イギリス巨石めぐりの旅27(農場ゲストハウスとスコットランドに沈む夕陽) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

イギリス現地に15泊の旅も半ば。そろそろ洗濯の必要もあったので、ベッシーズタウン・カウントリー・ゲストハウスには二泊(5月30日~6月1日)泊まりました。一泊朝食付き2人で85ポンド(約1万2700円)、二日で170ポンド。ほかにセルフサービスによる洗濯機使用料(洗剤代含む)として二回分6ポンドかかりましたが、なぜか5ポンドに負けてもらいました(笑)。

大自然の真ん中にある農場という感じで、すばらしい環境でした。

このゲストハウスの奥様がとてもインテリアのセンスがよくて、部屋もお洒落でとても素敵です。

farmer's guest house

バスルームもこの通り。

bathroom

天窓付きお風呂です。

そして何よりもすばらしかったのが、この風景。

sunset

何と雄大な夕陽と大地でしょう。この時期、太陽は北西の方向、ちょうどスコットランドの方角へと沈んでいくんですよね。

そのスコットランドの丘の向こうへと太陽が落ちてゆきました。

sunset

このとき、現地の時間は午後9時37分です。太陽が沈むのはこんなに遅いんですね。

それからさらに1時間以上経過して、乾燥機に入れた洗濯物を取りに外に出たら、空はまだ明るかったです。こちらがその時の写真です。

dusk

時刻は午後10時45分。太陽は限りなく斜めに沈みますから空がなかなか暗くならないんですね。この現象は北上すればするほど、そうなります。スコットランドの北西にあるルイス島では、真夜中ごろまで空が明るかったです。白夜ですね。

イギリス巨石めぐりの旅のブログも、ここで中断させていただきます。というのも、また別の巨石めぐりの旅に出発するからなんですね。かなり急ピッチでブログをアップしてきましたが、やはり旅行前までに終わらせることはできませんでした。旅から帰ってきたら、再開いたしますね。
(続く)

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イギリス巨石めぐりの旅26(湖水地方のストーンサークル) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

今回のイギリス巨石めぐりの旅で、湖水地方のスウィンサイド・ストーン・サークルほど探すのに苦労した巨石はあまりありません。途中、知ったかぶりの地元の人に間違った道を教えられるなどして、湖水地方の狭い山道を右往左往。迷いに迷って、最後は民家の扉をノックして現地までの道を聞き出します。そしてとうとう、地図に書かれていないような砂利と泥の道をギアをローにして走ること10数分、ようやく到着します。

スウィンサイド・ストーン・サークルはこのようなところです。

seinside stone circle

比較的保存状態のいいサークルですね。直径30メートル弱で、元々は60個あった石が今は55個が残っていて、そのうち32個が立っているそうです。確かに、倒れて寝ちゃっている石もありますね。

こちらはちゃんと立っている石たち。

swinside stone circle

近くには綺麗な小山があります。

swinside stone circle

ここも小山と併せた複合施設という感じがしますね。日本だったら山の上に磐境(ストーンサークル)と磐座(中央の立石)があったり、あるいは磐境と磐座を拝殿として、近くにある神殿(山)を拝んだりするんですけど、イギリスはどうなんでしょうね。山とストーンサークルの位置関係をもうちょっと詳しく調べる必要がありそうです。

この日(5月30日)の巨石探索はここ一箇所だけ。この後私たちは、ウィンダミア湖畔で少し休んだ後、スコットランドとの国境の町カーライルから30分ほど離れた農場の宿泊施設「ベッシーズタウン・カウントリー・ゲスト・ハウス」へ向かいました。
(続く)

イギリス巨石めぐりの旅25(ウサギの宿) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

まさか高速道路のサービスエリア内に目指す宿屋があるとは思わなかったので、ホテルの所在地に一番近いインターで降りて、住所のそばをあちこち探します。当然のことながら見つかりませんね(笑)。そこで、ガソリンスタンドの店員さんにホテルの住所を見せたら、「それはモーターウェイ沿いにあるよ」と言われ、初めてイギリスでは高速道路沿いにホテルがあることを知った次第です。

でも考えてみると、とても便利です。特に長距離を走らなければならない場合、高速道路沿いにホテルがあると助かりますね。

泊まったホテルはデイズ・イン(セジモア)。素泊まりは2人で55ポンド(約8000円)、朝食は4・95ポンドですから、合計でも2人で約65ポンド(約9500円)で泊まれます。

そのホテルの裏手にはちょっとした草地と土手があり、部屋の窓から何気なく外を見ていたら、土手の穴から何とウサギが何匹も出てきました。野性のウサギですね。

早速、窓から激写します。

rabbit

耳を立てて、ちょっと警戒。

rabbit

こちらのピーター・ラビット君は日向ぼっこをして、くつろいでいますね。

rabbit

この裏庭にはウサギさんたちのほかにMagpie(カササギ)も遊んでいました。私はうまく撮影できなかったので、その写真は伴侶さんのブログをご覧ください。

この日はセント・アイヴスから、かなりの距離を走りましたから、ホテルに着いたころにはヘトヘトの状態でした。それでも、ウサギさんたちの姿にずいぶん癒され、元気になりました。

さあ、明日(5月30日)は、「ピーター・ラビット」を書いたビアトリクス・ポターが愛して移住した地としても有名な、自然豊かな湖水地方へと北上します。
(続く)

イギリス巨石めぐりの旅24(聖地グラストンベリー・トールとレイライン) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

この日(5月29日)の最後の訪問地は、バースの南西40キロにあるグラストンベリーの丘(グラストンべりー・トール)でした。グラストンベリーの町のそばまでやってくると、一際目立つ大きな丘が見えてきます。その丘の上には大天使ミカエルの塔が立っているんですね。

glastonbury tor

今回のイギリス訪問では、ここが最後のセント・マイケルズ・ライン上の遺跡となります。やはりここも、360度見渡せる丘の上にそのスポットがありました。

これがその丘の上にそびえる大天使ミカエルの塔です。14世紀に建築されました。

glastonbury tor

こうしてみると、大天使ミカエルのレイラインは空と大いに関係あるのかな、と思われてきます。大地と天をつなぐ神聖かつ重要なパワースポットとして、あるいは空からやってくる大天使ミカエルと交流しやすい場所として、丘や山や台地の上に聖地を配置したのではないでしょうか。

まあ、スピ的にはそれでいいのでしょうが、ただしそれだと直線にする理由はさほど感じられません。そこで思い出すのは、コーンウォール地方に残っている丘の上でかがり火を焚く夏至前日のお祭りでしょうか。360度見渡せる場所に「聖地」を配置したのは、その上でのろしを焚くなど、やはり光通信的なものに使用したからであるかもしれません。

あるいはもう一つの考えとして、すでにご紹介しましたが、イギリス全土を測量するため、三角点のような役割としてレイラインを作った可能性もあります。羽根ラインも「地図を作成するため」に作ったという暗示が私の退行催眠中にありました。

このイギリスを横断する大天使ミカエルのレイラインは、今でも本当に人工的にだれかが作ったのか議論が分かれています。私が実際に現地で見聞した感じでは、意図的に配置した可能性が強いように思われました。とくにエイヴベリーのストーンサークルとシルベリーヒルが、中心的な役割を果たしたように感じられます。どこもみな複合的な巨大施設なのでしょうが、エイヴベリーはその規模が一番だったように思うからです。しかもストーンヘンジの真北にあることも、重要なポイントですね。大天使ミカエルのラインと交差する南北の巨石ライン。この南北の線を延ばしていくと、ほかに遺跡やストーンサークルはないのかな、などと思ってしまいます(もちろん調べましたよ。そうしたら・・・)。

おそらく今から5000年前に、日本の羽根ラインを作った測量集団と同じような測量技術をもったグループがイギリスにもいたのではないでしょうか。そのように高度な技術をもっていたのに、なぜ歴史の表舞台から姿を消したのでしょうね。何か理由があったはずです。

この二日後の朝、私はレイラインやストーンサークルに関する、ある夢を見ます。そこには謎を解くヒントがあったのですが、それはまた今度ご紹介いたしますね。

さて、このグラストンベリー・トールですが、英国屈指のパワースポットで、UFO目撃談や宇宙人との遭遇体験など数々の超常現象が報告されているそうです。

私も何かそのような現象がないかなと、一所懸命探しました。そうしたら、ありましたよ、ありました。確定的な証拠が!

こちらをご覧ください。

glastonbury tor

手前の土留め板に宇宙人の顔が描かれているのがお分かりになるでしょうか。
そうです。ペル系宇宙人のグレイの絵ですね。きっとグレイがグラストンベリー・トールを訪れた記念に自分の似顔絵を残したんですね(笑)。宇宙人もはるばるやってくるパワースポットというわけです。

冗談はさておき、この丘から見た風景を最後にご紹介して、次へ進むことにいたしましょう。

glastonbury tor

のどかな田園風景が続いています。本当に見晴らしのいいところですね。

ところで、伴侶さんが大天使ミカエルの塔の中で、綺麗で不思議な光の写真を撮っているので、ご紹介しておきますね。
(続く)



イギリス巨石めぐりの旅23(セント・マイケルズ・マウントの物語) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

この日(5月29日)はランズエンド地方の巨石群などを見た後、いよいよ大天使ミカエルのレイラインの終点(始点)とも言えるセント・マイケルズ・マウントへと向かいました。

「イギリスの江ノ島」と呼んでいるのは、実は私だけで(笑)、本当はイギリス版モン・サン・ミッシェルと呼ばれています。実際に歴史上も両者は結びつきが強く、12世紀から15世紀までの間、イギリスのセント・マイケルズ・マウントはフランスのモン・サン・ミッシェル修道院の管理下に置かれ、修道院として利用されていたそうです。その後、清教徒革命時のイングランド内乱の際には要塞として使われていましたが、17世紀中ごろにセント・オーバン家が買い取り、現在に至っているようです。

こちらがそのセント・マイケルズ・マウントです。

st.michael's mount

どうです、まさに江ノ島という感じがしませんか(笑)。

島にあるかつての要塞(お城)をアップで撮影しておきましょう。

st.michael's mount

今はオーバン家の自宅になっているそうです。

伴侶さんにとって、この修道院というのがキーワードらしく、以前セント・マイケルズ・マウントの写真を見たときに、見覚えがあると言います。モン・サン・ミッシェルやセント・マイケルズ・マウントのような場所(修道院)で暮らしたことがある気がするというんですね。19世紀後半にイギリスにいた私たちの過去生の魂とも、どうやら関係があるようです。フランスで私や友達が事件に巻き込まれて不慮の死を遂げた後、失意の伴侶さんは家族や親戚、それに生き残った男性の誘いを断り、どうやら修道院のようなところに身を退いたようなんですね。そこで伴侶さんは、ガイドさんにここなのかどうか訊ねますが、ガイドさんは珍しく黙ったままだったそうです。伴侶さんもその時のことをブログに書いていますね。

でも、それはもう過去に完了したパターンの一つに過ぎません。私たちは今この瞬間に、これから始まる過去や未来を旅しているわけですから。私たちはあえてこの島には上陸せずに、グラストンベリーへと向かったのでした。
(続く)

イギリス巨石めぐりの旅22(断崖の野外劇場と陽気な娘たち) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

ランズエンドの次に私たちが訪れたのは、テレビ番組でもよく取り上げられるようになった、断崖にある石造りの野外劇場「ミナック・シアター」です。ランズエンドから南東へ5キロほど離れた海岸沿いにあります。

minack theatre

この劇場のすごいところは、ロウィーナ・ケイドという地元の女性が1931年から50年の歳月をかけて一人で、断崖絶壁の岩を切り砕きながら造り上げたことです。一人の女性による手造りの劇場。凄いですね。今では観光地化されて、有名な劇団が演じる劇場になっています。一念岩をも通すとは、こういう偉業のことを言うのでしょうね。

次にご紹介するストーンサークルは、その劇場から東にさらに5キロほど車を走らせた場所にありました。

メリー・メイデンズ(陽気な娘たち)というストーンサークルです。

merry maidens

周りの丘陵を望める見晴らしのよい場所にあります。ここから見える丘の上では、夏至の日の前の夜にかがり火を焚くという、ケルト文化に由来する風習が残っているのだそうです。そうした「火祭り」をする丘のそばにストーンサークルや巨石(地図を見ると周辺にいくつも立石があることになっています)を配置してあるのは、どうやら偶然ではなさそうですね。既にストーンヘンジやエイヴベリーの巨石を紹介するときに書きましたが、ストーンサークルを単独ではなく複合施設として見たときに初めて、その造られた謎に迫ることができると思います。

このストーンサークルですが、1995年にキリスト教原理主義者とみられるグループが異教的な力を排除しようとして、この遺跡を壊そうとする事件があったそうです。周囲の人々の反対で壊されることはなかったようですが、イギリスでは16、7世紀ごろから異教的な風習を排除しようという清教徒の運動が展開されたといいます。すでに紹介したハーラーズ・ストーン・サークルもそうでしたが、そうした禁欲的なキリスト教徒たちにより、教会にもいかず踊っていると石にされるぞ、という意味をこめて、「陽気な娘たち」と名付けられたのかもしれません。もともとの名前は、コーンウォール語で「石の踊り」というような意味であったとされています。
(続く)

イギリス巨石めぐりの旅21(「地の果て」にたたずむ巨石たち) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

セント・アイヴスからイギリスの南西端にあるランズエンド(地の果て)までは直線距離で24キロほどしかないのですが、その間にも巨石が多く点在しています。

ちょっと時代は新しく紀元前1世紀ごろの遺跡ですが、このような石造りの住居跡もありました。

ancient village

chysauster ancient villageという古代の村の跡で、紀元前100年から紀元4世紀ごろまで、英国のケルト系の人たちが居住していたのではないかとみられています。
石の壁に囲まれた「室内」(昔は萱などで屋根が造られていたようです)には、かまどのような石組みや排水に使われたと見られる溝などが見受けられました。私たちが前世の映像の中で見た、アイルランドか北欧の家に少しだけ似ていました。

次は面白い巨石ですよ。
メン・アン・トルです。

men an tol

巨大なドーナッツをかたどった巨石と見るか、古代人が使っていたお金と見るか、意見が分かれるところでしょうか(笑)。メン・アン・トルとは、コーンウォール語で「穴の開いた石」という意味です。この地方では昔から、穴の開いた石には病気を治す力があると考えられていたそうです。私たちのほかにいた英国人とみられるカップルの一人は、この穴を間をくぐっていましたから、今でもそうした伝説が息づいているのかもしれませんね。

この場所にたどり着くには、駐車場から15分ほど牛の放牧場の中の道を歩かなければなりません。牛さんたちも私たちに興味津々らしく、土手から顔を出してこちらを見ておりました。

cow

メン・アン・トルから2キロほど離れた場所には、ラニョン・クオイトというドルメンもあります。

lanyon quoit

まさに巨人の食卓という感じの巨石ですね。このコーンウォール州ランズエンド地方には、巨人伝説が多く残っています。やはり巨人族ゲルが住んでいた地なのでしょうか。

そしてここが「地の果て」です。

land's end

何もない襟裳岬のようなところでした(笑)。
(続く)

イギリス巨石めぐりの旅20(海辺のセント・アイヴス) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

セント・アイヴスで私たちが泊まったのは、ポースミンスターというホテルでした。今回の旅行ではB&Bかゲストハウスという比較的安い宿泊施設に泊まることが多かったのですが、ここは暦としたホテル。しかも大きな寝室のほかに大きなリヴィングの付いたスイートルームで、正面に海を望める素晴らしく豪華な部屋でした。

それだけの部屋ですからさぞ高かったのだろうと思われるかもしれませんが、実は一泊朝食付き2人で79ポンド(1万1600円)という安さでした。

その部屋を紹介しましょう。
まずはリビング。

st.ives

出窓まで付いていますね。

こちらは寝室です。

st.ives

そして部屋からの景色はこんな感じです。

st.ives

さらに遠くを見ると・・・

st.ives

何と江ノ島に似た島が・・・!
この辺りにはこういう島が多いのでしょうか。この次の日には、イギリスの江ノ島と呼ばれている(笑)セント・マイケルズ・マウントを見ることになります。

夕食の買出しを兼ねて、街中や海岸を散歩します。

するとカモメさんが海を見ながら、哲学にふけっておりました(笑)。

st.ives

砂浜をカモメ様がお通りです。

seagull

さあ、翌日はいよいよ、イギリスの西の果てランズエンドへと向かいます。
(続く)

イギリス巨石めぐりの旅19(ローチ・ロックと輪廻転生) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

大天使ミカエルのレイライン上にあるローチ・ロックは、岩山を加工した礼拝堂のようになっていました。やはりここも、360度見渡せる場所になっているんですね。

こんな場所です。

roche rock

近くに寄ると、岩山と共存しているように大天使ミカエルの礼拝堂が築かれていることがわかります。

roche rock

この時は曇っていましたが、例によって伴侶のガイドさんが「礼拝堂の上で晴れるから」と教えてくれます。

roche rock

ところがこの礼拝堂に登るには、ほとんど垂直に延びた鉄の梯子を登らなければならないんですね。

roche rock

これを見た伴侶さんは、当然のことながらたじろぎます(笑)。そして「私は行かないから、一人で登ってきて」と私に言います。まあ、危ないからしょうがないかなと思って、私が一人で梯子を登ろうとすると、後ろから伴侶さんが「待って。上はきっと面白いから登れって言うから、私も行くわ」と私に告げます。私は伴侶さんに「誰がそう言ったの?」と聞くと、「たぶん、いつものガイドさん」という答えが返ってきます。

こうして2人で慎重に梯子を使って礼拝所へと登ってゆきます。もちろん私も怖くないと言ったら嘘になりますから、未来(上)だけを見て過去(下)は見ないようにして一段一段登ります。

そして登りきったときに下(過去)を見た風景がこれです。

roche rock

どうです。「面白い」風景(人生)でしょ。この後、さらに石段を登って頂上まで行くのですが、そこからの眺めは絶景でした。そしてガイドさんの天気予報通り、日が差してくるんですね。その証拠写真は、伴侶さんがブログで紹介しているので、そちらをご覧ください。礼拝所の壁に寄りかかって日光浴をしているのが、誰かさんです(笑)。おお、白いマントを着た人が!

さてここで、伴侶さんのガイドさんをご紹介しておきましょうね。19世紀後半から20世紀初頭のイギリスを生きた、伴侶さんの前世の魂さんですね。私たちは従兄妹同士で、婚約もしており、私は当時、ジェフとかジェームズとか呼ばれていたのではないかと伴侶さんは言います。伴侶さんはMから始まる名前でしょうか。別バージョンでGもあるようです。

でも本当に、輪廻転生ってあるんでしょうか? 私の答えはイエスでもあり、ノーでもあるんですね。私たちは輪廻転生というと過去から未来へと時間の流れを固定した上で、Aという人が死んで、Bという人に生まれ変わったと思ってしまいますね。

しかし、拙著『不思議な世界の歩き方』で書いたように、未来の自分の想念が現在の自分に入ってくるという現象を何回も経験したことにより私は、現在の自分と未来の自分とが(同質の魂が)時空を超えて共鳴する現象があることに気付きます。つまり現在において、既に未来の自分が存在しているわけです。同様なことは過去についても言えて、現在の自分と過去の自分が共鳴する現象があることになります。私は、この一種の共鳴現象が輪廻転生のようなシステムではないかと考えています。

現在(現世)も、過去(過去生)も、未来(未来世)も、今この瞬間に存在しています。過去も未来も無限の可能性やパターンがあり、私たちの現在の選択によってパターンがドンドン変わっていくんですね。私たちの魂の質が変われば、共鳴する相手(過去生の自分や未来世の自分)も変わってくるのです。

たとえば私が現在においてAという選択をした場合、過去生でもAという選択をした自分の過去生と共鳴を起こします。すると何が起こるかと言うと、その時点で過去生でAではなくBという選択をした自分の過去生とは共鳴を起こさなくなってしまうんですね。Bという選択をした「自分」はもはや、自分の過去生ではなくなります。

こう考えると、カルマに囚われるという考え方がいかにばかばかしいかわかってきますね。なぜなら、それはこれから始まる過去を悔やんでいるようなものだからです。まだ始まってもいない過去をどうしてくよくよと悩んだり後悔したりする必要があるのでしょうか。

同様に既に終わった未来をうじうじと心配したり不安に思ったりする必要がないこともわかりますね。既に終わった最悪の未来を不安に思っても仕方がありません。むしろ現在に集中して、過去生や未来世の「自分」あるいは「同質の人」に学びながら、自分が一番いいと確信している方向へ未来や過去を変えていくほうがずっと理にかなっていると思うんですよね。現在における私たちの「一歩」がいかに大事であるか、です。

まあ、これは私が考えている戯言のようなものですから、聞き流していただいてかまわないんですが、この説明がいちばん今までの私の経験と合致しています。日々の選択や決断により、過去生や未来世もドンドン変わっていくからこそ、この宇宙は面白い。もちろんカルマを自分で創造して、その場でぐるぐる回るのも自由です。輪廻転生がない宇宙を選ぶのも自由。でもこれだけは言っておきますが、他人のせいにせずに、他人に過度に依存することもなく、自分で自分の運命を切り開いてくださいね。あなたがあなたの運命の支配者であり、あなたの魂の統治者なのですから。

私はそのほうがずっと面白いので、この日々パターンが変わる「輪廻転生的共鳴現象」が存在する宇宙を選択するわけです。するとそのような世界が創造されます。私が退行催眠で見た過去生と秋山さんが前世リーディングで見た私の過去生が、大筋で同じであっても細部で異なっていた理由もこの説だとうまく説明できます。私が退行催眠を受けてから何ヶ月かあとに秋山さんに前世リーディングをしてもらっていますから、その間の私の決断や選択により、過去生が微妙に変わったと考えられますね。ただし「魂の質」はそれほど大きく変わったわけではないので、エジプトから天空浮船で日本へ渡ったシャロアヤのような「過去生の自分」とは、今でも共鳴し合っているわけです。

ただしこれは、サイコメトリーという現場の想念を拾って感情を読み取ったり、同じように感じたりする現象とは区別する必要があるということも一言付け加えておきますね。

戯言はこれぐらいにして、先へ進みましょう。

その日(5月28日)泊まった場所は、イギリスの南西端に近いセント・アイヴスという海辺のリゾートタウンでした。
(続く)

イギリス巨石めぐりの旅18(ボドミンムーアの巨石たち) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

ボドミンムーアでは、レイライン上にあるハーラーズ・ストーンサークルやトレセヴィ・クオイトというドルメンを見て回りました。

ハーラーとは、ハーリングというケルト起源のボールゲームをする人たちという意味で、なんでも8~10世紀ごろ、ハーリングに興じて一向にやめようとしない村人たちに怒った聖クリアが「やめたくないならば永延にゲームを続ければいい」と言って、全員を石に変えてしまったという伝説が残っています。

それがこの三つのストーンサークルが並ぶハラーズ・ストーン・サークルです。

hurker's stone circle

hurker's stone circle

石はそれほど大きくありませんが、三つのストーンサークルが隣接する形で存在するところが面白いです。と言っても、ストーンサークルだとわかるのは二つまでで、もう一つは原型をとどめていませんでした。

もう一つのトレセヴィ・クオイトのクオイトとは、コーンウォール地方でドルメンのことを意味しますが、クオイトのもともとの意味は輪投げ遊びのこと。伝説によると、かつてこの地には巨人族が住んでおり、巨人族が輪投げをするために造った台?のようです。

quoit

存在感のある巨石遺構ですね。高さは4・5メートルあります。巨人の伝説が残っているわけです。ストーンヘンジなどのストーンサークルや巨大なドルメンを見ると、確かに巨人族がかつてこの国に住んでいたのではないかと思われてきますね。秋山さんが言っていた巨人族の宇宙人ゲルをつい思い浮かべてしまいます。秋山さんによると、彼らは地球の磁場を調整するために山の上などに巨石を配置したといいます。これらの巨石遺構は、まさに磁場調整装置だったのかもしれませんね。

ちょうど太陽が雲間から出てきた瞬間を撮ってみました。

quoit

quoit

キャップストーンに穴が開いているところが面白いですね。天体観測にでも使ったのでしょうか。

ボドミンムーアの巨石群の次は、ローチ・ロックへと向かいました。
(続く)


イギリス巨石めぐりの旅17(メリヴェイルの列石) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

インフォメーションセンターで道を聞いたとおりに車を走らせ、無事メリヴェイルに着いたものの、そこには何の案内板もありません。そこで私たちは、荒野の中を人が歩いたためできたのであろう、道らしきかすかな跡を頼りにして、ダートムーアの荒野へと踏み入りました。

しかししばらく歩いても、どこに列石があるかわかりません。少し不安に思い始めたときに、伴侶さんが列石の一部らしきものを見つけてくれます。

merrivale

荒野にポツンと鎮座する二枚の巨石。これはメンヒルですね。岐阜県恵那市鍋山のメンヒルを思い出します。岩と岩の間を通して夏至の日の出が観測できる巨石でした。このメンヒルが果たして夏至の日の出を観測するために配置されたのかはわかりませんが、岩と岩の隙間は東西方向を指し示しておりました。

列石はこれだけでしょうか。

そのとき荒野の向こうから、イギリスの熟年夫婦と見られるカップルがハイキング姿でこちらにやってくるのが見えました。彼らに聞いてみましょう。その間、伴侶さんはほかに巨石群がないか調べてくれています。

その熟年カップルは、広大なダートムーアの中を地図を頼りにハイキングをしているところでした。私が巨石遺稿について聞くと、列石のありそうな場所を教えてくれます。彼らは特に列石に興味をもっているわけではありませんでしたが、日本の縄文土器のことを知っていて、日本に興味をもっているようでした。私は1万年以上続いた縄文時代のことを簡単に説明して、お礼を言って別れました。

私がその熟年カップルと話している間に、メンヒルがあった場所から南に少し歩いたところに小さな環状列石と柱のような巨石があることを伴侶さんが見つけ、教えてくれます。

こちらがその柱状の巨石です。

merrivale

この写真ではわかりづらいですが、この石柱の向こう側に小さい石でできたストーンサークルがあります。おそらくストーンヘンジ同様、この石柱とストーンサークルを使って天体を観測、暦などに使っていたのでしょう。

私たちはそこから、谷を越えた丘の中腹に見える巨大な石を見に行こうと思いましたが、途中牛の放牧場を通らなければならないなど大変そうだったので、再び最初に見たメンヒルまで戻ります。そして熟年カップルに教えてもらった列石のある場所に行こうと思ったとき、メンヒルの隙間から別の石が見えることに気付いたんですね。

こちらの写真です。

merrivale

最初はこの小さな石に気付かなかったんですね。ちょうどメンヒルを挟んだ反対側にも同じような小さい石が置かれていました。

遠くに置かれた石を目印にしてその場所に行くと、さらに石が続いています。そう、ここがまさに、メリヴェイルの直線状の列石のある場所だったんですね。列石はメンヒルから東の方向へとこのように続いていました。

merrivale

石は基本的に二列になっており、まるで舗装道路のように連なって続いています。

merrivale

この幅1メートルほどの道路のような列石は、東西に伸びています。そして面白いのは、ところどころ他と違う大きな石があるのですが、その場所の南北いずれかの離れた場所に、ストーンサークルや石柱などまた別の巨石群があったりします。つまり列石の中にある一際目立つ大きな石は、そこからちょっと離れた垂直(南北)方向に巨石遺構があることを伝える標識の役目を果たしているんですね。メンヒルのところもそうでした。列石上の大きな石は、道路標識、もしくは表札みたいなものでしょうか。東西に走る石の道に記された道しるべになるわけです。

この道路のような列石も200メートルほどで終わってしまいます。その終点にはお結びのような三角形の石が置かれていました。

merrivale

親子の馬さんと一緒に記念撮影ですね。

このような列石は広大な荒野が広がるダートムーアならではでしょうか。日本では見たことがありません。ここも本当に面白い巨石遺構でした。

この日(5月28日)は、宿から宿までの距離はそれほどないのですが、訪ねるポイントが目白押しの日でもありました。メリヴェイルの列石を後にした私たちは、再びレイラインに戻り、レイライン上の別のストーンサークルがある、ボドミンムーアそばのハーラーズへと車を走らせました。
(続く)

イギリス巨石めぐりの旅16(ブレントールとレイライン) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

brentor

このブレントールには、奇岩が点在する小高い丘があり、その頂上には13世紀に建てられた大天使ミカエルの教会(その後何度か増改築)が残っています。この丘を見たとき、まず最初に思い出したのは、エイヴベリーのシルベリーヒルでした。どちらも360度を見渡せる「山」である点で似ています。

頂上付近からの眺めです。

brentor

教会内のステンドグラスには大天使ミカエルが描かれています。

St. Michael

右手に正義の剣を、左手には同様に正義を象徴する天秤をもっています。

中世において教会が建てられこそしましたが、この丘はそれ以前から重要な場所であったことが、その見晴らしからもうかがえます。
古代から見張りや連絡をする場所に使われていただけでなく、おそらく現在の三角点に相当する測量地点としても使われていたことでしょう。

なぜそんなことがわかるか、ですって?

それは、当時測量していた本人が私だからです(笑)。

こうした測量点としての大天使ミカエルのレイラインの存在は、この後に見た同ライン上のローチ・ロックやペンザンスのセント・マイケルズ・マウント、グラストンベリーの丘を見るにつけますます強くなっていきます。どこも360度を見渡せる丘や山の上に「聖地」があるからです。

このように360度見渡せる山が測量に不可欠であることは、説明する必要もありませんね。東経137度11分の羽根ラインもそうでした。羽根という地名は、そばに川や海がある開けた場所にあり、また、その地域の最高峰の真南にある場合が多かったですね。奥能登の羽根は奥能登最高峰の宝立山の真南に、富山市の羽根は呉羽丘陵・呉羽山の真南に、岐阜県萩原町の羽根は飛騨地方の分水嶺ともなっている位山の真南です。

すると、セント・マイケルズ・ラインも、高度な技術をもつグループが何らかの意図をもって作成したのでしょうか。この二つのラインを作ったのがまったく同じグループだったとは言えませんが、同じ科学技術の流れを汲む集団だった可能性は強いように思われます。とにかく私たちが知っている古代人では考えられないような正確な測量技術をもっていたわけですから。加えて、両ライン上やその周辺に点在する「巨石文明」の痕跡も気になるところです。

私たちはいったんこのレイラインから離れて、広大なダートムーア国立公園内に点在する巨石遺構を見ることにして、タヴィストックに一度戻り、そこから20分ほどの公園内にあるメリヴェイル(喜ばしき谷)の列石に向かいました。
(続く)

イギリス巨石めぐりの旅15(タヴィストックとレイライン) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

翌28日、私たちはダートムーア国立公園の西の外れにある町タヴィストックを訪れました。この日は次の宿泊地までの移動距離が130キロほどなので、ちょっとのんびりムードです。

タヴィストックのインフォメーションセンターでこの日の目的地までの道を聞いた後、マーケットで買い物をしました。

tavistock

買い物の後は、聖ミカエルのレイラインを追って、タヴストックから車で20分ほどの場所にあるブレントールへと向かいます。

ここで少し、レイラインについてご説明しておきましょう。アルフレッド・ワトキンズというイギリスの好古家が1921年、故郷のヘンリーフォードシャの地図を眺めていたら、古代の遺跡や土塁、山の頂、、古い教会などが一つの直線上に並んでいることに気がついたんですね。そして、あちこち同じような例を地図上で探し求めたところ、確かにイギリス全土にわたって遺跡や古い教会、土塁などを通る多くの直線を見つけるわけです。しかも、レイとかリイとかが語尾などにつく地名が多かったことから、この古代の直線の道をレイラインと名付けたんですね。

中にはただの偶然の一致のラインがあり、論議を呼びましたが、これまで見つかったレイラインの中で、もっとも有名で最大のレイラインが、セント・マイケルズ・ラインという、西はセント・マイケルズ・マウントからグラストンベリー・トールなどを通って、イギリスを横断するラインなんですね。

私たちの前に現れたブレントールは、こんなところでした。

brentor
(続く)

イギリス巨石めぐりの旅12(ストーンヘンジとエイヴベリーの遺跡) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

ストーンヘンジとエイヴベリーのストーンサークルが南北一直線上に並んでいるのは偶然ではありません。ちゃんと経線(南北線)を測量して配置したんですね。

なぜそんなことがわかるのか、ですって?

それは、私がその測量をした本人だからです(笑)。

本当に私が測量した技術者集団の一員だったかはさておき、エジプトから日本まで天空浮船で飛来し、東経137度11分に羽根ラインを築いた天空浮船(気球)族なら、ストーンヘンジとエイヴベリーに南北一直線上に二つのストーンサークルを配置するのはさぞ簡単だったろうな、と考えるわけです。

そもそもエジプトにいた天空浮船族がどこから来た一族なのか、わかっていません。もしかしたら、イギリスの巨石群を構築した後、エジプトに渡ったのかもしれないし、あるいはエジプトから四方に散って、一部がイギリスまでたどり着いたのかもしれません。

私たちの古代人や古代に対する見方は偏見に満ちていますから、まさかそれほどの技術はなかっただろうと思い込み勝ちです。しかし、私が退行催眠で見た前世ビジョンや秋山さんの前世リーディングにより浮かび上がった前世の映像を見ると、かなりの古代において、彼らが空を飛んでいた姿が浮き彫りになってきます。

そう考えると、彼らがイギリスや世界各地の巨石群を空から測量しながら、あるいは天空浮船の力を利用しながら巨石を運んで、それらを造った可能性もあるのです。

私たちはストーンヘンジ巨石群の複合施設とみられるウッドサークルを見た後、エイヴベリーのストーンサークルへと車を飛ばしました。もちろん空は飛びませんよ、念のために(笑)。

直線距離で28キロですが、道はくねくね曲がっているので、50分ほどかかったと思います。

エイヴベリーに着いて、最初に出迎えてくれたのが、この小山でした。

silbury hill

ヨーロッパ最大の人工マウンド(盛り土)とされるシルベリー・ヒル(高さ39・5メートル)です。まるで日本の古墳みたいですね。

私はこのマウンドを見た瞬間、エイヴベリーのストーンサークルがこの小山を含んだ複合施設であることを直感します。なぜなら、これはまさに秋田県大湯のストーンサークルと黒又山(クロマンタ山)の縄文遺跡とそっくりなんですよね。大湯のストーンサークルでも、サークルとクロマンタ山の位置関係がいろいろと論じらています。

そしてこの後、私たちは一つの村を包み込むほど大きいエイヴベリーのストーンサークルを見ることになります。

(続く=おそらく夜の更新となると思います。前回のブログに出てきた岐阜県の金山巨石群については、拙著『竹内文書の謎を解く』のP172「飛騨王朝のその他の巨石群」を、今回のブログに登場した大湯ストーンサークルとクロマンタ山に関しては、同P135「太古の神都・十和田高原 大湯ストーンサークル」をご参照ください)

イギリス巨石めぐりの旅11(ストーンヘンジの建造目的) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

このように大きな環状列石群を、誰が何のために建造したのでしょうか。実はほとんどわかっていないんですね。

一番可能性が高いのは、やはり太陽や月や星の運行を観測するための天体観測施設であったという説でしょうか。天体観測はすなわち、カレンダーや暦の役割を果たしていたことを意味します。

たとえば、サークルの中心からアヴェニューと呼ばれる道を貫く主軸上には、ヒールストーンという巨石が配置されています。この巨石がそうですね。

heel stone

祭壇石があったとされるサークルの中央から、このヒールストーンの方向を見ると、ちょうど夏至の日の出を見ることができます。またこのヒールストーンからサークルの中央を望めば、冬至の日没が観測できるわけです。このようにそれぞれの巨石配列を定点となる中央の巨石や周辺の巨石から観測することにより、一年の中の季節の動きを正確に知ることができたわけです。

写真はサークルの外側に配置されたステーションストーンとストーンサークルを撮ったものです。

stonehenge

巨石を使った天体観測は、縄文時代の日本でも行われていました。有名なのは、岐阜県金山町の岩屋岩陰遺跡周辺にある金山巨石群ですね。巨石に刻まれた線や配置から、縄文人が夏至や冬至、春分、秋分などの暦として使っていたのでないかとされています。金山巨石群近くからは、縄文時代前期の土器などが出土していますから、今から7000~8000年前には既に巨石を使った天体観測所があったとも考えられますね。

ただし私見ですが、イギリスのストーンヘンジの場合も、単なる天体観測所だけではなかったように思えるんですよね。その意味は、一部に唱えられているようなドルイドの太陽崇拝の神殿であったとするものではなく、もっと複合的な意味です。

今回現地に行って私が一番驚いたのは、ストーンヘンジは単独の遺跡ではなく、実は周辺の遺跡とも密接に結びついていたと感じられたことです。ストーンヘンジが最初に作られた紀元前3000年ごろには、「カーサス」と名付けられた、幅100メートル、長さ2・7キロもの堀と土塁による周壁遺構が、ストーンヘンジの北に造られていたことがわかっています。
この空から見ると飛行場の滑走路のように見えるカーサスの利用目的は不明なんですね。

それより500年ほど後の遺跡になりますが、デュリントン・ウォールという直径470メートルの巨大周壁遺構も驚きです。ストーンヘンジの北東約3キロの場所にあるのですが、環状遺跡としてはストーンヘンジの4倍以上の大きさがあります。私たちも現場を見ましたが、大きすぎて、地上からでは全体を確認するのは困難でした。ちょうどこの時代にストーンヘンジが石で造られ始めていた時代でもありますから、相互に関連がないわけがありませんね。

紀元前2300年ごろにはこのデュリントン・ウォールのそばに、ストーンヘンジと酷似したウッドヘンジという環状遺跡が造られていたことがわかっています。こちらがそのウッドヘンジ跡の写真です。

woodhenge

つまりストーンヘンジは、単独の施設というより、複合的な施設の一つだったのではないかと思われてくるんですね。これらの複合施設は、カーサスやデュリントン・ウォールといった遺跡一つを取ってもわかるように、とても巨大で、ナスカの地上絵同様、地上よりも空から見たほうがわかりやすいのではないかと感じられるわけです。

その感覚は、ストーンヘンジからほぼ真北に28キロほど離れた場所にある、エイヴベリーのストーンサークルとシルベリー・ヒルの複合遺跡を見たときにより強くなります。
(続く)

イギリス巨石めぐりの旅14(宿探しゲーム) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

エイヴベリーでは、ヘンジの土手の上でお昼を取るなどのんびりしたため、次の目的地に向けて出発したのは午後3時になってしまいました。この日はそれからが大変で、約265キロ、3時間の道のりを車で走らなければならなかったんですね。

ところが幹線道路に出るまでに迷ってしまい、大幅に時間をロス。宿屋には7時か7時半ごろ夕食の予約を入れてあったのですが、宿屋に着いたのはエイヴベリーを出発した5時間後の午後8時になっていました。

30年前に購入した道路地図帳は現代においても驚くほど役に立ちましたが、いかんせんダートムーア国立公園を縦横に走る、標識のほとんどない田舎道を行くには十分とは言えませんでした。こういう時に役立つのが英語力と記憶力です。さすがに慣れない地名は覚えられませんでしたが、地元の人の説明を一生懸命に記憶して、何とか宿にたどり着くことができました。どのくらい覚えないといけないかと言うと、こんな具合です。

「この道を左に行って、8マイルほど行くとT字路に出るから、そこを左に曲がるとタヴィストックの町にでるわ。街中では一つ目のラウンドアバウトは真っ直ぐ進んで、2本目のラウンドアバウトではプリマスという標識を探して左折してね。その後5マイルほど走って、ホラブリッジを過ぎてイエルバートンという町のラウンドアバウトで一本目を左折、すぐにまた左折すると急な坂道になるから、そこを下った右手にあるわ」

私の英語力では、相手が話していることは大体わかるのですが、地名は不慣れなためすぐに忘れてしまいます。「あれ、なんていう町だっけな」「あれ、二本目のラウンドアバウトはどこに向かうんだっけ」ということになってしまいます。忘れたら、またやり直しです。再び道を尋ね、乏しい記憶力をフル回転させて(笑)、地名や道順を覚えます。まるで宝探しのロールプレイイング・ゲームをやっている感じでしょうか。でも、こうやって経験値が上がっていくんですよね(笑)。伴侶さんもイギリスの道路標識を読む能力がこの旅で格段に進歩しました。何度も何度も助けられました。予定した巨石(と予約した宿)を全部訪ねることができたのも伴侶さんのお陰です。ありがとうございます。

その伴侶さんがこの日(5月27日)に泊まった宿のことを書いてくれているので、ご興味のある方はそちらをご覧ください。Harrabeer Country HouseというB&Bです。2人で一泊69ポンド(1万円ちょっと)と手ごろで、一人22ポンドの夕食はとても素晴らしかったです。

その宿屋から撮った夕焼け空。

dusk

夕食後の午後9時45分に撮影しました。日が長いですね。でも日はこれから、もっともっと長くなります。
(続く)

イギリス巨石めぐりの旅13(エイヴベリーの巨石たち) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

エイヴベリーのストーンサークルは、シルベリーヒルからほど遠くない場所にありました。

ナショナルトラストのガイドブックを接写したものですが、位置関係はこのようになります。

avebury

村を囲むように巨大なヘンジ(円形の堀と土手)があり、その内側にサークル状の列石があります。左上に見えるのが、シルベリー・ヒルですね。シルベリー・ヒルはストーンサークルの南にあります。つまりストーンヘンジと結んだライン上にあることになりますね。さらに南に下ると、ミルク・ヒルという、この辺りでは一番高い小山(294メートル)もありますから、偶然の一致ではない可能性が強いと思います。測量には高い山が不可欠なんですよね。

ストーンヘンジの複合施設と同じで、やはりこの写真を見て思うのは、空から見ないと全体がわからないということでしょうか。しかもこのストーンサークルが28キロも離れたストーンヘンジのほぼ真北に位置することを考えると、驚異的な測量技術をもっていたと思わざるをえなくなります。

ちょっと話は脱線しますが、私が30年前に将来車でイギリスを旅することがあるだろうと思って買った地図帳の中表紙も、偶然なことに実はエイヴベリーだったんですね。

road maps

やはりここに来ることは運命だったのでしょうか(笑)。

さて、このエイヴベリーのストーンサークルですが、ストーンヘンジとの位置的関係のほかに特別な意味があります。イギリスのレイラインの中で最大かつもっとも有名なレイライン、大天使ミカエルに関係する「セント・マイケルズ・ライン」の上にあるんですね。

今回の旅の目的は、巨石めぐりの旅ではありますが、この大天使ミカエルのレイラインを調べるという意図もありました。ちょうとその二つのテーマが交差する場所がここなんですね。

ストーンヘンジに石が配列され始めた紀元前2400年ごろ、エイヴベリーでも巨石が配列されたとされています。17世紀後半ごろから村の建設などに巨石が使われたためかなり破壊されてしまいましたが、建造当時は直径400メートル超のヘンジ(円形の土手と堀)の内側に大サークルと呼ばれるストーンサークルがあり、その内側には二つの小サークルがあったとみられています。当時の想像図です。

avebury

それでは、エイヴベリーのストーンサークルの写真をご紹介しましょう。

avebury

上の写真は村を取り囲むようにして立っている外側のストーンサークル(大サークル)の列石です。

そしてこちらは、その外側のサークルの内側にあったと見られる小さいサークルの列石です。

avebury

今では牛たちの楽園になっています。内側のサークルの石のほうが、外側のサークルの石よりも大きいところが面白いです。

次の写真では、大サークルの外側にあるヘンジがよくわかります。

avebury

それにしても深い堀と土手です。かつてはもっと高低差があり、14~17メートルはあったのではないかとされています。

avebury

エイヴベリーの巨石群のすごいところは、これだけではありません。この遺跡は何度も破壊されているので原型をとどめていませんが、外側の大ストーンサークルからは巨石を連ねた2、3キロにも及ぶアヴェニュー(道)が延びており、その道の端にはもう一つの小さなストーンサークルがあったのだそうです。シルベリー・ヒルなどを含むかなり大きな複合施設であったことがわかりますね。

私たちはエイヴベリーから、大天使ミカエルのレイラインを求めて、西へ西へと向かうことにしました。
(続く)

イギリス巨石めぐりの旅10(ソールズベリー平原のストーンヘンジ) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

5月27日、リッチモンドに別れを告げた私たちは、あのあまりにも有名な、ソールズベリー平原にあるストーンヘンジへと向かいました。ロンドンからそれほど遠くなく、車で2時間弱で着いてしまいます。

最初の印象は「ずいぶん小さいな」でしたが、近くで見ると「なかなか大きいな」という感じを受けます。それというのも、周りに何もない低い丘にポツンと建っているからなんですね。周りに比較するものがないので、なんとなくこじんまりとした遺跡に見えてしまいます。

ストーンヘンジは、基本的にストーンサークルと言っていい環状巨石群遺跡なのですが、普通のストーンサークルと違うところは、外側に円形の堀(溝)と土塁が築かれていることでしょうか。その土塁と堀の内側にストーンサークルや馬蹄形の列石などが配置されています。

建造された年代ですが、最初に円形の堀と土塁が築かれたのが、今から五〇〇〇年前。その当時は内側には石ではなく、木柱が環状に配置されていたそうです。その後、木材が朽ち果てたためか、紀元前2600年ごろから巨石を使った配列が順次築かれて行きました。

説明はこれくらいにして、とりあえず写真を掲載いたしましょう。

stonehenge

最初曇っていたのですが、回り込んでちょうど順光になったときに晴れてくれました。今回もまた、伴侶さんのガイドさんがタイミングを教えてくれます。

続け様に何枚も撮った中から何枚かをご紹介しましょう。

stonehenge

stonehenge

stonehenge

この遺跡の考察については明日、ご紹介します。
(続く)




イギリス巨石めぐりの旅9(テラス・ガーデンズとリス) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

ストーンヘンジなど巨石群紹介の前にリッチモンドにあるテラス・ガーデンズをご紹介します。リッチモンドパークからキューガーデンズへ向かって歩く途中に立ち寄りました。1887年にオープンした庭園です。

terrace gardens

オープニングセレモニーには大勢の人が集まりましたから、もしかしたらその中に私たちもいたかもしれませんね。当時の様子です(Richmond Past, John Cloaksより)。

terrace gardens past

この庭園を取り上げたかったのは、この子がいたからです。

squirrel

人間を怖がらず、すぐ近くまで来るところがいいですね。きっと町の人からも大事にされているのでしょう。

こうして庭園・公園づくしの一日は終わりました。
私たちが泊まったThe Dukes Head Inn (駐車場付き=要予約)は2人で一泊95ポンド、二日泊まったので、190ポンド(2万8500円)でした。ロンドン中心部から近いので、ちょっと高めになるのはやむを得ませんね。
(続く=ストーンヘンジは午後アップします)

イギリス巨石めぐりの旅8(キューガーデンズの鳥たち) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

ここまでブログを読んで、巨石めぐりと謳っておきながら一向に巨石が出て来ないではないかと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ご安心ください。巨石が出てこないのはこの日と最終日だけ、後は毎日これでもかこれでもかというほど巨石が出てくる予定です(笑)。

さて、キューガーデンズの散策を続けましょう。

私たちが出会った鳥さんたちです。

bird

birds

birds

birds

birds

キューガーデンズだけで何日も費やすことはできますが、今回は巨石ツアーということで、先にすすむことにいたしましょう。

明日はリッチモンドの他の公園を少しだけご紹介して、いよいよイギリスの代表的巨石群であるストーンヘンジが登場する予定です。
(続く)



イギリス巨石めぐりの旅7(キューガーデンズの鳥たち) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

世界最大の植物園、キュー・ガーデンズ。
もちろん植物園の中の庭園や温室も素晴らしいのですが、私たちが特にここが気に入っているのは、水鳥など野鳥の楽園になっているからなんですね。鳥たちの王国に、私たちが入場料を払って入らせてもらっている、という感じでしょうか。当然、鳥たちがこの王国の主人公です。

伴侶さんも書いていましたが、こちらはその王国の王女(本当は王子)さまでしょうか。

peacock

孔雀の王女様。威風堂々、道の真ん中を歩かれます。

peacock

あまりにも立派なお召し物。すれ違うときカメラのファインダーに入りきらなかったので、つい傾けてしまいました(笑)。

peacock

こちらの鳥さんも王侯貴族といった感じがします。

golden phesant

英名でgolden pheasant(黄金のキジ)。ちょっと日本では見かけたことがないキジですね。草むらでお昼寝をされているところを撮影しました。しかし、こちらの気配に気付かれたのか、起きて散歩を始めます。

golden phesant

すると、草むらの奥からもう一羽現れます。

golden phesant

夫婦でお昼寝をしていたんですね。
鳥の王国キューの散策は続きます。
(続く)

イギリス巨石めぐりの旅6(リッチモンドパークと赤鹿) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

リッチモンドパーク。1000ヘクタールもの敷地をもつこの広大な公園は、ロンドン郊外に広がる都会のオアシスのような場所であるとともに、動物たちの楽園でもあるんですね。

私たちはまず、リッチモンドパークでもっとも高い場所へと向かいます。
その高台に向かう途中にくぐったキングサリ(golden chain)のアーチ。・

golden chain

高台からの眺めです。

landscape

この後、私たちは日本の鹿とは一味違うアカジカ(red deer)を探しに行きます。
とにかく広大なので、長い時間をかけてひたすら歩きます。野を越え、丘を越え、大きな池を越え・・・。この永延と続く野原の中の道を、かつて私たちが歩いたか、馬車で通ったような・・・そんな遠い、かすかな記憶がよみがえってくるようでした。

richmond park

そして、とうとう見つけました。

red deer

アカジカの群れです。近くを通る人間には目もくれず、草を食べています。

私たちも彼らに近づきます。

彼らは餌付けをされていない野生の鹿たちですが、人間を怖がる様子もありません。

red deer

ただし、群れのボス的存在であるこの鹿だけは、撮影の間中、私たちをずっと見張っておりました。

red deer

これが「夢」で見た「門番」だったりして(笑)。

アカジカとの「再会」を果たした私たちは、やはり思い出の地であるキューガーデンズへ向かいました。
(続く)

イギリス巨石めぐりの旅5(リッチモンドの前世の家) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

英国滞在二日目(5月26日)は、この巨石めぐりの旅行でただ一日、巨石とは直接関係のない日であり、車を運転しない日でもありました。この日は、19世紀の過去生と深いかかわりがあるとみられるリッチモンドパークと王立植物園のキューガーデンズを歩き回る日だったからです。そもそもThe Dukes Head Innに泊まることにしたのも、この二つの目的地の真ん中にあり、どちらへも簡単に歩いていけるところだったからなんですね。

既に昨年のイギリス庭園めぐりの旅でお知らせしたように、キューガーデンズと、ハンプトン・コート・パレスの双方に自転車で簡単に出かけられる場所はリッチモンドではないかと推定したわけです。そしてリッチモンドを探し回れば、もしかしたら私たちがその過去生で暮らしていたであろう建物(家)を見つけることができるのではないかと考えたわけです。

私たちはリッチモンドの町を歩き回りながら、前世の記憶をたどりました。当時の家に関しては、伴侶さんは詳しく覚えていますが、私には出窓のある家を内側から見た映像しか知りません。階段の踊り場のようなところには軍服姿の白髭のおじいさん?の肖像画が掛かっていました。あとわかっているのは、出窓から通行人(歩道)までの距離でしょうか。建物とは別に、リヴィングで伴侶さんとみられる女性がピアノを弾く姿も鮮明に見ています。その女性は、小顔でアゴの尖ったオリビア・ハッセーのような顔をしていて、髪はかなりウェーヴして頬のところでクルクル回っておりました。それが今の伴侶さんであると感じるのは、その女性の瞳に同じ輝きを見るからなんですね。

リッチモンドの町中を歩いているうちに、前世の記憶で見たのと似た家を何軒か見つけます。でも色が違ったり、大きさが違ったり。決め手を見つけることはできませんでした。それはそうですよね。既に100年以上経過しているわけですから、色も形もまったく同じ建物が残っているとしたら、それは奇跡的なことと言えるでしょう。

それでも私たちは、このような家を見つけました。

richimond's house

大きさと、出窓と通りまでの距離はこんな感じなのですが、色が違うと伴侶さんは言います。でも一応、候補として写真撮影しておきました。

あやふやな私の前世の記憶とは裏腹に、伴侶さんは私の実家の屋敷も実に鮮明に覚えています。伴侶さんによると、私の実家はかなり裕福で、巨大な庭園をもつ屋敷だったそうです。この時代の私の前世の記憶としては、大きな野原のようなところで、今の伴侶さんとみられる女性と一緒にサイクリングをしたり、ピクニックをしたりしている映像でしょうか。2人とも、とても楽しそうにしておりました。

そのような前世の家探しをしているうちに、私たちはリッチモンドパークにやってきました。
(続く)

イギリス巨石めぐりの旅4(真夜中の大騒動) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

長旅の疲れから、不思議な映像を見てすぐに寝込んでしまったのも束の間。意識のはるか彼方から、ワイワイガヤガヤと人々が騒ぐ音が聞こえてきます。どうやら私が寝ている部屋へと続く階段の下のほうからその声はやってきます。私はほとんど時差ぼけ、寝ぼけ状態だったので、自分が今イギリスにいるとは思っていません。だから、何で自分の家の階下にこんなに人の声がするのだろうとしばらく事情が飲み込めず、あっけに取られてボーっとしています。すると、段々意識がはっきりしてきて、「そうだここはイギリスなんだ。今リッチモンドの宿屋にいるんだ」ということを思い出します。

なるほど、一階のパブで遅くまで飲んでいた宿泊客が階段を昇ってそれぞれの部屋に戻るところだったんですね。とすると、今は真夜中の12時ごろでしょうか。その騒ぎで私は一度起こされてしまいましたが、とにかく眠かったので、また目を閉じると、瞬く間に深い眠りに落ちてしまいます。

しかし、この日はこれだけで終わらなかったんですね。

それは午前一時のことでした。またもや意識の遠くのほうで何かの音が鳴りはじめます。寝ぼけている私はまったく何が起こっているか理解できずにいます。するとその音は段々大きくなって、私を再び現実の世界へと引き戻します。伴侶さんもそのときまでにその音に起こされていて、私に携帯電話がなっていることを教えてくれます。

私の携帯電話が・・・! イギリスに来てまで、何で電話が鳴らなければならないのだ、と半ば呆れ驚きながら着信履歴をみると、日本からのまったく知らない電話番号です。夜中の1時に何と言う非常識な人間だろう、と思ってみたものの、計算すると日本時間の午前9時。当然起きていていい時間ですね。でもその電話番号にまったく心当たりがなかったので、もし急用ならもう一度電話をかけてくるだろうと、ベッドに戻ります。

案の定、その重要な電話は数分後に再び鳴り始めました。電話に出ると、何と私たちが住む村の管理組合からでした。私が今、海外にいることを伝えても、その電話の主はお構いなしに話を進めます。その話によると、何と私の家のガス漏れ警報機が前日から鳴っており、近所の人が通報してくれたのだそうです。私が驚いて言葉を詰まらせていると、組合の人はすでにガス会社の人を呼んだので、点検するために敷地に入ってもいいか、と私に聞きます。私はもちろん点検をしてくださいとお願いして、その結果を知らせてくれるように頼みました。

それから30分ほど経ったとき、今度はガス会社の人から電話がかかってきます。国際電話で申し訳ないなと思いながら点検結果を聞くと、ガス漏れの異常は認められず、おそらく警報機の誤作動であろうとのことでした。そういえば我が家の警報機は設置後すでに10年以上経過しており、伴侶さんとは取り替えなければいけないね、と話したことがありました。そのことを伝えると、向こうもたぶんそうだといいます。ただし一応念のために外の元栓を止めさせてほしいとのことで、私は快諾します。私は丁寧にお礼を言って、ほっとしながら電話を切りました。管理組合と、通報してくれた人にも帰ってからお礼をしなげればいけませんね。

そのような真夜中の騒動はありましたが、その後は何にも邪魔されず朝を迎えることになりました。すると朝は、伴侶さんの「夢」の番でした。伴侶さんが明け方、半覚醒状態で見た「夢」の映像により、十九世紀後半のイギリスにおける私たちの過去生でこれまで疑問だった部分がドンドン解け出したんですね。それらは私も伴侶さんも納得できる内容の話でした。なるほどそうだったのか! と、まさに目から鱗が落ちる思いです。その内容については、伴侶さんが書いてくれましたので、こちらをご覧ください。

いつも驚くのですが、伴侶さんの映像はとても鮮明で、細部まではっきりしています。そういえば私たちが英国に旅立つ前、2人で秋山眞人さんに会ったとき、秋山さんが「実際に(前世で暮らしたとみられる)その場所に行くと、全く違った体験ができるんですよね」というようなことを言っていたことを思い出します。伴侶さんはこのリッチモンドに来て、たちまち鮮明で具体的な前世の映像を見る一方、私は鹿人間が出てくるシュールな、わけのわからない「夢」を見たわけです。

伴侶さんに比べると、なんとも頼りない前世センサーです。もっと第3の目を開かないといけませんね(笑)。

今日は宿屋一階のパブの写真です。

Dukes Head Inn

夜はパブ。朝は宿泊客が朝食をとる食堂となります。
(続く)

イギリス巨石めぐりの旅3(不思議な夢) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

英国滞在一日目の夜に見た夢は、正確に言うと夢ではありませんでした。なぜなら、眠りに就こうとして目を閉じて、うとうとしかけているときに浮かんできた映像だったからです。つまり意識がほとんど覚醒状態にあったわけです。

その奇妙な「夢」とは、次のようなものでした。

私がとあるイギリスの伝統的な民家(茅葺きの家?)の前を通ったときに、その玄関先の庭に鹿の顔をした人間が机と椅子を置いて、その机の前の椅子に座っているんですね。着ている服はよく覚えていませんが、シェークスピアの時代に出てくるような服装でした。私は何と言うシュールな世界だ、まるでアリスの世界だな、などと思って、鹿人間の顔を覗きこみます。すると、本当に鹿で、着ぐるみを着ている人間ではないことがわかるんですね。だって、目がきょろきょろと動くんですから。

意識がまだはっきりしている私は考えます。
「これって、もしかしてゲル(注:秋山眞人さんから聞いた宇宙人の分類で、ドーベルマンのような顔をした、犬や熊から進化した巨人族の宇宙人)?」

私はさらに何が起こっているのか、調べようとして動き回り様子を見ますが、どうやらその鹿人間がその家の門番をしているようです。家の中の様子はわかりませんでした。かといって、その門番さんは威嚇したり、威圧的な態度を取ったりしているわけではありません。中を覗こうと思えば覗けたんですよね。

でもそうこうするうちに、次の映像が現れます。杉かポプラのような真っ直ぐに伸びた木々が生えた丘の風景です。どうやら懐かしい風景のようですが、どこだかわかりません。やがてうとうとし始めた私の意識は、いつの間にか眠りに落ちてしまっていました。
(続く)

イギリス巨石めぐりの旅2(空港からリッチモンド・アポン・テムズへ)

ロンドンのヒースロー空港に着いたのは、5月25日の午後4時すぎごろでした。
すぐに、予約したレンタカー会社Europcarを探します。たいていの空港の場合、レンタカー会社まで空港からシャトルバスが出ています。そのシャトル停車場の場所を聞いて、レンタカー会社へ。

いろいろ手続きをして、午後6時ごろ、空港からリッチモンド・アポン・テムズ(テムズ川にあるリッチモンド)というロンドン近郊の町へと向かいます。さて、車は日本と同じ道路の左側を走るという右と左はわかるのですが(笑)、まだ慣れていないイギリスの標識やラウンド・アバウトという交差点の前でしばし立ち往生。加えて、レンタカー会社の人はリッチモンド・アポン・テムズへの行き方がわからず、まったく方向違いの道をわざわざ教えてくれます。

こうなると頼りになるのは、いつか英国を車で旅行するだろうと思って30年前(!)に買った、英国自動車協会によって出版されたSt. Michael(聖ミカエル)の「Road Atlas of Britain」(1980年エディション)という地図帳と、私たちの山勘でした(笑)。今考えると、聖ミカエルの地図帳とは、意味深な地図帳です。というのも、これから訪れることになるイギリスで一番有名なレイラインは、聖ミカエルに関連するラインでもあったからです。まるで30年前からレイラインを訪れることが運命付けられていたような・・・(笑)。

リッチモンド・アポン・テムズはヒースロー空港からわずか10キロあまりの場所にありますから、通常なら20分ほどで着きますが、私たちは乗るはずだったM4というモーターウェイ(日本の高速道路に当たりますが、無料です)への入り口がわからず、A4という、日本では国道に当たる道をひたすら東へと走りました。そのため、約二倍の40分ほどかかって到着します。さらに町中をぐるぐると宿屋探し。何人かの通行人に道を聞いてようやく、Vineyard St.、というホテルの前の道を探し当てます。時刻はおそらく午後7時を過ぎていたでしょう。宿の人に車の駐車場を教えてもらいチェックイン。

私たちが選んだのは、一階がパブで二階から上が宿泊施設になっているDukes Head Innという宿屋でした。

こちらがその写真。

Dukes Head Inn

その訪英最初の晩、私はある不思議な夢を見ます。
(続く)

イギリス巨石めぐりの旅1(旅の準備) 「ヨーロッパ旅行(25412)」

今回のイギリス巨石めぐりの旅は、飛行機からレンタカー、フェリー、宿の予約に至るまですべて自分たちでやりました。いわゆる個人旅行というやつですね。

英国までの往復チケットは、冬場は4~5万円台の格安チケットが出ているのですが、5月ごろから高くなり、6~7万円となります。でもよくよく調べてみると、燃料サーチャージやロンドンの空港利用税を加算すると10万円ぐらいになってしまいます。それならばと伴侶さんが探してくれたのですが、全日空の早割りでもすべて込みで一人10万円ぐらいで行ける(マイレージも1・5倍の特典付き)ことがわかったので、ANAのチケットを春先に予約・購入しました。

それにしても、10万円でイギリスに行けるようになるとは安くなったものです。私がイギリスに留学した30年前は、どんなに安いチケット(アエロフロートかキャセイパシフィック)でも往復17万~19万円はしました。物価上昇分を考慮すれば、3分の1か4分の1の運賃になった計算でしょうか。日本国内の旅行が高いせいからかもしれませんが、感覚的には海外旅行も国内旅行も料金的にはさほど差がなくなったように(むしろ国内旅行のほうがかなり割高に)感じられます。

往復チケットが確保できれば、次に必要なのはイギリス国内の足です。今回のテーマは古代巨石めぐり。イギリスの公共交通機関だけでは、とてもイギリス各地の巨石まで行き着けないことは過去の経験からもわかっていました。ということは、答えは一つしかありませんね。レンタカーです。

ハーツ、エイビスなど各社の料金を比較した結果、私はEUROPCARを選びました。コンパクトカーで、二週間の基本料金は309ポンド(4万5000円。)これにフルカバーの保険104ポンド(1万5000円)や税金、超過となる一日分料金などを足して全部で538ドル(8万円)でした。ただし、私はマニュアルを選びましたが、オートマだとさらに200ポンド加算され、ナビを入れると、さらに100ポンド以上余計にかかります。ナビのオプションは最後まで迷いましたが、私にはfurafuranさんという優秀なナビゲーター(いろいろな意味で)がおりましたので、あえて機械に頼らないことにしました。ナビに頼ると、機械とだけ対話して、地元の人に道を聞くという大事な作業がおろそかになるかもしれませんでしたしね。実際、勘を頼りに道に迷いながら巨石探しをするのは、そのときは大変でしたが、後になってからはいい思い出となっています(笑)。

あとは宿屋ですね。ロンドンに着いた日から二日間は、ロンドン郊外のリッチモンド・アポン・テムズというかって(といっても19世紀後半の話ですが)知った懐かしの場所の宿を手配しました。その後は英国に行ってから予約しようかと思ったのですが、伴侶さんの希望もあり、出発3日前になってから、全15泊分をすべて事前に予約する方針に転換しました。

RAC(英国王立自動車クラブ)のサイトで、目的地間のおよその走行時間を割り出し、巨石があるとみられる場所をすべて地図上で洗い出し、旅行ルートの策定にかかります。どんなに運転する場合でも一日5時間をなるべく超えないように策定したつもりでしたが、実際にイギリスで運転してみると、3時間のはずが道に迷って5時間になるなど、大幅な時間超過となることが頻繁に起こりました(笑)。それでも夏時間と10時ごろまで明るいイギリスの空に助けられて、ほぼ予定通りに策定ルートを走破いたしました。もちろん地図と格闘しながらナビをしてくれた伴侶さんと、親切に道を教えてくれた地元の人に感謝です。

しかもありがたいことに、訪れる巨石や遺跡では、必ずといっていいほど晴れるという奇跡のような体験もありました。朝から大雨でも目的地の巨石群に着いた前後一時間だけ晴れるというあまりのタイミングのよさに、イギリスの天気の神様(巨石の神様?)に感謝せずにはいられませんでした。

宿の予約も、BOOKING.COMの口コミ情報を頼りに評価が高くて料金の手ごろなものを選択。いずれも評価通りの宿屋ばかりでした。

こうしてすべて順調に、当初の予定をすべてこなすことができました。唯一の誤算だったのは、持って行った傘を一度も開かなかったということでしょうか(笑)。本当にありがとうございました。
(続く)

イギリス巨石めぐりの旅 「ヨーロッパ旅行(25412)」

何と15泊17日、レンタカー走行距離2898マイル(4637キロ)にわたるイギリス巨石めぐりの旅から先ほど帰って参りました。南は西の果てコーンウォール地方のメン・アン・トールという変わった巨石から、ソールズベリ周辺のストーンヘンジとエイヴベリの巨石群を当然ながら訪れ、湖水地方のロングメグ、スコットランドはアバディーンからハイランド地方、ついにはスコットランドの北西の果てにあるルイス島の巨石群まで探訪するという、かなり豪快な旅でした。

撮影した写真の数も1200枚超。これから順次、駆け足で(!)ご紹介しようと思っています。ご期待ください。

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