古神道は「水」と同じ

実は古神道には事実上、教義というものがありません。
心を整えて、祈って、感じて、わかるという感覚があるだけなんですね。
言葉ではほとんど説明できないものが古神道。

古神道をたとえて言えば、水、もしくは水分みたいなもの。
そこから派生した宗教は、キリスト教なら紅茶、イスラム教ならコーヒー、仏教なら緑茶みたいなものです。
紅茶党なら紅茶に凄いこだわりがありますよね。その「こだわり」が今の宗教です。「紅茶(コーヒー)のほうが絶対的においしいのに、コーヒー(紅茶)を飲む奴は味覚がおかしいのだ。決して認めることができない」などと断ずるのが、原理主義者です。コーヒー党(紅茶党)から紅茶党(コーヒー党)に寝返っただけで、裏切り者・悪魔扱いされたりもします。

ところが古神道は、ある意味いい加減です。というのも、紅茶も、コーヒーも、緑茶も、嗜好であって、一種の趣味みたいなものだとわかっているからです。「だって、どれも色と味の付いた水でしょ。みんな同じ」と見なすわけです。

ある神道の神官の家系の方が、どうしてもキリスト教徒にならなければならなくなったので、長老家にお伺いを立てに行ったのだそうです。その方はその長老がものすごく怒って、キリスト教の洗礼を受けることをきっと許してくれないだろうと、びくびくしていました。ところが、その長老は「あっ、そう。別にいいよ。同じだから」と言って、いとも簡単に認めてくれたそうです。

神道や古神道にとって、キリスト教もイスラム教も仏教も同じなんです。キリスト教も神道、イスラム教も神道、仏教も神道。神道・古神道には、それだけの奥行きと懐の深さがあるんですね。

では古神道と神道の違いはなんでしょうか。
厳密には、仏教、儒教、道教などの外来宗教の強い影響を受ける前の神道が古神道と呼ばれますが、そういう面倒くさい定義をする必要もありません。
神道には神社(本殿)があります。古神道には杜(自然)がある。ただそれだけの違い。
やっていることはほとんど同じです。心を整えて、祈って、感じて、わかる。ただそれだけ。かんながらの道があるだけです。

だから神を感じ、わかることができるならば、それがどのような味や色の水であっても、「同じ」なんですね。「こだわり」が全くありません。
(続く)
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テニスと宗教

音楽の謎に迫る前に、宗教の話をしておきましょう。
私は常々公言しているように無宗教派です。でもそれは神を否定しているわけではないんですね。
神が存在することは分かったうえで無宗教なんです。この話をするとすぐに思い出すのが、クエートの友達のことです。

昔イギリスの大学に留学していたとき、クエートから来た留学生のワエルと仲良くなり、よく一緒にテニスをしました。
彼は自称クエートのナンバーワンプレーヤーで、確かに腕力は強かったですからパワフルなショットを打つこともありました。でも、どう贔屓目に評価しても、クエートにはもっと強いプレーヤーがいたはずです。というのもワエルは、私と何回試合をしても一セットで一ゲームぐらいしか取れません。大体は私が6-0で勝っちゃんうんですね。

そんな彼が一度、自宅に私を招待してくれました。かなりのお金持ちですから、学生なのにイギリスに家を買って、そこで奥さんと暮らしていたんですね。貧乏学生だった私は、もうびっくりです。

で、食事をし終わって談笑していたとき、ワエルが急に私の宗教は何かと聞くんですね。私は無宗教だと答えると、ワエルは驚愕して、「お前は神を信じなくて、どうやって生きているのか」と私を問いただします。私が「必要ないからだ」と答えると、ワエルはさらに飽きれて「人は神なしでは生きられない。頼むから、キリスト教でもイスラム教もでいいから、宗教に帰依してくれ」と言います。そこで私は仕方なく、「お前は神を信じるためにどこかの宗教に入れと言うが、神と本当につながる方法は宗教ではなく、自分自身だ。神は外にではなく、自分の中にある。神は信じるものではなく、感じるものなのだ」と持論を展開します。ワエルはその考えを聞いてびっくりしていました。おそらく、このような考えには出会ったことがなかったのではないでしょうか。

私のこの哲学をワエルが理解してくれたのかどうかはわかりません。その後もほぼ一年間ずっと仲良くテニスをしました。私はテニスのレギュラー選手に選ばれ、大学のためにずっと試合に出ておりました。一方彼は選ばれず、不満を漏らしていましたが、私から1ゲームしか取れないのでは選ばれるはずはありませんね。

留学後はワエルとは音信不通となりました。その後イラクのクエート侵攻から始まって湾岸戦争が勃発しましたが、彼がそのとき生き残ったのか、どうなったかは確認する術もありません。ただ言えることは、彼が留学中にテニスと宗教で強烈なインパクトを受けたのではないか、ということです。それが彼にとって良かったのか悪かったのかは、「神のみぞ知る」ですね。

さて、この私の宗教哲学に最も近いのが、実は古神道なんですね。
(続く)

嬉し恥ずかし顔写真

ご報告がずいぶん遅れましたが、9月2日の京都新聞に新著『竹内文書と平安京の謎』が紹介されました。
こちらがその記事です。

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プロフィール用の顔写真がなかったので、プロのカメラマンの方にやや斜めから撮ってもらった「芸術的な写真」二枚と、国際免許証用に運転試験場で撮った証明書用写真を新聞社に送ったところ、予想通り後者が採用されました。新聞ではやはり正面から撮った顔写真でないと使わないんですよね。私も記者の時は当然、後者を選んでおりました。

顔写真入りで本が紹介されるのは、2010年に『異次元ワールドとの遭遇』で週刊プレーボーイに掲載されて以来です。

月刊「「ムー」の10月号でも新著を大きく取り上げていただきました。
関係者の方々に改めて御礼申し上げます。

世界に散った16人の皇子と、そのシンボル「16菊花紋」について

5000年前には既に、倍音のような大地の「気」の共鳴現象を利用した大掛かりな装置があった可能性があることをお分かりいただけたでしょうか。ただし、それらを具体的にどのような人々が作ったのかは依然としてわかりません。候補はダーナ神族や日本の縄文人などですが、同時期にまったく地球の反対側で同じようなラインを作っていたわけですから、そこには同根の文明がかつてあったことが推測されるわけです。私はそれが『オアスペ』に書かれているような失われたパン大陸、あるいはレムリアとかムー、またはアトランティスと呼ばれている大陸の文明であったのではないかと考えています。

先日ご紹介した皆神山の神官の家系の子孫であるという人に再び会って、その辺のところをもう一度聞いてみました。
するとやはり、『オアスペ』に書かれていたように、日本はかつてムー大陸の一部であり、ムー大陸が沈没する前に16人の皇子が太陽暦(太陽信仰)と古神道の教え(神事)を携えて世界に散ったのだという伝承があったのだということを教えてくれました。しかもそのことは天皇家にもちゃんと伝わっているはずだというんですね。

出ましたね、16皇子の世界各地への派遣。このことは「竹内文書」に記されています。そして秋山氏の前世リーディングによると、レムリア(パン大陸)には16の王家があったといいます。その王家と太陽信仰をシンボルとして表したのが16菊花紋ですね。

当然、天皇家には16菊花紋があります。シュメルにもありましたね。エジプトにもあります。
そう考えると、やはりそこには一つの動かしがたい歴史があったように思えてきます。
しかもその古代においては、現代の科学をもってしてもまだ追いつけないような高度な文明があった、と。

その失われた文明のカギを握るのが、音楽であり、「気」であったのではないか、と踏んでいます。
次回からはその音の謎に迫ってみましょう。
(続く)

音楽と大地の気の間にある同質の法則性

尖山から白馬鑓ヶ岳は見えますが、残念がながら天柱石は見ることができません。でも、白馬鑓ヶ岳と尖山と天柱石が一直線上にあることを知っていれば、尖山の頂上に立って、どの方角に天柱石があるかわかりますね。だからおそらく尖山から天柱石に相互光通信をする際は、その途中の直線上に中継地があったはずです。それが夫婦山だと思われます。

この山の重要性は、1984年当時、富山大学文学部の教授だった山口博氏が唱えていました。というのも、夫婦山は古名で厳瓶山と言って祀り場という意味の山で、尖山の古名も布倉山と言って神様の蔵の山という意味の山であったというんですね。しかも夫婦山は呉羽丘陵の最高峰・城山のほぼ真南にあります。そして、この三点を結ぶと正三角形になります。

よくできているでしょ。尖山、二上山、天柱石で一辺約38キロの正三角形が浮かび上がると同時に、尖山、城山、夫婦山でも約半分の面積の正三角形ができあがるわけです。しかも、城山および夫婦山はそれぞれ尖山と二上山を結んだ直線と、尖山と天柱石を結んだ直線の線上にあるんですから。かなり出来過ぎの感があります。

でも、これらはすべて計算ずくで作られた幾何学図形であった可能性が強いです。城山の標高が145メートルですから、二上山の二分の一、尖山の4分の一の標高となっています。また夫婦山は尖山の1・5倍。これらはすべて、まるで音楽の音階の配置のように思われます。
たとえば、ピタゴラス音律は3:2の比率の純正な完全五度の音程を積み重ねることに基づいていますが、まさに夫婦山と尖山の標高の比率が3対2です。

調べれば調べるほど法則性があることに気が付くんですね。
(続く)

大地のエネルギーラインにおける距離と高さの関係についての考察

実は新著『竹内文書と平安京の謎』では、聖地間の距離が倍数になっていることは詳しく書きましたが、それらの聖地の標高や高さの関係はあっさりとしか取り上げませんでした。でも考えてみると、ピタゴラスが金槌の重さが整数比だと響き合うことから倍音を発見したように、音楽では同じ絃の長さが整数倍でも倍音を得られます。つまり倍音の共鳴を得るには、重さと長さが重要な働きをしていることになります。同様に大地のエネルギーの倍音的共鳴現象も、距離だけでなく高さも深く関係しているのではないかと考えられるわけですね。

そこで「竹内文書」に出てくる「聖地」の標高も調べて比べてみました。
昨日紹介したように、尖山の標高は二上山の2倍の559メートルです。では白馬鑓(標高2903メートル)とはどのような関係にあるでしょうか。
新著でも述べましたが、白馬鑓は厳密に言うと、わずかだけ直線から外れます。本当の直線上にあるのは、白馬鑓から少し南の尾根にある「天狗の頭」と呼ばれる高みで標高は2812メートルです。白馬鑓も天狗の頭も非常に近いので、38キロも離れた尖山から肉眼で見ても、ほとんど区別ができないと思います。で、2812を559で割ると5・03。つまり尖山の五倍が天狗の頭であり、しかも天柱石と天狗の頭を結んだ直線の中点に尖山があります(新著62ページの図2-2参照)。これは偶然ではありえませんね。

同様に近畿地方の三上山ー二上山ラインと同一直線上にある天柱石と白山の関係を見てみましょう(新著175ページの図4-4参照)。
昨日紹介したように天柱石と宝達山はほぼ同じ標高約630メートルにあります。白山の標高は2702メートル。2702を630で割ると4・29ですから、ちょっと倍数とは言えません。だけど実は天柱石は国土地理院の等高線で調べて標高630メートルの地点に立っていますが、天頂部までの高さはもっとあります。630メートルの標高に高さ40メートルほどの天柱石が立っていれば、標高は約670メートルとなります。そこで2702を670で割ると、4・03となり、天柱石の標高の4倍が白山の標高であることがわかります。これも偶然と考えるには無理があります。

古代測量技術集団は紛れもなく、距離だけでなく高さ(標高)まで測りながら「聖地」を造営していたんですね。少なくとも、その可能性が極めて高いです。
その際、厳密な整数倍に距離や標高を設定することは必要ないようです。なぜなら音楽でも倍音のハーモニーは、周波数を厳密に整数倍にする必要がないからです。これは先述の知人の音楽家に聞いた話ですが、電子楽器の音のように完全に整数倍の成分だけの音は人工的な響きに感じられ、長時間聴くと疲れやすいというんですね。だから倍音のハーモニーはそれよりちょっとズレた周波数の音のほうが心地よく響き合うそうです。たとえば、440ヘルツの倍音の周波数は完璧な880ヘルツの周波数ではなく、879・9ヘルツぐらいのほうがいいのだと言います。完璧な倍の周波数のちょっと前のほうが、「波乗り」のように心地よいのだともいいます。

音楽の世界でそうならば、大地のエネルギーの周波数も同じと考えてもさしつかえないのではないでしょうか。
いずれにしても、彼らはそうした法則があることを知っていた可能性が強いわけです。

ということで、本日の写真は、尖山から見た白馬鑓(鑓ヶ岳)です。

まずは尖山山頂に設置された景色図。

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白馬鑓ヶ岳の名前がはっきりと記されています(左から六番目)。
尖山から見えることがわかりますね。

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地図と山の名前を照らし合わせると、ちょうど写真中央奥の雪を被った山が白馬鑓ヶ岳のようです。
(続く)

高さ及び距離が整数倍となる山を使って大地の気を調律したのではないかという仮説

ここまで来ると、一つの仮説が浮かび上がって来ます。金槌の重さの比率が整数倍だと音が調和を持って響き合うことからピタゴラスが音階を発見したように、古代人は山と山を結んだ基線の整数倍の距離間隔で拠点を配列すると、大地のエネルギーが調和を持って響き合うという法則を発見したのではないか、という仮説です。

この仮説が正しいとして、羽根ラインや聖マイケルラインなど様々なレイラインや、測量・通信ラインを見ると、まったく違った見方が生まれます。5000年前のブリテン諸島にいた古代人も、羽根ラインや三上山―二上山ラインを作った人たちも、大地の気の流れを調律するために、ラインを引き、その直線上に基線の整数倍となる距離間隔で拠点を築いて行ったことになるからです。実際、そう考えないと、聖マイケルラインの整数倍間隔の理由が理解できません。

三上山(近江富士)―三上山(京都)ー二上山(奈良)のラインも同じです。400~500メートルのほぼ同じ高さの三つの上山(神山)が一直線上に正確に等間隔で並んでいるからです。

ということは、距離だけでなく高さも関係しているかもしれませんね。たとえば、富山平野を囲む、天柱石、尖山、二上山の正三角形、および天柱石から測って、その正三角形の一辺の長さと同じ距離にある宝達山を含めて、その関係を見てみましょう。天柱石と尖山、それに宝達山の標高は、600メートル前後(宝達山637メートル、天柱石630メートル、尖山559メートル)とほぼ同じです。わざわざ同じ標高の三点が「聖地」として選ばれています。二上山の標高274メートルを二倍にすると尖山の標高とほぼイコールになることも偶然とは思えませんね。

すると、同じ高さの山、あるいは高さが整数倍となる山を使って、彼らは大地にエネルギーのハーモニーを作り出したのかもしれません。もしそんなことをしていたのだとしたら、現代の我々の科学では太刀打ちできないほど高度な科学技術を持っていたのではないかと思えてくるんですよね。

ということで、今日の写真は天柱石です。

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写真では小さく見えますが、50メートルはあろうかという、見上げるような立石です。
(続く)

ピタゴラスが発見した大聖堂に響く「天使の声」の正体

なぜ聖マイケルライン上の古代遺跡の重要拠点がすべて、グラストンベリー・トールとバロー・マンプを結んだ距離約17・3キロの整数倍の距離間隔で、並んでいるのかーーそのことは長いこと謎のままでした。

そんなある日。何の気もなしにブリュートナーのピアノを見に行きました。そこで調律師の方に非常に重要なヒントをもらいます。それが新著で紹介した、楽器の「倍音」によって生じる不思議な現象です。倍音とは、基本となる音の周波数の整数倍となる周波数を持つ音のことです。

これは、ギリシャの哲学者ピタゴラスが発見したとされる自然界の音の法則の一つで、ピタゴラスが鍛冶屋で金槌の音を聞いている時に、気持ちよく響き合う金槌と、そうでない金槌があることに気が付きました。そこで金槌の重さを量って比べたところ、気持ちよく響き合う同士の金槌の重さの比は簡単な整数比となることを発見したというんですね。ピタゴラスは、この整数比を基に、響き合う音(協和音)の関係を考察して、完全五度を繰り返すことによってピタゴラス音律を完成させたのだといわれています。

こうして、ある基本となる音の周波数の整数倍の音がすべて共鳴のような現象を起こすことがわかりました。ピアノの調律はまさにこの倍音の「共鳴」を利用して音を調整していくのだと、その調律師の方は教えてくれました。

ところが普通に聞いていても、まず倍音の「共鳴」に気が付くことはありません。そこで調律師の方は実験をしてくれます。基本音を一つピアノでならす時に、同時にその基本音の二倍音、三倍音の鍵盤を事前に押さえておくんですね。すると、あら不思議。二倍音、三倍音の音が基本音と響き合い、音が空間から出現するわけです。古来、大聖堂で演奏や合唱をしている時に、本来聞こえるはずのない音や声がしばしば聞こえてくる現象があり、「天使の声」などと呼ばれていました。でも、その「天使」の正体は、倍音の共鳴現象ではないかとみられています。

これはすごい発見です。目に見えない大地のエネルギーだって、周波数を持っていると考えられますよね。だったらなぜ整数倍の距離間隔で同一線上に音階ならぬ拠点を配置したか、その理由がわかったような気がしたからです。
(続く)

2015年版ジョージ・オーウェル「アニマル・ファーム」な世界

昔あるところに、嘘つきで稚拙で幼稚で傲慢で頭の狂った畜産家がおりました。
その畜産家は、隣の大地主と組んで、自分の飼っている羊を効率的に食肉工場へ送り込むシステムを考案します。

まず従順な羊たちに狼の話をします。「狼がお前たちを殺しにやってくる。だからお前たちの安全を守るために、このベルトコンベアーに乗りなさい」というわけです。まさか、そのベルトコンベアーが食肉工場に直行するとは思わない羊ちゃんたちの50%は、「狼に食べられたら大変」と急いでベルトコンベアーに乗り込みます。

だけど「何かおかしいな」とベルトコンベアーに乗るのを躊躇している羊もいるんですね。畜産家にとってはけしからん話です。
そこで畜産家は羊の目の前に人参をぶら下げます。でもまさか、羊は人参なんか食べませんよね。
でも、その人参に釣られて、ベルトコンベアーに乗ってしまう羊もいるんです。不思議ですね。

しかし困ったことに、まだベルトコンベアーに乗らない羊がいるんです。
そこで畜産家は強行手段に出ます。エサをベルトコンベアーの上で食べさせたんですね。
お腹がすいて困った羊はすぐにベルトコンベアーに乗り込みます。

それでもまだ、言うことを聞かない羊たちがいます。本当にけしからんですね。
羊たちは畜産家に聞きました。「ベルトコンベアーの先には何か良からぬものがあるんではないですか?」
畜産家は答えます。「そんなものはありません。バラ色の未来があるだけです。なによりもあなた方は狼から完全に安全になるんですよ。狼は完全にコントロールされます。狼は完全にブロックされるんです。安全は完璧に保証されます」
説得された羊はベルトコンベアーに乗りました。

だけど非常にけしからんことに、まだ疑う羊がいるんです。とんでもない話です。
疑い深い羊は恐る恐る聞きます。「ベルトコンベアーの先は食肉工場ではありませんか?」

そうした聞き分けのない頑固な羊に畜産家は落ち着き払って断言しました。「そんなことはありません。あなた方が安全に効率的に暮らせる平和があるだけです。食肉工場など無いと言ったら無いんです。私は総理大臣なんですよ。その総理大臣の私が言っているんですから、そんなことはないんです」

さあ、素晴らしい畜産家を信じて、声を上げない従順な羊さんたち! さっさとベルトコンベアーに乗って、大地主に美味しく食べられておしまいなさい。めでたし、めでたし。
(続く?)

大地の「経絡」を強くイメージして土地を活性化させる仕組み

日本列島に縦横無尽、四方八方に引かれた幾何学的な測量・通信ラインは、一種の祈りのためのイメージラインであるという考えは、友人のひめのゆめさんと話をしている時に浮かびました。拙著『異次元世界との遭遇』の第三章に出てくる方ですね。

そのときも何かの仕組みに動かされて、ひめのさんたちと富山の天柱石を訪れました。
そこで私の心の中の「氷の部分」を融かすとともに、天柱石を癒し、祝福するという祭祀のようなことをしたわけですが、当時はその意味がよくわからなかったんですね。

しかしその後、実は古代日本人は「聖地」を俯瞰的にはっきりとイメージして、人体のツボのように聖地というツボで、その土地の気をよくするために祭祀をしたのではないかと考えるようになりました。たとえば、決められた日の決められた時間に正三角形をなす天柱石と尖山と二上山の三か所で祭祀を執り行えば、正三角形の地域をより鮮明かつ具体的に強く思い描くことができるわけです。そうすれば、その囲まれた土地をイメージの力で活性化することが可能だったのかもしれません。

そのようなことは非科学的であり、ありえないと思われる方もいるでしょう。でも、そうしたエネルギーの導線、あるいは大地の「経絡」として、大地に幾何学図形を描いたしか思えない面も多いんですね。それは5000年前のイギリス諸島の古代遺跡を詳しく調べればわかってきます。

イギリスにも聖マイケルラインや、ストーンヘンジとエイヴベリーの大ヘンジの両複合体遺跡とその地域の最高峰を結んだ、非常に精密な幾何学ラインがあることは新著に紹介した通りです。

技術的には8・6キロの距離で秒数まで一致する正確さで緯線を引いていたり、数十キロに及ぶ巨大直角三角形を地上に描いたり、まさに日本の羽根ラインに匹敵する測量レベルが5000年前のイギリス諸島には既にあったことがわかります。しかし、ここで一番注目しなければならない事実は、聖マイケルライン上の「聖地」はすべて、グラストンベリー・トールとバロー・マンプの距離17・3キロの整数倍に配置されていることです。
(続く)

祈りの装置としての神社、そして雛型日本という考え

本当に「神様」が、日本を世界の雛型として創造し、足の裏のツボのように全体と連動する仕組みを作ったのかどうかはわかりません。
でも、たとえ「神様」が雛型として日本を創ったのでなくても、偶然に日本がまるで世界の雛型のような形になったことを利用しない手はありません。つまり日本を世界の雛型と思うことによって、世界の国々や地域のイメージがしやすくなるんです。

これは神社に行くのと同じです。そもそも我々がなぜ神社に参拝するかというと、神社に行くほうが神様をイメージしやすいからです。鳥居をくぐって神域に入り、ご神体の前で拝礼をして祈る。そのほうが神様をイメージできるんですね。
もちろん中には、神様などどこでもイメージできるから神社など必要ないという人もいるでしょう。
それはそれでいい、というのが私の考えです。
自由自在に神様をイメージできるのなら、神社に行く必要はありませんね。心の中にその神様の社を建てて、そこでお参りすればいいだけの話です。でも、それができない人も大勢いるわけです。

同様に日本が世界の雛型であるとイメージできれば、たとえば中東のイスラエルで紛争があった場合、伊勢神宮にお参りして中東をイメージして癒したり、祝福したりすることにより、戦いや争いのエネルギーを中和したり鎮めたりすることが可能になるかもしれませんね。アメリカのエネルギーが暗くて変だと思えば、アメリカの地域に対応する北海道の当該神奈備山に詣でて、北米大陸の特定の場所に「光」を降ろすこともできるはずです。日本が世界の雛型であるというのであれば、「日本のお役目」は本来はそういうものだったはずですね。

イメージは、具体的であればあるほど、真摯であればあるほど、強くなります。
神社はある種、そのイメージの力を増幅させる装置であると考えることもできます。
ということは、自分の欲望から願えば、その欲望だけが強くなってしまうことが多々あるんですね。
だから欲望で願ってはいけないんです。無欲、かつ、いい感情で、いいイメージを、それも非常に具体的に思い描けばいいだけです。いい感情で、謙虚に、そしてイメージを高め、イメージを実現させるーーこれが祈りの基本だと思っています。言って見れば、スポーツ選手のイメージトレーニングに似ています。

さて、ここからが本題です。
実は羽根ラインも、尖山や下田富士のピラミッドラインも、三上山ー二上山ラインも、ただ測量・通信ラインとしてあるのではないんですね。日本列島を鮮明にイメージできるための装置であり、祈りのラインであったと私は考えています。
(続く)

4つの虹の物語

取材でブログをお休みしておりましたが、非常に充実した一週間でした。
それはそれとして、6日間で4つの虹を目撃しました。それもすべて180度全天に架かる虹。
4つとも写真撮影に成功しておりますが、そのうち一つを紹介しましょう。

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素晴らしいですね。特にこの色合いが。それも完璧なタイミングで現れました。
その話も追々、お話ししましょう。

「神々が作れし世界の雛型・日本」という外八洲内八洲史観についての考察

知人の語る皆神山の神様の話と、出口王仁三郎の話との間には、似たところがたくさんあります。

その一つが、いわゆる外八洲内八洲史観です。
つまり日本で起こることは世界でも起こる、日本にあることは世界にもある、という神が作った仕組みがあるというんですね。

拙著『正統竹内文書の「秘儀・伝承」をついに大公開!』でも紹介しましたが、出口王仁三郎は「神歌」の中で次のように語っています。

「みづ清き金龍海の島々は、日出る国の雛形と、祝ひ定めて築きたり。日出る国の日の本は、全く世界の雛形ぞ。神倭(かんやまと)磐余(いわれ)の君が大和なる、火々真(ほほま)の岡に登り坐、蜻蛉(あきつ)の臀甞(となめ)せる国と、詔(のら)せ給ふも理(ことわり)や。我九州は亜弗利加(あふりか)に、北海道は北米に。台湾島は南米に、四国の島は濠州に、我本州は広くして、欧亜大陸其儘(そのまま)の、地形を止むるも千早振(ちはやぶる)、神代の古き昔より、深き神誓(ちかい)の在すなり。」

確かに四国はオーストラリアに、九州はアフリカに何となく似ています。能登半島は逆向きのスカンジナビア半島でしょうか。伊勢はイスラエル?

でも、こんなことを書くと、頭がおかしいのではないかとバカにされるのがオチですね。
私も最初はそう思っていました。そんなことがあるはずはない、と。

だけど「偶然は神だ」というんですね。偶然は神の演出だ、と。
また、その知人が祖父らから聞いた皆神山に伝わる話では、神々は人間を試行錯誤しながら造る一方で、日本を世界のひな型にするように創造したといいます。まあ、人間を創造できるぐらいなら、日本を世界のひな型にすることなどは多分、訳のないことでしょう。

そこで私も、それが本当の話だと仮定して、この仕組みをわかりやすく説明するために、日本を「足の裏」に譬えてみました。
足の裏には、体のそれぞれと対応する「つぼ」があります。たとえば、右足の親指を押すと、左の頭の痛みが緩和され、逆に左足の親指は右の頭と連動しているようなんですね。不思議です。自分で試しても、足裏には、体のそれぞれに連動する場所があることがわかります。足裏マッサージをしてもらったとき、ある部分を押したらすごく痛くなり、「お客さんはどこどこが弱っていますね」とマッサージ師に指摘された経験は誰もがもっているはずですね。

こう考えると、外八洲内八洲史観も、もしかしたら本当にそうではないかと思えてきます。本当かどうかはわかりません。でも、少なくとも、日本をイメージすることで世界をイメージすることが容易になりますよね。実は、これが非常に大事なことのように私には思えるんです。
(続く)

出口王仁三郎が知った皆神山の本当の意味

知人が祖父らから聞いたという皆神山の「神様の話」に近いことを言っているのが、新宗教「大本」(大本教)の二大教祖の一人出口王仁三郎です。

王仁三郎は1898年、京都府亀岡市の高熊山で修行をしている時に神懸かりとなり、富士山と皆神山に霊体で連れて来られたのだそうです。その後も王仁三郎は、皆神山で言語を絶するような崇厳な神秘体験をして、皆神山の真の意味を悟ったようです。

皆神山について王仁三郎は、「信濃の国松代町の郊外にある皆神山は尊い神山であつて、地質学上世界の山脈十字形をなせる地であり、世界の中心地点である。四囲は山が十重二十重にとりかこんで、綾部、亀岡の地勢と些(すこ)しも違はぬ蓮華台である」と、『月鏡』に書いています。大変な持ち上げようですね。蓮華台とは蓮華座のことで、蓮華の形に作った仏・菩薩の像の座のことです。まさに世界の中心の神の座の意味があります。

で、この『月鏡』を読むと、なぜ陸軍参謀本部が大本営を皆神山に遷(うつ)そうとしたかの理由がなんとなくわかってくるんですね。
王仁三郎は次のようにも書いています。

「大石凝真素美(おおいしごりますみ)翁は、此地に帝都をおかれたなら万代不易の松の代を現出することが出来ると主張し、世界中心遷都論を唱へて囹圄(れいご:牢屋のこと)の人となつた事実がある。真素美翁ばかりでなく外にもさういふ説を唱へた人があるが、最近飛行機が盛になるにつれて東京は安全の地でないと云ふ見地から、信州遷都論が一時或有志によつて伝へられた事があるが、全く此皆神山は蓮華の心に当つて居るのだから、四方の山々に砲台を据ゑつけてさへ置けば、如何なる飛行機をもつてしても襲ふ事は出来ぬ安全地帯である。こんな要害のよい所は、世界中外にない。霊界物語にある地教山は此山である」

大本教は弾圧されましたが、海軍だけでなく陸軍にも大本教のシンパは大勢いたと思うんですね。だからこそ、陸軍参謀本部は皆神山を大本営の移転先に選んだのではないでしょうか。

また、大本教の説明によると、皆神山については次のように書かれています。

「無限絶対無始無終の真神から、霊系の厳霊大神(げんれいおほかみ)と体系の瑞霊大神(ずいれいおほかみ)が鳴り出でられましてより数十億年、厳霊大神の経綸の中心地の一つが天教山(富士山)となり、瑞霊大神の経綸の中心地の一つが地教山、すなわち世界ではヒマラヤ山、日本では信州の皆神山となりました」

出てきましたね「霊系の厳霊」と「体系の瑞霊」。厳霊と瑞霊が何かを定義するのは難しいのですが、厳霊が神霊界や精神世界で働く「素材」や「力」だとしたら、瑞霊はこの世とか物質世界で働く「素材」や「力」であると考えてもいいのではないかと思っています。

このように、出口王仁三郎によると、富士山が霊系の厳霊大神が働く中心地で、皆神山は体系の瑞霊大神が働く中心地であることになります。
何か似ていますよね、前日のブログに書いた、私の知人の話と。ただし、富士山ではなく位山になっていました。神様が霊体として降臨した中心の場所が位山で、物質的なモノを作ろうとした中心の場所が皆神山でしたね。やはり皆神山には、物質界で働く何かがあるんです。
(続く)

日本神話にはないはずの人類創造神話があった!?

母方の祖父母の家系が皆神山を管理する一族の家系であったと語る私の知人によると、その一族は北朝や幕府に反抗した南朝系であったと言います。彼らは名前を変えて、身を隠すようにして長野県の皆神山に移り住みました。どうやら、彼らの口伝に皆神山が重要で神聖な山であると伝わっていたようです。だからあえて、この地を選んだというんですね。

で、その口伝の内容が凄いんです。神々は大昔、現在の日本の岐阜県位山に降臨しました。でもそれは物質的な神様ではなく、神霊体のようなものだったようです。そこで神々は、地球という惑星に適合するような人間を造る実験を始めたというんですね。何度も失敗をしては再び人間を造り直すという繰り返しだったようです。そしてなんと、この人間を含む物質界を造る実験をした場所が皆神山だったというんですね。

その間、地球は何度かの天変地異で大きく変わったようです。それでも神々が最初に降臨した地である日本は沈没せずに残り、太古の歴史を伝承したというわけです。

何とも凄い話です。でもこれって、『オアスペ』や沖縄のユタの話と符合しますよね。ユタの話によると、神様がいろいろな人間や生物を造った科学の場が慶良間の海底にあったと言います。『オアスペ』でも、神は最初に「アス」と呼ばれる第一種族を造り、次に「イ・ヒン」と言う第ニ種族を創造したと書かれています。ところが「イ・ヒン」は神の命令に背いて「アス」と姦通、混血種族「ドルーク」が生まれます。荒野に放逐されたドルークは第一種族のアスと結ばれ、混血種族「ヤーク」を生み、さらにイ・ヒンとの間にも混血種族「イ・ホアン」を生みます。結局、ドルークとヤークは神によって失敗作とみなされ滅ぼされ、「イ・ヒン」と「イ・ホアン」が生き残ったとされています。

こうした神による人間創造神話は、『旧約聖書』やギリシャ神話、そしてシュメル神話にも見られます。ところが、日本の神話には人間創造神話は出てきません。確かに試行錯誤しながら島や神を生むイザナギとイザナミの神話が似ています。たとえば、不具の子・蛭子と淡島が、ドルークとヤークのような失敗作だったと解釈することは可能です。それでも、人間を創造したとは書かれていません。同じことは「竹内文書」についても言えます。降臨した神々は一族の皇子を世界に派遣しますが、人間を創造したとは書かれていませんね。むしろ「黒石に黒人祖あり」と書かれているように、神々が降臨した時には既に人類の祖先がいたことが示唆されています。

だから私はその話を聞いて驚いたんですね。その知人の話が本当なら、神々による人間創造神話が日本にもあったことになるからです。我々の知らない全く別系統の神話が日本にはあったのでしょうか。
(続く)

「皆神山は世界最大最古のピラミッドだった!」

「サンデー毎日」が皆神山を古代ピラミッドではないかとした根拠は、大きく言って5つあります。

一つは山頂が大きく凹んだ臼状の奇妙な形をしていて異彩を放っている山容であること。二つ目は南側斜面に巨石を組み合わせた横穴式の積石塚「南太平古墳」がまるで「ピラミッドの入口」のようにあること。三つ目は、記紀神話にも出てくる手力男命(たじからおのみこと)が戸隠山から巨岩を運んで造った山であるとの地元の言い伝えがあること。四つ目は、大本教などいくつもの宗教が古くから霊山として崇めていること。五つ目は、先の戦争中に大本営を移転させるために皆神山を掘削した際、いくら掘ってもゴロタ石と土砂ばかりで、火山特有の安山岩ではなかったことです。

この五つ目の根拠である大本営移転計画について、もうちょっと詳しく説明をしておきましょう。終戦直前の1944年、陸軍参謀本部が本土決戦に備えて皇居や政府機関、軍機関を東京から疎開させる「大本営移転計画」を進めたんですね。その時、皆神山とその周辺の白鳥山、象山一帯が候補地となり、一大地下壕を掘りました。ところが皆神山だけは、掘っても掘ってもゴロタ石ばかりで、非常にもろい構造になっていたため、単なる食糧庫に格下げになったという話です。で、「サンデー毎日」の取材班は、岩石と土砂の入り混じった奇妙な構成成分は古代人のコンクリートであったからではないかとの仮説を立てています。

確かに怪しい山です。「サンデー毎日」にも書いてありましたが、1965年8月から1967年夏まで続いた「松代群発地震」の震央は、ほぼ皆神山の中心部直下であり、そこから次第に周辺部に広がったといいます。それも、何か面白い話ですよね。地元では皆神山のことを「本州のへそ」とも呼んでいるそうです。

こうした怪しい話に加えて、もっとすごい言い伝えが皆神山にはあります。
実は私の知り合いで、祖父母が皆神山とその神社を維持管理している家系であった方がいるんですが、その人によると、とんでもない言い伝えを祖父らから聞いたことがあるというんですね。

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写真は皆神山山頂付近にある皆神神社(熊野出速雄神社)です。
(続く)

皆神山と尖山の間に起きた、神のなせるシンクロニシティ

皆神山とは浅からぬ因縁があります。共同通信社富山支局の記者だった1984年の4月か5月ごろ、当時富山大学文学部の教授だった山口博氏と出会い、「竹内文書」という変わった古史古伝が富山にあることを紹介されます。そこで県立図書館に行って、「竹内文書」を公開した竹内巨麿の息子がその一部をまとめた『神代の万国史』を読んだわけです。そこには、富山・立山町の尖山が古代スメラミコトの神殿であることや羽根という地名の由来が天空浮舟と関連があることなどが書かれていました。そのうち立山町の尖山について、山口教授と話し合って、山口教授説として「古代日本のピラミッドであった可能性がある」という原稿を書き上げました。ただしその原稿は名古屋支社デスクの手元にストックされて、出番を待っている状態でした。

デスクの手元に渡って2-3週間が経ったころ、日ごろから情報交換していた長野支局の同期生から電話がかかってきます。
その同期は「どうもサンデー毎日が『日本に最古のピラミッドがあった』という特集記事を書くらしい。今、長野市松代にある皆神山を調べており、お前の原稿と重複するから、サンデー毎日の記事が出る前に原稿を出したほうがいいのではないか」と言います。

早速、私はその旨を名古屋支社のデスクに伝え、出稿日程を調整してもらいました。そして出稿日をまさに「日本にピラミッドがあった」という特集を組んだサンデー毎日の発売日に当てたわけです。それが1984年の6月19日です。サンデー毎日はその特集記事のトップに皆神山を取り上げました。一方、富山の尖山を取り上げた私の記事は、地元富山の北日本新聞の19日付け夕刊トップ、産経新聞の19日付け夕刊社会面トップ、名古屋タイムズの20日付け朝刊トップなど大きく取り上げられました。

実は共同通信の地方支局の記者にとって、その地元の新聞のネタを後追いすることはあっても、自分の記事が地元紙のトップ記事になるということは滅多にありません。だから、とても名誉なことなんですね。というのも、地元の情報に関して言えば、地元紙の記者のほうがはるかに人数は多いですし、何よりも圧倒的な情報網を持っているからです。その情報網を潜り抜けて、地元紙のトップ記事を飾ることがあれば、それは特ダネということになります。

さて、ここで本当に面白いのは、シンクロニシティが起きたということです。
私はサンデー毎日に知り合いはいませんでしたから、「日本のピラミッド企画」のことはまったく知りませんでした。
向こうもまったく私が同じような取材をしているなんてことはわからないわけです。
だけど、遠く離れた知らない者同士が、まったく同じ時期に、同じテーマで取材を始め、それを記事にするというのは、偶然にしては出来過ぎていると思いませんか。何か仕組まれている感じがしますよね。戦前の同じ時期に大本教と天津教が台頭し、海軍と陸軍に多くのシンパを作りながら、結局同じように弾圧されたのも、大掛かりなシナリオがあったように思われます。

そのタイミングでしか起こりえない、その時代の大きなうねりのような動きや流れ--これが「神仕組み」とも呼べるシンクロニシティなのではないでしょうか。
(続く)

皆神山と尼厳山の虹

『オアスペ』が表わす歴史と古代日本の謎を解くカギとなる松代の皆神山(標高659メートル)です。

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雨がぱらつく、どんよりとした天気が嘘のように晴れました。
上の写真は9月1日午後4時43分に撮影したものですが、それより55分前の同3時48分には「約束の虹」が尼厳山(あまかざりやま、標高781メートル)に架かっておりました。この少し前にホテルに到着したんですね。それからみるみるうちに晴れたわけです。

IMGP6680-11.jpg

今日は写真だけ。皆神山の話は次のブログで紹介しましょう。
(続く)

地球は神様の壮大な科学実験の場であったとする考え

ここまで『オアスペ』と沖縄の海底遺跡の関連性を見てきましたが、ここで、ひとつの物語が浮かび上がって来ます。

かつて現在の日本列島を含む太平洋の南西にパン、またはレムリアという巨大な大陸がありました。
で、その大陸は天変地異によって二つに割れ、ほとんどが沈没します。そしてパン大陸の一部であった日本に、「ザ・パン」という名の船団に乗った、最も古くて伝統的な部族が漂着して、失われたパン文明の歴史と伝統を古神道の神の名や音霊にして今日まで伝えます。そのパン文明の痕跡とも言える遺跡が与那国や慶良間といった沖縄の島々の沖の海底に眠っており、その遺跡からは、宇宙創世のパターンや歴史を記録した石組やサークル、古代カレンダーとみられる太陽石などが見つかっているわけです。

で、ここからがさらに面白いところです。
慶良間の海底遺跡を発見した谷口氏が会って話を聞いた池間島のユタが語ったことを思い出してください。
センターサークルの東と西の壁、左右対称に突き出た、金属音のする不思議な石について、その場所が「神様の科学の場」であり、そこで「神様がいろんな生物や人間を造った」と、神懸かりしたユタは話しています。

実は『オアスペ』でも、神が人間を造ったことになっているんですね。ところがあまりうまく行かず、何度も失敗しては別の種族を造るといったように実験や試行錯誤を繰り返しています。まさに地球(パン大陸)を「神様の科学の場」にしていたことが記されています。

まあ、ここまで来ると、神様と言うよりそれは宇宙人のことではないか、と思ってしまいますが、それはそれとして、『オアスペ』も海底遺跡を霊視した琉球のユタも、「神様が人間などを造った」としているところは同じです。

さらに驚くべきことに、一部の古神道にもそれと同じような話が伝わっているというんですね。
そのカギとなるのが、今回私が訪れた長野市松代にある皆神山です。
(続く)

慶良間の海底遺跡と『オアスペ』の「宇宙創世パターン」との符合

『オアスペ』に出てくる、慶良間の海底遺跡の構造に似たイラストをまず、ご覧ください。

img009-11.jpg

この図は、説明等を読むと、物質世界ではなく「エーテル的な世界(Etherean Worlds)」から見た太陽系創世期の図のようです。
右下にヒトデのような形が形成されていますが、これが物質化されつつある太陽系であるとみられます。
「太陽のために渦巻きを創り、その渦巻の中にほかの渦巻きを創った」とあります。
そして、この粒粒の物質みたいなものが、物質世界を超えた領域にある「エーテルのような状態のもの(Etherea)」なんですね。

で、この後、「ジエイ(Ji'ay)」と呼ばれる「第二段階の密集状態」の空間(an atmospherean world of the second degree of density)において、地球が形成されていくのですが、その図がこちらです。

img011-11.jpg

中央の白い丸が地球です。
どちらも面白いのは、中心から6~8本の「路(みち)」が延びていることです。
『オアスペ』の中でも、この「路(みち)」のことを「ROADWAYS」と言っていますから、まさしく道路や道であるわけです。

さらにほかのイラストを見ると、「エーテル状のもの」が渦巻きのように集まって白い中心があちこちでできて、そこから道が延びてお互いがつながっているようにも見えます。

まあ、とにかく変わったイラストです。
でも、ご存知のように、宇宙にあると考えられている物質のうち、陽子や中性子など”目に見える”(観測されている)物質は全体の約5パーセントにすぎません。その5~6倍は未知の物質(ダークマター)が占めていると考えられ、残りはダークエネルギーと便宜上呼んでいる正体不明のものです。つまり宇宙の構成物質そのものがまだわかっていないんですね。
この「エーテル状のもの」が何なんなのか、ダークマターとかダークエネルギーと関係があるものなのかどうか、はっきりしませんが、少なくとも『オアスペ』ではこのイラストのように宇宙をとらえていたわけです。

さて、それでは慶良間の海底遺跡のイラストを見てみましょう。マリーンサービス宮古の了解を得て、拙著『「竹内文書」の謎を解く』の220ページに紹介したイラストですが、この遺跡の発見者である谷口光利氏が描いたものです。

img010-11.jpg

センターサークルから6本の道が延びて、他の構造物とつながっているように見えます。
『オアスペ』のイラストと非常によく似ています。
私には同じ宇宙的な構造を描いたものに見えるんですよね。

「神様」が創った「宇宙創世の構造パターン」がここにあるのではないでしょうか。
(続く)

天気の神様の粋な計らい

2泊3日で長野に取材を行っておりましたので、ブログは今日までお休みしておりました。
長野に行くことは以前から決まっていたのですが、ご存知のように秋雨前線の停滞により、天気予報は降水確率60%以上の雨マーク続き。旅行前は正直、「ああ、雨の中で写真撮影や取材をしなければならないのか」と、不安に思っておりました。
でも、「必ず晴れる」という声が聞こえてきます。
私は「嘘でしょ、この天気予報で晴れることはありえない」「まあ、雨が止む瞬間はあると思うけど」などとつぶやきます。

ところが、天気に関して言えば、まったくの杞憂に終わりました。
確かに雨は降っていました。ところが長野市のホテルにチェックインするや否や、天気はみるみる回復し、快晴の青空がのぞきます。しかも見事な虹まで出てきます。
写真撮影は無事終了。
夕食の時間までまだ間があったので、現地の神社にお参りします。そしてお参りが終わり、車に乗り込むと、雨が降り出すという具合。取材していた二時間だけが快晴でした。

その日の夜も翌日の天気予報をチェックします。するとやはり60%の確率で雨。
「ああ、明日こそ、雨の中の取材か」と考えていると、またまた「大丈夫だから」との声が。

まさかと思いつつも、翌日取材先の神社に出向くと、再び快晴になります。しかも、まるで真夏が戻って来たかのような日差しです。
あの天気予報でこの快晴はありえないと驚くばかり。

その日の夕方には、かつて見たこともないような、強烈な彩雲を目撃することもできました。

彩雲こそ、運転中だったため写真撮影ができませんでしたが、その他の写真は後日、このブログでもお見せいたしましょう。

とにかく、何かたくさんの贈り物をいただいたような気持ちです。
天気の神様の計らいに、ひたすら深謝!

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