薔薇シリーズ166 「いい言葉(4335)」

▼ユゴーの薔薇4(眠れるボアズ4)
ユゴーの「眠れるボアズ」について若干の補足説明をします。

第9節
ヤコブが眠ったように、ユディットが眠ったように、
ボアズは目を閉じて、葉陰に横たわっていた。
そのとき、天の扉が細めに開かれ、
そこから彼の頭上へと、一つの夢が降りてきた。

ヤコブは『旧約聖書』の「創世記」に出てくる人物ですね。ヤコブは地上から天にまで伸びるはしごに沿って天使たちが昇ったり降りたりしているさまを夢の中で見て、「お前の子孫は繁栄し祝福を受けるだろう」という主の声を聞いたと書かれています。この記述が天の扉から夢が降りてきたという表現につながったのでしょう。でもこれって、UFOの扉が開いて階段が伸びてきて、そこを宇宙人が昇り降りしていた場面のことを言っているのではないか、と思ってしまいますね。

ユディットは『旧約聖書』に出てくる寡婦なのですが、彼女の見た夢については記されていません。ユディットは民族の危機を救うため、自ら進んで敵軍になぐり込み、敵将の首を切って持ち帰ったとされる勇猛な女性です。ジャンヌ・ダルクの原型みたいな人物ですね。

第10節
それはこのような夢だった。ボアズが見たのは一本の樫の木、
それが彼の腹から生えて、青い空まで届いていた。
一つの家系が、長い鎖のようにその木を昇って行き、
一人の王が下で歌い、上では一人の神が死んでいた。

お腹から樫の木が生えて天まで伸びていったという表現は、夢の中とは言え面白いですね。この樫の木は家系図を象徴しています。英語で家系図はまさにtree(木)と言いますね。中世のころのヨーロッパのキリスト教的絵画には、よく体から木が生えて家系図になるという構図が使われていましたから、西洋人にとってはそれほど奇抜な表現ではなかったようです。

「一人の王」とは、ボアズのひ孫に当たるダビデ、紀元前1000年ごろから40年間君臨したとされる古代イスラエル第二代の王のことです。そして木の上の方で死んでいた「一人の神」とは、そのダビデよりさらに28代も後に生まれたとされるイエス・キリストのことです。そのことは『新約聖書』の「マタイ伝」に詳しく書かれています。まあ、一種の権威付けのようなものですが、家系図を永延と語る点については、竹内文書や記紀も似たり寄ったりです。

第11節
ボアズは心の中でつぶやいた。
「どうしてこのようなものが、私の腹から出て来たのか?
私の年齢はすでに80歳を超え、
私には息子もいないし、妻もすでに亡くなっている。

「ルツ記」にはボアズがルツを娶ったときの年齢は書かれていませんが、ユゴーはなんと80歳と設定していますね。ルツはまだ20代でしょうか。もしかしたら10代後半かもしれません。年の差60歳。神の粋な計らい? ユゴーは自分の老後の理想をボアズに重ね合わせたのだとみる評論家もいるようです(笑)。若いルツに刺激されて、冬の白樺のように衰えていたものが、明け方の勝利の美酒のようになったそうです。もうご勝手にという感じですね。

第15節
このようにボアズは、夢と恍惚の中で語った、
まだ眠気に溺れている眼を神の方へ向けながら。
ヒマラヤ杉は、根元の一本の薔薇に気づかない。
ボアズもまた、足元の一人の女に気づかなかった。

ここで薔薇が登場しますね。ボアズとルツの関係をヒマラヤ杉と薔薇の関係にたとえています。ここでの薔薇は、身近にあって気づかない大事なもの、というような意味でしょうか。比較する表現が巧みで、美しいです。形と色がすぐに思い浮かぶので、心に強いイメージが残りますね。

こうしてユゴーは、ボアズやルツの心理描写をちりばめながら、美しい田舎の風景を描写していきます。大自然の中の静かな夜の雰囲気を見事に描いていますね。最後にルツが思い描く、夜空の星々の輝きの描写も、素晴らしいです。この詩はユゴーの傑作の一つに数えられています。

ヴィクトル・ユゴーという薔薇です。

ヴィクトル・ユゴー

写真は先週の土曜日に撮ったものですが、まだまだこれからという感じですね。有名人の薔薇のコーナーにカトリーヌ・ドヌーヴと並んで植えられています。咲いたときに再び写真を紹介しますね。
(続く)
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スフィンクス猫と夕日 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154169)」

先日、スフィンクスのポーズを決めてくれた猫ちゃんですね。

スフィンクス猫

でもどこか、この前のポーズと違います。

スフィンクス猫

足がダランとなっています。ちょっとみっともない?

スフィンクス猫

何よ! いまスフィンクスの間では、こういうポーズが流行ってるの。何か文句あるの?

いいえ、もちろんございません(笑)。

今日の夕日です。

夕日

同じ場所で、桜に焦点を当てて撮ってみました。

桜と夕日

先日、八重桜が散りかけているようなことを書きましたが、まだこんなに咲いていました。八重桜は咲いている期間が長いですね。

今日も残念ながら、富士山は見られませんでした。この時期は靄や雲がかかることが多いです。

明日は「ユゴーの薔薇」の続きを書けると思います(たぶん)。

薔薇シリーズ165 「いい言葉(4335)」

▼ユゴーの薔薇3(眠れるボアズ3)ちょっと間が空きましたが、ユゴーの「眠れるボアズ」の後半です。「ルツ記」のあらすじを参考にしながら、お読みください。

* * *

Comme dormait Jacob, comme dormait Judith,
Booz, les yeux fermes, gisait sous la feuillee.
Or, la porte du ciel s'etant entrebaillee
Au-dessus de sa tete, un songe en descendit.

ヤコブが眠ったように、ユディットが眠ったように、
ボアズは目を閉じて、葉陰に横たわっていた。
そのとき、天の扉が細めに開かれ、
そこから彼の頭上へと、一つの夢が降りてきた。

Et ce songe etait tel, que Booz vit un chene
Qui, sorti de son ventre, allait jusqu'au ciel bleu ;
Une race y montait comme une longue chaine ;
Un roi chantait en bas, en haut mourait un dieu.

それはこのような夢だった。ボアズが見たのは一本の樫の木、
それが彼の腹から生えて、青い空まで届いていた。
一つの家系が、長い鎖のようにその木を昇って行き、
一人の王が下で歌い、上では一人の神が死んでいた。

Et Booz murmurait avec la voix de l'ame :
« Comment se pourrait-il que de moi ceci vint ?
Le chiffre de mes ans a passe quatre-vingt,
Et je n'ai pas de fils, et je n'ai plus de femme.

ボアズは心の中でつぶやいた。
「どうしてこのようなものが、私の腹から出て来たのか?
私の年齢はすでに80歳を超え、
私には息子もいないし、妻もすでに亡くなっている。

< Voila longtemps que celle avec qui j'ai dormi,
O Seigneur ! a quitte ma couche pour la votre ;
Et nous sommes encor tout meles l'un a l'autre,
Elle a demi vivante et moi mort a demi.

共に眠った妻が私の寝床を去って、おお、主よ! 
あなたの御許へ行ってから久しくなります。
今でも私たちは、お互いに深く結ばれ合っています。
妻は半ば生きており、私は半ば死んでいます。

<Une race naitrait de moi ! Comment le croire ?
Comment se pourrait-il que j'eusse des enfants ?
Quand on est jeune, on a des matins triomphants,
Le jour sort de la nuit comme d'une victoire ;

一つの家系が私から生まれる! そんなことが信じられようか?
どうして私に子供ができるというのか?
若いときは、勝利の朝を迎えることもある、
勝利の美酒のように夜から昼が飛び出てくる。

<Mais, vieux, on tremble ainsi qu'a l'hiver le bouleau.
Je suis veuf, je suis seul, et sur moi le soir tombe,
Et je courbe, o mon Dieu ! mon ame vers la tombe,
Comme un boeuf ayant soif penche son front vers l'eau.>

しかし老いては、冬の白樺のように震えるばかり。
私はやもめで孤独の身、私の上に黄昏が落ちてきて、
おお、神よ! 喉の渇いた雄牛が顔を水辺へ向けるように
私は自分の魂を墓の方へと傾けています」

Ainsi parlait Booz dans le reve et l'extase,
Tournant vers Dieu ses yeux par le sommeil noyes ;
Le cedre ne sent pas une rose a sa base,
Et lui ne sentait pas une femme a ses pieds.

このようにボアズは、夢と恍惚の中で語った、
まだ眠気に溺れている眼を神の方へ向けながら。
ヒマラヤ杉は、根元の一本の薔薇に気づかない。
ボアズもまた、足元の一人の女に気づかなかった。

* * *

Pendant qu'il sommeillait, Ruth, une moabite,
S'etait couchee aux pieds de Booz, le sein nu,
Esperant on ne sait quel rayon inconnu,
Quand viendrait du reveil la lumiere subite.

ボアズがまどろんでいる間に、モアブの女ルツが、
胸もあらわに、ボアズの足元に横たわっていた、
目覚めと共に突然の光がやってきたときに、
何か知らない光明を見出すことを期待しながら。

Booz ne savait point qu'une femme etait la,
Et Ruth ne savait point ce que Dieu voulait d'elle,
Un frais parfum sortait des touffes d'asphodele ;
Les souffles de la nuit flottaient sur Galgala.

ボアズは、そこに一人の女がいることを知らなかった。
ルツも、神が彼女に何を求めているかを知らなかった。
さわやかな香りがツルボランの茂みから流れて来て、
夜の息吹はガルガラの丘の上を漂っていた。

L'ombre etait nuptiale, auguste et solennelle ;
Les anges y volaient sans doute obscurement,
Car on voyait passer dans la nuit, par moment,
Quelque chose de bleu qui paraissait une aile.

闇は、高貴で厳粛な婚礼の雰囲気をかもし出していた。
天使たちもおそらく、密やかに舞っていたのだろう、
というのも、夜の間、時折、翼のような青いものが
飛び交うのが見えたのだから。

La respiration de Booz qui dormait,
Se melait au bruit sourd des ruisseaux sur la mousse.
On etait dans le mois où la nature est douce,
Les collines ayant les lys sur leur sommet.

眠っているボアズが立てる寝息は、
苔を洗う小川のせせらぎの音に混じっていた。
それは自然が心地よい季節であり、
丘という丘の頂にはユリが咲き誇っていた。

Ruth songeait et Booz dormait, l'herbe etait noire ;
Les grelots des troupeaux palpitaient vaguement ;
Une immense bonté tombait du firmament ;
C'etait l'heure tranquille ou les lions vont boire.

ルツは夢を見て、ボアズは眠っていた。草は黒々と茂り、
羊の群れは、かすかに鈴の音を響かせていた。
圧倒的な優しさが大空から降り注いでいた。
ライオンが水を飲みに行く、そんな静かな時刻だった。

Tout reposait dans Ur et dans Jerimadeth ;
Les astres emaillaient le ciel profond et sombre ;
Le croissant fin et clair parmi ces fleurs de l'ombre
Brillait a l'occident, et Ruth se demandait,

ウルでもエリマデトでも、すべてが安らいでいた。
底知れぬ暗い空には、星々がちりばめられ、
細く明るい三日月は、この闇に咲く花々に囲まれて、
西の空に輝いていた。そのときルツはふと思った、

Immobile, ouvrant l'oeil a moitie sous ses voiles,
Quel dieu, quel moissonneur de l'eternel ete
Avait, en s'en allant, negligemment jete
Cette faucille d'or dans le champ des etoiles.

身動きもせず、ヴェールに覆われた目を半ば開きながら。
どのような神が、永遠の夏のどのような刈入れ人が、
去り際に、無造作に放り出していったのだろう、
星々の畑の中に輝く、あの黄金の鎌を。


ユゴーは叙情的に優れた詩を書きますね。若干の説明が必要なところもありますが、それは明日のブログで紹介します。
(続く)

雨に煙る薔薇園(後半) 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154169)」

昨日撮影した「雨に煙る薔薇園」の続きです。

オールド・ブラッシュです。

オールド・ブラッシュ

中国で10世紀ごろから栽培されていたコウシンバラの一品種です。花は盃状の八重咲きとなり、色は銀色がかったピンクとなります。ヨーロッパに最初に紹介された四季咲きの薔薇だそうです。

なんと、散り始めた薔薇も見つけました。

ロサ・コカニカ

ガクだけになっている部分があるのがわかると思います。地面には花びらが何枚も落ちていました。ロサ・コカニカという品種だそうです。初夏に輝きのある黄色の花をつけると書かれていましたが、ずいぶん早く咲いてしまったものです。それに黄色ではなく白色に近いですよね。コカニカの写真を見ると、形はそのものです。

まだ咲いていない薔薇もあれば、このように散り始めた薔薇もあります。一週間前に来た時には、コカニカは咲いていませんでしたから、この一週間で花を咲かせ、散らしたことになります。何週間も咲く薔薇もあれば、一週間足らずで散ってしまう薔薇もあるのですね。

ここまでが、神代植物公園薔薇園の「オールド・ローズ園」に咲いていた薔薇たちでした。
「オールド・ローズ園」の隣には、かつてコンクールに出展された新品種の薔薇園もあります。

そこで咲いていた番号だけの「名も無き薔薇たち」を紹介しましょう。

名もなき薔薇

名も無き薔薇

どちらも趣がある薔薇ですね。

さて、メインの薔薇園を見てみましょう。さすがに咲いている花はほとんどありません。

その中で花を咲かせつつあったのが、この薔薇です。

カトリーヌ

名前は「カトリーヌ・ドヌーヴ」。ミュージカル映画『シェルブールの雨傘』で一躍スターダムにのしあがったフランス映画界の女王ですね。シェルブールという港町には、1981年の春に一度訪れたことがあります。そこからイギリスに渡ろうとしたのですが、いい便がなかったので、再びパリまで戻り、カレーからドーバー海峡(フランス語ではカレー海峡)をドーバーへと渡りました。

おっと、また脱線してしまいました(笑)。

定点観測している「つるクリムソン・グローリー」の蕾です。

つるクリムソン・グローリー

一週間前よりも蕾が膨らんできたのがわかります。
上の写真はフラッシュを焚いたショットですが、フラッシュを焚かないと(発光禁止モードにすると)、こうなります。

つるクリムソン・グローリー

ちょっと印象が変わってきますね。

昨日はボタンが満開でした。

ボタン

次に紹介するボタンは・・・

八重桜

・・・なんと「八重桜」と名づけられていました。確かに桜色のおしとやかなボタンではありますね。

薔薇園と牡丹

最後は雨に煙る薔薇園と、見ごろになっている藤を背景にして、ボタンを撮影しました。

雨に煙る薔薇園1 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154169)」

今日は夜から雨が降るはずが、午後の早い時間から降り始めてしまったので、雨に煙る薔薇園の紹介になってしまいます。

神代植物公園で今日咲いていたのは、まずはこの薔薇です。

ナニワイバラ

ナニワイバラという薔薇です。常緑性のツル薔薇で、花は大輪の一重咲き。白い花に鮮やかな金色のオシベが特徴です。中国中南部原産ですが、日本の暖地では野生しているそうです。

次は4月19日にも紹介したキモッコウバラ。

キモッコウバラ

一週間前には1,2輪しか咲いていなかったのに、今はほぼ満開です。

そのお隣にはシロモッコウバラが咲き始めていました。

シロモッコウバラ

清楚な感じのする、かわいらしい薔薇ですね。

次の薔薇はセンパフローレンスです。

センバフローレンス

樹高は1メートルほどの低いブッシュ状になり、茎には平たい棘が疎らに生えます。花は半八重咲きで深紅色、後に紅色に変わるそうです。

秋に紹介したシングル・ピンク・チャイナもちらほらと咲いていました。

シングル

明日に続きます。

薔薇シリーズ164 「いい言葉(4335)」

▼ユゴーの薔薇2(眠れるボアズ2)
「眠れるボアズ」の後半に入る前に、「ルツ記」のあらすじをご紹介しましょう。おそらくキリスト教文化圏の方には馴染みのある話なのでしょうが、非キリスト教文化圏の日本人には「ルツの物語」と言ってもピンと来ませんものね。

「ルツ記」は4章しかなく、5~10分もあれば全部読めてしまいます。物語は簡単です。

士師(さばきづかさ)が世を治めていたころ、飢饉があったので、エリメリクという男が妻ナオミ(日本人の名前みたいですね。「楽しみ」という意味だそうです)と二人の息子を連れて、ベツレヘムを去り、モアブの地へと移住します。ところがエリメリクは亡くなり、息子二人も現地の女性と結婚した後、相次いで死んでしまいます。残されたのは、ナオミと二人の義理の娘です。

途方に暮れたナオミは、故郷のベツレヘムの飢饉が去ったことを知ると、故郷に帰ることを決意します。そのとき、義理の娘の一人はモアブに残り、もう一人の義理の娘ルツは姑であるナオミと一緒にベツレヘムへ行くことになりました。

二人はベツレヘムに無事到着しますが、そこで生きていかなければなりません。そこでルツはナオミに言われて、麦畑で落穂拾いをします。するとその畑がたまたま、エリメリクの親戚の中で裕福であったボアズの畑だったんですね。

ボアズは、ルツがナオミと一緒にモアブの地から一緒に帰ってきたことを知ると、ルツの姑思いの生き方に心を打たれます。そこで自分の畑で落穂拾いをすることを認めたうえで、足りない場合は「わざと麦の穂を落としてやってくれ」と、従僕に命じます。

その話をルツがナオミにすると、ナオミは一計を案じます。なんとボアズに夜這いをかけるようにルツに命じるんですね。もちろん「ルツ記」には夜這いをしろと言ったとは書かれておりません。皆が寝静まったころ、ボアズの寝床を見つけて、「その足のところをまくって、そこに寝なさい」とルツに言ったことになっています。どう考えても、色仕掛けでボアズを落とせと言っているように聞こえます。

ルツは言われたとおりにボアズの寝床に入り込みます。夜中に目覚めたボアズは、自分の足元に一人の娘が眠っているのに気づいて驚きます。名前を尋ねると娘は「あなたのはしためルツです。あなたのすそで、はしためをおおってください。あなたは最も近い親戚です」と答えました。

おそらくボアズは、健気なルツのことを愛しく思ったのでしょう。その場では手を出さなかったようですが、翌日親戚の人と町の長老を集めて、会議を開きます。その場でボアズは、故エリメリクのすべてのものをナオミから買い取り、また死んだものの名が途絶えないよう、エリメリクの息子の嫁であったルツをもらい受け、妻とすることを宣言します。

こうしてボアズは、落穂拾いの貧しい女であるルツを妻に娶り、男の子オベデが産まれます。そのオベデからエッサイが生まれ、エッサイから古代イスラエルの王ダビデが生まれたのだと「ルツ記」は結んでいます。
(続く)

「ルツ記」とは関係ありませんが、海辺のカラスと富士山です。

カラスと富士山

4月1日の「富士100景」からです。カラスの足跡はすでに紹介済みでしたね。

薔薇シリーズ163 「いい言葉(4335)」

▼ユゴーの薔薇1(眠れるボアズ1)
いや~、お待たせしました(?)。薔薇シリーズの再開です。

ボードレールと同時代に活躍し、ボードレールとは対照的に著述家として大成功したヴィクトル・ユゴー。日本でも『レ・ミゼラブル(ああ、無情)』『ノートルダムのせむし男』を書いたフランスの文豪として知られています。でもほとんど知られていない、あるいはほとんど読まれていないと思いますが、ユゴーは膨大な詩を残し、ロマン派の総帥として19世紀最大の詩人と目されてもいるんですね。

ユゴーはどのような詩を書いたのでしょうか。彼の生い立ちや人生について語る前に、実際に彼の詩を読んでみましょう。タイトルは「眠れるボアズ」。『旧約聖書』の「ルツ記」に材を得ています。長いので二回にわけて紹介します(薔薇が出てくるのは後半部分です)。


Booz Endormi(眠れるボアズ)

Booz s'etait couche de fatigue accable ;
Il avait tout le jour travaille dans son aire,
Puis avait fait son lit a sa place ordinaire ;
Booz dormait aupres Des boisseaux pleins de ble.

ボアズは疲労困憊して横になっていた。
一日中、彼は麦打ち場で働いていたのだ。
そしていつもの場所に寝床をしつらえて、
ボアズは小麦であふれた大枡のそばで眠っていた。

Ce vieillard possedait des champs de bles et d'orge,
Il etait, quoique riche, a la justice enclin ;
Il n'avait pas de fange en l'eau de son moulin,
Il n'avait pas d'enfer dans le feu de sa forge.

この老人は、大麦や小麦の畑をいくつか持っていた。
彼は裕福ではあるけれど、正しい心の持ち主だった。
彼の水車場の水は泥で汚れておらず、
彼の鍛冶場の炎は地獄の影を宿していなかった。

Sa barbe etait d'argent comme un ruisseau d'avril.
Sa gerbe n'etait point avare ni haineuse ;
Quand il voyait passer quelque pauvre glaneuse :
<Laissez tomber expres des epis>, disait-il.

彼のあごひげは、四月の小川のように銀色に輝いていた。
彼の麦束は、惜しみなく、わけ隔てなく与えられた。
貧しい落穂拾いの女が通りかかると、彼は
「わざと麦の穂を落としてやってくれ」と言うのだった。

Cet homme marchait pur loin des sentiers obliques,
Vetu de probite candide et de lin blanc ;
Et, toujours du cote Des pauvres ruisselant,
Ses sacs de grains semblaient des fontaines publiques.

この男は清き道を歩き、邪な道は遠ざけた。
純真な誠実さと純白の麻を身にまとっていた。
そして常に貧しい人々の方へと流れていく
彼の穀物袋は、公共の泉のようであった。

Booz etait bon maitre et fidele parent ;
Il etait genereux, quoiqu'il fut econome;
Les femmes regardaient Booz plus qu'un jeune homme,
Car le jeune homme est beau, mais le vieillard est grand.

ボアズはよき主人であり、親族にも忠実であった。
慎ましいけれども、物惜しみはしなかった。
女たちは若い男よりもボアズに心を惹かれた。
若い男は美しくとも、その老人には偉大さがあったからだ。

Le vieillard, qui revient vers la source premiere,
Entre aux jours eternels et sort des jours changeants ;
Et l'on voit de la flamme aux yeux des jeunes gens,
Mais dans l'oeil du vieillard on voit de la lumiere.

原初の泉へと帰りつつあるその老人は、
移ろいやすい日々を離れ、永遠の日々へと入っていく。
若い男の眼には情熱の炎が見えるが、
その老人の眼差しには光が見える。

* * *

Donc, Booz dans la nuit dormait parmi les siens ;
Pres des meules, qu'on eut prises pour des decombres.
Les moissonneurs couches faisaient des groupes sombres;
Et ceci se passait dans des temps tres anciens.

こうしてボアズはその夜、彼の仲間とともに眠っていた。
崩れ落ちた家のようにも見える麦山のそばでは、
刈入れをする人たちが暗い塊となって横たわっていた。
これははるか昔の物語である。

Les tribus d'Israël avaient pour chef un juge ;
La terre, ou l'homme errait sous la tente, inquiet
Des empreintes de pieds de geant qu'il voyait,
Etait encor mouillee et molle du deluge.

イスラエルの民は士師(さばきづかさ)を長としていた。
人々はテントに暮らして大地をさまよい、
巨人の足跡を目にしては不安におののいていた。
その大地はまだ、あの大洪水の名残でぬかるんでいた。


ここまでが、前半部分です。昔、ノアの大洪水の傷跡がまだ癒えぬころ、イスラエルの民がテント暮らしをしていて、その民の中にボアズという誠実で、貧しい者に施しを与える老人がいたとユゴーは語り出します。この詩には書かれていませんが、「ルツ記」によると、場所はベツレヘム(現在のパレスチナ自治区の一都市)です。

「士師(さばきづかさ)」は、王国成立以前の古代イスラエルの政治的・軍事的指導者のことです。「ルツ記」の冒頭にも、「士師(さばきづかさ)」の記述があります。そして「貧しい落穂拾いの女」とは、モアブ出身の女ルツのことですが、どのような物語が展開するかは、明日のブログでお話します。

さて、写真は山伏の行列ですが、山伏の兜巾(ときん)に注目してください。

山伏の兜巾

ユダヤ教徒が祈りの際に額に付ける黒い小箱のヒラクティリーと山伏の兜巾は非常によく似ており、日ユ同祖論の根拠にしばしば挙げられます。中丸薫さんによると、皇室の男子は生まれるとすぐに割礼をするそうですから、日本(皇室?)とユダヤには、何らかの関係がありそうですね。古代イスラエルの話が出たので少し脱線しました(笑)。
(続く)

夕暮れに変容する富士山(続き) 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154169)」

夕暮れの富士山

昨日はここまでご紹介しましたね。太陽が富士山に接してから3分後の光景です。午後5時53分ごろですね。

私のカメラはコンパクトデジカメです。でも最近のコンパクトデジカメは機能がすぐれていますので、簡単に夕暮れが撮影できます。ここまでの写真は、露出は空を基準にしています。だから海が暗くなっていますね。でも露出の基準を手前の海にもってくることもできます。

それが次の写真です。上の写真とまったく同じ時刻(午後5時53分ごろ)に撮影しました。

夕暮れの海

こうすると、夕空を反射する海が綺麗に写る一方、空が白けてしまいます。同時刻の写真なのに、印象が違ってきますね。

私はどちらかと言うと、空を美しく撮りたいと思っているので、空を基準にしています。

1分後に空を基準に撮影したのが下の写真です。

富士の夕暮れ

こちらのほうが夕暮れの雰囲気がよく出ています。

さらに1分後の世界。

夕暮れの富士山

幻想的な光の世界です。午後5時55分ごろでしょうか。

同じ時刻。下の写真は人影も写っているので、より効果的な写真になっています。

人影

午後5時55分には1分間で5枚撮影していますが、以前紹介した次の写真もその中の一枚でした。

富士山

午後5時56分。黒の闇と夕日のオレンジ色のコントラストが深まっていきます。

夕闇と富士

午後5時57分。

夕暮れと富士山

かなり暗くなってきましたね。普通のオート機能で撮影できるのもここまでです。
暗すぎてフラッシュなしでは、撮影できなくなってしまったんですね。フラッシュを焚くと、近場しか写らず、空が真っ暗になってしまいます。

だけど工夫すれば、暗くても撮影できます。フラッシュの発光禁止機能を選択して、手ブレをある程度覚悟して長時間露光にすればいいんですね。本当は三脚を使ってブレないようにすれば完璧なのですが、私はお気楽・お手軽な撮影が好きなので、三脚は持っていません。

それでもまあまあの写真が撮れます。

それが以前紹介した次の写真です。

黄昏と富士山

かなり明るく写っていますが、肉眼ではもっと暗いです。このときの時刻は午後6時13分ごろでしょうか。太陽の上辺が地平線に接する日没からすでに10分が経過しています。あたりは真っ暗でも、露光時間を長くとることによって、明るく写すことができるんですね。でもご心配なく、どのくらいの長さにするかは、デジカメが自動的にやってくれます。私たちがやらなければならないのは、フラッシュ発光禁止にすることと、長い露光時間でも手ブレを極力防ぐことです。

手ブレを防げば、ほらこのとおり。

夕闇と富士

おや、左上の上空には「UFO」まで写っていますね(笑)。

午後6時18分。かなり暗いですが、このような写真も撮影できます。

夕闇と富士山

江ノ島もはっきりと写っています。海に反射する夕焼けも綺麗です。砂浜に光の道ができたみたいですね。

私は稲村ヶ崎から夕日を追って、西へ西へ(江ノ島の方へ)と歩きながら、撮影しました。

午後7時45分。歩き始めて50分ほど経過しています。
あたりはすっかり日が暮れて、町の明かりだけが浮かび上がります。

町の明かり

江ノ島の町の灯です。
こうして一日が終わっていきました。

夕暮れに変容する富士山 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154169)」

4月1日のブログで一部紹介しましたが、富士山に沈む太陽の夕暮れ時の写真を連続でご紹介しましょう。

この日の日没時間は午後6時3分でした。
場所は稲村ガ崎。

稲村ガ崎

上の写真は日没の1時間45分ほど前、午後4時20分ごろです。
まだ太陽は高い位置にあるのでまぶしく、富士山もかすんで見えますね。
ただ輪郭ははっきりしているので、綺麗な日没が見られることがわかります。

次は日没の35分前、午後5時半ごろです。

富士の夕日

ずいぶん太陽も傾いてきました。
さらに15分経つと、太陽が富士山に接します。

富士山と夕陽

富士山と夕陽

上の二枚は4月1日に公開したのと同じ写真です。正確な時刻はわかりませんが、午後5時50分ごろだと思います。

太陽が富士山の向こう側に隠れるにつれて、空や海の色がどんどん変わっていきます。

富士山と太陽

富士山

とうとう太陽は富士山の向こう側に没してしまいました。

しばしの沈黙の時間が訪れます。

浮かび上がる富士

富士山の姿が、影絵のようにくっきりと浮かび上がってきましたね。

富士の夕焼け

夕焼け空を照り返す海も美しいです。

夕暮れの富士山

黒色がますます濃くなっていきます。

夕暮れの富士山

夕陽が富士山に接してから、上の写真の光景まで、わずか3分間の出来事です。
刻々と変化していきますね。

この後の変容は、また明日のブログでご紹介します。

黒ちゃん登場、カメ、富士山 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154169)」

神代植物園の近況の次は、私の近況です。

トトロ

トトロみたいですね。

黒ちゃん

こちらはフクロウみたいです。

黒ちゃん

上の写真は「あっち向いてホイ」をやっているところ?

ということで、プロフィールに使わせてもらっている黒ちゃんも私も元気です。

次の写真は非常に私によく似ていますが、私ではありません(笑)。

亀

神代植物公園の池に生息するカメさんですね。以前、鴨の夫婦の夕日のショットを撮りましたが、ほぼ同じ場所から撮影しています。メタセコイアの並木に近い私のお気に入りの場所です。

砂浜に残された私の足跡と富士山です。

足跡と富士山

4月1日に撮影した「富士100景」の一枚でもあります。

その足跡をアップすると・・・?

カラスの足跡

・・・これはカラスの足跡でした。
誰ですか、私の目尻にも同じものがあると言っているのは!?
・・・実はそのとおりです。

富士山

これも「富士100景」の一枚。ちなみに、このワンちゃんは私ではありません、念のために。

近況をお伝えしました(笑)。

神代植物公園便り 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154169)」

昨日に引き続き、この時期に咲いている神代植物公園の花々をご紹介します。

藤のそばの花壇に咲いているチューリップです。

チューリップ

花壇中央に咲いているのはパンジー。和名ではサンシキスミレ(三色菫)ですね。

こちらの花壇には、チューリップと葉牡丹が植えられています。

チューリップとハボタン

葉牡丹は、「キャベツ」の中央から茎が伸びて黄色い花を咲かせます。

その葉牡丹と桜を背景に、チューリップを撮影してみました。

チューリップ

正門の前の花壇にもチューリップが植えてあります。

チューリップ

次はセイヨウシャクナゲ(西洋石楠花)です。

セイヨウシャクナゲ

つつじ科ですね。大きな花を咲かせていました。

白木蓮や辛夷の花はとっくに散ってしまいましたが、トウモクレン(唐木蓮)は綺麗に咲いています。

トウモクレン

花が紫色ですね。

この時期は、里桜がほぼ満開です。

里桜

カンザン(関山)という、代表的な八重桜(里桜)ですね。

カンザン

次は八重に咲いていますが、なんという名前か忘れました。フゲンゾウでしょうか。

里桜

下の写真は、おそらくフゲンゾウ(普賢象)でしょう。
普賢象は普賢菩薩の乗っている象の事で、葉化した雌しべがこの象の鼻に似ているためこの名がついたそうです。

フゲンゾウ

こちらは、かわいそうに3日ほど前の強風で折れてしまった普賢象です。

折れたフゲンゾウ

早く養生したほうがいいと思いますが、専門家さんにお任せしましょう。

枝垂れ桃も咲いていました。

シダレモモ

芝桜も色鮮やかです。

芝桜

いずれも4月19日に撮影した写真でした。

神代植物園の薔薇が咲きました 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154169)」

神代植物公園のばらフェスティバルまであと一ヶ月となったこともあり、今日は神代植物公園の近況をお伝えします。

昨日、様子を見に行ってきました。

まずは薔薇園です。

薔薇園

冬の間、剪定されて枝だけになっていた薔薇たちも、今はずいぶん葉が茂っています。噴水の向こう側に見える白い建物がコンサート会場ですね。

メインの薔薇園では、薔薇はまだ咲いていません。でも、あちらこちらで蕾が見受けられました。

蕾

上の写真は、つるクリムゾングローリーの蕾です。どのような花を咲かせるのでしょうね。

オールドローズの薔薇園では、すでに花を咲かせている薔薇がありました。

オールドローズ

ロサキネンシス・ミニマという薔薇です。英語名はFairly Rose(妖精の薔薇)。

ロサキネンシスミニマ

確かに妖精のように可憐ですね。こんなに早く咲くのも、妖精の魔法のおかげでしょうか。

妖精の薔薇

現代のミニチュアローズの親とされ、中国原産だそうです。

魔法の薔薇

もう一種類咲いている薔薇がありました。

黄色い薔薇

キモッコウバラ(モッコウバラの変種)です。

キモッコウバラ

この薔薇は茎に棘がないんですね。房状の八重咲きで、ほのかにいい香りがします。これも中国原産です。

オールドローズ園の周りでは、フジ(ノダフジ)やヤマフジの花が咲いています。

フジ

とてもいい香りがします。

白いフジもあるんですね。

白いフジ

こちらも香りが素晴らしいです。

フジとチューリップ

上の写真のフジは、確かジャコウフジと書いてありました。少しだけ、変わった香りがします。奥の花壇にはチューリップが咲いているのが見えますね。

春の花満開の近況は、明日も続きます。

江ノ島~鎌倉の風景2 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154169)」

猫ちゃんの名誉(?)のために申し上げますが、いつも眠っているわけではありません(笑)。

同じ時刻、同じ境内でも、この白黒ちゃんはしっかり起きていて、私のことを構ってくれました。この子は以前のブログ(「真昼の決闘」の3カット)でも紹介した猫ちゃんです。

黒白ちゃん

近づいても文句を言いません。

猫顔

お利口さんな顔をしていますね。神秘の瞳でしょうか。

「細かい砂のような金のかけらが、彼らの神秘の瞳にぼんやりとちりばめられている」(ボードレール「猫たち」)。

次の子も、目を閉じていますが、ちゃんと起きています。

横顔

お耳がかわいいです。

こちらは江ノ島の猫ちゃん。

江の猫

なかなかこっちを向いてくれません。

「金属と瑪瑙(めのう)を混ぜ合わせた、お前の美しい眼に浸らせておくれ」(ボードレール「猫」)・・・なんて思っちゃいますね。

鎌倉・由比ガ浜のウィンド・サーフィンです。

ウィンドサーフィン

沖に浮かぶ、何艘もの帆船のようです。

「お前が裾の広いスカートを翻しながら風を切って進むとき、お前はまるで沖へと駆け出す美しき船のようだ」(ボードレール「美しき船」)

ウィンドサーフィン

光の海の中を滑って行きます。

ウィンドサーフィン

深い湾のようになっている由比ガ浜は波がないので、ウィンドサーフィンのメッカになっているんですね。

最後は、高台から眺めた夕日の連続ショットです(ほぼ1分間隔で撮影しています)。

夕日

遠くに江ノ島。右中央の稲村ヶ崎の辺りでは、沖へ向かって潮の流れがあることが、海の色の違いでわかりますね。下に見えるのは逗子マリーナです。

夕日と桜

ほとんど葉桜になっていますが、八重桜と伴に撮影してみました。

桜と夕日と江ノ島

この日は快晴でしたが、地平線には雲がかかっていて、富士山は見えませんでした。

夕日

もし地平線の雲がなければ、ちょうど江ノ島の上あたりに富士山が見えます。
まさに絶景ポイントですね。

「私たちはしばしば、永遠に変わらぬものについて語り合った、赤々と燃える石炭によって照らし出された夕暮れに」(ボードレール「バルコニー」)

江ノ島の猫ちゃん以外の写真はすべて、4月15日に撮影しました。

眠れるスフィンクス 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154169)」

私はスフィンクス。夢想の底に横たわり、終わりのない夢の中にまどろむの。

ネコ・スフィンクス

でもエジプトのスフィンクスと違って、私は前脚だって、ほらこのとおり、折りたためるのよ、ボードレールさん!

ネコ

かわいい猫ちゃんですね。スフィンクスのポーズも決まっています。

こちらもスフィンクス。

スフィンクス・ネコ

この子は、この境内の親分的存在です。堂々としています。

墓守ネコ

スフィクスがピラミッドを守っているように、ちゃんと墓守をしているんですね。

「私だって、お墓を守っているのよ」

ネコ

でも寝ているだけじゃん、虎ちゃん。

こちらの猫ちゃんもお墓の前で熟睡。

熟睡ネコ

本当によく眠っています。

熟睡ネコ

こっちでも。

熟睡ネコ

そしてこっちでも。

熟睡ネコ

一生懸命、仕事に励んでいます。何と言っても、寝るのが仕事ですからね。

お墓の前で泣かないで、このようにゆっくりお昼寝ください(笑)。

気高いスフィンクスさんたちでした。

江ノ島~鎌倉の風景 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154169)」

ボードレールが終わってキリがいいので、今日はこれまで掲載できなかった猫ちゃんやリスちゃんの写真を公開します。

最初にご紹介するのは、白木蓮です。

白木蓮

ちょっと古い写真ですが、3月22日に鎌倉で撮影したものです。
明月院から瑞泉寺へと抜ける「天園ハイキングコース(約5キロ)」を歩いた後、瑞泉寺のそばで見つけました。

白木蓮

あまりにも見事に咲いていたので、しばし見惚れてしまいました。

全体像はこちらです。

白木蓮

電線がちょっと邪魔していますね。でも、住宅地にこれだけ見事な木蓮があるのは素晴らしいことですね。

こちらは別の民家の木蓮。

白木蓮

白木蓮だと思いますが、なぜか一輪だけ紅が混ざっています。
辛夷(コブシ)との違いについては、こちらのサイトにわかりやすく書かれていました。最終的に完全に開いてしまうのが、コブシでしたね。いつものように忘れていました(笑)。

次は猫ちゃん。

猫ちゃん

「みゃ~、入れてよ~」
飼い猫ちゃんですが、閉め出されちゃったんですね。2月16日の江ノ島で撮影したものです。道を歩いていると、時々こういう光景に出くわします。

お待たせ(?)しました! 鎌倉のリスちゃんです。

リス

物音がするので、何かなと見上げたら、リスちゃんでした。
面白い声で鳴くんですよね。
源氏山公園のそばで3月11日に撮影しました。

「何か用かい?」

リス

正面を向いて、ポーズを取ってもらいました。

トンビ(鳶)の乱舞です。

トンビ

12羽以上写っていそうですね。
江ノ島のそばの龍口寺境内で3月22日に撮影しました。
トンビは江ノ島名物。湘南の上空をたくさん飛んでいます。

最後は4月1日に撮影した「富士山100景」からの一枚です。

富士山

天界がしばしの間見せてくれた、幻想的な影絵の世界です。

薔薇シリーズ162 「いい言葉(4335)」

▼悪の華と薔薇21(ボードレールの作品と生涯)
ボードレールの生涯についても、ざっと触れておきましょう。23歳で準禁治産者になって、実父の遺産を自由には使えなくなったことは、すでに述べましたね。それまでのダンディな生活ができなくなり、なおかつ自分が書いた絵画批評の小冊子の出来が悪かったためか、1845年、24歳のときに自殺未遂事件を起こします。

事前に遺書を法廷後見人に送りつけて、自分は胸にナイフを突き刺して死のうとしました。ところが傷はかすり傷程度で、とても死ねるようなものではありません。だけどボードレールは気絶するんですね。やはり繊細な詩人さんです。

この事件の後も、世間から見捨てられたようなボードレールの屈辱的な生活は続きます。期待した母親からの同情も十分には得られず、彼の孤独な苦悩は深まるばかりです。当時はジャンヌだけが「唯一の安らぎ」だったと、ボードレールは手紙に書いています。

このころからボードレールの不満の矛先は、自分の境遇は理不尽な階級制度や抑圧的な法律にあるのだと考えるようになるんですね。その階級制度の先には、オーピック将軍という、母親を奪った義父がいたのでしょう。ボードレールは、社会主義者ピエール・ジョセフ・プルードンの急進主義的社会運動に加わります。そして1848年の二月革命に加担、王政派政府攻撃の筆陣を張ります。あわよくば、王政下で将軍の地位に上り詰めた義父を追い落とせる、あるいは亡き者にできるとの期待もありました。

しかしボードレールの希望に反して、義父のオーピック将軍は革命の動乱をうまく立ち回るんですね。共和政の臨時政府が誕生すると、すぐに新政権に組します。そしてまんまとトルコ駐在大使に指名されます。

落胆したボードレールは、次第に政治への関心を失っていきます。1851年にルイ・ナポレオンのクーデターが起こったのを機に政治運動と決別し、文筆業に専念するようになったようです。その中で、サバチエ夫人と知り合ったり、マリーに夢中になったりしていたわけですね。

1857年に出版された『悪の華』にけちをつけられたことは、ボードレールにとっては経済的にも精神的にも大打撃でした。以後死ぬまで、厭世観や挫折感が彼を支配します。しかしその暗く彩られた人生の最後の時期に、文芸評論『1859年のサロン』や散文詩集『パリの憂鬱』といった傑作を書いてもいるんですね。

『悪の華』は1861年に友人の出版業者によって再版されますが、その出版社は倒産、ボードレールもその失敗に巻き込まれ、ますます財政状態が悪くなります。1864年には、債権者の督促を逃れる目的もありベルギーへ講演旅行に出かけ、そのままベルギーで新しい生活を始めます。でも講演は不評で、全集の出版計画も頓挫します。

失意のボードレールに追い討ちをかけたのは、梅毒の影響とみられる症状がひどくなってきたことです。病苦と窮乏の中にあって、祖国フランスに残してきた母親への思いも募ります。

ボードレールは1866年2月、友人らとベルギーのナミュール市にある寺院を見物中に卒倒します。脳神経をやられて失語症になるんですね。急報に接した母親はボードレールをパリに連れ戻し、入院させます。しかし、もう手遅れでした。翌67年8月31日、ボードレールは46歳の生涯を閉じます。

ボードレールは、パリのモンパルナス墓地に埋葬されました。偉大な詩人としては寂しい葬儀で、友人の中にはあまりにも参列者が少ないことに嘆く人もいました。その死を報じる新聞も単なる死亡記事扱いにするところが多く、この反逆の詩人はそのまま忘れ去られてしまうかに思われました。

時代は変わります。ボードレールの死後30年が過ぎようとしているころには、彼の作品に対する評価がドンドン高まっていきます。20世紀になると、ボードレールの詩は、中学生により隠し読みされるようになります。世代から世代へと密かに読み継がれていたんですね。1917年には彼のすべての作品の公刊が可能となり、今日では19世紀最大の詩人に数えられています。

薔薇シリーズ161 「いい言葉(4335)」

▼悪の華と薔薇20(レスボス後半)
レズビアンの島とされた「レスボス」の後半部分です。

Car Lesbos entre tous m'a choisi sur la terre
Pour chanter le secret de ses vierges en fleurs,
Et je fus de l'enfance admis au noir mystere
Des rires effrenes meles aux sombres pleurs;
Car Lesbos entre tous m'a choisi sur la terre.

レスボスは、地上のすべて詩人の中から私を選んだ、
花盛りの乙女たちの秘密を歌わせるために、
だから私は幼少のころから、黒い秘密の園に入ることを許された、
暗い涙の混ざった奔放な笑いの秘密の園に。
レスボスは、地上のすべて詩人の中から私を選んだ。

Et depuis lors je veille au sommet de Leucate,
Comme une sentinelle a l'oeil percant et sur,
Qui guette nuit et jour brick, tartane ou frigate,
Dont les formes au loin frissonnent dans l'azur;
Et depuis lors je veille au sommet de Leucate,

それ以来、私はルカート岬の上で寝ずの番をしている、
鋭く確かな目を持つ歩哨兵のように、青い海の彼方で
影を震わす小型帆船、あるいはフリゲート艦を
見逃すまいと昼夜を問わず見張りをする。
それ以来、私はルカート岬の上で寝ずの番をしている。

Pour savoir si la mer est indulgente et bonne,
Et parmi les sanglots dont le roc retentit
Un soir ramenera vers Lesbos, qui pardonne,
Le cadavre adore de Sapho, qui partit
Pour savoir si la mer est indulgente et bonne!

海が寛大で優しいかを知るために、
岩の音がとどろく、すすり泣きの中で、ある晩
海が、身投げしたサッフォーの崇高な亡骸を
許しの島のレスボスの岸へと連れ戻してくれるのか、
海が寛大で優しいかを知るために!

De la male Sapho, l'amante et le poète,
Plus belle que Vénus par ses mornes paleurs!
―― L'oeil d'azur est vaincu par l'oeil noir que tachete
Le cercle tenebreux tracé par les douleurs
De la male Sapho, l'amante et le poete!

男勝りのサッフォー、恋人にして詩人のサッフォーよ、
鈍い青白さゆえに、ヴィーナスよりも美しい!
――ヴィーナスの青い瞳さえ、苦悩が残した
暗い縁取りの黒い瞳にはかなわなかった。
男勝りのサッフォー、恋人にして詩人のサッフォーよ!

―― Plus belle que Vénus se dressant sur le monde
Et versant les trésors de sa serenite
Et le rayonnement de sa jeunesse blonde
Sur le vieil Ocean de sa fille enchante;
Plus belle que Venus se dressant sur le monde!

――世界に君臨するヴィーナスよりも美しい
その清明さという魂の宝玉を
その金髪の若さという輝きを
自分の娘に見とれる年老いた海に投げ入れた。
世界に君臨するヴィーナスよりも美しい!

――De Sapho qui mourut le jour de son blaspheme,
Quand, insultant le rite et le culte invente,
Elle fit son beau corps la pature supreme
D'un brutal dont l'orgueil punit l'impiete
De celle qui mourut le jour de son blaspheme.

――神を冒涜した日に死んだサッフォー、
儀式とでっち上げられた信仰を侮辱しながら
彼女はその美しい体を、傲慢にも不信心を罰した
野蛮な獣の格好の餌食としてしまった。
神を冒涜した日に死んだサッフォー。

Et c'est depuis ce temps que Lesbos se lamente,
Et, malgre les honneurs que lui rend l'univers,
S'enivre chaque nuit du cri de la tourmente
Que poussent vers les cieux ses rivages deserts.
Et c'est depuis ce temps que Lesbos se lamente!

そのとき以来、レスボスは嘆いているのだ、
世界がかしずくという栄誉を得ながら、
人気のない岸辺から空へと昇っていく
苦痛の叫びに毎晩酔いつぶれる。
そのとき以来、レスボスは嘆いているのだ!


事実は確かではありませんが、伝説では美少女か美青年かの恋に破れたサッフォーがレスボス島のルカート岬から身投げして死んだことになっているんですね。だからこそ、選ばれた詩人のボードレールは、ルカート岬でサッフォーの亡骸が岸辺に打ち上げられないか見張っている、という状況を設定しているようです。

もちろん実際は、ボードレールは怪しげなパリの売春宿街(黒い秘密の園)に若い頃から出入りして、禁断の恋を目撃してきたことを言っているのでしょうね。この詩は初版の『悪の華』の代表的な作品だったとみられています。というのも、当初ボードレールはタイトルを『レスボスの女』にしようとしたことがわかっているからです。

今の時代にこの詩を読んでも、どこが背徳的かまったくわかりませんが、当時は同性愛を詩のテーマにすること自体、不謹慎なことだったようです。
(続く)

薔薇シリーズ160 「いい言葉(4335)」

▼悪の華と薔薇19(レスボス)
『悪の華』には薔薇がまだまだ出てきます。「薔薇色の靴下が片方だけ、思い出のように残った」(「ある受難の女」)、「吐息までが薔薇園に吹く風のように薫る」(「シテールへのある旅」)「薔薇色と神秘的な青が織りなす夕べ」(「愛し合う男女の死」)などですが、いずれもかなり長い詩なので、ここでは省略させていただきます。

さて、ここで最後になりますが、『悪の華』初版本から裁判で削除された詩を紹介しましょう。当時の公序良俗に反する禁断の作品とは、一体どのように怪しげな詩だったんでしょうね。これも長い詩なので、二回に分けて紹介します。

タイトルは「レスボス」です。後で詳しく説明しますが、レスボスとはレズビアンの語源となったギリシャの島のことです。

Lesbos(レスボス)

Mère des jeux latins et des voluptés grecques,
Lesbos, où les baisers, languissants ou joyeux,
Chauds comme les soleils, frais comme les pastèques,
Font l'ornement des nuits et des jours glorieux,
Mère des jeux latins et des voluptés grecques,

ラテン風遊戯とギリシャ風享楽の母である
レスボスよ、太陽のように熱烈で、スイカのように冷やかな、
気だるい、あるいは楽しい口づけが、
夜と栄光の昼を飾る島、
ラテン風遊戯とギリシャ風享楽の母よ、

Lesbos, où les baisers sont comme les cascades
Qui se jettent sans peur dans les gouffres sans fonds,
Et courent, sanglotant et gloussant par saccades,
Orageux et secrets, fourmillants et profonds;
Lesbos, où les baisers sont comme les cascades!

レスボスよ、口づけが滝のように襲い掛かる島、
その滝は恐れもせず、底なしの深遠へと飛び込んで、
荒れたかと思うと静まり、ごった返したり深く沈んだり、
不規則に泣きわめきながら流れ落ちる。
レスボスよ、口づけが滝のように襲い掛かる島!

Lesbos, où les Phrynés l'une l'autre s'attirent,
Où jamais un soupir ne resta sans écho,
À l'égal de Paphos les étoiles t'admirent,
Et Vénus à bon droit peut jalouser Sapho!
Lesbos où les Phrynés l'une l'autre s'attirent,

レスボスよ、女たちがお互い惹かれあう島、
ため息が絶えずため息を呼ぶ島よ、
天の星たちでさえ、お前をパフォス(注:キプロス島の古名)と並べて崇め、
美の女神が女詩人サッフォーを妬むのも無理はない!
レスボスよ、女たちがお互い惹かれあう島、

Lesbos, terre des nuits chaudes et langoureuses,
Qui font qu'à leurs miroirs, stérile volupté!
Les filles aux yeux creux, de leur corps amoureuses,
Caressent les fruits mûrs de leur nubilité;
Lesbos, terre des nuits chaudes et langoureuses,

レスボスよ、暑く物憂げな夜の大地、
夜は、ああ不毛の快楽よ!
目に隈ができた、情欲をそそる体をした乙女たちに
鏡の前で裸になった、その熟れた果実を愛撫させる。
レスボスよ、暑く物憂げな夜の大地、

Laisse du vieux Platon se froncer l'oeil austère;
Tu tires ton pardon de l'excès des baisers,
Reine du doux empire, aimable et noble terre,
Et des raffinements toujours inépuisés.
Laisse du vieux Platon se froncer l'oeil austère.

いかめしい老プラトンには、しかめ面をさせておけ。
甘美な帝国の女王よ、愛すべき、高貴な国よ、
過剰なまでの口づけと、尽きることのない洗練さゆえに、
お前は罪を許されるのだ。
いかめしい老プラトンには、しかめ面をさせておけ。

Tu tires ton pardon de l'éternel martyre,
Infligé sans relâche aux coeurs ambitieux,
Qu'attire loin de nous le radieux sourire
Entrevu vaguement au bord des autres cieux!
Tu tires ton pardon de l'éternel martyre!

永遠に続く苦痛ゆえにお前の罪は許される、
その罪は、身の程知らずの心に休みなく課せられる!
遠く離れた別の空の辺境にぼんやりと垣間見た、
輝くような微笑に引き寄せられた心に。
永遠に続く苦痛ゆえにお前の罪は許される!

Qui des Dieux osera, Lesbos, être ton juge
Et condamner ton front pâli dans les travaux,
Si ses balances d'or n'ont pesé le déluge
De larmes qu'à la mer ont versé tes ruisseaux?
Qui des Dieux osera, Lesbos, être ton juge?

レスボスよ、どのような神がお前を裁けようか、
労苦で青ざめたお前の額をどのような神が非難できようか、
お前の小川を通って海へと流れる涙の洪水を
金の秤で重さを量ったりしないのならば?
レスボスよ、どのような神がお前を裁けようか?

Que nous veulent les lois du juste et de l'injuste ?
Vierges au coeur sublime, honneur de l'archipel,
Votre religion comme une autre est auguste,
Et l'amour se rira de l'Enfer et du Ciel!
Que nous veulent les lois du juste et de l'injuste?

正義の法も邪の法も私たちに意味があるだろうか?
崇高な心を持った処女たち、島々の誉れよ、
お前たちの宗教も、他の宗教と同じように尊厳があり、
恋愛するのに地獄も天国も関係ないのだから!
正義の法も邪の法も私たちに意味があるだろうか?


ここでちょうど半分ぐらいです。後半は明日紹介しますが、ギリシャの女流詩人サッフォーとレスボスについて説明しておきましょう。

サッフォーは紀元前6,7世紀に活躍した古代ギリシャの詩人です。生まれはトルコに近いエーゲ海に浮かぶレスボス島。裕福な生まれで、アンドロス島出身の富裕な男と結婚して少なくとも娘を一人もうけています。レスボス島の上流社会に属し、若い女性を集めてお茶会のような会合を開き、そこで詩を発表したり教えたりしていたようです。女子教育の元祖的存在ですね。

その詩の中に、若い女性に対する穏やかで、ときに激しい恋慕が詠った詩編があることから、サッフォーとその仲間が同性愛者であるとみる研究家は多いようです。そのため後世、レスボス島の女という意味でレズビアン(女性同性愛者)という言葉が生まれたんですね。また、サッフォーから派生した言葉としてサフィズム(女性同性愛)という言葉もあります。

ボードレールは、そうしたレスボス島の大らかな恋愛について、プラトンが眉をひそめているというようなことを書いていますが、実はプラトンはサッフォーの精神性や詩を高く評価していたようです。そのプラトンですら、眉をひそめる恋愛行為という意味で使ったのでしょうか。
(続く)

薔薇シリーズ159 「いい言葉(4335)」

▼悪の華と薔薇18(未明の薄明かり)
これまで紹介した詩編は『悪の華』の「憂鬱と理想」からでしたが、今日紹介する、薔薇がでてくる詩は「パリの描景」からです。タイトルは「未明の薄明かり」です。

Le Crépuscule du Matin(未明の薄明かり)

La diane chantait dans les cours des casernes,
Et le vent du matin soufflait sur les lanternes.

起床ラッパが兵舎の庭に響き渡り、
街燈に朝の風が吹きつけていた。

C'était l'heure où l'essaim des rêves malfaisants
Tord sur leurs oreillers les bruns adolescents;
Où, comme un oeil sanglant qui palpite et qui bouge,
La lampe sur le jour fait une tache rouge;
Où l'âme, sous le poids du corps revêche et lourd,
Imite les combats de la lampe et du jour.
Comme un visage en pleurs que les brises essuient,
L'air est plein du frisson des choses qui s'enfuient,
Et l'homme est las d'écrire et la femme d'aimer.

それは、悪夢の群れによって
褐色の肌をした若者の耳がよじれる時。
ぴくぴくと痙攣して動く、血走った眼のように
日の光の中でランプの灯が赤い染みとなる時。
ざらざらして重たい肉体の重みに耐えかねた魂が、
ランプの灯と日の光の闘いを真似る時。
そよ風がぬぐう、涙に濡れた顔のように、
朝の空気は去り行くものの戦慄に満ちている。
男は書くことに、そして女は愛することに、疲れている。

Les maisons çà et là commençaient à fumer.
Les femmes de plaisir, la paupière livide,
Bouche ouverte, dormaient de leur sommeil stupide;
Les pauvresses, traînant leurs seins maigres et froids,
Soufflaient sur leurs tisons et soufflaient sur leurs doigts.
C'était l'heure où parmi le froid et la lésine
S'aggravent les douleurs des femmes en gésine;
Comme un sanglot coupé par un sang écumeux
Le chant du coq au loin déchirait l'air brumeux
Une mer de brouillards baignait les édifices,
Et les agonisants dans le fond des hospices
Poussaient leur dernier râle en hoquets inégaux.
Les débauchés rentraient, brisés par leurs travaux.

あちこちの家々から、かまどの煙が立ち昇りはじめ、
売春婦たちは、鉛色のまぶたを閉ざし、
口を開けて、愚かな眠りをむさぼっていた。
乞食女たちは、やせて冷たくなった乳房を引きずりながら、
燃えさしの薪に息を吹きかけ、自分の指にも息を吐きかけていた。
それは、冷たさと吝嗇(りんしょく)の最中にあって、
産褥にある女性の産みの苦しみがいっそう増す時。
泡立つ血によって断たれた嗚咽のように、
遠くでは雄鶏の鳴き声が、もやの立ち込める大気を切り裂いていた。
霧が立ち込める海は建造物を飲み込み、
救済施設の奥の部屋では瀕死の患者が、
不規則な痙攣とともに、断末魔の喘ぎ声を絞りだしていた。
放蕩者たちは、自分の放蕩に傷つき、帰宅の途についていた。

L'aurore grelottante en robe rose et verte
S'avançait lentement sur la Seine déserte,
Et le sombre Paris, en se frottant les yeux
Empoignait ses outils, vieillard laborieux.

薔薇色と緑色のローブをまとった曙は、震えながら、
人気のないセーヌ川の岸辺をゆっくりと進んでいった。
そして、まだほの暗いパリは、眠い眼をこすりながら、
勤勉な老人のように、仕事道具を取り上げるのだった。


パリの朝の情景を、「放蕩息子」のボードレールが描いた詩ですね。遊びすぎて疲れ果て、もう詩は書けないと嘆きながらも、それでも詩を書かずにいられない詩人の姿が浮かんできます。

「泡立つ血によって断たれた嗚咽」「断末魔の喘ぎ声を絞りだし」など、ところどころボードレール流に残酷で暗い表現が見受けられます。それでも最後の節では、夜明けということもあり、意外と明るいトーンになっていますね。フランス語の薔薇色には「楽観的な」という意味もありますから、曙に薔薇色を見出したボードレールもまた、悲観的でありながら楽観の詩人であったのかなとも思われてきます。まあ、そうでなければ、ああも湯水のように遺産を食い潰すこともしなかったでしょうね。

未明の薄明かりではありませんが、夕暮れの薄明かりの中に浮かび上がる富士山です。

黄昏と富士山
(続く)

薔薇シリーズ番外 「いい言葉(4335)」

▼悪の華(猫3)
臨時の猫ちゃんシリーズも今日が最後です。
『悪の華』に出てくる最後の猫ちゃんの詩は、複数の女性たちに捧げられたみたいなんですね。だからタイトルも「猫たち」です。

Les Chats(猫たち)

Les amoureux fervents et les savants austères
Aiment également, dans leur mûre saison,
Les chats puissants et doux, orgueil de la maison,
Qui comme eux sont frileux et comme eux sédentaires.

情熱的な恋人たちも、いかめしい学者たちも、
人生の成熟期に同じように愛するのは、
力強く、優しい、家の誇りの猫たち。
猫たちは彼らと同様、寒がりで出不精でもある。

Amis de la science et de la volupté
Ils cherchent le silence et l'horreur des ténèbres;
L'Erèbe les eût pris pour ses coursiers funèbres,
S'ils pouvaient au servage incliner leur fierté.

科学と快楽の友として、
猫たちは闇の沈黙と恐怖を求める。
もし彼らが自尊心を捨て、隷従を選べば、
暗黒神エレボスは葬式の使者として彼らを用いただろう。

Ils prennent en songeant les nobles attitudes
Des grands sphinx allongés au fond des solitudes,
Qui semblent s'endormir dans un rêve sans fin;

猫たちは夢想に浸りながらも気高い態度を取る。
その姿は孤独の底に横たわる大スフィンクス、
終わりのない夢の中にまどろんでいるようだ。、

Leurs reins féconds sont pleins d'étincelles magiques,
Et des parcelles d'or, ainsi qu'un sable fin,
Etoilent vaguement leurs prunelles mystiques.

猫たちの豊満な腰は魔法の火花で満ちている。
そして細かい砂のような金のかけらが、
彼らの神秘の瞳にぼんやりとちりばめられている。


この詩は、ボードレールが知っている女性たちに捧げられた詩であるかもしれませんが、もうほとんど猫ちゃんたちのことを言っているようにも聞こえますね。個人的な感想ですが、猫もやはり女性と同様、神秘的です。その点で、初めてボードレールと意見が一致したかもしれません(笑)。

猫ちゃんたちです。

猫たち

右の猫ちゃんは、昨日紹介した猫ちゃんですね。この一角がお気に入りのようです。

眠り猫

眠るのが仕事?  ・・・何か私みたいです(笑)。

こちらの子は眠そうな眼をこちらに向けています。

何か用?

「何か用?」

次は一昨日紹介した黒ちゃんの別カット。

オパールの眼

オパールの眼の猫ちゃんですね。

明日からは再び薔薇シリーズです。

薔薇シリーズ番外 「いい言葉(4335)」

▼悪の華(猫2)
マリー・ドーブランに捧げられた「猫」はどのような猫なんでしょうね。では早速、見てみましょう。

Le Chat(猫)

I
Dans ma cervelle se promène,
Ainsi qu'en son appartement,
Un beau chat, fort, doux et charmant.
Quand il miaule, on l'entend à peine,

自分の部屋の中を歩くように
私の脳みその中を歩き回る、
美しく、強く、優しく、魅力的な一匹の猫がいる。
その猫は鳴いても、ほとんど聞こえないほどで、

Tant son timbre est tendre et discret;
Mais que sa voix s'apaise ou gronde,
Elle est toujours riche et profonde.
C'est là son charme et son secret.

その響きは柔らかく、慎み深い。
だけどその鳴き声が静かで、喉を鳴らす程度であっても、
いつも豊かで奥深い響きがする。
それが猫の魅力、そして秘密。

Cette voix, qui perle et qui filtre
Dans mon fonds le plus ténébreux,
Me remplit comme un vers nombreux
Et me réjouit comme un philtre.

私の心の最も暗い深奥へと
滴り染み渡っていくその声は、
リズムのよい詩のように私を満たし、
媚薬のように私を喜ばす。

Elle endort les plus cruels maux
Et contient toutes les extases;
Pour dire les plus longues phrases,
Elle n'a pas besoin de mots.

その声は耐え難い苦痛を和らげ、
あらゆる恍惚を内包している。
とても長い文章を語るのにも、
言葉をまったく必要としない。

Non, il n'est pas d'archet qui morde
Sur mon coeur, parfait instrument,
Et fasse plus royalement
Chanter sa plus vibrante corde,

完璧な楽器である私の心に食い込み、
心の弦を振動させて
堂々と奏でさせる
弓などほかにありはしない、

Que ta voix, chat mystérieux,
Chat séraphique, chat étrange,
En qui tout est, comme en un ange,
Aussi subtil qu'harmonieux!

お前の声を除いては。神秘な猫よ、
清らかな猫よ、不思議な猫よ、
お前の中では何もかも、天使のように、
精緻で調和が保たれている。


II
De sa fourrure blonde et brune
Sort un parfum si doux, qu'un soir
J'en fus embaumé, pour l'avoir
Caressée une fois, rien qu'une.

黄金と褐色の毛皮から
あまりに甘美な芳香が漂うので、ある晩、
一度だけ、たった一度撫でただけで、
私もその香りに染まってしまった。

C'est l'esprit familier du lieu;
Il juge, il préside, il inspire
Toutes choses dans son empire;
Peut-être est-il fée, est-il dieu?

それは場所になつく精霊。
自分の帝国にあるすべてを
裁き、支配し、霊感を与える。
おそらく妖精か、神か?

Quand mes yeux, vers ce chat que j'aime
Tirés comme par un aimant,
Se retournent docilement
Et que je regarde en moi-même,

私の両目が愛すべきその猫の方へと
磁石のように引き寄せられ、
その視線をふとそらすとき、
そして自分自身の内を眺めたとき、

Je vois avec étonnement
Le feu de ses prunelles pâles,
Clairs fanaux, vivantes opales
Qui me contemplent fixement.

その青白い目の炎に
気付いて私は驚く。
明るい灯火、生きた猫目石(オパール)は、
私のことをじっと見つめているのだ。

「その場所になつく精霊」とは、まさに猫の習性ですね。この猫はマリー・ドーブランのことですから、おそらくボードレールは、マリーを舞台の上の「精霊」とみなしていたのでしょう。観客を魅了し、詩人に霊感を与え、そして劇場のすべてを支配する女優としてマリーを描いているように思われます。

舞台が終わった後、ボードレールはその余韻に浸っていたのでしょうか。詩人の心に強烈な印象を残したのは、オパールのような緑の眼だったわけです。自分だけをじっと見つめていると思い込むほど、恋は盲目ということでしょうか。

でもそんなことはさておき、純粋に猫ちゃんの詩として読むことができるところが楽しいですね。

お寺の舞台に上がったマリー・ドーブラン?

ふっくら猫

残念ながら寝ているので、オパールの眼は見られませんが・・・

猫

マリーのようにふっくらとしていました(笑)。
(続く)

薔薇シリーズ番外 「いい言葉(4335)」

▼悪の華(猫1)
昨日書き忘れましたが、「秋の日」は「眼」の中の「緑がかった光」が好きだと書かれていることからも、「緑の目のヴィーナス」詩編に属していることがわかりますね。

さて、「秋」で薔薇から脱線したついでに、『悪の華』に出てくる「猫」の詩編を三つ紹介してしまいましょう。最初は「黒いヴィーナス」のジャンヌ・デュヴァルに捧げられたとみられる「猫」です。


Le Chat(猫)

Viens, mon beau chat, sur mon coeur amoureux;
Retiens les griffes de ta patte,
Et laisse-moi plonger dans tes beaux yeux,
Mêlés de métal et d'agate.

おいで、私の美しい猫よ、恋をする私の胸の上へ。
お前の脚の爪はしまっておくれ、
そして金属と瑪瑙(めのう)を混ぜ合わせた
お前の美しい眼に浸らせておくれ。

Lorsque mes doigts caressent à loisir
Ta tête et ton dos élastique,
Et que ma main s'enivre du plaisir
De palper ton corps électrique,

私の指がゆっくりとお前の頭と
弾力のある背中をなでていると、
そして私の手がしびれるような
お前の体をまさぐる喜びに酔いしれていると、

Je vois ma femme en esprit. Son regard,
Comme le tien, aimable bête
Profond et froid, coupe et fend comme un dard,

私の恋人の姿が浮かんでくる。彼女の眼差しは
お前の眼に似ている、愛すべき動物よ、
深く、冷たく、やじりのように切れ長のお前の眼に。

Et, des pieds jusques à la tête,
Un air subtil, un dangereux parfum
Nagent autour de son corps brun.

つま先から頭のてっぺんまで、
張り詰めたような気配、危険な芳香が
彼女の褐色の体全体に漂っている。


ほとんど解説の必要はありませんね。猫をなでながら、恋人のジャンヌのことを思い出している詩です。ボードレールにとってジャンヌは、独特の香りと爪でよく表現されます。いつも引っかかれているんでしょうね。「爪はしまっておくれ」とは、思わず笑ってしまいます。ジャンヌの肖像画には、確かに「やじりのように切れ長」になった目が描かれていました。

さて、猫ちゃんの写真ですが、ジャンヌのような猫の写真はありませんでした。
その代わりに、かわいい鎌倉の黒ちゃんを紹介します。

黒ちゃん

そしてこちらは、まだら模様の江ノ島のミケちゃん。

ミケちゃん

明日はマリー・ドーブランに捧げられた「猫」を紹介します。
(続く)

薔薇シリーズ159 「いい言葉(4335)」

▼悪の華と薔薇18(秋の歌2)

夕陽

「秋の歌」の前半(パート1)では、ボードレールはいつものように人生を嘆いています。楽しかった青春を象徴する「明るい夏」はあっという間に終わり、人生の黄昏とも呼べる「はかない秋」が来てしまった、そしてあの陰鬱な、死を象徴する「暗い冬」がやって来るのだと悲嘆に暮れています。

おそらく秋の夕暮れ時なのでしょう。中庭からは冬支度を告げる「薪を割る音」が聞こえてきます。斧を振り下ろすその音は、死刑台で振り下ろされるギロチンの音のようにボードレールには響いているようです。その音はまた、誰かの棺に釘を打ち付ける音にも聞こえると言っていますね。

この嘆きの後に来るのはたいていの場合、ボードレール流の甘え、つまり女性に癒しを求める「切ない思い」でしたね。それではパート2を見てみましょう。

II
J'aime de vos longs yeux la lumière verdâtre,
Douce beauté, mais tout aujourd'hui m'est amer,
Et rien, ni votre amour, ni le boudoir, ni l'âtre,
Ne me vaut le soleil rayonnant sur la mer.

あなたの切れ長の眼の、緑がかった光が私は好きだ、
優しく美しい人よ、でも私にとって今日はすべてが苦い。
そして何も、あなたの愛も、小奇麗な居間も、暖炉も、
海に照り映える太陽を私にもたらすことはない。

Et pourtant aimez-moi, tendre coeur! soyez mère,
Même pour un ingrat, même pour un méchant;
Amante ou soeur, soyez la douceur éphémère
D'un glorieux automne ou d'un soleil couchant.

だけど私を愛しておくれ、優しい心よ! 恩知らずであっても、
意地悪であっても、母のようでいておくれ。
恋人でも、妹でもいい、束の間の癒しになっておくれ、
栄光に満ちた秋の、あるいは沈み行く太陽の癒しのように。

Courte tâche! La tombe attend - elle est avide!
Ah! laissez-moi, mon front posé sur vos genoux,
Goûter, en regrettant l'été blanc et torride,
De l'arrière-saison le rayon jaune et doux!

すぐに終わるさ! 墓が待っている――貪欲な墓だ!
ああ、こうしてあなたのひざに額を乗せたまま
味わわせておくれ、白い、酷熱の夏の日を惜しみながら、
黄色く、柔らかな、その晩秋の日の光を!


本当にボードレールは女性に甘えるのが好きですね。母親に甘え足りなかった少年時代が影響しているのでしょう。人生が短いと嘆きながら、人生は短いのだから愛してくださいと、刹那的な享楽を求めているようでもあります。それでも詩の響きは豊かで、その描写は見事としか言いようがありません。ジッドが引用したくなるのもわかりますね。

写真は昨日からの続き物です。夕陽を見つめるボードレールと恋人の、束の間の甘い時間でしょうか。

夕陽

自転車人や散歩人が傍らを通り過ぎて行きます。

夕陽

そして、いつしか別れの時が・・・

夕陽
(続く)

薔薇シリーズ158 「いい言葉(4335)」

▼悪の華と薔薇17(秋の歌)
昨日は「秋のソネット」を紹介しました。「秋」と来れば、おそらくボードレールの詩の中で最も有名な詩「秋の歌」を取り上げないわけにはいきません。『悪の華』の中で私の最も好きな詩編で、実は以前、このブログでも最初の部分(私が暗記していた部分)を取り上げたことがあります。

では、鬼気迫るような傑作「秋の歌」をお読みください。

Chant d'Automne(秋の歌)

I
Bientôt nous plongerons dans les froides ténèbres;
Adieu, vive clarté de nos étés trop courts!
J'entends déjà tomber avec des chocs funèbres
Le bois retentissant sur le pavé des cours.

やがて私たちは冷たい闇の底へと沈んでいく。
さようなら、まばゆい光よ、私たちの夏はあまりにも短すぎた!
私にはもう聞こえてきている、陰惨な衝撃とともに
中庭の敷石に薪が落ちて鳴り響くのを。

Tout l'hiver va rentrer dans mon être: colère,
Haine, frissons, horreur, labeur dur et forcé,
Et, comme le soleil dans son enfer polaire,
Mon coeur ne sera plus qu'un bloc rouge et glacé.

冬のすべてが私の中に戻って来ようとしている。
怒り、憎しみ、わななき、恐怖、強いられた辛い労働、
そして、極北の地獄に閉じ込められた太陽のように
私の心は赤く、凍った塊に過ぎなくなるだろう。

J'écoute en frémissant chaque bûche qui tombe
L'échafaud qu'on bâtit n'a pas d'écho plus sourd.
Mon esprit est pareil à la tour qui succombe
Sous les coups du bélier infatigable et lourd.

薪が落ちる音の一つ一つを私は震えながら聞き入る。
死刑台を建てる音でさえ、これほど重々しく響くことはあるまい。
私の精神は崩れ落ちる塔のようだ。
城壁を破壊する大槌で、ひっきりなしに重い一撃を加えられている。

II me semble, bercé par ce choc monotone,
Qu'on cloue en grande hâte un cercueil quelque part.
Pour qui? - C'était hier l'été; voici l'automne!
Ce bruit mystérieux sonne comme un départ.

その単調な衝撃に揺すぶられていると、どこかで誰かが
大急ぎで棺に釘を打ち付けているように思われてくる。
誰のために? 昨日は夏だったのに、今は秋だ!
その不思議な物音は別れを告げるように鳴りわたる。


ここまでが「秋の歌」のパート1です。なぜこの詩が有名なのかと言うと、アンドレ・ジッドの『狭き門』の中で、主人公たちがこの詩の冒頭部分を暗唱する場面が出てくるからなんですね。神への愛を貫こうとするアリサが命を落とさなければならなかった理由は、この詩の中に隠されているんでしょうか。アリサとボードレールは対極の存在であるだけに面白いですね。

さて、私にとってジッドは、思い出深いフランス人作家でもあります。英国ケント大学留学中、私は母国語ではない英語でフランス文学を学ぶという「二重苦」を味わっていました。当然クラスメートも、英語でさえ大変なのに、フランス語もやるなんて無謀だ、という目で私を見ます。

学期間中、各学生は決められたフランス文学の作品の中から一つ選び、みなの前でその作品の分析を発表する宿題があるのですが、私はアンドレ・ジッドの『法王庁の抜け穴』を選んだんですね。一度も読んだことがない作品で、当然フランス語で読まなければなりません。しかもレポートも書かなければならないわけです。与えられた時間は三日だけ。

そのとき初めて知ったのですが、ジッドのフランス語って、すごくわかりやすいんですね。私はあっという間に『法王庁の抜け穴』を読みきり、そしてあっという間にレポートを書き上げ、その内容をクラスで発表しました。それが大成功だったんですね。今まで「こいつ大丈夫かよ」と懐疑的な目で見ていたクラスメートも、「こいつなかなかやるじゃん」という評価に変わりました。

私の英語に初めてミューズが宿った瞬間でもありました。

ずいぶん脱線してしまいましたが、明日は「秋の歌」の後半(パート2)を紹介します。


さようなら、まばゆい光よ!
沈み行く陽
(続く)

薔薇シリーズ157 「いい言葉(4335)」

▼悪の華と薔薇16(マーガレット)
ジャンヌ、サバチエ夫人、マリーと、ボードレールの三人の詩の女神についてこれまでみてきました。ところがボードレールには、どうやらほかにも女神がいたようなんですね。薔薇ではなく別の花として登場しますが、ちょっとご紹介しましょう。タイトルは「秋のソネット」です。

Sonnet d'Automne (秋のソネット)

Ils me disent, tes yeux, clairs comme le cristal:
"Pour toi, bizarre amant, quel est donc mon mérite?"
- Sois charmante et tais-toi! Mon coeur, que tout irrite,
Excepté la candeur de l'antique animal,

水晶のように澄み切ったお前の眼は、私に問いかけてくる。
「風変わりな恋人さん、あなたは私のどこが好きなの?」
――魅力的でいてくれ、そして黙っていておくれ! 
古代の動物の純真さを除けば、何に対しても苛立つ私の心は、

Ne veut pas te montrer son secret infernal,
Berceuse dont la main aux longs sommeils m'invite,
Ni sa noire légende avec la flamme écrite.
Je hais la passion et l'esprit me fait mal!

心の中に潜む地獄のような秘密も、
業火で刻まれた暗黒の伝説も、お前に見せたくないのだ、
手で私を長い眠りへと誘う揺りかごのような女性よ。
情熱は煩わしく、機知は私をうんざりさせる!

Aimons-nous doucement. L'Amour dans sa guérite,
Ténébreux, embusqué, bande son arc fatal.
Je connais les engins de son vieil arsenal:

ただ優しく愛し合おうではないか。見張り小屋のキューピッドは、
闇に紛れながら待ち伏せして、運命の弓を引き絞る。
昔ながらの武器庫に隠した、彼の道具のことなら私は知っている、

Crime, horreur et folie! - O pâle marguerite!
Comme moi n'es-tu pas un soleil automnal,
O ma si blanche, ô ma si froide Marguerite?

罪と恐怖と狂気だ! ――おお、青ざめたマーガレットよ!
私と同じで、お前も秋の陽射しにすぎないのではないのか、
おお、私の真っ白な、おお、私の冷やかなマーガレットよ?

この詩の中のマーガレットがマリー・ドーブランではないかとする説もあるようですが、私には戯れに関係した女性マーガレット(フランス語ではマルグリット)のことを書いた詩のように思われます。情熱的な言葉も機知に富んだ会話も必要がない、ただ黙って愛し合おうという呼びかけは、3人の女神に対する情熱や機知に比べると、ぞんざいな感じがしますよね。

第一節に出てくる古代の動物が何なのかはわかりません。私だったら、まず猫でしょうか。ボードレールも実は猫に惹かれていたらしく、『悪の華』でも猫をタイトルにした詩を3編書いています。その中でボードレールは、「優しく」「気高い」猫ちゃんたちを、まるで「大スフィンクス」のようだと称えたりもしています。もちろん、猫は女性たちの象徴なんですけどね。

第二節の「地獄のような秘密」も「業火で刻まれた暗黒の伝説」も、いつものように屈折したボードレールの心の反映です。そしていつものように、女性に束の間の癒しを求めるわけですね。

そのような訳で、ボードレールにはおそらくキューピッドも必要ではないのでしょう。キューピッドの助けなど要らないと、宣言しているようにも聞こえます。

第四節の「秋の陽射し」ははかなさの象徴です。と言うことは、やはりマーガレットとの恋は、はかないものになりそうなことを暗示していますね。


今日の写真は、港から見た富士山です。

港と富士山
(続く)


砂漠のピラミッド!? 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154169)」

初めてギザのピラミッドを見たときも、このような感じでした。

砂浜の向こうの富士山

砂漠の向こうにピラミッドが突き出ているように、砂浜の向こうに富士山が鎮座しているので不思議な感覚がします。

出かける予定なので、今日も薔薇シリーズはお休みです。

江ノ島から見た富士6景 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154169)」

江ノ島は一周40分ほどの小さな島ですが、起伏に富んでいることからいろいろな角度で富士山を楽しむことができます。

まずは、江ノ島に架かる橋の袂から写した富士山です。

富士山

ちょうど江ノ島に上陸したときに見る初めての富士山となりますね。

島を時計と反対周りに進むと、次のような富士山が見えてきます。

富士山と桜

ちょっと崖になっていて、下方には桜が咲いていますね。桜と海と富士山が一枚に収まる撮影ポイントです。

そして富士山の絶景ポイントが、島の北西側の岩場です。

富士山と海

相模湾越しに見る富士山ですね。海から見るのと同じ感覚が味わえます。構図は船と富士山。

この岩場には釣り人がいるため、釣り人と波しぶきと富士山を捉えることもできます。

富士山と釣り人

ここなら北斎に負けないような写真が撮れるかもしれませんが、この日はこれが精一杯でした。波しぶきが覆い砕けるような富士山の写真も不可能ではないかもしれませんね。

一度来た道を戻って、江ノ島の一番高い場所へと向かいます。

登り階段が続きますが、振り返ると富士山が見えます。

富士山と江ノ島

ちゃんと富士山が見えるように道をつくったんですね。

そして最後は頂上付近の公園に咲く桜を観ながら富士見です。

桜と富士山

桜と富士のツーショット。この時期にしか撮れない一枚です。

江ノ島から見た富士山の6景をご紹介しました。

薔薇シリーズ156 「いい言葉(4335)」

▼悪の華と薔薇15(崩壊した女神像)
ボードレールは出来上がった『悪の華』とともに、知り合いを通じて司法当局に働きかけてくれと懇願する手紙をサバチエ夫人に送ります。手紙には、詩編の名前を具体的に挙げながら、サバチエ夫人はボードレールにとって詩の女神(ミューズ)であることが明記されていました。

これを受け取ったサバチエ夫人は、悪い気はしませんね。自分に捧げられた詩集でもあったわけですから。早速、顔見知りの司法官に事の次第を告げます。でもその司法官は、自分の評判が傷つくのを恐れて、積極的には動きません。公判も二日後と間近に迫っていたこともあり、事前の工作は失敗してしまいました。

1857年8月20日、ボードレールは裁判所に被告人として出頭します。検事は『悪の華』の中から「扇情的」な詩句を引用して、いかに風紀を乱す作品であるかを述べ立てます。対する弁護人の弁舌は冴えず、過去にも背徳的な作品があったことを繰り返すだけ。

判決はその日のうちに下り、ボードレールは『悪の華』の中から「宝石」「忘却の河」「吸血鬼の変身」など6詩編の削除と罰金を言い渡されました。自分の作品を散々けなされた挙句に有罪となったボードレールは意気消沈します。

その落胆ぶりがサバチエ夫人の母性本能を刺激したのでしょうか。自分が救えなかったとの自責の念もあったのでしょう。サバチエ夫人はボードレールを慰めるために一夜を伴にします。

すでに述べましたが、サバチエ夫人はボードレールにとって冒してはならない聖なる女性でした。触れることなく、遠くから崇め奉る存在だったんですね。ところがこの一夜の肉体関係によって、ボードレールが抱いていたミューズ像は粉々に砕かれます。あれほどまでに燃え上がっていたサバチエ夫人に対する崇拝の炎が完全に立ち消えてしまいました。

逆にサバチエ夫人は、あまりにも繊細な詩人ボードレールにのめり込んでいくのですから、皮肉なものです。ボードレールはサバチエ夫人と決別するために、残酷にも「あなたはもう女神ではなくなった」「今はただの女だ」という内容の手紙を送りつけます。

二人の関係はこれで本当に終わりました。

すべての女性と別れ、再び独りぼっちになったボードレールは、母親に救いを求めます。しかし母親にとってボードレールは、遺産をすぐに食い潰す放蕩息子です。しかも「いかがわしい詩」を書いて有罪となり、ボードレールの家名を汚した不届きな息子でもありました。後に和解はしますが、諸手を挙げて息子を迎え入れることは、決してありませんでした。
(続く)

波しぶきと富士山です。

富士山と海

北斎の絵にはかないませんが、北斎はこの辺りの海から富士山を見ていたんでしょうね。

薔薇シリーズ155 「いい言葉(4335)」

▼悪の華と薔薇14(病める花々)
サバチエ夫人、マリー・ドーブランと別れた孤独感からジャンヌと縒りを戻したボードレールでしたが、二人の生活はやはりうまく行きません。翌1856年9月には再び別れてしまうんですね。

再び孤独にさいなまれるようになったボードレールは、創作活動に没頭します。そして、ジャンヌ、サバチエ夫人、マリーといった「病める花々」から霊感を得た作品群が出来上がります。それが『悪の華』なんですね。

後は出版するだけとなったころ、大きな出来事が起こります。1857年4月27日、幼いボードレールから母親を“奪った”義父オーピックが死去します。68歳でした。そのときボードレールは36歳。ほぼ30年間に及ぶ遺恨に終止符が打たれたことになります。

ところが、これでようやく母親と自分を隔てる障害がなくなったと思ったボードレールに対して、母親はボードレールと暮らすことはせず、ノルマンディ地方のオンフルールという田舎に引っ込んでしまいます。子供ころから続く常に満たされない思いは、ずっと続きます。その思いが、あのような詩を生むんでしょうね。

出版された『悪の華』は、すぐに評判になります。ただしそれは、批判の対象として論議を巻き起こしたものでした。「おぞましい」「忌まわしい」「下品」「悪臭を放つ」など散々な論評が次々と現れます。

この評判を聞きつけて司法当局が動き出します。同年7月17日、検事総長はボードレールとその出版人に対する証人尋問を請求し、『悪の華』の差し押さえを命じました。

そこで思い出されるのが、フランス作家ギュスターヴ・フロベールの『ボヴァリー夫人』ですね。この作品は1856年10月から12月にかけて『パリ評論』に連載された小説で、翌年単行本化されました。田舎の医者シャルル・ボヴァリーの妻エンマが、満たされない平凡な生活から脱出しようと恋に走り、裏切られて自殺するまでを描いています。

フランス司法当局は、風俗壊乱と宗教冒涜のかどでフロベールを起訴しますが、高位の人物の庇護があったため、何とか無罪を勝ち取ることができました。ボードレールが起訴された年の1月から2月にかけてのことです。

しかし当時、文無しの変わった詩人、ポーの翻訳家、文芸批評家ぐらいにしか思われていなかったボードレールには自分を庇護してくれるような高位の人物などいません。それでも、亡くなったばかりの義父オーピック将軍の伝をたどって弁護を頼むなど、恥も外聞もなく起訴取り下げを勝ち取るべく奔走します。

そうした努力にもかかわらず、ボードレールを親身になって助けてくれようとする「高位の人」は現れません。そこでボードレールは、何と白いヴィーナスことサバチエ夫人に手紙を書くんですね。
(続く)

薔薇の写真ストックがほぼ枯渇したこともあり、当分富士山の写真が続きます。

桜と富士山

富士山の写真は先日、150枚ほど撮ったのでこちらはストックが十分です(笑)。

薔薇シリーズ154 「いい言葉(4335)」

▼悪の華と薔薇13(緑の目のヴィーナス6)
万愚節で一日空いてしまいましたが、ボードレールの「あるマドンナに」でしたね。

<マドンナよ、恋人よ、私はお前のために、
私の苦悩の奥深くに地下の祭壇を建てよう。
そして私の心の最も暗いその片隅の、
世俗の欲望や嘲りの視線から遠く離れた場所に、
紺碧と黄金をちりばめた壁がんを掘ろう。>

「壁がん」とは、彫像や花瓶などを置く、壁に作られた凹みの事ですね。基本的に恋人のマリーを称える詩なのですが、「紺碧と黄金をちりばめ」る一方で「苦悩」「暗い」と書かれていることから、二人の関係が順調に行っているわけではないことが示唆されています。おそらく状況としては、友人のヴァンビルのもとへ戻っていったマリーに対して、まだ未練があるボードレールといった図式でしょうか。

<そこでお前は、息をのむような彫像としてそびえ立つのだ。
私の洗練された「詩句」で、水晶の脚韻を
巧みに刻んだ純金属を編みこんで、
お前の頭上に輝く巨大な「冠」を作ろう。>

「脚韻」とあることで、ボードレールが地下の壁がんに置こうとしている彫像が詩そのものであることがわかります。「水晶の脚韻」という表現には、澄み切った心地好い響きがありますね。

<そして私の「嫉妬」を裁断して、おお、生身の聖母よ、
お前のために「外套」を仕立てよう。野暮で、
ごわごわして、重く、裏地には猜疑心を当てたその外套は
哨舎の番兵のように、お前の魅力を包み込むはずだ。>

やはりボードレールの心に巣食っているのは、友人ヴァンビルに対する「嫉妬」なのでしょう。「嫉妬」で作ったマントの裏地が「猜疑心」とは、凄いですね。猜疑心はマリーに向けたものだと思われます。他の男に取られないように、マリーの魅力を隠してしまいたいという願望の表れと解釈できます。

<その縁を飾るのは「真珠」ではなく、私が流す「涙」のすべて!
お前の「服」には、私の「情欲」がなろう。わななき、
波打つ私の「情欲」は、登っては降り、
尖った場所ではバランスを取り、谷間では休息する。
そして、お前の白くて薔薇色の体中をキスで覆いつくすのだ。>

しかし願望は願望。マリーは今やヴァンビルの恋人となり、ボードレールは涙を流すしかありません。二人の関係を思うと、余計に情欲が募るのでしょう。マリーの服に変身して、マリーの体を触りまくるという妄想を膨らませているようです。ここでも薔薇は、女性の肉体の美を形容する表現として登場しますね。

<私の「尊敬」からは美しい「靴」を作ろう。
繻子でできたその靴は、お前の清らかな足に虐げられながらも、
柔らかな抱擁でお前の足を包み閉じ込め、
忠実な鋳型のように、その形を刻み続ける。>

足フェチなのでしょうか。ちょっとM気もあるようです。女王様のハイヒールで踏まれたい、みたいな(笑)。それほどマリーを崇拝していることを強調していますね。

<私の丹念な技巧にもかかわらず、
銀色に輝く「月」を「台座」に刻むことができないなら、
お前が踏みにじり、嘲ることができるように、
私の内臓を食いあさる「蛇」をお前の踵の下に置こう。
誇らかで、あがないの気持ちにあふれた女王よ、
その蛇の怪物は憎しみと痰で腹が膨れているのだ。>

この辺から、ボードレール流の「毒」が顔を出します。「蛇」は人間の心に潜む「魔物」ですね。ボードレールの心の中には、マリーに裏切られたことに対する「憎しみ」が、その鎌首をもたげはじめたようです。結局、銀色に輝く「月」を「台座」に刻むことができなかった、つまり永遠の愛を成就することができなかったために、マリーに心を踏みにじられたのだと言っているように聞こえます。

<「処女の中の女王」によって華やぐ祭壇の前、
「大蝋燭」のように並べられた私の「思考」が
蒼く彩られた天井を星のように照らし出しながら、
燃えるような眼差しで、いつもお前を見守っていることを知るだろう。>

別れてもなお、「いつもお前を見守っている」ということは、現代風に言えばストーカー行為そのもの。地下の祭壇ですから、かなり引きこもっていますよね。本物の夜空の星々はそこにはなく、あるのは閉ざされた空間を象徴する天井を照らす蝋燭の炎です。やはりちょっと不気味です。

<私の中のすべてがお前をいつくしみ、崇拝しているように、
すべてが「安息香」、「薫香」、「乳香」、「没薬」となるだろう。
そして、白い雪に覆われた高峰であるお前を絶えず目指しながら、
狂おしく乱れた私の「精神」は、「水蒸気」となって昇っていく。>

ここまでが一つの長い節になっています。波乱を予感させつつも、トーンはほぼ「憧憬」「崇拝」で統一されています。ただ精神は「狂おしく乱れ」ていますから、発狂寸前なのかなとも思ってしまいます。憧れは、沸点を越えて「水蒸気」になるほどに極まっちゃったんでしょうね。

<最後に、お前の「聖母マリア」としての役目をまっとうさせるために、
そして、愛情と残酷を混ぜ合わせるために、
邪悪な快楽よ! 私は後悔に満ちた死刑執行人として、
七つの「大罪」を使って、七つの「小刀」を研磨しよう。
そして、非情の大道芸人のように、
お前の愛の深奥を標的にして、
私はその「小刀」を打ち込もう、お前のあえぐ「心」に、
お前のすすり泣く「心」に、お前の血が滴る「心」に!>

もしボードレールが詩人でなくただのストーカーなら、マリーにナイフを突き刺して、殺してしまったかもしれません。でもボードレールは詩人です。詩を書くことによって、邪悪な思考を昇華してしまいます。

すると、「非情の大道芸人」とは、一切の悲しみや恨みを断ち切った詩人の姿に見えてきます。マリーの心臓に小刀を突き刺しているように書いていて、実は自分自身の心から血を流しながら、マリーと決別しているのではないかと思われます。つまりこれは、マリーに対する別れの詩だったんですね。マリーに捧げられた「緑の目のヴィーナス」詩群も、この『悪の華』57番の「あるマドンナへ」で終わっています。

サバチエ夫人との恋のゲームに疲れ、マリーとも決別したボードレールは1855年12月、再び「黒いヴィーナス」のジャンヌと再び暮らすようになります。
(続く)

昨日の続きで、富士山です。午前10時半ごろはこんなにくっきりとしています。

富士山

江ノ島に架かる橋の上から撮影しています。

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