出雲族と大和族の話(第27話) 「歴史なんでも(69)」

出雲族と大和族の話も長くなりましたので、ここで簡単にまとめておきましょうね。
これまでの民族・グループの流れを簡単に図式化すると、次のようになると思います。

天空浮船族→日本に残った天狗族と、大陸に渡ったスメル族(アマ族)に分かれる
スメル族(シュメール)→「スサノオ」のグループ(後の出雲族)と「スメラミコト」のグループ(後の日向族・大和族)に分かれる。一部は中東に移ってユダヤ(古代ヘブライ人)となる

大和族→アマテラス、オシホホミ、タケミカヅチ、ニニギ、神武
出雲族→スサノオ、ニギハヤヒ、ナガスネ彦、大国主、事代主、建御名方、物部、蝦夷
ユダヤ→五十鈴彦、石切彦、猿田彦、大国主(?)、秦
天狗族→役行者、鞍馬山や高尾山の天狗
縄文人→サンカ、蝦夷

第73世武内宿禰さんが口伝継承したという正統竹内文書や、私の「前世の記憶」、秋山さんの前世リーディング、インスピレーション、北川恵子さんのチャネリングなどをテコにして古代日本史や日本神話を紐解いていくと、大体次のような大まかな流れがあったように思うんですね。

縄文時代の日本列島には、多数の縄文人と少数の天空浮船族がいました。高度な技術を持つ天空浮船族は、主に山岳地方に住み、縄文人とはあまり接点を持たずに暮らしていました。やがて天空浮船族の中で、理想の国を建設しようと大陸に渡るグループが現れます。彼らはスメル族(アマ族)と呼ばれ、5000年前にメソポタミアに渡り、シュメール文明を築くんですね。

一方、日本に残ったグループ(便宜上天狗族と名付ける)も(中東まで渡って戻って来たグループの一部と合流して)、越の国(富山、福井、石川、新潟、飛騨)に東アジアの首都を構築します。彼らはその時、日本列島を正確に測量、地図を作成するとともに、ヒスイなどを使った光通信網を整備します。いわば古代飛騨王朝を作るわけですね。

シュメール文明を築いたスメル族たちは、政治・軍事グループ(スサノオのグループ)と祭祀グループ(スメラミコトのグループ)に分かれ、それぞれ別々のルートで日本に戻ることを決断します。途中、一部は中東に留まり、ユダヤとなります。紀元前4,5世紀ごろにはスサノオのグループが出雲に到着、出雲族となります。同じころスメラミコトのグループは日向にたどり着き、日向族(後に大和族)となります。

でも、そもそも縄文時代に日本にいたのではないかとみられる天空浮船族って、何なんでしょうね。
(続く)
スポンサーサイト

出雲族と大和族の話(第26話) 「歴史なんでも(69)」

こうしてみると、紀元前4,5世紀から紀元1世紀までの500年間、出雲族、大和族、それに越の国に5000年前から存在したのであろう天狗族との間で、一種の覇権争いや、高度な技術や資源の争奪戦のようなものがあったように思われるんですね。この3部族とも、おそらくは1万2000年前に日本列島に「移住」してきた天空浮船族(記紀的に言えば、天孫族)の末裔だったのではないでしょうか。そしてそれぞれが分かれるときに、天空浮船族(天孫族)の「印」、あるいは「証」のようなものを保持することにした。

その印の一つが、越の国のヤマタノオロチ(おそらく天狗族)が持っていたヒヒイロカネの剣(後の草薙の剣)ですね。記紀神話で神武東征の際にナガスネ彦が神武に見せた「天孫の印」はおそらく出雲族が保持していた印だったのでしょう。反対に神武がナガスネ彦に見せた「天孫の印」は大和族が保持していた印にちがいありませんね。

一方、天空浮船族の「分家の分家」に当たるユダヤには、この印がなかったように思うんですね。宿禰さんはユダヤに関して「彼らには弱点があった。彼らに祭司がいなかったのだ」と話していましたから、おそらく祭祀に必要だった神器を持っていなかったということなのかもしれません。ただし彼らには、石切りと測量に関する高度な技術があったので重用されたことはすでに述べました。

このことから類推して、三種の神器とはすなわち、出雲族、大和族、天狗族という天空浮船族を先祖とする3つのグループがそれぞれ保持していた神器であったのだと思われるわけです。

ニギハヤヒから統一王朝初代天皇の称号を奪い取った神武の話を、大和族の都合のいいように改ざんしたとみられる神武東征の神話には、そうした神器や技術の争奪戦のようなことが随所に盛り込まれているように思います。

神武が道に迷った時に熊野国から大和国への道案内をしたとされる八咫烏は、三本足のカラスとされていますから、ユダヤや伊勢神宮と深いものを感じますね。おそらく大和族がユダヤの力を借りたことを暗示しているのだと思います。

大和平定により、神武は大物主の子であるヒメタタライスケヨリヒメを皇后にしたと記紀神話は伝えています。正統竹内文書によると、神武が皇后としたのは、出雲族のタタライスズヒメだというんですね。どちらも「たたら」という製鉄や鋳造技術を連想させる言葉が入っていますね。しかも「イスズヒメ」が正しいとしたら、まさにユダヤ、もしかしたらキリスト(五十鈴彦)の娘であった可能性も出てくわけです。

記紀神話によると、神武とヒメタタライスケヨリヒメ(タタライスズヒメ)との間には、三人の子供が生まれます。その中の神沼河耳命(カムヌナカワミミノミコト)が第二代の綏靖天皇になるのですが、「ヌナカワ」という名前に心当たりはないでしょうか。そう、ヒスイの産地で有名な新潟県姫川に住んでいた姫(大国主の愛人)の名前でしたね。ここでも越の国のヒスイが出てきます。

すなわち神武が「和議」の末に手に入れたのは、天狗族、大和族、出雲族すべての三種の神器だけでなく、ユダヤや出雲、それに天狗族が拠点を置いていたとみられる越の国の持つ技術や特産物であったことがわかってきます。
(続く)

出雲族と大和族の話(第25話) 「歴史なんでも(69)」

次に『肯構泉達録』を見てみましょう。
江戸時代に書かれた富山の伝説を集めたものですが、ここにも古代出雲と越の国の深い関係が示唆されています。

昔、富山市の南、大沢野町にある舟倉山に姉倉姫という神がいました。この姫の夫は能登国石動山に住む石動彦だったのですが、石動彦は心変わりして能登国杣木(そまき)山に住む能登姫を愛するようになったんですね。怒ったのは姉倉姫です。石動彦と能登姫に対して喧嘩を吹っかけます。そのとき、姉倉姫に加勢したのが、布倉山(立山町横江にある現在の尖山)に住む布倉姫という神だったんですね。こうして能登対越中の「大戦争」が勃発します。

面白いのは、この時に姉倉姫は石を投げ、布川姫は鉄を投げたというんですね。ここでも越の国の鉄が出てくるわけです。

この越中(富山)と能登の大乱の仲裁をしたのが、出雲の大国主だと『肯構泉達録』は伝えています。出雲と越の国の深い結びつきがうかがえますね。

大国主はまた、(スサノオの娘であるスセリ姫という本妻がいたにもかかわらず)高志の国のヌナカワ姫を妻にしているんですね。ヌナカワ姫はヒスイの産地である新潟県の姫川のほとりに住んでいたそうです。

つまり出雲族の王である大国主にとって越の国は、鉄とヒスイの産地として重要な拠点であった可能性が浮き彫りになってくるんですね。越の国にはすでに、それだけの産地としての魅力と鉄器などの鋳造技術があったのだと考えられるわけです。

宿禰さんが、5000年前に越の国にはヒスイ文明が開化し、富山の尖山に東アジアの首都が築かれたと正統竹内文書に記されていると言うのも、まんざら荒唐無稽の話ではないことが分かるんですね。
(続く)

出雲族と大和族の話(第24話) 「歴史なんでも(69)」

ヤマタノオロチについてはもう一つ別の解釈もできるんではないかと思うんですね。ヤマタを八幡と読むオロチです。八幡のオロチ、八幡山(神)の霊力となると、一気に解釈の幅が広がります。ここでは全部を紹介しませんが、八幡神を祀った八幡宮の総本宮とされる宇佐八幡に伝わる伝承によると、菱形池の辺り小椋山の麓に一身八頭という奇異な姿をした鍛冶の翁が顕れ、そこに人が5人行けば3人死に、10人行けば5人死んだというのですね。

体一つに8つの頭のある鍛冶翁とはずいぶん奇怪な人物が登場しますね。これは1313年に成立した八幡宇佐宮御託宣集に記されている伝承ですが、宇佐神宮由緒記には、「菱形池畔の霊泉の処に、欽明天皇29年(568)、鍛冶する老人や八頭の竜が現れ、姿を見た者は病気になったり、死んだりした」と書かれているんですね。

8つの頭と鍛冶は切っても切り離せない関係にあることがわかります。ヤマタノオロチも製鉄や鍛冶の技術を持つ人たちのことを言っていることがはっきりしてきますね。おそらく錫や亜鉛、水銀などを使って剣などを鋳造する過程で亜鉛や水銀中毒になるなどして10人の作業員のうち五人の割合で作業員が死んだことを伝承しているんだと思うんですね。8つの頭とは、それだけの人数で鉄剣などを鋳造していたということではないでしょうか。

ここでヤマタノオロチの尾から出てきたという剣について、考察しておきましょう。
スサノオの剣よりも硬度があったとみるならば、一般的な考え方をすると、スサノオの剣は青銅製で、ヤマタノオロチの剣は鉄製であったのではないか、ということになります。

宿禰さんによると、スサノオは日本から大陸に渡ったスメル族(アマ族)を祖先に持つ出雲族です。つまりシュメールに一大文明を築いたグループの末裔ですね。そして、そのシュメールこそ、紀元前3000年ごろに青銅を発明した民族でもあるんですね。

推測すると、出雲族が日本に戻って来たとき、すでに日本にいた天空浮船族、もしくは天狗族の人たちは青銅器よりも硬い鉄器を使っていた。そこでスサノオは、天狗族たちが拠点を築いていた越の国から何らかの方法で鉄器を持ち帰ったとみることもできるわけです。

また、別の見方をすることもできます。スサノオの剣がぼろぼろになって、ヤマタノオロチの剣がぼろぼろにならなかったのは、酸化して腐食しやすい鉄製の剣がスサノオの剣で、錆びにくいのでぼろぼろにならなかったのが、青銅製のヤマタノオロチの剣であったとする見方です。

拙著『「竹内文書」の謎を解く』などを読まれた方ならご存知だと思いますが、竹内文書には何万年経っても錆びないという白金色の謎の金属「ヒヒイロカネ」が出てくるんですね。これがもしかしたら錆びにくい青銅であった可能性があります。あるいはアトランティスで使っていたという謎の金属「オルハリコン」であったのかもしれませんね。

いずれにしても、その謎の金属でできたヤマタノオロチの剣は特殊なもので、特別な意味があった。出雲族は大和族との覇権争いの中でどうしてもその特殊な剣を手に入れる必要があったのではないでしょうか。それが日本にとどまった天空浮船族が持つヒヒイロカネの剣、つまり天空浮船族(天狗族)の「証」である剣であったのではないかと思うわけです。そしてその剣は、5000年前には東アジアの首都として栄えたという越の国(尖山)の天狗族たちによって製造あるいは保管されていた。

神話では、スサノオはヤマタノオロチの尾から手に入れた剣を、アマテラスに献上したとありますね。その剣は、のちに天皇の皇位継承の際の儀式に使う三種の神器の一つとなります。出雲族と大和族の第一回目の和議のとき、スサノオがこの剣を持っていたからこそ、和議を優位に進めることができたとみることもできます。出雲族のアマテラスを妻に娶ることができたのも、この越の国のヤマタノオロチの剣のお蔭であったのではないでしょうか。
(続く)

出雲族と大和族の話(第23話) 「歴史なんでも(69)」

越の国は、神話では高志の国として出てきます。
まずは記紀のヤマタノオロチ神話を読み解きましょう。

出雲族のスサノオが退治したというヤマタノオロチは、「高志之八俣遠呂知(こしのやまたのおろち)」と書かれていますから、越の国に棲む「怪物」だったことがわかりますね。ただし、事件が起きた場所は出雲でした。櫛名田姫を助けるためにスサノオは、8つの頭と8つの尾を持つ怪物に酒を飲ませて眠らせたところを切って殺してしまいます。そのとき、怪物の尾から剣が出てきます。その剣のために自分の持っていた剣の刃が欠けてしまったぐらいですから、かなりの強度を持つ名剣であったのでしょう。天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)のちの草薙剣(くさなぎのつるぎ)としてアマテラスに献上されたと記されています。

さて、この越の国の怪物が何者であったか、ですね。目はホオズキのように真っ赤で、背中にはコケや木が生え、腹は血でただれ、8つの谷、8つの峰にまたがる巨大な怪物であったと記されています。

「8つの谷、8つの峰にまたがる」というのは、おそらくそれだけ遠くの方から来たことを比ゆ的に記述したのではないかと思われます。東に向かえば、それぐらいの場所に越の国が確かにありますね。

次にヒントとなるのは、「真っ赤」とか「血」などの赤のイメージです。怪物の尾から剣が出てきたことを考えると、どうしても、たたらを使って炉の中の木炭を高温で燃やして製鉄する「たたら製鉄」が連想されますね。越の国には、かなり高度な製鉄技術があったのではないかとも推測されるわけです。

また「お」は峰、「ろ」は接尾語、「ち」は霊力の意味があるとの説もありますから、山に棲む霊力を有するものであったとも解釈できます。越の国がまさに日本の北アルプスに囲まれた山の中にあることと関係あるとも考えられますね。

こう考えると、山、霊力、製鉄技術、そして越の国と関係するものが「ヤマタノオロチ」の正体であった可能性が強くなってくるわけです。
(続く)

出雲族と大和族の話(第22話) 「歴史なんでも(69)」

宿禰さんの言うように今から5000年前に越の国の尖山に東アジアの首都があったのだとしたら、富山県などの北陸やその周辺(岐阜、新潟)にはかなり高度な技術を持った天狗族(天空浮船族)が暮らしていたのではないかと思うんですね。奥能登の宝立山、羽根海岸から60キロ離れた富山市の呉羽山、羽根神社に子午線を引き、さらには位山、岐阜県萩原町の羽根、愛知県岡崎市の羽根、そして赤羽根まで、総延長240キロの南北線である羽根ラインを作ってしまうような高度な測量技術です。

その子午線は、西から順番に白山、位山、尖山、下田富士を通る4本の経線であったのではないかと思います。天狗族の人たちは、この子午線を基準にして日本列島を正確に測量、地図を作製したのではないでしょうか。

まさか越の国にそのような文明が開けていたはずはないと思われる方もいるかもしれませんが、実は日本神話にはそのことを臭わす説話が残っています。その一つが記紀に記されたヤマタノオロチの神話、そうしてもう一つが江戸時代に記された『肯構(こうこう)泉(せん)達録(たつろく)』に残っている越中の伝説なんですね。
(続く)

と、ここまでがフリーページに掲載しておいた「出雲族と大和族の話」です。明日からまだ公開していない第23話を掲載します。ヤマタノオロチの謎の解明に挑みます。

出雲族と大和族の話(第21話) 「歴史なんでも(69)」

審神者の武内宿禰さんはこう言います。
「それは何世代にもわたる記憶の映像を見たのではないかと思います。最初ペルシャにいて、それから石を切りにエジプトへ渡り、そして日本に来て、日本で亡くなった。一人の人間の魂の記憶ではなく、三世代ぐらいにわたる一族の記憶のような気がします」

私が退行催眠で見たビジョンや秋山さんの前世リーディングでは、一人の人間が中東から日本に渡ってきて、日本で死んだことになっていますが、宿禰さんはそれが3世代ぐらいの記憶ではないかと言うんですね。面白い見解だと思います。

もしこうした話が本当だとしたら、私はおそらく原日本人の中の天狗族に属していて、一度中東方面に旅立ち、再び戻って来た天空浮船族の中にいたのかなとも思えてきます。

私が天空浮船(気球)に乗って中東から日本にやって来た(戻って来た?)のは、私の勘では今から約5000年前です。ちょうどそのころ、富山の尖山は古代ヒスイ文化圏の県庁所在地で、同時に東アジアの首都があったのだ、と宿禰さんは言います。正統竹内文書にそのように書かれているというんですね。そして尖山には、たくさんのラインが通っているのだそうです。

そのラインにはとても重要な意味があったと宿禰さんは言います。ライン上で同時刻に鏡を使って光通信を行ったのだそうです。と言っても、当時は鏡がありませんでしたから、磨き抜かれたヒスイを使った、とか。「太陽の反射を利用して、モールス信号のように通信したのだ」と言います。鏡には新潟姫川のヒスイが使用されたそうです。

私が見た「前世ビジョン」でも、私には日本各地を測量して地図を作製した記憶があります。羽根ライン、伊豆・下田富士のピラミッドライン、山岡町のピラミッド石と尖山ピラミッドを結ぶラインを「インスピレーション」により次々と「発見」できたのも、当時この測量に携わっていたからかもしれませんね。
(続く)

出雲族と大和族の話(第20話) 「歴史なんでも(69)」

東北関東大震災があったので中断しておりましたが、発生から丸12日が過ぎたこともあり、今日から「出雲族と大和族の話」を再開いたします。大和族と出雲族とユダヤ(古代ヘブライ人)の和議の後、それぞれの部族がどうなったかを考察しているところでしたね。出雲族とユダヤの一部は大和政権に協力しますが、多くは関東から東北方面に逃れたのではないかと私は見ています。それでは原日本人とみられる人たちはどうなったのでしょうか。第20話から再開します。

下の写真は今日の夕方、自宅前に現れた虹です。

rainbow

「約束」が成就したんですね。

出雲族と大和族の話20
天狗族はどうなったのでしょうか。私には、一部の縄文人たちとともに山奥に逃げ延びて、そこに籠っていたように思えます。彼らはそれぞれ独自のネットワークを形成。縄文人たちの中には、サンカとして生き延びた人たちもいたのではないでしょうか。

天狗族の天空飛行の技術は、大和族に奪われることはなかったのでしょう。ただし、7世紀には役行者のような人物が山から出てきますから、ごく一部の修験者に技術が伝授された可能性はあります。役行者や一言主を天狗族とすることもできるでしょう。源義経に剣術を教えたとされる鞍馬山の天狗も天狗族でしょう。

そういえば、竹内巨麿も鞍馬山の奥にある大悲山で、神霊から飛翔の術を授かったり、神代文字を読めるようにしてもらったりしたと巨麿伝に書かれていますから、神霊が天狗族であったかもしれませんね。いずれにしても天狗族(羽根族、白鳥族、天空浮船族)は、日本の歴史からは消えてしまいました。

私が退行催眠で見たビジョンと、秋山さんの前世リーディングによって浮き彫りになった天空浮船(気球)族の謎もだんだん解けてきましたね。その話を武内宿禰さんにしたところ、私のビジョンの審神者(さにわ)をしてくれました。武内宿禰さんと言えば、審神者の「本家本元」でもありますね。

ここで審神者とは何か、簡単に説明しておきましょう。古代神道の祭祀において信託を受けた際に、その神意を解釈して伝える人のことを言います。元は「清庭」(さやにわ)の意味で、神を祭り、神託を受けるために清めた庭のことを指したことからこのように言われるようです。仲哀天皇が琴を弾き、武内宿禰が沙庭(さにわ)で神の命を請うたという記述が古事記に載っていることは有名な話です。

さあ、審神者の第一人者である宿禰さんの解釈を聞いてみましょう。
(続く)

お知らせ:
実はこの続きはすでに左のフリーページにアップしてあります。明日以降順次ブログにアップしますが、早く読みたいという方はフリーページの「出雲族と大和族の話」(現在第22話の途中まで公開中)をお読みください。気長に読みたいという方は明日までお待ちください。

母との対話2 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

母はいかなる宗教も必要としていませんし、信じてもいません(その点では私も同じです)。そのためかどうか知りませんが、輪廻転生も死後の世界のことも決して認めません。

そこで私が「では死んだら人間はどうなるの?」とたずねます。母は「死んだら真っ暗。何もなくなるのよ」と言います。
私はさらに聞きます。「それでは、生まれる前はどうだったの?」
母は答えます。「生まれる前も真っ暗。何もなかったのよ」

なるほど。巷の脳生理学者が言うように、すべての超常現象が脳の作り出す錯覚や幻想だとしたら、死んだ後や生まれる前に自分と言う魂が存在しているはずはありませんね。魂が不滅であることも認めるわけにはいかないはずです。つまり肉体が滅びれば、すべては「土」に返り、無になるわけですね。

「でももし輪廻転生があるとしたら、どうするの?」と私。
「そんなの真っ平御免よ。もう十分に生きたわ」と母。
まあ、そういう考え方もあるでしょう。

そんな母ですが、頭のガチガチな科学至上主義者とは違って、UFOや宇宙人などの不思議な話は大好きなんですね。私がこれまでに取材したUFOや宇宙人の話をすると、目を輝かせて聴いてくれます。母の口癖は「死ぬ前に一度でいいからUFOを見たい、宇宙人に会いたい」です。

私がふざけて「宇宙人なら目の前にいるじゃない」と自分を指さしながら言うと、母は「あんたじゃ駄目よ。だって鼻も目も口もちゃんとついているじゃない」と笑います。
母にとっての宇宙人は、鼻や目や口が普通についていてはいけないみたいなんですね(笑)。

この大宇宙にはどのような宇宙人が暮らしているんでしょうね。夜空に瞬く星々を見上げながら、いつか母にUFOを見せてあげたいな、と私もつい考えてしまうのです。

母との対話 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

大地震があったこともあり先週の金曜日、母と父の様子を見に東京の実家へと出かけてきました。

母は東日本で起きた大地震とニュージーランドで起きた地震をごっちゃにしているらしく、テレビで流れるニュース映像を見て「あら地震があったのかしら。ニュージーランドは大丈夫だったの?」と私に聞きます。

そう、母は、私が普段ニュージーランドにいると思っているんですね。そこで、ニュージーランドで暮らしているのは私の姉で、私はいま日本に住んでいること、それに今テレビで報道している地震は、一週間前に日本で起きたことだと伝えます。

母は、一週間前に東北・関東地方が大地震と大津波に見舞われたことも忘れてしまったんですね。だからテレビで津波の被害に遭った地域の映像が流れるたびに、初めて知ったかのように驚きます。

母との対話を楽しむようになって久しいです。

私が母に「お元気ですか?」と聞くと、母からはいつも「生きているよ」と返事が返ってきます。「何か異常はなかった?」と聞くと、母は「あっても忘れたわ」と答えます。

私は時々ふざけて「今年で何歳になったの?」と母に尋ねます。今回は「57歳ぐらいかしら」との答えが返ってきました。答えは、その時によって50代や60代、あるいは70代になります。そこで私が「じゃあ、私は何歳だと思う?」と応じると、「さあ、いくつかしら35ぐらい?」と母は答えます。私が正直に52歳であることを告げると、母は驚いて「そんなになったの!? じゃ、私はいくつかしら」と、いぶかります。

母はちゃんと生年月日は覚えています。1928年生まれ。そこで私が新聞を見て今年が2011年であることを告げると、母はちゃんと計算して自分が83歳であることを導き出すんですね。

母は元気です。それが何より。実家に3泊4日滞在しましたが、その間毎晩、お互いのボケ防止のために(笑)、三人でマージャンをやりました。自分の指を使って牌を並べ、手を使って牌を運び、頭を使ってゲームをするのは、何よりの頭の体操です。もっとも、真剣勝負のマージャンではなく、遊びのマージャン。すべて手の内をオープンにしてワイワイガヤガヤ、ああだこうだ言いながら遊びます。

遊べるのが何より。まだまだ青春はこれからですね(笑)。

不思議な日帰り旅行 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

大震災の翌日、私たちはあるグループと伊豆半島の某所で落ち合う予定になっていました。とっても楽しみにしていたのですが、あれだけの大震災では、当然その予定は中止になりますね。その確認をする電話を入れようとしたところ、インスピレーションが電話をすると運命が変わるから電話をしないで、と私たちに告げます。

「えっ、どういうこと???」と疑問に思うと、とにかく予定通り約束の場所に行きなさいという言葉(印象)が返ってきます。

当日、テレビやネットで交通情報をチェックすると、幸いにも約束の場所まで公共交通機関でたどり着くことができることがわかります。当初の予定通りのバスに乗り、半日遅れの帰宅客で混み合っている電車を乗り継いで集合場所へ向かうと、なんとほぼ約束の時間に約束の場所に到着します。

そこで初めて主催者の方に電話をするのですが、思った通り会合はキャンセルになっていました。主催者の方も私たちに連絡を取ろうとしたのですが、通じなかったようです。

それでもインスピレーションさんは「それでいいの」と言います。大震災のあった翌日に私たちがここに来ることに何か意味があったようです。もし前日なり、当日の朝に、主催者の方に電話していれば、キャンセルを事前に知ってしまうので、約束の場所まで来ることはなかった(運命が変わった)のではないかと思います。

でもいったい何のために、ここまで来る必要があったのでしょうか。
インスピレーションは何も答えません。ただ桜と富士山を愛でていきなさい、と告げているようです。

そのとき撮った写真がこれです。

桜

八重桜が満開でした。

桜

そのあと私たちは、伊豆の新鮮な魚料理を楽しんで、お土産をたくさん買い込んで家に帰りました。何とも不思議な日帰り旅行でした。

しだれ梅咲く 「今日の出来事(966078)」

長く風雪に耐えていた我が家のしだれ梅が今日、満開となりました。

梅

自然はただ淡々と、このように生の営みを続けているんですね。

梅

慌てもせず、惑わされもせず、風にも負けず、ただ淡々と。

宇宙船のように飛ぶ太陽 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

太陽です。

太陽

まるで宇宙船(UFO)のように飛んで見えますね。

実は太陽こそ、この太陽系で最大のUFOなんですよ(笑)。

もちろんこの地球も、私たちを運ぶUFO。
だから宇宙船を壊したりしないでね、お願いします。


UFO雲 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

この日はUFO雲のオンパレードでした。

UFO雲

UFO雲

UFO雲

UFO雲

午前10時ごろから午後3時ごろまで、ほとんど同じ場所に停滞しておりました。このような日もあるんですね。

ホワイトマグノリア 「今日の出来事(966078)」

白木蓮が満開です。

white magnolia

開花期間は短いですが、美しい花ですね。

white magnolia

決して忘れることのない白い花・・・。

被災地の方々にお見舞い申し上げます 「今日の出来事(966078)」

テレビでしか見ていませんが、すごい地震と大津波です。
被災地の方々に心よりお見舞い申し上げます。

こちらも揺れましたが、ほとんど被害は出ておりません。大津波警報の発令により、海岸線にお住いの方々がこちらに避難する騒ぎはありました。今更ながらに津波の破壊力に驚かされます。

被害が最小限に抑えられ、災害から一日も早く復興されることをお祈り申し上げます。

出雲族と大和族の話(第19話) 「歴史なんでも(69)」

大和王朝はこのようにして紀元50年ごろ、神武によって基礎が築かれたのですが、その後も何世紀にもわたって政権内部でいろいろな権力闘争があったようです。そうした話は別の機会にするとして、大和族によるほぼ一方的な「和議」の後、出雲族とユダヤ、天狗族、それに縄文人がそれぞれどうなっていったかを推測してゆきましょう。

まず出雲族ですが、おそらく一部は懐柔され大和政権に組み込まれていったのでしょう。物部氏がその一例でしょうか。元々は出雲族の兵器の製造・管理を主に管掌していたとみられ、その兵器製造の技術力を買われて大和族に重用されたのではないかと思います。後に大和政権の中で、有力軍事氏族へと成長、その軍事的な活躍により政治的地位を固めてゆきました。

一方、最後まで抵抗したナガスネ彦や建御名方のような出雲族の人たちは、徹底的に叩かれました。一部は敗走して、諏訪から関東圏へ逃げ延びましたが、大和政権の支配地域の拡大に伴い東北へと逃れてゆきます。追討の手は緩められることなく、最後は坂上田村麻呂によって壊滅的な打撃をこうむります。

一方、親出雲族派だったユダヤはどうなったのでしょうか。大和政権にとって、ユダヤの持つ測量や石切りの技術は魅力的だったに違いありませんね。重用された人もいたのでしょう。ヒントとなるのは、和議となった紀元50年ごろとほぼ同じ時代を生きていたのであろう五十鈴彦(イエス・キリスト)と石切彦(イエスの弟)のその後でしょうか。

武内宿禰さんによると、五十鈴彦は聖地伊勢の港の管理人で伊勢の磯部家を支配していたといいます。五十鈴彦の紋章は三角形が二つ重なったダビデの星であり、それぞれの三角形は物体と精神を象徴していたそうです。伊勢神宮にダビデの星があるのは、そのためだと宿禰さんは言います。つまり和議の前後、伊勢はユダヤの地だったわけですね。

宿禰さんが伝承した口伝(正統竹内文書)では、石切彦は最後、青森・戸来村で亡くなっています。子供もたくさんいたらしく、その子孫が沢口家となりました。五十鈴彦もやはり、青森を経て、さらには北海道、もしかしたら北アメリカへと渡っていると伝わっているそうです。竹内文書を最初に読んだとき、なぜキリストの墓が青森にあるのかよくわからなかったのですが、出雲族(蝦夷)の敗走先を知ると、合点が行きますね。やはり多くのユダヤも出雲族とともに、北へと逃げたのではないでしょうか。
(続く)

出雲族と大和族の話(第18話) 「歴史なんでも(69)」

私にはまだ疑問がありました。仮に天狗族という少数の技術集団が古代日本に縄文人とは一線を画して山の中で暮らしていたとしたら、多数の縄文人たちが暮らす場所に地名を残すことはできなかったと思うんですよね。たとえば、羽根という地名です。この地名を後世に残すとしたら、里で暮らしている人々に溶け込まなければできませんね。

すると、インスピレーションはこのように告げます。「だから(縄文人たちは)女性を(山の上に住む天狗族に)ささげたでしょう。ただし(ヤマタノオロチのように)食べたりはしなかったけどね」

おやまあ、このインスピレーションさんがおっしゃることが本当なら、縄文人たちは山にいる天狗族に女性をプレゼントしたことになります。それにより縄文人と天狗族の間に「交流」が生まれ、お互いに行き来できるようになった。そうなれば、天狗族たちの拠点(基地)を示す「羽根」のような地名を残すことも可能だったのでしょう。「声」はそのように言っているようです。

すると、スサノオに退治されたというヤマタノオロチは天狗族だったのでしょうか。それに対して内なる声はこう告げているように感じます。天狗族とは異なり、彼らを真似して人里から離れて棲み、人間に実験をするグループもいたのだ、とか。これは爬虫類系宇宙人のことを言っているのでしょうか。ちょっと謎ですね。そうした「ヤマタノオロチ」のようなグループと天狗族は区別する必要があるようです。

さて、話を元に戻しましょう。鳥居の「居」という字を漢字字典で調べよとのお達しでしたね(笑)。白川静の『常用字解』によると、祖先を祀るとき、祖先の霊の代わりになって祀られる「かたしろ」と、「腰掛」が合体した漢字だそうです。そこから喪に服するときのように、儀礼のときにうずくまる姿勢を指すのだといいます。確かに鳥族や羽根族(天狗族)をうずくまらせた(服従させた)場所を鳥居と呼んだとも解釈できますね。

もちろん、こうした大和族による東西に延びる帯のような「結界」は一朝一夕にできたわけではありません。その後何世紀にもわたる、出雲族の残党をはじめとする不満分子狩り、つまり「蝦夷討伐」の中で作られた結界のような気がします。そしてご存知のように8世紀後半から9世紀初めにかけて桓武が東北に派遣した坂上田村麻呂により、結界は完成をみるわけです。その話は以前、「出雲国譲りラインの謎」として月刊誌「ムー」に書いたとおりです。

その「ムー」ですが、今日(3月9日)発売の四月号に私が書いた「伊豆半島ピラミッド・ラインの謎」が掲載されておりますので、ご興味のある方はお読みください。
(続く)

出雲族と大和族の話(第17話) 「歴史なんでも(69)」

今日はちょっと話が脱線しますが、昨日書いた「原日本人(縄文人?)」という表現について修正しておきます。私はこれまで、縄文人=原日本人ではないかとみて議論を展開してきましたが、厳密に言うとそうではないという「声」がどこからともなく聞こえてきます。

確かに縄文人は原日本人と言えるのですが、どうやら原日本人がすべて縄文人かというとそうではないと「声」は告げているようです。どういうことか、と聞き返すと、大体次のような答えが返ってきました。

今から1万2000年前、ちょうど大洪水があった後の時期と重なると思うのですが、日本列島には多数の縄文人と少数の「別の人種」がいたようです。別の人種の人たちは縄文人よりも体が大きくて、鼻が大きくて高いなど顔立ちもまったく違っていました。そして、縄文人とはあまり混じり合わずに山の上の方で暮らしていたとの感触を受けます。

「そのような骨格の人骨は、発見されていないではないか」との疑問に対しては、「骨がいったい地中でどれだけの間残っていると思っているの?」との「返答」がありました。まあ、少数の別の人種の骨が見つかることは、かなり可能性が低いと言えそうですね。唯一のヒントは、ニギハヤヒのために最後まで戦ったとされるナガスネ彦にあるかもしれません。

さて、平地に住む縄文人にとって、「別の人種」の人たちは、白い扇を持って天を飛ぶ「山の天狗」のような存在だったでしょうか。実際彼らは、空を飛ぶ技術を持った「技術集団」でもあったのだと声は告げているようです。便宜上、彼らを「天狗族」とでも名付けておきましょう。

天狗族は山を使って連絡を取り合う技術も持っていました。「声」は、それが羽根ラインの原型であると言います。ご存知のように、羽根ラインは奥能登の大室山、富山市の呉羽山、それに岐阜県の位山を結んだラインでもありましたね。

やがて天狗族の一部が理想を求めて、あるいは冒険心から大陸へと渡ります。中には日本列島に残った人たちもいたようです。大陸に出て行ったグループが、アマ族、つまり武内宿禰さんがいうところのシュメール人となった人たちだと思うんですね。そのアマ族の人たちは二つのグループに分かれて、何世紀もの放浪の果てに紀元前4,5世紀ごろ日本に戻ってきたのではないかという説はご紹介したとおりです。ただし、大陸に渡ったアマ族のうち、今から5000年前の紀元前3000年ごろに日本に戻ってきたグループもいたのではないでしょうか。

アマ族の人たちが紀元前4、5世紀に日本に戻ってきたときには、ごく少数の天狗族と多数の縄文人がいたわけですね。アマ族である出雲族と大和族の人たちは縄文人を次々と制圧してゆくのですが、天狗族の人たちは山に隠れて固唾を飲んでその情勢を見守っていたように思うんですね。もちらんアマ族とは同類、同種の人たちですから、彼らが山に暮らしていることを出雲族も大和族も知っていた節があります。私の感触では、ユダヤも天狗族もほぼ同じ立場であり、出雲族や大和族の人たちよりも技術集団の色彩が濃かったのではないかと思っています。
(続く)

出雲族と大和族の話(第16話) 「歴史なんでも(69)」

これはいつもの「インスピレーション」で得た情報なのですが、原日本人(縄文人?)とみられるグループが縦のラインを作り、大和族は横のラインを作ったというんですね。大和族は原日本人のグループが縦のラインを作ったということを知っていたので、それぞれのラインを打ち消すように横のラインを作ったと「インスピレーション」は告げます。縦の四本の線(南中線)に対して、同じ幅で四本の東西線を引いたといいます。

では四本の南中線は何でしょう。私の推測ですが、一つは伊勢白山の鳥ライン、二つ目は東経137度11分の羽根ライン、それから以前ご紹介した尖山ピラミッドと山岡町のピラミッド石を結ぶピラミッドライン、最後は下田富士ピラミッドと新潟・三条市を結ぶもう一つのピラミッドラインではないでしょうか。するとインスピレーションは次のように告げます。第三番目と第四番目のライン、つまり下田富士のピラミッドラインと尖山のピラミッドラインのちょうど真ん中にある場所にくさびを打ったのだ、と。

私はすぐに地図でその場所を確認します。すると、なるほど出雲族の建御名方を封じたとみられる諏訪はちょうど二つのピラミッドラインの真ん中にあるんですね。そのとき私は、そのくさびにどのような働きがあったかに気付きます。大和族が作った東西ラインは原日本人の作った南北の光通信網を監視、もしくは遮断する目的を持っていたのではないか、と。

大和族にとっては、原日本人のグループに自由に情報を交換されては困ったんでしょうね。今、中東各地で起きている反政府運動の波を見てもわかりますね。彼らはフェイスブックなどネットを通じて連絡を取り合い、集団で大きく動きます。これこそ、権力側が最も嫌がる反政府運動なんですね。そのため情報を徹底的に管理する必要があった。原日本人と出雲族の残党が結託したら、それこそ脅威ですからね。そのための東西ラインを作り、情報の遮断を試みたような気がします。

超古代において、原日本人は山を使って光通信網を南北方向に張り巡らせました。一方、大和族は、神社や島を使って東西方向にそれを打ち消すラインを作ったのではないかとインスピレーションは告げます。具体的には大和族は隠岐の島を使って出雲―鹿島の国譲りラインを作り、淡路島と神島を結ぶ三輪山のラインを引いたのではないでしょうか。もっとも北限の東西ラインには、どうやら佐渡を利用したようです。

原日本人が作ったとみられる南北のラインは、光通信のラインであると同時に重要な輸送ルートでもあったのですね。その輸送ルートは、大和族の作った東西のラインにより寸断されます。さらに、かつての原日本人の聖地には神社が配置され、そこに鳥居を置くことにより、鳥や羽根を封じ込めました。つまり天空浮船族を飛べなくさせたとも解釈できるんですね。インスピレーションは、鳥居の「居」の意味を漢字字典で調べろと暗に告げます。
(続く)

出雲族と大和族の話(第15話) 「歴史なんでも(69)」

東西のラインを引いたのが大和族だとすると、では東経137度11分の羽根ラインなど南北のラインを引いたのは誰かという問題が浮上しますね。この質問を武内宿禰さんにしたところ、だれが最初に引いたかはわからないが、ラインを整備した技術集団の長はイエスの弟の石切彦であったと言います。武内さんによりますと、石切彦は測量に長けており、中東から日本にやって来て、日本全国を測量したそうです。石切と名付けられたぐらいですから、メンヒルやドルメンなど巨石建造物の製作にも携わっていたのでしょう。少なくとも石工であった可能性は高いですね。

さて石工と言えば、すぐにフリーメイソンが思い浮かびます。と言うのもフリーメイソンの起源が14世紀のイギリスでウィンザー宮殿を建造した際に徴用された石工職人たちが、自分たちの権利、技術、知識が他の職人に渡らないよう暗号を使用して石工組合を作ったことが通説になっているからです。今衛星放送でやっている『大聖堂』を見ると、何となく納得してしまいますね(笑)。石工たちは、すごい技術集団です。また古くはピラミッド建造時の石工組合だったとの説もあります。

そうだとすると、ユダヤ人の石切彦は測量や石工の技術を代々受け継ぐ秘密結社の一員だったかもしれませんね。フリーメイソンのシンボルマークを見ると、上向き三角形(コンパス)と下向き三角形(直角定規)を結合させています。これはダビデの星を形成しますから、まさにユダヤなのかなとも思ってしまいます。

私の推測ですが、石切彦たちのような技術集団は、古くから日本には南北のラインがあることを知っていたように思うんですよね。もし武内さんの言うように、ユダヤが実は日本から大陸を目指した「アマ族」の「分家の分家」のような人たちなら、古代日本の技術を大陸に持って行き、技術の秘中の秘の部分はそのまま持ち帰って日本に戻ってきたという可能性もあります。

大和族たちもおそらく、そうした高度な技術を代々伝える秘密結社のようなグループがいることを知っていたのだと思います。それは大和族が出雲族を封じていった場所からも推し量ることができるんですね。
(続く)

出雲族と大和族(第14話) 「歴史なんでも(69)」

こうして考えると、すべての日本神話の裏が見えてくるのではないでしょうか。記紀神話で神武が奈良の地に到着したときに、なぜ先に「天孫降臨族」のニギハヤヒがおり、天孫の印を持っていたかもよくわかりますよね。おそらく神武が最もほしかったのは、ニギハヤヒの「天孫の印」(統一王朝の印)だったのでしょうね。

神武の勝利後、大和族は巧みに、和議に同意しなかった出雲族を東へ、さらには北へと追いやっていきます。同時に大和族の陰陽師(念使い)のような人たちは、東西に延びる結界のようなものを張り巡らしていったように思うんですね。その一つが、ヤマトタケルが白鳥になって飛んで行ったという大阪の大鳥神社や羽曳野の白鳥の辺りから二上山の南麓にある竹内峠を越えて、三輪山、伊勢へと続く、東西線でしょうか。一部は竹内街道(たけのうちかいどう)とも名付けられていますね。あるいは水谷慶一さんが「太陽の道」と名付けた北緯34度32分の東西ラインでもあります。これにより、三輪山にニギハヤヒが、伊勢にユダヤが封じられたように思います。

そしてもう一つが、東京海洋大学名誉教授茂在寅男さんが見つけた出雲国譲りラインです。これは線と言うより帯のようなラインで、大国主を祭った出雲大社、事代主を祭った美保神社(島根県松江市)、建御名方を祭った諏訪大社がほぼ一直線上に並んでいるんですね。ご存知のようにこの三人は、大和族に降伏したとみられる出雲族の王や王子たちでしたね。そしてこの出雲国譲りラインは茨城県の鹿島神宮や香取神宮へと続きます。香取神宮で祭られているのはフツヌシ、鹿島神宮に祭られているのはタケミカヅチです。いずれも出雲族に国を譲れと迫った、大和族とみられる交渉人、あるいは武人たちですね。

月刊誌ムーにも以前書きましたが、これは大和族が出雲族の残党を東北から北へと封じ込めるための結界のようなラインだったと思うんですね。出雲族の王や王子たちを出雲、美保、諏訪にそれぞれ封じ込め、さらには防衛ラインとしてそのラインの東端に大和族の重鎮を配して見張らせたのではないでしょうか。

実際、このラインの面白いところは、出雲大社のご祭神である大国主と鹿島神宮のご祭神であるタケミカヅチがそれぞれ西と東にそっぽを向いていることでしょうか。つまり大国主は西を向き、タケミカヅチは東を向いているんですね。ふつうご祭神は北か南を向いているものですが、非常に珍しい例がちょうど出雲国譲りラインの東西端の神社で、しかもお互いそっぽを向く形でご祭神が配置されているのは偶然ではないでしょう。

このそっぽを向いたご祭神の存在は、大国主の国譲り神話の背後に隠された歴史を知らなければ、決して理解できないんですね。
(続く)

出雲族と大和族の話(第13話) 「歴史なんでも(69)」

長年(約400~500年間)続いた出雲族と大和族の覇権争いもようやく一応決着をみました。大和族の圧勝でしたね。紀元50年ごろのことではないかと武内宿禰さんは言います。

そこで大和族は(あくまでも私の推測ですが)、残った出雲族と出雲族の盟友でもあったユダヤとの間で和議に持ち込むんですね。その時の大和族の王は神武、出雲族は事代主だったとみられます。初代天皇のニギハヤヒ、および多分いたであろうニギハヤヒの子供、それに大国主はどうなったのかはわかりません。ニギハヤヒや大国主も和議に参加していたかもしれないし、あるいは最後まで神武の正統性に異を唱えたナガスネ彦同様、殺されてしまったかもしれません。

和議の結果、と言っても、ほとんど大和族が一方的に決めた結果だと思いますが、神武が出雲族の姫であるタタライスズヒメと結婚し、初代大和王朝の天皇となることが決まったのだと武内宿禰さんは言います。ここにも五十鈴の名前が出てきます。やはり大国主はユダヤであった可能性が強いと思うんですよね。それに宿禰さんによると、タタライスズヒメの妹は石切姫だと言います。これってイエスである五十鈴彦とその弟の石切彦と同じ名前ですから、ますます怪しい。宿禰さんにはこのこと(大国主=ユダヤ説)について話していなかったので、今度会ったときに聞いてみたいと思っています。

さて私が、二回目にして最後となる和議が大和、出雲、ユダヤの三者間で行われたのではないかと推測したのには、理由があります。私のブログにもよく登場する国際気能法研究所の秋山眞人さんと古代史について話していたとき、秋山さんがふと「(奈良にある)三輪山は、大和、出雲、ユダヤが融合した場所なんですよね」と漏らしたことを覚えていたからです。その時は私も「ふ~ん、そうなのかな」くらいにしか思わなかったので、深く追究しなかったのですが、武内宿禰さんから聞いた古代日本の出雲族と大和族の話と、秋山さんの三輪山=大和、出雲、ユダヤ融合説を合わせると、後になってから妙に合点してしまったわけです。つまり三輪山は三者の和議の場であったから、三和(みわ)=三輪となったのではないか、と。

なるほど、だから三輪山にニギハヤヒ(大物主)が葬られたとされるはずですね。形としてはご祭神として三輪山に祀られるわけですが、三輪山の和議によって、初代天皇だったという歴史的事実が三輪山の地中深くに埋められ、封印されてしまったからです。
(続く)

出雲族と大和族の話(第12話) 「歴史なんでも(69)」

さあ、これで国譲り神話に登場する人物たちがほぼ出そろったのではないでしょうか。私は一時(と言ってもずいぶん前のことですが)、大陸から渡ってきた大和族が原日本人である出雲族を倒して大和政権を作ったとばかり思っていたのですが、どうやらそうではないことがわかってきました。「縄文文明」を築いた「原日本人」、それからゴラン高原かシュメールから渡って(戻って?)きて原日本人を制圧していった出雲族と大和族、それにユダヤ人(古代ヘブライ人)がどうやらいたようです。

武内宿禰さんによると、そのユダヤ人たちは出雲族の物部一族と仲が良かったというんですね。ということは出自不明の大国主さんはもしかしたら、ユダヤ人であったかもしれないと思えてきます。ナイルワニのいるエジプトあたりからやって来た可能性はありますね。

ユダヤ人の来日は、紀元前からしばしばあったと宿禰さんは言います。ただし彼らは「目立ってはいけなかった」ので記録はないそうです。記録に残っているユダヤ人は、紀元300年ごろやってきた秦氏で、彼らは「日本(スメル族)の分家の分家」のようなものだったとか。「彼らには祭祀をする人がおらず、彼らが神聖視したアークにしても、日本に来れば神輿に取り込まれてしまった」と言います。

さて、天孫降臨の神話に話を戻します。「大和族お得意の系図改ざん」により、ニギハヤヒを三分割したことはお話しましたね。つまり初代天皇ニギハヤヒの名称の一部であるアメノホアカリを大和族に組み入れ、初代天皇の血筋が大和族に流れるように系図をでっち上げたわけです。

おそらくニギハヤヒから統一王の称号を奪おうと画策した時点の大和族の王はニニギであったのではないかと思います。だからこそ神話では、兄(アメノホアカリ=ニギハヤヒ)、もしくは父(アメノオシホミミ)を差し置いて、天孫降臨(ニギハヤヒからの称号奪還)をするわけです。

ニニギはその際、出雲族と仲の良かったユダヤ人のグル―プを懐柔したのではないでしょうか。それがニニギの天孫降臨の前に立ちはだかった五十鈴川出身の猿田彦として描かれたのだと思います。そうでなければ、なぜ猿田彦が出てくるのか、説明がうまくつかないですよね。

この天孫降臨の前に、出雲族の王であった大国主が政治的圧力と武力で大和族に屈した話は国譲りの神話に記されていますね。出雲族も最初はかなり抵抗し、何度も大和族を撃退、もしくは懐柔策に抵抗したように見受けられます。ですがやがて、大国主の息子である事代主は懐柔され、もう一人の息子で最後まで抵抗した武闘派の建御名方神も諏訪で大和族に鎮圧されます。
(続く)

出雲族と大和族の話(第11話) 「歴史なんでも(69)」

猿田彦の故郷が伊勢の五十鈴川であることがなぜ、猿田彦の素性と結びつくかと言うと、伊勢には五十鈴彦さんという方がいて、聖地伊勢の港を管理していたという話を聞いたことがあるからです。誰から聞いたかと言うと、第73世武内宿禰さんなんですね。そして何と、この五十鈴彦さんこそ、あのキリストだと言うんです。又の名を伊勢津彦と言います。

宿禰さんによりますと、キリストは日本に二度来ています。そして出雲族ととても仲が良かったというんですね。同時にキリストの弟も日本に来て、最後は日本で亡くなっていると言います。一方、巨麿さんが公開した竹内文書を知っている人ならお分かりだと思いますが、青森・戸来村にはキリストの墓があります。戸来(へらい)すなわちヘブライだと言うんですね。戸来村の沢口家には、二つの高貴な人の墓があると言い伝えられてきましたが、巨麿さんはその一つがキリストの墓で、もう一つが弟のイスキリの墓であると断言したとされています。ゴルゴダの丘で磔刑に処されたのは、弟のイスキリで、その形見ともいえる耳と頭髪が十来墓に、キリストは十来塚に埋められたといいます。

宿禰さんが継承した正統竹内文書はちょっと違います。キリストの弟であるイスキリ(石切彦)は石工や測量に長けた技術集団の長で、日本全国を測量。最後は青森の戸来村で亡くなったというんですね。また石切彦は、ニギハヤヒの子孫とされる物部一族とも仲がよかったそうです。大阪にある石切神社のご祭神にもなっています。ではゴルゴダの丘で死んだのは誰かというと、キリストのもう一人の弟であるというんですね。この辺が正統竹内文書と竹内文書の違いですが、キリストが来ている点では一致していますね。

正統竹内文書が正しいとすると、キリストや弟の石切彦が日本に来ているのですから、ずいぶん前からユダヤ人(編注:あくまでも古代ヘブライ人もしくは古代イスラエル人のことで、現在のイスラエルのユダヤ人ではない)も日本に来ていたはずです。しかも五十鈴彦が聖地伊勢の港を管理していたわけですから、その名前を冠した伊勢・五十鈴川に古代ヘブライ人がいてもおかしくないわけです。風貌が奇異だった猿田彦は、ユダヤ人だったかもしれないわけですね。

ちなみに宿禰さんによりますと、イスラエルとはイセラエルのことで、古代ヘブライ語で「栄光なる伊勢」という意味だそうです。
(続く)

出雲族と大和族の話(第10話) 「歴史なんでも(69)」

またまた話が複雑になってきたので、これまでの話を整理しますね。
シュメール(あるいはパミール高原のアマ族)の末裔とみられる出雲族と大和族が、それぞれ陸路と海路を使って紀元前4、5世紀ごろ「日本に戻って」きて、原日本人を制圧してゆきます。やがて出雲族と大和族の間で覇権争いが始まり、一進一退の攻防の末、和議があります。その和議で、出雲族の王スサノオに大和族の巫女であったアマテラスが嫁ぐこと、その子が統一王朝の初代天皇になることなどが決まります。それとは別に出雲族の王、大和族の王がそれぞれいたという図式ですね。

スサノオの息子が統一王朝の初代天皇になるわけですから、出雲の王がいなくなってしまいます。そこでスサノオは、娘のスセリヒメと結婚した大国主に出雲王の称号を与えることにしたのではないでしょうか。大国主はスサノオの子孫ではなく、実は娘婿だったんですね。

さて、問題の大国主さんです。武内宿禰さんから、大国主は「出自不明」であると初めて告げられた時は、私も意味がよくわかりませんでした。大国主は出雲族の人間だと思っていたからです。でも、どうやらそうではないみたいです。

ではどこの人間だったのでしょうか。

ヒントは大国主の神話である「因幡の白ウサギ」に出てくる和邇(ワニ)にあるように思うんですね。
ワニは外国、大陸のものですから、日本にいないのになぜワニが出てくるのでしょうか。
一説にはワニはワニザメのことだとしてサメであると主張する人もいるようですが、10世紀に書かれた『和名抄』には、『古事記』と同じ和邇の表記を用い「和邇は」「四足があり」、「鰐のこと」であると明記したうえで、大鹿が川を渡るとき之を中断すると記してあるそうです。そう、まさしく、あのアフリカなどに生息する鰐のことなんですね。『和名抄』には別途「鮫」の記載がありますから、ワニと鮫は明確に分けられていたんです。神話の内容からしても、サメの背中を渡るのでは、物語がイメージできません。やはりワニの背中をウサギが渡るのであれば、納得できるわけです。

因幡の白ウサギの話は外国で起きた話となります。とすると、大国主は外国人なのでしょうか。その可能性は高いと思うんですよね。というのも、それは彼の呼称にあります。そもそも大国主とは大国を治める帝王という意味ですね。それは島国や出雲国というより大陸の国を連想させます。また、大国主の別称は「葦原醜男・葦原色許男神(あしはらしこを)」でもあるんですね。醜男なのか色男なのかはっきりしませんが、かなり個性的な人物だったに違いありません。

ここも私の推測ですが、個性的な出で立ちですぐに思い浮かぶのが、天孫降臨の神話に出てくる猿田彦です。「鼻長七咫、背長七尺」と書かれていますから、かなり鼻が長くて、大男だったとみられます。しかも目が八咫鏡のように輝いていたと言います。この猿田彦もいかにも外国人っぽいですよね。大国主と同郷でしょうか。この猿田彦が大和族たちの「天孫降臨(統一王朝の乗っ取り)」を助ける、あるいは手引きする役目を果たすんですね。もしかしたら記紀では、大国主を「国譲りの大国主」と「手引きをした猿田彦」にわけた可能性もあります。

そしてこの猿田彦の故郷が伊勢国の五十鈴川の川上であると知って、「ああ、なるほど」と合点がいくのです。
(続く)

プロフィール

白山菊理姫竹内文書

Author:白山菊理姫竹内文書
FC2ブログへようこそ!



最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR