出雲族と大和族の話(第9話) 「歴史なんでも(69)」

記紀に記された日本神話の本質が段々とわかってきたのではないでしょうか。大和族側から見た都合のいい物語のオンパレードなわけですね。それにしても私が感心するのは、大和族に属する武内宿禰さんの潔さです。大和族側の系図改ざんの事実を認めるだけでなく、宿禰自身が秘儀・行法を出雲族から奪ったこと、さらには原日本人の神祇や記録を実質的に奪った(「残している」)ことも認めているからです。

拙著『竹内文書の謎を解く』でも金井南龍さんの意見としてご紹介しましたが、5世紀末ごろ神代文字で書かれた神代の歴史である「竹内文書」を漢字かな交じり文に直したうえで写筆したとされる、武内宿禰の孫・平群真鳥(武内宿禰さんによると、第8世武内宿禰)の「へぐり(平群)」は、飛騨地方の方言「へぐる」であり、「裏切る」「だます」という意味があるのだといいます。また、武内宿禰の「すくね」も「くすねる」を連想させますよね。

あくまでも私の推測ですが、もし武内宿禰さんが口伝で継承している「正統竹内文書」や巨麿が公開した「竹内文書」が大和族によって改ざんされる前の原日本人の記録をある程度正確に残しているのだとしたら、それは大和族の良心(あるいは良心の呵責)がなせる業であったのではないでしょうか。大和族が改ざんした歴史があまりにもひどかったので、「あれ(記紀など)は、本当の記録をくすねたり、だまし取ったりして都合よく改ざんした嘘っぱちなんだよね」ということを後世の人たちに暗示するために、わざと自分たちの名に「だます」「くすねる」を連想させる文字をいれたのではないかと思ってしまうわけです。

さて、さらに日本の神話を読み解いてゆきましょう。
アマテラスの称号を統一王朝に取られた大和族の一部は、何とか祭祀王の称号を取り返そうとします。このままではスサノオの息子で初代天皇のニギハヤヒの天下ですよね。そこで念使いの集団を使ってニギハヤヒの周りに結界を張り巡らせるなど妨害工作を開始すると同時に、「出自不明の大国主」を抱き込もうとします。大国主はスサノオの娘と結婚して出雲族の王となった人物でしたね。記紀では、高天原を追放され出雲国に降り立ったスサノオの子孫、あるいは実の息子ということになっています。

でも大国主さんは、どうやらスサノオの子孫でも実の息子でもないみたいなんですね。私が考える結論を先にお伝えすると、越の国などにいた原日本人の子孫か、あるいは古代ヘブライ人など大陸から来た人物ではないでしょうか。

大国主の話を書くと長くなりそうなので、大国主が何者なのかの考察は、次回にいたしたいと思います。
(続く)
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出雲族と大和族の話(第8話) 「歴史なんでも(69)」

「大和族お得意の系図改ざん」とは、何なのでしょうか。
武内宿禰さんは言います。「ニギハヤヒと大年(大歳神)とアメノホアカリは同一人物なんですね。ニギハヤヒはスサノオの息子で、大物主でもありました。大物主は世襲名です。ところが大和族お得意の系図改ざんにより、大物主をニギハヤヒ、大年、アメノホアカリの三つにわけてしまった。そして大年は出雲族の祖先、アメノホアカリは大和族の祖先ということにして、大和族の正統性をねつ造、さらにニギハヤヒに分けることで歴史を隠したのです。正統竹内文書は、その改ざんされる前の歴史を残しています」

武内宿禰さんは大和族のご出身なのですが、とても面白い「内部情報」を教えてくれますね。さらに武内さんはこのように言います。「私は日本史の講師なのでこんなことを書いたら×をもらいますが、古事記と日本書紀は大和族の一部であった中臣家の藤原不比等が右大臣だった時に、自分に都合のいいように書かせたものです。不比等は鎌足と天智天皇の子供です」

ここからはまた私の推測なのですが、大和族にとってはとにかく出雲族出身のニギハヤヒが初代天皇であることにするのはまずい、と思ったのでしょうね。それでは出雲族とは対等になってしまう。そこで大和族を天孫族・天津神と位置づけ、天から下った神のように装いました。海から下った(海路やって来た)ので、天下ったというわけですね。陸路来た出雲族を土着の神々、つまり国津神とします。

もともと大和族にはアマテラスという祭祀王(女王)の称号がありましたから、アマテラスを天孫族の祖先として神格化。さらには日本にやってきたときの大和族の王イザナギと妻イザナミを「アマテラス」の両親に仕立て上げます。

厄介なのは出雲族の王フツとその息子のスサノオの存在です。そこで大和族は、フツは存在しなかったことにします。さらにスサノオは、乱暴狼藉を働いた、あるいは高天原を奪おうとしたとして天から追放されたことにしてしまいます。まあ、当時は出雲族と戦争の最中で、スサノオはおそらく出雲族の武将だったでしょうから、大和族から見れば手におえないぐらい強かったのでしょう。だから大和族の作った神話では、ボロクソに言われるわけです。

神話でいうアマテラスとスサノオの誓約(うけい)とは、まさに出雲族と大和族の第一回目の和議のことを指しているんですね。この時はおそらく出雲族のほうが戦いで優勢だったのでしょう。アマテラスの称号(を持つ巫女か王女)が出雲族に渡ってしまいます。アマテラスの称号が大和族からなくなってしまった。これが大和族側の言う「アマテラスの岩戸隠れ」になるわけです。

誓約(和議)により、スサノオは大和族のアマテラス(巫女か王女)と結婚までしている以上、国津神扱いにもできないので、スサノオをイザナギとイザナミから生まれた息子、アマテラスを姉にしてしまうという、「お得意の系図改ざん」をしたわけです。
(続く)

出雲族と大和族の話(第7話) 「歴史なんでも(69)」

ここで登場人物の関係がややこしくなってきたので、整理しながら話を進めましょう。

武内宿禰さんによりますと、出雲族と大和族の覇権争いでは、大和族が最初優勢でしたが、出雲族が反撃し、一回目の和議があります。その和議で、出雲族のスサノオと大和族のアマテラスが夫婦となりました。

スサノオには息子ニギハヤヒと娘スセリヒメができますが、娘は大国主と結婚します。大国主は出雲の王となります。ニギハヤヒは物部氏の先祖となる人物ですが、正式名称はアマテラス クニテラスヒコ アメノホアカリ クシタマ ニギハヤヒノミコトというのだそうです。つまりアマテラスとニギハヤヒノミコトは同一人物であることになるんですね。

ここからは私の推測で、今度むっちゃんに会ったときに聞かなければならないのですが、アマテラスとは祭祀を行う巫女(女王)、あるいは祭祀王の称号だったのではないかと思うんですね。大和族の巫女(アマテラス)とスサノオの結婚により生まれた子供であるニギハヤヒに、祭祀王アマテラスの称号が与えられたわけです。

ここで北川恵子・アリオンの主張で、日本の初代天皇はニギハヤヒノミコトであったという説が思い出されますね。つまり第一回目の出雲族と大和族の和議で、スサノオとアマテラスの政略結婚の結果生まれたニギハヤヒノミコトが統一王朝の初代天皇になることが決まっていたかもしれないわけです。

問題はその次です。実は宿禰さんにもどこから来たかわからないというのですが、スサノオの娘スセリヒメと結婚した大国主です。出自不明だというんですね。とにかく、出雲族の王となった大国主とスセリヒメの間に事代主が生まれます。宿禰さんのよると、この事代主が王(おそらく出雲族の王)の時代に、再び出雲族と大和族の間で抗争が勃発します。

そして結果は大和族の圧勝に終わり、出雲族は敗走するわけですね。再び私の推測ですが、戦争に勝利した大和族の王である神武は統一王朝初代天皇のニギハヤヒに対してアマテラスの称号、そして「大物主」という初代天皇の称号を渡せと迫ったわけです。出雲族という後ろ盾を失ったニギハヤヒは、圧力に屈して、すべての称号を返上します。

この時、「大和族(後の大和朝廷)お得意の系図改ざんがあった」と、第73世武内宿禰さんは言います。
(続く)

出雲族と大和族の話(第6話) 「歴史なんでも(69)」

あくまでも私の推測ですが、スメル族の2グループが日本へ戻る道のりは、紆余曲折の連続だったのではないかと思います。なぜなら、シュメール人が突然消えたのは、紀元前2000年ごろとされています。そして彼らがようやく日本にたどり着いたのは、どうやら紀元前4、5世紀ごろなんですよね。その間、1500~1600年間もシュメール人(スメル族)はあちこちを放浪していたことになります。まあ、中にはもっと早くに日本に戻ってきた人たちもいたのかもしれませんが、それについてはよくわかりません。

第73世武内宿禰さんの話に戻ります。スサノオのグループ(後の出雲族)は陸路日本へ向かい、北九州に上陸します。一方、スメラミコトたち(後の大和族)は、海路日本に向かい、九州の南にある高千穂に上陸(天下り=海下り)しました。そしてそれぞれのグループは、当時日本にいた「原日本人」たちをどんどん征服していくんですね。

やがて紀元前4世紀ごろ、この二つのスメル族のグループの間で戦いが勃発。一進一退の攻防が続きます。そのころの出雲族は日本海側を支配、大和族は瀬戸内海を海路東進し、近畿地方に入ります。一時は出雲族スサノオと大和族アマテラスの間で政略的な結婚が成立するなどして和睦がありますが、大国主の息子の事代主が王の時代に再び戦争となり、大和族が出雲族を制圧します。

その結果、大和族の王であった神武(サノ彦)が事代主の娘を娶り、大和朝廷が確立します。紀元50年のころだと言います。このとき大和族の武内宿禰は、出雲族の物部から八雲叢雲十種神宝の行法を奪ったので、いまでも正統竹内家にこの行法が伝わっているそうです。

敗れた出雲族は関東・東北地方に逃げ、のちに蝦夷(エゾ、エミシ)となります。最初から日本にいた人たち(縄文人、原日本人)は、サンカとなりました。
(続く)

出雲族と大和族の話(第5話) 「歴史なんでも(69)」

巨麿さんが公開した竹内文書同様、宿禰さんが口承伝授された正統竹内文書も、神々が地球に降臨したところから始まります。口伝では、神々は北極星、昴、オリオンの三ツ星からやってきたことになっていますが、宿禰さんは天孫降臨=宇宙人飛来説はとっていません。生命の元となる魂がそうした宇宙からやってきたと解釈しているそうです。

途中の歴史は端折って、何度かの天変地異を経て現代の地球文明が始まった時代に進みます。今から1万2000年ほど前、世界各地で大洪水が起きた後、最初の文明を築いたのは日本であったと宿禰さんは言います。「縄文文化」と呼ばれていますが、確かに実質的には世界最古の文明であった可能性が強いですね。

やがて最初の文明を築いた人たちは世界中に散って行き、文明を広めて行きます。
日本から大陸に渡った人たちは、理想の国を大陸に求めたのだそうです。大陸に渡った人たちの中には、のちに出雲族となるグループと、のちに大和族となるグループがいました。彼らは別々のルートでメソポタミアにたどり着き、合流。太陽を信仰するスメル族、すなわちシュメール人と呼ばれ、そこに古代文明を築きます。

シュメール人の最大都市はスサと呼ばれ、スサの王をスサノオと呼んだそうです。スサノオは政治・軍事をつかさどる王として君臨し、のちにこの政治・軍事グループは出雲族となります。一方、それとは別に祭司をつかさどる者たちをスメラミコトと呼んだそうです。スメラミコトの祭司グループはのちに大和族となります。

そのあと、突然シュメール人たちは姿を消すのですが、どうやら一部は中東まで行きユダヤとなったグループもいたみたいです。

なぜシュメール人たちは、メソポタミアの地を去ったのか。それは自然と共生するという彼らの古神道的な理念や信仰が、厳しい砂漠の風土に馴染まなかったのだと宿禰さんは言います。砂漠の地方では自然は人間に敵対するものでしかなく、理想とは程遠い地であった――。失望したシュメール人たちは、再び二手に分かれて日本に戻ることにしたのだそうです。
(続く)

出雲族と大和族の話(第4話) 「歴史なんでも(69)」

正統竹内家当主である「武内宿禰」を引き受ける覚悟を決めたむっちゃんは、長老メンバーによる「霊嗣之儀式(ひつぎのぎしき)」を受け入れます。この秘儀によってむっちゃんは、自分の身に武内宿禰の魂、記憶のすべてを流入させました。すると、第一世の武内宿禰の霊を嗣(つ)ぐだけでなく、第一世から第72世までの歴代72人の宿禰の記憶のすべて、それこそ苦悩や高揚、恋愛感情までも継承することになったのだそうです。

何かすごい秘儀ですね。竹内文書を世に出した竹内巨麿も、鞍馬山の奥にある大悲山で神霊から秘儀を伝授されたといいますが、竹内文書にかかわる人は、神がかり的なので、びっくりです。実際のところむっちゃんは、武内宿禰になるまで神がいるとは思っていなかったのですが、それ以後、数々の神秘的体験により「神を実感」するようになったそうです。

この秘儀を経て、むっちゃんは「南朝越中宮家」及び「吉野朝廷」摂政宮祭祀王に就任します。そして、それから二十数年というもの今日に至るまで断続的に、大和族によって改ざんされる前の歴史である「正統竹内文書」と古神道・古武術の秘儀を口承で伝授され続けているのだそうです。

非常に興味深い秘密結社であり、秘儀の口伝方式ですね。それぞれの長老は自家に伝わる秘伝・秘儀のオーソリティーなのですが、全体像はわからない。ところが武内宿禰に選ばれた者だけが全体を知る。まるで重要なデータをバックアップする「フロッピーディスク(編注:今風に言えばUSB)みたいなものです」とむっちゃんは言います。

この話が本当だとすると、大正時代には一円札にも描かれた「武内宿禰」なる歴史上の人物は、一人ではなく世襲名であったことになりますね。道理で歴代天皇に仕え約300歳まで生きたという伝説が生まれるはずです。世襲だったら、何代もの天皇に仕えることができますものね。

それでは「正統竹内文書」口伝継承者である第73世武内宿禰さんが、出雲族と大和族の話をどう伝え聞いているか、次にご紹介しようと思います。
(続く)

出雲族と大和族の話(第3話) 「歴史なんでも(69)」

むっちゃん1217さん(以下むっちゃん)の説をご紹介する前に、彼が第73世武内宿禰になったいきさつを少し説明しておきましょう。

それは彼が19歳の時でした。どこからともなく謎の使者が現れて、武内宿禰を補佐する長老メンバーの一人であると告げたうえで、むっちゃんに「武内宿禰」になるように告げたのだそうです。最初、むっちゃんは何のことがさっぱりわからなかったのですが、だんだんと事態が飲み込めてきます。その使者によると、どうやら日本には古代から、武内宿禰の血統を継ぐ数家が、それぞれに門外不出の神典・秘儀を分散して継承し続けてきたというんですね。そして、それぞれの家が継承してきた神典・秘儀のすべてを継承するのが「武内宿禰」になるのだそうです。

しかも、むっちゃんが「武内宿禰」に選ばれたいきさつというのが凄いんです。1767年12月に亡くなった「武内宿禰」の予言により、決まったというんですね。どういうことかと言うと、そのとき亡くなった「武内宿禰」さんは、「100年後に王政復古を成し遂げたのち、99年後に蘇る」と「遺言」したのです。つまり、1767年に100年を足して1867年に明治維新があり、さらにそれから99年足して1966年12月に生まれたものが1767年に亡くなった武内宿禰の生まれ変わりであるというわけです。そう、その1966年12月17日に生まれたのが、「むっちゃん1217さん」だったんですね。

驚いたのはむっちゃんでした。「なんじゃ、それは!」という感じだったでしょうか。そう思うのも無理はありませんね。むっちゃんも最初は、「私のような人間では人を救ったりすることはできない」と断りました。ところが長老グループは、「人は救わなくてもいい」と言います。「では何をするんですか」と聞き返すと、「祈って伝えるだけだ」と言います。さらにむっちゃんが「救わなくてもいいんですか」と畳み掛けると、長老グループは「結構です」と言う。むっちゃんはその時の変わったやり取りを今でもはっきりと覚えていると言います。

むっちゃんはとうとう決心をします。「普通の人ではない世界に身を置くのもいいのではないか。祈って伝えるだけなら、私にもできるのではないか」と。むっちゃんは、「武内宿禰」を引き受けることにしました。
(続く)

出雲族と大和(日向)族の話(第2回) 「歴史なんでも(69)」

大和(日向)族がなぜ、出雲族と一致協力して国を築くことに反対したのか。その真の理由はわかりません。先に着いたものが日本を支配するのは当然だと思ったのか。そうだとしたら、すでに日本に暮らしていた人々こそ先住権がありますよね。それは出雲族にしても同じ話です。考えられるのは、それほど武力や技術力において大和族と出雲族が突出した存在だったということなのでしょう。

さて、その大和族と出雲族の抗争ですが、初期の戦闘における出雲族の勢いに押された大和族が和議を申し出て、イザナギとイザナミの娘アマテラスを出雲族フツの息子スサノオと結婚させます。この婚姻により二部族間の結びつきが強まり、協力して日本を治めるという目的が達せられたかに思われました。

ところが、大和族の一部のグループは出雲族との協力関係を快く思っていなかったようです。彼らは強力な呪術集団で、結界を張ったり呪術を施したりするなどして出雲族を排除するように画策。ほどなく大和族と出雲族が再び対立するようになります。

おそらく大和族は事前に戦争を予期して準備を整えていたのでしょう。出雲族は次第に劣勢となり、東へ東へと追いやられ、諏訪から東北へと敗走します。こうして大和族の神武は出雲族を追い出して、「初代天皇」として大和政権を樹立するわけです。同時に歴史を改ざんし、本来は(おそらく連合政権の)初代天皇であったニギハヤヒの役割を大和族に都合のいいように変えてしまうんですね。

その後も大和政権は出雲討伐の手を緩めませんでした。桓武の時代には坂上田村麻呂を東北に派遣して、蝦夷として出雲族を征討しました。

さて、いまご紹介した大和族と出雲族の抗争の歴史は、チャネラーの北川恵子さんの説ですね。私はその説をそのまま信じているわけではありませんが、妙に合点が行く部分もあり、一つの有力な説として興味深く記憶に留めておきました。

そしてこの話を聞いてからしばらくして、非常に似たような話を聞くことになります。それが拙著『竹内文書の謎を解く』の第3部にも登場する、古神道の神主であり第73世武内宿禰の称号をもつ「むっちゃん1217」さんの説だったんですね。
(続く)

出雲族と大和(日向)族の話(第1回) 「歴史なんでも(69)」

古代日本において、九州・宮崎に本拠地を置いた日向(後の大和)族と、山陰地方・島根に拠点を築いた出雲族があり、その二つの部族の間で抗争があったという説は拙著『不思議な世界の歩き方』の第14章「知られざる人類の歴史」でもご紹介しましたね。

簡単に説明すると、パミール高原にいた天(アマ)族は紀元前3世紀ごろ、「人類の進化を促し、真の繁栄に導く」ため、陸路と海路の二つのグループに分かれて、活火山が多く、「人類の進化と活性化に適した磁場を持つ地域」である日本列島を目指します。

最初に日本に到着したのは、ネパール、インドを経て中国の江南地方から博多湾沿岸に上陸した陸路グループでした。彼らはすでに九州にいた部族を併合しながら日向地方(現在の宮崎)まで南進・平定し、日向族として君臨します。

一方、インドから東南アジアの島々を経由して朝鮮半島に渡った海路グループは、壱岐島から出雲に上陸、出雲族となります。

日向族の族長にはイザナギ、イザナミが、出雲族の族長にはスサノオの父フツがいました。パミール高原を出発するときの約束では、日本で合流したら一致協力して日本を治め、「人類の進化と文化の隆盛を促す」はずだったのですが、先に強大な国家を九州地方に築いた日向族はそれを拒み、逆に出雲族が保持する皇位継承の証である「十種神宝(トクサノカンダカラ)」の引き渡しを求めます。

この要求に納得できなかった出雲族は、日向族に戦いを挑むことになりました。
(続く)

ある日の富士山 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

雪が降った後の富士山です。

富士山

裾野の下の方まで雪が積もっていますね。

その同じ日の夕方の富士山。

富士山

裾野の付近には雲が漂っています。
その富士山の前を船が緩やかに通り過ぎて行きます。

静かな夕方の風景ですね。

富士山

いずれも2月13日に撮影しました。

暴風雨の後の静けさ 「今日の出来事(966078)」

昨夜半ごろから強烈な暴風雨となり、明け方まで猛威をふるっておりました。
でもこういう時こそ、翌日は綺麗に晴れるんですよね。
そこで朝は写真撮影にいつもの場所に出かけます。

朝もやの中の伊豆半島です。

伊豆半島

幻想的な雰囲気がありますね。
ところがこの後、再び天気が悪くなり、雨が降り出します。

それでも夕方にはこの通り。

夕陽

太陽が顔を出し、地上を明るく照らします。

富士山は雲の中でしたが・・・

富士山

今日も素晴らしい夕景でした。

夕景

大室山と竹内文書 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

英国エイヴベリーにある人工マウンド「シルベリーヒル」にそっくりな伊豆半島・大室山を、対岸から望遠で撮影しました。

大室山

頂上部の火口のような窪みも、よく写っていますね。相模湾を挟んで60キロ離れた場所からでもこのようにはっきりと見えますから、のろしを上げたり、鏡などを使って光通信をしたりすることは意外と簡単にできたのではないかと思っています。

たとえば、大室山から三浦半島最高峰の大楠山、大楠山から衣笠山や房総半島へ、あるいは大室山から丹沢の大山、大山から奥高尾の日影山へと、山の頂上を結んだ光通信網を古代人は作っていたのではないかと思うんですよね。

日本列島を網の目のように結んだ光通信網が古代において存在したーー古史古伝・竹内文書を読み解いてゆくと、そのような古代文明が浮き彫りになってきます。先日は第73世武内宿禰さんにも口伝竹内文書(正統竹内文書)の面白い話を聞いてきましたので、いずれこのブログでもご紹介できるのではないかと思っています。ちなみに来月9日発売の月刊ムーに掲載される原稿も竹内文書に関係する話が書かれていますので、お楽しみに。 

水鳥たち 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

散歩をしていると多くの鳥たちに出会いますが、今日ご紹介するのは水鳥や海鳥たちです。

まずは鴨さん。

鴨

こちらはカップルで、川辺でのんびりお昼寝です。

鴨

別の川ではシラサギが・・・

シラサギ

獲物を狙って川の中を歩いていました。

そして海にはカモメが悠々と泳いでいます。

カモメ

そしてそのそばの岩場には、ちょっと見慣れない海鳥が・・・

海鳥

どうやらウミウのようです。

ウミウ

四羽、羽根を休めておりました。
鳥たちに出会うことも散歩の楽しみになっています。

いざ鎌倉へ 「今日の出来事(966078)」

今日は図書館で本を借りるつもりでしたが、休館であることに途中で気づきます。でもせっかく「下界」に下りたので、鎌倉へお散歩。その鎌倉でも雪が少し残っていました。

北鎌倉

いつものコーヒー店で深煎りコーヒーをいただいた後、鶴岡八幡宮へ大銀杏を見に行きます。

大銀杏

倒木して一時はどうなるかと思いましたが、ひこばえ(樹木の切り株や根元から生えてくる若芽)が生えるなど元気に育っているようですね。素晴らしい生命力です。

昨日は月刊ムーから初校が送られてきて、それをチェック。その原稿は来月9日発売のムー4月号に掲載される予定ですので、お楽しみに。

伊豆大島と青い海 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

私の書斎の窓からちょうど伊豆大島が見えるのですが、いつもいつも見えるわけではありません。
この日は、初島が見えるほど空気が透き通った日でした。
だから伊豆大島もこんなにはっきり。

伊豆大島

海の青色が濃いですね。
大島の手前の海上に浮かんでいる黒い影は、島ではなく船です。二艘見えますね。

伊豆大島のほぼ全景です。

伊豆大島

1月16日に撮影しました。
その同じ日の夕焼けです。

夕焼け

伊豆半島へと太陽は沈んで行きました。

夕日の赤富士 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

葛飾北斎の絵などで有名な赤富士は、主に晩夏から初秋にかけて、早朝に富士山が朝日に染まって起こる現象ですが、ここでは夕焼け時によく見られます。

赤富士

頂上付近だけの赤富士ですが、赤い光がさっと差し込んで赤く染めておりました。
ちなみにこの写真は元日に撮影した富士山でもありました。

元日の昼間に撮影した富士山はこちらです。

new year

mt.fuji

この日は早朝と昼間までは快晴でしたが、夕方には雲が出てきました。同じ日でもどんどん色彩と雰囲気が変わっていくのがわかりますね。

隠れん坊をする夕陽 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

夕陽は時々、かくれんぼをして見えなくなります。

この日もどこに隠れているかと探したら・・・


・・・いました、いました、こんなところに!

夕陽

窓の中に隠れていたんですね(笑)。

夕陽

窓に映った、丸くて大きい夕陽です。
1月25日に撮影しました。


雪の世界へ 「今日の出来事(966077)」

ご存知のように、今日はこちらでも雪の世界となりました。
朝方から降りはじめて、初めは雪もすぐに融けてしまい、積もることはありませんでした。ところが午後2時ぐらいから、真っ白な世界に変わります。

雪

雪だるまを作る人たちも見えます。

雪の上には足跡がくっきり。

雪

久しぶりの「大雪」です。

木々にも雪が積もり、完全な雪景色。

雪景色

ゼラニウムの花もすっかり白く化粧をして、見るからに寒そうです。

雪化粧

まだまだ厳しい寒さが続くそうなので、皆様ご自愛くださいませ。

縞模様の星は木星? 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

何と今日ご紹介するのは、縞模様のある木星・・・・

木星?

最近のデジカメは望遠鏡のように何でも撮影できます・・・


夕陽

・・・なんてことはなく、雲の筋が入った夕陽でした(笑)。
毎日いろいろな顔の夕陽に遭遇することができます。
1月29日に撮影しました。

抽象画のような太陽 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

太陽の形が崩れて、時々抽象画のような夕陽が見られることがあります。

太陽

水彩画の世界みたいですね。

太陽

太陽の形も雲の中に融けて、ゆらゆらと揺れる「黄金の陽炎」のようです。

太陽

この日は最後まで丸い形を見せないまま、伊豆半島の向こうへとゆらゆら揺れながら消えて行きました。

1月30日に撮影しました。




世にも不思議な木? 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

今日ご紹介するのは、世にも不思議な・・・

雀の木

・・・雀(スズメ)のなる木です(笑)。

ほら、こんなにびっしり。

雀の木

たわわに実っています(笑)

雀の木

この時期散歩していると、こうした光景によく出会います。

雀の木

これだけたくさんだと爽快ですらありますね。
1月12日に撮影しました。

青の世界とオレンジの世界 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

思わず、ため息が出るような色の世界に巡り合う瞬間があります。

まずは青の世界。

青の世界

秦野の大山や丹沢山系を写した風景です。
青い山脈といったところでしょうか。幾重にも山が重なって見えますね。

次はオレンジの世界。

オレンジの世界

夕陽が沈む伊豆半島を写した風景です。
雨雲と夕焼けの薄暗さに挟まれて、夕陽が海を照らし出しています。
陰影に富んでいますね。

青の世界は1月16日、オレンジの世界は1月6日に撮影しました。

満月と飛行機

今日ご紹介するのは、1月18日に撮影した満月です。

満月

三脚を使わないにしては、うまく撮影できました。
そのうち、月面のUFO基地を撮影してみましょう(笑)。

UFOではありませんでしたが、満月のそばを飛行機が飛んでゆきました。

満月と飛行機

満月と飛行機

もうちょっと満月に近かったらよかったんですがね。ここは羽田や成田からの旅客機が飛ぶルートにあるようで、時間帯によってはひっきりなしに上空を飛行機が飛んでゆきます。
次は満月と飛行機をもっと近寄せて撮影できればと思っています。

赤と黒の影絵の世界 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

太陽が西の空に沈むと・・・

夕陽

そこに赤と黒の影絵の世界がやってきます。

夕陽

雲が夕陽の残照で浮き彫りになり・・・

夕陽

台地が漆黒に染まると、赤くなった空との対照が際立ちます。

夕陽

赤と黒の影絵が一番きれいな時間。

夕陽

1月31日の夕日の連続写真でした。

初島現る! 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

この日は本当に空気が澄んでいて、どこまでも見渡せる、そのような日でした。
いつものように、対岸の伊豆半島を見ていると、今まで全く気付かなかったものが目に飛び込んできます。

初島

わかりますでしょうか、伊豆半島の手前に大型タンカーのような、細長い影が写っているんですね。最初は巨大なタンカーかとも思ったのですが、よく見ると、鉄塔のようなものや建物まで見えます。それは明らかに島影だったんですね。今まで一度も見たことがない島影です。

初島

早速地図で調べたところ、この島影が初島であることがわかります。

初島は熱海や伊東からフェリーで25分ほどの相模湾にある「首都圏から一番近い離島」と言われている島。全て火山島である伊豆諸島と違い、海底が隆起して海上に姿を現した海成段丘(隆起と海水の侵食によって出来た地形)の島だそうです。現在初島灯台が建っている第1段丘(島内最高地点;海抜約50m)付近は、地質学的な調査によると2万年ほど前に海上に姿を現したのではないかとみられています。

林芙美子の小説『うず潮』の舞台にもなっているとか。

本当に空気の澄んだ日にしか見えません。ここで暮らして2年になりますが、初めて見た初島でした。1月16日に撮影しました。

山里は春のごとし 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

こちらの山里には、もう春が来たかのように日本水仙が咲き誇っています。

山里

水仙はとてもいい香りがするんですよね。今日も屋外でお昼を食べましたが(ただし炬燵付きのテーブルでした)、時折水仙の香りが漂ってきて、しかも暖かくてとても快適でした。

白梅や紅梅もちらほらと咲いて、山を賑わわせています。

山里

のどかな山里の風景ですね。
いずれも1月30日に撮影しました。



週刊プレイボーイの「裸デビュー」を読めない人のために 「今日の出来事(966077)」

週刊プレイボーイに掲載された私の裸(眼)写真(本と著者の紹介記事)を見たいけれど、恥ずかしくて読めない方のために、こんなサイトを見つけました。

集英社の週プレのサイトですね。
ご興味のある方(?)は、私のグラビア写真をとくとご覧ください(笑)。

夕陽と雲と海の競演 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

この日も太陽が海をキラキラと光らせていました。

太陽と海

おや、中央下に何か写っていますね。
拡大してみます。

光

まあ、逆行による光の乱反射かもしれませんが、綺麗な虹色の光のボールにも見えます。

やがて日が暮れますが、この日もまた雲の層に夕陽が飛び込んでいくように沈んでいきます。

夕陽と雲

まるで雲が太陽の熱でジュッと融けて行くみたいにも見えます(笑)。

そして夕日が完全に雲に隠れた時・・・

夕陽と海

なんと海が薄紫色に染まったんですね。

夕陽と海

オレンジと紫の見事な競演でした。
いずれも1月31日に撮影しました。

雲と光の競演 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154197)」

雲と太陽の光が織りなす競演には、いつも感嘆させられます。

この日(1月15日)も太陽の光に照らされて雲が際立ちます。

雲と光

葉山の御用邸前の海岸では、巨大な柱のような雲が沖に向かって伸びておりました。

雲と光

天の架け橋みたいですね。

そして1月29日の雲はこんな感じでした。

雲と光

モコモコした雲はいろいろな形に見えてきますね。まるで生き物のようです。

雲と光

まさに光と雲の競演。

おや中央に未確認飛行物体が・・・

カラス

この形はたぶんカラス君ですね。ブーメラン型のUFOかと思ってしまいました(笑)。

1月に撮影した雲の中からお気に入りの写真をご紹介しました。

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白山菊理姫竹内文書

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