ケルト民族の前にブリテン諸島にいた謎の民族(その14)

本日が新著『竹内文書と平安京の謎』の発売日ですね。

今、このブログではケルト人がブリテン諸島に来るずっと以前に巨石文明を築いた謎の古代人について、ケルト神話と、現存する約5000年前の遺跡群から読み解いて行こうとしているわけです。実は新著でも、これとほぼ同じ手法を使って、神武以前にいた謎の古代日本人の姿をとらえようとしています。その古代日本人の謎を読み解くために、ケルト神話の代わりに使ったのが、『古事記』と「竹内文書」、それに『万葉集』です。そして5000年前の遺跡群の代わりに縄文遺跡群を使いました。

「ケルト神話」でケルト人が人間の最初の王となったとされるように、『古事記』でも神武以前は神代(神々の時代)とし、神武以降を人間の時代と考えることができます。その考えに立てば、神武が人間の最初の王だったことになります。

では、神武以前の王は誰だったのかというと、スサノオやアマテラス、高木神、オオナムヂといった神々がいたわけです。

でも、一番重要な王が神話の中に隠されているんですね。
以前、このブログでも触れたと思いますが、それが「越の八岐大蛇」です。
この越王オロチこそが、ダーナ神族もしくは、魔族フォモールに相当する神々の王です。

『古事記』では、わざと「越」と明記されているところがミソです。
で、その『古事記』によると、ヤマタノオロチの大きさは、八つの谷、八つの峰にわたっている、と言います。
つまりこれって、ヤマタノオロチの支配地域の大きさを表しているんですね。

しかも、ご丁寧に八つの尾と八つの頭があったとも記されています。これも非常に明確にオロチの支配地域を示しています。というのも、越の国には八尾があり、因幡の国には八頭があるからです。『古事記』は越王オロチのことを怪物扱いしていますが、実は明確に、オロチは越国の王であり、その支配地記紀は越国から因幡国の西端まで達していたと記録に残しているわけです。これは、かなり巨大な地域を支配していたことになります。神武、もしくは崇神以前に存在した、実質的な日本の統治王であった可能性もあります。

その越の国や飛騨の国に、地球を支配するほどの巨大な王朝があったと記されているのが、「竹内文書」なんです。
まあ、その大げさな内容はさておいて、「竹内文書」には神々の時代にあったとされる、この越・飛騨王朝を知る手掛かりが隠されています。

で、その手がかりをヒントにして、「竹内文書」に登場する「聖地」や「神殿」を結ぶと、越と飛騨の国に意味のある幾何学的な図形を描くことができます(羽根ライン、鑓ヶ岳ー尖山ー天柱石―船通山ライン、二上山ー天柱石-尖山の正三角形など)。その図形が、昨日ご紹介した5000年前のブリテン諸島における「対称形に交差するレイライン」に極めて近い測量・通信ラインとなるんですね。
(続く)
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ケルト民族の前にブリテン諸島にいた謎の民族(その13)

アイルランドのレイラインをそのまま南東に延ばして行くとイギリス本土のエイヴベリーの大ヘンジに至るのは、ただの偶然ではないかと考える人もいると思います。しかしよく考えてください。アイルランドのレイライン上にあるタラの丘の遺跡群の構造(配置)は、エイヴベリーの遺跡群の構造と瓜二つです。その非常によく似た構造を持つ二つの遺跡が他の遺跡群を結んだ直線上に並んでいるわけですから、偶然とは考えにくいですよね。

さらに面白いのは、このエイヴベリーの大ヘンジがイギリスで最も有名なレイライン「聖マイケルライン」上にあることです。
聖マイケルラインは全長約500キロに及ぶ、イギリス本土南部を方位角約60度で横切る直線です。丘の上に多くの聖マイケル教会や礼拝堂が建っていることから名づけられました。しかし見逃してはいけないのは、キリスト教がブリテン諸島に流入するはるか前から、グラストンベリー・トールやバロー・マンプ、ブレント・トール、ローチ・ロック、セント・マイケルズ・マウントといったライン上の「聖なる丘」や「聖なる岩山」、「聖なる島」はそこにあったということです。

つまりキリスト教が流入する以前であったのはもちろん、ケルト人がやってくるはるか前には既に「聖地」として存在していた可能性が強いんですね。実際、エイヴベリーの大ヘンジが建造されたのは、遅くとも紀元前2600年ごろではないかとみられていますし、同じく聖マイケルライン上にあるヘンジ状構造造物ワウルズ・バンクは紀元前3000年ごろ建造されたとされています。ということは既にそのころには、ライン上の聖地は整えられつつあったと考えるべきなんですね。

この年代は、アイルランドのレイライン上にある巨石群とほぼ同じ年代であるということは、非常に重要なポイントです。

さらに押さえておかなければならないのは方位角です。

アイルランドのレイラインの方位角は、たとえばキャロウモアの遺跡群とタラの丘を結んだ直線を測ると、おおよそ120度です。
ここですぐにピンとくる人はとても勘が鋭いです。

聖マイケルラインの方位角はおおよそ60度でしたよね。
ということは、エイヴベリーの大ヘンジで交差する二つのレイラインはほぼ対称形のレイラインになるということですね。

それだけではありません。実は方位角がおよそ60度となるラインは、アイルランドにもあるんですね。以前紹介したボイン渓谷にあるニューグレンジとダウスを結んだ直線がほぼ60度です。で、この直線を南西にずっと延ばして行くと、先史時代の巨石群の宝庫がある西コーク州に至ります。アイルランドのニューグレンジにおいても、対称形にレイラインが交差していることになりますね。

どちらも夏至の日に近い、日の出ラインと日没ラインに関係していると思われます。
(続く)

ケルト民族の前にブリテン諸島にいた謎の民族(その12)

イギリス本土の古代巨石遺構とアイルランドの古代巨石遺構の間に、何か関連性があるかどうか、という問題ですが、もちろんストーンサークルや立石、ドルメン、ヘンジなどほぼ同時期に建造された巨石遺構がブリテン諸島全体に広がっていますから、関連性がないわけはありませんね。

たとえば、アイルランドのタラの丘の円形構造の中に二つのヘンジ・サークルがあるという構造は、イギリス本土のエイヴベリーの巨大ヘンジの中にあったことがわかっている二つのストーンサークルと構造は全く同じです。大きなサークルの中に二つのサークルが作られています。それがいったいどういう意味があったかどうかは不明ですが、少なくとも共通の知識なり技術、あるいは文化があったことがうかがえますね。

ただし私がここで問題にしようとしているのは、アイルランドのケルト神話にダーナ神族として伝わっているような高度な科学技術を持った古代人がいたのだとしたら、イギリス本土とアイルランドの間に通信網をもっていたのではないか、と考えられることです。今週(31日)発売される新著で私は、約5000年前の縄文時代において、北東北の拠点と北海道の拠点を結びつけるような光通信網があった痕跡があることを指摘、縄文人(古代人)が北海道と北東北の間に巨大な共同体、巨大な共通文化圏を形成していたとする仮説を打ち立てています。

私は5000年前のアイルランドとイングランド本土の間にも、巨大な共同体が存在したと考えています。

それはアイルランドにあるとされるレイラインと、イギリス本土に存在するレイラインの関係を調べると、はっきりしてきます。
アイルランドには、既に指摘されていますが、タラの丘、ニューグレンジ、ロウクルー遺跡群、キャロウキール遺跡群、キャロウモア遺跡といった5000年前にはあったとみられる遺跡群と、ケルト神話にたびたび登場する聖なる山ベン・バルベンは、すべてほぼ同じ直線上に位置しているんですね。これはいわば、ベン・バルベンのレイライン、あるいはタラの丘のレイラインと呼べるものです。

で、その直線をそのまま南東方向に延ばして行くと、ウェールズのカーディガンやラドノールのストーンサークルなどを通って、エイヴベリーの大ヘンジに至ります。

一部にはこのラインをさらに延ばしていくとギザのピラミッドに至るのだという説を主張する人もいますが、ここではそれは置いておいて、ここで重要なのは、エイヴベリーの大ヘンジもまた、イギリス本土にある別のレイライン上にある5000年前の遺跡であるということです。
(続く)

キャサリン(ドミンゲス)の思い出

4日ほど前、オバマ米大統領が米連邦準備理事会(FRB)理事にキャサリン・ドミンゲス氏を指名する意向であると発表しました。
それに関連して私が過去にドミンゲス女史について書いたブログにアクセスが若干あったようなので、ちょっとだけ説明しておきましょう。

私がハーバード大学ケネディ行政大学院に留学していたころ、国際金融論を教えていたのが、ドミンゲス准教授でした。夫は同大学院のミクロ経済学を教えていたジム・ハインズ准教授。二人とも学生には非常に人気があり、私もこの二人の授業を履修しました。国際金融論はA-で、ミクロ経済はB+でしたけどね。まあ、今となっては昔話です。

だけど、この二人は私が卒業した1997年を最後にシカゴに移って行きました。そのときの二人の話が過去ブログに書かれていますので、ご興味のある方はお読みください。ドミンゲス女史はその後、2006年から米ミシガン大学で公共政策と経済学の教授を務めていました。

FRBの理事は定員7人で、現在2人が空席となっています。ドミンゲス女史が上院で承認されれば、イエレン議長やブレイナード理事とともに女性理事が3人となるそうです。

ケルト民族の前にブリテン諸島にいた謎の民族(その11)

昨日に引き続き、ブルー・ナ・ボーニャの遺跡群の説明を続けましょう。

このことから何が推論できるかというと、ニューグレンジが最初に建造された「宮殿」あるいは人工丘だとすると、夏至の日の入りライン上にノウスの「宮殿」あるいは人工丘を建造したことになります。ノウスの丘から見れば、ニューグレンジは冬至の日の出ライン上の丘です。

で、この二つの丘を結んだ線分を三角測量の基線とするんですね。
すると、ドウスの「宮殿」は、ニューグレンジから見て夏至の日の出ライン上で、その距離が基線の二倍となる場所に意図的に造られた人工丘であると解釈できるわけです。

彼らはおそらく丘と丘を結ぶ作業をしたはずです。丘と丘を結び、つまり高みと高みを結び、それを基線として測量し、聖なる場所の位置を決めていきます。そして、三つの丘を結ぶことによって彼らは春分、夏至、秋分、冬至という季節を簡単に知ることができたわけですね。もっとも、わざわざ三つの丘に登らなくても、一つの丘に登って太陽の昇ったり沈んだりする方角を見るだけでも季節の観測はできます。たとえばニューグレンジの丘の上から春分や秋分の日を知りたければ、その真東か真西に何か目標物を置けばいいだけです。そこでニューグレンジの真東に何かないかどうか地図上で調べてみました。すると、二キロほど離れた場所にありました・・・・ニューグレンジのビジターセンターが・・・。

まあ、当時はビジターセンターはなかったでしょうから、きっとビジターセンターの場所に何か目印があったかもしれませんね。

新著『竹内文書と平安京の謎』で詳しく説明してありますが、イギリスのストーンヘンジはまさに同じやり方で建造されています。
既に多くの研究者が指摘しているように、夏至の日の朝ストーンヘンジの中心に立つと、北東のアヴェニューという出入り口とその付近にあるヒールストーンという立石から太陽が昇ってくるのを見ることができます。

しかしイギリスの研究家らが見落としているのは、ストーンヘンジの夏至の日の出ラインには、ヒールストーンやアヴェニューの先があるということです。実はその地域の最高峰であるウォルベリー・ヒルから夏至の日の出が昇るのが見える場所にストーンヘンジを建造した可能性が極めて高いんですね。しかもストーンヘンジは、その日の出ラインと、エイヴベリーの大ヘンジとミルク・ヒル(エイヴベリー付近の最高峰)を結んだ直線との交点に正確に造られています。

このように、ストーンヘンジの複合体遺跡とそこから北に30キロほど離れた場所にあるエイヴベリーの大ヘンジの複合体遺跡は、地図上で詳しく調べると、ウォルベリー・ヒルという最高峰と、ミルク・ヒル、ナップ・ヒルという最高峰や次鋒を結び、かつそれを基線にして三角測量を実施、見事に高みと高みを結んだライン上にすべての遺跡群が並んでいることがわかります。つまり両複合体遺跡の遺跡群の配置はすべて、「高み結び」を使ってデザイン・設計されていると結論づけることができます。

今回の新著を読んでシルベリー・ヒルとマーリンの丘という約5000年前に建造された二つの人工丘の配置を知るだけで、おそらく読者の皆さんは非常に驚かれると思います。5000年前には既に我々の想像を超えるような高度な測量技術があったことが判明します。次回はイギリスの巨石遺構とアイルランドの巨石遺構は、同じ測量技術者によって建造されたかどうかについて言及しましょう。

今日はその新著の見本が出来上がる日です。配本は来週の30日ですから、31日ごろから書店に並ぶと思います。出版社は成甲書房です。

ストーンヘンジ。

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ヒールストーン。

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(続く)

ケルト民族の前にブリテン諸島にいた謎の民族(その10)

アイルランドのボイン川の丘に、5000年前の巨石構造物であるニューグレンジが見つかったのは、1699年のことでした。チャールズ・キャンベルという領主の使用人たちが建材用の石を探している時に、たまたま遺跡を発見したんですね。つまり5000年近くにわたって、この世界的に有名な先史時代の遺跡は土中に埋まっていたわけです。

実はここが非常に重要なポイントです。その遺跡を発見する前から、ケルト神話ではボイン川の丘(ブルー・ナ・ボーニャ)にはダーナ神族のダグダの宮殿があったと伝わっていたからです。おそらくケルト人がブリテン諸島に来たときには、ダグダの宮殿は地中には埋まっていなかったのでしょう。ケルト人は先住民から、あるいはダーナ神族のドルイドから、かつてダグダの宮殿がボイン川の丘にあったことを聞いたのではないでしょうか。それを神話の形で伝えたということが考えられるわけです。ということは神話はある程度、真実の古代史を伝えていたことになりますね。ホメロスのトロイア戦争の物語と同じです。

で、今回の新著で私が提示している方法は、神話に語られている重要な同時代の聖地を「高み結び」という法則を使って結ぶことです。そこに何らかの意味のある直線や測量の痕跡を見つけ出すことができれば、5000年前の古代測量技術集団の叡智を発見することができるのではないかと考えたわけです。

ブルー・ナ・ボーニャの遺跡群を使ってそれを見て行きましょう。
この遺跡群には、ニューグレンジのほかに、ノウス、ドウスという羨道墳があります。神話では、ブルー・ナ・ボーニャには、ダグダの息子オィングスの宮殿もあることになっていますから、どちらかがダグダ親子の別荘か何かだったかもしれませんね。

それでは早速、地図上でダーナ神族の宮殿跡とみられる、この三つの先史時代の遺跡それぞれの中心と見られる場所に印を付けます。
ニューグレンジが北緯53度41分41秒、西経6度28分32秒にあり、ノウスは北緯53度42分05秒、西経6度29分29秒で、ドウスは北緯53度42分14秒、西経6度27分02秒です。

この緯度経度の座標からそれぞれの遺跡間の距離を割り出すと、ニューグレンジーノウス間が1275メートル、ニューグレンジ―ドウス間は1933メートル、ノウスードウス間は2711メートルであることがわかります。この数字から、ニューグレンジを中心にして考えて、ノウス間の距離を約1・5倍した距離にドウスを建造した可能性があることが導き出されるんですね。つまり、この宮殿の建造者は、かなり正確に距離を測る技術を持っていたことになります。

既にご紹介したように、ニューグレンジは冬至の朝日が長い羨道に真っ直ぐ入射し、奥の部屋の床を短時間だけ照らすように建設されていることがわかっています。三つの宮殿の配置を見ると、ニューグレンジとノウスを結んだ直線は冬至の朝日と夏至の日没に関係し、ニューグレンジとダウスを結んだ直線は、夏至の朝日と冬至の日没に関係、そしてノウスとダウスを結んだ直線は春分と秋分の朝日と日没に関係しているのではないかと推論することができるんですね。

この段階ですでに、5000年前にブルー・ナ・ボーニャの遺跡群を建造した、ケルト人が言うところのダーナ神族の人たちは、天体観測や測量技術に非常に長けた民族であったのではないか、ということがわかってきます。

このようにして続けて、ブルー・ナ・ボーニャの遺跡群とタラの丘など他のダーナ神族の遺跡群の関係を見て行けばいいわけですね。

今日の写真は、ノウスの羨道墳の上から見たニューグレンジです。

Ireland 838-1

1・3キロほどの距離しかありませんから、お互いが良く見えたことがわかります。手旗信号でもコミュニケ―ションできたでしょうね。
(続く)

ケルト民族の前にブリテン諸島にいた謎の民族(その9)

私は当初、ドルイドはケルト人の祭祀を執り行う神官のことだと思っていましたが、実はケルト人がブリテン諸島に来る前から神官職として独立して存在していたことがケルト神話に書かれています。そう、ダーナ神族の中にもドルイドがいるんですね。

たとえば、ダーナ神族のドルイドのフィゴルは、フォモール族との戦いで三本の火の流れを敵に送ることなどを新王のルーに約束しています。そのフォモール族にもドルイドがおり、王バロルが魔眼になったことに関係し、また「孫に殺される」という予言もフォモール族のドルイドによってなされています。ダーナ神族の4種の神器の一つ、ファールの石を所有しているのもダーナ神族のドルイドの長であるモルフィスでした。

つまり、ドルイドは吟遊詩人や鍛冶職人、魔術師、戦士などと同じ専門階級職のようなもので、その専門階級職の中でもおそらく王に次ぐほどの専門職であったのではないかとみられます。しかもフォモール、ダーナ、ケルトと、支配者の時代を超えて、存在した特別職であったわけです。

このドルイドと呼ばれる神官のおかげで、ケルト人到来以前のブリテン諸島の歴史が残されたことは疑問の余地はありません。ブリテン諸島にキリスト教が流入してきた後、その教会勢力に最後まで抵抗したのも、ドルイドであったのでしょう。五世紀以前にはドルイドが口伝継承していたのであろう歴史や神話、伝説も、やがてキリスト教的な解釈が加わり、変質したであろうことは想像に難くありません。まあ、これはしょうがないと言えばしょうがないことなんです。多神教に根差した異教徒の教えを、一神教のキリスト教が許すはずありませんからね。

何度も言いますが、それでも変質したであろうケルト神話の中に、5000年前にブリテン諸島に巨石文明を築いた民族に関するヒントが隠されているはずなんです。ダーナ神族の神話の中に、5000年前の巨石文明の謎を解くカギがあるはずだ、と。

で、このたび、その謎を解くカギの一つが見つかりました。
それが、今月30日に発売予定の新刊『竹内文書と平安京の謎』で紹介している、古代人が測量する際に使っていたであろう「高み結びの法則」です。

次回、それをニューグレンジや聖マイケルラインを例に挙げて、説明して行きましょう。
(続く)

ケルト民族の前にブリテン諸島にいた謎の民族(その8)

ダーナ神族が持っていたとされる科学技術はさておいて、重要なのはケルト人たちがダーナ神族こそ5000年以上前に造られた巨石遺構の製造者だと思っていたことです。つまり、ケルト人たちがブリテン諸島に住みつく2000年前に巨石文明を築いた人たちをダーナ神族として神話に盛り込んでいたということになります。

たとえば、ケルト神話では、4種の神器のうち大釜を持つ、大地と豊穣の神ダグダの宮殿は「ブルー・ナ・ボーニャ」にあったとされています。ブルー・ナ・ボーニャが何かというと、アイルランドの首都ダブリンの北40キロメートル、ボイン川下流の地域名で、ゲール語で「ボインの宮殿」を意味します。ここには紀元前3000年頃に築かれたニューグレンジ、ドウス、ノウスなどの石室墓をはじめとする巨石群があるんですね。1993年に「ボイン渓谷の遺跡群」として世界遺産(文化遺産)に登録されました。

その中でもっとも有名なのが、ニューグレンジです。直径76メートル、高さ12メートルの巨大なハート形をしており、渦巻き模様が刻まれた巨石が入口の外に置かれています。そして、1年に1度、冬至の日に太陽の光が墓室の奥に射し込むよう設計されているんですね。高度な天体観測や土木技術があったことがうかがわれます。

また、ケルト神話では、ケルト人がダーナ神族との戦いに勝った後、敗れたダーナ神族は先史時代の石塚の下や土の砦、ドルメン、それに神聖な丘の地下に美しい宮殿を建てて、常若の国を造ったとも伝えられています。つまり石塚やドルメンなどの巨石遺構はダーナ神族に属するとしているわけですね。

ということは、少なくともケルト人たちには、この5000年前の巨石遺構の建造者がダーナ神族であることを、その生き残り、あるいは先住民から聞いていたのではないか、ということも考えられますね。

ダーナ神族の生き残りとは誰か。私はそれがドルイドと呼ばれる神官であったのではないかと思っています。

今日ご紹介する写真は、ダーナ神族の「ダグダの宮殿」とされるボイン渓谷のニューグレンジです。
まずは全景。

Ireland 854-2

その入り口前に置かれた、三つ巴の渦巻き模様が刻まれた巨石です。

Ireland 861-2
(続く)

ケルト民族の前にブリテン諸島にいた謎の民族(その7)

ダーナ神族の科学技術は、ケルト人から見ると、まさに魔法のようでした。
重傷を負ったものでも治してしまう医術、どのような鎧をも貫く槍や剣をつくることのできる優れた鍛造技術、山を消し去るほどの土木技術、天候を支配する力を知っていた気象術、船乗りの意のままに動く船や水陸両用の乗り物を造れる造船・工作技術などを持っていたことが神話に記されています。

その技術の中でもとりわけ注目されるのは、ダーナ神族が持っていた四種の神器です。
一振りで敵を倒すヌアダの剣、勝利を保証するルーの槍、食物が次々と現れるダグダの大釜(鍋)、正統な王が就任すると声を上げるファールの石です。

ダーナ神族が魔法と科学が融合したような文明をもっていたことがよくわかります。ケルト人が魔法が使える神々であったと思い込むのも無理はありませんね。

現在なら、この魔法が何であったのか、ある程度想像することができます。

剣と槍はおそらく特殊な鉱石で造った高度な武器であったのでしょう。オルハリコンとかヒヒイロカネで造られた槍や剣だったのでしょうか。

ダグダの大釜は、SF風に言えばレプリケーターですね。レプリケーターはアメリカのSFドラマ「スタートレック」シリーズに出てくる、物質製造装置です。食べ物でもなんでも命じるだけで、レプリカ(複製品)を作ってしまうという優れもの。

ファールの石は、嘘発見器のような機械でしょうか。あるいはオーラの度量を図ることができる計測器の可能性もあります。漫画『ドラゴンボール』には相手の戦闘力がわかる機械が出てきますが、それに近い測量器のようなものであったかもしれませんね。
(続く)

ケルト民族の前にブリテン諸島にいた謎の民族(その6)

ダーナ神族はこうしてゲール人(ケルト人)にアイルランドの土地を奪われました。
いつの時代なのかは諸説ありますが、古くて紀元前1000年ごろ、あるいは紀元前600年ごろではないかとも見られています。

ポイントは、ケルト神話ではケルト人のアイルランド征服以前を魔法の時代、つまり神々の時代としていることです。つまり、ニューグレンジなどの「巨石文明」をブリテン諸島に築いたのは神々であったというわけですね。しかもその巨石文明は、ケルト人がブリテン諸島にやってくる2000年以上前には既に存在していたという点が非常に重要なわけです。

かと言って、神話は歴史ではありませんから、本当にダーナ神族やフォモール魔族が「先住民」であったのかは定かではありません。しかし、少なくとも、ケルト神話の中に、その巨石文明を築いた「先住民」のヒントがあるのは間違いありませんね。

ケルト人がやって来る前にいたとされる先住民は次の部族です。
シーザー、フォモール、パーソラン、ネミディア。そのネメディアから分かれて、フィル・ボルグ、ダーナ神族です。

この中で、巨石文明を築いた民族に最も近いのではないかと考えられているのが、ダーナ神族です。
ダーナ神族は神ですから、当然魔法のような力を持っています。しかも単なる魔法だけではなく、かなり高度な科学や医療技術をもっていたとも書かれているんですね。
(続く)

ケルト民族の前にブリテン諸島にいた謎の民族(その5)

ブレス王とフォモールの軍に対して、ダヌ神族も銀の義手を付けたヌアダが王として復活、反撃を開始しようとしたときに、一人の若者がダーナ神族の王都タラにやって来ます。その若者こそ、後に太陽の神と称されるルー(ルーグ)でした。

ルーもまた、神魔混血です。祖父は何とフォモール族の王で「魔眼」で知られるあのバロルです。バロルは、自分の孫に殺されるという予言を聞き、娘エスリンに子供を産ませまいとして娘を塔に幽閉したんですね。ところが、ダーナ神族のキアンが塔に忍び込み、娘とできてしまいます。それを知ったバロルは娘の子を殺そうとして海に投げ捨てますが、海の神マナーン・マクリルがその子を助け、ひそかに育てます。やがて大きくなったルーは、あらゆる芸術や技術の熟練者となり、自ら王都タラへやってきたというわけです。

王に返り咲いたヌアダは、目の前に現れたルーの類稀な才能に気付きます。そしてなんとあっさりと、王位をルーに譲るんですね。
ルーはフォモール族との対戦を決断、ダーナ神族も総力を挙げてルー王に従います。

激しい戦闘が各地で繰り広げられましたが、決戦の地は再び、モイトゥラとなりました。しかし、バロルの魔眼の威力はすさまじく、その眼力によりヌアダは命を落とします。次にバロルはルーを睨み殺そうとしますが、それよりも先にルーは、バロルの目をめがけて石を放ちます。石はバロルの魔眼とともに頭をつきぬけ、宙に浮きます。宙に浮いたバロルの目は、味方のフォモール族の兵士をつぎつぎと倒しながら、やがて天高くのぼり、太陽に吸い込まれていったのだそうです。バロルは予言通り、孫に殺されたということになりますね。

こうしてダーナ神族はアイルランドを統治することになったのですが、その統治がいつまでも続くことはありませんでした。
モイトゥラの最後の戦いからかなりの年月が過ぎたころ、スペインからアイルランドに来た「ミレシウス(ミル)の息子たち」が侵略してきました。ダーナ神族の女神たちが何とか侵略を阻止しようとしましたが、事実上失敗します。戦いでも負けて、ミルの息子エリモンはアイルランドで最初の人間の王となリました。これがゲール人、すなわちケルト人の祖先であるというわけです。

破れたダーナ神族は、地下の世界に国を造り、あるいは遠い海の彼方「常若の国」(ティル・ナ・ノーグ)に逃れ、妖精となって目に見えない世界をおそらく今でも支配しているのだそうです。また、アイルランドの名は、最後まで侵略を阻止しようとしたダーナ神族の女神エリウにちなんで、エールEireと名付けられ、それがIrelandとなったのだと言われています。

ダーナ神族の王都タラの丘。

Ireland 805-1

丘の上には立石やマウンドが構築されています。
丘はアイルランド東部、ミース州の町 、ナバンの南郊にあります。
(続く)

ケルト民族の前にブリテン諸島にいた謎の民族(その4)

なぜ大誤算だったかというと、二部族融和の象徴だった「美しき者」ブレシュが圧政をするようになったからです。
おそらくアマテラスとスサノオの誓約のような和睦があり、フォモールの王エラッハとダヌ神族の王女エリウとの間で政略結婚があったのでしょう。その子供を王にしようと取り決められ、その統一王となったのがブレシュだったわけです。

ところが、王となったブレシュはダヌ神族を奴隷のように扱いはじめました。たとえば、ブレシュはダヌ神族の生と死を司る大地の神とされるダグダの娘ブリジッドと結婚したのですが、こともあろうにその大地の神である義父のダグダに、自分の砦を築かせるために穴を掘らせたりします。また、ダヌ神族の雄弁と霊感、言語と学習の神であるオグマに対しては、薪を集めるように命じる始末。神々もたまったものではありません。

こうしたひどい扱いに、ダヌ神族の神々はとうとう怒りを爆発させ、ブレシュに王権の放棄を迫りました。この反乱に身に危険を感じたブレシュは、彼を指示するフォモールの軍隊に召集を掛けたんですね。

同じころ、肉体的損傷のために王位をブレシュに譲らざるを得なかった前王ヌアダは、ダヌ神族の医療の神であるディアン・ケヒトに銀の腕を付けてもらう(スターウォーズ・シリーズのルーク・スカイウォーカーを思い出してしまうのは私だけ?)ことにより王となる権利を回復。ただちにダヌ神族の王となり、フォモール軍との対決姿勢を鮮明に打ち出します。

で、このままダヌ神族とフォモールの間の戦争に突入することになるのですが、その前に一つの物語が挿入されます。
ブレスと同様に神魔混血の神ルー(ルーグ)が登場しないことには、話が進まないからです。
(続く)

ケルト民族の前にブリテン諸島にいた謎の民族(その3)

最初にアイルランドに戻ってきたのは、ギリシャに逃れていたネメディア族の一派とされるフィル・ボルグ族でした。
フィル・ボルグ族はギリシャでは約300年にわたって奴隷扱いを受けていましたが、ある時ギリシャの船を盗み集団で脱出。つまり「出エジプト」ならぬ、「出ギリシャ」みたいなものですね。彼らは奪った船で、かつて祖先が移住しようとしたアイルランドを目指しました。

彼らの祖先は戦いで優位に立ちながら、疫病にやられました。で、今回の戦術は、巨人の魔族であるフォモール族とはあえて戦わずに、融和を図るというものでした。その戦術は成功し、いつしかフォモール族とは棲み分けながら、アイルランドを支配できるようになりました。

フィル・ボルグ族はアイルランドを五つの地方に分け、五人の王がその地域を統率する統治形態や、法律や裁判という制度を制定しました。ただしフィルボルグ族の繁栄は37年間しか続かなかったと「神話」は伝えています。というのも、北に逃れていた同じネミディア族の一派が、女神ダヌを母神とする神々の一族トゥアハ・ディ・ダナーン(女神ダヌの一族、ダナン神族、ダーナ神族)となり、アイルランドに侵攻してきたからです。

ダヌ神族(ダーナ神族)は巨人族で魔法が使えるうえ、高い芸術文化や優れた技術を持つ高度な文明を有する一族となって、アイルランドに「戻ってきた」ことになっているわけです。

ダヌ神族は次々に、フィル・ボルグ族の土地を侵略し、支配下に収めて行きます。そしてついに、モイトゥラ(西海岸の町ゴルウェイのそば)で、アイルランドの統治権を掛けた決戦となります。その戦いでダヌ神族はフィル・ボルグ族を打ち破るのですが、ダヌ神族の王ヌアズはフィル・ボルグ族最強の戦士スレングとの一騎打ちに破れ、右腕を失います。

勝利したダヌ神族は、フィル・ボルグと協定を結び、アイルランドの統治権を認めさせた代わりに、コンノート(北西部)やアラン諸島にフィル・ボルグ族が住み続ける権利を保証したとされています。これにより、事実上アイルランドの統治権はダヌ神族に移りました。

ところが、問題はまだありました。アイルランドをフィル・ボルグとともに支配していたフォモール族です。また、ダヌ神族内にも王位継承問題が浮上しました。ダヌ神族の王ヌアズは戦いで腕を失ったことで、「肉体的欠陥を持つ者は王になれない」という、当時の慣習により王位に就きつづけることができなくなったんですね。そこで、もう一つの潜在的敵であるフォモール族の王エラッハとダヌ神族の女神エリウが「結婚」したことによって生まれた、魔族と神族の混血ブレス(美しき者の意)をダヌ神族の王としました。しかし、これが大誤算だったんです。
(続く)

ケルト民族の前にブリテン諸島にいた謎の民族(その2)

残念ながら、現在伝えられているケルト神話は、中世初期以降に残された資料によるものがほとんどです。つまり編者によってキリスト教的な要素が多分に入り込んだ可能性があるんですね。ちょっとアレンジされている疑いが強いです。そのため、ブリテン諸島(アイルランド)に最初に渡って来たヴァン族のシーザーは、大洪水を逃れたノアの孫(ノアの息子の娘)であるとされているんですね。それでも神話の中で展開される歴史物語には、ケルト人以前にブリテン諸島にいたとみられる民族の謎を解くヒントはあります。

ノアの孫なのかどうかは別にして、ケルト神話では大洪水の前に魔術を持つ女王シーザーが一族を引き連れてアイルランドにやって来たことになっています。しかし大洪水はシーザーらの命を奪います。ただ一人、シーザーの夫フィンタンだけは、大洪水をサケやワシなどに変身して逃れたのだと言います。フィンタンが生き残ったことによって、最初の「移民」であったシーザーの物語が残ったわけですね。

で、フィンタンがその後どうなったかわからないのですが(一説には何度も転生して物語を伝えたのだとも言われています)、大洪水の前後、いつの間にかフォモール族がアイルランドに住むようになりました。魔力を持つ巨人族で洪水前からいたのか洪水後にやって来たのかもわからない、起源不詳の一族です。一応、ケルト神話の中では「魔族」扱いされています。

この魔族フォモールは非常に強かったようです。
なにしろフォモール族の王バロルは一つ目(もしくは三つ目)の巨人で、その目で睨むと、すべてを破壊することができるのだといいます。ギリシャ神話に出てくる一つ目巨人サイクロプス(キュクロープス)と、その目で睨まれると石になってしまうメドゥーサを足したような強力なキャラクターですね。まあ、漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の「妖怪大戦争」に出てくるバックベアードと言った方がわかりやすいかもしれませんが・・・。

フォモール族は洪水後、アイルランドに侵入しようとしたパーソラン族を、疫病を流行らせることにいより撃退。続く侵入者であるギリシャ系、あるいはスキタイ系のネミディア族を激しい戦いの末に打ち破ります。ネミディア族のうち生きのこった30人は、三方に分かれて復讐の機会をうかがいます。このうちの北に逃れた者たちの子孫がダナン神族、ギリシャに逃れた者たちの子孫がフィル・ボルグ族となって再びアイルランドに攻め上がります。
(続く)

ケルト民族の前にブリテン諸島にいた謎の民族

今月30日に発売される新刊『竹内文書と平安京の謎』に、二本の長い杖を持ったウィルミントンのロングマンが出てくる理由の一つは、ロングマンには顔がないことです。目も口も鼻も耳もない「のっぺらぼう」。素性がまったくわからない謎の古代測量師がロングマンです。

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そのロングマンのように、実は約5000年前の古代ブリテン諸島において、どのような民族が「巨石文明」を築いたのか全く分かっていないんですね。

同諸島にいた古代人として、アイルランドやスコットランド、ウェールズ、コーンウォール、それにフランスのブルターニュ地方にケルト民族がいたことは知られていますが、彼らがブリテン諸島に渡って来たのは、せいぜい紀元前1000年ごろではないかとみられています。つまりケルト民族でさえ、ブリテン諸島にストーンヘンジのような巨石建造物が建てられた時代の2000年も後になって入って来た民族にすぎないわけです。

ケルト人は独自の言葉を持っていましたが、あまり文字を残しませんでした。一説にはケルト人神官のドルイドが教えを文字に残すことは正しくないと考え、口承で伝えたためだといいます。ただし、ギリシャ文字を借用したり、後にギリシャ語やラテン語を参照にしてオガム文字を考案したりしたとされています。

そうした口伝や文字の記録によって、辛うじてケルト神話が今日でも伝わっているわけです。

ケルト人はやはり多神教でした。多神教文明の流れはシュメルから古代エジプト、古代ギリシャへと受け継がれ、一部は古代ローマへ、そして一部はケルトにも引き継がれたことになります。ただしキリスト教の台頭により、彼らの宗教は事実上生き残ることができず、その宗教的思想は現在は神話に見て取ることができるだけです。そして同時に、彼らの神話の中に、ケルト人がブリテン諸島に来る前にいた謎の民族のヒントが隠されているんですね。

その謎の民族について、次回詳しく見て行きましょう。
(続く)

新刊のカバー

新刊『正統竹内文書口伝の「秘儀・伝承」をついに大公開!』が出たばかりですが、既に告知していたように次の新刊『竹内文書と平安京の謎』のカバーが決まりました。

竹内文書カバー

今月30日に成甲書房から発売予定です。
ウィルミントンのロングマンをはじめ、シルベリー・ヒル、マーリンの丘といった人工丘(ピラミッド)、ストーンヘンジやグラストンベリー・トールなどの古代ブリテン諸島のパワースポット、さらには古代エジプトで造られた34基のピラミッド、ナスカの地上絵、日本の縄文遺跡、羽根ライン、平安京、平城京とタカミムスビの秘密などを次々に明らかにして行きます。

バベルの塔崩壊以前に存在した地球規模の文明

さて、これまでシュメルと古代日本の関係を見てきましたが、古代日本がシュメル文明の影響を多大に受けていることは疑いようのない事実だと思います。しかも正統なシュメル文明の継承者が日本にやってきていたのではないかと思われます。その点では、竹内氏が口伝継承したという正統竹内文書も、ある程度の真実を伝えているのではないか、少なくとも私たちが知っている歴史とそう矛盾しないのではないか、と言えるのではないでしょうか。

ただし口伝では、シュメル文明は日本から発しているとしていますが、これを裏付ける証拠は出ていません。シュメル語も日本語も膠着語であるからと言っても、その言語が日本からシュメルに渡ったことを示す証拠とはなりません。

それでも、シュメル神話や世界各地に伝わる洪水伝説から類推すると、未曽有の大洪水が一大文明を滅ぼし、その後シュメル文明がメソポタミアに誕生するなど世界各地で文明が開花したとみることはできます。もちろん日本では「縄文日本文明」が既に誕生していました。

実は次の本『竹内文書と平安京の謎』では、5000年前には既に地球規模の文明があったのではないか、とする壮大な仮説を打ち立てています。それが象徴的に語られているのが、『旧約聖書』のバベルの塔の物語です。

大洪水を生き延びた人類は世界各地で再び都をつくり、繁栄します。古代メソポタミアでは、シュメル文明が栄え、ジッグラトというピラミッド複合体施設(階層のあるピラミッド型の宗教的構造物)も造られました。このジッグラトは、バベルの塔ではないかという説もあります。

で、どうしてこのバベルの塔の物語が象徴的なのかというと、バベルの塔を造る前は一つの言語が共通言語としてあったけれど、バベルの塔が崩壊してからは言語がバラバラになり、人々は互いの言葉を理解できないようになったと記されているからです。言語を文明と置き換えると、バベルの塔以前は一つの地球文明があったが、崩壊後はいくつもの小文明に分かれたと解釈できます。この混乱期に、かつての文明の叡智の大半が失われ、その技術や知識を理解できなくなったのではないか、と私は見ています。その混乱期がシュメル文明の衰退が始まった紀元前2000年ごろだったのではないでしょうか。
(続く)

ウィルミントンのロングマン

本日、アマゾンでも『正統竹内文書口伝の「秘儀・伝承」をついに大公開!』(ヒカルランド刊)が発売されましたが、今月出るもう一つの新刊『竹内文書と平安京の謎』(成甲書房)のほうもカバーが決まり、あと2、3週間ほどで発売される見通しとなりました。こちらは執筆から実に二年間を費やした376ページ大作です。

この本を書くこととなったきっかけをつくってくれたのが、この「謎の人物」です。

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ウィルミントンのロングマン。
「人物」と言っても、イギリス南部サセックス地方の海沿いのリゾート・イーストボーン近くの丘に描かれた、全長約70メートルの巨大な地上絵の人物画ですね。
日本の妖怪「のっぺらぼう」のように目鼻耳口がありません。
オリジナルは草の上に描かれた薄い線の地上絵だったそうですが、19世紀のヴィクトリア朝時代にライン上に煉瓦が置かれるなどして何度か人の手が加えられて現在のはっきりした姿になったようです。ではオリジナルがいつからあったかはまったくわかっていません。

では、このロングマンがなぜ竹内文書や平安京と関係するのか、ですが、その謎は是非本をお読みください。

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シュメールの卑弥呼(パート2)

スメル文明の中心都市ウルに紀元前2400年ごろに存在したとみられる女王プアビ(スメルの卑弥呼)。
大英博物館が所蔵している、彼女が女王だったころの時代の装飾品の展示を詳しく見てみましょう。
まずはこちら。

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とても4400年前の装飾品とは思えない優雅さを持っています。
逆に言うと、私たちがいかに当時の文化水準の高さを知らないか、ということにもなるんですね。
どれも王家の子供が身に付けていたとみられる装飾品で、金とラピスラズリとカーネリアンでできています。

秋山氏との共著『あなたの自宅をパワースポットにする方法』(成甲書房刊)で紹介しましたが、ラピスラズリには悪いバイブレーションを非常に短期間で変えることができる「霊的な抗生物質」のような力があります。家の中では北東に飾ることがお勧めです。
おそらくスメル人たちも、こうした鉱物の霊的な効用について既に気づいていたのではないでしょうか。一種の魔除けのようなものですね。実は古代日本でもラピスラズリとヒスイは珍重されていたようです。

装飾品のシンボルに着目すると、二重の菊花紋のようなデザインが印象的です。四重の同心円にも何か意味がありそうです。直感的には、アトランティスの都市構造を想起させます。

次はこちら。

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王家の墓から出土したペンダント類で、こちらも金、ラピスラズリ、カーネリアンでできています。
ペンダント中央の渦巻きが集まったようなシンボルや二重の渦巻きは、約6000年前のアイルランドの巨石遺跡や5000年ほど前のスコットランド・オークニー諸島の装飾品にも見られるシンボルです。同じ文明であるとまでは言いませんが、既に5000年前ごろから渦巻き紋様が人類普遍の意味のあるシンボルとして定着していたことがうかがえますね。

シュメールの卑弥呼

ロンドンの大英博物館には、私が「シュメール(スメル、シュメル)の卑弥呼」と呼ぶ展示があります。

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スメルの女王プアビです。
今から4400年前、つまり紀元前2400年ごろのスメル文明の中心都市ウルの遺跡から発掘された出土品を基に、大英博物館が女王を「再現」したものです。
私のイメージの中では日本の卑弥呼とピタリと一致します。
胸元に光る首飾りのシンボルマークは菊花紋に似ていますね。
ここに「スメラミコト」や祭祀王アマテラスの原型があるのではないでしょうか。

竹内氏が口伝継承したという正統竹内文書によると、古代メソポタミアで栄えたシュメール文明を築いたのは、日本から旅立ったスメラ族の一団でした。政治・軍事王がスサの王であるスサノオ(のちの出雲族)で、祭祀王がスメラミコト、後のアマテラス率いる日向族(天孫族)になったと伝わっているそうです。
その真偽はさておいて、直感的にはアマテラスに代表される祭祀王はメソポタミアのスメル文明と非常に近いように感じます。日本の神話のルーツがスメル文明から発していることからみても、日本の天皇家のルーツはメソポタミアのスメル文明であったのは間違いないのではないでしょうか。

アマゾンのランキングと王冠マーク

今月出版される二冊の本はまだ店頭には並んでおりませんが、アマゾンのランキングを見ると、前評判はかなり高いようです。
『竹内家長老からの禁則を破って正統竹内文書口伝の『秘儀・伝承』をついに大公開!』(ヒカルランド)はすでに、書籍全体で450位、人文思想では100位ぐらいまで上昇しています。一方、『竹内文書と平安京の謎』(成甲書房)は書籍全体ではまだ4万位台ですが、古代日本史部門の新着ランキングでは堂々の一位を付けています。アマゾンの部門別の一位には王冠マークが付きます。私の本に王冠マークがついたのを目撃したのはこれが初めてなので、記念に(証拠として)写真をアップしておきます。

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鼎談本はかなり面白いです。しかもとても読みやすい作りになっていると思います。自分で書いたにも拘わらず、何回読んでも楽しめます。間もなく発売されます。

一方の『竹内文書と平安京の謎』は日本人はもちろんですが、英国人をはじめとする多くの世界中の歴史好きにも読んでもらいたいですね。イギリス取材旅行中に出会ったイギリス人やスコットランド人、オーストラリア人に私の本の話をしたらみな非常に興味を持ってくれました。特にイギリスの人は本の内容を聞いてとても驚いていました。かつて培った英語論文作成能力を生かして自分で英訳することも考えております。英訳本はしばらくお待ちください。

今月二冊目の本

出版社が違うため出版日時を調整できなかったのですが、7月にもう一冊新著が出ます。
まだカバーが決まっていませんが、アマゾンに告知されています。

タイトルは『竹内文書と平安京の謎』。出版社は成甲書房で7月末までに発売される予定です。

超古代についての驚愕の事実が次々に明らかになります。
「竹内文書」をはるかに凌駕する発想で、壮大な仮説を展開する「布施ワールド」をお楽しみいただければと思っております。


アフィントンの白馬

今回の取材旅行はいつもより2日ほど長く、これまで見られなかった場所を中心に回りました。
ケンブリッジからスタートして、スカボロー、ダラムとイングランドを北上して、スコットランドに入ります。
スコットランドではスターリン、ネス湖で有名なインバネスを経て、ハイランドのロッヒンバー、カイル・オブ・ロヒャルシュ、スカイ島、オーバンをめぐりました。これが旅の前半です。後半はイングランドに戻り、カーライルから南下、キダーミンスター、タビストック、エイヴベリー、マルボローを経てスウィンドン、イーストボーンを回り、最後にロンドンで三泊する日程でした。
まあ、いつも通りかなり強攻スケジュールですね。

今回は全部は紹介いたしませんが、抜粋でいくつかの雑感をブログに書くつもりです。

今日ご紹介するのは、前回の取材旅行ブログでも取り上げた地上絵「アフィントンの白馬」です。
その日はあいにくの雨だったのですが、宿屋に着いてから窓越しに外を見ると、遠くに白馬の地上絵が見えます。
そしていつものように、しばらく待つと空は晴れ上がり、白馬とその周辺の複合施設が夕陽の陰影の中に強烈に浮かび上がります。それがこの写真です。

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中央左の丘の斜面が角度を変えている肩の部分に白馬の地上絵が見えます。
この丘の斜面の肩に地上絵が描かれているところが、この地上絵のミソです。
この位置に白馬を描くことで、太陽と丘の角度が織り成す微妙な陰影ができます。
その陰影の見え具合で、おおよその時刻を知ることができるんですね。
つまり白馬は時計の役割をしていたことがわかります。
特に夕刻の時間は白馬が教えてくれます。
朝は太陽は丘の反対側から昇るので、陰影はそれほどはっきりしません。

右の丘の波打つ襞(ひだ)ような斜面にも秘密がありそうです。
そして前回も指摘したように、白馬の左下には前方後円墳のような祭壇があるわけです。
昨年のブログから、その写真を再掲しておきましょう。

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昨年6月24日のブログです。
白馬の頭の向う側の下に見えるのが前方後円墳型の「祭壇」ですね。

ここには壮大なグランドデザインに基づいた古代人の叡智が詰まっています。
少なくとも一大複合体であると見るべきなんですね。

もう一度アフィントンの白馬を訪れようと思っていましたが、まさか予約した宿から見えるとは予想外でした。
しかも時間もぴったり晴れ間が現れて、白馬の陰影が浮かび上がる時刻にチェックインできたのは幸運でした。

新しい本が出版されます

ずいぶん長い間ブログをお休みしておりましたが、現地17泊18日のイギリス取材から本日(2日)帰国したところです。
今回は少し抑え気味で走行距離4000キロぐらいでしょうか。
帰宅したら、新しい本(見本)も出来ておりました。

『竹内家長老からの禁則を破って 正統竹内文書 口伝の『秘儀・伝承』をついに大公開!』(ヒカルランド刊)

見本が届いたのが6月30日ですから、書店に並ぶのは7月7日ごろからでしょうか。
秋山眞人、竹内睦泰両氏との共著で、3年前に出版した「正統竹内文書の日本史シリーズ」の第四弾に相当する本です。
今回は日本の神話や伝承、お伽噺に焦点を当て、まったく新しい解釈を読者の皆さんに提供しております。
「まさか!」「えーっ!」と驚くような解釈が次々と出てきますので、お楽しみいただければと思っています。

イギリス・エジプトの巨石文明や日本の「縄文文明」など失われた「超古代文明」に光を当てた別の本も間もなくできるはずですから、出版が正式に決まりましたらお知らせします。

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