出雲族と大和族の話(第56話) 「歴史なんでも(69)」

アマテラス強奪事件で統一王朝の基盤を揺るがせた後、大和族は海人族(ワニ族)の助けを借りて海軍力を増強させます。あるいは別の解釈では、爬虫類系宇宙人(ワニ)から強力な武器(宇宙人にとっては遊び道具のボール?)などをもらって、軍備を増強させます。さあ、これで神武東征の準備が整いました。あとは作戦を実行するのみですね。

その神武東征神話に進む前に、口伝竹内文書などから読み解いた日本神話の物語を振り返ってみましょう。もちろん、これは一つの解釈にすぎません。幾通りにも日本神話を解釈することができますね。

「日本神話の物語」
(アトランティスから逃れて?)日本に飛来した天空浮船族(天孫族)は当初、縄文人たちと静かに暮らしておりました。やがて天孫族の一部は、自分たちの理想郷を作るため大陸に渡ります。彼らは、メソポタミアの地にシュメール文明を築き、シュメール人(スメル族)と呼ばれます。しかしスメラミコトを統一王とするスメル族は、過酷な自然を前にして、理想の国づくりを断念。政治・軍事王のグループと祭司王のグループの二派に分かれ、将来の協力を約束して日本に戻ることを決断します。おそらくペルシャや中東地方を何世紀もの間、渡り歩いたのでしょう。一部はさらに分かれて、古代イスラエル人となったかもしれません。

やがて祭司王のグループは、船団を組み、東南アジアを経由して海ルートで北九州に上陸。その後土着の縄文人たちを平定しながら日向にたどり着き、日向王国を作ります。彼らは日向族と呼ばれました。また、彼らは航海が得意でしたので、海(アマ)族、すなわち天(アマ)族(天孫族)とも呼ばれました。

もう一派の政治・軍事王のグループは陸ルートで日本をめざしました。そして最終的に朝鮮半島から出雲にたどり着き、土着の縄文人たちを制圧、出雲王国を建国します。彼らは、出雲族と呼ばれます。

ところが、一致協力して日本に国を作るはずが、日向族(ワニ)と出雲族(ウサギ)の間で激しい主導権争いが発生します(「因幡の白ウサギ神話」)。出雲族は「われわれが先に日本に到着したのだから、出雲族主体の国を作るべきだ」と主張。これに対し大和族は「そちらが先に日本に着いたとの主張は疑わしい。実際、我々の船団の一部を使って(ワニの背を渡って)、因幡に渡ったとの情報もある」と牙を剥き、反論します。結局、会談は物別れに終わります。

こうなったら後は、軍事力がものを言いますね。出雲族は軍団の数にものを言わせて(あるいは数を多く見せかけて)、日向王国に向かって進軍します。これに驚いたのは日向族です。まさかいきなり大軍で攻めてくるとは思わなかったので、日向族の王イザナギと皇后イザナミは慌てて、高天原(高千穂)のそばにある天の安河での和議を申し出ます。

その結果、イザナギとイザナミの娘である日向族の祭祀王アマテラスと、出雲族の若き王スサノオが政略結婚(誓約)し、統一王朝を作ろうではないか、ということになりました。
(続く)
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出雲族と大和族の話(第55話) 「歴史なんでも(69)」

エンキ、エンリルという宇宙人(シュメールの神々)が出てきたついでに、海幸彦と山幸彦の物語をSF的に解釈することもできるので、ご紹介しましょう。

神器をニギハヤヒの統一王朝(海幸彦)から奪ったものの、行法を知らなかったためにまったく神器が役に立たないことを思い知った山幸彦のところに、シオツチノカミ(潮流をつかさどる神)が現れるんですね。そして、しっかり編んだ竹の籠の小舟を作り、それに山幸彦を乗せてワタツミノカミ(海を支配する神)の神殿へと行かせます。

このワタツミノカミこそ、爬虫類のワニの一族であることはすでにご紹介しましたが、これを爬虫類系宇宙人(ペル)であるとすることもできるわけですね。秋山眞人氏によると、人類の戦いの歴史の多くは爬虫類系宇宙人と巨人族系宇宙人(ゲル)の戦いの歴史でもあったことになっていますから、このときはペルが大和族に加担したのではないかとも解釈できるんですね(編注:地球を舞台にしたゲルとペルの代理戦争については、拙著『異次元ワールドとの遭遇』の第二章「UFOと宇宙人」をお読みください)。

すると、「しっかり編んだ竹の籠の小舟」とは小型宇宙船になるわけです。面白いのは、竹内巨麿さんが公開した「茨城の竹内文書」では、竹の籠の小舟の代わりに「亀」に乗って「琉球宮」に行ったことになっていることでしょうか。亀に乗って琉球宮、つまり竜宮城へ行ったのなら、それは浦島太郎の物語とダブりますね。浦島太郎の話とダブルということは、8世紀に書かれたとみられる「丹後国風土記」で、浦嶋子が舟で釣りに出かけたところ五色の亀が現れて、アルデバランとプレアデスの住人のもとへ連れて行かれたという、浦島太郎の原典とみられる物語が浮かびます。その原典では、まさに亀の形をした五色に輝くUFOが浦嶋子を別の惑星に連れて行かれたのだと解釈できるんですね。

仮にこれを爬虫類系宇宙人の介入であると解釈すると、大和族の山幸彦に対して、宇宙人が行法に代わる強力な呪文を伝授したうえ、潮盈珠(しおみちのたま)・潮乾珠(しおひのたま)という強力な科学兵器を持たせたことになるわけですね。

それだけの兵器や呪文があれば、出雲族や統一王朝に対する大和族の優位は盤石なものになります。実際に海幸彦は、山幸彦の呪文と「強力兵器」の前にタジタジとなり、ついには山幸彦の軍門に降ることになります。

そうなると、トヨタマヒメというワニ(爬虫類系宇宙人)と山幸彦の間に生まれたウガヤフキアエズは宇宙人と地球人のダブルということになりますね。えっ、そんなのあり!? と思われるのも無理はありません。でもギリシャ神話の世界ではしょっちゅうそういうことが起きていましたから、古代の地球においては、それほど奇異な話ではなかったかもしれませんよ(笑)。

今日の話はあくまでもSF物語ですからね。念のために。
(続く)

出雲族と大和族の話(第54話) 「歴史なんでも(69)」

海幸彦と山幸彦の物語には、もう一つ重要な史実が隠されているように思うんですね。もちろん、ニニギの息子たちによる後継者争いがあり、弟が兄を差し置いて世継ぎになったのだと素直に読むこともできます。しかし、その物語が示唆する史実はもっと深淵なものであったような気がします。人類が何度も経験したパターンがそこにあるからなんですね。

どういうことかと言うと、同じような物語が旧約聖書のイサクの息子たち(エサウとヤコブ)の間であったことは、すでに指摘した通りです。これらの神話や物語は、兄と弟のどちらに家督を継がせるかが昔から大問題であったという歴史的事実を反映しているのだと思うんですね。

そしてこのパターンは、シュメールの神々であるエンキとエンリルの物語にもみられるんだそうです。だからエンキとエンリルのことを調べなさいと、インスピレーションさんは言うんですね(笑)。私は最初、そこまで話を広げたくなかったのですが、もし武内宿禰さんが言うように、日本から大陸に渡ったスメル族がシュメール文明を築いたのなら、当然その神々であるエンキとエンリルも日本神話を理解するうえで考慮に入れなければいけないのかな、と思って調べてみました。

すると、すぐに分かったのは、エンキとエンリルが異母兄弟であるということです。年齢から言うと、エンリルが兄でエンキは弟でした(編注:その逆であったとの説もある)が、母親に関して言えばエンキの母親のほうが年上だったんですね。母系社会や女家長制の社会でしたら、長姉の子であるエンキが家督を継ぐ権利があったとも解釈できますね。二人のうち金鉱発掘のため最初に地球にやって来たのもエンキでした。ところが、後からエンリルが別の金鉱発掘計画を持って地球にやって来たため、地球の支配権をめぐって兄弟間で争いが始まります。そこで父であるアヌが仲裁に入り、くじ引きをします。支配地域をくじ引きで決めるのは、ギリシャ神話も同じでしたね。その結果、アヌは天に帰り、エンリルが陸地を、エンキは海(編注:地底説もある)を支配することが決まったんですね。

しかしエンキは、この支配地域の分担に納得しません。事あるごとに兄弟間の対立は激しさを増していきます。その対立は世代を超えて引き継がれ、ついには地球を二つのグループに分断、それぞれの子孫を巻き込みながら争いを繰り返すことになってしまうんですね。

シュメールにそのような兄弟間の対立の神話があるのなら、その子孫だという出雲族と大和族にも、同様の対立の歴史があったのかもしれませんね。するとそれが、海幸彦と山幸彦の物語に反映されていたとしても不思議ではありません。ちなみに、私は信用してはいないのですが、セガリア・シッチン説によると、アヌやエンキ、エンリルら神々の故郷の星二ビルでは、12人のアヌンナキによって構成される評議会が最高の意思決定機関になっているんだそうです。シッチン説が正しいかどうかは別にして、12という数字が嘘でも本当でも大きな意味を持っていることが推察されますね。

このシュメールの神話については、後日改めてご紹介したいと思っています。
(続く)

編注:セガリア・シッチンの解釈にはずいぶん間違った部分があるので、私は信用していません。神話を正確に伝えていないような気がします。日本語で出回っているシュメールの神話も多分にシッチンの誤解釈に基づくものが多く、私は英語で書かれたものを読みながら、慎重に解釈するようにしています。たとえば、くじ引きでエンキは地底の国を任されたという文章も見受けられますが、その部分の神話を英語で読むと、海を任されたとなっているんですね。一応、ご参考までに英語を載せておきますね。

“The gods had clasped their hands together,

Had cast lots and had divided.

Anu then went up to heaven.

To Enlil the Earth was made subject.

The seas, enclosed as with a loop,

They had given to Enki, the Prince of Earth.”


問題は4行目のthe Earthなのですが、Eが大文字になっていますから、確かに「地球」と読むのが文法的に正しいのですが、次にエンキには海が与えられたことになっていますから、私は大地、もしくは海に対する陸地と解釈しました。最後のthe Prince of Earthは、Enkiと同格で「地球の王子」という意味であると思います。もともとのシュメール語の解釈が難解なため、こうした訳の違いが出てくるのかなとも思っています。

出雲族と大和族の話(第53話) 「歴史なんでも(69)」

アマテラス強奪事件で神器を手に入れた大和族が、次に直面した大問題とは何か。それは、神器が正常に機能しなかったことだったように思うんですね。海幸彦と山幸彦の神話に示唆されています。つまり山幸彦が兄(出雲族)の釣り針(神器)を使っても、一匹も魚が釣れなかったばかりか、無くしてしまったと書かれているからです。

神器から霊験が消えたら、それはただの飾りの釣り針。せっかく統一王朝から強奪した神器も、これでは存在しないのと一緒ですね。だから次の和睦のときに、出雲族に返却されたのではないでしょうか。

なぜ神器が機能しなかったかについては、いくつかの推論が可能です。再び「朱蒙」を例に取りますが、朱蒙がタムル弓を引くことができたように、神器は特別に「天」によって選ばれた者でしか使えなかったということが考えられます。アーサー王の伝説のエクスカリバーもそうでしたね。まあ、それらはおとぎ話のようなものですから、実際にそのような神器があるのかどうかはわかりません。

次に私が考えたのは、呪文です。神器とともに呪文がないと、神器は機能しないものだったのかもしれませんね。あるいはその神器に封印の呪文がかけられていたため、機能しなかった可能性もあります。

そのヒントも海幸彦と山幸彦の神話の中にあります。3年の歳月を経て、山幸彦は海神(ワニ族)のところで釣り針を見つけ出します。そのとき海神から、釣り針を兄に返す時に4つの呪文を唱えなさいとアドバイスされるんですね。呪文の内容は、「これは憂鬱になる釣り針、イライラする釣り針、貧しくなる釣り針、愚かになる釣り針」というんですから、尋常ではありません。俗に言う黒魔術。余程、海幸彦を呪い殺したかったのかなとも思われてきます。

最初、これは「呪文返し」かな、とも思いました。呪文を解くための呪文です。三年の歳月をかけて呪文を解いたので、今度は逆に出雲族に対して神器を使って呪いをかけた可能性もありますね。あるいは結局解けなかったので、呪文の上塗りをしたのだとも解釈できます。どちらであるかはわかりませんが、少なくとも、神器には何らかの呪文が必要だったのだと、海幸彦と山幸彦の神話は語っているように思われます。

でもそのような呪文って、本当にあるんでしょうか。宿禰さんから聞いた話から推察すると、あるみたいなんですよね。それが古神道の行法ではないかと私は思っています。でもそれをやることで、ある場合には自分自身を傷つけたり、相手に取り込まれたりすることがあるから、気を付けなければならないのだと宿禰さんは指摘します。

大和族の宿禰さんはまた、「大和族の武内宿禰が出雲族の物部から八雲叢雲十種神宝の行法を奪ったので、今でもこの行法が竹内家に伝わっている」と証言しています。当時のことを知る人は少ないですから、貴重な「生きた証言」ですね。実は北川説でも、日向族(大和族のこと)は出雲族との協力を拒み、逆に出雲族が保持する皇位継承の証である「十種神宝」の引き渡しを要求してきたとしていますから、宿禰さんの「証言」と符号しますね。

このことから、実際に大和族と出雲族の間で、神器や行法の激しい争奪戦があったのは間違いないように思うんですね。私の推測では、大和族はアマテラス強奪事件で神器や巫女を奪ったものの、肝心な行法までは奪えなかった。だから大和族が持っていても意味がない釣り針(神器)を出雲族に返す時に、恨み(呪い)の言葉を吐いたのだと解釈しました。出雲族は決して、秘中の秘である神宝の行法を教えなかった。だからこそ、大和族が政権を握ったときも、出雲族の中でその秘儀を知る者は重臣として大和朝廷に食い込むことができたのではないでしょうか。

ではいつ、出雲族の十種神宝の行法が大和族に移ったのか。少なくとも6世紀に物部守屋が殺されたときまでには、出雲族の八雲叢雲十種神宝の行法は武内宿禰によって奪われていたのではないかと私はみています。
(続く)

出雲族と大和族の話(第52話) 「歴史なんでも(69)」

コノハナノサクヤヒメの火中出産の話を忘れてしまった方もおられると思いますので、説明しておきますね。

ニニギから「俺の子ではなく、国津神の子だろう」と言われて、コノハナノサクヤヒメは憤慨します。あまりにも頭に来たので、出入り口のない産屋を建てて中に入り、中から壁を土で塗り固めて火を放ってしまうんですね。普通だったら丸焦げになってしまうんですが、神話ですからもちろん死にません。コノハナノサクヤヒメは猛火に包まれながら出産、3人の皇子(2人説、4人説あり)を産みます。火が最も盛んな時に生まれたのが火照(ホデリ)、火の勢いが少しずつ弱まるときに生まれたのが火須勢理(ホスセリ)、火が静まるときに生まれたのが火遠理(ほおり)となっています。ホデリが海幸彦で、ホオリが山幸彦(後の神武の祖父)となることは、すでに述べたとおりです。

これはかなり難解な物語で、いったいどうやったら史実となりうるのか、ずいぶん考えました。そして考え付いたのが、次のストーリーです。誰が父親かわからないような子をコノハナノサクヤヒメが産むことがないように、ニニギは自分が不在のときにはコノハナノサクヤヒメを外出させないように閉じ込めたのではないかと思うんですね。だから「出入り口のない産屋」で「壁を土で塗り固めた」と、まるで牢獄に入ったような表現になっているんです。貞操帯ならぬ貞操屋、あるいは江戸時代の大奥のような所でしょうか。

火の勢いは、そのままニニギの疑いの炎の大きさとなるわけです。最初の子は、もしかしたら嫁ぐ前に出雲族の男との間にできた子かもしれないわけですから、嫉妬の炎が一番激しかったわけですね。二番目の子は、コノハナノサクヤヒメを自分の手元に置いておいたときの子なので、疑念の炎は少し和らいできます。そして三番目の子は、完全に「大奥」に閉じ込めておいたときにできた子なので、嫉妬の炎も疑念の炎も静まっていたわけですね。

ニニギとしては、確実に自分の子であるとわかっている三男のホオリを世継ぎにしたいですよね。もしかしたら出雲の子かもしれない長男のホデリを後継ぎにするわけにいかないと考えるのは、当然と言えば当然です。そこで海幸彦、山幸彦の争いの物語となるわけです。この神話を作った側から見れば、なんとしてでも山幸彦の正統性を強調したかったことがわかりますね。長男の海幸彦をいじわるで融通の利かない男のように描いています。そして最後には山幸彦が英雄的な業績(釣り針=神器の発見と、魔法の玉=行法の獲得)を成し遂げたことにして、海幸彦を正統な後継者の座から引きずりおろしてしまうわけです。

こうした兄弟の立場が逆転する世継ぎ問題は、旧約聖書に出てくるイサクの息子たちの話にも似ていますね。エサウとヤコブの兄弟がいて、弟のヤコブが後継ぎに選ばれたという話でしたね。ヤコブもまた、英雄的な業績(神との相撲に勝って、イスラエルの称号を獲得)を成し遂げ、正統性を認められました。

しかし存在感を消されてしまったのは、真ん中に生まれた二男のホスセリです。無事に生まれたようなのですが、その後やはり焼け死んだのか、殺されたのか、どのように生き長らえたのか、まったく記されていないんですね。おそらくこの神話を書いた筆者は、出雲族と大和族をそれぞれホデリとホオリに重ね合わせていたので、古代イスラエル人に相当する人物を作り出したかったのでしょう。それで中立を象徴する真ん中の子としてホスセリを登場させたのかなとも思えます。

さあ、これで「誰の子」問題は一応の決着をみたわけです。
でも大和族の前に立ちはだかった難問には、「誰の子」だけでなく、さらにもう一つ大きな問題がありました。それが神器の問題だったんですね。
(続く)

出雲族と大和族の話(第51話) 「歴史なんでも(69)」

こうして再び「さく裂」したアメノウズメの美人局作戦により、日本にいた古代イスラエル人の大多数は大和族側に付くことになったわけです。こうなれば大和族に怖いものはありませんね。猿田彦には、協力してくれた「ご褒美」としてアメノウズメがあてがわれたような気がするんですね。なぜなら記紀神話では、アメノウズメが猿田彦を故郷の五十鈴川まで送って行ったとあるからです。これって、完全な古代のデートコースですよね(笑)。神話・伝説ではただ、アメノウズメが猿田彦の猿を取った猿女君の祖となり、その子孫は猿女の君として宮中の鎮魂祭などの神楽舞に奉仕することになったのだとされています。ベリーダンスと神楽舞――何か因縁を感じますね(笑)。

神宝や行法を強奪し、決戦の準備が整った大和族ですが、実はまだまだ解決しなければならない事柄がたくさんあったことが、記紀神話からうかがうことができます。一つは「誰の子」問題です。ニニギが妻のコノハナサクヤヒメが産もうとしている子のことを「自分の子ではなく、国津神の子に違いない」と疑った話ですね。以前ご紹介した解釈では、第一回目の和議のときに、出雲族の姫が大和族のニニギに嫁ぐことが決まったが、その和睦の内容にニニギが不満を持っていたことの表れが「誰の子」問題の背景にあるのではないかとの説をご紹介しました。でも、それだけではない歴史的事実が、この神話に含まれているように思うんですね。

実は神話と言うのは、二つ以上の歴史的事実が掛け合わさってできている可能性があるので、一つの神話から二つ以上の史実を探し出すことができるようにもなっているんですね。短歌で言う掛詞のような二重、三重の構造になっているわけです。

まず、最初にあった「誰の子」問題としては、統一王朝初代天皇に選ばれたニギハヤヒが誰の子かという問題がありました。スサノオの連れ子なのか、アマテラスとの間に生まれた子なのかという問題です。おそらく、ニギハヤヒはスサノオの連れ子であったと思うんですね。だからニニギは思うわけです。スサノオとアマテラスが結婚しても、スサノオの連れ子のニギハヤヒが初代天皇になってしまっては、それは国津神(出雲族)の子ではないか、と。

第二の「誰の子」問題としては、ニニギの妻になった出雲族の姫がすぐに妊娠したが、それが自分の子ではないと疑ったケースも考えられます。仮にニニギと結婚する前にすでに子供ができていたとしたら、自分の子供までもが出雲族の子となり、大和族が出雲族に完全に乗っ取られてしまいますものね。これは大問題だったにちがいありません。

第三の「誰の子」問題としては、これも推測ですが、大和族が統一王朝から取り返した巫女(アマテラス)が大和族の血を引くとみられるオシホミミの子であるのか、という問題があったと思うんですね。これを説明するには、当時の王朝の権力構造について説明しなければなりません。簡単に言うと、統一王がいて、その下に政治王、軍事王、祭司王がいたのではないかと思うんですね。それぞれの王朝は、4人で一単位みたいな形になっていたような気がするんです。根拠は何かというと、テレビ東京で現在放映している韓国の古代史ドラマ「朱蒙」を見ているからなのですが(笑)、そのドラマには軍事、政治、巫女という担当者3人と、神器を持った王が出てきますね。これが古代国家の基本形であったと、私は考えます。

統一王朝の王が出雲族のニギハヤヒなら、政治王は大和族の血が流れているオシホミミだったのでしょう。軍事王はおそらくニギハヤヒの息子など出雲族系から出たのかなと思われます。その代わり、祭司王はオシホミミの娘とか、大和族の血が流れている巫女が選ばれたと思うんですね。ところが統一王朝から巫女を奪い返して顔を見たところ、どうもオシホミミの娘であるのかどうか、疑わしかった。ではどうしたものか、という問題があったのかもしれませんね。

何しろDNA鑑定のなかった時代ですから、疑心暗鬼になるのも無理はなかったですね。いずれにしても、記紀神話に出てくるコノハナサクヤ姫の火中出産の話には、出雲族の子であるか大和族の子であるかという重大な問題があったことを示しているわけです。
(続く)

出雲族と大和族の話(第50話) 「歴史なんでも(69)」

オモイカネが立案したアメノウズメらによる美人局作戦・アマテラス強奪作戦が成功したことにより、統一王朝は弱体化していったのではないかと思うんですね。何しろ統一王朝の王(天皇)の象徴である神器や行法の一部が奪われたのですから大変です。政略結婚で出雲族の王と結婚した巫女(アマテラス)も奪還されてしまったのかもしれません。一方、大和族には「天照」(称号)やアマテラス(巫女)という太陽が戻ったのですから、元気百倍です。大和族としては、一気に攻勢に出たいところですね。この大和族による一連の作戦の成功が、記紀神話では、世界には再び光明が戻り、スサノオ(出雲族)は高天原から追放されたという表現で記されているわけです。

アメノウズメの功労は大ですね。大和族はその後、統一王朝があった豊葦原瑞穂の国(今の大和地方)へと進軍して、最終的に大和を平定(天孫降臨)するのですが、そのときにもアメノウズメは、功労者あるいは諜報部員として大和族の進軍に同行します。ところが、記紀神話ではここで面白いことが起こります。私が古代イスラエル人にちがいないと思っている猿田彦が登場するんですね。

非常に象徴的な表現だと思うのですが、猿田彦は高天原(大和族)と葦原中国(統一王朝・出雲族)の真ん中に立って高天原と葦原中国の両方をこうこうと照らしていたと書かれています。つまり猿田彦に代表される古代イスラエル人が、大和族と出雲族(統一王朝)の抗争の行方を決めるキャスティングボートを握っていた、とも読めるんですね。一部の例外(出雲族に就いた大国主)を除いて中立の立場であった古代イスラエル人の勢力を、どちらが味方に付けるかが、勝敗の分かれ目であったと解釈できるわけです。

そこで呼び出されたのが、女諜報部員のアメノウズメでした。アメノウズメはアマテラス(アマテラスを強奪した大和族の王)から「お前は先に行って、(われわれが)天降りする道にそのように立っているのは誰か聞いてこい」との命令を受けます。その際、アメノウズメは何をしたかと言うと、日本書紀にはアマテラス強奪作戦のときと同じことをやったと書かれているんですね。すなわち、乳房をあらわにして下半身もほぼ丸出しにして微笑んだとあります。もうお分かりになりましたね。ここでも美人局作戦がさく裂したわけです(笑)。日本書紀にはアメノウズメが猿田彦のところに派遣された理由も書かれています。「眼力が人よりも優れているから」という理由なんですね。つまり猿田彦を美しい目で虜にするために、女諜報部員として先に送り込まれたとも採れるわけです。

私はその説をさらに進めて、アメノウズメ自身も猿田彦と同郷の古代イスラエル人であったとみています。というのも記紀神話では、猿田彦が登場した時も、スクナヒコナが登場した時も、風貌に特徴のある人物が出てきたときは必ずと言っていいほど、名前を聞くのに仲介者を立てているからですね。仲介者とはすなわち通訳ではなかったかと私は推測しています。猿田彦もかなり変わった容貌をしていたことになっていますから、異国の人の風貌であったのでしょう。そこで同郷とみられるアメノウズメを派遣して、名前や相手の勢力や動向を聞き出すとともに、色仕掛け(美人局作戦)で猿田彦を骨抜きにしたのではないかとみるわけです。するとアメノウズメが披露したエキゾチックでセクシーな踊りは、さしずめベリーダンスだったのでしょうか(笑)。
(続く)

出雲族と大和族の話(第49話) 「歴史なんでも(69)」

大国主、スクナビコナ、事代主、タケミナカタといった古代イスラエル人が出雲族側に付く一方で、大和族側に付いた古代イスラエル人もいたのではないか、との見方はすでに紹介しました。そのヒントが「手引き」「道案内」であるのではないかと私は推測しています。

伊勢・五十鈴川出身で異国風の風貌(鉤鼻、デカ鼻)をもつ猿田彦が筆頭候補でしたね。彼は大和族が天孫降臨、すなわち統一王朝を打倒して大和を平定するのを道案内した人物であるとされています。しかし大和族の人たちは、それ以前にも統一王朝の中に親大和族派の異国人(おそらく古代イスラエル人)をスパイとして送り込んでいたのではないかと思うんですね。

それはこういうことです。ニギハヤヒの統一王朝にアマテラスおよび祭司王の称号を事実上取られたことにより、大和族はアマテラスという太陽(祭司王)がいない状態(岩戸隠れ)になってしまった。確かに太陽がなければ大和族にとってはお先真っ暗です。だからこそ、何とかして祭祀王の称号(天照)を奪還したいわけです。宿禰さんが言っていたことからヒントを得たのですが、祭司王にならないと使えない行法というのがあるみたいなんですね。その極秘の行法を使うための神器というものもあったのでしょう。そこで大和族が考えたのは、神器や行法の奪還作戦だったわけです。神話的に言えば、アマテラスを岩戸(統一王朝)から外に出すことですね。

そこで暗躍したのが、古代イスラエル人の妖艶な美人スパイ、アメノウズメであったのではないでしょうか。アメノウズメはご承知のように、アマテラスを岩屋から誘い出すために岩屋の前で、ほとんど全裸状態で歌い踊った巫女でしたね。この女性を異国の女スパイであるとして解釈すると、色仕掛けでアマテラスの称号を持つ祭司王あるいはその側近の男をたぶらかし、その男性から神器の在り処や行法についての極秘情報を聞き出したとなるわけです。ちょっと想像力がありすぎると思われるかもしれませんが、女性が女性の裸を見たくて岩屋から顔を出すよりも、ボンキュボンの全裸の美女に異国情緒たっぷりのセクシーな踊りを見せられたので男性が岩屋から顔を出すと考えた方が私には説得力があります(笑)。

神話では、アメノウズメの踊りによってアマテラスが顔を出したところを、タヂカラオがアマテラスの手を取って力ずくで引き出したことになっています。手を取って引き出す――つまり手引きをするという意味がここに込められているように思うんですね。私はこれを、アメノウズメを統一王朝の内部に入り込めるように手引きをしたのが、タヂカラオであったと解釈します。おそらくタヂカラオは統一王朝内に派遣されていた大和族の人間だったのでしょう。

「力ずくで」アマテラスを外に出したとしているところも注目点ですね。美人局のように統一王朝内部の重鎮をアメノウズメと姦通させ、そのことを脅して(当時そのような脅しが通用したかどうかわかりませんが)極秘情報を引き出したのかなとも思ってしまいます。いずれにしても、強引に統一王朝から神器や行法を取り返したことを示していると考えられます。

その神器に関しては、神話ではアマテラスを引き出すために八坂の勾玉と八咫の鏡を取り出したとしていますから、少なくとも八坂の勾玉と八咫の鏡を「宮中」から盗み出したのでしょう。それらを盗み出すことに成功した「実行犯」が、大和族のフトダマとアメノコヤネ。そしてそれを計画立案したのが、同じく大和族のオモイカネであったのではないでしょうか。

三種の神器の残る一つ、草薙の剣は、出雲族から大和族に渡ったことになっていますから、大国主に国譲りさせるときに奪ったのかなと推測されます。

アメノウズメが本当に古代イスラエル人の女スパイだったのか、明日はもうちょっとだけ、そのことについて説明します。
(続く)

出雲族と大和族の話(第48話) 「歴史なんでも(69)」

大国主の子だとされるタケミナカタは古代イスラエル人と何らかの関係があった――諏訪大社の祭りなどを見るとそう思われてくる、というところまでお話したんでしたね。すると、どうしても私には、タケミナカタの父である大国主も、古代イスラエル人と関係があったのだと思われるわけです。そうならば、大国主が祀られた出雲大社にも、古代イスラエルと関係する何かがあってもおかしくありませんね。

探してみたところ、一つだけありました。旧約聖書のヨシュア記第22章に、「カナンの地のヨルダンのほとりに一つの祭壇を築いた。それは大きくて遠くから見える祭壇であった」という記述があるんです。この巨大な祭壇(神殿)が、印象としては、大国主が国譲りをする代わりに造らせたとされる、巨大な出雲大社のイメージと合致するんですね。

旧約聖書には、遠くからでも見える大きな祭壇とは具体的にどのようなものだったかは記されていません。ただし、何のための巨大祭壇だったかはちゃんと書かれているんですね。紀元前1100年ごろのことでしょうか、出エジプトに成功したモーゼの後継者であるヨシュアが、カナンの地を武力で征服、12支族にそれぞれ領地を割り与えます。ところがその時に、ヨルダン川の東と西に分かれてしまう事態が起こります。そこで、ヨルダン川の東を与えられたルベン族、ガド族、マナセ族の人々は、ヨルダン川の西を与えられた他の支族と同一のヤハウェに帰神していることを示すための「証拠」として築いたというんですね。

もちろん当初はそのような意図があることをヨルダン川の西を与えられた支族の人々は知りませんから、対岸に巨大な神殿(祭壇)が建設されるのを見て驚き、東側の支族が自分たちの神ヤハウェに背こうとしているとして東側を攻め滅ぼそうとします。慌てた東側の3支族が、巨大神殿はあくまでも将来、自分たちが西側の支族から仲間外れにされないための「証拠」として築いたのだと弁明して、事無きを得ます。

仲間外れにされないための証拠として巨大神殿を建てた――。この旧約聖書の話が、妙に大国主の国譲り神話とダブルんですね。大和族が古代イスラエルの民であったかどうかは別にして、少なくともシュメールにおいては大和族も出雲族も古代イスラエル人(アブラハム)も同朋であったのではないかと思われますね。それなのに今、大和族はかつての同朋である出雲族や古代イスラエル人を武力で攻め滅ぼそうとしている。

大国主はきっと、古代イスラエルの歴史をよく知っていたんですね。だから、かつて攻め滅ぼされそうになったヨルダン川東側の支族と自分の苦しい境遇を重ね合わせて、それをわかってもらいたくて、ヨシュア記に出てくる巨大祭壇さながらの巨大神殿を造らせたのではないでしょうか。「将来、仲間外れにしないでくれ」と、大和族に対して大国主が主張しているように私には読み取れるんですね。

日本の神話を読んだだけでは、大国主がなぜ巨大神殿を出雲に建造することを国譲りの条件にしたかはまったくわかりません。ところが古代ヘブライの歴史を知る者なら、その理由がわかるようになっていたわけです。つまり同朋へ向けたメッセージであった可能性もあるんですね。

ところで、巨大祭壇をめぐるもめ事がヨルダン川の西と東の支族間であった後、ヨシュアが古代イスラエルの全12支族を集めて神ヤハウェのもとに団結しようと呼びかける場面が何回かあります。おそらく、ヨシュアはお互いに疑心暗鬼となって団結を乱すことのないよう、一年に一回12支族の代表を一堂に集めた会合を開いたのでしょう。これが12か月の中ですべての神が出雲に集まるという神在月(他の地方にとっては神無月)の起源なのかなとも思えてくるんですね。たぶんその時に出雲に集まった神も12神であったと思うのですが、それは別の機会に改めて考察してみたいと思っています。
(続く)

出雲族と大和族の話(第47話) 「歴史なんでも(69)」

昨日ブログをアップした後、その内容について、インスピレーションさんから再びサジェスチョンが来ました。昨日古代イスラエル王国の南北分断について書いたとき、偶像崇拝したから宗教から離れたという趣旨のことを書いたのですが、「偶像崇拝したら、どうして宗教から離れたと言えるの?」と指摘されたんですね。

インスピレーションさんは賢いですね。まさにその通りです。偶像崇拝をしていない宗教などないからです。キリスト教にしろ、ユダヤ教にしろ、イスラム教にしろ、仏教にしろ、何らかの形で信者に偶像崇拝を強いているんですね。その「偶像」は形を変えながら、まさに増殖する菌のように宗教にはびこります。それらは、教会や寺社の権威であったり、聖典や経典であったり、聖像や仏像であったり、聖職者や教祖であったりしますが、私にはどこから見てもそれは「偶像」にしか見えません。

宗教が皆に偶像崇拝させることによって何が起こるかについても、私とインスピレーションさんの意見は一致します。偶像崇拝は、自分の外側に神を置くことになるんです。そうすることにより、本来なら自分の内にいるはずの神の存在を忘れてしまうという、変な現象が起きてしまうんですね。そうなると信者さんたちは、教祖様や「神」に対する依存を強めてしまいます。すべてを、悪霊の仕業や神の御業(みわざ)で説明するようになります。何か悪いことが起こると他人や異教徒のせいにして、良いことが起こるとそれを信仰や教祖様のお蔭であるとします。少なくともこうしたことが歴史的に何度も起こっていますね。

ところが自分の内側に神がいることを知っている人は、自分の外側に神を求めたりはしないし、宗教に依存したりもしなくなります。心の中に社(やしろ)を建てれば、そこに神が宿ることを知っているんですね。だから何か大きな災害が起きても、それを「神という他人」のせいにしたりはしないし、天罰だと思ったりもしません。神とは自分でもあるわけですから、その災害には、自分の中で何か意味があるのだなと考えるんですね。

「それが本来の古神道だったのではないの?」と、声は私に告げているようです。

自分の中に神がいる、すなわち自分=神・・・・・・・そのような「畏れ多いこと」を信じるわけにはいかないという人も多かったので、古代日本人(天空浮船族?)は多神教というものを考え付いたのだと、インスピレーションさんは指摘します。つまり自分の中に神がいるということは、すべての自然、すべての生命の中に神がいるということと同じであると考えるようにした、と言うんですね。それが古神道の本質であるわけです。

宿禰さんも、自然を征服するのではなく「自然と調和して生きる術、自然の力を利用する術が本来の古神道であった」としていますから、何か相通じるものがありますね。

インスピレーションさんはこうも言います。すべての中に神がいることを知っていた人たちは日本人だけではない、と。古代イスラエルの民にもそのことを知っていた人たちがいたし、アボリジニやネイティブアメリカンの人たちの中にもいた、というんですね。「世界には自然に近い生き方をしている人たちがいるよね。彼らが今に残る五色人なんだよ」

まさかここで竹内文書に記されている「五色人」という言葉が出てくるとは思わなかったので、「なるほど、そういうことか」と思わず口に出してしまいました(笑)。

そう考えると、古神道を広めるために古代の日本から世界各地に五色人が散って行ったのだとする竹内文書的世界観も、説得力が出てきますね。

おそらく宿禰さんが言うように、メソポタミアで文明を開いたスメル族の人たちも、当初は自然と調和する理想の世界を築こうとしたのでしょう。ところがあまりにも厳しい自然であったため、一部の人たちは自然と調和するという古神道的精神を忘れてしまった。もはや自分の中に神がいることも信じられなくなったのでしょう。シュメールから分かれたアブラハムの子孫である古代イスラエルの民も、本来の神の道を忘れて偶像崇拝(宗教)をするようになった。そして、ついには滅んで、一部の人たちは「神の道」の故郷とされる日本に戻ってきたのだと解釈することもできますね。

キリスト(五十鈴彦)が日本にやって来た理由もそこにあったのかな、とも思えてきます。実際、キリストが中東の地で説いた教えは、「神の道」であったような気がしてならないんですね。ただし、その教えですら、今では「偶像」になってしまったわけです。

ずいぶん脱線しましたが、明日こそ再び本筋(出雲族と大和族)の話に戻りたいと思っています(笑)。
(続く)

出雲族と大和族の話(第46話) 「歴史なんでも(69)」

今回、この「出雲族と大和族の話」を書くに当たっては、ずいぶんインスピレーションさんに助けてもらっています。このイスラエルの12支族についても同様で、いくつかのサジェスチョンが来ています。最初はギリシャの12神(オリュムポスの12神)に対応するとみられる日本神話の12の神々を調べてみたら面白いよ、というものでした。次に来たのは、ギリシャの12神とイスラエルの12支族の関係を調べてみたら何かわかるかもよ、でした。すると、イスラエルの12支族も、日本神話の12の神々も、ギリシャの12神もなにか共通点があることになりますね。

そこで私も、あれこれと頭の体操をするわけです。一体どの神がどの神に対応して、それが一体どのイスラエルの部族と関係があるんだろう、と。そのイスラエルの部族と出雲族と大和族は関係あるのかな、とかも考えることになります。

すると最初に浮かんでくるのが、3つの神なんですね。
まずギリシャ神話から始めましょう。ティタン神族(巨人族)との戦いに勝利した神々の一族(オリュムポスの神々)は、くじ引きによりゼウスが天空、ポセイドンが海、ハデスが地下(冥界)を支配することになりました。日本神話では、イザナギが産んだ三人の子供が出てきて、アマテラスが高天原、スサノオは海原、月読(ツクヨミ)が夜の国を治めます。これは非常にわかりやすいですね。ゼウスがアマテラス、ポセイドンがスサノオ、ハデスがツクヨミです。

アマテラス、ポセイドン、ツクヨミがイザナギの目や鼻から生まれたように、実はゼウス、ポセイドン、ハデスという3兄弟の父(クロノス)はゼウス以外の子供を飲み込んでその後吐き出すという芸当を演じているんですね。ゼウスらの祖父に当たるウラノスに至っては、息子(クロノス)に切り取られた男性器が海に落ちた時に飛び散った「液体」から愛の女神アフロディテ(ヴィーナス)を誕生させています。何とロマンチックな話でしょう(笑)。昔は結構、グロテスクな出産をされていたことがわかりますね(笑)。

スサノオがポセイドンだとしたら、ポセイドンは出雲族ということになるのでしょうか。そうならばアマテラスとゼウスは大和族ということになりますね。この場合、海ルート(海幸彦)が出雲族、陸ルート(山幸彦)が大和族ということにもなりそうです。

これがイスラエルの12支族と何らかの関係があるかどうかですが、一つのヒントは宿禰さんの正統竹内文書に記されているという、シュメールにおけるスサノオ系とスメラミコト系の話ですね。スサノオ系は軍事・政治王のグループだとすると、スメラミコト系は祭司王のグループであったとしていました。これはちょうど古代イスラエル王国がソロモン死後に南ユダ王国と北イスラエル王国に分かれた状態によく似ているんですね。北イスラエル王国のほうがより顕著に神から禁じられていた偶像崇拝などをしてしまうからです。つまり、宗教から離れてより政治的(スサノオ系)になったと解釈できます。そうだとすると、南ユダ王国のユダ族とベニヤミン族がスメラミコト(大和族)系でしょうか。

イスラエル12支族のシンボルマークから推測しても、水(ルベン族)や船(ゼブルン族)のマークがある北イスラエル王国がスサノオ、ポセイドンの出雲族系であったと考えられますね。

このイスラエル12支族とギリシャの12神、日本の神話の神々の話は、いずれもっと詳しく調べていきたいと思っています。
(続く)

出雲族と大和族(第45話) 「歴史なんでも(69)」

イスラエルなどにいる今のユダヤ人は、ユダヤ教徒にさえなれば、どの人種でもなれますから、アブラハム、イサク、ヤコブと続いた古代イスラエル人とは民族的にほとんど関係のない人たちであるということがわかっていただけたでしょうか。古代イスラエル人たちの末裔は、基本的にはどこに行ったかわからないんですね。古代イスラエル人は黒髪であった可能性が強いそうですから、黒髪が優勢遺伝子であるとしたら、比率的には黒髪の人種に高く分布するのかな、と推測するぐらいはできます。

すると、よく取りざたされる日ユ同祖論も、いったい何がどのような祖先なのか、しっかりと区別するべきだということもわかってきますね。ある人は、失われた10支族の末裔が日本に来たと考えるかもしれません。あるいは、バビロン捕囚後離散したユダ族らの末裔が日本に来たとする人もいるでしょう。そしてもう一つの見方としては、古代イスラエル人の祖先こそ日本人であるとみることもできるんですね。

今回、日本の神話を読み解くに当たって活用させてもらっている正統竹内文書の口伝継承者第73世武内宿禰さんは、日本から大陸に渡った人たちがメソポタミアでシュメール文明を開き、その後一部が中東に移動して古代イスラエル人になったのではないかとしていますから、古代イスラエルの祖先が日本人であるとの立場に立っていますね。だから宿禰さんによると、古代イスラエル人は日本から大陸に渡ったスメル族(シュメール人)の「分家の分家」となるわけです。

実際、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三つの大きな宗教の「信仰の父」「聖典の民の始祖」とされるアブラハム(イサクの父)は、古代メソポタミアのシュメール人の都市ウルで生まれて中東(カナンの地)へ移住したとされていますから、辻褄は合うんですね。

そのことから推測すると、古代イスラエル人たちは東方に自分たちの故郷があることを知っていた可能性もありますね。だからキリストが生まれたときに東方から三博士がやって来たとしたのかな、とも考えてしまいます。宿禰さんによると、スメル族の二つの「本家」は、紀元前3世紀か4世紀ごろ陸路、海路に分かれて日本に戻って来たとしていますから、その本家本元の後を追うようにして古代イスラエル人たちも三々五々、五月雨的に「古の故郷」である日本に渡って来たのかもしれません。それが大国主であり、猿田彦であり、石切彦であり、五十鈴彦であったとも考えられるんですね。

そう考えると、大国主の息子とされるタケミナカタが祭られている諏訪大社で、なぜ古代イスラエル人と結びつくような奇祭が行われているかの説明がつくんですね。それはあくまでも分家の祭り(奇祭)であって、本家の祭りではなかったということにもなります。

もちろんもう一つの可能性として、シュメール文明を築いたスメル族と、アブラハムを祖とする古代イスラエル人を同列に考えることもできます。古代イスラエル人をスメル族の本家とみなすことですね。この説を採ると、もしかしたらソロモンの死後分裂した古代イスラエルの12支族のうち、北イスラエル王国を建国したグループがのちの出雲族か大和族、南ユダ王国を作った2支族がのちの大和族か出雲族と考えることもできるんですね。

次回はこの可能性についても考えてみましょう。
(続く)

出雲族と大和族の話(第44話) 「歴史なんでも(69)」

ミチサク神とイサク、守屋山・洩矢の神とエルサレムの聖地モリヤ、御柱祭りとソロモンの神殿造り――諏訪大社と古代イスラエルの関係が次々と出てきますね。

御頭祭りでアブラハムとイサクの話が出てきたところで、古代ユダヤ人というか正確には古代イスラエル人と、現在イスラエルと呼ばれている国にいるユダヤ人の違いをもう一度説明しておきましょう。とにかく古代イスラエル人やその失われた10支族と古代日本の話を書こうとすると、インスピレーションさんが「分かっていない人がたくさんいるから、何度でも、今のユダヤ人と古代ユダヤ人(古代イスラエル人)は全く別な者たちであることを明確にしておきなさい」と言うんですね。知っている人も多いと思いますが、もう一度「歴史」をおさらいします。

アブラハムの妻サラには子供がいなかったのですが、なぜか年老いてから突然、息子を産みます。それがイサクですね。生贄になるところを「天使」に救われ九死に一生を得たイサクは、カナンの女性リベカと結婚、エサウとヤコブという双子の兄弟をもうけます。本来なら長男エサウが家督を継ぐべきところを二男であるヤコブが継ぐことになったので、エサウは怒ります。兄を恐れたヤコブは故郷を離れて伯父の元に身を寄せ、やがて財を築き独立します。

その後、兄エサウと和解するため故郷に帰る途中、ヤコブは「神」と「相撲」を取って「勝利」してしまうんですね。そこで神から「神とともに戦うもの」とか「神の勝者」を意味するという「イスラエル」という称号をもらいます。そして、そのヤコブに12人の息子が生まれ、イスラエル12支族の祖になるんですね。

12支族の祖は、ルベン、シメオン、レビ、ユダ、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル、イッサカル、ゼブルン、ヨセフ、ベニヤミンです。ヤコブの時代にイスラエル12支族はエジプトに移住しますが、やがてエジプト国王から迫害されるようになり、奴隷の境遇に甘んじることになるんですね。そこに現れたのが、レビ族のモーゼ。モーゼはイスラエルの民を連れて、エジプトを脱出(出エジプト)、カナンの地に住みつきます。

紀元前1000年ごろ、それまでバラバラだった12支族が団結します。軍事指導者サウルを初代の王とする統一王国ができたんですね。これが古代イスラエル王国と呼ばれる国です。

その後、ダビデ、ソロモンといった王が誕生し、イスラエルは強大な王国となりますが、ソロモンの死後分裂、10支族はサマリアを都として北イスラエル王国を、ユダ族など残り2支族はエルサレムを都として南ユダ王国を建国します。北の10支族は紀元前722年、アッシリアに征服された後、歴史から消息を絶ちます。これが失われた10支族ですね。

一方、南の2支族も紀元前587年、新バビロニア王国によって滅ぼされ、バビロンで囚われの身となります(バビロン捕囚)。彼らは新バビロニア王国崩壊とともに解放され、エルサレムに戻りますが、もはや独立王国を作るほどの力はなく離散、祭司が指導する神政共同体のような形で生活を続けることになりました。これがユダヤ人と呼ばれるようになった人たちです。

ここまでご紹介した古代イスラエルの人たちというのは、黒髪で浅黒い肌のアラブ系の人たちであると言われています。では、なぜ今イスラエルにいるユダヤ人に白人が混ざっているかと言うと、8世紀ごろ、東欧にいた白色系のハザール人が政治的理由からユダヤ教に改宗して白色ユダヤ人(アシュケナージ)を名乗るようになったからなんですね。

だからユダヤ人だったイエスの顔も、色白で金髪なヨーロッパ人ではなく、中東系の顔をしていたわけです。
英BBC番組が科学技術を駆使して復元した「イエスの顔」がこちらに出ておりますので、ご覧ください。

英語はこちら

日本語はこちら
(続く)

出雲族と大和族の話(第43話) 「歴史なんでも(69)」

大国主の子タケミナカタが祭られている諏訪大社と古代イスラエルとの間には、御柱祭のほかにも多くの類似点があります。

もう一つの奇祭である御頭祭などは、まさに旧約聖書創世記22章に出てくるアブラハムのイサク奉献伝承そのものです。御頭祭は時代とともに変化していったようなのですが、江戸時代にこの祭りを目撃した文化史研究家・菅江真澄によると、諏訪大社の上社前宮十間廊という建物に75頭の鹿の頭がまな板の上に並べられていたそうです。そこへ紅の着物を着た8歳ぐらいの子供が連れてこられ、柱とともに竹か葦のむしろの上に乗せられます。その後、神官による「藤刀」を使った占いのような儀式があります。やがて、その子供に縄が掛けられるのですが、そのとき周りの男たちが「まずまず」と言います。すると、祭詞が読み上げられ、読み終わると、礼服を着た男がその子供を背負って退出。その子供は後に神社の前で縄を解かれて放されるのだそうです。

何とも奇奇怪怪な祭りですが、旧約聖書のイサク奉献伝承を読めば、理解できてしまうんですね。

ある日神はアブラハムに「あなたが愛する一人息子であるイサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして私が示す山でイサクを生贄(いけにえ)としてささげなさい」と言うんですね。アブラハムは言われたとおりに、イサクを指定された山に連れてゆき、縄で縛り祭壇の薪の上に乗せます。そして刀を取り出してイサクを屠ろうとしたその時、天使が現れ、「その子(イサク)に手を出してはいけない。あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは自分の子さえ惜しますに私にささげた」と告げます。アブラハムが目を開けると、そこに角を藪に引っ掛けている羊がいます。アブラハムはその羊を捕え、イサクの代わりに生贄としてささげました。

御頭祭の多くの儀式動作で、イサク奉献伝承と一致していることがわかりますね。特に注目されるのが、アブラハムがイサクを捧げようとしたモリヤという地名です。御頭祭がおこなわれる前宮の裏手にある守屋山と同じ名前なんですね。また地元の伝説では、ミサクチ神と洩矢(モリヤ)の神が古くからタケミナカタとは別に信仰されていたといいます。『諏訪神社 謎の古代史』を書いた清川理一郎氏によると、音節で分けたミサクチ・MISAKUCHIのMを接頭子音、CHIを接尾語とみれば、ミサクチはイサク・ISAKUとなります。これらのことから清川氏は、ミサクチ神の祭りとみられる御頭祭はのちに古代イスラエルの族長となったイサクを人格神として祭ったものではないか、そして洩矢の神とは聖地モリヤの土地神ではないかとみています。
(続く)

富士山からのメッセージ 「今日の出来事(966078)」

Mt. Fuji

今朝、富士山(自然界)からメッセージが届きました。
今の日本(地球)の状況を説明してくれているようです。
最初に来たメッセージはこれ。
「(人間は)自然界と一緒に自分たちの思想の行き先を理解し続けているんだよ」
自然界は私と違って優しいから、語り口も柔らかいです(笑)。

声は「自然界は(客観的な)第三者」であると私に告げます。だから人間の選択がどのような選択であったかを客観的に知らせてくれると言うんですね。それは、たとえばこういうことです。人間が自分で万能だと思う科学でどんなにうまくやったと考えても、本当に客観的にうまくやったのかどうかという「問いかけ」が、第三者である自然界から必ずやって来るんだそうです。自分たちの発見した科学で自然界が傷ついたのか、クリーンで素晴らしいエネルギーなのか、本当にそれでいいのか、そういった「問いかけ」がやって来るんですね。自然界は決して怒ったりしないし、こうしろと人間に強制したりもしません。あくまでも私たちと一緒に考えるヒントを与え続けてくれるだけなのです。

科学は万能ではありませんね。だからその使い方に気を付けなければいけないのだと、人間に対して静かに語りかけているようです。話はキュリー夫人やアインシュタインにまで及びます。人間は新しい技術を見つけると、それを使ってみたくなるものです。だから、素晴らしいものであると自分の業績を吹聴します。それは人間の性質でもありますから、声はそれを非難したりはしません。ただし、研究者も発見者も、発見されたものがどういうものに使われるのかをよく考えて発表するべきだとも言っているように聞こえます。発表しないという選択、つまり発見自体がなかったことにするという選択もあったと言うんですね。彼ら一人一人の選択が、人類の未来の選択に影響を与えるんだということを強調するためにそう言っているようです。

まず、人体や自然環境に悪影響があるのかどうかによって、使うかどうかを選択します。これが一度目の選択です。次に使うことを決めた場合、それを安全に使うにはどうすればいいかの選択がやってきます。今回の地震と津波を予想できなかった科学者はいないはずですから、判断ミスがあったことがわかります。どうやったら安全に使えるか、わかったうえで使いはじめるべきでしたね。でも、そのようなことをいつまでもウダウダ言っても仕方がありません。「どう収束させられるのか、これから上手に考えてね。収める方法を自然界と一緒に研究することね」と声は言います。

もちろん科学者や政治家、役人、東電だけに責任があるのではありません。たとえば、原子力という発見が提示された時点で、私たち一人一人もまた選択しなければならないんですね。その選択を放棄してはいけないのだよ、と声は優しく話しかけてきます。社会や会社、あるいは何らかの権力という枠の中にいると、つい自分の選択権を誰かに委ねてしまうということが起こるんですね。東電という枠の中で働く人もそう、福島という枠に住む人もそう、メディアという枠組みの人間もそう、それを遠くから家という枠組みで見ている人も同じです。そんな枠の中にいると、誰かに任せればいいと思ってしまいがちです。だけど、どのような枠組の中にいても、自分で判断して行動しなければいけない、自分の選択権を誰かに渡してはいけないんだよ、と声は言います。

もちろん、人間ですから間違った選択をするかもしれませんね。でも、それが間違っているということがどうやってわかるのでしょう。自然界はそのために、客観的な判断基準として「決まったこと」や「当たり前のこと」を起こしているにすぎないんです。自然界は人間に対して、やめろとも言わないし、体が痛いとも言いませんね。

こうしてもらった自然界のヒントをどう活かすかは、私たち一人一人の次の判断・選択にかかっていることがわかりますね。選択した、あるいは選択しなかった責任は自分にあるのですから。

次のエネルギーをどうするのか、また同じ選択をするのか、まったく違った選択をするのか、それともまた、他人任せにするのか――。

「人間一人一人が選択を放棄さえしなければ、世界は変わっていくんだよ」と、声は再び優しく語りかけてきます。

最後に声はこう言いました。
「どのような選択をするにしても、第三者の判断が待っていることを忘れないでね」
「未曾有の大災害を経験した日本がどのような選択をするのか、それを世界に示すことが日本人の役割でもあるんだよ」

冒頭の写真は4月12日の富士山と夕日です。ただし富士山は心眼で見てくださいね(笑)。

,出雲族と大和族の話(第42話) 「歴史なんでも(69)」

大国主は持ち前の才能と知識で出雲族の王にまで上り詰めましたが、出雲族に重用されなかった外国人(主に古代ヘブライ人)の中には、大和族に取り入られた人たちもいたことが容易に推察されますね。そうした外国人が八十人ほどいたので、八十神と名付けられた可能性もあります。

宿禰さんによると、五十鈴彦(キリスト)も石切彦(キリストの弟)も親出雲族派であったといいます。ところが戦局が圧倒的に大和族有利になると、大和族になびく親出雲族派のユダヤもいたのではないでしょうか。それが猿田彦や事代主であったと思うんですね。

一方、最後まで出雲族のために戦ったユダヤが、大国主のもう一人の息子である建御名方(タケミナカタ)だったのではないでしょうか。『先代旧事本紀』によると、大国主とヒスイ王国(越の国)のヌナカワヒメとの間に生まれました。ご存知のように事代主が妙にあっさり「国譲り」をしてしまうのに対し、タケミナカタは大和族の武力に最後まで抵抗します。出雲族に対する恩義を強くもっていたことが推察されますね。

大和族が出雲に攻めてきたときには、大国主はすでに王の称号を息子たちに譲っていた可能性もあります。事代主が政治王・祭司王であったのなら、タケミナカタは軍事王であったのかもしれません。いずれにしても、二人の息子の意見の違いは、出雲族の意見が二つに分かれていたことを示していますね。

その軍事王であったタケミナカタは、水軍(天鳥船)を率いて現れた大和族のタケミカヅチに真っ向勝負を挑みます。結果は惨敗で、諏訪まで敗走したことはすでに述べましたね。タケミナカタは諏訪で殺されたか、あるいは無条件降伏して大和族に屈します。御神渡りで知られるように、諏訪は湖が凍るほどの極寒の地でしたから、記紀神話でタケミカヅチと戦ったタケミナカタの手が氷柱になってしまったとの記述があるのだと考えます。

そして、大国主が古代ユダヤ人であったのではないかとみられる根拠のいくつかも、ここ諏訪にあるんですね。

一つはあの有名な御柱祭りです。諏訪大社の社殿の四隅にあるモミの木の大木を7年ごとに立て替えるお祭りですね。山から木を切り出して、それを下まで運んで神社まで運びます。これと呼応するような神殿造りの記録が旧約聖書に記されています。古代イスラエルのソロモン王の神殿です。

紀元前10世紀ごろソロモンは、隣国レバノンの王の協力を得て、レバノンの山から杉の大木を切り出して海へ下らせ、海路イスラエルへ運んで、神殿を建てました(旧約聖書列王記上の5章と6章)。この神殿建設は古代イスラエル人にとって、神との契約の証でもあったようです。この旧約聖書の記述から、諏訪大社の御柱祭りがなぜ7年に一回執り行われるかがわかってしまうんですね。というのも、ソロモンの神殿の建設には7年を要したと記されているからです。

旧約聖書にはまた、その神殿の具体的な大きさなどが事細かに書かれています。長さ約27メートル、幅約9メートル、高さ約14メートルだったとされていますから、日本のちょっとした神社ぐらいの大きさでしょうか。日本の神社同様に本殿と拝殿があり、本殿の中には「契約の箱」、つまり日本の神輿のようなものが安置されたそうです。

諏訪には、ほかにも古代イスラエルを彷彿させるものが多くあるんですね。
(続く)

出雲族と大和族(第41話) 「歴史なんでも(69)」

因幡の白ウサギ神話のここまでの前半が、私には歴史の概略や背景を説明した部分であるように思われます。後半部分には、出雲族と大和族の争いの決着に決定的な役割を演じた古代ヘブライ人(ユダヤ)のことが書かれているのだと私は解釈しています。

ウサギが因幡に渡った後、傷を負ったウサギを蒲の花粉などで治療したのが大国主で、反対に傷を悪化させたのが大国主の兄弟である八十神でしたね。このことから、日本に渡った出雲族が国作りをする際に最初に必要だったのが、医術などの技術や植物(農業)の知識であったことがわかります。その技術を持っていたのが、ユダヤ(古代ヘブライ人)たちだったように思うんですね。

シェイクスピアの『ベニスの商人』のシャイロックに代表されるように、ユダヤ人は昔から商売に長けていたように感じられます。宿禰さんの口伝が正しいとしたら、彼らには祭司がいなかった、つまり三種の神器や十種神宝に相当するものがなかったことになります。その代わりに持っていたのが、医術のほか鉱物や建設の知識(石切彦)、貿易や港の管理(五十鈴彦)といった実務・交渉術、それに農耕の知識(スクナヒコナ)だったのではないでしょうか。彼らはそうした実用的な知識や技術を武器にして、出雲族や大和族の懐深くに入り込んでいったのではないかと思うんですね。

ウサギの傷を治した大国主は薬の知識や医術の心得があったので、出雲族に重用されたと私は考えています。大国主の同朋とみられるスクナヒコナが、まさに医術と農業の知識が豊富な「外国人」でしたね。

出雲族の国作りをスクナヒコナとともに助けた功労により大国主に与えられたのが、因幡のヤガミ姫、つまり出雲族の「因幡郡長官」の娘(姫)であったのでしょう。適切な技術を出雲族に提供できなかった八十神がヤガミ姫と結婚することができなかったのは、当然といえば当然ですね。

大国主はそれゆえに、他の同朋(八十神)たちから妬まれ、命を狙われたのでしょう(八十神による迫害)。しかし、大国主は稀代のプレイボーイでしたから、女性たちに助けられます。すなわち、刺国若比売(サシクニワカヒメ)に象徴される母性愛によって、命拾いするわけです。まさに古代日本におけるジェームズ・ボンドでしょうか(笑)。

その後も大国主は豊富な知識と技術で出雲族を助け、出雲族の王(スサノオ)が繰り出す難題を次から次へと解決していくんですね。そしてついには、出雲族の王の姫(スセリヒメ)を娶ることに成功し、事実上の出雲族の王となります。その話が大国主の「根の国訪問」という神話に記されているわけです。
(続く)

出雲族と大和族の話(第40話) 「歴史なんでも(69)」

因幡の白ウサギの話は、次のような物語でしたね。

白ウサギが隠岐の島から因幡(鳥取県)に渡る際、海にいるワニに「数比べをしよう」と言って、ワニを海に並べさせます。ウサギはその上を数えながら渡るのですが、渡り切る直前に、実はだましたんだよと告白。それを聞いた一番端のワニがウサギに襲い掛かり、着物(皮)をはぎ取ります。

大怪我を負って寝込んでいたウサギに対し、大国主の兄弟である八十神は、海の水で体を洗い山の上で太陽に当たって乾かせと告げます。ウサギがその通りにすると、傷はますますひどくなります。次に遅れてやって来た大国主がウサギに、真水で体を洗って蒲の花粉の上に寝転がるよう告げます。ウサギがその通りにすると、体が治ってしまうんですね。

これだけの話の中に、実は多くの歴史的事実が(知る人が読まないとわからないように)うまく隠されているように思うんですね。

まず、ウサギの話の始まりを、日本の本土が見える隠岐の島に設定したことです。これは、ウサギもワニも日本を遠くから見ていた、つまり日本から離れた場所にいたということを暗示しているんですね。これがシュメールにいた出雲族と大和族が、日本を目指したという話に呼応するわけです。

ワニは海に横たわり、つまり因幡の海岸を目指して海を延々と渡ってゆくわけです。大和族が海路、東南アジアの海を渡りながら日本を目指したことを指しています。一方ウサギは、ワニの背中を歩いて渡るわけですから、出雲族が陸路日本を目指したことを示唆していますね。

二つの部族は古の約束通り、シュメール(隠岐の島)を離れて日本(因幡)で落ち合い、統一王朝を築こうとするわけですが、ここで問題が起きたことが物語から読み取れます。これは大和族が残した物語ですから当然なのですが、ワニ(大和族)に対してうさぎ(出雲族)が嘘をついて約束を破った、あるいは卑怯な手を使ったことがわかったとしているんですね。だから大和族は、出雲族からウサギの着物をはぎ取ります。つまり出雲族から統一王朝の天皇(祭司王)の称号をはく奪するのは当然であると主張しているわけです。

約束を破った、もしくは卑怯な手を使ったとは、どういうことなのか。それもこの物語から読み取ることができます。

一つ目の解釈は、ウサギによる「どちらの同族が多いか数比べしたい」という提案は、双方の部族の戦力比較であったというものです。とくにワニを海に並べたという表現からは、戦力比較の中心が戦艦(戦闘用の船)であったことが推察されます。シュメールを離れる際、出雲族と大和族の間でどのような約束があったのか定かではないのですが、推測としては、日本にたどり着いたときに、どちらの戦力もしくは部族の数が多いかによって、統一王朝の王を決めようじゃないかという約束があったのかもしれません。その時、出雲族は数をわざと多く見せかけて、和議を有利に進め統一王朝の王の称号をだまし取った。だが、後になって双方の戦力比較をしたら出雲族のほうが劣っていたことが判明。そこで大和族は、講和条約は破たんしたと判断して、出雲族と統一王朝を打倒することに決めたのだと解釈することができます。

あるいはもっと単純に考えて、どちらが先に日本に到着するかで統一王朝の王を決めたのかもしれません。ウサギは先に上陸したと主張しましたが、実はワニをだましていたことがわかり、トラブルになったともみることができます。

もう一つの解釈としては、スサノオとアマテラスの間に生まれたオシホミミを初代天皇にすると思ったら、スサノオの連れ子のニギハヤヒを初代天皇に据えてしまったという仮説も成り立つんですね。スサノオとアマテラスの間に生まれたオシホミミを初代天皇にすることこそ、和睦の精神に合っているはずであると考えるのは、大和族としてはもっともなことですね。それが純粋な出雲族出身のニギハヤヒになってしまったのですから、「おいおい、話が違うじゃないか」と怒って、統一王朝に対して牙をむいたとも考えられるわけです。
(続く)

出雲族と大和族の話(第39話) 「歴史なんでも(69)」

事代主とワニの関係について考察する前に、事代主の父とされる大国主の女性関係について触れておきましょう。

大国主は、葦原色許男(あしはらしこお)という別名から連想されるように、かなりのプレイボーイだったのではないかと思うんですね。自分の兄弟である八十神と争って因幡の八上姫と結婚したかと思うと、スサノオの娘須勢理姫を自宅から背負って連れ出して半ば駆け落ちのようにして結婚してしまいます。

ヒスイ王国のあったとみられる越の国では、正妻である須勢理姫の嫉妬をものともせずヌナカワヒメと関係を持ってタケミナカタを産ませる一方で、カムヤタテヒメとの間には事代主をもうけています。その子供の数たるや、古事記では180人、日本書紀では181人というのですから、驚くほかありません。

神話で伝わっている部分は氷山の一角で、大国主はあちこちで女を作っていたんですね。外国人だからモテたのでしょうか。遺伝子的にも、男女ともになるべく異なる遺伝的性質を求める傾向があると聞いたことがありますから、まったく異なる風貌(編注:葦原醜男という別名から類推)をしていた大国主は、稀代のモテ男だったのではないかと思います。

記紀神話で八十神によって二度殺されたことになっているのも、他人の女房や女を寝取った大国主がその亭主や父親、恋人から何度も半殺しの目に遭ったからではないか、などと想像してしまいます。名前をたくさん持っていたのも、あちこちで女を作り、その度に名前を変えていたからだったりして(笑)。違っていたらごめんなさいね、大国主さん。

その大国主が神屋楯比売(カムヤタテヒメ)との間にもうけたのが事代主でしたね。事代主がワニに変身したのだとしたら、カムヤタテヒメが海人族と関係がある姫だったのかなと思いますが、カムヤタテヒメについての情報がほとんどありません。ただ、事代主自身が国譲り神話の中で、海で釣りをしていたことになっていることから、海人族と何らかのつながりがあったことが推察されますね。

別の解釈もできます。まず因幡の白ウサギ神話で、ワニにやっつけられたウサギを助けたのが大国主でした。大国主は、ワニとは一線を画していたわけですね。すでにご紹介したように、神武の母はワニで、父もワニの子です。つまり大和族=ワニとほぼ言えるんですね。事代主がワニに変化して神武の妃となる娘をもうけたという話は、事代主がワニ(大和族)に寝返って娘を神武の妃として差し出し、自分の血統を守ろうとしたとも考えられるんですね。するとウサギは出雲族だったというように解釈することもできます。

ワニ(大和族)とウサギ(出雲族)は対立関係にあり、初めはワニの背中を歩いて海を渡るというウサギの計画(日本での統一王朝の誕生)がうまく行くかに思われました。ところが、その計画に不満だったワニが突如ウサギに逆襲した(統一王朝に対して反旗を翻した)。大国主はウサギを助けた(出雲族の姫を娶り王となった)が、大国主の兄弟である八十神(古代ユダヤの一部、あるいは他の外国人)はウサギをさらに苛めた(ワニの側に付いた)。そのワニの側についたユダヤの一人が、事代主だったのではないかと思うんですね。そう解釈すると、『出雲国風土記』に名前が登場しない出雲族の神・事代主が、なぜのちの大和族(神武の子孫)によって別格神扱いで重視されているかも理解できてしまうんですね。因幡の白ウサギを紐解くと、まさに日本の古代秘史が現れてくるわけです。

明日はさらに詳しく因幡の白ウサギ神話を解説して行きます。
(続く)

出雲族と大和族の話(第38話) 「歴史なんでも(69)」

次に事代主ですが、記紀神話では大国主の子になっています。ということは、大国主の次に出雲族の王となったのでしょうか。もう一つの可能性は、統一王朝の王となったニギハヤヒの息子説です。宿禰さんの口伝竹内文書によると、事代主が王の時代に神武の大和族と戦いになったそうですから、どちらとも解釈できます。ニギハヤヒに皇子がいたのかどうか、ニギハヤヒとみられる天火明の系図がわからないので何とも言えません。少なくとも物部氏の先祖がニギハヤヒなのですから、ニギハヤヒに娘はいたのかなとも思います。

出雲族が大和族に敗退する過程をデフォルメして伝えているとみられる記紀の国譲り神話の中で、事代主の立場は結構微妙で興味深いです。美保の崎で魚釣りなどをしていた事代主は、突然大和族から国を譲れと迫られたため、「勝手にしろ」とばかりに乗ってきた船を踏み傾けて、「天の逆手」という呪術を施して、船を青葉の柴垣に変化させてその中にこもってしまうんですね。

この話を聞くと私には、もはや敗色が濃厚となったニギハヤヒの統一王朝側に付いて大和族に滅ぼされるか、それとも大和族側に付いて出雲の地方長官として存続するかを神武軍に迫られた出雲族の姿が浮かんでくるんですね。自分の国を譲れと迫られている大国主が、なぜか他人事のように「私の子供たちに聞いてくれ」と言っているところからもそう感じます。事代主もやけにあっけないですよね。大国主は確かに出雲族の王となったかもしれませんが、あくまでもスサノオの娘婿ですから、それほど義兄(弟)のニギハヤヒの統一王朝には恩義を感じていなかったのかもしれません。

おそらくこの時、大和族側から出雲族に提案された降伏案には、出雲の地方長官としての地位の確保のほか、事代主の娘を神武が妃にするという条件があったのではないかと思います。記紀神話では、事代主と玉櫛姫の間に生まれたとされるタタライスズヒメが神武の皇后になっていますね。そしてこの姫の名にある「タタラ」とは、たたら吹き製鉄に用いられる道具のことですから、出雲族の製鉄技術を大和族が獲得したことを示しています。

事代主にはまた、海人族がバックにいたのかなとも思えてきます。というのも、日本書紀では、事代主は八尋の熊鰐(ワニ)となって玉櫛姫のところに通ってタタライスズヒメをもうけたことになっているんですね。

このワニについての考察はまた明日。
(続く)

出雲族と大和族の話(第37話) 「歴史なんでも(69)」

ここで、記紀や巨麿さんが公開した竹内文書、宿禰さんが口伝継承したという正統竹内文書、そして北川恵子さんのチャネリングによる日本の歴史のそれぞれの性格についての私の考えをご紹介しておきましょう。

日本書紀は大和族による悪ふざけのプロパガンダ歴史物語、古事記は大和族の正統性を強調するために都合よく改ざんされた歴史物語、巨麿が公開した竹内文書は、大和族のためにねつ造されたが、神武以前の歴史について一部真実を残している古代日本の歴史。正統竹内文書は、記紀によって改ざんされる前に大和族によって記された古代日本の歴史。北川さんのチャネリングは、やや出雲族寄りの(宇宙から見た?)古代日本の歴史。まあ、こんな感じでしょうか。

さて、出雲の王となった大国主の系図にも言及しましょう。
大国主をスサノオの子孫とする説もありますが、「根の国神話」を見てもわかるように、どうみてもスサノオの娘婿ですね。この大国主の出自が不明であることはすでに述べました。私は、大国主は外国人、具体的には古代ユダヤ(古代ヘブライ人)であるとの説を採っています。古事記では天之冬衣神の子であるとしていますが、この神は大国主を主人公にした神話には一度も出てこないんですね。本当の父親なら、何らかの形で神話にも登場するはずですね。おそらく大国主はスサノオの娘を娶る際に、出雲族系の皇子で子供のいなかった天之冬衣の養子になったのではないでしょうか。この結びつきによって、外から来た「外国人」の大国主は出雲族に同化したわけです。

日本書紀は、大国主はサルヒコヤシマシノの子孫であるとしています。サルヒコなどというと、五十鈴川にいた猿田彦を思い出しますね。宿禰さんによると、五十鈴川や伊勢周辺を管理していた五十鈴彦はキリストですから、どうしてもユダヤと関係があるように思えてしまうんですね。

大国主とともに出雲の国作りに尽力したとされるスクナビコナも、海を渡ってやって来た怪しげな「外国人」のように描かれています。ガチョウの皮(日本書紀ではミソサザイの羽)の衣服を着て、小さくて、天のカガミ船で上陸したが、話しかけても何の返事もしなかったというのですから、まさに外国人に違いありません。彼もまた、ユダヤの同朋であったのではないかと思うんですね。大国主のブレーンであったかもしれません。日本書紀に記されているように、薬などを使った治療や農作物を害鳥獣などから守る技術や知識を持っていたのではないでしょうか。
(続く)

出雲族と大和族の話(第36話) 「歴史なんでも(69)」

出雲族と大和族の系図を整理してみましょう。

とりあえず、イザナギとイザナミは、北川説を採用して日本に戻って来たときの大和族の王と王妃であったとしましょう。その娘がアマテラスという祭司王(女王)の称号を授かった巫女であるわけです。

一方、日本に戻って来た時の出雲族の王は、ここでも北川説を採用してフツであったとしましょう。フツの息子がスサの王、すなわちスサノオとなります。両族は日本で覇権争いを始め、最初は出雲が事実上勝利して和議となります。その結果、スサノオとアマテラスが結婚します。

ニギハヤヒは、北川さん、宿禰さんともスサノオの子であるとしていることから、スサノオの子であったことは間違いないでしょう。ただし、ここで二つの可能性があります。スサノオとアマテラスの間に生まれたのがニギハヤヒであったという可能性が一つ。もう一つが、北川説にあるように、ニギハヤヒがスサノオの連れ子であった可能性です。前者の場合だと、大和族が統一王朝に反対する理由がやや希薄になります。逆に後者の場合だと、なぜニニギが統一王朝のニギハヤヒを絶対に認めようとしなかったかが、より鮮明になりますね。ニギハヤヒには大和族の血が流れていないからです。

オシホミミにもいくつかの解釈ができます。オシホミミはアマテラスとスサノオとの間に生まれた子であるという解釈が一つ。オシホミミは、本当はアマテラスと結婚することになっていた大和族の族長、もしくはアマテラスの弟であったという解釈が二つ目。もう一つは、オシホミミがアマテラスの連れ子であったという解釈です。いずれの場合もオシホミミは、統一王朝で何らかの名誉職か閑職を与えられた可能性はあります。

大和族とすれば、オシホミミが統一王朝の初代天皇となってくれれば納得できたのでしょうが、ニギハヤヒでは承服できなかったのでしょうね。まあ、それほど重要とは思われないオシホミミはそのままにしておいて、問題はニニギが何者であったかですね。

ニニギはある時点で大和族のリーダー(王)になっていたことは間違いないでしょう。記紀や竹内文書を信用するならば、オシホミミの息子です。ニギハヤヒとは兄弟であるともされていますね。そのことから、年齢的にはニギハヤヒとはライバルとなりうる年齢差であったと思います。和議による政略結婚で出雲族から姫を二人もらいましたが、一人は実家へ帰してしまい、もう一人の姫との子も自分の子ではないのではないかと疑うほどですから、余程この結婚に不服があったにちがいありません。

そう考えると、海幸彦と山幸彦の物語が、大和族が失った釣り針に象徴される「祭司王の称号」に対する執着と、いつかその称号を奪い返してみせるという気概が盛り込まれたストーリーに思えてきます。雌伏何十年、あるいは100年以上かもしれませんが、ニニギの子孫である神武がそれを果たしてくれたわけです。
(続く)

出雲族と大和族の話(第35話) 「歴史なんでも(69)」

こうして読み解いてゆくと、記紀神話自体が破たんしていることがわかってくるのではないかと思います。しかし、宿禰さんが口伝継承した正統竹内文書や北川恵子さんのチャネリングなどをテコにして日本神話を読み解くと、なぜあのような嘘を書かなければいけなかったか、浮き彫りになってくるんですね。大和族と出雲族の和議の結果、ニギハヤヒが初代王(天皇)となったことを認めると、和平を破ったのが大和族だったことがバレテしまうからです。

もう一度ニギハヤヒとニニギの関係をみてみましょう。記紀ではニギハヤヒが天孫降臨したことは認めていますが、「弟分」のニニギの後に天孫降臨したことにしてしまいましたね。だから記紀では、ニギハヤヒのことを記す時には、まさに腫れ物に触れるような感じで、かなり苦労した跡がうかがえるんですね。

まずは名前です。記紀では天火明命としたり火明命などとしたりしています。でも先代旧事本紀と正統竹内文書には天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(アマテラス クニテラスヒコ アメノホアカリ クシタマ ニギハヤヒノミコト)と書かれています。この正式名称の「天照国照彦」こそ、まさに統一王朝の王であることを示す名称であったのではないでしょうか。記紀ではそんなことは書けませんから、真ん中の天火明だけを取った、あるいは「天」も付けないで火明だけにしたのではないかと思われます。

竹内巨麿さんが公開した竹内文書に至っては、かなり混乱しています。もっとも巨麿さんの竹内文書は、歴代の宿禰さんによって口伝継承された正統竹内文書と違って、いろいろな写本がありますから、元々どれが「本物の竹内文書」なのか、わからなくなっています。その中で八幡書店が出版した『神代秘史資料集成天ノ巻』では、オシホミミの長男として天火明命が生まれたことになっています。ところが、ニニギはオシホミミの子ではないかのようにも書かれているんですね。天皇の血統がオシホミミとニニギの間で事実上断絶したようになっています。

巨麿さんが開祖となった皇祖皇太神宮が編纂した『神代の万国史』でも同様な混乱が見られます。『神代の万国史』では、ニニギは二男ではなくオシホミミの長男らしく、父オシホミミから天皇の位を譲り受けたことになっています。ところが、同じくオシホミミの子である天火明については、二男のように記されたうえに、その後の消息は不明になっています。

しかも、『神代秘史資料集成天ノ巻』『神代の万国史』の両書とも、ニニギの息子として火明尊(記紀では火遠理命。山幸彦に相当)が、火須勢理命の弟として登場します。記紀神話で出てくる火照命(海幸彦)はいないんですね。そしてこの時には、火明尊が兄火須勢理命から天皇位を譲り受けてニニギの次の天皇になっています。私には、わざと初代天皇ニギハヤヒの名前の一部である「火明」という名前を神武の祖父に付けたり、ニニギの息子が3人兄弟になったり2人兄弟になったりしたように思われるんですね。宿禰さんが指摘した通り、大和族お得意の系図改ざんにより、天火明(ニギハヤヒ)にまつわる系図を何が何だかわからなくしてしまった感じがします。

また双方の竹内文書とも、ニニギの時代にニギハヤヒが親王として登場します。このとき初めて、天火明がニギハヤヒなのかなと推測できるようになっています。

こうした混乱も、ニギハヤヒを初代統一王朝の王であることを認めたくないために、いろいろと系図を改ざんした結果であることが推察されますね。

こうした矛盾点を無くして系図を整理していくと、次のようになると思うんですね。
(続く)

出雲族と大和族の話(第34話) 「歴史なんでも(69)」

もう一つの解釈としては、山幸彦と海幸彦を単純に大和族の王(族長)であるニニギの息子たちとすることもできます。兄の海幸彦は統一王朝容認派(和平派)であったのに対して、弟の山幸彦は反対派(武闘派)で、大和族内で意見が真二つに割れたのではないでしょうか。

武闘派の山幸彦は、大和族の王位継承者である兄の軟弱な姿勢が許せなかった。兄が行動しないのなら俺がやってやる、とばかりに大和族の軍備の増強に乗り出します。海を渡って、大陸からより強力な武器を入手したのでしょう。兄に対して、大和族の王の座をかけて、戦いを挑んだように思うんですね。

その結果、海幸彦は弟の山幸彦に敗れ、王位継承権を山幸彦に譲り渡したのだとも解釈できます。一方、山幸彦を助けた海人族の王は、娘を山幸彦に差し出すことにより、大和族との結びつきを強くし、将来できるのであろう大和王朝に重臣として食い込むことができたわけです。

大和族の王となった山幸彦の打倒ニギハヤヒ(統一王朝)の方針は、その子供たちに引き継がれます。その子供たちの中に神武がいたわけですね。神武は記紀神話に書かれているように、ニギハヤヒの部隊であるナガスネ彦の軍を大和の地で破り、「初代天皇」となりました。

おそらく記紀編纂者としても、大和族にとって都合の悪い歴史を消すためにもっとも苦労したのは、アマテラスとスサノオ、ニギハヤヒとニニギの関係だったのではないかと思うんですね。そこですり替えの物語を作った。それが記紀神話であるわけです。

そのすり替えや取り換えは、アマテラス神話や天孫降臨あたりから、多くなります。

たとえば、スサノオをアマテラスの弟にしてしまったせいで、イザナギとイザナミまでせっかく5代続けて男女神のペアによって子供が生まれていたのに、アマテラスは再び単独で子供を産んだことにしてしまっているんですね。スサノオとの誓約(うけい)の際に生まれた子がオシホミミであるとだけ記されていますが、どう考えても不自然です。アマテラスとスサノオが、誓約によって結婚し、子供が生まれたとするほうが、はるかに説得力があるんですね。

オシホミミの代には再び男女ペアで子供を産むようになりますが、ここでは正統な王位(皇位)継承者がすり替わるんですね。記紀神話では、オシホミミの子供として天火明命(アメノホアカリノミコト)とニニギが生まれたことになっています。アメノホアカリは、万幡豊秋津師姫とオシホミミの間に生まれた第一子と古事記に書かれています。すると、本当の王位継承権は兄とみられるホアカリにあるはずですが、唐突に弟のニニギが天孫降臨して高千穂に宮殿を建ててしまいます。記紀神話では、なぜ長兄のアメノホアカリではなくニニギが天孫降臨したのか、その説明ができずにいます。これもおかしな話です。オシホミミの次に「天孫降臨」の資格があるのは、長男のアメノホアカリのはずです。記紀神話の編纂者にとっては、アメノホアカリが物語上の邪魔ものであったことが推察されるわけです。

この記紀神話に出てくるアメノホアカリこそ、ニギハヤヒのことではないかとされているんですね。しかものちにわかるのですが、ニニギよりも前に天孫降臨している節があります。そのことがわかるのが、記紀神話の神武東征のときで、神武とナガスネ彦が大和の地で戦っているときにニギハヤヒも実は天孫降臨しており、天孫の証をもっていたと、半ば驚きをもって書かれているからです。もちろん記紀神話では最初に天孫降臨したのはニニギで、ニギハヤヒはそれを追って後から天孫降臨したとこじつけています。だったら兄を差し置いて弟が先に天孫降臨した理由は何なのだと、つい突っ込みたくなってしまうんですね。かりにニギハヤヒの天孫降臨がニニギの後だったとしても、そのぐらいのこと神武は、自分の祖父のニニギから聞いているだろ、何を驚いているのだ、と思ってしまいます。
(続く)

出雲族と大和族の話(第33話) 「歴史なんでも(69)」

「釣り針」を求めていた山幸彦を助けた海神族(海人族)とは、どのような部族だったのでしょう。おそらく中国・朝鮮半島と日本を結ぶ海路を支配していた海人族だったと思うんですね。彼らはのちに安曇、海部、和邇などの氏族として大和朝廷に重用されますね。

勘のいい方は、和邇氏と聞いて、とっさに「もしかしてあのワニ」!? と思われるかもしれませんが、そうです、あの爬虫類のワニです(笑)。

山幸彦(ニニギ)は、アマ族の「証」に相当する金属を中国や朝鮮から手に入れようとしたのではないかと思うんですね。そのためにニニギは、海を越えて大陸に渡ったのかもしれません。それを助けたのが、安曇氏や和邇氏といった海人族だったような気がします。

記紀神話に記されているように、山幸彦は三年の月日をかけて、ようやく海幸彦の「釣り針」を見つけ出します。つまり海幸彦の「釣り針」に対抗できる金属を大陸から持ち帰ったように思うんですね。あるいは高い製鉄や鋳造技術を持つ職人を連れ帰って来たのかもしれません。和邇氏の舟に乗って帰ってきたので、「ワニに乗って」と書かれたのでしょうか。

山幸彦が持ち帰ったものは、強力な武器だった可能性もあります。海神の国から戻って来た山幸彦は、それまで兄にいじめられて、めそめそしていた時とは別人になっていました。まず強力な呪詛を使って兄の力を封じ込めます。さらには海神からもらったという「塩(潮)満玉」「塩(潮)乾玉」を使って兄を何度も懲らしめるのですが、それはまさに大陸から持ち帰った秘密兵器で統一王朝の軍隊をことごとく打ち破ったことを指しているのではないかと思うんですね。

統一王朝にはかなりの打撃になったのは明白でした。戦いは何年も続いたように思われます。そして、とうとう海幸彦は山幸彦に降参するんですね。武力による完全制圧です。和議により誕生した統一王朝は、もろくも崩れ去ったわけです。
(続く)

出雲族と大和族の話(第32話) 「歴史なんでも(69)」

出雲族の王(スサノオ)と大和族の巫女(アマテラス)の結婚によって生まれた子(ニギハヤヒ)を初代統一王朝の天皇にするという第一回目の和議は、大和族を賛成派と反対派に二分したのではないかと思うんですね。事なかれ主義のオシホミミの禅譲により若くして大和族の族長となったニニギは地団太を踏んだに違いありません。和議を応諾したのは、大和族にとっては大失敗であったと悔やんだのでしょう。何とかして統一王朝の崩壊をたくらんだのではないかと思うんですね。

そこで考えたのが、正統性のすり替えだったのではないでしょうか。出雲族のスサノオには、そもそも天孫族(アマ族=海族)の正統な王としての血筋が流れていないのではないかとのデマを流布します。出雲族はアマ族ではない、大和族こそアマ族である、と。そのデマの内容が、記紀神話に出てくるスサノオ像だと思います。スサノオは高天原で乱暴狼藉を重ねます。荒くれ者で野蛮で粗野に描かれていますね。実際には冷静で論理的な王であったのではないかと思います。また、スサノオとアマテラスは夫婦になったにもかかわらず、姉と弟の関係であるとし、アマテラスの方が格上のように描かれてもいますね。ここでも大和族お得意の「巧妙なすり替え」がみられます。スサノオがアマテラスの弟であれば、王となる正統制は薄れますからね。

問題はそれでも「正統な王」となったニギハヤヒです。必ずしも同一人物とは限りませんが、山幸彦がニニギを象徴する人物だとしたら、海幸彦はニギハヤヒに相当するのではないかと思うんですね。だからこそニニギ(山幸彦)は、ニギハヤヒ(海幸彦)に仕事(称号)の交換を訴えたわけです。山(ヤマト族)の王の称号をあげるから、アマ族(天孫族)の王の称号をくれ、というわけです。

ところが、ニニギにはアマ族の正統な王となるための「証」がありません。その「証」の象徴が釣り針なんですね。大和族にとって「失われた釣り針」は、「失われた神器」であるわけです。おそらくニニギは、アマ族の証である「十種神宝(トグサノカンダカラ)」もしくは「三種の神器」を偽造しようとしたのではないでしょうか。だからこそ記紀神話で山幸彦は、失った兄の釣り針の代わりにと自分の十拳剣を砕いて五百本の釣り針を作った、と記されているわけです。

しかし、大和族の技術をもってしても、神器は偽造できなかったんですね。それは神器が謎の金属であるヒヒイロカネで作られていたからではないかと、私は推測しています。そのヒヒイロカネを何としても手に入れるために、ニニギは海神族(海人族)を利用したのだと、私には思えるんですね。
(続く)

出雲族と大和族の話(第31話) 「歴史なんでも(69)」

海幸彦と山幸彦の兄弟間の争いの神話は、様々な観点から解釈できます。
それらの解釈をご紹介する前にまず、海幸彦・山幸彦兄弟の父親とされるニニギについて触れておきましょう。

出雲族と大和族の第一回目の和議によって、大和族はアマテラスという祭司の称号、もしくは巫女を出雲族のスサノオに事実上取られてしまいました。これが大和族にとってアマテラスの「岩戸隠れ」に当たるという説はすでにご紹介しましたね。

宿禰さんによると、大和族はスメラミコト、すなわち祭司のグループでしたから、祭司の称号と同等である巫女アマテラスを出雲族に差し出したということは、いくら和議により統一王朝への足掛かりができたとはいえ、大和族の存在価値そのものを揺るがしかねない大問題だったわけです。

出雲族のスサノオと大和族のアマテラスの間に生まれたニギハヤヒは、はたして大和族の正統な皇子と言えるのかという疑義も生まれたにちがいありません。おそらくその時の大和族の王(族長)はニニギであったのでしょう。本来ならニニギが巫女であるアマテラスと結婚することになっていたかもしれないわけです。

ニニギと言えば、記紀神話では山を支配する神である大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘、木花之佐久夜姫(コノハナノサクヤヒメ)を妃にしますね。ところが産まれた子供が自分の子供であるかどうか疑い、「(その子は)国津神(編注:すなわち出雲族)の子にちがいない」と言ってコノハナノサクヤヒメを困らせます。このニニギの「疑い」こそ、ニギハヤヒの正統性に対する疑義を示唆しているのだと私は解釈します。ニギハヤヒは出雲族の子ではないか、と。おそらく第一回目の和議では、スサノオとアマテラスの結婚と同時に大和族のニニギと出雲族の娘(姫)の結婚も決まったのではないかと思うんですね。一種のセット結婚です。

同様に記紀神話でもニニギは、大山津見神からコノハナノサクヤヒメと同時に、器量の悪い姉の石長姫も妃にするようにと差し出されます。一種のセット結婚、この場合は「抱き合わせ結婚」ですね。

ニニギは石長姫のほうを大山津見神に返してしまったというんですから、ニニギはこのセット結婚に不満であったことがうかがえますね。おそらく和議で出雲族が差し出してきた姫が気に食わなかったのでしょう。

石長姫を返したことによって、ニニギの子孫である天皇の寿命は限りあるものになった、と記紀に書かれています。和議の結果は大和族の一部にとって到底受け入れられるものではなく、和議による平和が短命に終わることを暗示しているようでもありますね。
(続く)

出雲族と大和族の話(第30話) 「歴史なんでも(69)」

綿津見神の宮殿にたどり着いた山幸彦は、綿津見神とその娘の豊玉姫に気に入られ、その宮殿で3年間楽しく暮らします。そして3年経ってようやく、本来の目的を思い出します。そう、兄が大事にしていた釣り針を探すことでしたね。

そのことを山幸彦が綿津見神に告げると、綿津見神は親切にも海中の魚たちを招集して釣り針を探し出してくれます。その釣り針を持って、山幸彦は兄の元へと戻るのですが、そのとき山幸彦を乗せて故郷の海岸まで送ってくれたのが、一尋(約1・8メートル)の大きさの和邇(ワニ)だったんですね。すでに因幡の白ウサギの項でご紹介しましたが、「ワニ」とはワニザメではなく「本物のワニ」のことです。

故郷に戻った山幸彦は、兄の海幸彦に釣り針を返すのですが、その時に呪いをかけて兄を苦しめます。この呪いに気付いた兄は山幸彦を攻めるのですが、山幸彦は綿津見神からもらった玉を使って兄を撃退します。降参した海幸彦は、生涯を弟の護衛として仕えることを誓ったのだそうです。こうして陸の山幸彦は、海をも手に入れてしまったわけですね。

しばらくして、海神の娘である豊玉姫が山幸彦のところへ訪ねてきます。なんと山幸彦の子供を宿しているというんですね。「あなたの子よ、どうしてくれるの!」と言ったかどうか知りませんが、豊玉姫は海辺に鵜の羽で屋根を葺いた産殿を作り、そこで暮らし始めます。豊玉姫はその際、山幸彦に「出産のときには故郷での姿に戻って産むので、私の姿を見ないでください」と頼みます。

そう言われると見たくなるのが、人の性(さが)でしょうか。山幸彦は豊玉姫が産殿でまさに出産する場面を覗き見てしまいます。するとそこには、8尋(約14メートル)もある巨大なワニがのた打ち回っていたんですね。

山幸彦は仰天します。一方、正体を見られた豊玉姫は「もはやこれまで」とばかりに、赤ん坊を置いて海に戻ってしまいます。産み落とされた子は、鵜の羽を産屋の屋根に葺き終わらないうちに渚で生まれたという意味から、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)と名付けられました。

豊玉姫は海に戻ってしまいましたが、産んだ子が気になったのでしょう、妹の玉依姫を乳母として寄こしてきました。そして大人になったウガヤフキアエズは、なんと自分の乳母である叔母の玉依姫と結婚して4人の子供をもうけてしまうんですね。

その4人兄弟の末っ子が、イワレビコこと神武になるわけです。つまりワニの子がワニの叔母と結婚してできた子供ということになります。SF作家も顔色を失うような物語です。神武の血の4分の3は爬虫類(ワニ)だったのでしょうか???

次回は、この神話の謎解きに入ります。
(続く)

出雲族と大和族の話(第29話) 「歴史なんでも(69)」

海ルートと陸ルートのすり替え――。いったい、これにどのような意味があるのでしょう。どっちでもいいじゃないかと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、言霊的に言えば、海は「アマ」と読みますから、アマから「天」、天から「天孫族」「天空浮船族」「天津神」が導き出されます。一方、陸は「土地」、「国」、「土着」などが連想されて、「国津神」が導かれます。

武内宿禰さんは大和族出身ですから、天孫族(天空浮船族)としての正統性を強調するために、どうしても大和族が「海」でなければならなかった。逆に北川さんは、出雲族の立場から出雲族が「海」でなければならなかったのだ、と解釈することもできます。

でも、それだけではないと思うんですね。もっと深い意味が隠されているのではないか。その謎解きのヒントとなるのが、日本神話に出てくる海幸彦と山幸彦の話ではないでしょうか。この神話は、まさに海と山(陸)のすり替えの物語なんですね。

忘れてしまった方もおられるでしょうから、この物語の概略を簡単にご紹介しましょう。

ニニギとコノハナサクヤヒメの間には三人の子供がいました。長兄の火照命(ホデリノミコト)は成長すると海幸彦として漁に出て、下の弟の火遠理命(ホオリノミコト)は山幸彦として山で狩りをする毎日でした。

ある日、山幸彦は兄の海幸彦に仕事を取り換えようと持ちかけるんですね。最初は拒んでいた海幸彦ですが、弟の再三にわたる頼みを受け入れて、釣道具と狩りの道具を取り換えます。ところが、山幸彦は兄の大事な商売道具である釣り針を海で無くしてしまうんですね。大事な釣り道具を失った海幸彦は弟を怒ります。釣り針を返さないと許さない、と。

困った山幸彦にところに現れたのは、塩椎神(シオツチノカミ)という潮流をつかさどる神でした。塩椎神は山幸彦のために竹の籠の小舟を作り、山幸彦をそれに乗せたうえで、綿津見神(ワタツミノカミ)という海を支配する神の宮殿に行きなさいと言って、海へ送り出しました。
(続く)

出雲族と大和族の話(第28話) 「歴史なんでも(69)」

注意深く私のブログを読んでいる人なら気付いたかもしれませんが、当初1万2000年前ごろ、アトランティスから天空浮船族が気球のような乗り物に乗って日本にやって来たのではないかとしていました。ところが途中から、この1万2000年前という年代を書かない方がいいと、インスピレーションさんは私に言うんですね。

どういうことかと言うと、年代を固定すると、過去も固定されて変わってしまうと言うんです。拙著『異次元ワールドとの遭遇』でもご紹介したように、「過去」はまるで生き物のように変化します。ところが年代を設定してしまうと、その時々刻々と変化している「過去」にくさびを打つことになり、変化(可能性)の幅が狭くなってしまうのだとインスピレーションさんは告げているようです。特にアトランティスの場合はセンシティブな問題みたいです(笑)。

その指摘を受けて、私のブログではある一時期から、縄文時代とは書いても1万2000年前という時代設定をしないことにしています。もちろん他の方々、たとえば武内宿禰さんがそう主張されるのは自由ですので、そのまま書いています。

さて、いよいよこの出雲族と大和族の話の中で、もっとも難しい謎解きに挑みます。
これも注意深く読んでいる方ならお気づきだと思うのですが、北川恵子さんのチャネリングにより判明した出雲族と大和族の来日のルートと、武内宿禰さんが口伝継承したという二部族の来日ルートが微妙に違っていることです。

前者では東南アジアの海路ルートで日本に来たのは出雲族ですが、宿禰さんの口伝では海路ルートで日本に来たのは日向族(大和族)になっているんですね。まあ、どちらかが間違ったとも解釈ができるのですが、私にはなぜか、どちらか(の情報源)がわざとルートをすり替えたように思えてならないんですね。このルートのすり替えは、重大な問題を示唆しているのではないかと私は考えています。
(続く)

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