英国探訪記23 「ヨーロッパ旅行(25412)」

イギリス滞在もこの日(8月30日)が最後となりました。それまでに訪れた庭園には、伴侶さんが夢で見た白いドームの建物は見つかりませんでした。でも、まだ希望はありました。それがキュー・ガーデンズです。

二年前(2007年)の9月23日、TBSの世界遺産の番組で伴侶さんがキュー王立植物園(キュー・ガーデンズ)を見た時から、伴侶さんはこの植物園に行きたくなり、さらに相前後して自転車に乗ってここを訪れる映像をたびたび見るようになったのです。そのときの伴侶さんのブログはこちらです。

伴侶さんがその後に見た映像では、私も自転車で一緒にキュー・ガーデンズを訪れていたことになっています。もちろんいずれの映像も、100年以上前の当時の服装で、です。

たぶん最終日に見つかるだろうなという予感はありました。というのも今回の旅行中、伴侶さんが以前何度も訪れた庭園がちゃんと見つかるかしらと心配になったとき、過去生ガイドの女性が「大丈夫よ、ちゃんとわかるから。心配しないで」と伴侶さんに話していたからです。

ロンドンのピカデリーサーカスから地下鉄を乗り継いで、キュー・ガーデンズに到着します。ものすごく広大な植物園です。

kew gardens

約300エーカーと書かれていますから、あの広い神代植物公園が三つぐらい入ってしまう敷地面積でしょうか。1759年にジョージ3世の母后プリンセス・オーガスタが庭師に命じて造らせたのが始まりだそうです。その後キャプテン・クックに随行して世界各地を旅した植物収集家のコレクションが加わり、今では4万種以上の植物が育てられるなど世界最大の植物園へと発展。2003年には世界遺産に登録されました。

この植物園の魅力は、植物もさることながら、そこに動物たち、とりわけ鳥さんたちが豊かに生息していることでしょうか。

ガチョウさんたちのお食事風景です。

kew gardens

こちらはオオバン(クイナ科の水鳥)。

kew gardens

羽毛の水かきでしょうか。すごいですね。私たちがベンチでお昼を食べようとして、ガサゴソしていたら、ダッシュしてこちらに突進してきました。もちろんこの子はその後、お弁当のおすそ分けをもらっていますが、ずいぶん慣れていますね。

こんな感じで、あちこちに木製ベンチが設置されています。

kew gardens

こちらはカモメさんですが・・・

kew gardens

写真を撮ろうとした瞬間に、飛び立たれてしまいました。

そうこうしているうちに3時間ぐらいが経過したでしょうか。あちこち歩き回ったのですが、伴侶さんの夢の中に出てきた白いドーム型建物はどこにもありません。ここではなく、もしかしたらハイドパーク辺りにあるかもしれないな、などと考え始めていました。

そしてそろそろロンドンへ戻ろうかなと思ったときです。ふと最後にキュー・パレスという王室の館を見ておきたいなという思いが浮かびました。時計を見ると、パレスを見て戻る時間ぐらいはありそうです。

地図で大体の場所を確認して、パレスへと向かいます。でもとにかくキュー・ガーデンズは広いんですね。私は道を二回ほど間違えて、人通りの少ない変な小道に入ってしまいました。私の方向感覚も鈍ったものです。

そのとき、伴侶さんが「ここに来たことがある!」と大きな声を出し、その小道を進み始めます。私は「えっ、まさか」と思いつつも、伴侶さんの後を続きます。そして少し歩いた右手に、それまでは樹木が生い茂っていて見えなかった場所に、開けた丘のような場所があることに気づきます。その景色を見た伴侶さんは「あっ、ここだ!」と声を上げます。私がその右手の丘の上を見ると、なんとそこには白っぽいドーム型の建物が建っていたんですね。

その時の写真です。

kew gardens

今ではくすんで灰色になってしまっていますが、おそらく100年以上前はもっと白い建物だったに違いありません。伴侶さんはこの建物に間違いないと言います。もう半ばあきらめかけていた夢の中の建物がそこにありました。ちゃんと私が道を二回も間違えて、ここにたどり着くようになっていたんですね(笑)。

ここは、2人で何度か訪れている(逢引している?)お気に入りの場所でもあったようです。後で地図で見たら、前日のハンプトン・コート宮殿も、キュー・ガーデンズもそれほど離れた場所にあるわけではないんです。つまり、もしその中間地点であるリッチモンドに暮らしていたとすると、宮殿へもガーデンズへも家から自転車で楽に行ける距離にありました。

リッチモンドはロンドン郊外に広がる英国王室の保養地で、鹿や鳥など動物たちの楽園でもあります。道理で2人とも、鹿や鳥が今生でも好きなはずです。

さて、今回の過去生をめぐる旅の物語もここでおしまいにしたいと思います。しかし、この旅行後に新たな展開がありました。イギリスから帰国後、どういうわけか急にギリシャに行くことになったんですね。そしてギリシャ行きが決まってから、何気にキュー・ガーデンズで見た白いドーム型建物は何だったのだろうと、のんきに調べてみました。英語でTemple of Aeolusと書かれています。

Aeolusとはなんじゃいな、と辞書を引くと、アイオロスというギリシャの風の神様とあります。風の神の神殿ーー。元来、山と風が好きな天狗系?の私たちとしては、風の神と聞いて黙っていられません。おやおや、なんと、ギリシャに行くことは、このときすでに決まっていたんですね(笑)。

ということで明日からは、過去生をめぐる旅の第二弾としてギリシャへと旅立ちます。

(ギリシャ探訪記へと続く)
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英国探訪記22 「ヨーロッパ旅行(25412)」

伴侶さんが何度も夢に見たという、庭園の中の白いドーム型の建物はどこにあるのでしょう。
次に私たちが訪れたのは、ロンドン郊外にあるハンプトン・コート宮殿の庭園でした。

hampton court palace

1514年にトマス・ウルジー枢機卿が建てた、広大な庭園に囲まれたレンガ造りの大邸宅だったのですが、ヘンリー8世が強引に奪って自分の宮殿にしてしまったのだそうです。

ここの宮殿にも、過去生の私たちは訪れているようでした。過去生ガイドの女性がそのように教えてくれただけでなく、伴侶さんもいくつかの風景をすでに夢などで見ており、覚えていました。

どうやら私たちは、ロンドン南西部のこの郊外に普段暮らしていたようです。伴侶さんによると、馬車に乗ったり、自転車に乗ったりして、この宮殿を何度も訪れているようです。

庭園内を走っていた観光用の馬車。

hampton court palace

当時も馬車は走っていたようですが、上の写真の馬のように足は太くなく、もっとスマートな馬だったと伴侶さんは言います。自動車も台頭し始めた時代でもあり、馬車と自動車、自転車などの交通手段が混在していたとのことです。後で時代考証的に調べたら、やはり服装の時と同じで、1890年代ごろから20世紀初めにかけての時代が当てはまります。

伴侶さんが覚えている映像で面白いのは、当時も私はテニスをやっていたというんですね。ズダ袋かコーヒー豆を入れるような袋を肩にかけ、そこにテニスラケットを突っ込んで自転車を一生懸命こいでいた映像を、伴侶さんは一年以上前から断続的に見ています(私も一年前ごろ、自転車に乗って伴侶さんの過去生とみられる女性と外出している映像を見ています)。

そして驚くべきことに、この宮殿には16世紀ごろからテニスコートがあり、今でも使われているんですね。テニスといっても現代のテニスの原型となった、リアルテニス(real tennis=本当のテニス)もしくはコートテニス(court tennis)と呼ばれるテニスです。古くは12世紀のフランスで始まり、16世紀に飛躍的な発展を遂げたスポーツでもあるようです。

金網越しだったのでうまく写せませんでしたが、これがそのリアルテニスです。

hampton court palace

現代で言えば、スカッシュのように壁を使ってするテニスです。コートはスカッシュのように小さくはなく、現代のテニスコートの幅と長さを少し短くした感じでしょうか。練習を見ていたのですが、壁に当たってワンバウンドさせて打ってもよく、もちろん現代のテニスと同じでボレーで打ったりしてもいいようでした。ボールもちょっと小さめで、ラケットに当たるとパコとかポコとか変な音がします。ラケットは軟式テニスのラケットぐらい小さく、伴侶さんが映像で見たのも、この小さいラケットでした。

もしかしたら、ヘンリー8世がテニスをやっていた、まさにこのコートで、私も伴侶さんとテニスをやっていたのかもしれませんね。

ハンプトン・コート宮殿には、このような巨大なキノコも生えていました(笑)。

hampton court palace

もちろん巨大キノコではなく、イチイの木です。

薔薇もご紹介しましょう。

hampton court palace

しかしここにも、白いドーム型建物はありませんでした。英国に滞在するのもあと一日。8月30日を残すのみとなりました。

英国探訪記21 「ヨーロッパ旅行(25412)」

「過去生の約束」と書いてしまったからには、もう少し説明を加えておきましょう。
これはひとつの夢物語として聞いていただいても一向に構わないのですが、100年以上前にイギリスにいた私たちの人生の最後は、必ずしも幸せなものではありませんでした。

これは私の伴侶さんが見た映像から、私たちが類推している過去生の物語です。私と伴侶さんは当時も愛し合っていましたが、どうやら親の反対など障害も多くあって結婚はしていなかったようです。そんな中、7~8人の仲間と一緒に私たちはドーバー海峡を渡ってフランスへ行きます。一種の留学のようなものだったみたいです。ところがパリで私たちはある事件に巻き込まれて、私を含む多くが銃で撃たれて死んでしまいます。現場はパリのオペラ座。生き残ったのは、私の伴侶さんと、バースでもご紹介した、真ん中で髪を分けた金持ちでお洒落な男性の2人だけ。私の伴侶さんは悲嘆に暮れて、修道院に入って、その後若くして亡くなってしまいます。

おそらくブレナム宮殿では、パリに留学する前に晩餐会かなにかに招待されて、庭園を散策する機会があったのではないかと思います。当時の伴侶さんと私はその庭園がとても気に入って、また2人で来ましょうねと約束した。だが私がパリで不慮の死を遂げたことで、その約束が果たされなかった。時が流れ、今生で2人は出会い、かつての約束の地であるブレナム宮殿の庭園を訪れることになった。

そう考えると、今回私たちがなぜ涙を流してまで、湖水地方を訪ね、イギリスの庭園めぐりをすることになったのかがわかってきます。でももう何の心配もございません。過去生の約束は成就し、過去の悲しみは光の中へと消え去ってゆきました。

それでも、私たちにはもう一つ探し出したいものがありました。それは庭園の中の白い建物です。伴侶さんが何度も夢などで見たドーム型の建物です。どこにあるかわかりませんが、どうやらロンドンの近くにあるような雰囲気です。

ブレナム宮殿を後にした私たちはロンドンへと向かい、その日はロンドン郊外に宿泊しました。そして翌日(8月29日)はいよいよロンドン市内の観光です。

まずはリージェンツ・パーク。
ここはずいぶん水鳥や動物が多い公園です。

london

岸辺でくつろぐ鴨さんと鳩さんですね。

こちらはたぶん、オオバンという鳥です。

london

薔薇も綺麗に咲いておりました。

london

青サギ君ですね。

london

食事中のリス君。

london

残念ながら、この公園には目指す建物はなかったようです。

(続く)

英国探訪記20 「ヨーロッパ旅行(25412)」

ここで、英語で鳴くイギリスのカラス君の写真をご紹介しましょう。

lake district

カモメよりも小さいことはもちろん、写真奥に写っている鳩さんよりも小さいぐらいです。普段は甲高い声で短く「ク」とか「ケ」と鳴きますが、ごくまれに「カァー」と日本のカラスと同じように鳴きます。イギリスのカラスにもバイリンガルさんがいるのでしょうか(笑)。

今日はついでにイギリスの雲もご紹介します。

cloud

湖水地方を訪れた翌日(8月28日)、ロンドンに向かう途中で撮影したものですが、ずいぶん低いところに雲が浮かんでいます。28年前にスコットランドを旅したときにも感じましたが、イギリスの雲は手の届きそうな高さで漂っています。乾燥した気候がそうさせるのか、あるいは山がほとんどないからなのかはわかりませんが、面白い現象だなと思いました。

この日、ロンドンに向かう途中で立ち寄ったのが、オックスフォードの近くにある世界遺産、ブレナム宮殿です。

blenheim palace

美しい宮殿ですね。スペイン継承戦争の最中の1704年、ドイツのブリントハイム(英名でブレナム)の戦いで英公爵ジョン・チャーチルがフランス軍を破った功労をたたえて、チャーチル家に贈られた居城だそうです。後に英国首相になったウィンストン・チャーチルは1873年にここで生まれています。

そのブレナム宮殿がバスの車窓から遠くに見えてきた時です。私の伴侶さんが宮殿そばの川に橋が架かっている景色を見て、「ここに来たことがある」と言って、目を潤ませます。いつものことながら、今生で私たちはここに来たことはありません。

よほど懐かしかったのか、伴侶さんの涙は宮殿入り口の広場のところに来るとますますこぼれ始めます。前日から涙腺が緩み泣き虫になっている私も涙がこぼれて、2人で大泣き状態です。観光客がたくさんいる場所で、2人で大泣きしている光景を思い浮かべてください。傍から見ると、結構笑えるかもしれません。でも2人は真剣なんです。もっとも、目にごみが入ったぐらいにしか思わなかった人もいるかもしれませんね。

涙を隠すようにして、私たちは宮殿の庭園を見て回りました。その間中、過去生ガイドの女性がいろいろ案内してくれます。

薔薇園です。

blenheim palace

巨木のある道。

blenheim palace

庭園から見たブレナム宮殿。

blenheim palace

過去生ガイドの女性が教えてくれた場所から撮影した、私たちのお気に入りの風景。

blenheim palace

ちゃんと晴れるタイミングも教えてくれました。

blenheim palace

懐かしい、思い出の地であったブレナム宮殿を離れていくバスの車窓からは、虹を見ることもできました。

blenheim palace

ちょっとできすぎのような気がしますが、本当に虹が出たんです。
「もう一度、2人で見に来ようね」という過去生の約束が、時を超えて成就されたということでしょうか。
(続く)

英国探訪記19 「ヨーロッパ旅行(25412)」

ロマン派詩人ワーズワースと、私たちの過去生をめぐる旅は続きました。
ワーズワースが1813年に家族とともにこの湖水地方に来てから、晩年に亡くなるまでの37年間を過ごしたという家「ライダル・マウント」にも、過去生ガイドの女性によると、私たちは来ていたそうです。前日ご紹介しましたが、伴侶さんにもウィンダミアからグラスミアにかけての湖のそばにいたという映像の記憶があります。

もう一度昨日ご紹介した写真を掲載します。

lake district

伴侶さんの映像の記憶では、対岸の緑の芝生のようなところに自分がいて、周りの景色を見ていたとのことです。空はほとんどと言っていいぐらい、いつもどんより(さすがイギリスの空です)。その映像は伴侶さんが三歳ごろから病気のときや遠足の前の日などの夢で見ており、これまでに二、三十回は見ているそうです。見ている自分も年とともに大きくなり、最近ではニッカーボッカーズをはいて帽子をかぶって釣りをしている男性も、その映像の中に登場するようになったと言っておりました。

さて、ワーズワースの家ライダル・マウントに話を戻しましょう。
ワーズワース自身がデザインしたという庭園です。

rydal mount

坂の上にあり、遠くにライダル湖も望めます。8月というのに、もう紅葉しているんですね。日本よりも一ヶ月以上早く秋が訪れる感じです。

私たちが過去生でここを訪れたのは、どうやら1890年ごろか1910年ごろの間のように思われます。いずれ詳しくご説明できると思いますが、伴侶さんが細部まで克明に覚えている当時の服装からたどると、そうなります。それが正しければ、ワーズワースが亡くなった後、私たちは観光かなにかでワーズワースの家を訪ねたことになります。

庭には綺麗なピンクの薔薇も咲いておりました。

rydal mount

この庭を2人で散策している間も、過去生の女性ガイドさんはいろいろ説明してくれます。
「そちらの道を行っても、面白いものは何もないわ」とか「ここを降りていくと、素敵な景色が眺められるわ」とか、アドバイスしてくれます。なにしろ広~い庭園ですから、すごくありがたかったです。

過去も今も私が好きだった場所の風景です。

rydal mount

紫陽花の小道。

rydal mount

このような景色を、昔も眺めていたのでしょうか。

rydal mount

奥に見える建物がワーズワースが暮らした家です。

景色のいい場所には、ベンチが設けられています。

rydal mount

スズメさんが休んでいたので、撮影しました(笑)。

再びウィンダミアの町に戻って、散策。

lake district

今でも100年以上前と同じ風景が残っているんですよね。

夕食を食べたレストランです。

lake district

このレストランに入る前、眺望がよかったので写真を撮ろうとしたら、「食事をしてからでも撮影する時間は十分あるわ」と過去生ガイドの女性は言います。すでに夕方6時を回っていたし、空模様も心配だったのですが、ガイドさんがそうおっしゃるならきっとそうなのでしょう、と思って写真は撮りませんでした。

そして一時間後、食事を終えてレストランを出ると、雨も降らず、明るい景色が広がっていました。そのとき撮影したのが、先ほどのレストランの写真と、次の写真です。

lake district

本当に優秀なガイドさんです。時空を超えたガイドさんですから、1時間や2時間ぐらい先の天気を予想(予言?)することなど、それほど難しいことではないのでしょうね。

そして最後に、2人の写真を、一緒に旅行した方に撮ってもらいました。

lake district

英国探訪記18 「ヨーロッパ旅行(25412)」

ウィンダミアで私たちが乗った蒸気機関車です。

lake district

ハバースウェイトの駅で陸橋から撮影していたのですが、急に風向きが変わり、煙まみれに。
慌てて陸橋を降りて、煙を避けながら撮った写真がこちらです。

lake district

この駅は、紫陽花の花が満開で、とても綺麗でした。

再びバスでボウネスへ戻ります。そして昼食を取ったのが、このお店。

lake district

「シップ・イン」というレストラン兼パブです。ガイドしてくれている(過去生ガイドの)女性によると、100年以上前からこのレストランはあって、ボウネスに来たときは必ず立寄ったのだそうです。私たちとその仲間は常連だったらしく、一般客が入る一階だけではなく、入り口から入るとすぐに二階(の個室?)へと上がって行く映像も見えたと伴侶さんは言っておりました。。

昼食後は、ボウネスから10キロほど離れたグラスミアに向かいました。

英国が生んだロマン主義の大詩人ワーズワース(1770~1850年)が最も愛した町で、彼が眠る場所でもあります。過去生ガイドの女性によると、私たちはこの町にも来ています。
このような町です。

lake district

昔の家並みが残っていますね。

町の中をロゼイ川という小川が流れています。

lake district

洒落たカフェテリアが川沿いに建っていますね。「THE ROWAN TREE(ナナカマド)」と書かれています。この地方にはナナカマドが多く、たくさんの赤い実をつけていました。

この風景を見ている時です。小川の奥の方から聞いたこともないような甲高い動物の鳴き声が聞こえてきました。「キ」とか「ク」といった短い鳴き声です。何の鳴き声だろうと思っていると、伴侶さんが「聞いたことがある」と言います。そしてしばらく間をおいて、「あれはカラスよ」とガイドの女性が教えてくれたと言います。
「ええっ、あれがカラス!?」と私は思わず聞き返していました。あとで確認したら、鳴き声の主は本当にカラスでした。さすがにイギリスのカラスさん。ちゃんと英語で鳴くんですね(笑)。

過去生ガイドの女性によると、私たちはグラスミアが大好きで、よく散策したようです。

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この遠くに見える屋敷の方角へ向かって馬車を走らせている光景も見えると伴侶さんは言っておりました。

私が好きな景色です。

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おそらく当時の私も好きだったはずです。
この湖水地方の湖こそ、私の伴侶さんが子供のときから夢で何度も見ている湖なんですね。「やっと見つけた」と伴侶さんは話しておりました。
(続く)

英国探訪記17 「ヨーロッパ旅行(25412)」

私の脳の指令とは関係ない涙がどんどん流れていくことなどお構いなしに、その100年以上前の女性の話は続きます。

とにかく当時の私は「あの先には何があるんだろう」「この先には何があるんだろう」と、ズンズンと知らない道を進んで行ってしまうんだそうです(実はいまの私も同じです)。そしてあるときは、あの丘のところまでいったのよ、と伴侶さんを通じて教えてくれます。
その時撮影した丘の写真がこれです。

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ちょっと曇っていますね。でも、船はぐんぐんと先へと進んでしまいますから、通り過ぎてしまう前に撮る必要があったのです。ところがその女性は、「まもなく日が当たるから焦らなくとも大丈夫よ」と言います。「えっ」と思いながらも、しばらく待っていると・・・

lake district

確かに雲間から日が差し込み始めました。
そしてとうとう・・・

lake district

丘全体に光が広がり・・・

lake district

青空と丘を撮影することができました。

そうこうするうちに、船はレイクサイドに到着です。

lake district

lake district

ここからは蒸気機関車に乗って、ハバースウェイトへ向かいました。
(続く)

英国探訪記16 「ヨーロッパ旅行(25412)」

8月26日の午後は、ブロンテ三姉妹が暮らしでいたハワースを訪れました。『嵐が丘』『ジェーン・エア』などの作品で知られる、あのブロンテ姉妹ですね。ここでのハイライトは、なんと言ってもヒースの花が一面に咲いていたことでしょうか。バスの移動中に見たので残念ながら写真はありませんが、「嵐が丘」さながらの荒野のいたるところに赤紫色のヒースが咲き誇っておりました。

さて、旅を先に進めましょう。翌27日は多くの湖が点在する、風光明媚な湖水地方へと向かいました。英国旅行が初めてという伴侶さんはもちろん、私も訪れたことがない地方です。

前日下り坂となって心配された天気ですが、何とか持ちこたえてくれたようです。

lake district

この湖水地方でも、不思議な出来事が起こります。これまでは私の伴侶さんが不思議な体験をして、それを私が聞いたり、観察したり、もしくは傍観したりしていればよかったのですが、この日はそうは行きませんでした。

口火を切ったのは、いつものように伴侶さんです。ウィンダミアにあるボウネスの町に入るや否や、「ここに来たことがある」と言い始めます。現在見ている町並みにダブって100年以上前の町の風景が見えてくると言うんですね。しかも私も何度もこの町に来ていると言います。私にはその記憶がありません。

これがそのボウネスの町です。

lake district

ウィンダミア湖の遊覧観光ができる埠頭のある観光地で、18世紀からリゾート地として発展してきました。

ここには、白鳥、ガチョウ、鴨など水鳥がたくさん集まって来ています。

lake district

鳥さんたちとしばらく遊んだ後、私たちもウィンダミア湖を遊覧します。上の写真の右手に見えるような船に乗り込みます。

その間中も、伴侶さんは100年以上前のボウネスの町と現在の町の風景を二重に見続けており、昔はあの建物はなかった、昔はもっと上品で静かな町だった、あの最近できた建物は下品だ、などと言い続けています。

例を挙げましょう。次の写真は出港直前にボウネスにあるオールド・イングランド・ホテルを撮影したものです。

lake district

伴侶さんによると、このホテルは100年以上前にもほぼ同じ形で存在していましたが、白い壁面はなく、それが気に入らない、となるようです。実はその「気に入らない」という感情は、伴侶さんが思っているのではなく、100年以上前に生きていた「伴侶さんの過去生の女性」がそう言っているんだそうです。つまり100年以上前のボウネスを知っている女性が、私たちをガイドツアーに連れ出してくれるわけです。

船に乗ってからも、その女性は私たちをガイドしてくれました。船のどの辺りに乗ったほうがいいか、いろいろアドバイスしてくれます。私たちはそのアドバイスにしたがって、船の左側外デッキ後方に座りました。その女性によると、右側よりも左側の風景が面白いのだそうです。

その左側には、のどかな丘陵の風景が広がっています。

lake district

その女性によると、100年以上前の私は子供のころから何度も(おそらく毎夏?)、このウィンダミアにあるボウネスを訪れていたのだそうです。どうやら別荘か何かがあったみたいです。伴侶さんも時々、この町には来ており、一緒に野山を散歩したそうです。当時の私はどんどん先に歩いていってしまって、ついて行くのが大変だったと笑います。それを聞いた私は、今も昔も変わらないなと苦笑しながら、「当時はご迷惑をおかけしました」とお詫びします。すると、その女性は「私も(歩くのが)好きだったから、なんでもないわ」と伴侶さんを通じて答えるわけです。

そして不思議なことは、船から丘陵の風景を見ていたときに起こりました。突然、私の目から涙がこぼれてきたんですね。同時に私がその場所やその女性が好きだったという思いが漠然と沸き起こります。私はどうしたことかと伴侶さんの目を見ます。その次の瞬間、私は顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくってしまいました。

長い人生、私だって何度も人知れず泣いたことはありますが、こんな風に人目をはばからず大泣きしたのは、小さいころ姉にいじめられて悔しくて泣いて以来です(笑)。

驚いたのは伴侶さんや周りの人たちだったでしょう。でもそれ以上に驚いたのは、何で号泣しているかわからない私自身でした。頭ではまったく泣く理由が浮かばないんですね。つまり頭で考えて、悔しいとか、つらいとか、悲しいとか、うれしいとかを感じて泣いているのではないのです。脳からの指令ではなく、胸にある魂の泉のようなところから涙がほとばしってくる感じです。それは止めることのできない、胸の奥底にある魂から流れる涙でした。
(続く)

英国探訪記15 「ヨーロッパ旅行(25412)」

ストラットフォード・アポン・エイボンの続きです。

この町には、このような変わった家もありました。

stratford-upon-avon

古風でありながらモダンなたたずまいをしていますね。

お昼を食べたレストランもなかなか歴史を感じさせる建物でした。

stratford-upon-avon

このレストランの名前はマーローズ・レストラン(MARLOWES RESTAURANT)。MARLOWEと言えば、シェイクスピアと同時代を生きた大学出の秀才劇作家クリストファー・マーロー(カンタベリー出身)が思い浮かびますね。この建物の歴史を読むと、実際にクリストファー・マーローの父親と縁があったと書かれています。16世紀半ばからいろいろな使われ方をしてきて、18世紀になって初めて宿屋・酒場となりました。その後宿屋は、ローヤルシェイクスピア劇団とも関係が深くなり、部屋のいくつかは俳優養成学校として使われ。多くの俳優を排出したようです。

そのような歴史あるレストランだったからでしょうか。食事をしている最中、伴侶さんが梁の少し下の、一緒に旅行していた女性の頭上に、見えるはずのないロウソクの列を見てしまいます。その日は午前中のバスの中でも、16世紀のエリザベス朝時代のような古い服を着た女の人がその女性のそばに立っているのを伴侶さんが見ていますから、尋常ではないですね。その女性とレストランとエリザベス朝時代には、なにか因縁があったのでしょうか。

もうひとつ不思議なことは、お肉を食べない私たちがレストランでソーセージを残したときから始まりました。伴侶さんが急に肩が重くなったと言い出したんですね。お肉料理を残したことに不満を持つエネルギーがあったのでしょうか。その伴侶さんの肩の重さは、先にご紹介した俳優養成学校を経営していたデン・ギルクス(DENNE GILKES)女史についての説明(レストランの壁に写真付きで掲示されていました)を読むまで続いたそうですから、おそらくギルクス女史(1889-1972)が「マーローズ・レストランのもてなしが気に入らないのか」という不満を伝えたかったのかもしれません。伴侶さんと私は、ただお肉を食べないのだという旨をギルクス女史に心の中で伝え、「もてなし」に感謝して、レストランを後にしたのでした。
(続く)

秋の薔薇を愛でる会

お知らせ:
来月(10月)17日、東京都調布市の神代植物公園・薔薇園で、恒例の薔薇を愛でる会を開催いたします。参加を希望される方は、ホームページ左側のメール「メッセージを送る」でお知らせくださいね。メールにて詳細を返信させていただきます。
よろしくお願いいたします。

aunset

写真は昨日(16日)の夕日です。

英国探訪記14 「ヨーロッパ旅行(25412)」

今日も観光ルポです。

前日バースとコッツウォルズを散策した私たちは、この日(8月26日)はシェイクスピアの生まれた町として知られるストラットフォード・アポン・エイボンへと向かいました。

途中立ち寄った、シェイクスピアの妻アン・ハザウェイが結婚前に家族と暮らしていた家です。

stratford-upon-avon

2人が結婚したのは1582年、シェイクスピアが18歳でアンが26歳のときだったそうです。8歳上の姉さん女房ですね。ハザウェイ家はとても大きな農家で、家はチューダー朝建築を代表する建物だったと書かれていました。

庭には、クリーム色の薔薇が綺麗に咲いておりました。

stratford-upon-avon

アン・ハザウェイの家は町の郊外にありましたが、シェイクスピアが生まれたという家はストラットフォード・アポン・エイボンの街中にあります。

stratford-upon-avon

かなり裕福な家の生まれだったようですね。ご覧のようにこの日は小雨が降っておりました。

ロイヤル・シェイクスピア・シアターのそばにあるバンクロフト・ガーデンには、シェイクスピアの像が建っておりました。

stratford-upon-avon

この像の周りには、シェイクスピア作品の登場人物の像も建ち並んでいます。

stratford-upon-avon

上の像のモデルはすぐにわかりますね。ロダンの「考える人」・・・ではなく、悩めるデンマーク王子のハムレットさんです。ハムレットの独白は学生時代に覚えさせられましたから、今でも諳んじることができます。

To be, or not to be, that is the question:
Whether 'tis nobler in the mind to suffer
The slings and arrows of outrageous fortune,
Or to take arms against a sea of troubles,
And by opposing, end them. To die,to sleep--

と、ここまででしょか、覚えているのは(笑)。日本人にとっては、平家物語の「祗園精舎の鐘の声」を暗唱するようなものでしょうか、たいていのイギリス人なら知っている台詞です。

エイボン川のほとりで休む鴨さんたちです。

stratford-upon-avon

明日からはまた不思議ツアーに戻る予定です。
(続く)

英国探訪記13 「ヨーロッパ旅行(25412)」

しばらくただのイギリス観光が続きます(笑)。

かわいらしい田舎町が点在するコッツウォルズ。その中でも「最も古い家並みが保存されている村」キャッスル・クーム(人口350人)です。

castle combe

綺麗な町並みですね。
キャッスル・インというホテルには、花が鮮やかに飾られておりました。

castle combe

続いて、バイブリー(人口630人)。

bibury

赤い薔薇が家の壁面を覆っている素敵なお家もありました。

bibury

町の中を流れるコーン川には鴨さんが。

bibury

近くの草地には黒と白のツートンカラーの牛さんがいて、面白かったです。

bibury

(続く)



英国探訪記12 「ヨーロッパ旅行(25412)」

ローマ大浴場以外のバースの町並みもご紹介しておきましょう。

bath

上の写真はバース大浴場の外側の建物を写したものですが、この柱の向こう側には広場があって、大道芸人たちがそれぞれの技を披露しておりました。とてもにぎやかで面白い町です。

こちらはウサギと馬(?)の像。

bath

顔が犬で体が人間の宇宙人ゲルを思い出してしまいますね。この場所では路上でサイキック・セラピーもやっていましたから、精神世界関係では有名な町なのかもしれません。

遠くから見ると城壁のような、バースの家々の屋根。

bath

煙突の中から突き出た小さな煙突の数を数えればは、その家の部屋の数がわかるのだそうです。大体一軒あたり六部屋あることがわかりますね。

次は、中心地からは少し北西に離れたところにあるロイヤル・クレッセント。

bath

ずいぶん豪華な建物です。1767~74年に建てられた三日月(クレッセント)形の建物で、30世帯が暮らせる「高級長屋」だったようです。現在は金持ちの居住用のほか一部博物館やホテルになっていると書かれておりました。

その庭に咲いていた花々。

bath

私たちはバースを後にして、英国の古い田舎の村が点在するコッツウォルズへと向かったのでした。
(続く)

英国探訪記11 「ヨーロッパ旅行(25412)」

ローマン・バス(ローマ大浴場)の紹介を続けましょう。
このローマ大浴場の遺跡は、アルプス以北では最も保存状態のよいローマ遺跡とされているそうです。

これは施設内部の水路。

bath

確かに今でも使えるぐらい、非常に保存状態がよいみたいですね。中世の間は大浴場の大部分は埋もれていましたが、19世紀末の発見によって再び脚光を浴びるようになったとガイドブックに書かれています。過去生の私たち一行は、そのようなときにこの遺跡を訪れたのでしょうか。

大浴場の遺跡を見ているときに、伴侶さんが「足が重くなった」と言い始めます。どうしたのかと聞くと、どうやら大昔(ローマ帝国時代?)の兵士の想念をキャッチしたようで、その兵士は膝から下を痛めており、この温泉でのんびりしたいと思っている感じだったと言います(これはその場所や物に残っている残留思念を読み取るサイコメトリーという能力みたいですね)。なるほど、この保養地はローマ帝国時代から多くの人が集まる一大保養地でしたから、戦争などで傷ついた兵士が傷を治すために訪れたこともあったのでしょう。

そして伴侶さんが見つけた、この遺跡で一番澄んだ心地のする場所がこちらです。

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大浴場で最も神聖な場所とされる泉です。癒しの力をもつミネルバ神(ギリシャ神話のアテナと同一視される知恵と工芸、戦いの女神)を祭ったとみられる泉で、一般の人間が入ることは禁じられていたようです。左側にオーブらしきものも写っていますね。

こちらにはもっとはっきりと。

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トパーズの宝石をちりばめたような泉です。

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オーブらしきものがたくさん写っていました。
(続く)

英国探訪記10 「ヨーロッパ旅行(25412)」

ローマン・バス(ローマ風呂)の遺跡を階上の窓から見ているときでした。伴侶さんが再び、「ここに来たことがある」と言い出します。私がひょいっと窓から外を覗いた光景が、100年以上前とみられる当時の私とダブって見えたというんですね。当時も同じ仕草で窓から同じ遺跡をひょいっと覗いていたというんです。

窓はこのような窓です。

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覗いていた遺跡はこちらです。

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後で調べたら、確かにこのローマ風呂のあるバースという町は、18世紀ごろから上流階級の保養地として栄えていたそうですから、100年ほど前にイギリスで暮らしていたのなら、バースの町に観光に来た可能性はあります。

さらに伴侶さんはこんなことを言います。「ここにはみんなで来ている」
「みんな」とは誰かというと、そう、これを読んでいるあなたです(笑)。あなたも実はイギリス人だったんですよ(笑)。

伴侶さんが見た「みんな」は、こんな方々です。
金髪の長い髪を後ろにひとつで結び、すみれ色の瞳をした華奢な感じの男性。この男性はあまり口数は多くなかったのですが、思慮深く面白い方だったといいます。そして当時としては最新の、皮のケースが付いた蛇腹のカメラと三脚を駆使して、写真を撮っていたそうです。

このほかに、当時の最先端流行スタイルに身を包んだ男性と女性がいました。その男性はとても裕福な家の出身らしく、前髪を真ん中でわけていて、髪はウェーブがかかり、肩までたれていたようです。男性の中では一番都会的でおしゃれだったと言います。

伴侶さんが見た映像が正しいとすると、どうやら私たちを含め男性3人、女性2人の最低でも計5人の仲間で、19世紀後半ごろ、この貴族の保養地であるバースに遊びに来ていたことになります。

(続く)

英国探訪記9 「ヨーロッパ旅行(25412)」

ローマ時代の温泉の町バースです。

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写真の建物は史上初の統一イングランド王となったエドガー王が993年に戴冠式を行った教会であるバース・アビー(バース大修道院)。

そのバース大修道院に隣接しているのが、紀元前1世紀にローマ人によって建てられた大浴場ローマン・バスです。

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バースの町は、28年前にも訪れたことがあります。でも観光ではなかったので、街中はほとんど見ていません。

では何をしに行ったかというと、この町でケント大学VSバース大学のテニスの試合があったんですね。私は当時、ケント大学テニス部の6人のレギュラー選手の一人でした。とても国際色豊かなチームで、ほかの五人はアメリカ人留学生のデービッド、ポーランド人のマシュー、ウェールズ出身のイアン、あとはイングランド出身のポールとグラハムでした。ダブルスだけの試合で、双方3ペアによる総当り方式。私はイアンとダブルスを組んで相手のナンバー3を破ればいいという役割でした。

そして試合結果は、私たちのペアが1勝2敗、他の2ペアが2勝1敗の合計5勝4敗でケント大学の勝ちとなりました。私たちは続くダラム大学との試合にも5勝4敗で勝利。全英大学クラブ選手権のベスト8に進んだのですが、準々決勝でロンドン大学に破れ、そのシーズンを終わりました。

今回は当時できなかった市内観光です(笑)。

そして、これが28年前に見ることができなかったローマ風呂です。

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近年になって観光用に彫られたローマ人の彫像とバース大修道院。

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彫像、大修道院、ローマ風呂を一枚の写真に収めます。

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と、すっかり観光気分に浸っていたのですが・・・。
(続く)

英国探訪記8 「ヨーロッパ旅行(25412)」

カンタベリー、ドーバー、ライの町を見学した翌日(8月25日)の英国の空です。

sky

龍雲が出ていますね。でもさすがは英国。龍と言ってもドラゴンのような形の雲に見えます。

こちらはさしずめ鳳凰雲でしょうか。

sky

英国流に言えばフェニックス(不死鳥)の雲。でも英国は肉食の国ですね~。フェニックスが羽根をむしられた鳥の丸焼きのように見えてしまいます(笑)。

この日は途中にわか雨も降りましたが、まずまずの天気。私たちはローマ時代の温泉の町バースへと向かいました。そしてここでも不思議な出来事が起こります。

(続く)



英国探訪記7 「ヨーロッパ旅行(25412)」

カンタベリーを探索した後、私たちはバスでドーバーを見学して、それから石畳の美しいライという町を散策しました。
ライとは、ライ麦のことですね。黒パンや醸造原料となります。J.D. サリンジャーの「The Catcher in the Rye=ライ麦畑でつかまえて」をつい思い出してしまいます。大学一年生のときに英語で読まされました。

これがそのライの石畳の道です。

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家々も花で綺麗に飾られています。

こちらは鐘楼の屋根の上で休んでいたかもめ君たち。

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鐘の真上にも頭だけ見えているかもめ君がいます。

こちらは、ある家の玄関の前にいた鳩さん。

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この町では鳩をいじめたりしないので、近づいてもまったく逃げません。カメラで自分を写そうとする人間を見て、「こいつら何をしているんだ」と、いぶかっているようです。

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ずいぶんと首を傾げていますね。

こちらは、イルカのドアノッカー。

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イルカの尻尾が、ポセイドンが持つ三叉の矛のようになっています。魔よけの意味もあったのでしょうね。ライは造船でも有名な町であります。

最後はセント・メアリー教会の時計。イギリス最古の時計でもあるそうです。

rye

時計の上には英語で「For our time is a very shadow that passeth away(われわれの時は消え行く影の如くにして)」と書かれているようです。シェイクスピア「マクベス」のLife is but a walking shadow(人生はただの歩く影法師なり)に通じるものがありますね。

(続く)

英国探訪記6 「ヨーロッパ旅行(25412)」

カンタベリー大聖堂を後にして、再びカンタベリー市内を散策します。

canterbury

相変わらず、観光客で大賑わいですね。

その観光客の群れを二階から見ている観光客。

canterbury

「ホテル・ショコラ」の看板も見えますね。

canterbury

後で知ったのですが、ここのチョコレートはとても美味しいのだそうです。今度訪ねた時は必ず買うと伴侶さんは言っておりました(笑)。

私たちがお昼を食べたレストラン。

canterbury

ベコニアでしょうか、綺麗な花が飾られていますね。

町の入り口であるウエスト・ゲート・タワーです。

canterbury

私たちの乗ったバスはこのゲートを通ろうとしたのですが、大きすぎて通れませんでした。通れると思った地元のバスの運転手さんは凄いです(笑)。

(続く)

英国探訪記5 「ヨーロッパ旅行(25412)」

カンタベリー大聖堂の探索を続けましょう。

大回廊を見た後、私たちは地下聖堂へと降りていきました。そして大聖堂が所蔵する宝石類や銀食器などが陳列されている場所に来たときです。再び伴侶さんに不思議なことが起こります。昔、その陳列されている銀食器を磨いていた10代の少年の感情が飛び込んできてしまったんですね。それはとても悲しい感情だったようです。どこかに帰りたい、ここは私のいる場所じゃない、とその少年は思っていたと言います。この大聖堂には、公になっていない悲しい物語がたくさんあったのかもしれませんね。

地下聖堂を離れて裏庭に出ると、こんなところもありました。

canterbury cathedral

そこは墓地のような場所で、近くには上のような綺麗な黄色い薔薇が咲いておりました。

再び大聖堂の内部です。

canterbury cathedral

聖歌隊席へと続く入り口を写したものですが、オーブのような靄がかかっているように見えます。過去と現在が交錯する入り口だったりして(笑)。

こちらは、聖トマスの聖所の方向を写した写真です。

canterbury cathedral

これも左下のほうにオーブらしきものが写っているなど、怪しげな写真になっていますね。

そしてまた、不思議なことが起こります。
伴侶さんが柱と柱の間に、青とピンクの光が閃光のように走ったと言うんですね。私がそちらのほうを見たときには、もうそのような光は見えませんでした。だれかがカメラのフラッシュを焚いたのかもしれないと思って、柱の反対側も見ましたが、そのあたりにはだれも人はいませんでした。

何だったのだろうといぶかりつつも見学を続けていると、今度は伴侶さんが、鹿が描かれた壁画が気になるので写真を撮ってほしいと私に言います。
そのとき撮ったのが次の写真です。

canterbury cathedral

鹿の頭のところにオーブらしきものが写っていますね。フラッシュの反射だと思われるのがいやだったので、続けざまに同じ条件で同じ壁画を撮影しました。それがこちらです。

canterbury cathedral


写るはずがない光(拡大してみると、このオーブとみられる光には構造があることもわかります)が、最初の写真には写っていたことがお分かりいただけるでしょうか。

ちなみにフラッシュの反射はこのように写ります。

canterbury cathedral

これなら誰が見ても、フラッシュの反射ですね。光の質感がまったく違います。

鹿の壁画にオーブとみられる光が写る前までは、伴侶さんの肩は何かに押されているように重かったのだそうです。ところがあの写真を撮った後は、重さが消えてすっきりしたと私の伴侶さんは言っておりました。自分の存在を気づいてくれたので、オーブさんが離れて行ったのかもしれませんね。
(続く)

英国探訪記4 「ヨーロッパ旅行(25412)」

それではカンタベリー大聖堂の中をご案内いたしましょう。

内部はこんなところです。

canterbury cathedral

天井もゴシック建築だけあって豪華(ゴチャゴチャ?)ですね。

canterbury cathedral

ステンドグラスも綺麗です。

canterbury cathedral

このような大聖堂の中を、私は人生の旅の伴侶さんと一緒に歩いて見学しておりました。身廊(教会堂の入り口から祭壇にかけての中央部分)を通って、トマス・ベケットが殉教した(暗殺された)という場所を見た後、2人で何気に外の大回廊を見たときです。急に私の伴侶さんがその景色を見たことがあると言い出します。私は以前、この場所を訪れていますが、伴侶さんは初めてのはずです。でも伴侶さんは、この柱と柱の間のこの場所から同じ風景を2人で見たというんですね。時は19世紀後半から20世紀初めにかけての時代。

と、ここまで書いたからには、今回の旅の目的について書かざるをえなくなりましたね。実は今回のイギリスの庭園をめぐる旅は、私たちの前世(あるいは過去生のひとつ)をたどる旅でもありました。私たちには当時のイギリスにいたというかすかな「前世の記憶」があります。私はほとんど断片的にしか見ていないのですが、当時の伴侶さんとみられる女性が古めかしい(19世紀?の)洋服を着てピアノを弾いている場面(私にしては珍しく、彼女の顔もはっきりと見ているんですね)と、その家の階段の上の壁にかけられた彼女の父親とみられる肖像画、それに2人で自転車に乗って外出し、原っぱのような場所でじゃれ合っている場面です。私の伴侶さんはもっとたくさんの映像を見ています。時代や場所ははっきりしませんが、映像の中の服装や雰囲気から19世紀後半から20世紀初頭のイギリスではないかと推察しています。本当にそのような前世があったのか、イギリスを2人で旅すれば、もっと詳しいことがわかると思ったんですね。

さて、私の伴侶さんが見たことがあるという光景の説明に戻りましょう。そのとき彼女が見た映像というのは、当時の彼女が見ている光景をいまの彼女がそのまま見ているという感覚だそうです。近くに当時の私がいて、同じ場所から2人で覗いていたという感じがあり、実際にそのときの映像が現在見ている映像とダブります。いまは変わってしまっていても、昔はそこに何があったかがわかるという場面もあるようです。伴侶さんは自分の姿もわかっていて、当時彼女は、エンジ紫色のツイードのジャケットに、首の上のほうまで高さのあるフリルの付いた白いブラウス(楕円形で縁飾りが付いたサファイアブルーのブローチ付き)、ジャケットより少し濃い目の色のロングスカート、そして小さい帽子も被っていて、やはりエンジ色だったそうです。

にわかには信じられない話かもしれませんが、そのようなデジャヴュ(既視体験)のような映像が実際に見えてしまうんことがあるんですね。私は伴侶さんが言うとおりに、昔2人で見ていたという柱と柱の間から、大回廊とその建物を撮影しました。

それが次の写真です。

canterbury cathedral

(続く)

英国探訪記3 「ヨーロッパ旅行(25412)」

カンタベリー大聖堂の歴史についても、少しご説明しておきましょう。

カンタベリーには元々、ローマカトリックがイングランドの布教活動の中心として大司教座を6世紀ごろから置いていました。ところが、やがてイングランド国王と大司教は対立するようになり、12世紀には国王ヘンリー2世の部下が当時の大司教トーマス・ベケットを暗殺するという事件が起こります。

暗殺事件の後、人々はベケットを殉教者として崇め、国王の評判は地に落ちます。窮地に追い込まれたヘンリー2世は裸足に粗末な服装をして街中を歩き、懺悔せざるを得なかったそうです。当時はまだローマ教皇の力が強かったんですね。それでも16世紀になって英国国教会が設立されローマカトリックと決別すると、カンタベリー大聖堂は今度は英国国教会の総本山となったのでした。

カンタベリー大聖堂への入り口となっているクライスト・チャーチ・ゲートです。

canterbury

そしてこれが、その大聖堂。

canterbury

空に向かって聳え立っていますね。

canterbury cathedral

ところで私が留学していたケント大学は不遜にも(笑)、この大聖堂を見下ろす丘の上にありました。

kent university

当時の大学案内からその風景をコピーしました。
朝もやや霧の中から浮かびあがってくるカンタベリー大聖堂の光景は、いまでも心の印画紙にくっきりと焼きついています。

現在もそうかどうかは知りませんが、同大学の卒業式は大聖堂の中で開かれます。私は一年間だけの留学生だったので卒業生ではありませんが、当時の友達はさぞ荘厳な卒業式を楽しんだのではないでしょうか。

さて今回、カンタベリー大聖堂の中で不思議な出来事が起こりますが、それは明日のブログでご紹介することにいたします。



英国探訪記2 「ヨーロッパ旅行(25412)」

ロンドンからその南東にあるカンタベリーまではおよそ100キロ。電車で約1時間半かかります。そしてそのカンタベリーからは、ヨーロッパ大陸への玄関口であるドーバーまで電車で30分という近さです。

私が29年前にこのカンタベリーにあるケント大学を留学先に選んだのは、ロンドンに近いということもそうなのですが、パリにも近いということが決め手になりました。当時一学期と二学期の間にある冬休みには、私はドーバーから海峡を渡って訪仏。真冬の一ヶ月の間、フランス各地を旅したこともあります。

そんな学生時代をすごしたカンタベリーはこんなところです。

canterbvury

大聖堂のある観光地として栄えていますが、まだ昔の町並みが少し残っていますね。
28年前にスコーンとお茶をいただいた、水路のそばのお店も残っていました。

canterbury

canterbury

それにしても混んでいますね。28年前はこんなには混んでおりませんでした。これもカンタベリー大聖堂が世界遺産に登録されたためでしょうか。

(続く)





英国探訪記1 「ヨーロッパ旅行(25412)」

今日未明、なんと28年ぶりに訪れた英国の旅から無事帰ってきました。いろいろな意味で面白かったですよ~。そのことは追々お話しするとして、ヒースロー空港からホテルに向かう車窓から見たロンドンの夕やけ空です。

ヒースローの空

ロンドン・ヒースロー空港はハブ空港としてひっきりなしに飛行機が離発着するため、ロンドンの空はこのように飛行機雲がいたるところで交差します。まるで大空という巨大なキャンパスに自由に絵を描いているようですね。

そして、これが翌日の朝焼け。

ロンドンの朝焼け

時差ぼけで朝早く目が覚めてしまいます。そのお陰で、綺麗な朝焼けを見ることができました。

この日は、私が1980~81年に留学していたケント大学があるカンタベリーへと向かいました。

(続く)

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