シュメルー古代ギリシャー古代日本をつなぐアドニスの神話(その3)

以前、シュメル人たちが自分の国を呼んだ時の「キエンギ」を日本語に訳すと「葦原中国」になると指摘しましたが、アドニスの名前も限りなく「大国主」に近くなります。既に説明したように、アドニスは「主」という意味です。アドニスは穀物神でもありますから、「穀物を育てる偉大なる主」であると読めば、国を豊かにする大国主であると解釈することもできそうです。

でも、これはただの表面上の話です。アドニスと大国主の類似点は、かなり深く細部にわたっています。

まず、どちらも、木の中から生まれていることです。「えっ、アドニスは母親の木が裂けて、そこから出てきたけど、大国主は木から生まれたっけ?」と思われる方もいるかもしれませんね。忘れてしまった方のために少し『古事記』の「出雲神話」をおさらいしておきましょう。

ヤガミヒメを大国主に取られた八十神たちは、大国主を亡き者にしようと山に連れ込み、大木を倒して打ち殺し、その大木の中に閉じ込めてしまいます。これを知った母神が、その大木を裂いて大国主を取り出し復活させます。つまり一度死んだ後に木から生まれたことになりますね。

次にどちらも、「猪」に殺されています。「えっ、アドニスは猪の牙で突かれて死んだけど、大国主って猪で死んだっけ?」と思っている方のために、おさらいをします。

同じく大国主を殺そうと企んだ八十神たちは、山のふもとに大国主を立たせたうえで、「山から猪を追い下ろすから、お前はそれを待ち受けて捕えろ」と命令します。命じられるままに猪を捉えようと待ち構えていた大国主に対して、八十神たちは猪に似た大石を火で焼いて転がします。それを猪だと思った大国主は、焼けた大石を体で受けて死んでしまいます。つまりアドニスが猪に化けたアレスに殺されたように、大国主は猪に似せた大石に殺されたことになりますね。

思い出していただけたでしょうか。ご覧のように、大国主の「八十神の迫害」の話は、大国主が死んで復活する、死と再生の物語でもあるんですね。「死と再生」こそ、既に説明したように植物の神としてのアドニスの特性でもあります。春に生まれ、夏に繁茂、秋に果実が熟し、冬に枯れ死ぬ植物のサイクルでもあります。まさに大国主はアドニスです。

この大国主の物語でお面白いのは、息子の命を救う「母神」が出てきますが、名前が隠されていることです。確かに『古事記』ではサシクニワカヒメが大国主の母親だとしています。だけど、大国主はスサノオの娘であるスセリビメの婿養子ですから、スサノオから数えて五代後の天之冬衣とサシクニワカヒメの子であるはずがありません。これって、かなり怪しいです。普通母親を登場させたなら名前を書くでしょ。本当にサシクニワカヒメであると思っているなら、そう書けばいいんです。それを書かないんですから、相当な理由がないといけませんね。少なくとも『古事記』編纂者は、オオナムヂこと大国主はサシクニワカヒメの子ではないことを知っていたことは間違いありません。

さて、母親の名前を伏したことについて、考えられる理由はいくつかあります。一つは「八十神の迫害」はまったくの作り話のエピソードで、すべてギリシャ神話のアドニスの物語から拝借したというケースです。この場合は、具体的に母親の名前を出してしまうと物語の整合性がつかなくなるので、わざと名前を伏して抽象的にしたことになります。

もう一つの可能性としては、物語自身が作り話であったかどうかは別にして、記紀編纂者が本当に大国主の母親の名前を知らなかった、というものです。ではどうして知らなかったかというと、外国の人だったのかもしれないわけです。ミュラとかスミュルナとか外国の名前を言われても、面倒だったので(あるいは覚えきれなかったので)、「御母神」と記したという可能性があります。

さらにもう一つの可能性として、大国主の本当の出自を教えるとまずかったので、わざと秘したということも考えられます。おそらくその出自の秘密を解くカギは、既に指摘しましたが、スサノオが大国主を見るなり、「これは葦原色許男神だ」と発言したことにあるように思われます。シュメル人と関係がある一族の出身であったが、日向族でも出雲族でもなかったのではないでしょうか。たとえば古代ユダヤ人であったのではないかと私は見るわけです。でも、それならばなぜ、古代ユダヤ出身であることを隠す必要があったのかは定かではありません。

ちょっと脱線しましたが、アドニスと大国主の類似性についての話を続けましょう。
(続く)
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シュメルー古代ギリシャー古代日本をつなぐアドニスの神話(その2)

シュメルと古代日本をつなぐアドニスの神話は次のような物語です。

美と愛の女神アプロディーテを崇拝する、キュプロス島のキニュラース家には、美しい王女ミュラーがおりました。ところが、一族の誰かが「ミュラーは女神アプロディーテよりも美しい」と言ってしまったことから、さあ大変。この「暴言」を耳にしたアプロディーテが激怒(ただし、アプロディーテの祭をミュラーが怠ったから激怒したとのバージョンもあります)、罰としてミュラーが実の父であるキニュラースに恋するように「呪い」をかけてしまいます。女神の嫉妬ほど怖いものはありませんね。「呪い」によって生じた父親に対する道ならぬ恋に思い悩んだミュラーは、自分の乳母にその気持ちを告白します。

ミュラーを哀れんだ乳母は、祭りの夜に二人を引き合わせ、暗闇に乗じて思いを遂げさせました。何日か後になって、明かりの下で彼女の顔を見たキニュラースは、それが自分の娘のミュラーだと知って逆上、ミュラーを殺そうとします。その際、一瞬躊躇した隙を見て、彼女は父親の元から逃げ出します。でもそのときすでに、父親の子を宿していたんですね。

追手から逃れながら9か月の間、国々を渡り歩いたミュラーは、身重になったことからアラビアの南サバという地でとうとう動けなくなります。その彼女を哀れに思った神々は、ミュラーの胴体を幹に、足を根にして、ミルラ(没薬)の木に変えたんですね。やがて、その木に猪がぶつかり(お産の女神が呪文で取り上げたとのバージョンもあります)、木は裂け、その中から玉のように美しい男の子アドニスが生まれました。

運命とは皮肉なもので、そのアドニスに、何とあのアプロディーテが恋をします。狂おしいほどに愛らしかったので、女神はアドニスを箱に入れ、その箱の中を見ないように言ったうえで冥界の王ハーデスの妻ペルセポネ(デメテルの娘です)に預けます。冥界で見るなと言われれば、それは見ますよね。箱の中の男の子を見たペルセポネもまた、アドニスに恋をしてしまいます。ペルセポネはアドニスを大事に育てます。アドニスは生まれながらのプレイボーイであったというわけですね。

この「三角関係」が発覚するのは時間の問題でした。少年に成長したアドニスをアプロディーテが迎えにやって来たことから、一悶着があります。当然、情が移ったペルセポネがアドニスを「返す」はずがありません。二人の女神の間で口論となり、やがては天界の裁判所が乗り出して、民事調停をする騒ぎに発展します。その結果、1年の3分の1をアドニスは地上でアプロディーテと過ごし、3分の1は冥界でペルセポネと暮らし、そして残りの3分の1はアドニスが自由に過ごすということで決着します。

ここからは異説の一つですが、アドニスは自分が自由に過ごせる3分の1の時間もアプロディーテと一緒にいることを選んだというんですね。これがペルセポネの逆鱗に触れます。自分と過ごす時間が3分の1で、アプロディーテと過ごす時間が3分の2であるということがプライドの高いペルセポネには許せなかったんでしょうね。アプロディーテの恋人(愛人)である軍神アレスに「あなたの恋人はあなたを差し置いて、人間に現を抜かしている」と告げ口をして、アドニスを殺すように仕向けます。

告げ口を聞いたアレスは憤慨し、アドニスが狩りをしている最中に大猪を焚き付けて(アレス自ら大猪に変身したというバージョンもあります)アドニスを牙で突き刺し、殺してしまいます。

アドニスの叫び声を聞いたアプロディーテはすぐに駆けつけますが、時すでに遅し。アドニスが流した血潮からアネモネの花が咲いたといいます。

では、この物語がなぜ古代日本の神話と結びつくのかを明らかにして行きましょう。
出雲の大国主の物語は、アドニスの物語をそのまま拝借していることが明白になります。
(続く)

シュメルー古代ギリシャー古代日本をつなぐアドニスの神話(その1)

テレビも無線も電話もない時代に、1万キロ近く離れた古代ギリシャと古代日本で、同じ神話を共有していたということは驚異的なことです。似たような物語なら世界中を探せば、そこらじゅうにあるように思います。ところが、ギリシャ神話と記紀神話は細部までまったく同じところがミソなんですね。

もし単純にギリシャに源を発する神話が、伝言ゲームのように中央アジアを経て日本に伝わっただけなら、これほど細部まで同じ神話になることはなかったはずです。実際、ギリシャと日本の間に介在する中央アジアや東アジアには、これほどまでに酷似した神話は残っていません。

ということは、古代ギリシャ神話の編纂に携わった一族、もしくは古代ギリシャ文明の構築に深くかかわった一族がそのまま、中央アジアや東アジアを経由して日本にたどり着き、その一族が記紀編纂に関与したと考えるのが妥当なんですね。

いったいどのような一族なのかは不明です。でも、ギリシャ神話やギリシャ文明の中にヒントはあります。

ご存知のように、ギリシャ文明もまた多神教です。その多神教文明からギリシャ神話が生まれました。で、その多神教がどこから来ているかというと、シュメル文明に端を発している可能性があることは既に指摘した通りです。つまり日本にギリシャ神話をもたらした一族は、シュメル文明からギリシャ文明への流れの中にあって、両文明の繁栄に一役買った一族であったかもしれないわけです。その一族が日本に渡って来た、と。

実は、その系譜をそのまま示す神話も残っています。それがギリシャ神話に登場するアドニスという神の物語です。アドニスという名前はセム語「アドン」に由来し、「主」という意味があります。アドニスは植物・農耕の神です。植物ですから、春の芽生え、夏の繁茂、秋の収穫、そして冬の枯死というサイクルからもわかるように、死と復活の神でもあるんですね。

これだけで記紀神話の大国主を想像した人はかなりの通ですが、その前にアドニスの神話を詳しく説明しましょう。その神話がどこから来て、日本でどうなったかを知れば、シュメルから、ギリシャを経て、日本へと続く系譜が浮き彫りになるんです。
(続く)

神々の近親婚は政略結婚のことだった(その2)

では、なぜデメテルがスサノオと政略結婚したアマテラスになるのか説明しましょう。

出雲族に屈した日向族の女王アマテラスは、政略結婚することで和睦に持ち込んだわけです。つまり力に屈し、しぶしぶ結婚したことになりますね。そして、その政略結婚によって子供(宗像三女神)が生まれます。ところが、スサノオの乱暴狼藉に愛想を尽かしたアマテラスは岩戸隠れしてしまいました。

デメテルもまた、力ずくでポセイドンと「結婚」させられ、子供(神馬アレイオン)を生みます。
しかも、そのポセイドンの乱暴な振る舞いに腹を立てたデメテルが岩戸隠れしてしまうことは既に説明した通りです。

そしてどちらの神話でも、無理やり「結婚」して乱暴狼藉を働いたのは「弟」(ポセイドンはデメテルの「弟」、スサノオはアマテラスの「弟」)ということになっています。

一方、ヘラは貞淑なゼウスの正妻です。そしてゼウスとともに「天空」を支配する神であったと考えられています。天空とは「高天原」に違いありませんね。その高天原を夫の高木神(タカミムスビ)とともに統治していたのがアマテラスでした。

ヘラはゼウスとの間にアレスやヘーパイストスといった男神を生んでいますが、アマテラスも高木神との間に男神を儲けたことが示唆されています。またゼウスは他の女性とも子供を儲けていますが、高木神もまたアマテラス以外の女性との間にオモイカネという息子がいたことが記紀神話に記されていますね。

次にアマテラスの心情についても考察してみましょう。
仮にアマテラスが高木神の妻でありながらスサノオとの政略結婚に応じなければいけなかったとしたら、アマテラスの傷心の度合いはいかばかりだったでしょうか。その傷心ぶりが、娘をハーデスに誘拐されたデメテルの心情に重なります。岩戸から出てきた後は、アマテラスは高木神と仲睦まじく高天原を統治しますから、夫(ゼウス)を取り戻したヘラの心情と重なりますね。

このように高木神の正妻としてのアマテラスはヘラ、スサノオと政略結婚したアマテラスはデメテルと見事に一致します。つまり、神話の細部を見て行くと、キャラクターの設定だけでなく、その登場人物の心情そのものも、ダブるわけです。

これほど細部まで一致するのは、ただの偶然ではありえませんね。
『古事記』と『日本書紀』の編纂者はギリシャ神話のことを熟知していた人物であった、と考えるべきなんです。
彼らが、ギリシャ神話を意識しながら記紀神話を編纂していったのは間違いないでしょう。
そのことを次に説明しましょう。
(続く)

神々の近親婚は政略結婚のことだった(その1)

どうしてヘラが高木神と結婚したアマテラスで、デメテルがスサノオと政略結婚したアマテラスになるなのかを説明する前に、ハーデス、ポセイドン、ヘラ、デメテル、ゼウスの人間関係・・・・・・ではなくて、神関係についても触れておきましょう。

彼らは、実はみんなクロノスとレアの子供たち、ということになっています。
男の子の中では長男がハーデス、二男がポセイドン、三男がゼウス。女の子ではデメテルはおそらく次女で、ヘラが三女です(ほかに長女のヘスティアがいます)。そしてゼウスは、その3兄弟、3姉妹の中で末っ子なんですね。

父親のクロノスは、自分の子に統治権を奪われるだろうという予言を恐れて、生まれた子供を次々に飲み込んでしまいました。その飲み込んだ順番から兄弟姉妹の関係が推測できるわけです。その順番はヘスティア、デメテル、ヘラ、ハーデス、ポセイドンとなります。

母親のレアとしては自分が生んだ子を夫に次々と飲み込まれてしまったら、たまったものではありませんね。そこで、末子ゼウスの身代わりとして石を夫に飲み込まさせ、ゼウスだけは隠れて生み育てることに成功しました。

やがてゼウスは成長し、オケアノスの娘メティス(後にゼウスの妻となるティタン神族の知恵の女神)を使って、クロノスに嘔吐剤を飲ませます。すると、クロノスは身代わりの石ととともにゼウスの兄や姉を全部吐き出しました。

ここからゼウスら「オリュンポス神族」の反撃が始まります。吐き出された兄たちとともに、父親クロノスをはじめとする「ティタン神族」に対して戦いを挑みます。

でも、これって、ちょっと不思議ですよね。というのもゼウスだって、ティタン神族だろうと思いませんか。父親のクロノスがティタン神族なんですからね。何か裏がありそうです。クロノスとゼウスは、それぞれ別の王統ではないかと思うんですよね。まったく違う血族の王統を自分たちの王統に組み入れてしまう「手口」には、心当たりがあります。

まあ、それはともかく、10年以上に及ぶ壮絶な戦いの果てにゼウスらが勝って、オリュンポス神族が世界を統治することになったわけですね。で、ゼウスが天界、ポセイドンが海洋、ハーデスは冥界を支配することをくじ引きで決めました。このことは既に説明しましたね。

で、絶大な権力を手に入れたゼウスは、姉のデメテル、ヘラと次々に結婚します。
(続く)

ゼウスは高木神、ポセイドンはスサノオ、ハデスはツキヨミだった

記紀神話とギリシャ神話では、同じ物語が共有されているだけではありません。登場人物も極めて似かよっているんですね。

よく言われるのが、イザナギとイザナミから生まれたという「三貴子」と、ゼウス、ポセイドン、ハデスの三神です。

三貴子(さんきし)は「みはしらのうずのみこ」とも読ませますが、『古事記』で黄泉の国から帰ってきたイザナギが黄泉の汚れを落としたときに最後に生まれ落ちたアマテラス、スサノオ、ツキヨミという三柱の神々のことです。イザナギ自身が自らの生んだ諸神の中で最も貴いとしたところから名づけられました。三貴神(さんきしん)とも呼ばれます。

で、この三貴神は、父神のイザナギによって統治する場所が決められます。イザナギの左目から生まれたアマテラスは、太陽神として高天原を治めることになります。イザナギの右目から生まれたツクヨミは、夜の世界を統治する月神となります。そして、イザナギの鼻から生まれたスサノオは、海原を統治する神となるんですね。

一方、ギリシャ神話では、「オリュンポス神族」が「ティタン神族」との闘争に勝って、オリュンポス政権が樹立されたときに、何とくじ引きで、ゼウスが天界、ポセイドンは海洋、ハデスは冥界を統治するということが決められたというんですね。

冥界は夜の世界、すなわち月神に通じます。つまりツキヨミはハデス、スサノオはポセイドンであることになります。

でも、ゼウスとアマテラスでは何かしっくりきませんね。
ところが、天界とはどこか、ということをよく考えてみてください。記紀神話では「高天原」のことですよね。で、その高天原を統治していたのが、既にご紹介したタカミムスビこと高木神です。

記紀神話ではうまく隠されていますが、読む人が読めば、実質的にアマテラスの夫である高木神が天界の統治者であることがわかります。そう、高木神こそゼウスなんですね。『古事記』で高木神が高天原から下界の葦原中国を眺める描写などは、天界(オリュンポスの山)から下界を見下ろすゼウスの描写にそっくりです。

では、アマテラスがギリシャ神話の誰に相当するかというと、それはヘラと、「岩戸隠れ」のときに紹介したデメテルです。

なぜアマテラスが二人もいるのか、という疑問を持たれるかもしれませんが、これにも理由があります。高木神の妻としてのアマテラスがヘラで、スサノオと政略結婚したアマテラスがデメテルであると解釈することができるんです。
(続く)

オルフェウスとイザナギの「冥界下り」は同じ物語だった

日本とギリシャの神話の中で、デメテルとアマテラスの岩戸隠れと同じくらい似ている、というか同根と言える話が、オルフェウスとイザナギの冥界下りの物語です。

オルフェウスの物語は次のようなものです。

オルフェウスの妻エウリュディケが毒蛇にかまれて死んでしまいました。諦めきれないオルフェウスは最愛の妻を取り戻すために冥界に下ります。彼の弾く竪琴の哀切な音色によって、冥界への渡し守も、冥界の番犬ケルベロスもおとなしくなり、オルフェウスが冥界に入るのを許します。そしてついにオルフェウスは、冥界の王ハーデスとその妃ペルセポネの王座の前で竪琴を奏でて、エウリュディケを返してくれるよう訴えました。

オルフェウスの琴の音に心を動かされたハーデスとペルセポネは、エウリュディケを地上に連れて帰ってもいいという許可を与えます。ただしそれには条件があり、オルフェウスは「地上へ出るまでの間は、絶対にエウリュディケを振り返って見てはいけない」という約束をさせられたんですね。

そこでオルフェウスは先頭に立ち、エウリュディケが従って、二人とも黙ったまま険しい小道を登って行きます。そしてあと少しで地上に出るという時になって、オルフェウスは妻が後をついてきているか心配になり、振り返ってしまいます。約束は破られたわけですから、エウリュディケは冥界に連れ戻されてしまいました。

一方、イザナギの冥界訪問は次のような物語です。

火の神の出産によって愛妻イザナミを失ったイザナギは、嘆き悲しみながらも、どうしても戻ってきてほしく思い、後を追って黄泉の国に向かいます。黄泉の国の御殿まで来ると、イザナミがそこにいます。そこでイザナギはイザナミを連れて帰ろうとしますが、イザナミは既に黄泉の国の食べ物を食べてしまったので戻れないことを告げます。それでも、わざわざ迎えに来たイザナギを無下に門前払いすることもできません。その熱意に押されて、イザナミはイザナギと一緒に地上に戻れるかどうか黄泉の国の神と掛け合うことにします。

ただしその際、一つ条件を出します。その条件とは、イザナミが黄泉の国の神と相談している間は、決して覗き見てはいけないというものでした。だが、なかなか戻らないイザナミに不安を覚えたイザナギは、我慢できずに御殿の中に入って覗き見してしまいます。そこには醜い姿をしたイザナミがいます。その醜さに驚いたイザナギは一目散で地上に逃げようとします。それを見たイザナミは「よくも約束を破って、恥をかかせたな」と言いながら、追いかけてくるんですね。結構怖いホラー映画みたいです。

その追いかけごっこは現世と黄泉の国との境である黄泉平坂まで続きます。そこでようやく双方が協議して、「離婚」が成立するんですね。

黄泉の国に妻を追いかけて行くところや、見るなという約束を破ってしまって妻を連れて帰れなくなるところなどは、まさに同じ物語です。そして、現実界と冥界の境で物語が決着するところも似ていますね。

また、黄泉の国の食べ物を食べたら帰れなくなるというイザナミの話は、ギリシャ神話にも出てきます。前回紹介した大地母神デメテルは、行方不明となった娘が冥界王ハーデスに誘拐されていたことを知り、ゼウスの助けを借りて取り戻します。ところが娘は冥界で食べ物を食べていたので、冥界に戻らなくてはならなくなるんですね。

つまり、オルフェウスの冥界下りとイザナギの黄泉の国訪問の話は、細部まで同じ物語であるとみなすことができるわけです。
(続く)

「デメテルの洞窟隠れ」と「アマテラスの岩戸隠れ」は同じ物語だった

メソポタミアに多神教文明をもたらしたスメル族(シュメル人)がその後、古代エジプトと古代ギリシャに多大な影響を及ぼし、その後ヨーロッパにおける一神教文明の台頭とともに、ヨーロッパを後にして日本に戻ってきたという、正統竹内家の口伝の信ぴょう性についての検証を続けましょう。

既に述べたように、シュメル人が古代エジプトに影響を与えたのは間違いないように思われます。シュメル人の王家が使っていた「16菊花紋」が、そのまま古代エジプトの王家が使う紋章に使われていることも偶然ではないでしょう。スメル族の「ミケイリノ」がピラミッド建造法を本当に伝えたのかどうかは議論の分かれるところですが、シュメル人の可能性のあるイムホテプを含め、先に開花したシュメル文明の継承者であるスメル族が古代エジプト人に建造法を教えたとしてもまったく矛盾はないわけです。そして古代エジプトが衰退すると、スメル族の一部(たとえば後の日向族)がエジプトを離れて日本に戻って来た、と考えることはできます。

では古代ギリシャはどうなのでしょうか。
その際、どうしても避けて通れない議論が、ギリシャ神話と日本神話の類似性です。
両神話を詳しく見て行くと、同じ物語が根底にあるとしか説明がつかなくなるんですね。

たとえば、ギリシャ神話にはデメテルという女神が登場します。
デメテルは行方がわからなくなった娘を探していたとき、自分に情欲を抱いた弟神のポセイドンに付け狙われます。危険を感じたデメテルは雌馬に化けて馬の群れの中に身を隠しますが、それに気付いたポセイドンも牡馬になってデメテルに近づき、犯してしまうんですね。

この理不尽な乱暴に激怒したデメテルは、山中の洞窟に籠り、身を隠します。穀物の育成を司る大地の女神(大地母神)であるデメテルが岩屋に籠ってしまったわけですから、下界はもう大変な状態になります。農作物は枯れて飢饉となり、神々も困窮を極めてしまいました。

そこでゼウスは運命の女神モイライらを派遣、デメテルのご機嫌を取るなどして岩屋から出てくるよう説得します。その説得工作が功を奏して、ようやくデメテルが姿を現し、世界に秩序が戻ります。

まさに日本神話に登場するアマテラスの天の岩戸隠れと同じ話ですよね。
高天原で乱暴狼藉を働いた弟神スサノオに怒ったアマテラスが岩屋に隠れて、世界が暗くなってしまうという物語です。

しかし、この二つの話はプロットが同じだけではありません。細部に至るまでそっくりなんです。
たとえば、馬です。ギリシャ神話ではポセイドンが牡馬に化けて牝馬に変身したデメテルを乱暴します。無理やり乱暴したわけですから怪我を負ったでしょうね。日本神話では、高天原でスサノオが生き馬の皮を剥いだり、田んぼに馬を放ったりして、大暴れ。その際、驚いた機織女が機織りに使う梭(ひ)で性器を怪我してしまいます。「馬」と「性器の損傷」という二つの要素が一致しますね。

また、アマテラスが岩屋から出てくる際には、アメノウズメが半裸になってセクシーダンスを披露してアマテラスの気を引く場面がありますね。一方のギリシャ神話では、デメテルの前に牧神パンの娘イアンベが現れて、滑稽な踊りを披露します。最初はデメテルは興味を示しませんが、イアンベが性器をむき出しにして踊り出すとデメテルも思わず吹き出してしまい、ご機嫌が直ったという場面があるんですね。

これが同じ物語でないはずはありません。
だけど、これだけではないんですね。
(続く)

オオナムヂがミケイリノに造らせた「ピラミッド」が古代出雲大社だった

正統竹内家の口伝継承者である竹内氏が古代エジプトと古代日本を結ぶもう一つの「証拠」として挙げているのが、古代出雲大社とクフ王のピラミッドの内部構造が「同じである」ことだと言います。

確かにクフ王のピラミッドの内部構造を見ると、「王の間」に向かっていく大回廊は、その角度や長さを含めて出雲大社の本殿へと続く長い階段に似ています。「王の間」は出雲大社の本殿のご神体を安置する場所でしょうか。「王の間」の上に築かれた「重力軽減の間」と呼ばれる構造物は、その屋根の形を含めて出雲大社の本殿の造りを彷彿とされる構造をしているように見えます。

で、昨日指摘した「平三斗(ひらみつと)」ですが、出雲大社などの大社造りではあまり使われることはなく、むしろ法隆寺など仏教伝来後の寺院に多くみられることがわかりました。ただ、6世紀ごろの古代日本の建築家がもし「ピラミッド」という建造物がエジプトにあるのだという話を聞いたら、「大きくて重い屋根を支えることができるよう、屋根の重量を分散して支える組物『平三斗』を使った建築物のことだ」と思ったであろうことは間違いないでしょうね。

それはともかくとして、仮に竹内氏が継承した口伝が正しいとすると、大国主の「出雲の国譲り神話」が俄然面白くなってくるのも確かです。というのも、オオナムヂこと大国主は日向族の軍隊に攻撃され「国譲り」を迫られたときに、「自分のために高天原で天津神が住むのと同じくらい壮大な宮殿を建てること」を降伏条件にして服属を約束したからです。その壮大な宮殿が古代出雲大社であったことは疑う余地はありません。

竹内氏によると、かつてのスメル族である日向族には「ミケイリノ」という世襲名を持つ建設大臣がいて、古代エジプトでピラミッドを建造する技術をもっていたことになっています。すると、もしオオナムヂがそのことを知っていたなら、「君たちはあの古代エジプト(高天原)で壮大な宮殿ともいえるピラミッドを造った人たちだよね。だったら僕のためにもそんな宮殿を造ってよ。そしたらさ、この国譲るから」と言った可能性も出てきます。

ではなぜオオナムヂがスメル族にそのような建築技術があることを知っていたかというと、オオナムヂが実は古代ユダヤ人で、大昔にはメソポタミアでスメル族と一緒に暮らしていた民族出身者(アブラハムの子孫)であったからではないか、との推理もできるわけです。

オオナムヂが古代ユダヤ人であったなどとすると、皆さんはそれこそ笑い話に思われるでしょうね。ではなぜ、同じスメル族の一派とみられる出雲族のスサノオが、娘のスセリビメの紹介で初めてオオナムヂに会ったにもかかわらず、一目見るなり「そいつ(オオナムヂ)はアシハラノシコヲだ」と見抜いたのでしょうか。アシハラノシコヲとは「葦原色許男」と書きます。「葦原」と言えば、そう、メソポタミアにシュメル人が築いた多神教文明の地をシュメル人たちは「葦原主国」と呼んでいましたよね。だとすれば、「葦原色許男」はメソポタミアにいた部族の子孫という意味だったかもしれません。多分想像するに、オオナムヂは一目で古代ユダヤ人、つまりヘブライ人とわかるような出で立ちや容姿をしていた、だから一目で「葦原色許男」であるとわかったのだと解釈できるわけです。逆にそう解釈しないと、「葦原色許男」は意味不明の名前になってしまうんですね。

正統竹内家の口伝がどれだけ真実なのかはわかりません。でも、『古事記』の中の意味不明な記述を口伝で読み解くと、妙に辻褄が合ってしまうところが面白いところです。
(続く)

ピラミッドは「飛来御堂」か「平三斗」、卑弥呼の名には「トト神」が隠されていた

もし正統竹内家の口伝が示すように、日本から大陸に渡ったスメル族(シュメル人)がメソポタミアで多神教文明を興し、古代エジプトや古代ギリシャに影響を与え、その後日本に戻って来たとしたら、何らかの痕跡や証拠があるはずです。

それに関連して、竹内氏は面白い「偶然的な符合」があることを指摘します。既に紹介したように、竹内氏によると神武の兄の「ミケイリノ」は世襲名でピラミッドなどを造る建設大臣のような役職名であったといいます。そしてギザの第三ピラミッドを建造したメンカウラー王のことを、古代ギリシャの歴史家ヘロドトスは「ミケリヌス」と呼んだという符合があるわけです。

しかし、この駄洒落のような符合は、他にもあるのだとと竹内氏は言います。
それが「トト」です。

「えっ、トト」「トトって何よ」とみなさん驚かれると思いますが、思い出してください、あの「トト」です。

そう、卑弥呼の話のときに出てきた卑弥呼の本名「倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)」の「トト」です。
竹内氏によると、この「トト」と古代エジプトの神々の中の「トト」には関連があるのだというんですね。

では、古代エジプトの「トト神」とはどのような神でしょうか。
それは知恵を司る神です。何か秘密を握っている神のようですね。で、その古代エジプトの知恵はタロットに残されたと考えられたため、タロットがしばしば「トトの書」と呼ばれるのはそのためだそうです。
またトトは、王が即位したときには、その王の名前をイシェドと呼ばれる永遠に朽ちない葉に書き記す「書記の守護者」でもありました。魔法にも通じており、病を治す呪文も熟知していることから医療の神の面もあります。
さらには太陽神ラーを補佐する事から「ラーの心臓」とも呼ばれていました。

トト神のキーワードを拾っていくと、「タロット占い」、「魔法」、「呪文」からは卑弥呼の「鬼道」や「祈祷」という言葉が思い起こされますね。「知恵」からは宗教的な秘儀・秘伝が浮かびます。「太陽神ラーの補佐」は、アマテラスのお告げを受け取る巫女、すなわち太陽神を祭る巫女のイメージと結びつくように思います。

確かに日本語の「トト」は意味不明でした。『日本書紀』では「迹迹」、『古事記』では「登登」と書くことからわかるように漢字は当て字の可能性が高いですね。つまり「トト」という音に意味があったわけです。それが古代エジプトの「トト神」であった可能性がある、と竹内氏は指摘します。

「ヤマトトトヒモモソヒメ」の「トトヒ」を「トトビ」と読み、「鳥飛」とする説もあるようですが、「トトヒ」の「ヒ」は、「日」、「火」もしくは「霊」のことで、神と同義のはずです。ということは「トトヒ」で「トト神」と読めるわけですね。

再び「ミケイリノ」に話を戻します。
竹内氏によると、ピラミッド建造者の「ミケイリノ」は、日本全国にピラミッドを造ったという口伝があるといいます。そして口伝ではピラミッドを「飛来御堂」と呼んだ、と。竹内氏の説によると、つまりこういうことになります。「飛来御堂」を建造する技術を持つスメル族の一部がメソポタミアから古代エジプトに渡り、そこで日本をルーツとする「飛来御堂(ヒライミドウ)」、すなわちピラミッドを造った可能性があるのだ、と。

まあ普通に聞くと、とんでもない話です。一笑に付すべき話ですよね。
でも、ちょっと待ってください。
というのも今でこそ、ピラミッドと言えば、あの四角錐、もしくは三角錐の形のピラミッドですが、実は「ピラミッド」という語源自体はよくわかっていないんですね。

ギリシア語で三角形のパンを指すピューラミス( ピラミス、ピラムスとも言う)に由来するという説が有力だとされていますが、それって、日本の「カレーパン」がインドの「カレー」の語源であると言っているようなものです。本来ならエジプトの「ピラミッド」のように三角形のパンだから「ピューラミス」と呼んだと考えるのが妥当ですよね。

では、エジプト人はピラミッドのことを何と呼んでいたのでしょうか。
実はそれもよくわかっていません。ヒエログリフでは「△」と書くこと、古代エジプト語名は「メルmer」であること、「メル」とは「昇る」という意味であることはわかっています。

そうであるならば、元々「ピラミッド」はギリシャの三角形のパンである「ピューラミス」に発音が近く、「昇る」という意味のある言葉が語源であったと考えることができます。昇ると言えば、日が昇る、つまり「日来」「飛来」とならないでしょうか。正統竹内家の口伝では「飛来御堂」ですが、「竹内文書」では「日来神宮」と書き、「ヒラミット」と読ませるようです。

また日本語には、神社や寺院を建造する際の建築用語にも「ひらみつと」という言葉があります。

デジタル大辞泉
ひら‐みつと【平三斗】
寺社建築で、斗栱(ときょう)の形式の一。大斗(だいと)の上に肘木(ひじき)をのせ、その上に3個の巻斗(まきと)を並べたもの。

簡単に言えば、屋根の荷重を分散して柱に伝えるための重要な組物の形式の一つです。もし、法隆寺にも使われている「平三斗」という斗栱(建築物の柱上にあって軒を支える部分)の建築形式に極めて近い様式が、ギザの大ピラミッドの「王の間」の上にある「重力軽減の間」と呼ばれる建造物や、出雲大社にも使われていたら、単なる偶然では済まされないでしょうね。

長くなったので、ここまで。次は出雲大社とピラミッドの関係にも触れて、先に進みましょう。
(続く)

「世界最古の文明を開花させたシュメル族は日本に戻ってきた」

これまでの歴史の流れを振り返ってみましょう。

今から5000~6000年前、チグリス・ユーフラテス川に挟まれた広大なメソポタミアの大地に都市国家を築いたシュメル人は、世界最古とされるシュメル文明を開花させました。多神教の文明ですね。その文明はその後、古代エジプトや古代ギリシャへと受け継がれます。一方、シュメル文明からはアブラハムを祖とする一神教文明も派生します。

シュメルの都市国家が紀元前2000年ごろ衰退すると、アブラハムを祖とする一神教文明もシュメル人の多神教文明の跡を追うように古代エジプトへと流入します。しかし、古代エジプトでは一神教文明は主流となれなかったので、モーセら一神教文明の信徒たちは教義を守るため、再びパレスチナに戻ります。そして、そこに活動拠点を置き、最終的にはパレスチナ地方のエルサレムに紀元前995年ごろ、イスラエル王国(統一王国)を築いたわけです。

さて、ここでもし正統竹内家の口伝が正しいとすると、次のようなことが言えると思われます。

今から5000~6000年前、沈む太陽を追いかけるようにして理想の土地を求めて日本から大陸に渡ったシュメル(スメル)族は、メソポタミアの地にたどり着き、そこに都市国家を築きます。かれらはその地をキエンギ(葦原主国、葦原中国)と呼びました。当然、八百万の神々を信奉する多神教の文明です。

ところが理想の国家を作ろうとする試みは他民族の流入などにより、頓挫します。紀元前2000年頃までにはおそらく三つのグループに分かれて、メソポタミアの地を後にします。一つのグループは古代エジプトに移動します。私はそれがイムホテプのグループであったのではないかと思っています。彼らは古代エジプトの社会に溶け込み、一部は王統にも入り込み、エジプトに多神教文明を根付かせたのではないでしょうか。

同じようなシュメル人の文明の流れは、古代ギリシャ文明にも当てはまるように思われます。古代ギリシャもまた多神教文明です。特に古代ギリシャのポリス(都市国家群)という形態は、シュメル人の都市国家と相通じるものがありますね。

その後シュメル人がたどった具体的な道程はわかりませんが、口伝によると、現在はシルクロードとして知られる、海の道、陸の道、草原の道の3ルートを使って、日本に戻ってきたというんですね。そのうちの二つは既に紹介しました。スサノオのグループとアマテラスのグループです。前者が陸のルート、後者が海のルートを使いました。そして第三のグループがいた。このグループが利用したのは草原のルートです。

つまり竹内氏が継承した口伝では、日本で発祥した多神教文明が大陸に渡ったシュメル族によってメソポタミアの地で開花し、世界の多神教文明に影響を与えたが、やがてユダヤ教を中心とする一神教文明が台頭するようになると衰退してしまったということになります。そして衰退と同時にシュメル族は日本に戻って来たというんですね。

次回はその説に整合性があるかどうか、検証してみることにしましょう。
(続く)

一神教の誕生:「十戒」により「祖先の神」が「唯一の神」となった

モーセのゲリラ戦とも言える「10の災い」のよって蜂の巣をつついたようになった古代エジプト。しかも最後の災いである10番目の災いは、ファラオ(王)の息子を含めてすべてのエジプトの初子が殺害されるという無差別テロに発展したんですね。これもすべて、モーセの信じる「一神教」のなせる業です。

無差別テロは古代エジプトの人々に恐怖を植え付け、人々はもうパニック状態になったことは想像に難くないですね。そして、その大混乱に乗じてモーセは、差別され奴隷的な労働を強いられていたヘブライ人を救出、エジプト脱出に成功するわけです。これが聖書に言う「出エジプト」の本質ですね。途中、海が割れたりなんかしますが、それは映画制作的には効果があるでしょうが、枝葉末節の部分です。

「出エジプト」の一番重要な事実は、モーセがこれによって多神教とは永遠に決別して、ヤハウェを絶対神とする「一神教」を確立させたということです。ノアやアブラハム、イサク、ヤコブと続いた「祖先の神」に対する信仰は、これより古代ユダヤ人の絶対神として信奉されることとなりました。

おそらくアブラハムを祖とする古代ユダヤ人は、移住先のエジプトでアマルナ改革により一神教を導入しようとしましたが失敗して、エジプトでの政治的立場が急速に弱まったのだと思われます。しかしこの宗教改革運動があだとなり、一神教の台頭に危機感を募らせたエジプト王によって迫害されるようになると、宗教をテコにした「乗っ取り計画」を断念。同時に命辛々、彼らにとっての「約束の地」であるパレスチナ地方へと脱出したというのが真相ではないでしょうか。

いずれにせよ、シュメル文明の多神教から派生したアブラハムの信仰は、モーセがシナイ山で授かったという「十戒」により、「祖先の神」に過ぎなかった「主なる神」が「唯一の神」とされたわけです。
(続く)

「10の災い」はモーセが仕掛けたゲリラ戦だった

『竹取物語』の「月の使者」と『旧約聖書』の「主の使者」のもう一つの共通点は、「雲」です。
「月の使者」は雲に乗っていたと『竹取物語』には書かれていますね。満月より10倍明るいライト(光)のほかに、雲を使うわけです。

同様に、モーセがヘブライの人々を連れてエジプトを脱出する際に、「主」並び「主の使者」は雲を使って導き、光を使って照らしたと『旧約聖書』に書かれています。

「主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照らし、昼も夜も彼らを進み行かせられた。昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の前から離れなかった。」

「雲の柱」とは何かといえば、「葉巻型のUFO母船」であったと見るのが妥当なのではないでしょうか。夜はその柱がライトアップしたわけですね。それが「火の柱」です。母船が常にモーセたち一行を空から見守っていたということでしょう。

つまり「月の使者」も「主の使者も、当時の科学では理解できない、雲のように空を飛ぶ乗り物、しかも夜間は煌々と昼の光のように光っている乗り物を使って地球人と接触したと見るのが一番理解しやすいのではないかと思っています。

まあ、それはともかく、「主の使者」から「啓示」を受けたモーセは、「主」の力を借りて、奴隷のように扱われていたヘブライ人をエジプトから脱出させるべく行動を開始します。
同時にモーセに啓示を与えた「主」は、エジプト王とその民に対して凄惨なまでの戦いを仕掛けます。
それが聖書に記された「10の災い」です。

1: 水を血に変える
2:蛙を放つ
3:ぶよを放つ
4: 虻を放つ
5:疫病を流行らせる
6: 腫れ物を生じさせる
7:雹(ひょう)を降らせる
8:イナゴを放つ
9:暗闇でエジプトを覆う
10:長子を皆殺しする

この内容を読むと、「10の災い」は一種のテロ攻撃ですね。
モーセは当然、真っ向からエジプトの正規軍に対して戦いを挑むことはできませんでしたから、ゲリラ戦を展開したのだと私は解釈します。
(続く)

羊飼いモーセと「未知との遭遇」

「ヨセフを知らない王」もなくなり、殺人逃亡者モーセは結婚して子供にも恵まれました。
普通ならこれで「ハッピーエンド」となるのでしょうが、聖書ではこれで物語が終わりとはなりません。
「ヨセフを知らない王」が死んでも、エジプト王によるヘブライ人の迫害は続いたからです。

そんなある日、衝撃的な出来事が起こります。羊飼いとなったモーセが羊の群れを荒野の奥へと導いて、神の山ホレブに来たときのことです。「主の使い」がやって来ます。この「主の使い」の出現の仕方が面白いんですね。芝が炎に包まれている中に現れたというんです。ところが、芝は燃えているはずなのに、焼失しないのだと言います。当時の人はびっくりしたでしょうが、現代科学をもってすれば、何のことか容易に想像できますね。そう、スポットライトのような人工的な光源が芝を照らし出していた可能性が極めて強いんです。

「古代版未知との遭遇」という感じでしょうか。
実はこれと同じような表現を使った場面が日本の古典にも出てきます。
もちろん、あの『竹取物語』です。
「月の使者」がかぐや姫を連れて帰ろうとする場面で、夜中の12時ごろだというのに、家のあたりがまるで昼間の光のように明るくなります。どのくらい明るかったかというと、「満月の明るさを10倍にしたぐらいで、そこにいる人の毛穴さえ見えるほどであった」と克明に記されています。そして大空から「月の使者たち」が雲に乗って降りて来て、地面から五尺(約1507センチ)のところでホバリング(空中で停止した状態)しながら立ち並んでいたといいます。

モーセの遭遇した「主の使者」も、「月の使者」に近い人たちであったことが「聖書」の描写からもわかるんですね。
(続く)

逃亡者モーセの犯した第一級殺人および死体遺棄事件について

獅子身中の虫とはこういうことを言うのでしょうか。

王女に助けられ王宮で育てられたモーセはすくすくと成長し、大人になりました。ある日、モーセが王宮を出て、ヘブライ人の居住区に行って見ると、ヘブライ人たちが労役でこき使われているのを目撃します。そのとき、一人のエジプト人がヘブライ人たちを殴打していたので、モーセは何と人気のないことを確認して、そのエジプト人を打ち殺したというんですね。

実はこれが凄いんです。おそらくモーセは成人、もしくは成人に近い年齢だったのでしょう。普通なら同胞が虐げられているのを見て、カッとなってその場で殺すところですが、モーセの場合は用意周到に、「左右を見回し、人のいないのを見て、そのエジプト人を打ち殺し、これを砂の中に隠した」と書かれています。冷静沈着な「人殺し」ですね。

言うなればこれは、未必の故意による殺人ではなく、積極的な意図、つまり殺意を持って周到に準備した第一級殺人および死体遺棄事件だったわけです。その確信犯がモーセ。ところが、ばれないと思った殺人事件はどうやら同胞が目撃していたようです。エジプト王にばれるのは時間の問題だと判断したモーセは逃亡者となります。事実、エジプト王はモーセの殺人を知り、モーセを殺そうとしたと聖書には記されています。

エジプト王からすれば、モーセのやったことは恩を仇で返す行為であったわけです。せっかく王宮で育ててやったのに、飼い犬に手を噛まれるとは、こういうことを言うのでしょう。

しかしながらモーセは非常に冷静な男ですから、エジプト王の追手を見事に撒いて、アラビア半島の砂漠地帯にあるミディアンという土地に逃げおおせます。そこで羊飼い(兼祭司)の娘と結婚、男の子にも恵まれ、「ヨセフのことを知らない王」もやがて亡くなり、モーセは幸せに暮らしました。
めでたし、めでたし・・・・・・・。
(続く)

「敵」の王女に託したモーセの養育作戦

古代ユダヤ人(ヘブライ人)の指導者モーセと古代エジプト王とのせめぎ合いは熾烈です。その前にモーセの生い立ちを記しておきましょう。

モーセはレビ族のアムラムの子です。レビ族はヤコブの子レビを祖とする部族(氏族)の一つです。祭司の一族として特別な役割を与えられ、継承する土地を持たなかったため、レビ族はイスラエルの十二支族には数えないのが慣例となっているようです。それはともかく、モーセはまさにヘブライ人の男の子は川に投げ入れてしまえ、というエジプト王の命令があった時代に生まれたことになっています。

『旧約聖書』によると、モーセ自身はエジプトの王宮で育てられました。というのも、パピルスのカゴに乗せてナイル川に流された赤ん坊のモーセを、心優しきエジプト王女が助け上げたからです。しかし、この「美談」も実は策略の一つで、王女が水浴びをするために川に下りてくるのを見計らって、わざとモーセを乗せたカゴを流した可能性が高いと思われます。あまりにもタイミングが良すぎますからね。

この計画に一役買ったのが、モーセの姉ミリアムでした。王女が赤ん坊のモーセを川から引き上げさせるのを見届けると、すぐさま王女のそばに駆け寄り、モーセの実の母を乳母として紹介、見事王女に実母を乳母として雇わせることに成功しました。

まさに一か八かの大勝負ですね。灯台下暗しとはよく言ったもので、わざと「敵」の懐深くに入り込むことにより自分の赤ん坊の姿を見えなくして、その命を助け、しかも実母が息子を育てるだけなのに、養育費まで「敵」から取ってしまうわけです。「そんなのありかよ」って思いませんか。

でも、自然界ではよくあることなのかもしれません。
たとえばカッコーなどの鳥は、ホオジロやウグイスの巣に卵を産み落とし、抱卵や子育てを「仮親」に托す托卵行為をすることがよく知られています。託された「仮親」の実の卵は巣から落とされたり、孵化しても大きい雛に餌をやるという親鳥の習性により、淘汰されたりしてしまいますから、まさに踏んだり蹴ったりです。

托卵は鳥類以外の動物にも見られ、北米に生息するフロリダアカハラガメ(カメの一種)はアメリカアリゲーター(ワニの一種)の巣に托卵。巣の発酵熱で孵化を早めさせ、巣を守るアリゲーターの親を卵の護衛役に利用します。また、ナマズ類に属するシノドンティス・ムルティプンクタートスは、マウスブルーダー(口の中で卵や幼魚を育てる種)であるシクリッドに卵を託す習性を持っています。このナマズの稚魚は、シクリッドの口腔内でシクリッドの卵を食べながら成長するんですね。

モーセの場合は、まだ実母が育てたことになりますから、托卵的ではありますが、正確には「托卵行為」ではありません。ただ「巣」の提供と、「エサ代」は「仮親」に払わせたというだけでしょうか。わが子を守るための捨て身の作戦は、見事成功したわけです。
(続く)

多神教文明対一神教文明の生存をかけた戦い

「ヨセフを知らない新しい王」は、イスラエル人、すなわち古代ユダヤ人(ヘブライ人)に対して信じられないような迫害を始めます。ヘブライ人に男の子が生まれたら、みなナイル川に投げ込んでしまえというんですね。

一つの民族の男の子だけを殺害するように命じるとは、尋常ではありません。ただの奴隷民族であれば、貴重な労働力ですから殺す必要はなかったと思うんですね。ところが、その貴重な労働力の抹殺を謀った。ということは、エジプトの王はそれほど古代ユダヤ人を恐れていた、ということになります。つまりエジプト国家にとっての脅威に他ならなかったということです。

エジプトの王が脅威に感じたということは、国家転覆を図るような事例、あれはそれに類似する事件があったことを意味します。それがアマルナ宗教改革であったと私は見ます。そうでなければ、男の子の赤ん坊はすべて殺すという「民族抹殺」に近い命令を下したりはしなかったはずです。

これはほとんど、古代エジプト人(多神教文明)対古代ユダヤ人(一神教文明)のお互いの生存を掛けた戦いであったように思われます。

アマルナ改革を裏で糸を引き、エジプト王国転覆を謀った古代ユダヤ人のグループが「改革」に失敗、その動きを察した「ヨセフを知らない新しい王」が古代ユダヤ人の勢力を一掃しようとした。少なくとも、何とか勢力を削ごうとして、あの手この手でヘブライ人たち(古代ユダヤ人)に使役を課しました。

これに対して、ヘブライ人の中から指導者が誕生します。それがモーセですね。
(続く)

古代ユダヤの策略を熟知していた「ヨセフを知らない新しい王」

多神教から一神教へのアマルナ宗教改革が失敗した後、一神教支持派というか、一神教を信じる古代ユダヤ人もまた立場が苦しくなったのは当然ですね。『旧約聖書』の「出エジプト記」には、そのことが象徴的に描かれています。時は紀元前13世紀ごろ。アマルナ改革失敗から数十年が過ぎたころだとみられます。それは次のような記述です。

ヨセフのことを知らない新しい王が、エジプトに起こった。彼はその民に言った。「見よ、イスラエル人なるこの民は、我々にとって、あまりにも多く、また強すぎる。さあ、我々は、抜かりなく彼らを取り扱おう。彼らが多くなり、戦いの起こるとき、敵に味方して、我々と戦い、ついにこの国から逃げ去ることのないようにしよう」。そこでエジプト人は彼らの上に監督を置き、重い労役をもって彼らを苦しめた。(中略)エジプト人はイスラエルの人々を厳しく使い、つらい務めをもってその生活を苦しめた。すなわち、漆喰こね、煉瓦作り、および田畑のあらゆる務めに当たらせたが、そのすべての労役は厳しかった。

聖書ではヨセフのことを知らない王が誕生したので、古代ユダヤ人たちの迫害が始まったかのように描かれていますが、どうもそれだけではなかったことが上の記述からもわかります。彼らはエジプトで暮らしていても、エジプト文明やエジプト人とはなじまず、何をするかわからない不気味な巨大勢力になっていたことが読み取れます。言うなれば、いつでも敵に寝返るかもしれない国家内勢力が「イスラエル人」、すなわち古代ユダヤ人でした。

実は、この「ヨセフのことを知らない新しい王」こそ、アブラハムにはじまる古代ユダヤ人がこれまでにエジプトに対してやって来たことを良く知っていた王なのではないかと私には思えます。エジプトの立場から見てみましょう。最初アブラハムは、自分の妻を「妹」ということにして王宮に入り込ませ、エジプト王から莫大な富を得ました。まるで「美人局」のようなことをして、だまし取った、あるいは奪ったわけです。

その後、やってきた奴隷のヨセフは「夢解析」ができると称して言葉巧みに宮廷に入り込み、宰相にまで上り詰めました。これは並みの人間にはできません。で、宰相にまでしてもらったのに、ヨセフはカナンから多くの同族・親族を呼び寄せて移住させ、エジプトの領土内に古代ユダヤ人のための居留区まで作ってしまったわけです。いわば国家内国家を作ったことになります。ヨセフはエジプトの宰相というより、古代ユダヤ人が派遣した工作員のようです。

そして古代ユダヤ人の勢力拡大とともに起きたのが、一神教を目指すアマルナ宗教改革であった。どう考えても、古代ユダヤ人と無関係ではありえません。宗教を使った革命を起こそうとしたのかもしれません。少なくとも、エジプト王の政治さえも牛耳ってしまうような巨大勢力になっていたわけです。これに危機感を募らさないはずはないですね。

だからこそ、「ヨセフのことを知らない新しい王」は信じられないような迫害を始めるわけです。
(続く)

古代エジプトにおける「一神教文明」と古代ユダヤ人の符合

『旧約聖書』を信じるならば、「古代ユダヤ人」の中で最初に飢饉を逃れて古代エジプトにやって来たのは、アブラハムでした。おそらく紀元前2000年から紀元前1800年ごろの間のことでしょう。

次に、そのひ孫に当たるヨセフが奴隷としてエジプトに売り渡され、そこで頭角を現し、宰相にまで出世したわけです。で、その出世頭の宰相を頼って、古代ユダヤ人たちが大量に入り込んできたという図式です。それが紀元前1700年から1500年ごろではないかと思われます。

古代ユダヤ人が古代エジプト王朝の宰相にまで上り詰めたことと、古代ユダヤ人の大量流入によって、当然、多くの文化的軋轢が生じたと思うんですね。なにしろアブラハムは世界三大一神教の「信仰の父」ですから、その子孫たちが一神教的でないはずはありません。シュメル文明の影響を受け、多神教を信仰する古代エジプト文明・文化と真っ向から対立するわけです。

こうなると、数の論理が物を言うはずですね。エジプトの人たちに「特別な神」がいる、唯一絶対的な神がいるという考えを植え付けてしまえばいいんです。実際にどのようなことをやったのかはわかりませんが、結果は古代エジプトの宗教史から見て取れますね。最初にエジプトの神官の中で、アメン神を崇め称える神官たちのグループ「アメン神団」が出てきました。そしてさらには、アテンを絶対的に崇める、アメンホテプ4世改めアクエンアテンが登場して、一神教的アマルナ宗教改革を進めるわけです。

時は、紀元前14世紀ーーこれが古代エジプトにおける一神教文明の最盛期となります。紀元前16世紀ごろから大量に流入してきた一神教の民「古代ユダヤ人」がじわじわと古代エジプトの多神教文明に影響を与えたのだと考えると、妙に辻褄があってしまいます。

実際、これに近い考えを持っていた学者もいました。それがユダヤ人の母を持つ、オーストリアの精神科医ジグムント・フロイト(1856~1939年)ですね。彼は『モーセと一神教』の中で、アクエンアテンの時代と「出エジプト」の年と推定される年代が近かったのではないかとみて、アテン神が同じ「唯一神教」であるユダヤ教の神ヤハウェの原形であるとする説を唱えたんですね。これは結構鋭い洞察であると私は考えます。どちらがどちらに影響を与えたのか断定はできませんが、アテン神の信仰と絶対神ヤハウェの信仰には、同じグループが背後にいたように思えるんですね。どうも怪しい。単なる偶然の一致には思えません。

ところが、このアマルナ宗教改革はアクエンアテンの王一代で終焉を迎えます。で、その子ツタンカーメンは父の死後王位に就くと、多神教文明に舵を取りますが、若くして死んでしまいます。この辺りも怪しいですね。少なくとも、アテン神を絶対視する「一神教」はこれ以降、排除されます。

そしてここで、エジプトから古代ユダヤ人の大量脱出である「モーセの出エジプト」が起きるわけです。
(続く)

古代ユダヤ人のパレスチナからエジプトへの移住

『旧約聖書』を読み解くと、ちょうど古代エジプトに元祖一神教とも言えるアテン信仰が突如台頭した時期と、アブラハムの子孫である古代ユダヤ人たちがエジプトに大挙して押し寄せた時期と符合します。

それはこういうことです。
アブラハムが100歳(月読暦では50歳)の時に正妻サラとの間にイサクが生まれます。
そのイサクはリベカと結婚し、ヤコブとエサウが生まれ、兄を出し抜いて長子の祝福を得たヤコブは、レア、ビルハ、ジルパ、ラケルと結婚して、ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、ディナ、ガド、アシェル、ヨセフ、ベニヤミン、ダン、ナフタリが生まれ、彼らがいわゆる「イスラエル12支族」の祖となりました。

このうちヨセフは父ヤコブに特別にかわいがられたため、異母兄たちに憎まれ、エジプトに奴隷として売られてしまいます。ところがヨセフは、「夢の解析」という「特殊能力」によってドンドンと出世、ついにはエジプト王にもその能力を認められ、宰相にまでなります。奴隷から宰相になるなんて、大出世ですね。この話が本当なら、古代エジプトでは、能力次第で奴隷でも宰相になれる仕組みがあったということにもなります。

一方ヤコブの一族は、バレスチナ地方で起きた飢饉に遭遇します。で、現金なもので、ヨセフの異母兄たち、及び父ヤコブを含むその家族は結果的にヨセフを頼って、エジプトに移住することになるんですね。この時代が紀元前15世紀~同14世紀ごろではないかと考えられています。つまりアマルナ宗教改革があった紀元前14世紀と重なるんですね。
(続く)

古代エジプトに突如現れた「一神教」の背景

メソポタミアで開花したシュメル文明のバックボーンは、多神教という信仰・文化でした。
そのシュメル文明の多神教的精神および文化的血脈は古代エジプトや古代ギリシャへと引き継がれていくわけですが、古代エジプトにおいて一時期、一神教が台頭して、宗教戦争的様相を呈したことがあったんですね。古代エジプト第18王朝のアメンホテプ4世の時代、すなわち紀元前14世紀のアマルナ時代です。

このとき世界初の一神教とも言われる「アテン信仰」が生まれました。
アテン信仰は、唯一アテン神のみを祭る宗教です。アテン神は元々、夕陽を神格化した神であったとみられ、主にテーベ(現ルクソール)で祀られていた地方神の一つでした。夕陽も太陽ですから、一種の太陽神と見ることもできます。

で、この太陽神の一形態とみられるアテンが唯一絶対神と見なされるようになった理由は、アメンホテプ4世の妃ネフェルティティがアテン神を熱心に信仰していたからです。つまり、多くある神々の中でネフェルティティはアテン神のことをえらく気に入っていました。朝日よりも夕日が好きというわけです。まあ、嗜好の問題ですね。

その妃ネフェルティティの影響で、アメンホテプ4世もアテン神を信仰するようになりました。元祖かかあ天下といったところでしょうか。一方、当時のエジプトでは、旧来の太陽神アメンが人気投票で一番だったんですね。ところが、このアメン信仰を利用して、アメン神を讃えていたエジプトの神官たち(アメン神団)はファラオをも凌ぐ権勢を誇るようになってきたんです。こちらも言うなれば、アメン神を絶対神化した一神教みたいなもの。昼間の太陽が大好きな集団と考えることもできます。

アメンホテプ4世は、このアメン神団の力を削ぎ、王権を強化しなければならないと考えたようです。それで、自分の名前にある「アメン」という文字を嫌って、「アクエンアテン(アテン神にとって役に立つもの、というような意味)」に改め、王家としてのアメン信仰を停止しました。紀元前1368年ごろには、アテン神に捧げる新都アケトアテン(現アマルナ)を建設。王朝発祥の地テーベを放棄し、遷都します。同時に他の神々の祭祀も停止したので、アテン神のみの一神教になったわけです。これを「アマルナ宗教改革」と呼びます。

しかしながら、この宗教改革はあまりにも急激だったために、アメン神団らの激しい抵抗に遭い、最終的には失敗します。アクエンアテンが亡くなった後、その息子であるツタンカーメン王の時代に、エジプトはアメン信仰に戻るんですね。「世界初の一神教」であるアテン信仰は消滅しました。

面白いでしょう。多神教という文明に一神教が殴り込みをかけた図式にも思えますよね。すると、当時既に一神教の原型を作っていた人たちの存在が浮かんできませんか。そう、あの世界三大一神教の「信仰の父」とされているアブラハムの子孫たちです。「美人局的戦略」でエジプト王から莫大な財を得て、カナンの地に「自分たちの国」を作ろうとした人たちでもありますね。

そして『旧約聖書』には、アマルナ革命があったとみられる時代に、彼らがエジプトにいたことがちゃんと記されているんですね。それがあの有名な「出エジプト」です。
(続く)

世界三大一神教はアブラハムの「信仰」に集約される

サライ(サラ)の当初の計画では、自分の女奴隷ハガルに夫アブラハムの子供を産ませて、その子をもらい受けてアブラハムの跡取りにしようという魂胆でした。ところが、いざ女奴隷に子供ができたことがわかると、嫉妬のような感情を抑えきれなくなり、ありとあらゆる場面で女奴隷をイジメ、事実上外に追い出してしまいました。

しかし跡取りは作らなければならなかったので、仲裁者が女奴隷ハガルの居場所を突き止め、説得して呼び戻し、後継者としてイシュマエルを産ませました。この時点でアブラハムを継ぐのはイシュマエルでした。後継者の母はハガルですから、感情的に納得の行かないサラとしては地団太を踏んだに違いありませんね。

ところが、聖書の記述ではイシュマエルが生まれてから約14年後、サラは90歳にして待望の息子を授かります。名前はイサク。月読暦を採用していたとすると、約7年後のサラが45歳、アブラハムが50歳のときです。

攻守逆転。サラから見れば、ハガルとその子イシュマエルは用済みですよね。むしろ息子イサクを万全たる後継者にするためには邪魔者にすぎません。当然、荒野に追放してしまいます。まあ、殺されなかっただけまし、と考えましょうか。

「啓典の民」は、この荒野に追放されたイシュマエルこそ、「アラブ人の祖」であると考えているわけです。で、その「アラブ人」の中から、6世紀になってムハンマドが登場します。イスラム教の開祖ですね。アラビア半島を統一してイスラム帝国の礎を築きました。遺伝学上、イシュマエルの子孫ということは、アブラハムの子孫でもあります。

一方、正妻サラから生まれた息子イサクはアラム人(古代オリエントの遊牧民)の女性リベカと結婚し、ヤコブ(別名イスラエル)が生まれます。別名がイスラエルということからも推察できますが、このヤコブからイスラエル12支族が派生します。「ユダヤ人の祖」というわけですね。ということは、やはりヤコブの祖父に当たるアブラハムは元祖古代ユダヤ人、もしくは原始ユダヤ人であると考えることができるわけです。

で、ユダヤ人の定義にもよりますが、この「ユダヤ人」の中から、ナザレのイエス(キリスト)が登場します。キリスト教の事実上の教祖様ですね。遺伝学的にも、もしかしたらアブラハムの子孫かもしれないわけです。

つまり、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教という世界三大一神教の「元祖教祖様」みたいな存在がアブラハムに集約されてしまうんですね。なんだ、元をたどれば同じじゃん、と思いますよね。で、このアブラハムの一神教という信仰はどこから生まれたかというと、シュメル文明の多神教から派生した一宗派、一分派ということになります。

現代の世界情勢を見ると、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』ではありませんが、そこらじゅうで戦争を繰り広げているのは、主にこの一神教を信仰する人たちですよね。唯一絶対の神的存在だけを認めて、自分たちは「選ばれた民」であると思い込み、他の神は悪魔か邪神にしてしまう人たちです。自分自身も神であり、人間一人一人が神である、古神道的多神教文化に長年親しんできた人たちにとっては、「同じ穴の貉(むじな)」たちが、小さな水たまりで争っているようにしか見えないのではないでしょうか。

そもそも一神教は多神教の一派でしかないはずです。「私はこの神が一番好きだ」とか、「いや、私はこっちの神の方が好きだ」というところから生まれていると思うんですね。多神教文明では、本来はどっちの神も素敵だったんです。ところが、それぞれの分派が自分たちの神を絶対であると思い込んでしまった。どの神が好きかは、本来は嗜好の問題にすぎなかったはずです。

言って見れば、コーヒー党か紅茶党の違いにすぎません。コーヒー党に言わせれば、「あのような草の味のする水を飲むのは狂っている」となります。これに対して紅茶党の人は「泥のような水を喜んで飲んでいるのはおかしい」となるわけです。別にどっちも美味しいのだからいいでしょ、好きなものを飲みなさい、と思ってしまいます。

しかし、こうした「嗜好の争い」は、シュメル文明を引き継いだとみられる古代エジプト文明においても発生しているんですね。
それを次にお話ししましょう。
(続く)

アブラハムとサライの「高齢出産の奇跡」と月読暦について

なぜアブラハムがユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信じるいわゆる啓典の民の始祖と呼ばれるかについても、簡単に説明しておきましょう。

アブラハムはエジプトで、結果的に自分の妻を「出し」にしてエジプト王から奴隷を含む多大な「財」を得てカナンの地に戻ってきます。「結果的に」とまた書きましたが、アブラハムはこの後も、ゲラル(ガザの南にあった町)の王に対して同じ「手口」を使って財を得ています。だから私には確信犯的にやっているとしか思えません。でもまあ、深く追求しないことにしましょう。何度も言いますが、啓典の民の始祖ですからね。

こうして巨万の富を得て悠々自適の生活を送れるようになったアブラハムにも、人生において一つの大きな問題がありました。それは、妻サライとの間に子供ができなかったことです。そのことを気にしたサライは、エジプト王から手に入れたとみられるエジプトの女奴隷ハガルに命じて、アブラハムの子供を産ませようとします。それが妻の願いですから、アブラハムは承諾し、ハガルを奴隷妾(めかけ)にします。今ではそんなことをやったら大問題になりますが、当時は当たり前のことだったんでしょうね。

ほどなくハガルは、アブラハムの子供を孕みます。でもここからが大変です。妻公認であったものの奴隷の妾が子供を孕んだことによって、正妻サライの立場は悪くなりますよね。夫に奴隷女をあてがわなければよかったと、後悔しても後の祭りです。そこでサライは、ハガルに対してありとあらゆる嫌がらせをするんですね。たまりかねたハガルは、身重の身でしたが、お腹の中の子を守るためにも意を決して家出します。

このとき、おそらく誰か仲裁者が登場したのでしょう。荒野に逃れて身を隠していた身重のハガルは仲裁者に説得されて、アブラハムの下へ戻って来ます。そして無事、男の子イシュマエルを生むんですね。この男の子こそ、「すべてのアラブ人の先祖」と呼ばれる人物となります。息子イシュマエルが生まれた時、アブラハムは実に86歳でした。

86歳はかなり高齢ですよね。実はこの後、アブラハムが100歳、サライが90歳の時にサライにも子供が生まれます。
でも思い出してください。正統竹内家の口伝によると、日本に戻って来たシュメル族は一年に二回歳を取る月読暦を使っていましたよね。口伝が正しければ、シュメル文明の影響を受けた古代ユダヤ人たちも当時は月読暦を使っていたかもしれません。ということは、アブラハムはイシュマエルが生まれたときは43歳、サライが子供を産んだときは50歳で、サライも45歳だったはずです。まあ不可能ではない、妥当な年齢となりますね。

サライが高齢出産で産んだ子の話は次回いたしましょう。
(続く)

シュメル文明の宗教から派生したユダヤ教、キリスト教、イスラム教

エジプトに逃れてきたアブラハム一行ですが、すぐに問題が生じます。アブラハムの妻サライ(後にサラと改名)が美しかったために、妻であることがばれると自分は殺されてしまう恐れがあったというんですね。そこでアブラハムは、サライのことを自分の妹だということにしてエジプトの高官に取り入ります。でも、これは嘘ではなかったんですね。というのも、妻サライは異母妹だったからです。

この時代、近親婚が結構盛んに行われています。アブラハムの父テラには、ほかにハランとナホルという二人の息子もいたのですが、このうちナホルはおそらく兄と見られるハランの娘ミルカと結婚しています。つまり姪と結婚しています。母親さえ違えば、妹と結婚してもまったく問題ない時代だったんですね。

さて、エジプトの高官の間でサライの美貌の評判が広まると、その評判はほどなく「パロ(エジプト王のこと。エジプト中王国時代、第11王朝のファラオか)」の耳に入ります。そこでパロは早速、サライを宮廷に召し入れます。サライはアブラハムの妻でありながら、パロの側室となったわけです。パロはサライを大そう気に入って、アブラハムを厚遇、「妹」のサライを王宮に差し出した褒賞として羊、牛、ロバといった家畜やラクダ、男女の奴隷といった「財産」を与えます。人身売買の成立です。

ところが、パロがサライを娶ってからというもの、エジプトに激しい疫病が流行ります。そのときパロは疫病の原因がアブラハムの妹であると思ったサライが実はアブラハムの妻であったことによるものだということがわかったというんですね。それで、サライをアブラハムに返すとともに与えた財産と一緒にエジプトから出て行ってもらった、といいます・・・・。

アブラハムにとっては、まるで「わらしべ長者」の物語のように素晴らしい話ですが、かなり変ですよね。というか、無理のある物語に思えます。夫ある女が夫となれあいで他の男と姦通し、姦夫から金銭などをゆすり取る「美人局」と同じことを結果的にやったことになりますよね。それが見事な「美談」になったわけです。

まあ、この「美談」に目くじらを立てるのは止めにしましょう。なにしろアブラハムは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信じるいわゆる啓典の民の始祖ですから。原始ユダヤ人、元祖古代ユダヤ人とも言える人です。それにそもそもこの話を持ち出した理由は、紀元前2000年ごろには、メソポタミアからエジプトへと移動する集団がいたことを聖書が記していることにありました。しかもシュメルから移動してきた集団は、ファラオに気に入られれば、エジプト王朝の懐深くに入り込むことができたことを聖書は示しています。

アブラハムが生きていた時代には、シュメル文明はほとんど衰退して滅亡の危機に瀕していました。それより500~1000年前、シュメル文明の繁栄に翳りが見えてきた時代に、シュメル人の建築家や土木技師らが集団でエジプトに移住していたとしても、まったく不思議ではないわけです。彼らはシュメル文明を継承する特殊技能集団であり、その中にイムホテプがいたのではないかと私は推測しています。

一方、大洪水の後、メソポタミアにたどり着き、シュメル文明の中に溶け込んだノアおよびその子孫は、シュメル人から技術や知識を学びながら独自の宗教観を形成していったことが、聖書を読むとわかってきます。というのも、シュメル人は多神教でしたが、アブラハムに至ると、自分たちの神だけを絶対神として信じる一神教が確立していくからです。

ということは、「信仰の父」とされるアブラハム以降に展開されるユダヤ教、イスラム教、キリスト教は、異論もあるでしょうが、シュメル文明の宗教(多神教)から派生した宗教であると考えることもできます。そう考えれば、古代ユダヤ人もシュメル文明から派生した、一宗教民族であると捉えることができるんですね。
(続く)

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