アイルランド見聞録57(アルドグルームの軸の傾き)

アルドグルーム・ストーンサークルは、ケンメア湾を見渡せる、見晴らしの良い場所に立っています。

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遠くに見えるのがケンメア湾です。
ストーンサークルと少し離れたところに立石が立っていますね。

ストーンサークルの本体。

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近づいて撮影します。

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かつては11個の立石から成っていましたが、現在残っているのは写真の9個です。
特徴は少し先がとがったように削られていることでしょうか。

でも本当に面白いのは、ストーンサークルと立石が作る直線(中心軸)です。
正確に測ったわけではありませんが、北東から南西に向いているように見えます。
ということは、夏至の日の出ラインか当時の日の入りラインですね。

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上の写真はその軸の傾きを写した写真です。
手前が少し離れたところにある立石で、奥に尖ったストーンサークルが見えています。

さらに面白いのは、その軸の傾きの直線は、既に紹介したウラ・ストーンサークルと、沼地のため行くのを断念したドロムボヒリー・ストーンサークル、行くのを省略したキャシェルヒールティー・ストーンサークルを貫いているように思われます。
ここにも見事なタカミムスビがあるわけですね。

ちなみに二日前に紹介した、谷あいの村にあるシュローンビラーン・ストーンサークルとこのストーンサークルは、約4・4キロ離れていますが、ほぼ同じ緯度にあります。
つまり東西線を形成していることになります。
おそらく古代人はそのことを測量して知っていた、と私は思っています。
(続く)
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アイルランド見聞録56(アルドグルーム・ストーンサークル)

シュローンビラーンのストーンサークルを訪れた後、再びR571号線に戻ると、ちょうど道端に立石があることに気付きます。
確かに地図にも立石と書かれています。ロウラーの町の側の立石です。

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結構しっかりとした立石です。
近づいてみると・・・

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何やら2本の横線のような堀が彫られているように見えます。
道標か何かだったのでしょうか。

この周辺には立石やストーンサークルがほかにもあると書かれていますが、全部を見ていると日が暮れてしまうので、比較的保存状態のいいとされるアルドグルームのストーンサークルを見にゆくことにします。

道路の標識に従って探していくと、案内板がありました。

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約3000年前のストーンサークルではないか、と書かれています。
でも、地図が書かれていないので、どこにあるかわかりません。
案内板からは見えないんですね。
案内板からの風景です。

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この広い牧草地のどこかにストーンサークルがある、というわけです。
比較的踏み固められた草地に沿って、つまり足跡が作った道に沿って、牧草地に分け入ります。

しばらく歩くと、道はよりはっきりしてきて、目標物が見えてきます。
5分くらい歩いたでしょうか、ストーンサークルに到着。

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(続く)

アイルランド見聞録55(シュローンビラーン・ストーンサークル)

ウラ・ストーンサークルの次に、ドロムボヒリー山の麓にあるストーンサークルを探しに行きました。
ガイドブックを見ながら、駐車場を見つけて車を止めます。
そこから丘の斜面を150ヤード(137メートル)ほど登り、フェンスを乗り越えて4分の1マイル(400メートル)中に入ったところにある、と書かれています。
その指示に従って、フェンスを越えてストーンサークルのあると思われる方向に歩いて行きましたが、前日の雨で道が沼地のようになっていてなかなか進めません。
初めのうちは沼地の上に生えている葦を踏みつけながら歩けたました。ところが、100メートルほど進んだところでとうとう、足を泥沼に取られてしまいました。
ずぶずぶずぶと足が泥沼の中に入り込み、何と膝近くまで泥に埋まる緊急事態に。
何とか固い場所を見つけて踏ん張り、片足を引き抜きましたが、もう泥まみれです。
これ以上進むと危険だったので、やむなく断念します。

そのとき撮った牛さんたちの写真。

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「泥沼の中で何やってんだろうね」といった顔でこちらを見ておりました。

気を取り直して、次のストーンサークルを探します。
次に目指したのは、シュローンビラーン村にあるストーンサークルです。

このような田舎道を進みます。

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ほどなくストーンサークルを発見。
道路からでもはっきりと見えるところに建造されていました。
こちらです。

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羊たちが番をしていますね。
近くによって撮影。

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左奥には農家が写っています。
多分、この牧草地の持ち主ですね。

反対側からも撮影。

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元々は13個の石から成るストーンサークルでしたが、5個が失われ、現在は8個のストーンサークルになっています。

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山に囲まれた、谷合の小さな村にあるストーンサークルでした。
(続く)

アイルランド見聞録54(ウラ・ストーンサークル)

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ウラ・ストーンサークルは小さいですが、私がこれまでに見てきたストーンサークルの中では五本の指に入る美しさです。
それと言うのも、周囲の自然と実によくマッチしているからです。
古代人の美意識の高さが偲ばれます。

ウラ・ストーンサークルから見える風景。

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緑の木々が、鏡のような湖面に写り込んでとても綺麗です。

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その湖が見渡せる、小さな丘の上にストーンサークルが建造されているんですね。

山と湖に囲まれて、今はひっそりと佇むウラのストーンサークル。

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自然に溶け込んだ、絶妙の配置です。

子羊がこちらの様子を窺っています。

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近寄って撮影。

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立石で隠れていますが、湖の奥には滝が流れているのを見ることができました。
(続く)

アイルランド見聞録53(ウラ・ストーンサークルへ)

昨日最後に紹介した写真の説明をしていませんでした。
こちらの写真です。

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雲っていますが、非常に自然が豊かで綺麗なところです。
ケンメアから南西に12キロほど離れたグレンインチャキン公園の風景です。
この公園のそばに目指すウラ・ストーンサークルがあります。

ここまで来るのは結構大変でした。
まずはメインの道路(R571)から細い悪路に入るのですが、ほとんど片側通行の狭さで見通しが効きません。
いつ対向車が来てもいいように、スピードを抑えて進みます。
やがて景色が開けると、ゲートが見えてきます。
ゲート前には駐車場があり、先客が駐車場に車を止めていました。
私たちも車を止めて、駐車場そばにあった案内板を読みます。
どうやらこのゲートを越えて奥に進んで行くと、ウラ・ストーンサークルがあるようです。
ただしゲートを通るには2ユーロの寄付を払ってくれと書かれていました。
中に入ると、そこにも駐車場があると書かれています。
でも地図が描かれていないので、一体どれだけ奥まで進んで行けばいいのかわかりません。
そこで先に来ていたフランス人カップルに聞いてみます。
すると、彼らも地図がないからわからない、と言います。
特に女性のほうがこれ以上進むのは気が進まないみたいで、カップルはゲートの中に入らず、引き返してしまいました。
でも私たちは、2ユーロをボックスに入れて、先に進みます。
すると、ゲートの中に入って1分もしないうちに、ウラ・ストーンサークルの駐車場に着きます。
ゲートからほんの200メートルも離れていないところにあったんですね。

そこにある案内板に従って、丘に向かって登って行きます。
そのとき、駐車場の方を振り向いて撮影したのが、上の写真でした。

ほどなく、ウラ・ストーンサークルが見えてきました。

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(続く)

アイルランド見聞録52(ケンメアの居酒屋ホテル)

ケンメア・ストーンサークルを見た後、再び歩いてケンメアの町中に戻って来ます。

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宿泊している居酒屋ホテルに到着。
ホテルの裏口です。

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真ん中に止めてある赤いプジョーが、今回私たちが借りたレンタカーです。
なかなかいい走りをする車でした。

表通りから見た居酒屋ホテル。

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今回泊まったのは、左側の「Davitts」です。
そのお隣も同じような居酒屋ホテルでした。

居酒屋などが立ち並ぶヘンリー・ストリート。

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この日は、宿泊先のパブで食事をとりました。

翌6月10日。曇り。

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ケンメアを拠点にして、この日はウェスト・コーク地方の巨石遺構をめぐります。
(続く)

アイルランド見聞録51(ケンメア・ストーンサークル)

ケンメアの町中を歩いているときに、「ストーンサークル」の案内板を見つけます。
町の人にどのくらい遠くにあるのか聞くと、歩いて五分ほどのところだと言うので、散歩がてらにストーンサークルを見にゆくことにしました。

町の外に出て、ストーンサークルを探します。

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市街地が遠くになってきました。
すると、ほどなくストーンサークルの看板を見つけます。

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ちょうど管理をしている女性がいたので、「管理費」二人分4ユーロを払おうとすると、二人で2ユーロでいいわ、とのこと。
2ユーロをボックスに入れて、奥へと進みました。
すぐにストーンサークルが現れます。

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ケンメア・ストーンサークルです。
南西部最大のストーンサークルで、紀元前2200年から紀元前500年までの間に建造されたと書かれていました。

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左奥には、ケンメアの中心部の建物が写っています。

特徴はサークルの中央部に角のとれた巨石(ボウルダー)を配置していることでしょうか。
こちらの巨石です。

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巨石墓(ボウルダー・ベリアル)と呼ばれる墓碑のようなもので、南西部以外ではほとんど見られない様式であると書かれていました。
(続く)

アイルランド見聞録50(ケンメア)

次の訪問地はケンメア。この日から二泊する場所です。

ケンメアに着いたころは、少し小雨模様。
このような奇妙な形の厚い雲が空を覆っておりました。

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これがケンメアの中心街。

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シーン川(ケンメア川)の河口付近にある小さな町で、風光明媚なアイヴァラ半島をぐるりと一周する「ケリー周遊路」の起点でもあります。
この通りの右側のパブ兼宿屋に二泊します。
まあ、居酒屋ホテルみたいなものですね。
夜は少しうるさいです。でも町のど真ん中にあるのでとても便利です。

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結構、車が多くて駐車場を見つけるのは大変ですが、宿泊客は裏通りにある専用駐車場を使うことができます。

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しばらく町の中でショッピングを楽しみました。
(続く)

アイルランド見聞録49(森の中のストーンサークル)

ガー湖の後、キラーニーまで南下して、そこで「リシヴィギーン・ストーンサークル(Lissyviggeen Stone Circle)」を探します。
キラーニーには五年前に二泊しましたが、今回は前回見なかったストーンサークルを見るだけにして先に進むことにしました。
ところが、地図と格闘しながら当該ストーンサークルを探したのですが、一向に見つかりません。
近くまで来ていることは間違いありません。
そこでちょっと離れたところにある骨董屋さんに立ち寄って、そこで詳しく場所を聞くことにしました。

骨董屋さんにお邪魔します。
しかし室内のどこを探しても、店番をやっているはずの御主人がいません。
仕方なく、隣の建物の前の駐車場に車を止めていた人に、ストーンサークルについて聞きます。
すると、その人はさすがに地元の人らしく、事細かく行き方を教えてくれました。どうやら遠くに見える丘の中腹の森の中にあるようです。その森の前にはゲートのように立石が二本立っている、と。ただし、私有地の牧場の中を塀を乗り越えて入らなければならない、と言います。
だけど、駐車場がそばにはない、というんですね。
そこで車をそばに止めて、歩いて現場に行くことにしました。

やがて教えてくれた通りに牧場が見えてきます。
で、牧場に沿って歩いて行けば、ストーンサークルのある森が見つかって、そこから塀を乗り越えて現場に行けばいいと考えたわけです。
ところが歩けども歩けども、ストーンサークルがあるらしき森は一向に見えてきません。
どうやら行き過ぎてしまったようです。
そこで教えてくれた人の言葉をもう一度思い返します。
そして、確かストーンサークルに行くには、最初に塀を乗り越えなければいけないようなニュアンスだったことを思い出します。
でもそれだと、本当に人の家の敷地の中を通ることになってしまうんですね。
あまりにも露骨な住居侵入なので、ちょっと躊躇しましたが、言われたことを信じて、正面の門を通過、どんどん私有地の中に入って行きます。
すると、奥の方に塀が少し低くなって、人が通ったような跡があることに気が付きます。
近づくと、石が積んであって、塀を乗り越えられるようになっていることがわかります。
意を決して、その塀を乗り越えて牧草地の中に入ると、目印の森と立石がありました。

これが二つの立石と森です。

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近づいて、ゲートとみられる二つの立石を撮影。

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この森の中にストーンサークルがあるはずです。
中に入っていくと・・・

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ありました、ありました、かわいいストーンサークルが。
直径6メートルほどです。
緑の苔に覆われ、シダ類に囲まれていますね。

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まるで妖精が出てきそうな、小さな森のストーンサークルでした。

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ここにたどり着くのも大変でしたが、実はここから出るのも大変でした。
来た道をそのまま戻りたかったのですが、牛たちが道に立ちふさがる事態になってしまったんですね。
中には威嚇する牛もいます。
仕方なしに、グル~っと遠回りして牧場の別の門から出ることにしました。
それで所要時間が一時間以上かかってしまいました。ほんとだったら40分ほどで戻れる予定だったんですけどね。

帰ると心配している人もいました。
先ほど道を教えてくれた人です。
その人は何と骨董屋の御主人だったんですね。
隣の敷地と思ったのは、どうやら別宅、あるいは事務所だったようです。
御主人の詳しい説明が無ければ、探し出すことはまずできませんでした。
お礼を述べて、次の目的地に向かいました。
(続く)

アイルランド見聞録48(楔形回廊付き墳墓)

「グレート・ストーンサークル」の後は、車でガー湖のほとりまで行きました。

これがガー湖です。

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家族連れのピクニックにちょうどいい自然公園という感じのところです。

遺跡群はたくさんありますが、全部を見ているわけにいかないので、グレート・ストーンサークルの出入り口が指し示しているとみられる巨石遺構を見て、先に進むことにしました。

これがその巨石遺構。

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楔形回廊付き墳墓(Wedge Tomb)と呼ばれる種類の巨石のお墓です。
通常西から東に向かって段々、幅が狭く、そして高さも低くなる「V字形」をしているので、こう呼ばれるそうです。

南側から側面を撮影します。

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近づいて、東側から。

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最後は北側からの撮影。

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手前に写っている石は、お墓の北側を表わす石であることを示していることがわかりますね。
(続く)

アイルランド見聞録47(グレート・ストーンサークルと柱石)

ガー湖のストーンサークル「グレート・ストーンサークル」の写真撮影を終わった後、帰ろうとして再び牧場の柵の扉を開けて出ようとしたら、牧場の持ち主とみられるおじさんがこちらを見ています。
私が簡単に挨拶をして、感謝を述べると、そのおじさんは手招きして柵の側に建っている小屋に来るように言います。
どうしたんだろうと思って付いて行くと、私に「どこから来たんだ」と聞きます。
「日本からだ」と答えると、「グレート・ストーンサークル」と牛が写った写真を私に手渡して、これをあげるから、日本に戻ったら日本の絵葉書を送ってほしい、と小屋の内側の壁の絵葉書を指さしながら言うんですね。
壁を見ると、そこには世界中の絵葉書が飾ってありました。
遠くから来た人が訪れるたびに、このおじさんは絵葉書を送ってくれるように頼んでいるんですね。
住所を聞くと、住所と名前の書いたスタンプを絵葉書に押してくれました。ティモシー・ケイシーさんというお名前です。

小屋の中にはガー湖のことを書いた冊子も置いてありました。見ると、なかなかよくできた冊子だったのですぐに購入します。

「グレート・ストーンサークル」の上から見たイラストも載っています。
こちらです。

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前日に紹介したように、東に出入り口があり、アヴェニューの構造があることがわかりますね。
ほぼ東西線を作っています。

ガー湖の遺跡群全体の地図も掲載されています。

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上の地図の左端中央やや下にあるサークルが「グレート・ストーンサークル」です。
で、この地図を見て驚いたのですが、「グレート・ストーンサークル」以外にもストーンサークルが10基以上あることが記されています。
キャロウモアに匹敵する大巨石遺構群です。

早速、近くにあると記されているストーンサークルと立石についてケイシーさんに場所を聞きます。
すると、「ここから見えるから」と言って、立石とストーンサークルがある方向を示して、行き方も教えてくれます。

柵を二つ乗り越えなくてはいけませんでしたが、隣の牧草地に入って、まずはストーンサークルを見つけます。
北に約100メートルほど離れたところにありました。
上の地図で言うと、「グレート・ストーンサークル」のすぐ上に書かれた、小さな点のような丸がそうです。

写真はこちら。

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地図上では小さな点でも、結構立派なストーンサークルです。

この場所から250メートルほど離れた「柱石(ピラー・ストーン)」と名付けられた立石を見つけます。
地図で言うと、斜め右上に「Pillar Stone」と書かれた三角形の点がそうです。
近くまで行って、写真を撮ります。

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非常にがっしりした大きな立石です。
高さは3・5メートルほどあります。
おそらくこの立石と「グレート・ストーンサークル」を結んだ直線が、「夏至の日の出ライン」だと思われます。
地図を見ると、この同じ「夏至の日の出ライン」上に、立石「Pillar Stone」から600メートル北東に離れた場所にもストーンサークルがあります(地図上ではCircleと書かれた小さな点です)。つまり三つのストーンサークルが一直線上に並んでいるんですね。しかも計算すると、きっちり3対5(約330メートル対約550メートル)の比率(整数比)で配置されています。整数比に意味があることは、拙著『竹内文書と平安京の謎』でご紹介した通りです。意図的に夏至の日の出ライン上に建造されたことはまず間違いありませんね。

この場所から、先の小さなストーンサークルが見えます。
拡大するとこんな感じで見えます。

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手前が小さなストーンサークル。
写真奥の林の向うに「グレート・ストーンサークル」があります。
(続く)

アイルランド見聞録46(ケルトの本屋とガー湖のストーンサークル)

ジョン王の城を訪問した後は、ぐるっと時計の反対回りにリムリックの町を回り、二度シャノン川を渡り、再び市の中心部に戻って来ます。
道すがら、道路に下水道か電線のマークでしょうか、変わった紋様を見つけたので撮影します。

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ちょっとケルト風の紋様ですね。

そしてジョン王の城に行く途中で見つけた「ケルトの書店」に立ち寄りました。ケルト人やアイルランド関連の専門書店です。
アイルランドの巨石遺構の本があったので購入。
購入する際、店主さんと近くの巨石遺構でお勧めがないかどうか聞いてみます。
すると、リムリックから南に20キロほど離れたガー湖に多くの巨石遺構があるので是非行くべきだとアドバイスをもらいます。

翌6月9日。ガー湖に向かいます。
最初に見つけたのは、道路わきにあるストーンサークル。

私有地の牧場の中にあるようです。

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牛たちを囲ったフェンスの中にあるのですが、入り口に遺跡保存のための寄付を募った箱も置いてありました。
地主の方が置いたんですね。確かに見ず知らずの人たちに毎日のように出入りされるのですから、牧場主さんも大変です。
ちゃんと寄付(確か一人2ポンド)をして、中に入ります。

そこには大きなストーンサークルがありました。

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大きすぎて私のカメラの広角レンズでも収まりきりません。
直径は約45メートルあります。

そのとき、牧草の上を飛ぶ、明るい水色のトンボを見つけます。

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綺麗な色のトンボですね。

ストーンサークルの出入り口も見つけました。

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ちゃんと出入り口用の参道も造ってありますね。
ストーンヘンジなどにも見られる「アヴェニュー」と呼ばれる構造と同じです。
で、このアヴェニューの直線は、ほぼ東西ラインなのですが、やや時計回りに(南に)角度がずれています。
地図を見ると、約1キロ離れたガー湖の対岸にある巨石遺構を指しているように思われました。
(続く)

アイルランド見聞録45(ジョン王の城と条約の石)

「ジョン王の城」のジョン王とは、プランタジネット朝(アンジュー朝)第3代イングランド王(在位:1199年 - 1216年)のことで、在位中に領地を大幅に失ったため「失地王」とも呼ばれている王様です。加えて性格が悪く、無能・暴虐・陰謀好き・裏切り者・恥知らずと評され、イングランド史上最悪の君主とされているんですね。まあ、散々な評判です。

そのジョン王の命令により1210年にアイルランドのリムリックに建造されたのが、この「ジョン王の城」です。

5つの塔があり、登れるようになっています。

その塔からの風景。

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城の中庭です。右に流れているのがシャノン川。
左奥に見える建物は、聖メアリー大聖堂です。

シャノン川には白鳥など多くの水鳥が羽根を休めています。

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こちらは、お城の北側の風景。

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ほぼ真北に丘陵地帯があることがわかりますね。

お城の西側の対岸には、「条約の石」があるのが見えます。

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この石にはアイルランドの苦難の歴史が象徴されています。
1690年、イギリスの王位争いに端を発した戦争は、アイルランドにおけるカトリックとプロテスタントの全面対決にまで発展しました。
このときアイルランド軍は友軍のフランスが敗走した後も、イングランド軍相手に善戦。
これによりイングランド王ウィリアム三世も折れて、カトリックの信仰の自由と地位の保証を認める「リムリック条約」を結ばざるを得なくなります。それが1691年のことです。
それを記念したのが、この「条約の石」です。

ところが、イギリス議会がこの条約を認めず、条約を信じて丸腰となったアイルランドは攻め込まれて征服されてしまうんですね。
その後、カトリックに対する差別と弾圧が厳しくなり、大きな禍根を残しました。
つまりこの「条約の石」はイングランド人の裏切りのシンボルでもある訳ですね。
アイルランド人が時々、半分冗談、半分は本気で、イギリス人のことを悪く言うのは、こういう裏切りの歴史を覚えているからです。

でも今は昔の話。
裏切りと戦いの歴史も和解と平和のときです。
そう思っていると、橋の向うの「条約の石」がある辺りに、雲間から光が差し込んできました。

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その対岸に渡って、ジョン王の城を撮影します。

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光が当たって、ジョン王の城も美しく見えますね。
(続く)

アイルランド見聞録44(リムリックへ)

イニシュモア島からロッサヴィールにフェリーで戻る途中、ものすごい数の海鳥が小さな船の回りを飛び交っているのを目撃します。

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ちょうど漁を終えて引き上げるところでしょうか。おこぼれに預かろうと、海鳥たちも必死ですね。

ロッサヴィールでは、駐車してあった車に乗り込んで、再びレンタカーでの旅を再開します。
この日もひたすら南下して、アイルランドの第三の都市であるリムリックに向かいます。

旅行客なら大抵、アラン島の後はゴールウェーか、バレン高原のドルメン「巨人のテーブル」を見に行くのですが、それは前回入念に見てしまったので、今回はパスします。

寄り道をしなければ、ロッサヴィールからリムリックまでは二時間ほどです。
リムリックに到着。
ホテルにチェックインして、部屋から市内を見渡します。

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スタジアムが見えますね。どうやらラグビー競技場のようです。

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さらに目を転じて行くと、川(シャノン川)の対岸にお城が見えます。
時間があったので、そのお城を見にゆくことにしました。

途中、「ケルトの本屋」という本屋さんを見つけます。
すぐには立ち寄らないで、お城を見た後、寄ることにします。
歩いて15分ほどでお城に到着。

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「ジョン王の城」と書かれていました。
(続く)

アイルランド見聞録43(キルロナン村)

ドン・オウレから宿泊施設のある港までは3キロ(直線距離で2キロ)ほどの下りです。
ゆっくり歩いても45分くらいで到着する計算ですね。

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真っ青に晴れた空の下、のんびりとイニシュモア島の風景を楽しみながら、テクテクと歩いて行きます。

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ブチの馬が家の前の草をはんでいるなどのどかな風景が続きます。

そして港のあるキルロナン村に到着。
再び買い物タイム。
いくつかお土産用や自分用にアランセーターなど羊毛製品を購入します。

夕食は宿泊しているゲストハウスで取りました。

こちらがそのゲストハウス(B&B)の写真です。

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本当は5年前にも泊まったキルマーヴィーにあるゲストハウスに泊まろうと思ったのですが、空室が無く予約できませんでした。
でもこのゲストハウスもなかなか良かったです。

翌6月8日は曇りでした。
部屋からの風景。

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キルロナン村のお店で再び買い物をします。

そして12時発のフェリー乗って、再びアイルランド本島へ。
フェリー発着場では前日にドン・エンガスで出会ったフランス人の年配の夫婦と再会し、フランス語で会話します。
フランス語の語彙力が衰えていることを実感。
言葉がなかなか出てきません。
大学の卒業論文をフランス語で書くくらいの実力はあったのですが、それ以来ほとんど使っていないのでずいぶん錆びついてしまいました。
彼らはゴルウェーの寄ってから二日後ぐらいには「ドゥブラン(ダブリンのこと)」に行くとのことでした。

出航したフェリーから撮影したキルロナン村。

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アラン諸島にはイニシュモア島だけでなく、ほかにも島があります。宿屋の女主人が別の島を勧めたこともあり、次に来るときは他の島にも足を延ばすかもしれません。
(続く)

アイルランド見聞録42(ブラック・フォート)

ドン・オウレからは手前に高台があるためドン・アンガスは見えないのですが、もう一つの先史時代の石の砦「黒い砦(ブラック・フォート)」(ドン・ドゥアエル)が見えます。

こちらがその写真。

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中央の黒い部分です。わかりやすいように拡大して見ましょう。

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見た目もまさに「黒い砦」ですね。
やはり崖の尖端に造られています。
五年前は港から歩いて往復しました。
港からの距離は2キロ強でしたから、往復で一時間以上かかりました。

そのときの写真を紹介しましょう。

Ireland 1427-11

こんな断崖絶壁の上の端の方に建造されているんですね。

近づくと、このような石の壁の構造になっていました。

Ireland 1432-11

雲とのシンクロ。

Ireland 1440-11

この黒い砦とドン・オウレは直線距離で2・5キロ離れています。
でも十分に狼煙などによる相互通信ができたことは疑う余地もありませんね。
(続く)

アイルランド見聞録41(ドン・オウレ)

島の最高地に建造された先史時代の遺跡ドン・オウレ。

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結構しっかり造られています。

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このころにはもう快晴となり、温度もドンドン上がって来ました。
入り口を見つけて、石壁の内側に入ると・・・

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ドン・エンガスのように、円形の石舞台のような構造物がありました。
大きさはドン・エンガスのよりもずっと小さいですが、ちゃんと階段も付いています。

その円形の石舞台に上がって見てみると・・・

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内側から外壁の上に登れるように、二重構造の階段が付いていることに気が付きます。

早速、石壁の上に登って、遠くの景色を撮影します。

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水平線の方には雲が出ているので、陸地は一部しか見えませんでしたが、遠くには既に紹介したコネマラ国立公園の山々や、巨人のテーブルがあるバレン高原も見ることができるそうです。

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上の写真は壁の上から撮影した石舞台と外壁の出入り口です。
(続く)

アイルランド見聞録40(アシカの群れと最高所)

ドン・エンガスの石の門を再び通り抜けて丘を下り、キルマーヴィー村に戻ります。

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キルマーヴィー村ではツアー用のミニバスが待っています。
車を持ち込めないので、交通手段は事実上、ミニツアーバスか、自転車か、歩きかしかありません。
港からドン・エンガスまでは8キロ以上ありますから、歩くと二時間以上、自転車でもアップダウンがきついですから一時間近くかかってしまう計算です。
やはりミニバスが一番便利だと思います。
ただし観光用ミニバスを使うと、お決まりのコースしか行ってくれません。
ドン・エンガス、初期キリスト教遺跡のセブン チャーチズ、それにアシカのコロニー(群棲地)です。
それはそれで面白いのですが、毎回同じコースでは少し飽きが来ますね。
それでもアシカのコロニーだけは、何度行ってもいいです。
では、アシカのコロニーの写真をご覧ください。

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上の写真のどこにアシカがいるかというと、岩みたいでほとんどわからないですが、実は四頭写っています。
そのうち一番わかりやすい一頭を拡大しましょう。

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気持ちよさそうに、お腹を上に向けて海の中で寝そべっていますね。
別に写真では、陸に上がって腹ばいになっているアシカも写っておりました。

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ツアー用ミニバスはこの後、港に戻ってしまうのですが、島の最高所(標高123メートル)にある石の砦「ドン・オウレ(Dun Eochla)」を見に行きたかったので、最高所のすぐそばで降ろしてもらいました。
おそらく港から歩いたのでは、登りなので一時間はかかったかもしれませんが、降ろしてもらったところから「ドン・オウレ」までは5分ほどの登りで着くことができました。

途中、二人のサイクリストと遭遇。彼らはちょうど「ドン・オウレ」に立ち寄ったとのことで、いろいろ教えてもらいます。
どうやら石の砦の中にも入れるとのことでした。

今は使われていない灯台の横を通り抜けると、「ドン・オウレ」が見えてきました。

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しっかりと保存された古代遺跡です。
このころには雲っていた空も、くっきりと晴れ上がっておりました。
(続く)

アイルランド見聞録39(ドン・エンガス)

2000年前(最近の説では最初に建設が始まったのは紀元前1100年だと考えられているようです)に造られたとみられる半円形の古代遺跡ドン・エンガスは、島の中央からやや西寄りにあるキルマーヴィー村から歩いて20分ほどの崖の上にあります。

行きは登り道。
次第に遠くまで見渡せるようになります。

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この日はちょっと雲が多かったですが、その後快晴になります。
丘を登っていく途中、フランス人観光客とフランス語でお話し。
久しぶりにフランス語を話しました。
その人はロワール地方から来ている年配の御夫婦で、翌日は同じフェリーの待合室で再会しました。

ドン・エンガスが見えてきました。

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半円形の石の砦です。
なぜ半円形かというと、崖に接しているので、円にする必要がなかったからだと思われます。

その半円形の石壁の内側には、崖に接して「石舞台」のような構造物があります。

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この舞台の上で、何か儀式をやったのでしょうか。

崖と石の壁との関係はこうなっています。

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なるべく崖の縁まで近づいて撮影。

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高さ100メートルの崖からの風景です。
(続く)


アイルランド見聞録38(シニシュモア島)

翌6月7日朝。早目にロッサヴィール港に到着。
島への車の持ち込みは不可ですから、車は港の駐車場に止めます。
一時間ほど待って、午前10時半にロッサヴィール港からフェリーでアラン諸島のイニシュモア島へと向かいました。
所用時間90分ほどで、イニシュモア島に到着します。

船から撮影したイニシュモア島。

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丘の上に砦のようなものがあることがわかりますね。
拡大してみましょう。

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実はこれは、イニシュモア島の一番高い場所にある古代の石の砦「Dun Eochla(発音不明:「ドン・オウレ」と書かれた旅行案内書もあります)です。かなり遠くからでも見える、1500~2000年前に建造されたとみられる古代遺跡です。つまりここでも高み結びの法則を使った「石の文明」の形跡が残っているわけですね。

この日の宿泊先は港のすぐそばにあるゲストハウスですが、チェックイン時間には早かったので、港付近を散策します。

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次のフェリーが到着すると、大勢のフランス人観光客が降りてきました。
フランスからの団体旅行客です。

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上の写真に写っているアイボリー色の建物が、宿泊先のゲストハウスです。
港にはショップもありますから、アランセーターの買い物や昼食を取るなどして、午後1時半ごろチェックインします。
そして荷物を置いてから、島の観光旅行に出かけます。

最初に向かったのは、5年前にも訪れたドン・エンガス。

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2000年ほど前に造られたとみられる、半円形の石の砦です。
写真中央奥に見える砦がそうです。実は崖の際に造られています。

フランス人旅行客たちと一緒にその砦へと向かいました。
(続く)

アイルランド見聞録37(スピダルのB&B)

コネマラ国立公園を後にして次に向かったのは、ゴルウェーから車で30分ほど西に走らせたところにあるスピダルです。

この町の郊外にあるB&Bに宿泊します。

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ここに決めたのは、珍しい藁ぶき屋根の家だったからです。
一部ちょっと古くてカビ臭かったですが、まずまずの住環境でした。

宿泊施設の庭。

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近くを散歩していた時に見つけた馬。

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翌日(6月7日)は、やはりここから車で30分ほど西に走らせた港ロッサヴィールからアランセーターで有名なアラン島へ向かいます。
(続く)

アイルランド見聞録36(コネマラ国立公園と「妖精の指」)

コネマラ国立公園の風景です。

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山と湖と川が綺麗なところです。

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この公園の中にも巨石遺構があるので、立ち寄りました。
これがその写真。

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タリー山の麓にある「デリンバーの列石(あるいは「妖精の指」)」と名付けられた6つの立石です。
ほぼ東西に並んでいますが、冬至のライン(おそらく日没ライン)と関係があるのではないかと見られています。

同じくコネマラ公園内にあるカイルモア修道院。

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元々は19世紀にイギリスの下院議員でマンチェスターの富豪だったミッシェル・ヘンリーが妻のために立てたお城でしたが、妻と娘に先立たれた富豪が売却。その後、修道院となったそうです。

今回は時間が無かったので寄れませんでしたが、湖畔にたたずむ姿があまりにも美しかったので、橋の側に車を止めて撮影しました。
(続く)

アイルランド見聞録35(コングのストーンサークル)

翌6月6日。
この日は一気に西海岸を南下して、ゴルウェーのそばにあるスピダルまで移動します。

途中、最初に訪問したのは、コングという町の郊外にある「グリーブ・ストーンサークル」です。
この林の中にあります。

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近づいて撮影。

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木立の中にひっそりと佇んでいるという感じのストーンサークルです。
この撮影の時、左腕に電気が走ったような刺激を感じます。

そんなことはあまり気にせずに、日の当たっている部分のサークルを撮影するため、木立を回り込みます。

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綺麗な弧を描いていますね。

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この取材の後、漆か何かに触ったせいか左腕の一部が赤くかぶれていることに気が付きました。
そこでコングの町に入り、薬局を探しましたが、この日は休み。
地元の人に聞いたら、毒のある危険な植物はこの辺りにはないから大丈夫と言われ、ほっておくことにしました。
実際にかぶれは間もなく引きました。

せっかく町に立ち寄ったので古本屋を見つけ、資料を物色します。すると店主さんが地元の古代遺跡について詳しく、グリーブ・ストーンサークルのそばの塀の向こう側にもう一つのストーンサークルがあることなどを話してくれましたが、それは次の機会に見ることにして、先に進みました。
次に向かったのは、コネマラ国立公園です。
(続く)

アイルランド見聞録34(ドネゴール)

前回は雨であまりよく撮れなかったキャロウモアの遺跡群の写真も、今回は天気の神様の計らいもあり、うまく撮影できました。
夕飯までにはまだ時間があったので、スライゴーに来る途中立ち寄らずに通り過ぎたドネゴールとドネゴール城を見にゆくことにしました。

その前にベンブルベンをもう一度近くで撮影。

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『未知との遭遇』に出てくる岩山に負けないだけの存在感があります。

スライゴーから一時間弱でドネゴールに到着。
最初に訪れたのはドネゴール城です。

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16世紀にこの地で権勢をふるったオドネル家の居城でした。
しかし、1595年にイギリス軍の侵攻を受け、オドネル家の当主はわざと城を焼き払いました。
結局ドネゴールはイギリスの手に落ち、城もイギリスによって再建されたそうです。

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今ではオドネル家ゆかりの品々も展示された博物館となっております。

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この後、ドネゴールの町中を散策します。
町の中心である「ザ・ダイアモンド」と呼ばれる広場。

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中央左に写っているオベリスクは、イギリスの支配によってケルトの文化や歴史が失われないようにケルト神話を含むアイルランドの年代記を記録した17世紀の年代記作家を記念したものだそうです。オベリスク自体は1937年に建造されました。
(続く)

アイルランド見聞録33(キャロウモア巨石群の配置)

ここでキャロウモアの巨石群の配置図を見てみましょう。

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地図中央の51番が昨日も紹介した羨道墳です。

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中央左の台形状の石墳が51番。この51番の羨道墳がキャロウモアの中心施設であったと見られています。
その左手前に写っているのが4番のドルメンです。

この4番と51番を結ぶと、南北線となります。多分のその先にある山と直線で結んだのであろうことは、既に述べました。
上の写真で言うと、奥の方に見える山ですね。平安京で言えば、甘南備山に相当します。

で、再び地図を見てください。
北にある1、2、3、4、7番のストーンサークルやドルメンは、ほぼ一直線上に並んでいますね。
これはおそらく夏至の日の出ラインと一致するはずです。
ちなみに7番は昨日ご紹介した、ストーンサークルとドルメンの複合遺跡です。
こちらですね。

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上の写真はドルメンの東からノックナレア山を撮影したものですが、ノックナレアのマイーヴの墓とこの7番のドルメンを結んだ直線を東に延ばして行くと、ギル湖南にそびえる、目立つ山であるキラリー山(標高293メートル)に至ります。
また、この7番のドルメンと51番の羨道墳を結んだ直線を北の方角に延ばして行くと、ベンブルベンがあります。

だいたいここまでが一般の観光客が訪れるキャロウモアの遺跡群です。
このほかに13番のドルメンくらいは見て行く人もいるかもしれません。
だけど、この遺跡群で本当に面白いのは、南東にある19、20、22、26、27番のストーンサークルと立石群です。
それを今日ご紹介しましょう。

まずは19番のストーンサークル。

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全体は写してありませんが、手前に並んでいる二つの立石がストーンサークルを形成する立石です。
左手にあるのが51番の羨道墳で、奥の山がノックナレアとマイーヴの墓であることはすぐにわかりますね。

次は22番の巨石遺構とノックナレア。

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中央やや上のところに、遠くでやや見えずらいですが51番の羨道墳が見えます。
つまりマイーヴの墓、51番の羨道墳、22番の列石が一直線上に並んでいるんですね。
しかもその直線上に地図の西側にある52番と52番aのドルメンと支石墓があるわけです。

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上の写真は先日紹介したものですが、中央に52aの支石墓、その手前に52のドルメンが見えます。
ちょうど51番の羨道墳脇から撮影したものです。
すべてが一直線上に配置されていることがよくわかります。

続いて、27番のストーンサークルとマイーヴの墓。

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ちょうどストーンサークルの中央軸の先にマイーヴの墓があります。

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ということは、27番のストーンサークルの中心とマイーヴの墓を結んだ直線を延ばして行けば何かありそうですね。
実際にその直線を東南東方向にずっと延ばして行くと、ほぼタラの丘に至ります。
また、マイーヴの墓と26番のストーンサークルを結んだ直線は、ボイン渓谷の羨道墳群を通るのではないかと思われます。
つまりマイーヴの墓とキャロウモアの巨石群の位置関係は、アイルランドを横断するレイライン(ニューグレンジなどのボイン渓谷遺跡群とロウクルー、キャロウモアの古代遺跡を結ぶライン)と密接に関係していることがわかるわけです。
(続く)

アイルランド見聞録32(キャロウモア巨石群)

キャロウモアは、古代巨石遺構の「見本市」のようなところで、非常に規模が大きく、いろいろな様式の巨石構造物が集まっています。
羨道墳、ケルン、ドルメン、立石、ストーンサークルがごろごろあるんですね。
元々(5000~6000年前)は100を超える巨石遺構があったとみられています。
19世紀には60を超える巨石遺構が残っていましたが、現存するのは約30です。

その中でも保存状態がいいのが、牧場の中にある、ストーンサークルとドルメンの複合遺跡です。

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ストーンサークルの真ん中にドルメンが建造されています。
遠くに見えるのは、ノックナレアとマイーヴの墓ですね。

で、こちらはそのナックナレアと牧場の馬のツーショット。

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次は牧場の馬とベンブルベン。

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左の馬の鼻先奥にあるのがベンブルベンです。

さらには羨道墳(奥)とドルメンのツーショット。

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奥に見える山も測量に使われたのだと思われます。

別のストーンサークル。
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林の間にはノックナレアとマイーヴの墓が見えています。
(続く)

アイルランド見聞録31(キャロウモアとノックレアとベンブルベン)

キャロウモアの遺跡群は、マイーヴの墓があるノックナレアの山頂から約4キロ西南西に離れた麓にあります。
で、そのほとんどどの遺跡からもノックナレアとベンブルベンが見える配置になっています。

しかも次の写真のように一直線上に巨石が配置されたり・・・

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マイーヴの墓がよく見える場所にストーンサークルを置いたりしているわけです。

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今は木で見えませんが、下の写真のストーンサークルからもマイーヴの墓がみえたはずです。

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上の写真のストーンサークルの近くにあるドルメン。

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木立が途切れた向うに、ノックナレアとマイーヴの墓が見えますね。

で、同じドルメンを方角を変えて撮影すると・・・

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今度はベンブルベンが遠くに見えるわけです。
(続く)

アイルランド見聞録30(キャロウモアと女王マイーヴの墓)

ノックナレアから下山して、次に向かったのは、前日も訪れたキャロウモアの巨石群です。
前日よりさらに天気が良くなっていますから、絶好の撮影日和です。

キャロウモアの遺跡群からノックナレアはこのように見えました。

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頂上の女王マイーヴの墓もはっきりと見えますね。
ところで、説明し忘れましたが、女王マイーヴとは、ケルト神話に出てくる戦いの女王のことです。
神話の人物ですから、いつの時代の女王かはもちろん、実際にいた女王なのかもわかっていません。
ただマイーヴの墓が造られたのは、一般に考えられているよりも、かなり古いのではないかと思います。
というのも、既に書きましたが、マイーヴの墓はキャロウモアの遺跡群が造られた紀元前3000年には既にあったのではないかと考えられるからです。

その証拠写真がこちら。

IMGP0416-11.jpg

手前のキャロウモアのドルメンと、その奥にある巨石組石を結んだ直線の先にノックナレアのマイーヴの墓があるからです。
上の写真にはマイーヴの墓が写っていませんが、中央やや左のこんもり茂った木立があるから見えないだけで、木立の間からはちゃんとマイーヴの墓が見えているんですね。少なくとも、木立が無かったとみられる5000年前には、マイーヴの墓ははっきりと見えたはずですから、その直線上に巨石群を配置した可能性は極めた高いです。

もうちょっと離れたケアン(石塚)から撮影した写真。

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ほぼ一直線に巨石遺構が配置されていることがわかります。

次もキャロウモアのストーンサークルの立石から見たマイーヴの墓。

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このように、ほとんどの遺跡からマイーヴの墓を見ることができます。

それだけでなく、ベンブルベンも見ることができます。

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ストーンサークルの向うに見える山がベンブルベンです。
このように高みが見通せる場所に、古代人は祭りの場、すなわち聖地を造って行きました。
高みと高みを結ぶ場が聖地となるわけです。
(続く)

アイルランド見聞録29(女王マイーヴの墓)

駐車場から歩くこと約40分。
ようやく、山頂が見えてきました。

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そして、これが「女王マイーヴの墓」と呼ばれる山頂のマウンドです。

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そのマウンドの上は360度見渡せる絶景ポイントです。
まずは北側。

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右の奥に見えるのが、既に紹介したベンブルベン。
その手前に広がっている海は、スライゴー湾(左)とスライゴー港(右)です。

そして東側を見ると・・・

IMGP0368-1.jpg

イエイツが詩で取り上げたイニシュフリー島が浮かぶギル湖が見えます。
これも五年前に紹介しましたね。

マイーヴの墓の周りには、いくつかの配石遺構もありました。

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方位に関係する儀礼や儀式をしたのだと思われます。
(続く)

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