薔薇シリーズ132 「いい言葉(4335)」

▼メリ・ローラン4(マラルメ35)
次はマラルメらしい詩です。無題ですので、便宜上「美しい自滅から勝ち誇るように逃れて・・・」と名付けられています。

Victorieusement fui le suicide beau…
(美しい自滅から勝ち誇るように逃れて・・・)

Victorieusement fui le suicide beau
Tison de gloire, sang par écume, or, tempête !
Ô rire si là-bas une pourpre s’apprête
À ne tendre royal que mon absent tombeau.

美しい自滅から勝ち誇るように逃れて
栄光の燃えさしよ、泡立つ血、黄金、嵐よ!
もし彼方にある、空っぽな私の王墓に、
緋の衣を飾るだけなら、おお、それは笑い種だ。

Quoi ! de tout cet éclat pas même le lambeau
S’attarde, il est minuit, à l’ombre qui nous fête
Excepté qu’un trésor présomptueux de tête
Verse son caressé nonchaloir sans flambeau,

何ということだ! 真夜中、私たちを祝福する闇に
留まる光など一片も残っていないではないか。
だがそこには、思い上がった秘宝のような髪が
燃えることもなく、物憂げに愛撫を受け流している。

La tienne si toujours le délice ! la tienne
Oui seule qui du ciel évanoui retienne
Un peu de puéril triomphe en t’en coiffant

お前の髪はまさに永遠の恍惚! そうだ、
お前の髪だけが、跡形もなく消えた空から
わずかに残った子供らしい輝かしい勝利を掠め取り、

Avec clarté quand sur les coussins tu la poses
Comme un casque guerrier d’impératrice enfant
Dont pour te figurer il tomberait des roses.

その輝きでお前を覆う。幼少の女帝が兜を置くように
お前が寝床にその髪を横たわらせる時、お前の姿を描くため
兜から薔薇の花びらがはらはらとこぼれ落ちるのだろうか。


やはりこれもマリ・ローランのことを歌った詩のようです。1887年に発表されました。マラルメらしく「美しい自滅から勝ち誇るように逃れて」と難解に表現されていますが、簡単に言うと、「太陽が没して」ということですね。すでに『エロディアード』で説明したように、マラルメは詩人を嘲り笑う「青空」を恐れていました。おそらく、昼間は英語教師として過ごさなければならない自分の境遇を重ね合わせていたのでしょうね。

美しい太陽が没(自滅)すると、その青空(現実)から逃れて、詩人は勝ち誇れると言っています。青空の消滅のイメージは、第三節でも「跡形もなく消えた空」として登場しますね。

マラルメには、もう怖いものはありません。夜になれば、現実世界から詩人の魂は解放されます。せいぜい私のいない墓(魂が抜けた後の抜け殻)を夕陽が緋色に染めるぐらいだと、勝ち誇っているように聞こえます。矢でも鉄砲でも持って来い、といったところでしょうか。

そして夜の静寂。闇は二人を祝福します。二人を邪魔するものは何もない、完全な勝利でもあります。真夜中の暗がりで、勝利に陶酔しながら寄り添って、ローランの金髪を物憂げにそっとなでるマラルメの様子が浮かびます。

マラルメにとっての戦利品であるローランの髪の美しい描写が続きます。それは「詩の理想」である「青空」から掠め取った美でもあるのでしょうね。

第四節はとくに美しいイメージに満ちています。薔薇はローランの美(裸体)を象徴すると同時に、ミューズであるローランから生まれる詩句のことをさしているのではないかと思われます。

夜は想像力豊かな詩王、昼は退屈な教師という二つの顔を持つマラルメにとって、真夜中こそミューズと出会える束の間の勝利であり、歓喜だったに違いありません。マラルメは1893年、51歳まで教鞭を取っていました。学校は詩人には人生の墓場のように思えたのかもしれませんね。

青空と薔薇です。

青空と薔薇
(続く)

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とれたての梅の香 「今日の出来事(966021)」

本日午前中に撮ったばかりの梅の写真です。

梅

梅

梅

梅

梅

梅

梅の香りをお届けできたでしょうか。

最後はおまけで福寿草です。

福寿草

薔薇シリーズ131 「いい言葉(4335)」

▼メリ・ローラン3(マラルメ34)
ソネットという14行詩はシェイクスピアの作品を紹介するときに説明しましたが、今日紹介するのは、ロンデル(ロンドーの古称)という詩の形体です。通常は4,4,5各行の三節からなる13行で、二種の脚韻と繰り返し(リフレイン)を持ちます。

それではメリ・ローランに捧げられたロンデルを見てみましょう。

Rondel2(ロンデル2)

Si tu veux nous nous aimerons
Avec tes lèvres sans le dire
Cette rose ne l’interromps
Qu’à verser un silence pire

お前が口に出さずとも、もし望むなら
私たちは愛し合えるのだ
この薔薇が言えなくさせているのだとしても、
もっと悪い沈黙が蒔かれるのを邪魔しているにすぎない


Jamais de chants ne lancent prompts
Le scintillement du sourire
Si tu veux nous nous aimerons
Avec tes lèvres sans le dire

微笑みの輝きを放つような
気の利いた歌はどこにもない
お前が口に出さずとも、もし望むなら
私たちは愛し合えるのだ

Muet muet entre les ronds
Sylphe dans la pourpre d’empire
Un baiser flambant se déchire
Jusqu’aux pointes des ailerons
Si tu veux nous nous aimerons

輪の中で、黙って、黙って
深紅の王の衣で現れた空気の精シルフよ
炎のように輝く口づけは、
翼の先端まで引き裂かれる
もし望むなら私たちは愛し合えのだ

軽い感じの詩ですね。1889年の元旦を祝うため、ローランが作った「もし望むなら私たちは愛し合えるのだ」という句に、マラルメが一種の返歌として書いたものではないかとされています。戯れの詩のようです。

第一節に出てくる「薔薇」は、恥らうような恋心のことでしょうか。愛し合うのに言葉は要らないと言っているようですね。なぜなら、どのような歌もローランの微笑みを表すことが出来ないからだそうです(第二節)。推測するに、二人で応答歌を作ろうとしたのでしょうが、ローランにはそれほど詩才がなく、詩句が浮かばなかったのを慰めているようにも聞こえます。

第三節は、感覚的に二人が愛し合う場面を描写(想像)しているのかなと思われます。「炎のように輝く口づけは、翼の先端まで引き裂かれる」は難解です。魂の叫びが空気を引き裂くような、激しい口づけだったのでしょうか。あるいは燃えるような口づけも、時間が来れば現実が引き裂いてしまうと言っているのでしょうか。どちらにも解釈できるような気がします。

さて、マラルメの薔薇の詩もあと二編を残すだけとなりました。

秋の薔薇
(続く)

薔薇シリーズ130 「いい言葉(4335)」

▼メリ・ローラン2(マラルメ33)
次もメリ・ローランに捧げられたソネットです。便宜上の題名は「婦人よ、過度に激しく燃え上がるわけではなく・・・」。

Dame sans trop d’ardeur à la fois enflammant…
(婦人よ、過度に激しく燃え上がるわけではなく・・・)

Dame
sans trop d’ardeur à la fois enflammant
La rose qui cruelle ou déchirée et lasse
Même du blanc habit de pourpre le délace
Pour ouïr dans sa chair pleurer le diamant

婦人よ
過度に激しく燃え上がるわけではなく、
残酷な、あるいは引き裂かれた薔薇は、
権威ある白い服にすらうんざりして、紐を解く
その肉体の中でダイヤがすすり泣くのを聞くために

Oui sans ces crises de rosée et gentiment
Ni brise quoique, avec, le ciel orageux passe
Jalouse d’apporter je ne sais quel espace
Au simple jour le jour très vrai du sentiment

そうだ、露の危機も、そして雷雲が通り過ぎた後に
優しく吹くそよ風もなく、
感情が真実をむき出しにする、ただその日その日に
お前は何か得体の知れない空間をもたらそうとする

Ne te semble-t-il pas, disons, que chaque année
Dont sur ton front renaît la grâce spontanée
Suffise selon quelque apparence et pour moi

ねえ、このように思わないか、毎年毎年
お前の額には自然な優雅さが戻ってくる
私にとっても、どうやらそれで十分だと

Comme un éventail frais dans la chambre s’étonne
À raviver du peu qu’il faut ici d’émoi
Toute notre native amitié monotone.

部屋の中で広げたさわやかな扇のように私はハッとする
ときめきの中から、ここではわずかに必要とされる、
私たちが生まれ持った友情の単調さがよみがるのだから


詩句は難解ですが、「婦人」とは、またしてもメリ・ローランのことなんですね。1896年に発表されたソネットで、一見するとマラルメ夫人に捧げられた形式を取っていますが、1887年の大晦日にマラルメがローランの家に書き残したものだそうです。実際の二人の関係がどうであったのかはわかりませんが、少なくともマラルメの詩の世界では、二人は深く愛し合っていることになっていますね。

第一節に出てくる「薔薇」は、二人の愛そのもの。マラルメには妻子が、ローランにはアメリカ人医師の愛人がいます。それが「引き裂かれた」「残酷な」という表現につながったのではないかと考えます。「権威ある白い服」とは、社会的な地位や世間体のことでしょうか。それらの衣服を脱ぎ捨てて、ありのままの姿で二人は静かに愛し合ったと言っているように聞こえます。「ダイヤ」は、処女性や穢れないものの象徴でもあるようです。

二人の愛の生活は、夫婦生活とは違って、些細な喧嘩(露の危機)や大喧嘩の後の静寂(雷雲が通り過ぎた後に優しく吹くそよ風)もありません。会う度に刹那的になり、感情や本能がほとばしるままに過ごします。「得体の知れない空間」とは、非日常の空間なのかなと思いますね。

第三節では、自分たちの関係を整理していますね。お互いの生活を壊すことなく、毎年このように会うだけで十分だと考えるようにしようよ、とマラルメがローランに呼び掛けているのだと理解しました。

第四節に出てくる「扇」は、この詩が書かれた約2年後にマラルメがローランに贈った扇の伏線となっていますね。時々しか会わないのに、まるで昔から一緒に暮らしているかのような単調さを発見して驚いているマラルメの姿がそこにあるように思われます。
(続く)

メリ・ローランを見つめるマラルメ夫人・・・
二つの薔薇

薔薇シリーズ129 「いい言葉(4335)」

▼メリ・ローラン(マラルメ32)
「薔薇のない詩」を妻に贈る一方、マラルメは「薔薇のある詩」をメリ・ローランのために書いているんですね。それだけでもローランがマラルメのミューズであったことがわかります。

それらの詩を紹介しましょう。まずは「彼女のためのソネット」という題だったとされ、その後無題となり、便宜上タイトルは「おお、遠くにいてはかくも懐かしく・・・」と付けられている詩です。

Ô si chère de loin et proche et blanche, si…(おお、遠くにいてはかくも懐かしく・・・)

O si chere de loin et proche et blanche, si
Delicieusement toi, Mery, que je songe
A quelque baume rare emane par mensonge
Sur aucun bouquetier de cristal obscurci

おお、遠くにいてはかくも懐かしく、近づけば白く
そしてかくも甘美なお前、メリよ、私は夢を見る
曇ったクリスタルグラスの何らかの花瓶の上で
嘘のように立ち昇る何か不思議な芳香の夢を

Le sais-tu, oui! pour moi voici des ans, voici
Toujours que ton sourire eblouissant prolonge
La meme rose avec son bel ete qui plonge
Dans autrefois et puis dans le futur aussi.

お前は知っているか、そうだ! 私にとってここ何年か、
毎日のように、お前のまばゆい微笑みが
美しい夏とともに同じ薔薇の命を永らえさせていることを
過去とそして未来へも沈んでいくあの夏の薔薇

Mon coeur qui dans les nuits parfois cherche a s’entendre
Ou de quel dernier mot t’appeler le plus tendre
S’exalte en celui rien que chuchote de sur

私の心は夜、時折、自分の声を聞こうとする、あるいは、
どのような最高の言葉でお前をもっとも優しく呼べるかを考える
すると私の心は、妹がささやいた言葉を聞くだけで、高揚する

N’etait, tres grand tresor et tete si petite,
Que tu m’enseignes bien toute une autre douceur
Tout bas par le baiser seul dans tes cheveux dite.

大いなる宝、かくも小さな顔よ、
お前の髪への口づけだけが、かすかなあの
特別な優しさを私にしっかりと教えてくれる、ただそれだけ


これは完全なラブレターですよね。マラルメの頭の中には、この何年か、もうローランのことしかなかったと言っています。これはヤバイですよ。奥さんに知れたら大変です。そのため、1886年にローランのために書かれたこの詩は、マラルメの死後約10年経った1908年まで発表されませんでした。それでも当時はまだ奥さんは健在でしたから、何とか取り繕わなければなりません。

そこで娘のジュヌヴィエーヴとその夫のボニオは一計を案じました。1913年版の「マラルメ詩集」の編纂に当たって、何と第一節に出てくるMéryをMaryに変えて、マラルメ夫人の名前であるMarieの誤植のようにしてしまったんですね。これなら、夫人に当てた恋文であると言い訳できるわけです。もちろん、そのような「嘘」がいつまでも通じるはずもなく、新版ではMéryに戻されたそうです。

第一節では、あのE・Manet(エドゥアール・マネ)のもじりである「émané」(立ち昇る)が出てきます。こちらのほうが「(メリ・ローランの)扇」よりも早く書かれましたから、オリジナルですね。言ってみれば、「立ち昇る芳香」はローランの枕詞のようなものでしょうか。

第二節の「美しい夏」とともにある「薔薇」とは、マラルメに詩の霊感を与える源泉のようなものでしょうか。ローランのおかげで、源泉は枯れることなく、美しい詩句(夏)を奏で続けることができるのだと言っているように聞こえます。時空を超越した存在である薔薇、そして夏は、マラルメの青春(恋する心)の象徴でもあるのでしょうね。

第三節は「妹」の解釈が難しいですね。決してローランの妹(存在したかどうかもわかりませんが)のことを言っているわけではありませんね。私にはミューズの妹ではないかと思われます。ミューズが直感、霊感の表れだとすると、妹はどちらかというと理知的な思考の象徴のように思われます。

いままでご覧になってわかるように、マラルメの詩は霊感によって得た美しい詩句と、数学の謎解きのように計算された理知的な句が混ざり合っていますね。後者を妹と呼んだのではないでしょうか。あの「émané」が最たる例です。こういう言葉を思いつくだけで、心が躍ってしまうとマラルメは言っているのだと私は解釈しました。

マラルメの「禁断の恋文」はまだ続きます。

美しい夏とともにある薔薇。

夏の薔薇
(続く)

薔薇シリーズ128 「いい言葉(4335)」

▼マラルメ夫人の扇(マラルメ31)
扇たち

娘と恋人(?)にプレゼントして、奥さんに贈らないわけにはいきませんよね。メリ・ローランに扇を贈った翌(1891)年、マラルメはようやく奥さんにも扇に詩を書いて贈ります。白い雛菊模様の銀地に赤いインクで詩が書かれ、裏面は金地に花と鳥をあしらった扇だったそうです。

どのような詩だったのでしょうか。早速、「(マラルメ夫人の)扇」を見てみましょう。

Éventail de madame Mallarmé

Avec comme pour langage
Rien qu'un battement aux cieux
Le futur vers se dégage
Du logis très précieux

言葉のためかのように
極めて大切な住処(すみか)から
ただ大空を一度羽ばたくだけの
未来の詩句が放たれる

Aile tout bas la courrière
Cet éventail si c'est lui
Le même par qui derrière
Toi quelque miroir a lui

翼を休めた伝達者である
この扇が、お前の後ろにある
何か澄み切った鏡が
映し出す扇と同じであるならば

Limpide (où va redescendre
Pourchassée en chaque grain
Un peu d'invisible cendre
Seule à me rendre chagrin)

(目に見えないわずかな灰が
ただひとつの私の悲しみとなって
一粒一粒追われるように
鏡の底へと再び沈んでいくだろう)

Toujours tel il apparaisse
Entre tes mains sans paresse.

いつも扇はそのように現れる、
休みを知らぬ、お前の手の中で。

薔薇は出てきませんでしたね。皮肉な見方をすれば、娘とメリ・ローランは薔薇にたとえられても、夫人はできなかったということでしょうか。それでも、常にマラルメの家庭を守り、働いている夫人に対する感謝の気持ちが込められていることがわかります。

澄み切った鏡に映る、ほぼ完璧な女性にも、「目に見えないわずかな灰」という気がかりがあるのだとマラルメは言っています。その気がかりが何であるかはわかりません。詩作に魂のすべてをかけたマラルメのことですから、おそらく詩作の邪魔になるような日常とかかわりがあることでしょう。

「再び沈んでいく」と言っているからには、鏡の底に堆積した灰は、何かの拍子で埃のように舞い上がっては、時間とともに落ちていくという状態を繰り返しているのでしょう。積もった不満が爆発して、やがて沈静化していく夫婦喧嘩を想像してしまいます。

さて、最初から見てみましょう。
第一節二行目の「極めて大切な住処(すみか)」とは、マラルメの家のことですが、マラルメの心のことでもあるのでしょうね。ここでも鳥と扇のイメージが重ねられ、扇はマラルメのことを指しています。大空は理想の詩の世界であることはすでに説明しました。

第一節ではマラルメが自宅で詩作に没頭する様子が描かれ、第二節では完成した詩を読む(扇を持つ)夫人の姿が語られています。鏡に映った夫人の手に持つ扇(夫人の理想)は、私が捧げた扇(私の理想)と同じなのかと問うているようでもありますね。

第三節の丸括弧内は、マラルメの本音のつぶやきなのでしょう。第四節では、日ごろの夫人の家事に感謝していると読むことができます。

こうしてみると、娘やローランに贈った詩より、やけにあっけないような気がするのは私だけ? 日常の世界にどっぷり浸かっている妻はミューズにはなりえなかったということでしょうかね。

ところで、どこかにマラルメの扇の写真がないかなと探していたら、ありました。ここです。シャネルの女友達ミシア・セールに、マラルメが毎年贈ったと書かれていますね。ミシア・セールについては、こちらをご覧ください。

それからマラルメが娘に贈った扇ですが、第一節を左端にもってきて、さらに扇を開くと第二節が現れ、そして扇の真ん中にVの字が印象的な第三節、その右に第四節と続き、最後に第五節が右下に来るように書かれていたそうです。これも見事な視覚的効果を演出していますね。
(続く)

薔薇シリーズ127 「いい言葉(4335)」

▼マラルメ嬢の扇2(マラルメ30)
では「(マラルメ嬢の)扇」を詳しく見て行きましょう。

第一節
おお、夢見る女よ、純粋な
歓喜の迷宮へと飛び込む私のために
巧妙な嘘でもいいから、
お前の手の中で私の翼を休ませておくれ。

この詩の中でマラルメは、自分を扇に重ね合わせ、そして娘をまだ本当の恋愛を知らない夢見る乙女として描いています。ですから「私の翼」とは、折りたたんだり広げたりする扇の紙(布)の部分のことを指していますね。純粋な歓喜の迷宮とは、娘のことでしょう。扇は娘の手の中に「飛び込」みます。「巧妙な嘘」と書かれていることから、娘に対して扇を手に持ってポーズを取ってくれと言っているように聞こえます。

4行目のイメージとしては、小鳥が娘の手の平の上で羽根を休めることになりますから、娘に優しく抱きしめられたいという父親の(倒錯した?)心情が込められているのかもしれません。

第二節
黄昏の清涼が
扇ぐたびにお前にもたらされ、
囚われ人の羽ばたきは
そっと地平線を後退させる。

最初の二行は娘が扇で自分を扇ぐときの描写ですね。三行目の「囚われ人」とは、娘の手に持たれている扇(マラルメ)のこと。その羽ばたき(扇ぐこと)が「地平線を後退させる」とは、ずいぶん凝った表現です。何のことだと思いますか? おそらくこれは、波紋のことを言っているんですね。池に石を投げ込んで広がる波紋のように、扇の煽りは風による波を生じさせ、その波が地平線(水平線)となって次第に遠ざかっていく光景です。はっとさせられる、見事な表現ですね。

同時にこの扇が生じさせる波とは、マラルメの詩が生じさせる衝撃波でもあります。あるいは、マラルメが白い原稿用紙に筆をつけることによって波紋のように広がる詩の響きそのもの。すると「地平線を後退させる」とは、この詩が娘の視界(視野)を広げさせ、新しい世界を眼前に開けさせるものであると言っていることになります。

第三節
めまいが! 目の前の空間は今、
大いなる接吻のように震える。
誰かのために必死に生まれようとするその接吻は、
ほとばしることも、静まることもない。

1行目に「Vertige! Voici・・・」と「V」が続きますが、このV字の形は扇が半分開いた形と同じですね。5節あるちょうど真ん中にこれをもってきていることから、視覚的にも重要な役割を演じています。ちなみにこの5節も、イメージとして五本の指を広げると扇の形になることを暗示しているようでもあります。

「めまい」は扇の振動から来るものでしょうか。その震えを乙女の恋愛に対するおののき(純真さ)とダブらせています。「大いなる接吻」「誰かのために必死に生まれようとする(接吻)」とは、大恋愛を予感させる表現です。父親から娘への恋の手解きといったところですね。

第四節
隠された笑いのように
お前の唇の片隅から
すべての襞の隅々へとそっと滑っていく
堅固な天国をお前は感じないのか!

この節は難解です。私の解釈では、これは第二節と対応していて、マラルメが贈った詩を朗読する娘の姿を描写しているように思います。照れ笑いしながら朗読する娘。その唇から発せられる詩の言葉は、扇の襞、すなわちマラルメらの心の襞の隅々へと染み渡って行きます。その恥じらいと澄み渡る声が、マラルメには「堅固な天国」に聞こえたのでしょうか。「farouche(堅固な)」には「(女が)身持ちの固い」という意味がありますから、まだ男を寄せ付けない娘であるとマラルメが信じている(信じたがっている?)ことがわかります。

第五節
それはまさに、黄金の夕べに留まる、
薔薇の岸辺の王杖。
その白い閉ざされた飛翔は、
腕輪の輝きの上に置かれている。

王杖とは、閉じた扇のことです。第三節の「めまいが!」の「!(感嘆符)」も同様です。閉じた扇が王杖に見えるなんて目が悪いんじゃないか、どうかしていると思われるかもしれませんが、庭に転がっている小石を伝説の黄金に変える錬金術師が詩人ですから、大目に見てやってください。

だからこの最終節では、その閉じた扇をもつ娘の姿を描写しているんですね。その姿は「黄金の夕べ」「薔薇の岸辺」にたとえられています。夕闇が迫る中、かけがえのない一瞬に輝く薔薇の花のイメージでしょうか。「白い閉ざされた飛翔」とは、まさに扇を閉じた様子を、羽根をたたんだ鳥のイメージに重ねていますね。「白い」と書かれていることから、白地の扇であったことがわかります。インクは黒字説と赤字説があり、よくわかりません。

娘がはめていた腕輪は、「黄金の夕べにとどまる」という表現から、おそらく金色だったのでしょう。その腕輪と並ぶように扇が置かれています。なお、クロード・ドビュッシーはこの詩からも霊感を得て、『マラルメの三つの詩』という曲で取り上げています。

さて扇をもらったジュヌヴィエーヴは、どのような未来へと飛び立って行ったのか、簡単に説明しておきましょう。1892年にマラルメのパリの自宅で開かれていた「火曜会」に出席したエドモン・ボニオ(放射線医学専攻)と恋仲となり、その後結婚します。マラルメの死後は、二人でマラルメが残した詩の編纂などをしていましたが、1919年に54歳で死去しました。遺体はパリ近郊にあるヴァルヴァン・サモローの墓地に、父マラルメの傍らに埋葬されました。

白薔薇

白い扇のような薔薇。
(続く)

薔薇シリーズ126 「いい言葉(4335)」

▼マラルメ嬢の扇(マラルメ29)
もう一つの薔薇と言える“恋人”のマリ・ローランに捧げた詩はほかにもありますが、その前にマラルメが書いたほかの二編の「扇」も紹介しておきましょう。

「扇」をローランに捧げた6年前の1884年、最初の扇は娘のジュヌヴィエーヴに贈られています。この年ジュヌヴィエーヴは20歳になりましたから、成人になったお祝いに、扇に詩を書いて贈ったのではないかと思われます。

マラルメには娘と息子がいましたが、息子のアナトールはこの詩が書かれる5年前の1779年に8歳で病死しています。マラルメ家でただ一人成人した子供がジュヌヴィエーヴだったんですね。

それでは、「(マラルメ嬢の)扇」を見てみましょう。

Autre éventail de mademoiselle Mallarmé

O rêveuse, pour que je plonge
Au pur délice sans chemin,
Sache, par un subtil mensonge,
Garder mon aile dans ta main.

おお、夢見る女よ、純粋な
歓喜の迷宮へと飛び込む私のために
巧妙な嘘でもいいから、
お前の手の中で私の翼を休ませておくれ。

Une fraîcheur de crépuscule
Te vient à chaque battement
Dont le coup prisonnier recule
L'horizon délicatement.

黄昏の清涼が
扇ぐたびにお前にもたらされ、
囚われ人の羽ばたきは
そっと地平線を後退させる。

Vertige! voici que frissonne
L'espace comme un grand baiser
Qui, fou de naître pour personne,
Ne peut jaillir ni s'apaiser.

めまいが! 目の前の空間は今、
大いなる接吻のように震える。
誰かのために必死に生まれようとするその接吻は、
ほとばしることも、静まることもない。

Sens-tu le paradis farouche
Ainsi qu'un rire enseveli
Se couler du coin de ta bouche
Au fond de l'unanime pli!

隠された笑いのように
お前の唇の片隅から
すべての襞の隅々へとそっと滑っていく
堅固な天国をお前は感じないのか!

Le sceptre des rivages roses
Stagnants sur les soirs d'or, ce l'est,
Ce blanc vol fermé que tu poses
Contre le feu d'un bracelet.

それはまさに、黄金の夕べに留まる、
薔薇の岸辺の王杖。
その白い閉ざされた飛翔は、
腕輪の輝きの上に置かれている。

薔薇
(続く)

薔薇シリーズ125 「いい言葉(4335)」

▼もう一つの薔薇2(マラルメ28)
マラルメが書いた「(メリ・ローランの)扇」を説明するには、マラルメがローランに贈った扇のことに触れないわけにいきません。実はこの詩は、薔薇模様の金紙が貼られた扇に白いインクで書かれていたんだそうです。1890年にマラルメが直接ローランに手渡したとされています。詩を扇に書いてプレゼントするなんて、雅ですね。

ではそのことを念頭に置いて、詳しく詩を見て行きましょう。

第一節
冷やかな薔薇は生きるために
束の間の白いガクとともに
霧氷となったあなたの吐息を
どれもみな同じようにさえぎっている

いきなり難解のフレーズが出てきますね。「冷やかな薔薇」とは何でしょうか。薔薇は女性の象徴でもありますから、冷たい態度を取るローランのことかなと最初思いましたが、どうもそうではないようです。一つの解釈は、「冷やか薔薇」は扇に描かれた薔薇のことで、扇で口を覆えば吐息もさえぎられることを直接的には指していると思われます。

でも、それだけではつまらないですよね。そこでもう一つの解釈が出てきます。「白いガク」とは、まだ詩ができる前に詩人が向かい合う真っ白な原稿用紙。そして「冷やかな薔薇」は、これから生まれようとしている詩のことではないか、という解釈です。詩は同時に、ローランの美のことでもあります。

そうすると第一節は、扇を開く(詩が開花する)前の状態を描写していることになります。扇を目の前にしてローランは、固唾を呑んで見守ります。扇には一体、何が描かれているのか、と。その息を凝らして待つ「束の間」の緊張感を描いたとも解釈できます。

あるいは、言葉(薔薇)に生命を吹き込むため(「生きるために」)、詩人が息を潜めて詩作に没頭する様子をそこに重ねているのかもしれませんね。

第二節
しかし私の一扇ぎは
深刻な衝撃となって髪の房を解き放ち
その冷ややかさは
陶酔の花を咲かせる笑みへと溶けていく

さていよいよ、その扇を開きます。扇はマラルメの詩、あるいはマラルメ自身です。扇を開いて一回扇ぐだけで、緊張感(「髪の房」)は解き放たれます。そして詩の力は衝撃波となってローランの心を打つわけです。扇に閉じ込められていた「冷やかな薔薇」はローランを称える「陶酔の花」へと変わり、ローランを喜ばせます。

第二節では、3行目から4行目にかけて「ri」の音が三回も出てきますが、これはメリ・ローラン(Méry Laurent)のMéryの発音と呼応しています。Méryは発音では「Mais ris(さあ、笑おう)!」となります。「笑み(rire)」は、それをもじっているんでしょうね。

第三節
つまびらかに天を広げるには
そこに現れたる美しい扇よ
お前はガラスの小瓶よりふさわしい

一行目を直訳すると「空を詳細に投げると」となります。空とは扇に描かれた小宇宙(天)であると推察できますから、扇を広げたときに美の世界が現れることを指していますね。マラルメは、美を表現するには、扇に詩を書いたほうがはるかに適している、香水の瓶などを贈るよりずっとお洒落なプレゼントでしょ、とローランに呼びかけているようにも思われます。

第四節
だれもすりガラスの栓で閉じ込めることはできない
メリから立ち上る香気は
消えることもなければ、せいぜい栓が馬鹿にされるだけ

第三節で展開したテーマは第四節でも繰り返されます。ガラスの瓶ではローランの本質である美(「メリから立ち上る香気」)は表現できないと言っていますね。「誰か(たぶん愛人の米国人医師エヴァンス)が贈った香水の瓶の中に、あなたの美の本質などありません。瓶に閉じ込めようとしても、収まりきらないでしょう。だから扇(私)を受け取りなさい。扇の中の小宇宙では、あなたの永遠の美が薔薇とともに刻まれているのです。香水の瓶をもらって喜んでいるようなら、馬鹿にされてしまいますよ」――と、マラルメは主張しているように思われます。

最後の一行である「L'arôme émané de Méry」には、掛け言葉というか、地口(pun)も含まれています。Émanéは「香りが立ち昇る」という意味ですが、E. Manet(エドゥアール・マネ)と同じ発音になります。「友人マネと親しかったマリよ」という呼びかけにもなるんですね。ついでに言うと、「香り」という意味の「L'arôme」は、マラルメがパリで住んでいたLa Rome(ローマ街)と同じ発音です。ローランもローマ街に住んでいたようですから、「ローマ街に住むマリよ」とも聞こえるわけです。

その前の行の「Sans qu'il y perde」(消えることもなく)を発音からSang qu'il y perde(それがそこで失う血)と読むこともできます。そうするとちょっと怪しげな詩になってきます。「吐息」「深刻な一撃」「陶酔の花」などエロチックに解釈することも可能です。

マラルメの詩はこうして、扇という羽根を得て、彼女をその独自の宇宙へと誘ったのではないでしょうか。「花より団子。扇よりもシャネル」なんて言わないでくださいね。

扇のように開いた薔薇です。

薔薇
(続く)

JFK暗殺の実行犯とその背後の動機について 「あの本、おぼえてる?(828)」

先ほどまで日本テレビ系列の「モクスペ・JFKは俺が撃った!」で、JFK暗殺犯だとされるジェームズ・ファイルズの特集をやっていたので、JFK暗殺事件研究家として、一応コメントしておきましょう。

実は私が2000年5月に出した本『ジョン・F・ケネディ暗殺の動機』でも、グラスィ・ノールからニコレッティの部下だったファイルズがやったのではないかと推論しています(67ページ)。彼の証言は、マリタ・ロレンツやロバート・マローといった、JFK暗殺計画にかかわったCIA工作員の証言と矛盾していません。むしろ完全に補強しています。

今日の番組で特に面白かったのは、レミントン社のファイアボールというライフル銃で狙撃したとファイルズが証言していた点でしょうか。音声解析でも4発目がファイアボールの銃声と一致し、彼が噛んだという薬きょうが見つかったことから、それらは犯人しか知りえなかった事実であると見ていいのではないかと思います。

でも本当に面白いのは、番組では取り上げていませんでしたが、この暗殺の背景にある動機なんですけどね。それさえわかれば、実は実行犯が誰かなどたいした問題ではないのです。その動機をお知りになりたい方は、上に紹介した拙著をお読みいただければと存じます。絶版になっておりますが、どこかの図書館に置いてあると思います。

JFK

薔薇シリーズ124 「いい言葉(4335)」

▼もう一つの薔薇(マラルメ27)
薔薇

マラルメは、三人の女性に「扇」というタイトルの詩を贈っています。マラルメ夫人のマリー、娘ジュヌヴィエーヴ、そしてもう一人は、メリ・ローランです。メリ・ローランは、マラルメの友人で画家のエドゥアール・マネのモデルをやっていた女性です。マネの『秋(メリ・ローランの肖像)』が有名ですね。

メリ・ローランとマラルメがどのような関係であったかは推測するしかありませんが、彼がローランに贈った詩を見るかぎり、マラルメがローランに恋焦がれていたことがわかります。40代後半になっていたマラルメは、ローランの誕生日に四行詩を何度か贈るなど積極的にアタックします。ローランもマラルメを温泉保養地などへ招待していますから、まんざらでもなかったのかもしれません。当然愛人関係にあったと見る向きもあります。

ローランに関しては情報が少ないのですが、裕福なアメリカ人医師エヴァンス(フランス語読みだとエヴァン)の愛人となり、その豊富な資金をバックにして芸術家を庇護したり、彼らの愛人になったりしていたようです。当初はマネと愛人関係にありましたが、1883年にマネが死んだ後、マラルメのほうからローランに接近して行ったとみられます。

その熱烈な恋文とも言える詩の一つが「扇」です。

Eventail

De frigides roses pour vivre
Toutes la même interrompront
Avec un blanc calice prompt
Votre souffle devenu givre

冷やかな薔薇は生きるために
束の間の白いガクとともに
霧氷となったあなたの吐息を
どれもみな同じようにさえぎっている

Mais que mon battement délivre
La touffe par un choc profond
Cette frigidité se fond
En du rire de fleurir ivre

しかし私の一扇ぎは
深刻な衝撃となって髪の房を解き放ち
その冷ややかさは
陶酔の花を咲かせる笑みへと溶けていく

A jeter le ciel en détail
Voilà comme bon éventail
Tu conviens mieux qu'une fiole

つまびらかに天を広げるには
そこに現れたる美しい扇よ
お前はガラスの小瓶よりふさわしい

Nul n'enfermant à l'émeri
Sans qu'il y perde ou le viole
L'arôme émané de Méry.

だれもすりガラスの栓で閉じ込めることはできない
メリから立ち上る香気は
消えることもなければ、せいぜい栓が馬鹿にされるだけ


短い14行の詩(ソネット)ですが、かなり凝った詩です。掛け言葉がたくさんある日本の短歌のように、複雑に音が絡み合っています。扇も多分、日本の扇子なのでしょうね。すでに私の解釈がかなり入った訳になっていますが、さらに詳しい説明は明日のブログで紹介しようと思います。
(続く)

薔薇シリーズ123 「いい言葉(4335)」

▼半獣神の午後5(マラルメ26)
二人の美しいニンフを略奪した半獣神は、何とニンフに対して、あんなことや、こんなことをしてしまうんですね。もちろんマラルメは、はっきりとは描写しませんから、私のような読者は「妄想」を膨らませて、かってにストーリーを作ります。

情熱的で肉感的なニンフと青い目の清純なニンフがいることはすでに詩の最初の部分で語られていましたが、半獣神の強引な振る舞いに、最初は二人とも怒ります。でもどうやら、情熱的なニンフのほうは、まんざらでもなかったようです。次第に興奮して気持ちも高ぶっていきます。最初に「真昼の熱い風」にたとえられた理由もわかります。

ところが清純なニンフは、半獣神が腕の力を緩めた隙をついて逃げ出すことに成功、冷ややかな視線を半獣神に投げかけます。情熱的なニンフも相棒が逃げ出したので、その後を追います。あと一歩で「獲物」を取り逃がした半獣神は、半べそをかいて戻ってくるように懇願します。しかし、そのような必死の懇願も無視されて、二人のニンフは去っていきます。一人になった半獣神には、「裂けた柘榴(ざくろ)」と「蜂の羽音」だけが残されます。

Tu sais, ma passion, que, pourpre et déjà mûre,
私の情熱よ、お前は知っている。すでに熟れて真っ赤な

Chaque grenade éclate et d’abeilles murmure ;
柘榴の実は割れ、ミツバチの羽音はささやく。

Et notre sang, épris de qui le va saisir,
私たちの血潮は、それを捉えようとするものに心を奪われながら、

Coule pour tout l’essaim éternel du désir.
情欲の永遠の群れの中へと流れていく。

À l’heure où ce bois d’or et de cendres se teinte
この森が黄金と灰色に染まるとき、

Une fête s’exalte en la feuillée éteinte :
ひとつの祝宴が、枯れ行く葉陰に向かって高まっていく。

Etna ! c’est parmi toi visité de Vénus
エトナ火山よ! 美の女神ヴィーナスが訪れ、

Sur ta lave posant tes talons ingénus,
お前の溶岩の上を無邪気にかかとで踏み付ける。

Quand tonne une somme triste ou s’épuise la flamme.
悲しい眠りが響くとき、あるいは燃え盛る炎が尽きるとき、

Je tiens la reine !
私は女神を抱きしめるのだ!


O sûr châtiment...
おお、確かなる罰・・・


Non, mais l’âme
いいや、だが、言葉を失った魂も

De paroles vacante et ce corps alourdi
重みを増したこの肉体も

Tard succombent au fier silence de midi :
やがて、真昼の勝ち誇った沈黙に屈するのだ。

Sans plus il faut dormir en l’oubli du blasphème,
ならば、罪の咎めを忘れて、ただ眠ろうではないか。

Sur le sable altéré gisant et comme j’aime
乾いた砂の上に横たわり、葡萄酒を育む

Ouvrir ma bouche à l’astre efficace des vins !
太陽に向かって口を開き、光で喉を潤すように!


Couple, adieu ; je vais voir l’ombre que tu devins.
二人のニンフよ、さようなら。薄れ行く影となったお前を見送ろう。


ここで『半獣神の午後』は終わります。
気だるさの中に、情熱と幻想(妄想?)が錯綜する詩でしたね。エトナ火山は美の女神ヴィーナスの配偶者とされていますが、その夫の目を盗んでヴィーナスを抱いてしまうなんて、大胆な半獣神の「妄想」ですね。ヴィーナスは、詩の女神ミューズのイメージと重なって、満たされなかった欲望を詩作で昇華させるという意味合いも込められているようです。

『エロディアード』が内にこもった、隠微な女性的世界を描いた作品であるのに対して、『半獣神の午後』は開放的で単純な男性的世界を表現しています。どちらもマラルメの傑作とされるだけあって、味わい深い作品でしたね。

そのマラルメには、別の薔薇も存在しました。明日はその薔薇について紹介いたしましょう。
(続く)

ゆっくりお休み、草むらの半獣神よ!
半獣神

薔薇シリーズ122 「いい言葉(4335)」

▼半獣神の午後4(マラルメ25)
二人の美しいニンフの水浴び姿に興奮して襲い掛かるなんて犯罪行為ですが、目に見えない力(キューピッド)が恋愛を支配する神話の世界の話ですから、仕方なく大目に見ましょう。そのとき何が起きて、半獣神は何を見たのか、本人の口から語ってもらいましょう。

" J’accours ; quand, a mes pieds, s’entrejoignent (meurtries
「私は駆け寄る。すると足下に

" De la langueur goutee a ce mal d’etre deux)
(二人でする悪戯の果てに憔悴しきって)

" Des dormeuses parmi leurs seuls bras hasardeux ;
人目もはばからず、お互いの腕を絡めて抱き合って眠っている乙女たちがいた。

" Je les ravis, sans les desenlacer, et vole
私は、彼女たちを引き離さずにそのまま抱え上げ、

" A ce massif, hai par l’ombrage frivole,
軽薄な葉陰に嫌われながら、薔薇の茂みに一目散に駆け込む。

" De roses tarissant tout parfum au soleil,
そこでは、薔薇が太陽に向かって残された香りをすべて解き放ち、

" Ou notre ebat au jour consumé soit pareil.
私たちの戯れは燃え尽きた日のようになる」


半獣神が泉のほとりに駆けつけたところ、二人のニンフは抱き合って眠っていたんですね。ちょっと意外な展開です。「悪戯の果てに憔悴」していたなどと書かれると、同性愛の行為で憔悴しちゃったのかなと、要らぬ想像(妄想?)をしてしまいます。若き半獣神にとっては、ますます興奮する光景であったのでしょう。衝動的に二人をそのまま抱え上げ、茂みに連れ込みます。

茂みに隠れるということは、後ろめたいという気持ちはあったのでしょうね。連れ込んだ場所が薔薇の茂みというのも意味深です。マラルメは薔薇を、イェイツ的な「理想の美」というよりも、肉欲的な美の象徴として使うことが多いということはすでに紹介したとおりです。ここでも薔薇は、二人のニンフに対する情欲のイメージと重なり、「残された香りをすべて」太陽に解き放つという表現も官能的です。「燃え尽きた」などは、別に解説の必要もありませんね。

この詩はこの後、より具体的な行為の描写を含む内容になっていきます。それを訳すと、伏せ字ばかりになりそうな予感も。いよいよ怪しげな内容のブログです。でもこれは私のせいではありません。マラルメが悪いんですからね。

" Mon crime, c’est d’avoir, gai de vaincre ces peurs
" Traitresses, divise la touffe echevelee
" De baisers que les dieux gardaient si bien melee :
" Car, a peine j’allais cacher un rire ardent
" Sous les replis heureux d’une seule (gardant
" Par un doigt simple, afin que sa candeur de plume
" Se teignit a l’emoi de sa soeur qui s’allume,
" La petite, naive et ne rougissant pas : )
" Que de mes bras, defaits par de vagues trepas,
" Cette proie, a jamais ingrate se delivre
" Sans pitie du sanglot dont j’etais encore ivre.

どうです、凄いでしょ? って、訳してないじゃん、と言われそうですが、すべて伏せ字になってしまいました(笑)。詩は想像力で読むものですから、たとえフランス語がわからなくても、想像してお読みください。ドビュッシーもこの辺りから霊感を得たんでしょうかね?

明日は『半獣神の午後』の最終回といたしましょう。

薔薇
(続く)

薔薇シリーズ121 「いい言葉(4335)」

▼半獣神の午後3(マラルメ24)
次に半獣神は、シチリア島の岸辺に向かって呼び掛けます。これにより、半獣神がエトナ山のある地中海最大の島に暮らしている、あるいは暮らしていたことがわかりますね。呼び掛けに応えてシチリアの岸辺は、森の泉に白鳥かと見紛うばかりに白いニンフが水浴びをしていた情景を、目撃談として語りはじめます(実際に岸辺が語っているのではなく、半獣神が独白しているだけですが)。

「岸辺の語り」により、ニンフと出会ったときの記憶がいっそう鮮明に蘇ってきます。それは、半獣神の思春期の思い出として深く記憶されているようです。

Inerte, tout brule dans l’heure fauve
力なく、茜色の時にすべてが燃えるとき、

Sans marquer par quel art ensemble detala
いかなる術によるものか、前触れもなく、

Trop d’hymen souhaite de qui cherche le la :
調音のラを求める者が望んだ、婚礼の調べがいっせいに漏れ出でる。

Alors m’eveillerai-je a la ferveur premiere,
そのとき私は、光が作る古代の波の下、

Droit et seul, sous un flot antique de lumiere,
初めての激しい情熱にときめきながら、一人すっくと立ち上がろう。

Lys ! et l’un de vous tous pour l’ingenuite;
百合よ! 無垢を表す、お前たちすべての中の一人として。


初めて美しいニンフを見たときの情景を綺麗に描写していますね。だけどこの詩的な表現にすら、若き男性が経験する初めての性の衝動がオブラートに包まれながら語られています。それは「前触れもなく」、原初の叫びのように溢れ出るんですね。

次に半獣神が葦の茂みの間から覗き見した、ニンフの水浴びの光景を紹介しましょう。

"Mon oeil, trouant le joncs, dardait chaque encolure
「私の眼は、葦の茂みをかき分けて、(二人のニンフの)不滅のうなじに釘付けになる。

" Immortelle, qui noie en l’onde sa brulure
その日焼けの痕がついた襟足が泉の水に触れると、

" Avec un cri de rage au ciel de la foret ;
森の空高く、痛みの叫びが響き渡る。

" Et le splendide bain de cheveux disparait
こうして、髪の毛たなびく壮麗な水浴びは、

" Dans les clarte;s et les frissons, ô pierreries !
おお、宝石よ、光と震えの中へと消えていく!


若き半獣神にとっては、鼻血が出るような刺激的な光景でありました。そして何ということか、性の衝動に駆られた半獣神は、二人の美しいニンフに襲い掛かります。危うし、穢れなき乙女たち! 彼女らの運命はいかに!?
(続く) 

百合ではありませんが、梅園では水仙もチラホラと咲いています。

水仙

薔薇シリーズ120 「いい言葉(4335)」

▼半獣神の午後2(マラルメ23)
眠りから覚めた半獣神に、二人のニンフとの思い出が次第に蘇ってきたようです。半獣神は、自分自身に呼び掛けます。

ou si les femmes dont tu gloses
もしお前が咎める女たちが

Figurent un souhait de tes sens fabuleux !
お前の偽りの官能的希望が作り上げた幻影なら!

Faune, l’illusion s’échappe des yeux bleus
半獣神よ、その幻は(二人のニンフのうち)より清純なニンフの

Et froids, comme une source en pleurs, de la plus chaste :
青く、冷たい眼から、涙の泉のようにこぼれ落ちるのだ。

Mais, l’autre tout soupirs, dis-tu qu’elle contraste
しかし、誰もが溜め息をつくような、もう一人のニンフを、

Comme brise du jour chaude dans ta toison ?
お前の山羊の体毛にそよぐ真昼の暑い風のようだったとお前は言うのか?

Que non ! par l’immobile et lasse pâmoison
いいや、違う! 身動きさえできぬ、あの気だるい失神。

Suffoquant de chaleurs le matin frais s’il lutte,
さわやかな朝は抵抗したものの、暑さにより息も絶え絶えになる。

Ne murmure point d’eau que ne verse ma flûte
私の草笛から流れる水のような音は、和音を浴びた茂みの中で、

Au bosquet arrosé d’accords ; et le seul vent
ささやきを生じさせることもない。

Hors des deux tuyaux prompt à s’exhaler avant
二本の茎からは、ただ風の音だけがすぐに漏れ出て
Qu’il disperse le son dans une pluie aride,
乾いた雨の中に音をばら撒く。

C’est, à l’horizon pas remué d’une ride
それは、さざ波一つ立たない水平線の彼方、

Le visible et serein souffle artificiel
霊感で作られた、明確で澄み切ったそよ風となって、

De l’inspiration, qui regagne le ciel.
大空へと帰っていく。


謎めいた表現がたくさん出てきます。ここで二人の対照的なニンフがいたことがわかります。一人は、清純で冷たい乙女。もう一人は、どうやらその表現から、情熱的で肉感的な女性のようです。

「身動きさえできぬ、あの気だるい失神」とは、幻影と対比する意味での実感であるエクスタシーを想起させますね。その次の行の「chaleurs」には、「暑さ」という意味とともに「激しい情欲」という意味もあり、ますます怪しげな表現となります。描写的には、さわやかな朝の涼しさも、太陽が高くなるにつれて温度が上がるため、消えてなくなってしまうことを言っています。

この後、トーンが変わり、「お前」が再び「私」に戻ります。「私」に変わった半獣神は、傍らに生えていた葦の茎でしょうか、その二本の茎を折って葦笛を作り、曲を奏でます。その音色は水の音にたとえられ、静寂の中、ざわめきを生じさせることもなく、孤独に響きます。その孤独な静けさを、「乾いた雨」「さざ波一つ立たない水平線」とマラルメは表現したのではないかと思います。

周りには半獣神の笛の音を聞くものは誰もなく、ただ空に上って消えていくだけだと言っているようですね。
(続く)

さざ波は少し立っていますが、昨日撮影した水平線の写真です。

水平線

誰もいない、静かな海でした。

シモバシラの霜柱 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154169)」

シモバシラというしそ科の多年草があるのをご存知でしょうか。

花も地味であまり目立たない草ですが、冬になると俄然注目されます。

その理由は、これです。

シモバシラ

枯れたシモバシラの根元に、霜柱ができるからなんですね。
この白く綿のように見えるのは氷結。夜の間の寒さで、茎の維管束の中の水が凍って茎の外へと伸びだしたものです。

この氷結のせいで、茎の構造も壊れてしまいます。
だから、シモバシラが咲かせる一年に一度きりの冬の花。

札幌の雪祭りは終わってしまいましたが、公園の片隅ではまだ雪祭りの最中のようですね。

今日はバタバタしているので、薔薇シリーズはお休みします。

薔薇シリーズ119 「いい言葉(4335)」

▼半獣神の午後(マラルメ22)
『エロディアード』と並ぶマラルメの長詩の傑作とされる『半獣神の午後』は、ほぼ『エロディアード』と同じ時期に書かれました。初稿は「半獣神の独白」というタイトルで、パリのフランス座で朗誦されるために1865年に書かれました。ところが出来上がった詩を読んだ劇場側が「美しい詩だが、選ばれた詩人たちの興味を満たすだけ」「大衆が要求している肝心の筋がない」などと酷評、結局朗誦されることはありませんでした。

第一稿はその後10年近く推敲され、1875年に第二稿「半獣神の即興詩」として『第三次現代高踏詩集』の出版社に送られましたが、ここでも掲載を拒否されます。頭にきたマラルメは自費出版を決意、翌76年に友人の画家エドゥアール・マネの挿画4枚を入れて、本の表紙は日本奉書紙に純金押箔刷りという豪華版『半獣神の午後』として出版しました。

内容はギリシャ神話に素材を得たもので、昼寝から目覚めた半獣神(牧神)が二人のニンフたちとの官能的な体験を思い出しながら、独白する様子を牧歌的に描いています。この作品がクロード・ドビュッシーに管弦楽『牧神の午後への前奏曲』を作らせ、ヴァーツラフ・ニジンスキーのバレエに強烈なインスピレーションを与えたことは有名な話ですね。

では、マラルメのもっとも有名な代表作と言える『半獣神の午後』を見ていきましょう。

L'Après-Midi d'un faune

Le Faune :(半獣神)
Ces nymphes, je les veux perpétuer.

あのニンフたちを、私は永遠なるものにしたい。

Si clair,
Leur incarnat léger, qu’il voltige dans l’air
Assoupi de sommeils touffus.

かくも鮮やかに、
彼らの軽やかな肉色は、葉隠れの眠りの気だるさが
立ち込める空気の中を飛び回る。

Aimai-je un rêve ?
Mon doute, amas de nuit ancienne, s’achève
En maint rameau subtil, qui, demeuré les vrais
Bois même, prouve, hélas ! que bien seul je m’offrais
Pour triomphe la faute idéale de roses.

私は夢を愛したのか?
古びた夜のように堆積した私の疑念は、繊細な梢のあちこちに入り込む。
梢はまるで迷宮の森となり、ああ、何ということか!
勝利の喜びとして、薔薇に対する観念上の誤りを享受できるのは、
ただ独り私だけであることを明らかにするのだ。

Réfléchissons...

熟考しよう・・・


いきなり薔薇が出てきますね。直接的には、薔薇は二人のニンフを指します。過去において半獣神がニンフを愛したのは、あれは夢であったのかと自問自答しています。ニンフたちが過去の思い出の中だけに存在する幻影に過ぎなかったのではないかという疑念が浮かび、それが迷宮の森でさまよう自分自身のイメージと結びつきます。夢か、現か。気だるい感じのする書き出しですね。

半獣神とニンフの間で何があったのでしょう。
(続く)

半獣神の昼寝?

昼寝

富士山と太陽と聖ヨハネ賛歌 「今日の出来事(966021)」

今日はあまりにも天気が良かったので、富士山が見えるのではないかと思って、午前中に神代植物公園へ行ってきました。

そしたらやはり、富士山がくっきりと浮かび上がっています。

富士山

これだけ綺麗に見えたのは1月3日以来です。いつもはガスが掛かっていて、薄っすらとした輪郭しか見えないんですよね。

さて、「聖ヨハネ賛歌」の写真ですが・・・

これがヨハネの首です。
放物線を描いて落ちていくところです。

落日

・・・ただの落日でした。

そう言えば、以前新宿都庁の展望台から、夕陽が富士山をかすめて、その斜面を転がるように没していくのを見たことがあります。マラルメが見たら、きっと、富士山から切り離された首が放物線を描いて落ちるように見えたのでしょうね。

富士山と夕暮れ

芸術が自然を模倣するのではなく、自然が芸術を模倣するのだという逆説が正しいなら、富士山に落日する光景を見たときは、是非、マラルメの「聖ヨハネ賛歌」を思い出してあげてください(笑)。

薔薇シリーズ118 「いい言葉(4335)」

▼聖ヨハネ賛歌(マラルメ21)
薔薇は出てきませんが、『エロディアード』断章第三部の「聖ヨハネ賛歌」も紹介しておきましょう。


CANTIQUE DE SAINT JEAN

Le soleil que sa halte
Surnaturelle exalte
Aussitôt redescend
Incandescent
超自然の休止により、
太陽は輝きを一段と強めたかと思うと、
すぐに再び白熱しながら下降する

Je sens comme aux vertèbres
S'éployer des ténèbres
Toutes dans un frisson
A l'unisson
私はまるで、椎骨に闇が広がり、
すべてが戦慄の中で
一つになるかのように感じる

Et ma tête surgie
Solitaire vigie
Dans les vols triomphaux
De cette faux
そして孤独な番人に見張られながら、
その大がまの勝ち誇った飛翔の中に
私の首が浮かび上がる

Comme rupture franche
Plutôt refoule ou tranche
Les anciens désaccords
Avec le corps
明白な破壊は、
昔からの不調和を、その肉体から
切断もしくはむしろ撃退するようだ

Qu'elle de jeûnes ivre
S'opiniâtre à suivre
En quelque bond hagard
Son pur regard
断食に酔った首は
狂ったように跳ね上がりながら、
その澄んだ視線の先をしきりに負い続ける

Là-haut où la froidure
Eternelle n'endure
Que vous le surpassiez
Tous ô glaciers
あの空の上では、永遠の寒さは
あなたがそれを凌駕するのを許さない、
おお、すべての氷河よ

Mais selon un baptême
Illuminée au même
Principe qui m'élut
Penche un salut.
しかし洗礼の儀式に従って、
私が選ばれたのと同じ原則によって照らし出された
私の首は、救済を求め、うつむくのだ。


この詩は、「序曲」や「舞台」とはまったく異なるトーンで書かれていますね。聖ヨハネが首を刎ねられる場面を、ヨハネ自身である「私」の視点から描写しています。刎ねられた首は「あなた」と呼ばれ、それが高く跳ね上がった後、落ちてくるわずかな時間を詩にしたようです。

第一節一行目の「超自然の休止」とは、上に跳ね上がった首が放物線の頂点で一瞬止まったように見えることを指しているのでしょうか。それを、太陽が南中し、一日で一番陽射しが強くなる瞬間にたとえているように思われます。

第二節は首を刎ねられた瞬間の衝撃を、第三~五節では首が天に向かって跳ね上がっていく情景がそれぞれ描かれ、第六節で首は放物線の頂点に達します。しかし、空の冷たさに阻まれ、首はそれ以上進むことはできず、第七節ではまるで救済をもとめるかのように頭を下げて、落下します。

かなりグロテスクな詩ですね。どうしてこれが賛歌になるのかわかりませんが、ほんの数秒の出来事をこれだけの詩にしてしまうのは天才的でもありますね。

明日は、『エロディアード』と並ぶマラルメの長詩の傑作とされる『半獣神の午後』を取り上げます。
(続く)

写真は後ほど。

薔薇シリーズ117 「いい言葉(4335)」

▼エロディアード「舞台」6(マラルメ20)
孤高の美を貫こうとするエロディアード。その並々ならぬ決意に乳母も引き下がるしかありません。そして「舞台」はいよいよ終幕へと向かいます。

N.(乳母)
Madame, allez-vous donc mourir?
王女様、では死ぬおつもりですか?

H.(エロディアード)
Non, pauvre aïeule,
いいえ、哀れな老婆よ。

Sois calme et, t'éloignant, pardonne à ce coeur dur,
ただ気を静め、この場を立ち去り、そしてこの頑な心を許しておくれ。

Mais avant, si tu veux, clos les volets, l'azur
しかしその前に、お願い、そのよろい戸を閉めておくれ。

Séraphique sourit dans les vitres profondes,
天使のような青空が窓ガラスの深奥で笑っている。

Et je déteste, moi, le bel azur !
私は嫌いよ、あの美しい青空が!

Des ondes
海の波が揺らめく彼方、

Se bercent et, là-bas, sais-tu pas un pays
夕暮れの茂みの間で燃える金星の

Où le sinistre ciel ait les regards haïs
憎しみの眼差しを持つ憂いを帯びた空。

De Vénus qui, le soir, brûle dans le feuillage :
その空の下にある国をお前は知らないのか。

J'y partirais.
私はそこへ旅立ちたい。

Allume encore, enfantillage
もっと蝋燭に灯を点しなさい。

Dis-tu, ces flambeaux où la cire au feu léger
子供じみているかもしれないが、その蝋燭の炎は

Pleure parmi l'or vain quelque pleur étranger
軽やかに燃え、空しい金色の中に、人知れぬ蝋の涙を流すのだ。

Et...
そして・・・

N.(乳母)
Maintenant ?
今でしょうか?

H. (エロディアード)
Adieu. Vous mentez, ô fleur nue
お別れです。ああ、私の唇に咲く裸の花よ、

De mes lèvres.
お前は嘘をついている。

J'attends une chose inconnue
私は未知のものを待つ。

Ou peut-être, ignorant le mystère et vos cris,
あるいは、お前はおそらく、神秘にもお前の叫びにも気づかないまま、

Jetez-vous les sanglots suprêmes et meurtris
冷たい宝石の数珠玉がついにバラバラと飛び散るのを

D'une enfance sentant parmi les reveries
夢の中で見て傷つく子供のように


Se séparer enfin ses froides pierreries.
この上もなく、痛ましいすすり泣きを漏らすのだ。


これで「舞台」は終わります。おそらく物語的にはこの続きがあるのでしょうが、それが発表されることはありませんでした。すでに述べたように、マラルメが生前発表したのはこの「舞台」だけ。『エロディアード』断章の第三部「聖ヨハネのたたえ歌」が発表されたのは、実に死後約15年経った1913年でした。マラルメは壮大な戯曲のような長詩を構想していたのでしょうが、それが完成することはなかったわけですね。

現存する「舞台」の最終章におけるエロディアードの心は揺れています。青空が憎いとは、何と屈折した心理だろうと思ってしまいますよね。実際マラルメは「青空」という詩を書いて、青空に対する複雑な心境を明かしています。青空は詩人の理想であるがゆえに、挫折する詩人に対して皮肉の笑みを浮かべます。マラルメはその責め苦に耐えられず、雲や霧で青空を覆い隠してくれることを望むんですね。エロディアードが「天使のような青空が窓ガラスの深奥で笑っている」「よろい戸を閉めておくれ」と言っているのは、マラルメのそのような心情を反映したものです。

その皮肉の笑みをたたえる空の下にある国とは、詩人の理想の国であり、エロディアードにとっては理想の美の国なのでしょう。マラルメもエロディアードも、その国へと旅立ちたいのですが、現実がそれを許しません。マラルメにとっての現実とは父親としてのマラルメ、英語教師としてのマラルメで、エロディアードにとっての現実とは、聖書に記録されている悲劇へと歩みはじめることではないかと思います。

最後のエロディアードの台詞も難解です。
「私の唇に咲く裸の花」とは、エロディアードの表層心理のことでしょうか。たとえば「青空が憎い」と言っても、深層心理では青空を愛したい、青空から愛されたいと思っています。表層心理は、そんな深層心理(お前の叫び)にも気づかずに、ただ子供のように青空が怖いと泣いている――そのように解釈することもできるのではないかと思います。
(続く)

揺れる海の波の彼方、マラルメが怖れた青い空の下の国?

海

薔薇シリーズ116 「いい言葉(4335)」

▼エロディアード「舞台」5(マラルメ19)

エロディアードはこの後、乳母が自分に触れようとしたことを非難します。どうやら誰かに触れられると、現実世界に戻らなければならなくなり、あの不吉な運命(聖書に描かれた悲劇)の歯車が回り始めると嘆いているようです。

そのような運命のことを知らない乳母は、エロディアードが頑なに現実(世俗)世界を拒み続ける秘密を聞きだそうとします。ところが、エロディアードは秘密を明かそうとしません。それでも追究する乳母に「私のためよ」とだけ答えます。

この辺りのやりとりにも、マラルメの詩人としての苦悩がにじみ出ています。昨日のコメントにも書かせてもらいましたが、マラルメがこの作品に取り組み始めた1864年11月、マラルメ家に長女ジュヌヴィエーヴが生まれます。生まれたばかりのジュヌヴィエーヴの泣き声は、マラルメの「頭を絶えずガンガン」させます。

加えて、英語教師としての現実的な生活もマラルメの創作活動を邪魔したようです。マラルメは翌65年には友人に宛てた手紙で次のような心情も吐露しています。「専門の文学者(詩人のこと)でないのは悲しいことだ! 失えば再び見出せない私の最も美しい情熱や稀有な霊感は、毎瞬時、教師という嫌な仕事で中断される」

乳母に触れられたくないというエロディアードは、俗世界の雑事(不吉な運命)のことを思い出したくないというマラルメの心情だったのかなと思ってしまいますね。詩の世界に没頭しているとき、女神が微笑んで美しい詩句が浮かんできても、赤ん坊のかすかな泣き声で忘れてしまうという現実があったのでしょうか。そういえば、乳母は赤ん坊のイメージと重なりますね。

先へ進みましょう。
エロディアードは乳母の棘のある口調と憐憫を戒めたうえで、自分の心境をとうとうと語りはじめ、最後はほとんど独演会となります。その一部を紹介しましょう。エロディアードは鏡の中に存在する清らかな肉体・処女性(お前)と、鏡に映るその姿(妹)に向かって呼び掛けています。処女賛歌であり、孤独を賛美しているようでもあります。

Et ta soeur solitaire, ô ma soeur éternelle
そしてお前の孤独な妹、ああ、私の永遠なる妹よ、

Mon rêve montera vers toi : telle déjà,
私の夢はお前に向かって昇っていく。すでに、

Rare limpidité d'un coeur qui le songea,
その夢を夢想する私の心は稀有なほど澄んでいる。

Je me crois seule en ma monotone patrie
私はただ一人、寂然とした私の祖国に住んでいるのだと思う。

Et tout, autour de moi, vit dans l'idolâtrie
私の周りのすべてが、鏡の偶像崇拝の中に生きている。

D'un miroir qui reflète en son calme dormant
その鏡は、夢の静寂の中に、ダイヤの光輝の眼差しをもつ

Hérodiade au clair regard de diamant...
エロディアードを映し出す・・・

O charme dernier, oui ! je le sens, je suis seule.
ああ、究極の魅惑よ、そう! 私にはわかるわ。私は独り。
(続く)

鏡の海を進む孤独な船?

船と海

薔薇シリーズ115 「いい言葉(4335)」

▼エロディアード「舞台」4(マラルメ18)
香料を拒絶したエロディアードに対して乳母が謝る場面です。

N.(乳母)
Pardon ! l'âge effaçait, reine, votre défense
De mon esprit pâli comme un vieux livre ou noir...
お許しください、女王さま! 古ぼけた、あるいはすすけた書物のように、
長い年月が私のぼけた頭からあなたの申しつけを消し去っていました。
 
面白い言い回しですね。ここで注目するのは、乳母がエロディアードのことを「女王」と呼んでいることでしょうか。乳母は最初、「王女」と呼び、次に「わが子」、そして今度は「女王」です。このことからも、エロディアードが実は、悲劇の女王の人生そのものを具象化した人物であることがわかりますね。

H.(エロディアード)
Assez ! Tiens devant moi ce miroir.
言い訳はもう十分! 私の目の前でこの鏡を持ちなさい。

O miroir !
おお、鏡よ!

Eau froide par l'ennui dans ton cadre gelée
お前の凍りついた枠の中で、倦怠により冷え切った水よ、

Que de fois et pendant des heures, désolée
幾たび、そして幾時間、私は夢想に戸惑い、

Des songes et cherchant mes souvenirs qui sont
お前の氷の下に隠された深い穴に沈んだ

Comme des feuilles sous ta glace au trou profond,
枯葉のような思い出を探しながら、

Je m'apparus en toi comme une ombre lointaine,
遠くかすんだ影のように、私はお前の前に現れたことでしょう。

Mais, horreur ! des soirs, dans ta sévère fontaine,
でも、恐ろしい! 私は夜になるたびに、お前の荘厳な泉の中に

J'ai de mon rêve épars connu la nudité !
私の乱れ散る夢に出てくる裸の姿を知ったのです!

Nourrice, suis-je belle ?
乳母よ、私は美しいかしら?


N.(乳母)
Un astre, en vérité
Mais cette tresse tombe...
星のようです、本当に。
でも髪がほつれ落ちて・・・


この後も乳母とエロディアードの対話は続きますが、ここまでにしておきましょう。エロディアードは乳母が手に持った鏡を見ながら、鏡に呼び掛けていますね。鏡を荘厳な泉にたとえた上で、その泉の底に何か大切な思い出を無くしてしまったと言っているようです。「乱れ散る夢に出てくる裸の姿」とはエロチックですが、美の本質のことを言っているのでしょうか。

マラルメは1866年1月2日の夜、「詩を裸体の姿で再び見た」と友人に3日付けの手紙に書いています。そして「今夜(3日夜のこと)その著作を試みようと思っている」とも言っているんですね。その結果が、エロディアードのこの表現にも反映しているのではないかと思います。

ここでも、エロディアードの美とマラルメの詩が共鳴を起こしているようです。さしずめ、エロディアードが裸の姿を晒す鏡とは、マラルメが毎晩、目の前に自分を晒さなければならない原稿用紙でしょうか。マラルメが創作の苦悩の中に、氷のように冷たい泉と、その深奥に「(詩の」裸体の姿」を見たというのもうなずけますね。

ということで、地球を映し出す鏡である海です。
海ー地球を映し出す鏡
(続く)

薔薇シリーズ114 「いい言葉(4335)」

▼エロディアード「舞台」3(マラルメ17)
閉ざされた世界に留まろうとするエロディアードに、乳母は次のように問い掛けます。

N.(乳母)
Sinon la myrrhe gaie en ses bouteilles closes,
密閉された薬瓶に入った、気分を高揚させるミルラでなくとも、

De l'essence ravie aux vieillesses de roses,
老木の薔薇から抽出したエキスの

Voulez-vous, mon enfant, essayer la vertu
もの悲しげな薬効を試してみませんか、

Funèbre?
わが子よ?


ここで薔薇が登場しましたね。暗く、ほとんど鬱状態になっているエロディアードに、乳母は気分を高揚させる秘薬を試すように助言します。その秘薬は、直訳すると「薔薇の老年期から抽出されたエキス」なのですが、「老木の薔薇」から作られたものと解しました。いずれにしても、老いは乳母のイメージと重なります。乳母を現実、世俗の象徴と見れば、そこから抽出されたエキスとは、現実界へと戻す力があるのでしょう。

エロディアードは、その乳母の助言を拒みます。

H.(エロディアード)
Laisse là ces parfums ! ne sais-tu
その香水には手を付けないでおくれ! 乳母よ、

Que je les hais, nourrice, et veux-tu que je sente
私がそれを嫌いなことは知っているでしょ。私の朦朧とした頭が

Leur ivresse noyer ma tête languissante ?
香水の香りで溺酔してしまってもいいと言うの?

Je veux que mes cheveux qui ne sont pas des fleurs
私の髪は、人間の苦悩を忘れさせる

A répandre l'oubli des humaines douleurs,
香りを振りまく花ではないが、

Mais de l'or, à jamais vierge des aromates,
冷徹に輝くときも、くすんで色あせたときも、

Dans leurs éclairs cruels et dans leurs pâleurs mates,
永遠に香料で汚されることのない黄金の色を湛えいています。

Observent la froideur stérile du métal,
私の望みは、私の髪が金属の不毛な冷たさを保つこと。

Vous ayant reflétés, joyaux du mur natal,
私の髪には、生家の壁に掛かっていた宝玉や、

Armes, vases depuis ma solitaire enfance.
私の孤独な幼少期からある武具や甕が映っているのです。


エロディアードにとって、薔薇エキスなどの香料は偽りの美と映っているようですね。そのような加工されたものは嫌いだと言っています。薔薇などの花には、苦悩を忘れさせる力があることを認めていますが、それは現実から逃避させる酔いにすぎないと言っているようでもあります。乳母に自分を触らせないのと同様、香料により自分の美に手垢がつくことを拒絶しているんですね。

エロディアードがそれほどまでに求める美は、彼女の金髪に象徴されています。「金属の不毛の冷たさ」とは、すべてを拒絶する美を表現しているのでしょうか。その鏡のような金髪には、彼女の過去の記憶が映るんですね。それは穢れのない幼少期のイメージでもあります。

純粋な美をあくまでも追求しようとするエロディアードは、私には、大衆にこびない純粋な詩を追い求めたマラルメと重なります。その類似点については追々、議論を展開することにして、さらにエロディアードの美に対する意識について見ていきましょう。

次に紹介するのは、おそらく『エロディアード』の中でもっとも美しい「場面」です。

薔薇
(続く)

薔薇シリーズ113 「いい言葉(4335)」

▼エロディアード「舞台」2(マラルメ16)
いぶかっている乳母に対してエロディアードは、自分が今置かれている状況を説明します。

Par quel attrait
どのような魅力に誘われて私は連れてこられたのか、

Menée et quel matin oublié des prophètes
そして、預言者に忘れられたどのような朝が

Verse, sur les lointains mourants, ses tristes fêtes,
死に掛けている彼方に、その悲しい祝宴を振りまくのか、

Le sais-je ? tu m'as vue, ô nourrice d'hiver,
どうして私がそれを知っていましょうか? ああ、厳冬の乳母よ、

Sous la lourde prison de pierres et de fer
お前は私が石と鉄でできた重々しい牢獄に入るのを見ましたね。

Où de mes vieux lions traînent les siècles fauves
そこには、私の年老いた獅子たちが住む冷酷な時間がとどまっています。

Entrer, et je marchais, fatale, les mains sauves,
古代の王たちがもたらす砂漠の香りの中、

Dans le parfum désert de ces anciens rois :
手を汚すこともなく、私は運命のまま歩いたのです。

Mais encore as-tu vu quels furent mes effrois ?
でもお前は、私をおののかせるものの正体を知っているの?

Je m'arrête rêvant aux exils, et j'effeuille,
私は追放を夢見て立ち止まり、

Comme près d'un bassin dont le jet d'eau m'accueille,
噴き上がる水が私を歓迎する泉のほとりにいるときのように、

Les pâles lys qui sont en moi, tandis qu'épris
私の内に秘めた青白き百合の花弁をむしると、

De suivre du regard les languides débris
その物憂げな花びらが、私の夢想を横切って静かに落ちていくのを

Descendre, à travers ma rêverie, en silence,
獅子たちは夢中になって目で追っている。

Les lions, de ma robe écartent l'indolence
その獅子たちが、私の衣装から気だるさを取り除き、

Et regardent mes pieds qui calmeraient la mer.
海をも鎮めようとする私の足下に見ほれているうちに、

Calme, toi, les frissons de ta sénile chair,
乳母よ、お前は老いた肉体のその震えを静め、こちらおいで。

Viens et ma chevelure imitant les manières
お前が恐れる獅子たちのたてがみのように、

Trop farouches qui font votre peur des crinières,
私の長い髪も野性的になってしまった。

Aide-moi, puisqu'ainsi tu n'oses plus me voir,
もう私を見ることもないのだから、手伝っておくれ、

A me peigner nonchalamment dans un miroir.
私が鏡を見ながら無造作に髪の毛をとかすのを。


どうやらエロディアードは、石と鉄でできた牢獄に自ら入ってしまったようですね。そこには年老いた獅子たちがいます。この獅子が何を象徴しているかは、読み手によってまったく解釈が違ってくるでしょうが、私は若いエロディアードがこれから出会うであろう夫たち、つまり最初の夫ピリポと、そのピリポを殺して彼女を娶ったヘロデのことではないかと思っています。父親もその一人かもしれません。獅子は母性よりも父性を象徴していますね。

そしてこの牢獄こそ、時間が歩みを止めて凍りつく、冥界のような世界のことではないでしょうか。そこには過去も未来もありません。ただ宿命だけがあるのですが、時間が進まないので、これから起こるであろう悲劇も永遠に種子のまま。発芽することもないのです。エロディアードら悲劇の主人公たちは、芽も出ることもなく荒れ野原のようになった「冷酷な時間」の中に閉じ込められているんですね。

「冷酷な時間」の世界でエロディアードがすることといったら、心の中に咲く百合の花弁をむしりとることぐらいのようです。「追放を夢見て」いるぐらいですから、本当はこの牢獄から出たいのでしょう。しかし牢獄を出て、時が進み始めると、その先には「私をおののかせるものの正体」、すなわちあの聖書に伝わる悲劇が待ち受けているというジレンマがあるように思えます。

獅子たちがエロディアードの心から流れ落ちる百合の花弁に熱中している光景は、好奇心旺盛な猫ちゃんの姿を見るようで微笑ましいですが、乳母にとっては猛獣と暮らすエロディアードが信じられません。王女が食べられてしまうのではないかと気が気ではないのです。そこでエロディアードは、獅子たちが花びらに夢中になって戯れている間に、近くによって櫛で髪の毛をとかすのを手伝ってくれと頼みます。

そこで出てくるのが、鏡です。非常に象徴的ですね。そこには閉じ込められた世界が存在するからです。まさに鏡の中のエロディアード。

その異様な有様に乳母が思わず声を掛けます。

獅子たち?
(続く)

薔薇シリーズ112 「いい言葉(4335)」

▼エロディアード「舞台」(マラルメ15)
『エロディアード』の第二部に当たる「舞台」は、「序曲」と同じ1864年ごろから書き始められ、1868年ごろ完成、1871年に『第二次現代高踏詩集』で発表されました。マラルメの生前に発表されたのは、三部作のうち「舞台」だけです。

「序曲」では乳母の呪文により過去の映像が蘇りましたが、「舞台」では乳母はどっぷりとその過去に浸かって、エロディアードとの間で対話を繰り広げます。ただし、ここに出てくる乳母はエロディアードの運命を見通す超越的な力はなく、どうちらかと言うと俗事にとらわれ、エロディアードに普通の乙女らしく振舞い、結婚するよう勧める人物として登場します。一方、エロディアードは、純粋な美を守るために人生の喜びと愛を拒絶する、結婚前の若く美しい、それでいて何か秘密を持った乙女として登場します。

その冒頭の部分です。

N.
Tu vis ! ou vois-je ici l'ombre d'une princesse ?
A mes lèvres tes doigts et leurs bagues et cesse
De marcher dans un âge ignoré...

乳母
あなたが生きている! あるいは、私がここに見るのは、王女の亡霊か?
あなたの指と指輪に私の唇を当てさせておくれ。
そして未知の年齢の中を歩むのを止めておくれ・・・


過去の世界でエロディアードが生きているのを見た乳母は、非常に驚いているようですね。亡霊ではないことを確かめるかのように指に口づけを求めます。「未知の年齢の中を歩む」とはおそらく、現実を超越した「時間の止まった世界に住む」ということではないかと思います。

この呼び掛けに対して、若きエロディアードは次のように答えます。

H.
Reculez.
Le blond torrent de mes cheveux immaculés
Quand il baigne mon corps solitaire le glace
D'horreur, et mes cheveux que la lumière enlace
Sont immortels. O femme, un baiser me tûrait
Si la beauté n'était la mort...

エロディアード
お下がり。
滝のように流れ落ちる、私の無垢な金髪が
私の孤独な体を濡らすだけで、恐怖で体が凍りつく。
光が絡みつく私の髪は不滅なの。おお、女(乳母)よ、
美が死ではないにしても、
一度の接吻があれば、私は死んでしまうところよ・・・


すごい自己陶酔とでも言うのでしょうか。エロディアードは、乳母が指に口づけすることさえ拒みます。金髪を滝の流れにたとえ、「無垢な髪」が体に触れるだけでも震えてしまうと、自分の純情さを強調していますね。乳母の唇が指に触れるなど言語道断だとも言っています。

なぜエロディアードはかたくなに純潔を守ろうとしているのでしょうか。何か秘密がありそうです。

夕焼け雲
(続く)

薔薇シリーズ111 「いい言葉(4335)」

▼エロディアード序曲2(マラルメ14)
古い館の情景を語っていた乳母は、ここでふと我に返って、次のように語ります。

Ombre magicienne aux symboliques charmes !
象徴的な魅力を宿した魔法の亡霊よ!

Une voix, du passé longue évocation,
いにしえより伝わる過去を呼び起こす魔術の声、

Est-ce la mienne prête à l'incantation ?
私の声はその呪文を蘇らせているのか?


やはり私の読み方は正しい方向のようですね。乳母は昔を思い出しながら、過去の出来事を嘆きます。その嘆きの言葉は、まさに過去を召喚する呪文となり、目の前に過去を蘇らせてしまうんでしょうね。乳母の目の前に見えていた廃れた館の映像は次第に薄れて行き、古い時代の光輝が戻ってきます。そしてすでに死んだはずのエロディアードや彼女の父親の映像が、おぼろげながら見えてきます。

しばらくエロディアード親娘の思い出の場面が続きます。そして序曲の最後は次のように締めくくられます。

De crépuscule, non, mais de rouge lever,
たそがれの、いや、赤い暁の、

Lever du jour dernier qui vient tout achever,
すべてを成し遂げに来る最後の日の夜明けは、

Si triste se débat, que l'on ne sait plus l'heure
あまりにも悲しげに抵抗するので、時はもはや存在しなくなる。

La rougeur de ce temps prophétique qui pleure
この予言の時を告げる赤い暁は、

Sur l'enfant, exilée en son coeur précieux
かけがえのない心へと追いやられた子供(王女エロディアードのこと)の上に、

Comme un cygne cachant en sa plume ses yeux,
羽根で目を覆う白鳥のように、涙を落とす。

Comme les mit le vieux cygne en sa plume, allée
やがて老いた白鳥が羽根の上に目を休めるように、

De la plume détresse, en l'éternelle allée
暁は嘆きの翼から、希望が光る永遠の小道へと進む。

De ses espoirs, pour voir les diamants élus
もはや輝くことのない、滅びゆく星の

D'une étoile mourante, et qui ne brille plus.
神に選ばれたダイヤの輝きを見るために。


ここで「序曲」は終わります。示唆に富んでいますね。乳母の目の前で展開する過去は、王女エロディアードがまだ子供のときであったようです。彼女の悲しい運命を知る「予言の時を告げる赤い暁」は、図らずも涙して、時が進むことに抵抗します。それでも時を進めなければなりません。いつまでも嘆きの翼に隠れているわけにはいかないのです。すべての苦悩が詰められたパンドラの箱の中には、希望が唯一つ残されていましたね。「赤い暁」は再び歩み始めます。滅び行く星であると知っていても。その最後の美しい輝きを見届けるために。

そして「舞台」の幕が開きます。

暁の薔薇
(続く)

薔薇シリーズ110 「いい言葉(4335)」

▼エロディアード序曲(マラルメ13)
マラルメが『エロディアード』を書き始めたのは1864年ごろではないかとみられています。当初は聖書の物語を基にした悲劇を作ろうとしましたが、紆余曲折を経て、大衆に喜ばれる筋のある悲劇ではなく純粋な長詩編とする決意をしたようです。その創作活動は熾烈を極め、「絶望した狂人のように没頭し」「時間の空費に悶えながら」取り組んだと、マラルメ自身が書いています。

実際に出来上がった『エロディアード』は、聖書の物語から完全に独立して、時間が止まった世界(美の世界)に生きる、美の化身であるエロディアードを描いたように思われます。

三部構成のうち「序曲」は、エロディアードの乳母が独白する形で始まります。マラルメ自身の言葉を借りれば、それは「音楽的な序曲」です。しかし冒頭に「呪文」と書かれているように、非常に予言めいた言葉や暗示に満ちています。長いので全部は紹介できませんが、薔薇を含むいくつかのフレーズを紹介しましょう。

詩の舞台は、哀愁に閉ざされた館。曙は翼を持った鳥にたとえられ、古びた館の庭の描写が続きます。かつてその庭では、処刑が行われたのでしょうか。「いにしえの星の純粋なダイヤの輝きによって破滅させられた首」が羽根の中に埋まっている霊廟であると詠われています。館のガラス窓が一つ開いており、そのガラス窓から中を覗き込むと、一風変わった部屋があります。壁に掛かった錦織には、古代ペルシャの修道士と巫女が描かれています。その次の場面に薔薇が登場します。

Une d'elles, avec un passe de ramages
象牙細工のように白い私の服に縫われた

Sur ma robe blanchie en l'ivoire ferme
唐草模様の過去とともに

Au ciel d'oiseaux parmi l'argent noir parseme,
いぶし銀色の鳥がちりばめられた大空に向かって、

Semble, de vols partis costumee et fant6me,
衣装をまとった一人の巫女が亡霊のように飛び立つ。

Un arome qui porte, 6 roses! un arome,
吹き消された大蝋燭の向こうに隠れた空っぽのベッドから

Loin du lit vide qu'un cierge souffle cachait,
立ち上る香りは、おお、薔薇よ、お前の香りだ!

Un arome d'ors froids rodant sur le sachet,
におい袋から漂う凍った黄金の香りの中、

Une touffe de fleurs parjures la lune
月の誓いに背いた花束は、

(A la cire expiree encor s'effeuille l'une),
(燃え尽きた蝋燭にまた、花びらが一枚落ちる)

De qui le long regret et les tiges de qui
その長き心残りとその茎を

Trempent en un seul verre a l'eclat alangui...
物憂げに輝くたった一つのガラスの花瓶に浸している・・・

Une Aurore trainait ses ailes dans les larmes!
それを見た曙は涙を流し、その翼を引きずるのだ!


最初の4行は、錦織の壁掛けに描かれた光景の描写です。乳母の視線はまるで、映画のカメラの目のように庭から寝室に移り、そして寝室の中を描写していくんですね。ベッドの方からは薔薇の香りが漂ってきます。非常にシンボリックな薔薇です。過去の輝かしい時代に存在した館の生活の象徴でしょうか。しかしその面影ですら、薔薇の花びらが一枚、また一枚と落ちるように、遠い過去へと次第に消えていくようです。

仮に「羽根の中に埋もれる頭」がヨハネの首のことであるならば、乳母はかつて惨劇が繰り広げられたユダヤの領主ヘロデの廃館にたたずみ、過去を思い出していることになりますね。少なくとも私は、そのように読んでしまいました。

さらに乳母の「呪文」は続きます。

バラと晩秋 119.jpg

(続く)

薔薇シリーズ109 「いい言葉(4335)」

▼エロディアードとサロメ(マラルメ12)
マラルメの詩作の転機ともなった『エロディアード』は、「花々」にも登場した悲劇の女王エロディアードをモチーフにした長詩です。「エロディアードの序曲」「舞台」「聖ヨハネのたたえ歌」の三部構成となっています。

基礎知識として、新約聖書に語られているエロディアードの物語をおさらいしましょう。

時はキリストが生きていた西暦30年ごろ、場所はエルサレムです。
ユダヤの領主ヘロデは、自分のきょうだいであるピリポを殺し、その妻ヘロデヤ(エロディアード)を娶ります。そのときエロディアードには、サロメという名の娘がいました。預言者ヨハネはその結婚に異議を唱えたことから、ヘロデはヨハネを捕らえ、投獄します。自分の再婚のことを悪し様に言われたエロディアードはヨハネを殺したかったのですが、群集の怒りを恐れたためかヘロデは処刑することをためらいます。

しかし、そのきっかけは思わぬときにやってきます。ヘロデの誕生日の祝いの席で、エロディアードの娘サロメが舞を踊り、ヘロデを喜ばせます。ヘロデは褒美に何でも欲しいものを与えようとサロメに約束します。サロメは母エロディアードに何をもらおうかと相談したところ、母はヨハネの首を求めるようにと娘に告げます。サロメは言われたとおり、ヘロデに「今すぐ、バプテスマのヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願います。

ヘロデは困りましたが、列座の人たちの手前、少女との約束を破るわけにもいかず、獄中のヨハネの首をはねさせ、それを盆に載せて持ってこさせます。それを受け取ったサロメは、それを母に渡します。

以上が聖書のマタイ伝とマルコ伝に書かれている物語ですが、これを後にオスカー・ワイルドが『サロメ』という見事な戯曲に仕上げ、それを原作にして作曲家リヒャルト・シュトラウスがオペラを書き上げました。

ワイルドの戯曲では、ヘロデが妻の連れ子であるサロメに目をつけますが、サロメはそのような義父の目から逃れて、中庭に出たところ、隠し井戸深くに幽閉されていたヨハネと出会います。サロメがヨハネにキスを求めますが、拒まれたため、それを根に持ってヨハネの首を求めるような筋書きになっています。そして最後は、切り取られた首にキスをするサロメを見たヘロデが、サロメを処刑するように命じて劇は終わります。

マラルメが『エロディアード』を書いていたとき(1860年代)は、まだワイルドの戯曲は発表(1891年ごろ)されていませんでしたから、現在オペラや戯曲で知られているサロメの物語ではなく、聖書にわずか10数行しか描かれていないエロディアードの物語を題材に作品を書いたことになります。

では、マラルメが思い描いたエロディアードの断片的なイメージは、どうような物語として結実したのでしょうか。
(続く)

薔薇

薔薇シリーズ108 「いい言葉(4335)」

▼フランスの薔薇11(マラルメ11)
批評家や出版社から冷たい言葉を浴びせられる詩人たち。彼らを待ち受ける運命は・・・。

第十一節
恋人たちよ、共有を主張する小人が、あなた方が仲良く相乗りしている馬の背に飛び乗ってくる!
やがて早瀬を飛び越えるとき、あなた方二人を水溜りに投げ込んで、
白かったあなた方を泥だらけの塊にして、泥水の中で泳がせる。

ここで話のテンポが変わります。フランス語も難解になり、最初の行を直訳すると、「恋人たちよ、彼は馬に飛び乗って三人乗りとなる。その分け前を持つもの!」となります。何のことかというと、仲の良い恋人のカップルに「彼」が割り込んでくるんですね。彼とは、どうやら「不運」のようです。では恋人たちは誰かということになりますが、惨めな姿になるわけですから、男のほうは詩人ですね。そして詩人の恋人といえば、詩の女神であるミューズではないかと思われます。

次の次の節でその「不運」が小人の骸骨であることがわかるんですが、せっかくミューズと楽しく詩作に興じているところへ、詩人を破滅へと追いやる「不運の小人」がやって来て、それまで作っていた詩をぐちゃぐちゃ(泥まみれ)にしてしまったのでしょう。それをコミカルに描いたのだと思います。

第十二節
彼のおかげで、もし恋人の男の方がラッパを吹けば、
子供たちはお尻のラッパにこぶしを当てて、ファンファーレの真似をして、
しつこい笑いで私たちのお腹をよじらせる。

ぐちゃぐちゃになった詩は、滑稽以外の何ものでもありません。男がラッパを吹くとは、自分の作った詩を読み上げることでしょうね。すると、子供たちからも馬鹿にされてしまいます。
と、書いたところで、訳の間違いに気づきました。二行目の動詞tordreは「ねじる」「(内臓に)よじれるような感じを与える」といった意味があるので「お腹をよじらせる」と訳したのですが、「私たち」は詩人のことでしたね。すると「しつこい笑いで(執拗に笑って)、私たち(の心)を痛めつける」としたほうが正しいようです。

第十三節
彼のおかげで、もし恋人の女のほうが、色あせた胸を
一輪の薔薇で程よく飾り、薔薇が胸の炎をよみがえらせれば、
呪われた花束の上によだれが光るだろう。
一方、詩人の霊感も「不運」の介入で色あせて、しぼんでしまいます。それを女神(恋人)の胸にたとえて、しぼんだ胸を一輪の薔薇、すなわち気の利いた一文で飾りますが、一度ぐちゃぐちゃになった詩は呪われた花束になり、気の利いた一文もよだれの一滴にすぎなくなってしまったかのようです。ここに出てくる薔薇は、ミューズの霊感によって得た詩文のことを言っているのだと思います。

第十四節
その小人の骸骨は、羽飾り付きのフェルトの帽子をかぶり、
長靴をはき、本物の腋毛のかわりに腋の下にミミズを生やしているので、
彼らにとってその骸骨は、稀有壮大な苦悩の無間地獄となる。

この節では「不運」がどのような姿をしているのかを説明していますね。身なりだけは童話に出てくる悪戯好きの妖精のようですが、腋毛がミミズであったり、骸骨であったり、いかにも不気味な姿に描かれています。骸骨は死神のように詩人の前に現れ、彼らを苦しめるのでしょう。

第十五節
気分を害されても、彼らはその悪人に挑みかからないが、
彼らの決闘用の長剣は、きしみながら、月光を追い、
月光は骸骨の骸(むくろ)に雪を降らせ、斜めに横切る。

詩作を「不運」に邪魔された詩人たちは、気分を害されます。実体を持たない「不運」ですから、切りかかるわけにはいきません。でも、心の中では怒りの刃が月光のごとく光りながら、骸骨を斜めに切りつけます。それを詩的に表現していますね。

第十六節
彼らは不運を罵る傲慢さもなく、落胆して、
骨をくちばしでつつかれても、反撃は物憂げ、
恨みの代わりに憎悪を募らせる。

詩作に失敗した詩人たちは落胆して、批判に対して反撃する気力も失せてしまいます。繊細なんでしょうね。「運命」を恨むよりも、自己嫌悪を募らせるのでしょうか。

第十七節
彼らは下手なバイオリン奏者の慰み者だ。
子供や売春婦からも馬鹿にされ、そして酒がなくなると踊りだす、
ぼろをまとった老人の群れにも笑われる。

第十二節で子供に笑われましたが、ここでは下手なバイオリン弾きや売春婦、そして、その日暮らしのような老人からも笑われる詩人の哀れな姿が浮かび上がります。

第十八節
施しや復讐をすることもできる詩人たちは、
消された神々の不幸については知らないので、
彼らのことを不愉快で知性がないと言う。

詩作に破れて意気消沈する詩人とは対照的に、大衆に受け入れられ意気軒昂としている詩人もいるようですね。「消された神々」とは、それぞれの詩人に付いていた詩の女神のことではないかと思われます。人気が出た詩人は有頂天になり、敗れた詩人たちをけなしたりします。弱者をいたぶる強者のように。次の節では、強者の弁が聞けます。

第十九節
「鎧で重くなった馬の駆け足で立ち去るよりも、
彼らだって、一つ一つの成功でもう十分だと思い、嵐の中、
泡を飛ばして疾駆する若い駿馬のように逃げることができるのだ」

ちょっと難解ですが、私には何かの詩評をもじって書いた台詞のように思われます。批判で深く傷つき、未練を残しながら重い足取りで歩むよりも、もう大詩人になる夢をあきらめ、批判の嵐の中、この世界を早く立ち去れと言っているように聞こえます。強者の弁は続きます。

第二十節
「私たちは祭りの勝者を、香を焚いて酔わせよう。
しかし彼ら、あの道化師たちはなぜ、止めてくれと叫びながら、
真っ赤なぼろきれをまとおうとしないのか!」

「祭りの勝者」とは、見下した表現としての「勝者」であると思います。自分の書いた詩が雑誌に掲載された若い詩人を「勝者」として祝ってやろう、という上から目線の言葉ではないでしょうか。それを証拠に「祭りの勝者」のことを「道化師」と侮り、真っ赤なぼろきれがお似合いだと蔑んでいますね。

第二十一節
人々がみな、彼らの顔に軽蔑のつばを吐いたとき、
何もできず、口ひげからぶつぶつと雷の念仏を漏らし、
その英雄たちは、他愛ない不安に嫌気がさして、

強者をはじめとする大衆側から蔑まれた詩人たちは、心に深い傷を負ったまま、発狂したように独り言を言うようになります。マラルメ自身も、狂気と自殺の一歩手前まで追い込まれたことがあることは昨日紹介しましたね。いわれなき批判により自信を失い、不安を募らせた詩人は、思い詰めてしまいます。

第二十二節
愚かにも街灯に首をくくりに行くのだ。

そしてとうとう、街灯に紐をかけて首吊り自殺してしまいます。

この自殺した詩人とは、ジェラール・ド・ネルヴァル(1808~1855年)のことです。当時は大事件として報じられ、この詩を読んだ人はだれもがネルヴァルのことを想起したんですね。

今日では象徴派や超自然派の先駆と目されるネルヴァルは、失恋などの強烈な心の痛手から立ち直れず、やがて精神に変調をきたして、入院。退院後も狂気の発作に見舞われながら創作活動を続けていましたが、冬の朝、パリの裏町の街灯で首吊り自殺しました。ネルヴァルの詩にも薔薇が出てきますので、後日ご紹介しましょう。

詩の創作の世界では、なんとも壮絶な戦いが繰り広げられていることがわかりますね。マラルメが主催する「火曜会」によく出入りしていた詩人ポール・ヴァレリーは、マラルメに対して次のように言っていたそうです。

「ある人はあなたを非難し、ある人はあなたを鼻先で笑う。あなたは人を苛立たせ、あなたは憐れまれる。新聞記者はあなたを物笑いの種にして、いとも簡単に世間を喜ばし、あなたの友人は頭を抱える・・・

だけどあなたは知っていますか、感じていますか? フランスのどのような村にも、あなたの詩やあなたのために身を裂かれてもいいと思っている若者が必ず一人は潜んでいることを。

あなたはその青年の誇りであり、神秘であり、悪の蜜なのです。その青年は、求めることも、理解することも、弁護することも難しい、あなたの詩が描く秘密の世界の中で、身も心も捧げた愛だけの中で、孤立して生きているのです」

このヴァレリーの言葉からも、マラルメもまた、大衆に蔑まれ、苦悶していた詩人の一人であったことがうかがえますね。しかし、マラルメにも転機が訪れます。それが『エロディアード』と『半獣神の午後』なのですが、それはまた明日以降、ご紹介することにいたしましょう。

クリスマスローズ(ニゲル)

早咲きの元祖クリスマスローズともいえるニゲルです。
(続く)

クリスマスローズと節分草 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154169)」

薔薇シリーズの写真です。今日は厳密には薔薇ではありませんが、クリスマスローズです。

クリスマスローズ

クリスマスの時期に咲く、バラに似た花ということで「クリスマスの薔薇」と名付けられました。

クリスマスローズ

金鳳花(きんぽうげ)科で、日本名は雪起こし。寒さに強く、冬枯れの大地で雪を持ち上げて花を咲かせるところから、そう呼ばれています。日本ではちょうど節分のころから3月にかけて花を咲かせます。雪が降っても倒れることのないようにでしょうか、花は下に向かって咲いていますね。お辞儀をしているみたいです。

いずれの写真も雪の降る前の、昨日の神代植物公園で撮影しました。

同じ金鳳花科で、節分のころ咲く、文字通り「節分草」も昨日咲いていましたので、ご紹介します。

節分草

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