで、これがその直線の真ん中にある宇宙飛行士の地上絵です。

宇宙飛行士2

1999年の1月、よく揺れるセスナから、当時私が持っていた水陸両用カメラニコノスVで撮影したものです。
水中カメラなのに、地上でも撮影できるという優れものでしたが、いかんせん水中カメラの標準レンズで撮影しましたから、これがやっとでした。
目が大きくてブーツをはいたようなヒューマノイド系の宇宙人が描かれているように見えます。
別名フクロウ男。

で、こちらが星のすぐそばに描かれている有名なハチドリです。

ハチドリ

いつものように国土地理院のソフトを使って、星、宇宙飛行士、クジラそれぞれの中心座標から方位角とそれぞれの距離を計算します。
すると「星」から見た方位角が、宇宙飛行士が130度29分、クジラが130度42分とほぼ一直線上にあることがわかりました。
この誤差の13分は、一度の60分の13に相当するわけですが、これを星の中心と宇宙飛行士の足、それとクジラの口先を測量点にして同様に方位角を測ると、130度40分と完全に一致します。
ということは、間違いなく完璧な測量を基にしてこの三つの地上絵を配置したということが言えるんですね。

次に距離を測りましょう。
星の中心から宇宙飛行士の足までの距離は9・2キロで、星の中心からクジラの口先までの距離は21・3キロです。
これは3対7の単純な整数比になります。
つまり、宇宙飛行士の足は、星とクジラの口先を結ぶ直線を3対4に分ける点でもあるわけです。

この三つの地上絵は、他の地上絵群とは離れた場所に配置されています。
ということは、何かより大きなテーマを扱った地上絵ではないかと思うんですよね。
21キロも離れた直線上に並べることによって、何か大きな物語を描こうとしたのかもしれません。

たとえば、ある天体(星)からブーツを履いた、目の大きな人がやって来て、クジラと仲良くなったという物語が浮かびます。
あるいは逆に読んで、クジラから進化した宇宙人が星に旅立った、とか。
想像力が刺激されますね。
星のそばにあるハチドリもきっと意味があるはずです。
ハチドリの住む星とクジラを結ぶものが、フクロウ男なのかもしれません。
その場合、距離はその親しさに比例している可能性もあります。

ナスカの地上絵にはそういった物語性がある一方で、実は実用的な効用もあったのではないかと私は見ています。
(続く)

5000年前の古代人の完璧な測量技術70(ナスカの地上絵の配置図)

星ー宇宙飛行士ークジラの直線を説明する前に、技術的な都合で本書『竹内文書と平安京の謎』では割愛せざるを得なかったナスカの地上絵のより詳しい地図をご紹介しましょう。
こちらがその地図です。

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グーグルマップを使って、私が地図上に正確に点を打ち作成したものです。
前回紹介した巨大矢印の地上絵が左側にあるのがわかりますね。
地図左下のスケールが2キロですから、いかに巨大な矢印であるかわかります。
その矢先が描く三角形の底辺(底辺の長さだけでも3キロ以上あります)を東北東に延ばしていくと、ナスカの地上絵が密集している地域に至ります。

その底辺の直線に平行して2つほど滑走路と呼ばれる長方形の図形が描かれています。
地図が小さくてわからないと思いますが、黒く長方形に塗りつぶされた部分で、中央やや上にあるのが滑走路Aで、そのやや右上にあるのが滑走路Dです。
この滑走路Aに沿って、コンドル、クモ、花の地上絵があり、滑走路Dに沿ってサギとペリカンの地上絵が描かれています。
滑走路Aにほぼ直交する形で滑走路Bがあります。
その滑走路Bの北の外れに、見たこともないようなシンボルと、やや離れた場所に渦巻きの模様が描かれています。
また右下端から中央上部に向けて、パナメリカナ・スールという高速道路がありますが、滑走路Aのそばに、その道路を横断する形で滑走路Cがあります。
その滑走路Cの南西端に描かれているのが、トカゲ、木、手の地上絵です。

中央上の点(2)の「星」から右下にかけて黄色い線が引かれていますが、これは私が便宜上書いた直線で、これが右下(17)の宇宙飛行士(別名フクロウ男)を結び、地図のはるか右下にあるクジラに至る真っすぐなラインです。
で、(2)の星の左隣にあるのが、(1)のハチドリ。
巨大矢印の三角形の右斜辺を延ばした黄色い線(私が便宜上引いた線)に沿って(16)の猿と(15)の犬が描かれています。

これが議論の大前提のとなるナスカ地上絵の配置図です。
これだけ正確かつ端的に描かれた配置図は、私が探した範囲ではどこにもございません。
この地図を見れば、どこに地上絵が配置されているかが一目瞭然というわけです。
(続く)

5000年前の古代人の完璧な測量技術69(ナスカの地上絵の秘密)

5000年前の地球規模に存在した文明の源流の話をする前に、ナスカの地上絵の配置についても紹介しておきましょう。
本書では少ししか取り上げられませんでしたが、ナスカの地上絵の配置にも測量上の意図を読み取ることができます。

まずは323ページに掲載されたこちらの地図をご覧ください。

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上の図7-6は、人工衛星から送られてくる画像を見ない限り見えてこない、ナスカ平原の巨大図形「矢印」が指し示しているラインを地図上に描いたものです。
どういう意味があるかは明確ではありませんが、矢印のラインはペルーの主要都市のリマとイカを通り、ペルーの海岸線を見事に平行して走り抜け、メキシコのマヤ文明遺跡群の方へと延びています。
まるでインカ文明とマヤ文明をつなぐ巨大ラインのようにも見えます。

で、その巨大「矢印」の図形のあるナスカの地上絵を拡大したのが、下の図7-7ですね。
簡単に説明すると、巨大矢印の三角形の矢の底辺を延ばしていくと、ナスカの地上絵郡に至ります。
そして、この直線と並行に、いくつもの「滑走路」と呼ばれている地上絵が描かれているんですね。
その滑走路の周辺にコンドルとか蜘蛛とか猿とかハチドリとか花の絵が描かれているわけです。
また滑走路の直線の角度は、ちょうど冬至の日の入りラインや夏至の日の出ラインとほぼ一致します。
地上絵のサギの嘴が示す方角も、ほぼこのラインと一致します。

つまり、すべての地上絵には、ちゃんと意味の配置があるわけですね。
本書では紙幅の関係で説明を省きましたが、図7-7の中で一番面白いのは、地上絵の中で、他の地上絵群とは離れて描かれている「星」と「宇宙飛行士」と「くじら」が見事に一直線上に位置していることです。
しかも確か5対7とか、単純な整数比の位置に配置されています。
何か明確な意味が隠されていますよね。
どのような意味が隠されているのか、次回のブログで考察してみましょう。
(続く)

5000年前の古代人の完璧な測量技術68(縄文時代の高度な測量技術)

5000年前の古代日本にも、古代イギリスや古代エジプトのように、数十キロ離れた場所までの緯度や経度、方位角、距離を正確に測量する技術集団がいたーー。
それを前提にして北東北の縄文遺跡を調べたところ、すべての主要縄文遺跡が、山などの聖地や他の遺跡を結んだ2本以上の直線の交点にあることがわかったんですね。
重要な拠点だと、7、8本の直線の交点になっています。

しかし残念ながら、紙幅や図表作製の技術的問題(主にわかりやすさの問題)から、北東北におけるすべての縄文遺跡の測量的に意味のある配置を地図にして掲載することはできませんでした。
その代わり、本書366ページの巻末資料で、北東北と北海道の40を超える主要縄文遺跡および目立つ主要な山(聖山)がどのような測量ライン上にあるかを記しておきました。

ということは、もちろん北東北だけではなく、北海道の縄文遺跡も、意味のある測量線上に存在しております。
以前のブログにも書きましたが、北海道の恵山からは青森の恐山三山がよく見えます。

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上の写真は恵山。下の写真はその恵山から恐山のある下北半島を写したものです。

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カラスの嘴の先に見える山が恐山三山の一つ大尽山です。

北海道の函館山からは青森県津軽平野に彼方にそびえる岩木山すら見えました。

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上の写真はいずれも函館山から撮影した岩木山です。

彼らは対岸の目立つ山を測量点にして、「高み」と「高み」を結びながら、次々と聖なる場所を
配置していきました。
縄文時代の拠点の配置には、平安京建造と同様に、「タカミムスビの法則」が使われたわけです。

そして古代にはそうした高度な測量技術があったことを伝える文献が「竹内文書」であったのだと考えています。
実際、「竹内文書」のキリスト渡来伝に出てくる地名(松ヶ崎港、キリストの墓、大石神ピラミッド、十和利山)を結ぶと、完璧な直線となります(本書191ページ参照)。
古代においてそのような測量技術があったと仮定しないと、この一直線上の配置は説明できないことになります。

ということは、東経137度11分の羽根ラインを含め、伊豆下田富士の二つのピラミッドラインなどすべての意味ある直線が、縄文時代には既にあったとしても不思議ではないわけです。

このように日本をはじめとして、5000年前の地球上には、かくも高度な測量技術が既に存在していました。
その事実を説明することのできる仮説は、かつて栄えた古代文明の生き残りたちが古代日本におり、その文明の一部が継承されたのではないか、というものです。

この仮説が『オアスペ』に記されたパン文明の伝説と一致するんですね。
(続く)

5000年前の古代人の完璧な測量技術67(黒又山の完璧な二等辺三角形)

大湯環状列石のそばに鎮座する黒又山が、北東北に縄文遺跡群を束ねる扇の要に相当し、しかも測量の中心であったことを前回は見てきました。
特に伊勢堂岱遺跡と御所野遺跡を結んでできる、緯線(東西線)を底辺にした二等辺三角形は見事としか言いようがありません。
まるでシルベリーヒルとマーリンの丘を結んでできる、秒まで一致する東西線を彷彿とさせる高度な測量技術です。

と、ここまで考えると、やはり5000年前の縄文時代にも、高度な技術を持つ測量技術集団が既に古代日本にいたのではないかと思えてきます。
それこそ秒単位、センチメートル単位で、数十キロ離れた二点間の方位と距離が正確かつ精密に測れるような測量技術です。

そのように仮定して、黒又山を測量点として、そのような精密な測量技術の証拠がないかと思案してみました。
実は先ほど紹介した伊勢堂岱遺跡、御所野遺跡、黒又山が作る二等辺三角形は、厳密に言うと、少しだけ御所野遺跡と黒又山を結んだ直線の方が、伊勢堂岱遺跡と黒又山を結んだ直線より長いんです。
その違いは、42キロの距離で1キロほどですから、誤差の範囲と言えば、誤差の範囲です。

でももし本当に高度な測量技術を持っていたとしたら、意図的にこの「誤差」を作り出した可能性もあります。
そこで、黒又山ではない場所に、二等辺三角形の頂点を置いたのではないかと仮定して、御所野遺跡と黒又山を結んだ直線上に御所遺跡と伊勢堂岱遺跡の二点から完璧に、一センチの誤差もない頂点の座標を計算して出して見ました。
それが本書225ページに掲載されている次の地図の点Pです。

img067-11.jpg

中央上部にある(1)が黒又山、左下には(4)の大湯環状列石があります。
で、黒又山から右下へと延びている、御所野遺跡と結んだ直線上に、完璧な二等辺三角形の頂点となる測量点Pがあるわけです。
この測量点Pに向かって、伊勢堂岱遺跡から延ばした直線に注目してください。点Pから左下に伸びている直線ですね。
神社が4つ、この直線に沿って並んでいるのがわかります。
そしてさらにその直線を延ばしていくと、点Pの先にある(2)の根市の神社に至ります。
つまり5つの神社が1500メートルの距離の直線上に綺麗に並んでいることがわかりますね。
しかも、根市の神社は黒又山の真東に位置しています。
これは偶然ではありえませんから、間違いなく、意味のある直線、すなわち測量線であることが確認できるんですね。
測量線上に神社を配置したわけです。

一応断っておきますが、この地図は国土地理院の地図をそのまま利用していますから、神社の位置もそのままです。
恣意的に直線上に神社マークを並べたわけではありません。

今度は黒又山の真西を見てください。(3)の風張の神社が鎮座しています。
つまり根市の神社、黒又山、風張の神社は完璧な東西線を形成しています。
さらに、二等辺三角形の点Pとの位置関係を調べると、黒又山から点P、点Pから根市の神社、それから黒又山から風張の神社までの距離が全く等しくなっていますね。完璧な二等辺三角形が二つできるわけです。
点Pと伊勢堂岱遺跡、そして御所野遺跡を結んだ完璧な二等辺三角形を含めると、計3つの完璧な二等辺三角形が北東北の大地に浮かび上がってくるんですね。

ということは、縄文時代の測量技術集団は既に、40キロ以上の距離が離れた大地をカンバスに見立てて、精密な幾何学図形を描くことができた可能性が高いということになります。
それを前提にすると、次々と縄文遺跡群の配置の謎が解けてくるんですね。
(続く)

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