太陽の世界

あの雲の向こうに・・・

太陽の世界

・・・太陽が暮らしているんですね。
手前の小さい雲の列が、かわいいです。

太陽

太陽の世界。

5月13日に撮影しました。
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易、シンボル学と山火賁の続き

私は元々、易など信じていませんでした。つまり「当たるも八卦」くらいにしか思っていなかったわけですね(笑)。ところが「これでもか」とばかりに、潜在意識からの神秘的なシンボルを見せられると、易やシンボル学をやらざるをえなくなったわけです(笑)。

そして易やシンボル学を勉強してみると、かなり奥行きが深い。「えっ、そんな解釈をするの」と驚かされることが多々あります。たとえば、大空に天使が乱舞している光景を見たとします。普通の人ならそんな素晴らしい光景を見たら、「大吉兆に違いない」と自分も浮かれて、それこそ狂喜乱舞するかもしれません(笑)。

ところが、こうしたふわふわしたような霊的映像には、落とし穴もあるのだと、易やシンボルについて詳しい秋山眞人氏は言います。というのも、得てして、天使や神様などの霊的映像はその国民の精神状態をシンボル的に表しているにすぎないことがあるからです。つまり、天使の乱舞は国民全体が浮かれている状態を表わしていることになる。すると、天使の乱舞を見たら、自分も一緒に狂喜乱舞してバブルに浮かれるのではなく、より引き締めて、地に足をつけて地道に生きなさいというメッセージを読み取る必要もあるわけですね。

もちろん純粋に天使が祝福している場合もあるのでしょう。だから両方の意味を見極めないと片方に暴走してしまうことになりかねないわけですね。秋山氏は別の例として、靖国神社でみた巨大な大黒様の話をします。

新著『正統竹内文書の日本史「超」アンダーグラウンド1』にも少し書きましたが、ちょうど中国政府がチベットを弾圧していたころ、秋山氏は靖国神社で神社の屋根に達するほどの巨大な大黒様を霊視したんだそうです。大黒様は怒っていて、ドシンドシンと西のほう、すなわち中国のほうに向かって歩いて行きました。普通の人はこれを見て――と言っても普通の人はそんな映像を見ませんが(笑)――「中国がチベットを弾圧していることに神様が怒っているのだ」「中国はけしからん。中国をやっつけろ」となるのでしょう。しかし実は大黒様の映像は、国民の集合意識の象徴でもありますから、日本人が非常に好戦的な状態になっていることを示していることにもなるわけです。そういう場合は、より慎重な行動が求められていることになりますね。

昨日、ご紹介した「山火賁」もそうです。外面の美しさにとらわれず、内面を充実させよ、という意味と、夢をありったけの想像力で飾れば、それは実現するという意味があるわけです。しかし、どうもメッセージはそれだけではなかったようです。先日の「美レイヤー」もそうでしたが、シンボルには二重、三重の意味があります。「山火賁」にも、実は非常に明確なメッセージが込められていました。

「山火賁」の元々の意味は、夕日に染まった美しい山のイメージです。これは後になってからわかったのですが、実は伊豆の下田富士、寝姿山、利島、鵜利根島という4つのピラミッド型の島と山を結んだライン(伊豆ピラミッドライン)は、冬至の日の出ラインであると同時に、夏至の日没ラインでもあります。すなわち夏至の夕日は、下田富士、寝姿山、利島、鵜利根島というピラミッドを一直線に赤く染めることになるわけですね。まさに「山火賁」の美しい光景です。

ところが当初、私はそのことにまったく気づきませんでしたから、後日新たに「山岡正」というメッセージを受け取ることにより、ようやくそれに気づきます。気づくのに、一か月以上かかった計算です(笑)。今頃はメッセージの送り手に「あなたたちにはこれだけやらないとわからないのね」とあきれられているかもしれません。これからはもっと、メッセージに敏感でいたいと思っています。もっともピンと来ないメッセージには応答しませんので、ご了承ください(笑)。



pyramid



下田富士の頂上から寝姿山と、遠く利島と鵜利根島を撮影。これが冬至の日の出ライン、夏至の日の入りラインになっている。

山火賁

数字の持つシンボル性が普遍的に存在するとしたら、夢分析などで結構楽しめますね。
以前ご紹介した伊豆・下田の旅で、当日の朝、寝起きに山の映像と37という数字が現われ、さらに下田に向かう電車の中で、目をつぶっているとマージャンの3ピンと7ピンが出てきた話を覚えているでしょうか。
そのときの話は、「ムー」の365号にも掲載されています。

これを易で解釈すると、面白いことがわかってきます。まず37という数字ですが、これは3と7であると解釈するのが正しいように思われます。というのも、私は映像で3ピンと7ピンを見ていますから。それを見た私はすぐに「シャボ待ち」だなと思うわけです(笑)。つまり、別々の数字ということですね。

問題は順番ですが、当時はまったく意識していなかったのですが、記憶が正しければ最初に3ピン、次に7ピンが出てきたように思うんですね。最後に出てきた数字から遡りますから、7が象徴する「山」と3が象徴する「火」で「山火」となります。易ではこれを山火賁(さんかひ)と言います。

これは太陽(火)が山の彼方に沈む日没寸前の美しい光景を表わしています。山々が夕日で赤く染まるときですね。賁(ひ)は何かというと、「飾る」という意味です。つまり一般的な易の解釈では、表面的な美しさはあるが、それは一時的な美しさにすぎず、永続的なものではない、見栄を捨てて内面充実を図りなさい、となるわけです。

しかし面白いことに、易には二通りの解釈があります。外面を飾ることは、実はとても大事なことでもあるんですね。潜在意識理論でいうところの、「自分の望む状態を想像せよ」です。「辛く悲しいときでも笑え。するとうれしくなってくる」という法則があるんですね。これは古神道の行法にもあるらしく、「微笑み返し」と言うとか。見えない剣に対して「微笑み」で返す――奥義中の奥義でしょうか(笑)。

ジョセフ・マーフィー博士の易占いの本には、山火賁はこう書かれています。
「あなたが何か夢を持っているなら、その夢をあなたの想像でできるだけ飾ることです。それが細部にわたって細密に飾られれば飾られるほど現実になっていくでしょう」

さて、伊豆下田の旅の当日に見た「37」が「山火賁」だとすると、私には次のマーフィー博士の言葉が響きます。「あなたが夢をもつとき、それが正しければその願いはかなえられます」

こうして私たちは、伊豆下田ピラミッドラインと尖山ピラミッドラインを「想像力と直観の恩恵」によって発見したわけです。

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