白鳥ラインの謎5(夏至の日の祭祀) 「不思議な世界(409)」

なぜ同時刻である必要があったのでしょうか。

私は先に、同時刻にしたほうが効率的だと書きましたね。漠然といつ上がるかもわからない狼煙などの通信を待つよりは、時間を決めたほうが、はるかに効率がいいに決まっていますものね。それは現代のインターネットを使った同時双方向会議でも同様です。もちろん、それが一方的な通信であれば、随意の時刻に大々的に狼煙を上げるなど目立つ方法で連絡を取れば済んだかもしれません。

ところが古代人にとって、同時刻双方向通信でなければならない理由があったように思えてならないんですね。すなわち狼煙による通信以外のことも、こうしたラインを使ってやっていた可能性があるように思うんです。そうでなければ、羽根や白鳥にちなんだ地名がライン上に残っている理由が浮かびません。もっと太陽信仰や霊鳥信仰、山岳信仰など彼らの信仰や信念に根ざした目的があったからこそ、現代に至るまで羽根や鳥にちなんだ地名が残ったとみるべきではないでしょうか。

結論を言えば、同時刻に何らかの祭祀や儀式をしたのではないか、との仮説が成り立つのではないかと考えています。ここにもやはり太陽信仰があるのではないでしょうか。たとえば、伊勢・二見ヶ浦の夫婦石を思い出してください。夏至の日の出が、海に突き出た夫婦岩の間から、しかも富士山の頂上から昇り、そのときに禊をするんですね。そこには決まった時刻と信仰が同時に存在しています。二見ヶ浦は白山の羽(鳥)のラインのほぼライン上にあることも関係ありそうです。

おそらく富士山の頂上でもほぼ同時刻に、夏至の日に何らかの儀式や祭りをしたのかもしれません。富士山頂で夏至の日の太陽が昇るころ、白山とともに三聖山とされる立山でもほぼ同時刻に日が昇ります。日の出の時刻ラインは、そのまま平行に西に進み、位山に達したときに、ほぼ「もう一つの羽根のライン」と一致します。そのとき、位山の頂上からは乗鞍岳の方向から日が昇るのを確認できるはずですね。日の出の時刻ラインが白山まで到達したとき、白山山頂からは立山からのご来光を拝むことができるでしょう。

そして今度は、夏至の日の正午。太陽がちょうど南中する時刻に、位山の羽根ラインと白山の羽(鳥)のライン(白山・伊勢ライン)上で儀式を執り行うことになります。日没時には富士山から南アルプスの山々の彼方にそびえる白山の方角に日が沈んでいきます。逆に白山から富士山方面を見ると、御岳山の彼方にそびえる富士山の頂に最後の残照が映えていたはずです。
白山からは位山や立山はよく見えるそうです。

しかし、白山と富士山の間には御岳山や南アルプスの山々があるため、白山から富士山を見ることはできません。お互いの姿が見えない山の間で、ほぼ同時刻に儀式や祭りなどあったのでしょうか。

あったのではないかと私は思っています。少なくとも、富士山と白山の間に何か関係がありそうなことは、伝説にも残っていますね。白山と富士山の背比べ伝説です。

駿河の人と加賀の人が、それぞれのお国の山を自慢。富士山と白山のどちらが高いか比べることになりました。加賀の人が不眠不休で竹を使って長い長い樋を造り、それを白山の山の上から富士山の方向へと伸ばしていきました。やがて樋の先がゴツンと何かにぶつかります。すると樋の向こう側から狼煙で合図があったので、白山側から水を樋に流しました。水は最初、富士山の方へ流れていきましたが、途中で水が白山の方に流れるようになりました。これでは白山が背比べで負けてしまうと思った加賀の人が、自分の履いていたわらじを樋の下にそっと置いたところ釣り合うようになった、という面白い話です。

富士山と白山の間にある「ライバル意識」や、狼煙による合図の存在など、白山と富士山をつなぐ因縁が示唆されているように思えてきますね。古代において、聖なる山々を結ぶ何らかの儀式がこうした伝説の背景にあるのではないでしょうか。

もちろん、これらは推測であり、夫婦岩の夏至の儀式を除いては、実際にそのような儀式や祭りは現在では行われていませんし、行われていたという証拠もありません。ただ日本には古くから、特定の日に眠らないで「日の出」という特定の時刻を待って拝む「日待」という祭りがあったことは事実なんですね。待つは祭りに通じるとも言います。三日、一三日、一七日、二三日、二六日などに行う場合が多いんですよ。

日奉部と関係があるとの説もあります。その儀式は、われわれの生活にも深く根付いています。富士山などの山頂でご来光を待つのは、今でも生きている太古の太陽信仰の儀式の再現ともいえますね。日本中の山で初日の出を拝するのも、その信仰や祭祀の「なごり」ではないでしょうか。たとえば、日の出の時刻と関係する祭りには、次のような儀式や風習も伝えられています。
(続く)
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白鳥ラインの謎4(同時刻双方向通信) 「不思議な世界(409)」

秋山さんたちは時計を使って狼煙の実験を成功させましたが、では古代人はどうやって狼煙の時刻を決めたのでしょうか。

そこで登場するのが、24度傾いた白鳥ラインなんですね。これこそ日の出や日の入りの時刻を利用した通信システムではないかと私には思えるんです。私は最初、このラインが三〇度の傾きであれば、うまく説明ができるのになあ、と思っていました。30度のラインなら、古代人が環状列石を使って観測していた夏至の日の出時刻ラインであり、冬至の日の入りラインであったからです。しかし二四度では、夏至の日の出時刻ラインでもなければ、冬至の日の入りラインでもありません。

そこで私はもう一度、『理科年表』を詳しく調べることにしました。二四度の傾きの意味を見つけることができるのではないかと思ったのです。

するとそこには、実用的な答えがあったのです。

たとえば、東経一三九度〇二分、北緯三七度五五分に位置する新潟市と東経一四〇度〇七分、北緯三五度三六分に位置する千葉市の日の出時刻を比較してみましょう。新潟市と千葉市の南北方向に対する角度は、ほぼ時計の反対周りに二四度傾いています。すなわち、白鳥ラインと同様に北北西二四度のラインと考えられますね。

二〇〇四年元日の新潟市の日の出時刻は午前六時五九分であるのに対して、千葉市は午前六時四九分と、一〇分も千葉のほうが早いことになります。ところが四月一〇日ごろから九月七日ごろまでの約五ヶ月間、両市の日の出時刻はほとんど同じ(五月一〇日ごろから七月二九日ごろまでは逆に新潟の日の出時刻のほうが一~三分早くなる)か、異なっても三分以内の時間差にとどまっています。これであれば、少なくとも夏至の前後五ヶ月間は、日の出の時刻をもって相互に連絡を取り合うことができるんですね。これはあくまでも水平線から登る太陽の時刻なので、日本列島の起伏を考えた場合、もっと大雑把でもほぼ同時刻ととらえてもいいはずです。そこで時間差を五分でも許容範囲とすれば、三月一一日ごろから九月二七日ごろまで七カ月間弱、日の出の時刻をもって相互連絡が可能となるわけです。

また、一〇月七日ごろから三月一一日ごろまでの冬至の前後五カ月間は日の入りの時刻が両市でほぼ同じか、異なっても三分以内に収まっています。これも五分の時間差を許容範囲とすると、九月一七日ごろから三月二一日ごろまでの六カ月間、日の入り時刻をもって相互連絡ができることになります。このことから、理論上は、年間を通じて日の出と日の入りを用いて同時刻に双方向通信が可能だったことがわかります。

これで段々と古代に存在した光通信網の全体像が見えてきましたね。無数にめぐらした白鳥ラインは、夏至の前後5ヶ月間と冬至の前後5ヶ月間、双方向同時通信を可能にする光通信網であった可能性があるんですね。では、日の出・日の入り時刻の精度が落ちる春分の日と秋分の日の前後一ヶ月はどうしたかというと、ここで南北のライン(経線)である羽根ラインや、まだ説明していませんが、白山と伊勢を結んだ白鳥ラインを使うわけです。とくに春分や秋分の日には、同一経線上では日の出も南中も日の入りも同時刻に起こりますから、事前に決めておけば、それこそ一日中好きな時刻にコミュニケーションがとれたことになります。こうして一年を通じて、古代の人々は狼煙などを使った光通信で同時刻双方向通信をしていたのではないでしょうか。

仮に、コミュニケーションを目的として位山や白山の南北ラインや南北方向から北北西に二四度傾いたラインを設けたのならば、なぜそうまでも同時刻にこだわったのかについても考察してみましょう。
(続く)

白鳥ラインの謎3(光通信) 「不思議な世界(409)」

なぜ地軸と同じ傾きの平行線をたくさん引いたのか。

そこで思い出されるのは、位山を中心とする東経137度11分の羽根ラインが光通信として利用された可能性があるということです。詳しいことは拙著『竹内文書の謎を解く』のP81をお読みください。

謎を解く鍵は、羽根ラインの時と同様、時間ではないかと思うのです。時計のない時代に、いつも決まった時刻に遠距離間で連絡を取りたいときどうすればいいかを考えればいいんですね。狼煙を上げるにしても、数キロも離れた場所に連絡を取る際、時間を決めておいたほうが、はるかに効率がいいからです。

古代史などについて詳しい国際気能法研究所の秋山眞人さんは三〇数年前、当時住んでいた静岡県で狼煙による実験を行ったことがあります。頂上付近に磐座などがある神奈備型の三つの山の頂上で同時刻に焚き火を炊いて狼煙を上げ、それぞれの山からその狼煙が見えるかどうか確認したというんですね。

その三つの山は、ビク石、高根白山、烏帽子山(当目山)でした。焼津市から藤枝市にかけて屹立する標高約四〇〇~八〇〇メートルの山で、古代から神聖視されていたといいます。三つの山はそれぞれ、約八、九、一四キロ離れていました。三日間にわたる実験の結果、あらかじめ決められた時刻にそれぞれの山で上げた狼煙はすべて、それぞれの山からはっきりと確認することができたのだそうです。時間を決めて狼煙を上げれば、一〇数キロ離れた場所からも情報を交換できることが、この実験で証明できたと秋山氏は言います。

では時計のない古代においては、どやって時間を決めればいいのでしょうか。日の出や日没でしょうか。ところがそうはいかないんですね。日の出や日没の時刻は、経度、緯度、季節によって異なってしまうんです。たとえば、東経一三六度三一分、北緯三四度四四分に位置する三重県津市と、東経一三六度三九分、北緯三六度三九分に位置する石川県金沢市の日の出時刻を比較してみましょう。

国立天文台の『理科年表』によると、ある年の元日の津市の日の出時刻は午前七時〇一分であるのに対して金沢市は午前七時〇五分と、津のほうが四分だけ早いんですね。ところが、同年五月三〇日の日の出時刻は津が午前四時四三分、金沢が午前四時三七分と逆に金沢のほうが六分も早くなるんです。これは、太陽は東から出て西に沈むので東の地点ほど日の出日の入りが早くなる一方、日の出の方位が、夏は東西線よりも北寄りとなり北のほうほど日の出が早くなり、冬は南寄りとなり北のほうほど日の出が遅くなるからです。確かに、日の出時刻を使ったのでは、何キロも離れた遠方の地域と同じ時刻に連絡を取り合うことはできませんね。

そこで地軸の傾きが大切になってくるわけです。
(続く)

白鳥ラインの謎2(無数の平行線2) 「不思議な世界(409)」

ここで、芦野氏が調べた「白鳥ライン」を紹介しておきましょう。

(A)近畿地方
(1)滋賀県永源寺町白鳥神社と同県能登川町白鳥神社
(2)奈良県室生村白鳥神社と京都市東山区福稲白鳥神社
(3)大阪府柏原市鳥取天湯河田神社と京都府網野町網野神社
(4)大阪府阪南市鳥取波太神社と兵庫県八鹿町和奈美神社

(編注:天湯河田神社、網野神社、波太神社、和奈美神社はいずれも『日本書紀』の誉(ほむ)津(つ)別(わけの)皇(みこ)子(と)の伝承に出てくる、白鳥を捕らえて鳥取造という姓を賜った天湯河板挙命またはその系譜を祭神としているので白鳥関連地名であると芦野氏は考えている。)

(B)中部地方
 (1)長野県東部町海野の白鳥神社と山梨県富士吉田市小明見の白鳥神社
 (2)富山県黒部市荒俣の白鳥神社と静岡県南伊豆町吉田の白鳥神社
 (3)石川県津幡町加賀爪の白鳥神社と愛知県津具村の白鳥神社
 (4)岐阜県白鳥町白鳥神社と愛知県作手村白鳥の白鳥神社
 (5)愛知県東郷町諸輪の白鳥神社と同県岡崎市大和の白鳥神社

(C)関東地方
 (1)茨城県神栖町田畑の白鳥神社と同県鉾田町徳宿の白鳥神社と福島県下郷町白岩の白鳥神社と新潟県中条町の白鳥山
 (2)神奈川県川崎市麻生区の白鳥神社と埼玉県小川町勝呂の白鳥神社と群馬県東村奥田の白鳥神社

このほか中国・四国地方にも同様な平行線が三本引けることが確認されており、これらがすべて、ほぼ北北西二四度の角度で平行線を形成しているのです。

これほどまでのラインが平行で並んでいるというのは、尋常ではありませんね。しかも地軸の傾きと一致しているのですから、何らかの意味がそこに隠されているはずです。

このユニークな平行線について芦野氏本人は、「古代白鳥が日本海を直接横断して列島に飛来した軌跡であろう」としています。でもそれでは、地軸の傾きと一致することになる理由や、平行線となる理由の説明にまったくなっていませんね。

この白鳥ラインには、もっともっと面白い謎が隠されているはずです。そこで思い出されるのは、位山を中心とする羽根ラインが光通信として利用された可能性があることなのですが、その話は長くなるので、また明日。
(続く) 


白鳥ラインの謎1(無数の平行線) 「不思議な世界(409)」

古代日本には日本列島を測量した技術集団がいたということは、既に何度も書いてきました。その証拠が東経137度11分の羽根ラインであり、あるいはそれに対抗するかのように引かれた、出雲大社から鹿島神宮まで東西を横断する国譲りラインであるわけです。それらは私が「ムー」に書いたとおりです。しかし、この二つのラインとは別に、おそらく羽根ラインと深いかかわりがあると思われる不思議なラインがまだ存在するんですね。それが今回ご紹介する白鳥ラインです。

白鳥ラインの奇妙なところは、時計の反対回りに南中線より24度傾いていることです。つまり北北西から南南東へと日本列島を横切るラインとなります。それが何本も存在するというのですから、まったく驚きです。

このラインは私が見つけたわけではなく、古代史家で白鳥研究家の芦野和泉さんが全国の白鳥神社など鳥に関係する地名を調べているうちに見つけました。その詳細は芦野さんの『白鳥の古代史』(新人物往来社刊)に書かれています。

芦野さんは、白鳥に関連する地名や神社を地図上に印をつけてみたところ、平行線が何本も引けることに気づきました。たとえば近畿・中部地方をみると、京都市福稲の白鳥神社と奈良県室生村の白鳥神社を結ぶラインは、富山県黒部市の白鳥神社と静岡県南伊豆の白鳥神社を結んだラインや、石川県津幡町の白鳥神社と愛知県津具村の白鳥神社を結んだラインと平行線になるんですね。さらにその平行線は、岐阜県内の三つの白鳥神社(白鳥町、七宗町、土岐市)と愛知県作手村の白鳥神社を結んだライン、愛知県の二つの白鳥神社(岡崎市と東郷町)を結んだライン、長野県東部町の白鳥神社と静岡県南伊豆町の白鳥神社を結んだラインとも並行になります。これらのラインはすべて、南中線からの傾きが約24度になっています。

拙著『「竹内文書」の謎を解く』をお読みいただいた方ならすでにお気づきだと思いますが、この傾き24度のラインは、私がもう一つの羽根ラインと名付けるラインとも平行となります。石川県羽咋市、岐阜県河合村の羽根、位山、長野県の根羽村、静岡県の浅羽町を結んだ「羽」という地名を結んだラインです。

さらに興味深いのは、この約24度という傾きは、地球が太陽を周回する公転面に対する地球の地軸の傾きと一致します。つまり、このラインは地球の公転面に対する垂線に該当するんですね。

これは偶然でしょうか。それにしては、鳥や羽にまつわる地名があまりにも整然として並びすぎていますよね。ならば、この地軸の傾きを知っていた何者かが、意図的に地名を並べたとも考えられるわけです。
(続く)

伊豆のピラミッドをめぐる旅の後記、および「はじまり」その2 「不思議な世界(409)」

推測するに、当時の私たちは、ゲルから日本のことを聞いていたのでしょう。おそらくゲルが既に日本各地に築いていたピラミッドのことも知らされていたように思われます。私たちはそれらのピラミッド複合施設を利用しながら、生活の拠点を作っていったのではないでしょうか。

問題は私たちの持っていた飛ぶ技術です。この技術を持っている限り、いずれはそのうわさが私たちの技術を狙うグループの耳に入り私たちを追ってくることは、火を見るよりも明らかでした。武器を持ったグループはその技術を使って、さらに大きな戦争を引き起こしかねませんでした。そこで私たちは、あくまでも推測ですが、空を飛ぶ技術を徹底的に隠したのです。そして、最後には封印し、葬り去りました。

一昨日の声は、このようにも告げました。
「彼ら(人間)は飛べないから高いところから見るしかなかった。
私たち(ゲル)は飛ぶものを持って(自分たちの惑星に?)帰らなければならなかったので、置き土産として山(ピラミッド)を造ったのだ」

どうやらゲルは、飛べない人間のためにも山を造ったようです。山はそれほど人間にとって大切なものだったのでしょう。その声によると、特に尖った山(ピラミッド)には周辺の情報が集まってきます。だから山の上に行くと人は今でも、その周辺に住む人間や動物や植物が元気であるかどうかの情報を拾うことができるのだそうです。だからこそUFOが時々山の上にやってきて、人間の想念や自然界のバランスが取れているかどうかをチェックしに来るのだとか。

山に住んでいない人たちのためには、ストーンサークルがありました。彼らはそこに情報を集めて観測したようです。そうした観測地点や山が富士山の周りにたくさんある気がします。

こうしてエジプトから逃れて来た私たちのグループは、山やその麓でしばらくの間は安全に暮らしていたようです。

山の上からなら、散らばった仲間がどこにいるかを知ることもできたようです。オーラとか気とかで、どこにいるかわかったのだといいます。追っ手が現れても、山の上からならそれを察知することができたみたいです。だからこそ、日本各地に「羽根ライン」や「白鳥ライン」など防衛ラインのようなものを張り巡らせたのですね。

ところが恐れていたことが起きました。「最新鋭の武器」を持った一群が、私たちのグループの所在を見つけ出したんですね。その武器を持った一群は出雲から入ってきました。いわゆる巨人(ゲル系)狩りが始まります。

私がそのときまで生きていたかどうかはわかりませんが、私たちの防衛ラインは次々に突破されます。私たちは山に逃げました。東へ東へ。散り散りになりながらも、ある者は山に隠れ生き延びたようです。これが大国主から国を奪った「国譲り神話」の原型となったのでしょう。

と、以上が私が一昨日に見た白日夢です。声はあくまでもインスピレーションのようなものですから、史実であるかどうかはわかりません。でも得てして、インスピレーションのほうが真実に近い場合が多いんですよね。

さて、ここまでが前口上です(笑)。
明日以降は、私たちが防衛ラインとして引いたとみられる「白鳥ライン」についてご紹介できればと思っています。
(「謎の白鳥ライン」へ続く)

伊豆のピラミッドをめぐる旅の後記、および「はじまり」 「不思議な世界(409)」

今回、伊豆・下田にピラミッドをめぐる旅で閃いたインスピレーションとも呼べる「声」のお陰でいろいろなことがわかりました。

その声は昨日も大いなる閃きを与えてくれます。それによると、古代の地球において人間に飛ぶ技術を教えたのはゲルだったというのです。ただこの技術は、いわゆる物質文明や科学技術による飛行技術ではないことがわかります。メカニズムはわかりませんが、もっと精神力とか念で飛ぶ技術みたいです。

ああ、なるほど、と私は思うわけです。ある能力者が私の名前を聞いただけで、今の科学では説明できないような乗り物に乗って空を飛んでいた映像が見えるというんですね。竹内文書に出てくる天空浮船とは、そのような乗り物であったと私は気付きます。今の科学常識で翻訳するならば「気球」というしかない乗り物。それが天空浮船の答えのような気がします。私の過去生と天空浮船(気球)の関係については、こちらのブログをご覧ください。

昨日の「声」は次のように言います。

「あんな機械を使わなくても、人間は飛べたのに」

あんな機械とは、現代の人類が使っている飛行機のことです。

このことから、ゲルの文明がどのようなものだったかがわかってきます。ゲルは精神力をかなり発達させた文明に生きる宇宙人なんですね。これに対してペルは、科学技術を徹底的に発展させた文明に生きる宇宙人のような気がします。ゲルは精神力でものを作ったり、機械など使わずにテレパシー交信をしたりします。そのため、能力には個人差があり、個人主義が発達します。一方ペルは、科学の力でテレパシーや瞬間移動などを実現できるまで発達したため、だれもが機械さえあれば同じようなことができるんですね。そのため同質の、それこそアリや蜂のようなコロニーを形成するわけです。

秋山さんがなぜペルと交信するとき、アゴに通信機を埋め込まなければならなかったかの理由もこれでわかってきます(このブログを参照してください)。ペルの持つテレパシー能力は科学技術で得たものなんですね。

もちろんどちらの進化が上とか下ということは、秋山さんが言うようにないわけです。秋山さん流に言うならば、「ただ位相が違うだけ」ということになります。

ゲル的文明とペル的文明。おそらくそのどちらに偏りすぎても、よくないのでしょう。そしてそのバランスの分岐点にあるのが、この地球ということなのかもしれません。地球は少し物質文明や科学文明に偏りすぎてきたので、もう少し精神文明に揺り戻そうという動きが出てくるのかもしれませんね。するとこれからは、芸術家の時代が到来するかも。

天空浮船に話題を戻しますが、古代において(私の勘では紀元前3000年ごろ)一部の人間はゲルから教わった飛行術を用いて空を飛んでいました。でもやがて、それらの飛行術を持つ人たちは追われる身となります。当時の最先端の武器を持った人たちが、飛行術を手に入れようとしたんですね。まあ、これもゲルとペルによる代理戦争の一つだったのかもしれません。

当時、エジプトにいた私たちのグループは、この惑星におけるゲルの故郷ともいえる日本に逃げました。そして一部は日本に定住し、あるものたちはさらに太平洋を越えてアメリカ大陸へと旅立っているようです。

あとは私が退行催眠で見た通りです。私たちは日本全国を測量し、羽根という地名を東経137度11分に配して、それを日本の子午線としたのです。
(続く)

伊豆のピラミッドをめぐる旅7(大室山ピラミッドとゲルの思い) 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154193)」

ピラミッドである下田富士とジッグラトである寝姿山の写真を撮ったので、今回の旅の目的はほぼ終了しました。えっ、でもまだ37の秘密がわかってないではないか、ですって。そう、確かに37の謎が解けたとはいえません。でも帰りの電車まで時間があったので、下田市内をぶらぶらしているうちに次のヒントが現れました。

そのヒントは何か。

それは伊豆高原にある大室山です。以前から気になっていた山でもありました。というのも、私の家の寝室から朝最初に見る伊豆半島の風景が大室山がある伊豆高原だからです。ブログでも以前紹介しましたね。

この一年間で私の部屋から大室山が見えたのは、冠雪のときと霧が大室山を浮き彫りにしたときの二回だけですが、三浦半島の対岸にある小さな山なのに遠くからでもはっきりと見える山だなと感心していたんですね。この綺麗な円錐形の山です。

Mt.Omuro

その大室山ですが、伊豆急下田駅前の観光案内所で何気にパンフレットを手に取ったとき、私は思わず心の中で「あっ」と叫んでいました。そこには大室山を空撮した写真が載っていたのですが、それが今年五月にイギリス・エイヴベリーで見たシルベリー・ヒルにそっくりだったんですね。

Mt.Omuro

そしてこちらがシルベリー・ヒルです。

silbury hill

シルベリー・ヒルは高さ五〇メートルほどの小山ですが、先史時代におけるヨーロッパ最大の人工のマウンドであることが確認されています。

ところが、日本では大室山は人工の山であるなどとは言われていません。単成火山(一回だけの噴火で形成された火山)であるとされています。でも、シルベリーヒルが人工のマウンドなら、大室山が人工であっても不思議ではないと思うわけです。奇しくもパンフレットには、「人工の山かと見誤るほどの美しさ」と書かれています。でも本当に人工の山だったとしたら・・・やはり下田富士と同様ピラミッドであると言えそうですね。

ちなみに下田富士と大室山を結んだラインは、大室山を小型化したような小室山(伊東市)を通り、相模湾をかすめて遠く茨城県にそびえる霊峰・筑波山を指しています。

これで、今回の伊豆ピラミッドをめぐる旅が終わりです。でも続きはまだまだありそうですね。37の謎は引き続き継続調査をしなければいけません。大室山や小室山にも登ることになるでしょう。そして秋山さんの前世リーディングを受けたときに示唆された富士山の北にある忍野のストーンサークル。これらをめぐる旅が私たちを待っているような気がします。

そんなことを考えながら踊り子号に乗って帰る途中、かつてこの地球で暮らしていた巨人族の宇宙人ゲルたちの思いが入ってきます。「(この地球に)私たちの理想の世界を作ろうと思ったのに、ペルが来て計画通りに進まなくなった」

これには説明が必要ですね。ゲルは大昔、この地球に降り立ち(不時着し)、暮らし始めます。やがてこの惑星では人間たちの進化が始まります。ゲルたちは彼らとも共存し、緑や水を守りながら自分たちの理想の世界を作ろうとしたんですね。

ところがこれを見た爬虫類系宇宙人のペルが「ゲルが地球で勝手なことをやっている」と訴えます。地球はペルの大好きな金など鉱物の宝庫でした。鉱物にあまり価値を見出さないゲルが地球に居座っているのが気に食わなかったのですね。ペルは進化しつつある人間に、後に武器などの技術や知識を与え、物欲などの価値観を植え付けます。実は、それらは人間に恐怖を植え付ける意味もありました。ペルには恐怖を食べている種もいるのです。加えて遺伝子操作もしたようです。それにより人間は短命になりました。この物語は、後にギリシャ神話のパンドラの箱や、旧約聖書のアダムとイブをそそのかす蛇(爬虫類)の話として語り継がれることになります。

ゲルに言わせれば、これらのペルの干渉は余計であり、やりすぎでした。なぜならゲルは、人間たちとは仲良くやっているつもりだったからです。やがてペルに操られた(そそのかされた)一部の人間たちのはゲルを襲うようになります。巨人狩りですね。それらはジャックと豆の木の話や、ヤマタノオロチや鬼退治のような物語として語り継がれています。

もともと体の大きさに差があることを不利だと思っていたペルの一部は、巨大なゲルやゲルが持っていた(飼っていた?)ドラゴンに対抗して、機械のドラゴン(鋼鉄のドラゴン)を造ります。こうしてペルとゲルによる、人間を巻き込んだ代理戦争のような諍いが地球規模で起こるようになってしまったんですね。

理想の世界を作るというゲルたちの夢は無残にも打ち砕かれます。もはや地球で暮らすことはできませんでした。ここまでせっかく造ったのに、という思いで、彼らは彼らの築いたピラミッド巨石文明の痕跡を世界各地に残し、去っていったんですね。

これでペルの邪魔者は居なくなりました。しかし、もともとペルたちも、「ゲルたちが地球に勝手に干渉している」と訴えて地球に干渉し始めたこともあり、地球に対してあからさまな干渉はできませんね。そこで、ゲルがいなくなった後の地球を見守るという口実で、ペルたちは間接的に、あるいは密かに地球に干渉し続けます。われわれは地球の監視役だというわけです。

ペルはそれほど地球の鉱物がほしくてしょうがなかったんですね。でもゲルや他の宇宙人たちば、ペルのやり口はお見通しでした。彼らもまた、ペルに対抗するために間接的に地球に介入し、ペルの思い通りにさせないようにしてきたのです。

そしてそのペルとゲルが和解したのが、2008年の6月24日であったことは以前ブログでもご紹介しました。もちろんこの和解に異を唱える一部勢力もいるでしょうから、和解の本当の効果はこれから徐々に現実界に現れるのかもしれませんね。

まあ、大体このような物語でしょうか。でもこの物語は私たちが帰りの電車の中で見た白日夢のようなものですから、心当たりのない方は読み飛ばしてくださいね。

こうして私たちは、キンメとアジの開きをお土産にして、一泊二日の下田の旅を終えたのでした。
(終わり)

空に浮かぶのは・・・ 「今日の出来事(966070)」

今日は中秋の名月。

the moon

時折雲に隠れますが、綺麗な輝きを放っています。

the moon

雲間から出ると・・・

the moon

煌々と輝きますね。
空に浮かんだお団子では決してありませんよ(笑)。

今日はパイプオルガンのリサイタルを聴きに原宿まで。音に魂(エネルギー)が宿ることを実感した日となりました。

伊豆のピラミッドをめぐる旅6(頭の上のピラミッド) 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154192)」

男女二人の神様が眠っている寝姿の山があるというのは、本当に意外な展開でした。そしてその二人の神様の頭の上に、下田富士というピラミッドがあるのですから、驚きです。それらはすべて、目に見えないガイドさんが教えてくれるのですから、ありがたいことです。竹内文書によると、神々の時代、スメラミコトは山で亡くなり、そこから神の国へと帰っていくことになっているんですね。その原型が、ガイドさんが教えてくれたこの二人の男女神の物語にあるように思われてきます。

頭の上にピラミッドを置くという発想も面白いですね。実は本来、人間の頭の上にはダイヤモンドのような形をした虹色に輝くものが回転をしているというんですね。もしそれを側面から見ると、二つのピラミッドの底辺を合わせたような形をしているわけです。つまり寝姿山のように体の半分上だけが山の形をとっているとしたら、そのダイヤモンドが地上に出ている部分はピラミッドのような形になります。

そこで初めて、マダム白鳥さんが言っていたピラミッドの謎と響きあうんですね。ピラミッドは円錐、あるいは四角錐と考えていては謎が解けないというんです。ピラミッドの隠された秘密は、四角錘を二つに合わせた形でみるとわかってくるのだそうです。この話はいずれ、別の機会でお話ししましょう。

さて写真撮影ツアーに戻ります。下田港の東側に回り込んで二人の神様の寝姿山を写したのはいいのですが、肝心な下田富士ピラミッドのほうは、武山の後ろに隠れてしまい、撮影が難しいことがわかりました。そこで今度は、下田港の西側に回りこみ、下田城山公園から下田富士を撮影することにします。

時間がたくさんあったので、下田港の反対側へと歩いて行きます。やはり30分ぐらい歩いたでしょうか。武山の陰に隠れていた下田富士が姿を現します。

これが下田富士ピラミッドです。

pyramid

こちら側(南側)から見ると、富山の尖山に瓜二つという感じがします。
古来、この山は航海の目印になっていたということもよくわかりますね。

そのピラミッドと女性神の頭の位置関係はこのようになります。

pyramid

左からアゴ、鼻、おでことあって、その頭の先にピラミッドがあることがわかりますね。ガイドさんの言っていた通りです。

いつものことですが、私たちのそばにいる見えないガイドさんは、どこから、いつ撮影すればいいか、それこそ手取り足取り教えてくれます。

ガイドさんの声は(実は声と言っても、本当に声が聞こえるわけではなく、感覚でわかるだけなのですが)、下田城山公園の山に登れと私たちに告げます。そこからも綺麗に下田富士の写真が撮れるそうです。

その場所から撮影した下田富士。

pyramid

女姓神の顔とのツーショットです。

pyramid

まさにピラミッド。秋山さんの言うとおりだったなと思わずにいられませんでした。
(続く)

伊豆のピラミッドをめぐる旅5(神様の恋の物語) 「不思議な世界(409)」

寝姿山の観光を終えた私たちは、ホテルにチェックインして、のんびりします。その日の夕食はキンメの煮付けやお刺身、魚介類の鍋など盛りだくさん。結局食べ過ぎて、1キロほど太ってしまいました(笑)。

翌15日は午前10時ごろチェックアウトして、寝姿山や下田富士がよく見える場所から写真撮影をすることにしました。

とりあえず、下田港まで出て、地図とにらめっこ。
まどが浜海遊公園から東へと歩を進め、湾沿いに歩きながら撮影ポイントを探します。

三十分ほど歩いたでしょうか、寝姿山の全景がよく見える場所に到着しました。
これが寝姿山です。

pyramid

確かに人間の寝姿に見えますね。左側の頭の部分が、前日に下田富士から見た円錐形の山、武山です。全体として、女性が仰向けに横たわっているように見えることから、寝姿山と名付けられたそうです。

そのときです。どこからか、「下田にはたくさんの神々が眠っている」という声が聞こえます。

えっ、とその声に驚きながらも、確かに下田には下田富士や寝姿山以外にも、円錐形の山が多いことに気付きます。それらの山一つ一つが神々の眠る山なのでしょうか。それにしても、この声の主はいったい誰でしょうか。

私たちがその声に戸惑っていると、声は続けてこのように私たちに告げます。
「今の人たちはこの山々の中で寝ている神は一つだけだと思っているが、実は男女対の神様がここに眠っているのである」

これにはますます驚かされます。もう一つ寝姿山に似た山があると声は告げているんですね。
するとすぐに、それがどこの山であるか、発見します。わかりますでしょうか、この山並みです。

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右に頭があり、やはり仰向けに寝そべっているように見えます。
わかりやすいように鉛筆でなぞってみます。

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声はさらに「女性が横たわっているとされる寝姿山は実は男の神様で、その男性神の頭の方向に頭を向けているのが女性神である。その女性神の頭の上にピラミッドである下田富士を配置したのだ」と言います。

声はまるで古のガイドのように的確に、私たちに神々の山の配置を教えてくれます。

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胸があるので、女性のように見えますね。武山の陰になってしまって下田富士は写りませんが、この女性神の頭の延長線上にピラミッドである下田富士を置いたのだそうです。そしてその下田富士と男性神の頭である武山を結ぶと、利島を指すことになるわけです。

このことはどのガイドブックにも載っていません。なぜなら、これらピラミッドの複合施設を建造したのは、日本という国が建国される、はるか前の話だからです。私たちのそばに現れた古のガイドさんがいなければ、まったく気付かないことでもありました。

ところで男女2神とは、イザナミとイザナギのことでしょうか。すると声は、今度はこの男女2神の気持ちを伝えてきます。「山になっても、一緒にいましょうね」

どうやらこの男女2神は、深く愛し合っていたようです。そして二人は、この地で亡くなったか、あるいは長年幸せに暮らした地球を離れなければならなくなったようです。そのときに自分たちの魂というかエネルギーの一部を自分たちが愛した地球の下田という地に山の形で残していったように感じられます。彼らはどうやら巨人族の宇宙人であるゲルみたいです。

頭と頭を向け合って眠る男女の神様の写真です。

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輪郭を強調するために鉛筆でなぞってみます。

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最後は、頭を向かい合わせて2人仲良く眠る神様の顔のアップです。

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下田の神様には、このような恋の物語があったんですね。
(続く)

伊豆のピラミッドをめぐる旅4(ピラミッドラインと陰陽師) 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154192)」

下田富士のそばの食堂でおそばを食べた後、私たちは寝姿山へと向かいました。寝姿山も200メートルほどの山なのでそれほど高い山ではありませんが、ロープウェイという文明の利器があるのでそれを使って登ります。

あっと言う間に山頂駅へ。
展望台から見ると、先ほど下田富士から見た利島がうっすらと見えます。

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中央の雲の下にうっすらと輪郭が見えていますね。
そしてこれは後から地図を調べてわかったのですが、下田富士、寝姿山、利島、鵜渡根島の4つの円錐形の山を結んだ直線上、ちょうど上の写真で言うと、中央やや右よりの緑の多い部分に、天皇家の須崎御用邸があります。天皇家には陰陽道や風水に長けた人物が近くにいるはずですから、おそらくこのピラミッドラインを感じ取った陰陽師や風水師がおり、須崎に御用邸を置いたのかもしれませんね。

ついでに天皇家の御用邸の場所を調べてみました。
現存する御用邸は、この下田市の須崎をはじめ、よくご紹介する葉山、それに栃木の那須高原にあります。かつて御用邸があった場所としては、静岡県熱海市、群馬県伊香保町、栃木県日光市、静岡県沼津市、神奈川県箱根町、神奈川県鎌倉、静岡市、神奈川県小田原市、群馬県那須塩原市が挙げられます。

これらを地図上に記すと、なるほどと思うんですね。たとえば、下田と熱海と小田原の御用邸を結んだ直線は、同じく御用邸のある那須高原へと続いています。同時にそのラインは、まさに竹内文書の中で天皇の御陵、もしくは神殿として登場する伊豆半島の天城山、神奈川県秦野市の大山を通っています。今回見つけた下田富士、寝姿山、利島、鵜渡根島のピラミッドラインは、須崎と静岡の御用邸を結ぶラインでもあります。下田と箱根を結んだラインは熱海をかすめ、日光へと延びてゆきます。葉山、鎌倉、日光はほぼ同じ経線(南北線)です。さらに言うなら、静岡と京都、利島と伊勢神宮がほぼ同じ緯度にあるのも偶然ではないかもしれません。

もしこうしたライン(竜脈)が、日本のエネルギーのツボとも言える場所を結ぶのだとしたら、古代人や陰陽師らは、そのツボを常に活性化させることを考えたのではないかと、私は思うんですね。そして彼らは、その場所に大地のエネルギーや気が滞ることのないように山を加工するなどしてピラミッドを配置した。ピラミッドはいわば、エネルギー調整装置みたいなものでしょうか。そうした場所が、富士山の周りに37ヶ所あるように私には思われるんですね。

さて、観光を続けましょう(笑)。
寝姿山の展望台から見た下田港です。

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下田港は黒船来航でも知られる町ですね。

すると、何と黒船が現れました!

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今日では観光客を乗せた「黒船」が下田港内を遊覧しております。
(続く)

伊豆のピラミッドをめぐる旅3 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154192)」

下田富士の山頂は平らな楕円形になっており、浅間神社の本殿があります。

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そして本殿の裏手に回って、景色を眺めていると、あることに気付きます。

市内を流れる稲生沢川の向かい側にある寝姿山の頭の部分に当たる武山(181メートル)が綺麗な円錐形の山に見えたんですね。寝姿山は下田富士の後で登ろうと思っていた、秋山さんが言うところのジッグラトです。

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これはとても意外な驚きでした。インターネットの写真で見た限りでは寝姿山は円錐形には見えなかったからです。ところが下田富士の山頂から見ると、見事に綺麗な円錐形の山でした。

私がそのことで驚いていると、furafuranさんがもっと驚くべきことを指摘します。
その寝姿山の武山の向こうに富士山のような山が見えるというんですね。

「まさか」と私はビックリします。なぜなら富士山はもっと北のほうで、furafuranさんが指差した方角は東だったからです。私はそれほど目がよいわけではないので、カメラの望遠レンズを使ってfurafuranさんが指摘した雲の下を見ます。するとそこには、おお、富士山のようにきれいな山の稜線が見えるではありませんか。まるで富士山が瞬間移動して、そこにあるかのようです。

さらにfurafuranさんはもう一つピラミッドのような山が武山の右横のはるか水平線にも見えると言います。私が望遠レンズでのぞくと、なるほどぼんやりとですが、三角形の小さな山が浮かんでいます。

望遠で撮った写真でもはっきりとは写らないのですが、写真の明るさやコントラストを修整して、その三角形の山をご紹介しましょう。

これが武山の左側に見えた山。

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まるで富士山のように綺麗な円錐形です。

そしてこちらが、武山の右側に見えた山。

pyramid

まさにピラミッドですね。

両方を同時に写すと、このようになります。

pyramid

現地に行って登って見なければわからない発見です。ピラミッドといわれる下田富士の頂上から、同じくジッグラトといわれる寝姿山の頭に当たるピラミッド型の武山を見ると、その武山の両脇にピラミッドのような山が見えるのですから。4つのピラミッドが測ったように直線上に並んでいる、あるいは正確に言うならば、陸上の二つのピラミッドを結んだ直線が、海上の二つのピラミッドの間を通り抜けていることになるわけです。

これは偶然の一致でしょうか。偶然の一致にしては、あまりにも同じ形の山が見事に配置されていることになります。これは後から調べてわかったのですが、海上の二つのピラミッド型の山は、武山の左側に見えたのが利島(としま)、右側に見えたのは鵜渡根島(うどねしま)でした。おそらくこの海上の二つのピラミッド型の島を目印にして、陸上にも山を加工して二つのピラミッドを直線上に配置したのではないでしょうか。自然にできたにしてはあまりにも出来過ぎていますものね。

しかし、これだけではなかったんですね。伊豆・下田のピラミッド群がさらに大規模な巨大複合施設であることを翌日、目の当たりにすることになります。

それはそれとして、おなかが空いたので、とりあえず下田富士を下山してお昼ごはんです。
(続く)

伊豆のピラミッドをめぐる旅2 「不思議な世界(409)」

乗りなれた駅から踊り子号に乗り込んで、下田へと出発します。

車中、朝が早かったせいもあり、うつらうつら。それでも、もしかしたら私も何か映像が見えるかもしれないと思って、しばらくボーっとしていると、間もなく映像が浮かんできました。ところがよく見ると、なんとそれはマージャン牌なんですね。さらに心の目を凝らすと、それが3ピンと7ピンであることがわかってきます。なんと私にはマージャン牌で3と7が浮かんできたんですね。ちょっとふざけいるなと思って、自分でも笑ってしまいます。まさか、マージャン牌に謎を解く鍵があるわけもなし、私の感応力はこんな感じなのでしょうか(笑)。

特急は二時間ほどで伊豆急の下田駅に到着します。しかし駅に到着する前の車内から、その異様なまでの姿が見えてきます。駅のすぐそばに下田富士が、文字通り金字塔のようにそそり立っていたんですね。何と鋭角な山でしょう。遠くからでも一目でそれとわかります。こちらがその写真です。

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高さ187メートル。富山の尖山に非常によく似ています。秋山さんがピラミッドだと断定するはずですね。

下田駅に着くと、早速情報収集です。いつものことですが、旅に出る前はほとんど調べずに目的地に来ます。というのも、先入観を持ちたくないからなんですね。現地に実際に行き、直感で感じ取ったほうがより真実に近づける場合が多いのです。

ところが、駅構内の観光会社に聞いても、下田富士の詳しい情報は聞けません。ようやくわかったのは、登山口がすぐそばにあることと、25分ぐらいで登れるということだけ。地元の人はあまり登らないみたいなんですね。というのもかなり急な斜面で、登山靴でないと危ないのだそうです。おやおや、普通の靴を履いている私たちでは登山は無理なのでしょうか。危ないときは引き返そうということで、一応教えてくれた登山口へと向かいます。

3分ほどあるけば、登山口です。登山口は浅間神社にあります。

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急な階段を登って、さらに先へと進んで行きます。

眼下には下田の町と伊豆急下田駅構内が見えています。

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道はますます険しく、厳しくなりますが、何とか普通の靴でも登れそうです。

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下田の駅とは反対側を見ると、伊豆の海が広がっていました。

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登山口から登ること25分。ようやく山頂の鳥居が見えてきます。

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山頂に到着。そしてここで、最初の驚きの発見をすることになります。
(続く)

伊豆のピラミッドをめぐる旅1 「不思議な世界(409)」

伊豆半島・下田に秋山眞人さんが言うところの「ピラミッド=下田富士」と「ジッグラト(編注:古代メソポタミアに特有の、階層のあるピラミッド型の宗教建造物)=寝姿山」を見に行くことを決めたのは、出発の4日前でした。その前日にJRのパッケージツアーで往復の特急指定乗車券とホテル一泊二食付きで1万4000円のツアーがあることを知り、翌日ちょうど美術館見学のために立ち寄った東京駅のビューカウンターで、早速二人分を購入します。私たちが住んでいるところから伊豆の下田まで往復運賃と特急の指定席だけでも7000円以上はしますから、かなりお得なツアー料金です。しかも私たちが選んだホテルは、一泊二食付きで2万円のホテルでした。こんなに安くて大丈夫? という感じです(笑)。

そして面白いことは出発当日である14日の早朝、午前3時半ごろ起こりました。
私が寝返りを打ったところ、furafuranさんが急に話し掛けてきたんですね。
目の前のスクリーンに円錐形の山が出てきたと思うと、次に「37」という数字がスクリーンいっぱいに現れたというのです。
「山? 37? 何のこと?」と私が尋ねると、彼女は「なんだか知らないけれど、伝えろって。下田富士と関係するみたい。寝てるから言わないでおこうと思ったけど、起きているみたいだったから伝えたの」と言います。

いったい何のことだろうと思ってすぐに浮かんだのが、富士山の3776メートルでした(笑)。だけどそれを伝えるためだけに、わざわざ「37」という数字を出すことはありませんよね。その後も情報はどんどんと私に伝達されます。最後は地球人に対する遺伝子操作の話にまで及び、「12」という数字も示されます。もうこうなったら寝てはいられませんね。すこし眠かったのですが、起きて謎解きを始めます。

「円錐形の山」はその形から、この日行く予定の下田富士か、あるいは富士山のことで間違いないようでした。わからないのは「37」です。検索エンジンで調べると、37で現れたのは、「第37代の斉明天皇」、「12番目の素数」などでした。しかし、斉明天皇と伊豆の関係はほとんど出てきません。この時代の関係ありそうな話としては、役行者が伊豆の大島に島流しになっていることぐらいでしょうか。

私の直感で思ったのは、富士山周辺にあるピラミッド型の山が37あるのではないか、というものでした。目に見えない世界の話なので、私もよくわからないのですが、どうやら富士山の周辺に気の流れかエネルギーを増幅するためにピラミッド型の山を構築したように思われます。その一つが下田富士であり、寝姿山のような気がするんですね。

結局「37」の謎は解けないまま、「まあ現地に行けば何かわかるだろう」ということにして、少し仮眠した後、伊豆のピラミッドをめぐる旅に出発することになりました。
(続く)

古代ピラミッドを探して 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154192)」

古代ピラミッドを探しに、伊豆半島下田まで1泊2日の旅に出ておりましたが、先ほど帰ってきました。
たった1泊2日ですが、内容は濃かったですよ。現地に行かなければわからないことがたくさんあり、来年出版する本に使えそうです。

来年出版・・・? では今年出版の本があるのかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、今年も必ず出ます。11月中旬の出版に向け、現在努力中です。
詳細はもう少しお待ちください。

明日からは、伊豆・下田の古代ピラミッドを探す旅の一部始終をこのブログでご紹介いたします。
(明日に続く)

赤い空と富士山 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154192)」

空が異様に赤いときが時々ありますね。
この日もそうでした。

Mt. Fuji

8月3日の夕陽と富士山です。

Mt. Fuji

闇に沈む富士山という感じでしょうか。
この日は対岸の湯河原や、江ノ島、三浦海岸で行われた花火大会を見ることができました。
過ぎ去りし夏の淡い思い出でしょうか(笑)。

赤い夕陽と赤い空 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154191)」

このような夕陽もありました。

sunset

赤味がかった炎のような夕陽です。

sunset

雲に隠れながら雲を赤く染めてゆきます。

sunset

妖艶な感じがしますね。太陽ではなく、まるで別の惑星のようにも見えます。

sunset

日没後、赤から黄色へのグラデーションがますます怪しく見えたりします。
7月22日の夕景でした。

月のような太陽 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154191)」

このような夕陽のときもありました。

the sun

まるでどこかの国の国旗のようです。

the sun

美味しいお饅頭のようにも見えたりして(笑)。

the sun

満月みたいですが、これでも太陽なんですね。

the sun

霧の中、夕陽は静かに沈んで行きました。
6月12日に撮影しました。

マルタの巨石神殿をめぐる29(マルタの休日) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

7月3日、観光からホテルに戻った私たちは、再び屋外プールと室内プールでリラックスします。屋外プールは深いところで水深が2メートル強ありますから、背が立ちません。浅いところは子供たちが占拠していますから、私はあえて深いところでのんびりと泳いだり、潜ったり。水の中にいると落ち着くのは、かつてイルカだったからでしょうか(笑)。

室内プールでは、私たちはジャグジーでくつろぎました。するとそこへ、スペイン人の年配のご婦人がやってきて、私たちにスペイン語で話しかけてきます。英語は話せず、フランス語は少しわかるということなので、私のたどたどしいフランス語で会話します。しかしそれでもチンプンカンプン。どうやら身振りを交えてスペインのある地方の素晴らしさを伝えようとしているらしいのですが、いまひとつわかりません。そこへスペイン人のご主人が現れて、ようやく英語が通じるようになりました。

そのご婦人が薦めていた場所はスペイン・バルセロナに近いマジョルカ島でした。そこはとにかく素晴らしいから行きなさいとのこと。そんなに薦めるのなら、きっといいところなのでしょう。私たちの行きたい先リストに加わることになります。そういえば、テニスの全仏、全英を制したナダルは確かこの島の出身だったはずです。巨石もあると言っていましたから、そのうち調べてみようと思っています。

さて、こうして現地6泊のマルタ巨石神殿めぐりの旅は終わりました。取材が半分、観光が半分という感じだったでしょうか。

東京へ飛行機で帰る途中、離陸して間もなく、窓から地中海のギリシャの島々が見えてきます。しばらくすると、窓側に座っていた伴侶さんが、窓から見える島の地形を見たことがあると話し出します。地図で調べると、なんとあの島です。あれあれ、そこはちょっとまだ危なそうです。でもいつか安全になったら、訪れることがあるのかもしれません。

island

私たちの七つの海をまたぐ、遥かなる時の旅はまだまだ続きます。

マルタの巨石神殿をめぐる旅28(セングレアの監視塔) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

セングレアの町が段々と近づいてきました。

senglea

城壁を通って、町の中へと入ります。

senglea

この町に来た目的は、セーフ・ヘブン公園にある監視塔ヴェデッテを見に行くためでした。
ところが公園の入り口は、なにやらたくさんの人が作業をしており、中に入れません。どうやらこの公園で結婚式があるので、その準備で関係者以外は立ち入り禁止になっているんですね。せっかく来たのに残念だなと思って入り口のところでたたずんでいると、地元の女性が「何を見に来たのか」と私たちに訊ねます。そこで実は監視塔の写真を撮りたいのだと伝えると、その女性は作業している責任者と掛け合ってくれて、私たちは中に入ることを許されます。

そして撮ったのが、この監視塔の写真。

senglea

何の変哲もない塔に見えますが、私たちが見たかったのは、この塔に施された耳と目でした。

これが耳。

ear

そしてこれが目ですね。

eye

目と耳がついている塔とは洒落ています。耳と目で監視しているぞ、というシンボルなんですね。ちょっと面白いと思ったので、寄ってみました。

さあ、これで私たちの観光もほぼ終わりです。後はホテルに戻って、再びプールでのんびりすることにしました。
次回は最終回となります。
(続く)

マルタの巨石神殿をめぐる27(ヴィットリオーザの町)

マルタの巨石神殿めぐりも終わったので、7月3日は観光地めぐりをします。

ヴァレッタまでホテルのシャトルバスで出かけます。

ヴァレッタの城壁で見つけたマルタ十字。

maltese cross

マルタ十字は、普通の十字架の先端が二つに分かれ、8つに枝分かれしたマルタ特有の十字架です。8は、マルタ騎士団を構成する8つの異なる言語を話す騎士たちを表しているそうです。

ヴァレッタからは路線バスを使って、ヴァレッタの町の対岸にある城壁の町ヴィットリオーザへ。

ヴィットリオーザの町並みです。

vittoriuosa

この町では、宗教裁判官が居住していた「宮殿」を見学します。16世紀に建てられた宮殿です。今は、当時のマルタの人々の生活ぶりがわかる貴重な博物館になっています。

inquisitor's palace

博物館を見た後は、ヴィットリオーザから海を眺めます。
ヴィットリオーザの隣町セングレアを望みます。

vittoriuosa

その対岸のセングレアまで歩いていく途中に見つけた猫ちゃん。

cat

この日も暑い中の散策となりました。
(続く)


秋の風と、雲の衣をまとった富士山 「今日の出来事(966070)」

今朝は久しぶりに、秋風が訪れたようにさわやかな天気となりました。
これまでは朝から汗だくとなるぐらい湿気がありましたから、まるで嘘のような快適さです。
あの夏の暑さも、ようやく終わりに近づきつつあるようですね。

空気が遠くまで透き通っており、j今朝は富士山もくっきりと見ることができました。

Mt. Fuji

葉山の御用邸のすぐ向こうに富士山があるように見えますね。対岸の町(小田原など)もはっきりとわかります。

富士山をもっとアップにすると、こうなります。

Mt. Fuji

矢倉岳も綺麗に見えますね。

そして今日の夕陽です。

the sun

夕陽の右側に富士山があるはずなのですが、雲の衣をまとっているようで山容ははっきりしません。

それでも夕陽が沈むと・・・

the sun

真ん中下の雲の中から、ちょっとだけ山頂が顔を出しておりました。
マルタ巨石神殿めぐりの旅のブログは明日アップする予定です。

マルタの巨石神殿をめぐる26(ホテルでの休息) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

ハイポジウム地下神殿、タルシーン神殿、ハジャー・イム神殿、イムナイドラ神殿と四つの古代巨石神殿を見た後、ヴァレッタ経由でコリンシア・サン・ジョージ・ホテルへと戻ります。

この日はもう十分に観光をしたので、ホテルのプールでのんびりと過ごします。

hotel

このホテルの屋外プールは子供が多く、かなり騒がしかったですが、屋内プールは静かでのんびりできました。屋内プールの脇にはジャグジーもありました。

そのときのくつろいでいる写真です。

hotel

こんな格好をしたり・・・・

hotel

あんな格好をしたりして、のんびりと過ごしました。
写真は猫君にモデルになったもらい、私ののんびり具合をイメージで再現してもらいました(笑)。

この日(7月2日)は、ちょうどサッカーW杯準々決勝の日。ホテルのレストランでは大型スクリーンで試合を生中継します。私たちも、スクリーン前の外のテーブルの特等席で食事をしながらW杯の試合を観戦。特別に作ってもらったフランス料理風イカフライも美味しくて、楽しい夜を過ごしました。

夜はこのように更けて行き、マルタ滞在もあと二日を残すだけとなりました。
(続く)

マルタの巨石神殿をめぐる25(イムナイドラ神殿2) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

イムナイドラ神殿の続きです。

いくつかの興味深い巨石遺構が見学できました。
まずはこの写真から。

mnajdra temple

ところどころこのように、いびつな巨石をはめ込んで、そこに合うように巨石を加工、さらに隙間は小さな石で埋めるという作業をしていたことがわかりますね。この手造り感がなかなかいいです。

そしてこちらは石柱の装飾にご注目あれ。

mnajdra temple

水玉のような模様があけられているんですね。
わかりづらいので、その部分を拡大します。

mnajdra temple

無数の穴が彫られているんですね。スコットランドで見た「カップ&サークル」のカッブのようにも見えます。この時代(5000年前)の流行だったのでしょうか(笑)。

この神殿の最後に紹介するのはこちら。

mnajdra temple

こちらは先ほど紹介した手造り感の強い巨石遺構と違って、精緻な感じがします。見事な巨石の加工技術です。

さて、こうしてこの日(7月2日)の巨石めぐりは終わりました。最後、坂道を登って行く途中で海を見たら、沖合いにこのようなものが浮かんでいました。

mnajdra temple

最初は雲の上の城のように見えたのですが、目を凝らしてみると、ちょうど水平線の手前あたりに島が浮かんでいるみたいです。とても幻想的な風景でした。
(続く)

マルタの巨石神殿をめぐる24(イムナイドラ神殿) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

ハジャ-イム神殿からイムナイドラ神殿までは、このような細い道を下って行きます。

mnajdra temple

残念ながら写真には撮れませんでしたが、その途中の道端でカメレオンに遭遇。野生のカメレオンを見るのは、これが初めてでした。

真っ直ぐな道をひたすら下っていくと、同じくテントで覆われた神殿が見えてきます。

これがイムナイドラ神殿です。

mnajdra temple

そしてこれが神殿の門。

mnajdra temple

三つの神殿からなるイムナイドラ神殿は、紀元前3000~2400年に建造されたとみられています。

外壁の巨石。

mnajdra temple

ここも見事ですね。

神殿の中には、いくつもの石室のような建造物がありました。

mnajdra temple

(続く)

マルタの巨石神殿をめぐる23(ハジャー・イム神殿2) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

ハジャー・イム神殿の続きです。

テントで覆われていますが、全体はこのような感じです。

hagar qim

万博のパヴィリオンみたいに見えますね。日差しが強いですから、このような覆いも必要かもしれません。

神殿内の岩組みも精緻です。

hagar qim

正面奥に穴の開いた石の壁があるなど面白いですね。

高さ5、6メートルほどの巨石の壁。

hagar qim

ちょっとわかりづらいかもしれませんが、真ん中下におかれた石には渦巻き模様のレリーフが彫られています。

次は神殿の外側の壁です。

hagar qim

巨石は重いもので20トンはあるのではないかとみられています。重厚な感じがする外壁ですね。

この神殿近くには、かなり破壊されてしまった巨石遺構も残っていました。

hagar qim

第二神殿か何かだったのでしょうか。
このハジャー・イム神殿からさらに海に向かって下っていくと、イムナイドラ神殿と呼ばれる別の大きな神殿があります。
私たちはそのイムナイドラ神殿へと向かいました。
(続く)

二日連続のダイヤモンド富士 「今日の出来事(966070)」

今日もダイヤモンド富士でした。

太陽は富士山のやや左上空から下降して・・・

diamond Fuji

富士山の山頂に降り立ちます。

そして見事なダイヤモンド富士。

diamond Fuji

ちょうど山頂の真ん中へと消えてゆきました。
今日も素晴らしい夕景でした。

ここから見られるダイヤモンド富士は今日までですね。明日は大崎公園辺りになるのではないかと思っています。マルタ巨石神殿をめぐる旅は明日から再会する予定です。

ダイヤモンド富士 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154191)」

昨日はダイヤモンド富士でした。

これがそのダイヤモンド富士です。

diamond Fuji

まさにダイヤモンドの輝きですね。

最初は太陽の光がまぶしくて富士山の姿がほとんどわかりませんでした。

diamond Fuji

しかし夕陽が富士山に接すると、段々と富士山の輪郭もはっきりしてきます。
そしてダイヤモンド富士。

diamond Fuji

夕陽がちょうど富士山の真上に来ています。

そして、やや山頂右寄りの場所へと沈んで行きます。

diamond Fuji

このころになると、富士山のシルエットもくっきりと浮かび上がっていますね。

やがて夕陽が斜面に没すると、最後の輝きが・・・

diamond Fuji

見事な残照を残して、夕陽は去ってゆきました。

今日のタイトルは・・・ 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154191)」

雲の彼方の太陽の国といったところでしょうか。

the land of the sun

太陽の手前に見える雲の群れが神秘的です。
雲の王国に君臨する太陽ともいえそうです。

the land of the sun

いずれも昨日の夕陽です。

sunset

この夕陽を見に子供たちも集まってきていました。

そして太陽は・・・

sunset

頂上付近の斜面へと沈んで行きました。

sunset & Mt. Fuji

これが富士山による日食です(笑)。もう左側の雲が消えているところが富士山の頂上ですから、今日か明日が太陽が富士山の山頂に沈むダイヤモンド富士ということになるでしょうか。秋谷の辺りからなら今日かも。たくさんのカメラマンが集まるのでしょうね。

今日も夕陽と富士山の写真をご紹介しました。

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