アイルランドの風景 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

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ジム・ラーキン。
アイルランド独立運動の闘士です。1909年にアイルランドで最初の全国労働組合を設立、1913年蜂起の指導者でもありました。
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アイルランドの風景 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

市電も走るダブリン市内の風景です。

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当分、写真だけのアップが続きます

アイルランドの風景 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

まだまだ当分忙しい日が続きそうなので、今日も写真だけのアップです。

ダブリン市内を流れるリフィ川。

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そのリフィ川の上空を飛ぶカモメです。

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ダブリン郊外のホウス岬でモード・ゴーンがイエイツに言った「あの白い鳥になりたい」という言葉が思い出されますね。

今回は古代巨石遺跡とともにイエイツゆかりの地を訪ねる旅でもありました。
いずれ巨石とイエイツの本も出したいと思っています。

アイルランドの風景 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

ちょっと今は忙しいので、写真だけのアップです。

アイルランドの西にあるアラン諸島イニシュモア島の風景です。

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アラン諸島はアランセーターで知られています。

こちらはそのイニシュモア島にある、有名なドン・エンガス。

アイルランド

詳細はいずれ。

エメラルドグリーンの国から帰国 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

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前回、緑の中で休憩中と書きましたが、文字通りその「緑の国」と呼ばれるアイルランドから本日(26日)無事に帰ってきました。15泊17日でアイルランドを一周する巨石めぐりの旅でした。

私にとっては1981年6月以来、実に30年ぶりのアイルランド訪問となりました。
滞在中、100年以上にわたる確執を超えたエリザベス女王の訪問、アイルランド移民の血を受け継ぐオバマ大統領の「帰郷」、はたまたアイスランドの火山灰南下など数々のイベントが用意されておりましたが、そのようなイベントをものともせず、私たちの旅は順調に進み(アラン諸島滞在中に私が宿泊予定ホテルリストをフロントに置き忘れ、それ以降のホテル名がわからなくなるというトラブルはありましたが)、楽しい旅となりました。

今回のレンタカー走行距離は2800キロ。昨年のイギリス巨石めぐりの旅の4500キロよりは少なく、比較的のんびりとできました。

また、のんびりとではありますが、ブログでご紹介できればと思っております。

冒頭の写真はダブリン空港そばの公園の緑です。

無題

緑

緑の中で休憩中です。

出雲族と大和族の話(第66話) 「歴史なんでも(69)」

前回で出雲族と大和族の話はおしまいです。それでもまだ、その続きが少々あるんですね。「あとがき」みたいなものでしょうか。

神武以降は必ずしも私の専門ではないのですが(笑)、予備校の日本史講師でもある武内宿禰さんの助けを借りながらご紹介します。

宿禰さんによると、欠史8代といわれる第2代から第9代までの天皇は実在したといいます。ただし神武後は、各地で縄文系や渡来系の「鬼」と呼ばれた人々らの反乱に遭い、大和王朝の土台は揺らぎます。第三代安寧ぐらいまでは大和王朝を何とか保てたそうですが、第6代の考安の時代には九州に逃げなければならない事態もあったそうです。これが2世紀後半の倭国大乱と呼ばれる大混乱の時代で、地中海が主要な戦場となりました。

その大和の地を再び再統一したのが、第10代の崇神だったわけです。宿禰さんによると、崇神のおばのヤマトトトヒモモソヒメ(倭迹迹日百襲媛)が「卑弥呼」と魏志倭人伝で呼ばれた巫女王(祭司王)であろうとのことです。その根拠の一つは、モモソヒメの娘がトヨスキイリヒメ(豊鍬入姫)という、三輪山裏手の檜原神社に祭られている巫女で、この「豊(とよ)」こそ、魏志倭人伝に卑弥呼の後継者として出てくる「臺與(とよ)」だからであるとしています。口伝竹内文書では、モモソヒメとトヨスキイリヒメはあくまでも巫女王であり、統治王は崇神だったわけです。

宿禰さんの話でもう一つ面白かったのは、崇神の時代に実際にあったという「桃太郎の鬼退治」の話でしょうか。崇神は大和を再平定した後、四道将軍を派遣して各地を支配下に置いていきます。その将軍の一人が吉備津彦で、彼は当時吉備の国を支配していた渡来系の温羅(ウラ)の牙城を攻略しようとします。その吉備津彦に軍に加わったのが、犬養、猿女、鳥取の各氏だったと言うんですね。そう、つまり犬と猿と雉です。遠征に同行する際の吉備団子に相当する恩賞が、領地であったと宿禰さんは言います。

この時、「鬼」の大将である温羅を殺したのが、アメノウズメの子孫である猿女であったと言います。ご先祖様顔負けの殺しのライセンスをもつ諜報部員だったかどうかわかりませんが、猿女は女のふりをして騙して温羅に近づき、バッサリと切り殺したとか。これが「裏切り」という言葉の由来であると宿禰さんは言います。結構、説得力のある話です。

さて、これで本当におしまいです。66回もお付き合いいただき、ありがとうございました。
でも終わったのは、「出雲族・大和族編」だけなんですね。そのうち、ギリシャ神話や旧約聖書、日本神話などを読み解いた「天地創造・国生み編」を始めますので、ご期待ください。

出雲族と大和族の話(第65話) 「歴史なんでも(69)」

出雲、日向、ユダヤの三部族の和睦により新統一王朝(大和王朝)の初代天皇に就任したイワレビコこと神武は、畝傍山のそばの橿原に宮殿を構えます。すでに説明したように、神武には故郷の日向に王妃や皇子がいましたが、出雲系のヒメタタライスズヒメを正妃とし、その子を正式な天皇の世継ぎに決めました。それは日本書紀に書いてある通りです。

ところが、この三部族による和睦で非常に重要なことが決められたにもかかわらず、記紀神話には一切書かれていないことがあるように思われてなりません。つまり、三部族が一つになって大和王朝を作ったという「証」やそれを象徴するものが残っているはずだと思うんですね。それが三輪山であり、大和三山だったと私は睨んでいます。

ヒントをくれたのは、秋山眞人氏でした。秋山氏は「出雲、大和、ユダヤが癒合した象徴が三輪山ではないか」と言います。古事記などでは、三輪山の由来は、三輪山に住むオオモノヌシ(大物主)を尾行するために付けた麻糸が三輪糸巻に残っていたからだとしていますが、ちょっと苦しい説明です。むしろ、三部族が和したので三輪山としたとするほうが、はるかに説得力があります。秋山氏は、この三輪山に3部族の霊宝、つまり三種の神器を祭ったのではないか、との説を採っています。

そう考えると、多くの事象が簡単に説明できてしまいます。のちの第10代天皇・崇神のとき、疫病が大流行して国民が絶滅しそうになる非常事態がありました。そのとき崇神は、いの一番に出雲系とみられるオオタタネコを神主(祭司王)に指名、平たい土器を使って三輪山で天津神と国津神を祭らせたとあります。これはまさしくイワレビコ(神武)が流血の事態を避ける(和睦の)ために、出雲系の天の香具山の支援を受けたり、大和三山の天の香具山から持ってきた土で平たい器を作って天津神と国津神を祭らせたりしたという話を想起させます。すなわち崇神は、三輪山が和睦を象徴する聖なる山であったことを知っていた可能性が強いわけです。

同様に大和三山も、三部族をそれぞれ象徴する聖なる山であったのではないでしょうか。二等辺三角形の頂点を形成する畝傍山は、神武がその近くに葬られたとされることからも、日向族を象徴する山なのでしょう。天の香具山は、その名前の通り、ニギハヤヒの息子の名前ですから、出雲族を象徴する山となります。残る耳成山は、消去法で、ユダヤを象徴する山です。

ここにおいて、三種の神器がなぜ三種類なのかも明白になってきます。それぞれの部族を象徴する神器であったからではないでしょうか。すなわち、天叢雲の剣(草薙の剣)は、スサノオがヤマタノオロチを退治して手に入れたわけですから出雲族の神器です。八坂勾玉は、日向族の山幸彦がワタツミノカミから玉をもらったことなどから考えると、日向族の神器となります。そして八咫鏡は、八咫烏が古代イスラエル人とみられる大国主の孫であることを考慮すると、ユダヤの神器になるわけです。そして、どの神器にも8という数字が絡んでくるのも偶然ではないでしょう。ヤタからはヤハタ、ヤマタ、ユダなどの言葉が連想されますが、これはまた別の機会に解説したいと思います。

おそらく大和三山には、普段はそれぞれの部族を象徴する神器が祭られていたのでしょう。そして年に一度か、数年に一度、三輪山でその三つの神器を集め、お祭りをしたのではないでしょうか。その際、3つの部族が一つになって、今の天皇家を作ったことを確認し合っていたと思うんですね。

奈良盆地にまるで浮島のように並ぶ大和三山は、空から見れば三つの点に見えます。まるで記号のようですが、秋山氏は「この三点こそ、スメラミコトのスを表わす記号ではないか」と言います。日本統合の象徴――。「すべて」とか、「すべからく」を表す「ス」でもあるのでしょう。

ただ惜しむらくは、長い年月が経ち、三輪山や大和三山の本来の意味が忘れられてしまったように思うんです。崇神の時代までは、日本の霊的中心は三輪山であったに違いありません。その後、ユダヤが伊勢神宮だけで祭られるようになり、日向族は宇佐八幡宮などで祭られるようになった。あとの三輪山には出雲系のニギハヤヒ(オオモノヌシ)だけが、ポツンと取り残されているようなイメージがあるんですね。

最初は大和王朝で厚遇されていた出雲族の人たちも、物部守屋の殺害とともにやがては、多くが迫害され、一部は東北の地へと追いやられます。藤原不比等により和睦の歴史は改ざんされ、日向族のみが正統であるとした記紀が「正史」として流布されます。イザナギとイザナミの諍いを根の国で仲裁した白山くくり姫が「正史」から事実上消されたのも、和睦の歴史を葬り去ろうとした意図の現れである、とも解釈できます。

桓武の時代には、坂上田村麻呂によって「出雲族の残党」である蝦夷は根の国に蓋をして封じられてしまいました。それがねぶた祭りの由来であると八切止夫氏は主張しています。

悲しみの歴史もあったのでしょう。そうした恩讐を超えるためにも、三輪山の本来の意味をもう一度、思い出す必要があると私は信じています。三輪山こそ、三部族融合の象徴であり、3つの部族が和して日本を作ったことの証拠なのではないでしょうか。近くにお寄りの際は、三輪山に思いを馳せ、この国を作った三部族のことを思いながら、登られるのもいいかもしれませんね。
(了)

出雲族と大和族の話(第64話) 「歴史なんでも(69)」

もうちょっと想像力を膨らませれば、出雲族にも大和族にも属さない古代イスラエル人が、金色のトビを使って両軍の皇御軍(すめらみいくさ)の「印」をかすめ取ってしまったのだとも考えられます。何しろ両軍の勢力は拮抗しており、このままでは大量の死者を出す可能性もあります。そのとき両軍が大事にする「印」や神器を奪ってしまえば、両軍とも呆気にとられて、戦いどころではなくなってしまいます。

そもそも伊勢・五十鈴川を管轄していた古代イスラエル人たちは、流血の事態を避けるということなら日向族を支援してもいいという条件を出したと思うんです。だからこそユダヤ人と思われる八咫烏も、無意味な殺戮を避けるため、日向族を攻撃しないよう他の部族を説得して回ったのではないでしょうか。そう考えると、暗雲を切り裂くように現れたという金色のトビは、第三者である古代イスラエル人の登場のように思えてなりません。両軍のこう着状態を打開する「希望」でもあったわけです。

天の香具山の和睦工作が功を奏したのか、はたまたイワレビコの「トンビに油揚げ作戦」がうまくいったのか、それとも古代イスラエル人の仲裁がうまくいったのか――私には断定はできません。ただ日本書紀の記述からは、イワレビコ軍とナガスネ彦軍は休戦して和睦の道を模索したことがわかります。

双方とも、神器、もしくは皇御軍(すめらみいくさ)の「印」(天の羽々矢とカチユキ)を見せ合いますから、どちらに正統性があるか主張し合ったのでしょう。その結果、どちらも正統な「印」を持っていたので、ドロー(引き分け)となります。それはそうです。どちらもスメラ族の血を引くものの、どちらがより本家かと言われても、シュメール時代から出雲族(の祖先)も日向族(の祖先)も同等な部族なので決着がつかないのです。それに加えて、ニギハヤヒは生粋の出雲族で、イワレビコは生粋の日向族です。いくらご先祖様同士、つまりスサノオとアマテラスが結婚したとはいえ、血はつながっていません。出雲族と日向族の双方を代表できる血筋、たとえば宗像3神の子孫ではないのですから。

ここにおいて日本書紀では、ナガスネ彦を悪者に仕立て上げたうえで、ニギハヤヒが譲歩してイワレビコが初代天皇になったのだと記しています。ですがこれは、明白な間違いです。二つの部族が和合するためには、第一回目の和睦の時と同様に両部族の政略結婚がなければならないはずです。そこで和睦では、日向族の王イワレビコと出雲族の姫ヒメタタライスズヒメを結婚させ、新しい統一王朝を大和の地に作ろうということになったのだと思います。

当時のイワレビコにはすでに地元・日向に妃がいましたが、その妃の子は王位継承権がないことを確認した可能性もあります。なぜなら、そうしないと第一回目の和睦のときと同様、スサノオの連れ子であるニギハヤヒが統一王になったのと同じことが起こってしまうからです。実際、イワレビコ(神武)の後の天皇には、綏靖天皇というヒメタタライスズヒメと神武の間に生まれた息子が就いています。これなら、日向族と出雲族の両方の血が流れていることになりますから、後でもめることがないわけです。将来の紛争の種は、なるべく残さないに越したことはありません。

実際に神武の死後、ある事件が起こります。手研耳(タギシミミ)の反逆です。ヒメタタライスズヒメは神武の死後、神武と日向地方の姫との間に生まれた義理の息子であるタギシミミと結婚するのですが、夫となったタギシミミが、自分が神武との間に産んだ息子たちを殺そうとします。そこでヒメタタライスズヒメは、息子たちにそのことを知らせ、夫の反逆を防いだんですね。もしこの反逆が成功していたら、日向族と出雲族の対立が再燃しかねませんでしたから、危機一髪だったことになります。そう考えると、ヒメタタライスズヒメがどうして夫の反逆を止めなければならなかったかが、より理解できるわけです。

さらにもう一つ面白いのは、ヒメタタライスズヒメのことを、日本書紀では事代主の娘だとしているのに対して、古事記では大物主の娘だとしていることでしょうか。どちらの説も出雲族の娘であることに変わりないのですが、事代主の娘だとすると古代イスラエル人の血が混じっていることになり、興味深いです。一方、大物主の娘だとした場合ですが、大物主を大国主とみるかニギハヤヒとみるかで少し変わってきます。宿禰さんによると、大物主とは称号ですから、大物主といっただけではどの人物か特定できません。でも、どうやら大和の地にいた大物主の可能性が強いようですので、私はニギハヤヒとみます。口伝竹内文書でも、ニギハヤヒの子ということになっているようです。この場合だと、古代イスラエル人の血が入っているか微妙になります。

いずれにしても、出雲族、日向族、ユダヤ人の三部族がそろい踏みして、大和の地に新しい統一王朝(大和王朝)ができたのでした。
(続く)

出雲族と大和族の話(第63話) 「歴史なんでも(69)」

天の香具山(編注:現在の表記では天香久山)とは、奈良県橿原市にある山で、畝傍山、耳成山とともに大和三山と呼ばれています。この大和三山は、三輪山とともに神武東征神話のみならず古代日本史を理解するうえでなくてはならない重要な山なのですが、それは最後に詳しくご紹介することにします。

さて、イワレビコが危険を冒させてまで部下に取りに行かせたという天の香具山の社の中の土とは、いったい何なのでしょう。わかっているのは、その土を使って平瓦やお神酒の瓶を作って天神地祇(てんじんちぎ)を祭ったとされることだけです。天神地祇とは天津神と国津神のことですから、日向族と大和族をそれぞれ指すとみられます。ということは、両部族を称えるお祭りをするために、お神酒の瓶や供え物を置く平瓦を作ったのではないかとも考えられますね。イワレビコがした占いはつまり、ニギハヤヒの統一王朝側が和睦に応じるかどうか探りを入れたと解釈することもできるわけです。その結果はイエスでした。武器を使わず天下を平らげるとは、和睦のことであったことになりますね。

そして、そのキーとなるのが、天の香具山です。私は当初、大和三山の天の香具山だけを指していると思ったのですが、先代旧事本紀や口伝竹内文書によると、天の香具山は人なんですね。ニギハヤヒの息子であり、すでにご紹介した高倉下の別名であると言います。日向族側に寝返ったとみられる出雲系の王子でしたね。ということは、統一王朝側が和睦に応じるよう折衝したのが、天の香具山こと高倉下であったと考えることもできるんですね。そうすればトビのように、相手を傷つけずに(武器を使わずに)欲しいものが手に入るわけです。

なるほどこれならば、金色のトビが出てきた後、なぜナガスネ彦側が日向族側に使者を送って来たかが明確になります。そもそも金色のトビに目がくらんでナガスネ彦側が本当に反撃できなくなったのなら、それまでのイワレビコ軍なら、その隙をついてナガスネ彦軍を皆殺しにしていましたよね。それをしなかったということは、水面下で和睦への準備が進んでいたからだと解釈できます。

それとは別に、より直接的に解釈することも可能です。つまり、金色のトビとは、まさしく鷹狩り用のトビか鷹のことだったとも考えられます。イワレビコ軍とナガスネ彦軍が対峙しているときに、イワレビコ軍の鷹匠が、鷹かトビを使って統一王朝側が大切にしていた神器か、皇御軍(すめらみいくさ)の「印」をかすめ取ってしまうような事態があったのかもしれません。まさにトンビに油揚げをさらわれたとはこのことでしょうか。ニギハヤヒの統一王朝側から見れば、本来自分のものであるはずのもの(天皇の印)を突然トビにかすめ取られ、呆気にとられたと思うんですね。その様を、黄金のトビが現れて、ナガスネ彦軍側は動けなくなったと日本書紀が描写しているという解釈もできるわけです。
(続く)

出雲族と大和族の話(第62話) 「歴史なんでも(69)」

統一王朝の正規軍とみられるナガスネ彦軍と日向族のイワレビコ軍の決戦については、面白いことに古事記ではほとんど触れられていないんですね。ところが日本書紀では結構、詳しく書いてあります。そこに至るまでの記述たるや、まさにイワレビコ側について武勲を成した部族の羅列の感じがします。きっと日本書紀を記す際、「うちのご先祖様が神武東征で勲を上げた人物だということを強調しておいてね」と頼んだ人たちも多かったのでしょう(笑)。逆に最後までイワレビコ軍にはむかった部族は、まるで野獣か化け物のように描かれたりしています。まあ、勝てば官軍負ければ賊軍ですから、仕方がないと言えば仕方がないですね。

それはともかく、ナガスネ彦軍とイワレビコ軍の最終決戦は、磐余(いわれ)の地(奈良県桜井市中部から橿原市東南部)であるのですが、双方の力が拮抗していたため、なかなか決着がつきません。そのとき、急に空が暗くなってきて、雹がふってきたというんですね。そこに空から金色の不思議な鳶(トビ)が飛んできて、イワレビコの弓の先にとまります。そのトビは雷光のように光り輝いたので、ナガスネ彦の軍は皆眩惑されて二度と応戦できなくなってしまったそうです。

この「超常現象」があったために、ナガスネ彦はイワレビコに使いを送り、「和議」をすることになります。では、この金色のトビ(金鵄)が何を象徴しているのか考察してみましょう。かなり多様に解釈できます。

金色のトビの神話は、現在でも金鵄勲章の名前の由来になっているぐらいですから、大変ありがたいものであることは推測できますね。素直に読むと、イワレビコ軍が太陽を背にして戦ったのでナガスネ彦軍は逆光に目がくらんでうまく戦えなくなった、となります。あるいは神々しく見えるように太陽を背にした作戦であったのかもしれません。そういえば、ヨーロッパのテレビドラマ『大聖堂』でも、キングスブリッジの修道院長フィリップスが十字架と太陽の光をうまく使って神々しく見せかけ、武装集団をたじろがせる場面がありました。意外と中世ぐらいまでは、そのような演出が有効であったのかもしれませんね。

次に、人間をほとんど傷つけないでほしいものをかすめ取ることができるという、トビの突出した能力に注目して解釈することもできます。トビは人に気付かれないように死角から忍び寄り、一気に急降下して人間の手に持っているものを取って行くんですね。その際、トビは視力がきわめて優れていますから、人間を傷つけずに目標物の食べ物だけをかすめ取ることができます。私も湘南の浜辺で、食べようとして親指と人差し指でつまんでいた、かんきつ類のひとかけらをあっと言う間に取られたことがあります。まったく私の指を傷つけることなく、かすめ取っていたので驚いたことがありました。それほど正確に人間を傷つけることなく、目標物を捕えることができるんですね。

そして、この「傷つけずに取る」というテーマに関しては、実は日本書紀に伏線がちゃんと敷かれています。ナガスネ彦との最終決戦の前、イワレビコが敵軍の多さに辟易しているときに夢を見ます。その夢の中で天神が現れ、「天の香具山の社(やしろ)の中の土を取って来て平瓦80枚を作り、同じくお神酒を入れる瓶を作り、天神地祇(てんじんちぎ)をお祭りせよ。また身を清めて呪詛をせよ。そうすれば敵は自然に降伏するだろう」と告げられます。

そこでイワレビコは、その夢のお告げが本当かどうか確かめるため、「武器を使わずに、いながらにして天下を平らげられる」かどうか、瓦や酒甕を使った占いをします。すると、武器を使わずに天下を平らげられることがわかり大喜びするという場面があるんですね。

このことから、「天の香具山の土」と「金色のトビ」との間には、どうやら何か関係があるということがわかります。
(続く)

出雲族と大和族の話(第61話の補足) 「歴史なんでも(69)」

昨日のブログでフツヌシノカミの霊剣フツノミタマについて触れたときに、出雲系の軍事王の象徴であると書きましたが、もうちょっと補足が必要なようです。フツノミタマを夢のお告げでイワレビコに献上することになった高倉下(タカクラジ)について言及し忘れました。

先代旧事本紀にも書かれているのですが、武内宿禰さんに聞くと、このフツノミタマという剣を見つけて献上したことになっている熊野の高倉下(タカクラジ)という人物は、なんとニギハヤヒの子であると言います。つまり、ニギハヤヒの息子が出雲族に代々伝わる霊剣を日向族に渡した(日向軍に寝返った)ということになりますね。どうやらイワレビコは、ニギハヤヒの息子たちの間の権力闘争をうまく利用した節があります。そのことが記紀神話では、兄宇迦斯(エウカシ)と弟宇迦斯(オウカシ)の話の中に隠されているのだと思います。ご存知のように、徹底抗戦派のエウカシに対してオウカシはイワレビコ側に寝返って、兄の計画をばらしてしまいましたね。

したがって、昨日のブログの内容については変更はないのですが、イワレビコ軍を支援した出雲系の部族とは、ニギハヤヒの子であったとするほうがより劇的な展開になるわけです。
(第62話に続きます)

出雲族と大和族(第61話) 「歴史なんでも(69)」

兄のイツセが死んで、事実上日向族の王となったイワレビコは、兄の助言に従って紀伊半島の南へと迂回することにしました。おそらくその迂回ルートは、記紀神話に書いてある通りだと思います。日向族の軍は荒海を進み、ようやく熊野村(和歌山県新宮市周辺)に到着しますが、そこで土着の豪族の猛攻撃を受けたように思われます。何しろ日向軍は「熊の毒気」でほとんどが失神してしまったというんですから、大変なものだったのでしょう。

窮地に陥ったイワレビコの軍を助けたのは、タケミカズチの剣「布都御魂(フツノミタマ)」の霊力と八咫烏(ヤタガラス)の道案内だったと記紀神話には書かれています。これは結構、難解です。

まずフツノミタマです。経津主神(フツヌシノカミ)が宿った霊剣のことであると思われるのですが、北川説によると、フツは出雲族の王でスサノオの父親だったことになっています。ところが、古事記ではタケミカヅチと同一神(建布都神=タケフツノカミや、豊布都神=トヨフツノカミ)のように描かれていますし、日本書紀では国譲り神話でタケミカヅチとともに大国主に国譲りを迫った神として描かれているんですね。

いずれにしてもフツヌシノカミは刀の神様みたいなものですから、軍事王的色彩が強かったと思うのですが、フツノミタマを祀る石上神宮が物部氏の武器庫であったとされることなどを考慮すると、どうやら日向族というよりも出雲族の軍事王であった可能性が強いんですね。北川説も参考にして、私は出雲の軍事王の子孫が助太刀に入ったと理解します。出雲族からフツノミタマという名剣を手に入れて(援軍を得て)、彼らとともに戦闘をしたとも解釈できます。

そう考えると初めて、イツセが死ぬ前に「日に向かって戦ったのがいけなかった」と言ったのは、「日向族だけでは駄目だった」という意味に読めてしまうんですね。実際最初の戦いに敗れた日向軍は、日本書記では熊野に到着するまでにイワレビコの他の二人の兄も亡くなるなど、う回路でかなり辛酸をなめているんですね。つまり戦力は当初よりかなり減退しているとみていいわけです。それなのにここから挽回するのですから、やはり日向族以外の援軍があったとみて間違いないでしょう。おそらくイワレビコは、紀伊半島を南下すれば援軍にできる部族がいることを知っていたのでしょう。それは次の八咫烏についても言えます。

私は当初、八咫烏は太陽信仰やアマテラスと関係のある霊的なカラスのことを想像していたのですが、武内宿禰さんは明確に「正統竹内文書では八咫烏は大国主の子で、事代主の兄である」と言うんですね。別名はアヂスキタカヒコネ。アマテラスとスサノオの間に生まれた宗像三女神の一人であるタキリと大国主の間の子です。あの大国主の子であるのなら、古代イスラエル人(ユダヤ)の血が流れていたということになりますね。

つまりここで書かれていることは、日向族だけでは立ち向かえないと判断したイワレビコが、わざわざ迂回して出雲族とユダヤの部族の軍事的支援を仰いだのだ、ということになります。頼もしい援軍を得た日向軍は、「失神状態」から息を吹き返します。その後、土着の豪族や統一王朝派の軍を、ある時は武力で、ある時はだまし討ちで、次々と打ち破ります。その快進撃に気圧されて日向軍側になびいた出雲系の部族もいたことでしょう。相手部族との交渉には、その土地のことをよく知る八咫烏が当たった、と記紀神話には書かれています。こうしてイワレビコは、兄を殺したナガスネ彦の軍と再び相まみえることになったのです。
(続く)

出雲族と大和族の話(第60話) 「歴史なんでも(69)」

イワレビコらの日向軍が生駒山を越えて、大和の地に入ろうとしたときのことです。日向軍が大和に侵略してくることを事前に知っていた統一王朝のナガスネ彦の軍が迎え撃ちます。ここでどのような戦闘が行われたかは定かではありませんが、イワレビコの兄イツセが矢に当たり負傷、日向軍は退却。イツセは、その傷が原因でしばらくして死んでしまいます。このように、最初の戦闘では日向族が敗退するんですね。地の利を生かした統一王朝軍の勝利でした。

ところで、当時の統一王朝の王(初代天皇)は、年老いてはいましたが、まだニギハヤヒだったと思うんですね。あるいは息子に王位を譲り渡して、自分は摂政(上皇)をやっていたかもしれません。ちょっと年代が合わないんではないかとの指摘もあるのではないかと思われますが、スサノオがアマテラスと政略結婚した後、元正妻?の櫛名田姫との間にニギハヤヒが生まれたとすれば、一応辻褄が合います。オシホミミがアマテラスの連れ子で、スサノオとの政略結婚のずっと前に生まれていたという前提はありますが、ニギハヤヒはニニギよりも若かったのではないかと思うんですね。イワレビコ(神武)はニニギのひ孫ですから、若き神武と年老いたニギハヤヒが同じ時代に生きていたとしても矛盾はしないと思います。

ちなみに旧事本紀によると、ニギハヤヒはナガスネ彦の妹であるミカシキヤヒメと結婚、ウマシマジという皇子をもうけています。また、アメノミチヒメ(天道日女)との間にはアメノカグヤマ(天香山)という皇子が、ヤダタラヒメとの間にはヒメタタライスズヒメが生まれていることになっています。

敗走した日向軍のその後ですが、イツセは死ぬ前に「日の神の御子として(いくら日向族と言っても?)、日に向かって戦うのはよくなかった。今度は遠回りをして、日を背にして敵を討とう」と言い残したそうです。面白い言い分ですね。いくつかの解釈があります。一つは、単純に逆光でまぶしかったから負けた、とするものです。確かに順光のほうが戦いやすいのは、明白ですね。じゃあ、お昼を過ぎてから攻撃すればいいではないかと突っ込みをいれたくなりますが、当時は午前中に戦うのが通例だったのでしょうか。別の解釈では、風水などの示す凶方位が東へ向かうことだったとするものですが、イツセが「日を背にして敵を討とう」としていることからも、風水とはどうやら関係がないように思われます。もう一つ考えられるのは、太陽の光を使った戦術があったのかな、というものです。たとえば、カガミを使って太陽光を反射させる戦術です。映画『レッドクリフ』では、諸葛孔明が盾で太陽光を反射させ敵の目をくらませる作戦を実施した場面があったので、三国志ファンを半ば呆れさせました。でも、実際にそのような作戦がなかったとも言えません。いずれにしても、神武東征の神話では太陽光が大きな役割を演じたように思うんですね。太陽、八咫烏、八咫の鏡――それはまた後で説明します。
(続く)

出雲族と大和族の話(第59話) 「歴史なんでも(69)」

さあ、神武の東征です。日向族のイワレビコ(後の神武)と長兄の五瀬(イツセ)は、再び大和進攻計画を練るんですね。内紛が勃発する前の日向族の軍勢をもってすれば、進攻はもっとスムーズに行ったのでしょうが、日向族の内紛の間に出雲族も再軍備しているかもしれませんし、日向族の進攻計画を察知した統一王朝軍も守りを固めていることが予想されました。日向族の大和進攻も、慎重に進められたと思われます。

実際記紀神話でも、進軍はゆっくりとした歩みでした。まず、海路で日向を出発したイワレビコらは、豊国(九州地方北東部)の宇佐で土地の民の饗宴を受けます。宇佐と言えば、ヤマタノオロチの話で紹介しましたが、製鉄の民が暮らしていたとみられるところですね。つまり、ここでは鉄剣や鎧など武器の調達をしたのだと解釈します。次に筑紫(福岡)の岡田宮に一年滞在します。おそらくこれはスサノオとアマテラスとの間に生まれた宗像3神の祭司王たちに、お墨付きをもらうためだったのかなと考えています。

そこから日向軍は瀬戸内海へと船出して、安芸(広島)の「たけりの宮」で7年間(日本書紀では3か月ほど)滞在するんですね。何とものんびりとした進軍です。でもなぜ広島に長期滞在したことになっているんでしょうか。推測するに、ここで出雲国のその後の情勢を探っていたのだと思うんですね。一度は日向軍に屈した出雲族が再軍備していないか、密偵などを送り情勢分析していたのではないでしょうか。日向と安芸、出雲(あるいは高千穂宮、厳島神社、出雲大社)は一直線上にありますから、出雲と日向間で光通信をするにはもってこいの中継所が安芸だったということになります。ならば安芸は元々、出雲の動静を探る情報基地みたいな役割があったのかもしれませんね。

情勢分析の結果、出雲に謀反の動きがないとみた日向軍は東に歩を進め、今度は吉備の高島宮で8年間(日本書紀では3年間)過ごします。ちょっと滞在しすぎだろ、と突っ込みたくなるところを抑えて、分析します。すると「船舶や武器の準備、兵糧の備蓄をして、一気に天下を平定しようと思った」と日本書紀に書いてありますから、一応この説を採用することにいたしましょう。

十分な兵糧を積み吉備を出た日向族の船団は途中、速吸門(明石海峡の近辺)で亀の甲に乗って釣りをするサオネツヒコと出会い、水先案内人として迎えます。この謎の亀仙人、ではなくてサオネツヒコは自分のことを国津神であるとイワレビコらに名乗っていますから、出雲族の中で瀬戸内海東部の海上交通に詳しかった漁師を仲間に引き入れたと解釈できますね。

サオネツヒコの案内で渦潮などの難所を無事に越えた日向軍は、生駒山の西麓にある白肩津(東大阪市)に上陸、大和へ進軍したのでした。
(続く)

出雲族と大和族の話(第58話) 「歴史なんでも(69)」

出雲王国を傘下に収め、いよいよ奈良にある統一王朝へ進攻(「天孫降臨」)しようとしたとき、日向族の王ニニギの前に立ちはだかったのが、伊勢を支配していた古代イスラエル人たちでした(「天の八街に立つ猿田彦」)。伊勢・五十鈴川を支配するユダヤの王である猿田彦は、同朋である出雲族の大国主らと親しいことから、日向族がニギハヤヒの統一王朝を攻めた場合、統一王朝側に付く可能性がありました。そうなると、戦況はガラッと変わります。

そこでニニギは再び、女諜報部員アメノウズメを呼んで、伊勢・五十鈴川を支配するユダヤの王である猿田彦の動静を探らせると同時に、懐柔を試みます。得意のお色気で猿田彦に近づいたアメノウズメは、すでに出雲族が日向族に屈したことや、味方に付けば伊勢の地を引き続き統治させることなどを猿田彦に伝えます。無用な争いを避けたかった猿田彦は、あるいはアメノウズメの色気に屈したためか、流血の事態を極力避けることを条件にニニギの提案を受け入れます。

これで戦闘準備は整いました。ところが、足元の日向でお家騒動が勃発します。それはニニギの息子であるホデリ(海幸彦)とホオリ(山幸彦)の間の王位継承争い(「海幸と山幸の争い」)でした。しかもこの息子たちの争いが堪えたせいか、ニニギが突然死んでしまいます。この日向族を二分する内紛とニニギの死によって、大和への進攻計画は中断を余儀なくされます。

争いは結局6年間にわたり続きました。最初の3年は海幸彦が優勢でしたが、海人族(和邇)の助力(「海宮訪問」)を得た山幸彦は劣勢から徐々に巻き返し、最後には軍事力にものを言わせて兄の海幸彦を降参させます。降参した兄は、古代九州南部で勢力を持ち、宮廷の守護警備に当たった隼人族の祖となりました。

内紛により一時勢力が弱まった日向族でしたが、和邇族との血縁を深めること(「ワニの出産とウガヤフキアエズの誕生」)によって海軍増強に成功します。やがてウガヤフキアエズに和邇族の姫との息子が4人生まれます(「神武誕生」)。その王子たちが若者となったころ、日向族は改めて統一王朝打倒の戦闘態勢を整えたのでした。
★★★

ここまでが神武東征までのあらすじでしたね。明日からは神武東征神話を解説しようと思います。
(続く)

出雲族と大和族の話(第57話) 「歴史なんでも(69)」

アマテラスとスサノオの政略結婚により、統一王朝への足掛かりができたのですが、問題もありました。実はアマテラスにもスサノオにも連れ子がいたんですね。スサノオには、クシナダヒメとの間に8人の王子と娘のスセリヒメがおりました。牛頭天王(ゴズテンノウ=スサノオ)と八人の王子の話は、八王子という地名の由来にもなっていますね。一方のアマテラスには、タカミムスビという審神者(さにわ)長との間にオシホミミという王子がおりました。そして実は、アマテラスとスサノオの間にも、宗像3神で知られる3人の娘(タキリ、イチキシ、タギツ)が生まれます。

これだけ子供が多いと、当然のことながら統一王朝の人事問題が勃発します。祭司王は宗像3神から選ばれることが決まりました。アマテラスの連れ子であるオシホミミは政治王になることが決まります。そして、スサノオの連れ子であるニギハヤヒが軍事王兼統一王となり、近畿の地に統一王朝を築くことが決まったんですね。このとき、どちらかと言うと臆病なオシホミミは、政治王の称号を辞退。宗像3神も若かったので、ニギハヤヒがすべての王を兼務して統一王朝の初代天皇「天照国照彦天火明櫛玉ニギハヤヒノミコト」となったわけです。

これに憤慨したのは、日向族でした。統一王朝における日向族の重要ポストがほとんどなくなってしまったからです。とくに祭司王の称号である「天照」まで事実上出雲族に取られてしまった(「天の岩戸隠れ」)ので、大変です。何とか巻き返しを図るため、「天照」強奪作戦を練るんですね。作戦参謀はオモイカネ。中東系女スパイ、アメノウズメを送り込み、色仕掛けで出雲族の神器である「草薙の剣」の所在を探り出します。アメノウズメは、腕の立つタヂカラオらを宮中に手引きしてまんまと草薙の剣を奪い取る(「草薙の剣の献上」)と同時にアマテラスを奪還、さらには祭司王の候補である宗像3神のうちイチキシとタギツを半ば拉致して、日向族の支配地域へ強引に連れ出すことに成功します。

このアマテラス強奪事件によって統一王朝の基盤は揺ぎますが、日向族にはまだまだ、統一王朝を打ち破るだけの力はありません。そこで日向族のニニギは、父オシホミミから王の位を譲り受けると、統一王朝を打倒するため軍備増強を進めるなど戦闘準備を着々と整えていきます。

まずニニギが着手したのは、出雲王国の攻略でした。当時の出雲王国は、スサノオの末娘であるスセリヒメを娶った大国主が王となっていました。大国主は、医術・薬草の豊富な知識や才能を生かして難問を次々と解決して出世(「根の国神話」「国作り神話」)したユダヤ人でした。

ニニギは何度か密偵を送って出雲王国の転覆を図りますが、うまく行きません。業を煮やしたニニギは、タケミカヅチを将軍とする水軍で出雲に奇襲攻撃をしかけます。そして大国主とその息子の事代主を降伏させ、最後まで手向かったもう一人の息子タケミナカタの軍勢を打ち破ります(「国譲り神話」)。これにより出雲王国は日向族の事実上の支配下に置かれ、大和にある統一王朝を支援することができなくなりました。
(続く)

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