薔薇シリーズ104 「いい言葉(4335)」

▼フランスの薔薇7(マラルメ7)
今日紹介するのは、「18歳未満禁止の詩」です。自分が18歳未満だと思われる方は、ここから先は読まないでくださいね。それほど刺激の強い詩ですので、ご注意ください。

当初は「L’Image Grotesque(グロテスクなイメージ)」とか「Les Lèvres roses(薇色の唇)」という題でしたが、後に「黒人の女・・・」というタイトルが付けられました。フランスの伝統的猥褻詩集「新サティリック詩集」に掲載された唯一のマラルメの詩でもあります。


Une négresse...

Une négresse par le démon secouée
Veut goûter une enfant triste de fruits nouveaux
Et criminels aussi sous leur robe trouée
Cette goinfre s'apprête à de rusés travaux:

悪魔に操られた一人の黒人女が
穴の開いた服の下にある、初々しいが罪深い
果実ゆえに悲しげな一人の少女を味わおうとしている。
その貪欲な女は悪巧みを画策する。

À son ventre compare heureuse deux tétines
Et, si haut que la main ne le saura saisir,
Elle darde le choc obscur de ses bottines
Ainsi que quelque langue inhabile au plaisir

恵まれた二つの乳房と少女の腹を見比べ、
その腹を手でつかもうとしても高くて届かないので、
彼女は自分のブーツであいまいな衝撃を与える。
快楽とは無縁の言葉を漏らしながら。

Contre la nudité peureuse de gazelle
Qui tremble, sur le dos tel un fol éléphant
Renversée elle attend et s'admire avec zèle,
En riant de ses dents naïves à l'enfant;

ガゼルのように臆病な、震える裸身に身を寄せて、
錯乱した象のように仰向けになり、
彼女は待ち望み、そして情熱的な自己陶酔に陥る。
無垢な歯をみせ、少女に微笑みかけながら。

Et, dans ses jambes où la victime se couche,
Levant une peau noire ouverte sous le crin,
Avance le palais de cette étrange bouche
Pâle et rose comme un coquillage marin.

そして、自分の足の間にいけにえの少女を横たわらせ、
茂みの下に開いた黒い肌をめくりながら、
海辺の貝のような、青白くなったり薔薇色になったりする、
この奇妙な唇の口蓋を突き出すのだ。

いや~、ちょっと凄い肉欲的な描写のある詩です。かなり露骨な表現がたくさん出てきますが、薔薇は女性器の高潮した色として使われています。純情にして無垢な私としては、これ以上深くは解説できません(笑)。

それでも意を決して簡単に説明すると、黒人女性がレズビアンのパートナーとなりそうな若い女性を物色しています(第一節)。おそらく酒場でしょうか、これはと思った少女に近づき、ブーツでさりげなく触ったり、それらしい言葉を投げかけたりして、少女の興味を引きます(第二節)。

交渉が成立したのでしょうか、次の場面ではベッドで裸になって絡み合う二人の女性が描かれています(第三節)。そして最終節では、まさにその行為の具体的な描写となっているわけですね。

とても中学の英語教師が書く詩ではありませんね。現代の日本で英語教師がこのような詩を雑誌に発表したら、たちまちPTAがものすごい剣幕で学校に殴りこみ、その教師を首にしてしまうでしょう。そうならなかったところが、さすが芸術の国フランスです。乱れた性の伝統・・・ではなく、性に対して大らかな伝統を持っています。その伝統は、歴代の大統領に見事に引き継がれていますね。

宇宙の薔薇

三ツ星近く、冬に輝くオリオンの薔薇。
スポンサーサイト

薔薇シリーズ103 「いい言葉(4335)」

▼フランスの薔薇6(マラルメ6)
昨日紹介したマラルメの「ほろ苦き停滞に倦み疲れて」の解説です。

ほろ苦き停滞に倦み疲れて、私の怠惰は
栄光を台無しにする。栄光のために私は、
大自然の青空の下に咲く薔薇の茂みのような、
あの素晴らしい幼少期に別れを告げた。そして、
私の脳みその貧弱で冷たい土地に、新しい穴を徹夜で掘るという
固い誓いに七度倦み疲れて、挫折した。
不毛に対しては非情な墓堀人(破壊者)だ。

ここまでは自己紹介のようなものですね。一行目の「停滞」という言葉が示しているように、どうやら破壊者でもある詩人は、詩作に行き詰まっているようですね。詩人としての栄光ははるか遠くにあり、筆は進まず、焦燥だけが募っていきます。

マラルメは大詩人になるべく、薔薇が咲くロマン的世界(幼少期)とも決別し、詩風の新しい試み(頭の中の穴掘り)に7度、夜を徹して挑戦しますが、どうもうまくいきません。そのような不毛な自分が許せない、非情な墓堀人だと自分を称していますね。

次を見てみましょう。

――おお夢よ、鉛色の薔薇を恐れて、
巨大な墓地がその空っぽの穴を飲み込んだとき、
その薔薇の訪問を受けた、この暁に何と言えばいいのか?――
私は、残酷な国の貪欲な芸術を見捨てたい。
私の友、過去、詩の精霊、そして
私の苦悩を知るランプが私に浴びせる
古びた非難を笑いながら、
繊細で澄み切った心を持つ、あの中国人を模倣したい。

面白い表現をしますね。どういう状況かというと、ここには詩作に苦しみ、徹夜明けとなった詩人がいます。空っぽの穴とは不作に終わった詩作のこと。私には、はかどらない詩作にやけを起こして朝まで飲んだくれた詩人の姿が浮かんでしまいます。朝が来れば、現実的な日常生活に戻らなければなりませんから、大急ぎで頭(巨大な墓地)の中にできた詩作の穴をリセットします。

ここに出てくる「鉛色の薔薇」は、先ほどの幼少期の薔薇の茂みとは違った意味を持っていますね。livide(鉛色の)には、「顔が青ざめた」という意味もあります。どこか不健全で、快楽と結びつく淫靡な感じがします。具体的にはわかりませんが、恐れなければならないわけですから、創作活動を邪魔するような誘惑ではないかと思われます。

「残酷な国の貪欲な芸術」とは、ロマン派叙情詩人らがはびこっていた当時のフランス芸術界のことを言っているのかもしれません。「古びた非難」とは、まさに当時の芸術批評が時代遅れであったことを言いたかったのだと思います。実際マラルメは、悪意ある批評にさらされた友人の画家エドゥアール・マネを激しく擁護したりもしています。そしてそのような時代遅れの非難を逆にあざ笑うように、創作活動の行き詰まりを打開すべく、東洋の芸術に活路を見出そうとしたようです。

そのシンボルとして登場するのが中国人なのですが、次を読むと、その中国人がマラルメの手元にある中国製の磁器、もしくはその磁器の製作者であることがわかってきます。

彼にとっての純粋な恍惚は、
月から奪い取られた雪の茶碗に、
透明な生命の香りを振りまく、不思議な花の最後を描くこと。
その花こそ、彼が子供のころ、接木をするように育みながら、
魂の青い透かし細工に嗅ぎ取った花なのだ。

マラルメは、中国製磁器に描かれた絵の世界に魅了されていますね。いわゆる西洋人がよく言う「禅の世界」のような、清らかで澄み切った世界をそこに見出したのでしょう。その幽玄の世界を詩に取り込もうとしたようです。それが最後の部分です。

賢者の夢にだけ現れる死よ、
心を静め、私は真新しい景色を選び、
心を空にして、それを茶碗になおも描くだろう。
薄い紺青色のラインは、
むき出しの陶磁器の空に浮かぶ湖水となるだろう。
白い雲間に隠れる細い三日月は、
三本の長いまつ毛のように茂るエメラルド色の葦の近くで、
穏やかなる弧の一角を、冷たい鏡の湖面に浸すのだ。

ここではマラルメが茶碗に絵を描いているように描写されています。でも実際は、茶碗は原稿用紙、筆のラインは詩の言葉です。「心を静め」「心を空にして」はまさに「禅用語」。か細い三日月も、3本の葦も、とても繊細でシンプルな、墨絵のような世界を思い起こさせます。東洋芸術の模倣――これも破壊者たるマラルメが、フランス詩の世界に掘ろうとした新しい風穴の一つであったことは、疑う余地はありませんね。
(続く)

宇宙の薔薇

地球から2000光年離れた、白鳥座の羽根に包まれた「生命のゆりかご」に咲く宇宙の薔薇「S106」。宇宙の年齢を告げる巨大な砂時計のようにも見えますね。

すばる望遠鏡で撮影した写真はこちらにあります。

薔薇シリーズ102 「いい言葉(4335)」

▼フランスの薔薇5(マラルメ5)

マラルメにとって薔薇は、どちらかと言うと肉欲的な快楽を象徴しているのだなということが、彼の詩作を読んでいくとわかってきます。イェイツが表現したような「理想」とか「不滅の美」とか「神秘性」とかとは、ずいぶん趣が異なりますね。そうした薔薇をいくつか紹介していきましょう。

まずは、「Les Parnasse contemporain(現代高踏詩集)」に投稿された際は 「Epilogue(エピローグ)」と題された詩で、後に無題、もしくは「ほろ苦き停滞に倦み疲れて・・・」と便宜上呼ばれる詩です。

Las de l'amer repos...

Las de l'amer repos où ma paresse offense
ほろ苦き停滞に倦み疲れて、私の怠惰は

Une gloire pour qui jadis j'ai fui l'enfance
栄光を台無しにする。栄光のために私は、

Adorable des bois de roses sous l'azur
大自然の青空の下に咲く薔薇の茂みのような、

Naturel, et plus las sept fois du pacte dur
あの素晴らしい幼少期に別れを告げた。そして、

De creuser par veillée une fosse nouvelle
私の脳みその貧弱で冷たい土地に、新しい穴を徹夜で掘るという

Dans le terrain avare et froid de ma cervelle,
固い誓いに七度倦み疲れて、挫折した。

Fossoyeur sans pitie pour la sterilite,
不毛に対しては非情な墓堀人(破壊者)だ。

- Que dire a cette Aurore, o Reves, visite;
――おお夢よ、鉛色の薔薇を恐れて、

Par les roses, quand, peur de ses roses livides,
巨大な墓地がその空っぽの穴を飲み込んだとき、

Le vaste cimetière unira les trous vides? -
その薔薇の訪問を受けた、この暁に何と言えばいいのか?――

Je veux delaisser l'Art vorace d'un pays
私は、残酷な国の貪欲な芸術を見捨てたい。

Cruel, et, souriant aux reproches vieillis
私の友、過去、詩の精霊、そして

Que me font mes amis, le passe, le genie,
私の苦悩を知るランプが私に浴びせる

Et ma lampe qui sait pourtant mon agonie,
古びた非難を笑いながら、

Imiter le Chinois au coeur limpide et fin
繊細で澄み切った心を持つ、あの中国人を模倣したい。

De qui l'extase pure est de peindre la fin
彼にとっての純粋な恍惚は、

Sur ses tasses de neige a la lune ravie
月から奪い取られた雪の茶碗に、

D'une bizarre fleur qui parfume sa vie
透明な生命の香りを振りまく、不思議な花の最後を描くこと。

Transparente, la fleur qu'il a sentie, enfant,
その花こそ、彼が子供のころ、接木をするように育みながら、

Au filigrane bleu de l'ame se greffant.
魂の青い透かし細工に嗅ぎ取った花なのだ。

Et, la mort telle avec le seul reve du sage,
賢者の夢にだけ現れる死よ、

Serein, je vais choisir un jeune paysage
心を静め、私は真新しい景色を選び、

Que je peindrais encor sur les tasses, distrait.
心を空にして、それを茶碗になおも描くだろう。

Une ligne d'azur mince et pâle serait
薄い紺青色のラインは、

Un lac, parmi le ciel de porcelaine nue,
むき出しの陶磁器の空に浮かぶ湖水となるだろう。

Un fin croissant perdu par une blanche nue
白い雲間に隠れる細い三日月は、

Trempe sa corne calme en la glace des eaux,
三本の長いまつ毛のように茂るエメラルド色の葦の近くで、

Non loin de trois grand cils d'emeraude, roseaux.
穏やかなる弧の一角を、冷たい鏡の湖面に浸すのだ。

かなり難解な詩ですね。これはマラルメ自身の詩作に対する思いを書いた詩です。新しい詩風を創造しようとするマラルメの苦悩と決意と理想が描かれているように思います。詳しくは明日のブログで。
(続く)

宇宙の薔薇

極龍が眠る北斗の星たちのそば、大熊座の頭上に輝く宇宙の薔薇「M82」。

薔薇シリーズ101 「いい言葉(4335)」

▼フランスの薔薇(マラルメ4)と宇宙の薔薇

マラルメの「花々」の解説の最後です。
第一節と第六節を比べてみましょう。

第一節
いにしえの蒼天を染める金色の雪崩から、
そして星々に宿る永遠の雪から、第一日目に、
まだ若く、災害とは無縁だった大地のために
かつてあなたは、大きな聖杯を解き放った

第六節
ああ、母よ。あなたは正しく強い胎内に、
人生に疲れて青白くなった詩人のために
香り立つ死とともに大いなる花々を使わして
未来の小瓶をそっと揺らす聖杯を創造したのだ。

「あなた」は「母」に、「若い大地」は「詩人」に対応していることがわかりますね。このように、この詩は二つのイメージが見事に交錯していると思います。一つは神による天地創造のイメージ、もう一つは自分を産んでくれた母に対する慕情のイメージです。

天地創造のイメージに関しては、実はマラルメ自身、なるべく宗教色を薄める改訂を行っているんですね。創作当初、第五節の「聖母よ」は「われらが父よ」、第六節の「母よ」は「聖なる父よ」でした。「われらが父よ」も「聖なる父よ」も、神への呼びかけであることは自明ですね。マラルメはそれを、自分の母へのイメージへと意図的に変えました。第六節のNotre Dameも、本来なら聖母は Notre-Dameとハイフンが付きますが、宗教的意味合いを薄めるためにハイフンを取ったように思われます。

逆に言うと宗教色を薄めたおかげで、マラルメはこの詩に「母の愛」という、より普遍的な意味合いをもたせることに成功しているんですね。この詩の宗教的世界では、神はまだ穢れていない大地に、美しい花々とともに「香り立つ死」や苦悩もパンドラの箱から解き放ちました。その一方で、マラルメと母親との関係を思うと、「母」はまだ苦悩とは無縁のマラルメを産み落とし、美の世界へと解放したことになります。

第一節では無垢であったマラルメも、母や妹の死といった「香り立つ死」を経て、第六節では「疲れて青白く」なります。その間にいろいろな出会いと別れがあったのでしょう。花々は、マラルメの前を通り過ぎて行った女性たちなのかもしれませんね。そんな詩人を「母」はゆりかごを揺する(balancer)ように、「そっと揺ら」します。詩の中では「未来の小瓶」を揺らすことになっていましたね。

「未来の小瓶」は詩人の投影ですが、より具体的なイメージとしては、これから開花するであろう詩人の才能でしょうか。亡くなった母は詩人のミューズでもあるのでしょう。詩人の心を揺すって、詩作に霊感を与えます。

マラルメは10代のときに、フランスの詩人シャルル・ボードレールの『悪の華(Les Fleurs du Mal)』に衝撃を受けます。その中に「小瓶」を想起させるような「香水の瓶(Le Flacon)」という詩が掲載されています。ボードレールにとってその香水の瓶は、詩人を焼き殺すような毒薬が入った「詩」もしくは「詩集」のことだったようです。

これに対してマラルメの瓶には、空っぽの哀しみと、いまだに満たされないぬくもりと、未来でしか得ることのない「母の愛」が詰められているように思われます。

さて、昨日は時間がなくて掲載できなかった写真ですが、「薔薇シリーズ」が100回を超えた記念に「宇宙の薔薇」を紹介しましょう。

宇宙の薔薇

昨日、自家用UFOで天界の星々を旅したときに撮影した、地球から見ると「こと座」のベガのそばに咲く薔薇です。花弁の中心は高温のヘリウムで青く、花弁の外に向かってイオン化した酸素の緑、黄色、オレンジへと変わり、花弁の縁はイオン化した窒素のように赤く光っています。この薔薇の中心には、白色矮星のような芯があり、12万度もの高温のガスを放っているんですね。近づくと焼けどする、危険な女性のような薔薇ですね。

天文台

(東京・三鷹市にある国立天文台の写真パネルを接写した、メシエのカタログ分類でいうとM57のリング星雲でした)

薔薇シリーズ100 「いい言葉(4335)」

▼フランスの薔薇(マラルメ3)
マラルメの「花々」の後半部分の解説です。

第四節 
それからあなたは、ユリの花のすすり泣く白さを創出した。
それは、ため息の海原の上を転がりながら、
青ざめた水平線の青い香りをかすめるように横切って、
涙流す月に向かって夢見るように昇っていく!

「ユリの花のすすり泣く白さ」というのも、感覚的で美しい表現ですね。色がすすり泣いたり、海原がため息をついたり、香りが青かったりする独特の世界が展開しています。五感が完全に「行っちゃって」ますね(笑)。青い香りとは、アヘンの煙ではないかと思ってしまいます。

相変わらず綺麗なイメージが続いていますが、第四節では「ため息」「涙」「青ざめた」など前節までの「美しい花々」とともに、苦悩も創造されたことが強調されているように思います。解き放たれたパンドラの箱からは、あらゆる災いが飛び出し、最後に「希望」が残ったとされていますが、マラルメの聖杯からは、あるゆる美のほかに苦悩も飛び出したようですね。

ここで訂正です。「かすめるように横切って」としましたが、「かすめる」はその前の行の「転がりながら」にかけるほうが正しいようです。訂正後は次のようになります。

それは、ため息の海原の上をかすめるように転がりながら、
青ざめた水平線の青い香りを横切って、

「それ」とは、具体的には「白さ」のことです。なぜ「qui(英語のwho, whichの相当)」の直前の「lys(ユリの複数形)」ではないかというと、qui以下の節の動詞(monter)が三人称単数形になっているからですね。三人称単数はここではla blancheur(白さ)しかないわけです。「白さ」は女性名詞ですから、次の行のelle(彼女)も白さを指していることがわかります。フランス語では、すべての名詞に性別があるんですね。実に面白い言語感覚です。

第五節
シターン(楽器)に、そして吊り香炉の中に栄光があれ、
聖母よ、われらが地獄の辺境に築かれた庭園に栄光あれ!
そして、天上界の夕べにまで響くこだまとなれ、
眼差しの恍惚、後光のきらめきよ!

ここでようやく、「あなた」の正体が明かされます。それがNotre Dame(ノートルダム)、聖母マリアです。第五節では、ほかにも宗教的な言葉がたくさん出てきます。Hosannahはヘブライ語から来ているカトリック用語で、賛美したり救いを求めたりするときに使う祈りの言葉です。シターンという16,17世紀に用いられた弦楽器や、吊り香炉も宗教的色彩の強い道具です。limbesは神学用語で、旧約聖書時代の善人がキリストの降臨まで留まる冥府、つまり天国でも地獄でもない霊界みたいなところでしょうか。カトリック的には「地獄の辺境」となります。

次の節でも、宗教によりエクスタシーが得られたような描写が続きます。

第六節
ああ、母よ。あなたは正しく強い胎内に、
人生に疲れて青白くなった詩人のために
香り立つ死とともに大いなる花々を使わして
未来の小瓶をそっと揺らす聖杯を創造したのだ。

この最後の節も少し訂正させていただきました。最初「聖母」「胸に」としましたが、「母」「胎内に」のほうがすっきりします。フランス語のseinには胸という意味のほかに胎内や懐という意味もあります。

さて、この最後の節では、聖なる母が母になり、より現実的なイメージも提示されます。「人生に疲れて青白くなった詩人」とは、マラルメ本人のことですね。第二節に出てきた「追放された魂」である月桂樹の詩人のイメージと呼応します。追放されたような疎外感を持っていたのでしょうね。

そして、その疎外感を説明するのが、マラルメ本人の子供時代です。
実はマラルメは、五歳の時(1847年)に母親を亡くしているんですね。母親の死後、マラルメは二歳年下の妹とともに、信仰心の厚い母方の祖父母のもとで育てられます。宗教的イメージはこのころの経験からも来ているのでしょうね。父親は翌年、19歳の女性と再婚、4児をもうけます。マラルメは10歳で祖父母の膝元を去り、寄宿学校に入ります。そして15歳のときに、今度は妹を病気(結核だったと言われています)で失います。17歳のときには、初恋の人とみられるハリエット・スミスが肺病で亡くなり、彼女のために二つの詩編を残しています。

幼少期、青年期に経験した喪失感はいかばかりだったでしょうね。

その後マラルメは、一人の女性と出会います。7歳年上のドイツ人家庭教師クリスティナ=マリア・ジェラールです。そして20歳となったとき(1862年)、詩作を続ける方便として英語の教師を志し、英国へと二人で旅立つんですね。今風に言えば、駆け落ち的語学留学となるでしょうか。

二人は翌63年、ようやく親にも認められて結婚します。二人はフランスに戻り、マラルメは英語教員資格を取得、同年12月に南仏ローヌ河畔の小さな町ツールノンの高等中学校に英語講師として赴任します。この「花々」は1964年、22歳の英語講師時代に書かれたものです。
(続く)

P.S.
とうとうこのシリーズも100回になってしまいました!
よく100回も続いたと、他人事のように感心しています。だけど安心しないでくださいね。まだまだ、あと10年ぐらい続きますから(笑)。

薔薇シリーズ99 「いい言葉(4335)」

▼フランスの薔薇2(マラルメ2)
マラルメの「花々」を詳しく見ていきましょう。

第一節
いにしえの青空から落ちる黄金の雪崩から、
そして星々に眠る永遠の雪から、第一日目に、
まだ若く、災害とは無縁だった大地のために
かつてあなたは、大きな聖杯を解き放った

最初の行は直訳すると、「いにしえの蒼天(そうてん)の金色の雪崩」となります。問題は青空と雪崩の関係ですね。昨日は「落ちる」と訳しましたが、その後よく考えたところ、これはおそらく朝焼けか夕暮れで、空が太陽の光により、雪崩のようにものすごい勢いで黄金色に染まる様子をイメージしているのではないか、と思うようになりました。そうすると、「いにしえの蒼天を染める金色の雪崩」という感じになるでしょうか。もちろん詩ですから「落ちる」でも構いません。朝焼けか夕焼けか、ですが、「第一日目」とあることから朝焼けかと思いましたが、青を強調すれば夕焼けにもなります。

原文では一行目に「第一日目」という言葉が挿入されていますが、実に唐突です。本来なら、三行目のdétachas(解き放った)の後に来るべき句です。pour とjourで韻を踏むために持ってきたとも考えられますが、一度イメージを中断させて、余韻を持たせているのかもしれません。「第一日目」と書くことにより、旧約聖書の「天地創造」を思い起こしますね。

二行目も直訳すると、「星々の永遠の雪」となります。私は白い雪を星の輝きと見立てて「眠る」と繋げましたが、「宿る」のほうがいいかもしれません。

そして三行目では、その雪崩と雪の美のイメージから、「あなた」はかつて第一日目に、まだ災害を知らない若い大地のために、大きな聖杯を解き放ったというんですね。あなたとは誰か、聖杯とは何か、若い大地とは何か、ということになりますが、それは第二節以降に徐々にわかってきます。

第二節
細い首の白鳥とともにある、赤いグラジオラス、
そして、踏みつけられた夜明けの恥辱が赤く染める
熾天使(してんし)の清純な足の指のように深紅の、
追放された魂である、この神々しい月桂樹、

ここには解き放たれた聖杯の中身が書かれています。どうやら中身は花々だったようですね。「白鳥とともにあるグラジオラス」とは、白鳥の細い首ようなグラジオラスという意味が込められていると思います。色は白との対比で赤としましたが、fauveは「鹿の皮のような色」「黄褐色」ということなので、黄色かもしれません。

「踏み付けられた夜明け(暁)」も、とても詩的な表現ですね。熾天使(セラフィム)は、『旧約聖書』の「イザヤ書」に出てくる最上位の天使です。熾天使に踏まれた恥辱(恥じらい)によって、おそらく暁の上を歩む熾天使の足の指が真っ赤に染まってしまうんですね。

その真っ赤な指のように月桂樹は深紅であると言っています。ちょっと待ってよ、月桂樹って緑じゃないの、と思ってしまいますが、別に詩の世界ですから深紅の月桂樹があってもいいのです。私は見たことがありませんが、月桂樹の若葉は少し赤みがかっているそうです。またギリシャ神話では、太陽神アポロンが月桂樹の茂る森で、金の矢で大蛇ピュトンを退治し、その深紅の血(黒い血)を洗い流したとされていますから、赤と無縁ではありません。ちなみに月桂樹laurierは、ケルト語のlaur(緑色)に由来する言葉です。常緑樹であることが名前の意味からもわかりますね。

少し脱線しましたが、「追放された魂」とは何でしょうか。私は詩人の魂のことだと思います。というのも、月桂樹は偉大な詩人にかぶさられる栄光の冠だからです。どうして追放されたかは、ここではわかりませんが、読んでいくとわかってきます。

先に進みましょう。

第三節
ヒアシンス、愛らしく輝く銀梅花、
そして、女の肉体にも似た、残酷な薔薇、
光に満ちた庭園に咲くエロディアードは、
野生の輝ける血を滴らせる女!

この節も、解き放たれた聖杯の中身について語られています。ヒアシンス、銀梅花、薔薇・・・。ここで薔薇が登場しますね。女性の肉体に似て残酷なんだそうです。残酷なほどに美しいということでしょうか。ここは皆さんの人生経験に解釈を委ねましょう。

エロディアードは花にたとえられた女性ですが、同じ名前の人物が聖書に出てきます。ユダヤのヘロデ王の妻で、歌劇『サロメ』にも登場します。結構残酷な王妃です。ただし、マラルメの詩の中の「エロディアード」は、純潔を熱烈に追い求める心たけき処女として現れます(長詩『エロディアード』)。すると「野生の輝ける血」とは処女の純潔の血のことを指しているのでしょうか。

「残酷」のイメージにつられて「滴らせる」と訳しましたが、arroserは「花などに水をやる」「~を通って流れる」の意味がありますから、「野生の血が流れる女」とも訳せます。この部分は、前半の華やかで豊かなイメージとは対照的に、重々しさと冷たさが混ざってきているように思われます。

さて、後半はどうなるでしょうか。「あなた」「聖杯」「大地」の意味が明らかにされますね。
後半部分は明日、解説します。

アンジェとバラ 135.jpg
(続く)

薔薇シリーズ98 「いい言葉(4335)」

▼フランスの薔薇1(マラルメ)
1890年代のイェイツがその詩作において多大な影響を受けたと公言してはばからないのが、ステファヌ・マラルメやポール・ヴェルレーヌなどフランス象徴主義の詩人たちの詩なんですね。

面白いことに、イェイツのほか、ジェームズ・ジョイス、サミュエル・ベケットといったアイルランドを代表する作家はみな、フランス文学の影響を少なからず受けています。ベケットなどは、英仏両国語で作品を発表するなど、どちらが母国なのかわからなくなるぐらいフランス文化に染まっています。

そのフランスの詩では、どのような薔薇が登場するのでしょうか。今日はその中から、マラルメの詩に出てくる薔薇を取り上げます。「花々」という詩です。

Les Fleurs

Des avalanches d’or du vieil azur, au jour
Premier et de la neige éternelle des astres
Jadis tu détachas les grand calices pour
La terre jeune encore et vierge de désastres,

いにしえの青空から落ちる黄金の雪崩から、
そして星々に眠る永遠の雪から、第一日目に、
まだ若く、災害とは無縁だった大地のために
かつてあなたは、大きな聖杯を解き放った。

Le glaïeul fauve, avec les cygnes au col fin,
Et ce divin laurier des âmes exilées
Vermeil comme le pur orteil du séraphin
Que rougit la pudeur des aurores foulées,

細い首の白鳥とともにある、赤いグラジオラス、
そして、踏みつけられた夜明けの恥辱が赤く染める
熾天使(してんし)の清純な足の指のように深紅の、
追放された魂である、この神々しい月桂樹、

L’hyacinthe, le myrte à l’adorable éclair
Et, pareille à la chair de la femme, la rose
Cruelle, Hérodiade en fleur du jardin clair,
Celle qu’un sang farouche et radieux arrose!

ヒアシンス、愛らしく輝く銀梅花、
そして、女の肉体にも似た、残酷な薔薇、
光に満ちた庭園に咲くエロディアードは、
野生の輝ける血を滴らせる女!

Et tu fis la blancheur sanglotante des lys
Qui roulant sur des mers de soupirs qu’elle effleure
À travers l’encens bleu des horizons pâlis
Monte rêveusement vers la lune qui pleure!

それからあなたは、ユリの花のすすり泣く白さを創出した。
それは、ため息の海原の上を転がりながら、
青ざめた水平線の青い香りをかすめるように横切って、
涙流す月に向かって夢見るように昇っていく!

Hosannah sur le cistre et dans les encensoirs,
Notre Dame, hosannah du jardin de nos limbes!
Et finisse l’écho par les célestes soirs,
Extase des regards, scintillements des nimbes!

シターン(楽器)に、そして吊り香炉の中に栄光があれ、
聖母よ、われらが地獄の辺境に築かれた庭園に栄光あれ!
そして、天上界の夕べに響くこだまとなれ、
眼差しの恍惚、後光のきらめきよ!

O Mère qui créas en ton sein juste et fort,
Calice balançant la future fiole,
De grandes fleurs avec la balsamique Mort
Pour le poëte las que la vie étiole.

ああ、聖母よ。あなたは正しく強い胸に、
人生に疲れて青白くなった詩人のために
香り立つ死とともに大いなる花々を使わして
未来の小瓶をそっと揺らす聖杯を創造したのだ。


黄金の雪崩、ため息の海原、未来の小瓶――素晴らしく豊かなイメージが押し寄せてきますね。黄金の雪崩とはどのような光景かつい想像してしまいます。朝日で金色に染まった雪が、紺碧の空から崩れ落ちてくるのでしょうか。

マラルメをはじめとする象徴派の詩は、現実的な描写はほとんどありませんから、現実的で具体的な光景を思い浮かべるよりも、魂の触感の世界でイメージを浴びる感じで読まされます。そのため、読み手によって幾通りにも解釈できる独自の世界が構築されていくんですね。
久しぶりにフランス語を訳したので、時間がかかってしまいました(間違っている箇所があるかもしれません)。詳しい分析は明日のブログで。

薔薇
(続く)

薔薇シリーズ97 「いい言葉(4335)」

▼最後の薔薇
イェイツと薔薇の物語も今日が最後です。

その最後の詩として、『最後の詩集』の中から「青銅の頭像」を紹介します。

A Bronze Head

HERE at right of the entrance this bronze head,
Human, superhuman, a bird's round eye,
Everything else withered and mummy-dead.
What great tomb-haunter sweeps the distant sky
(Something may linger there though all else die;)
And finds there nothing to make its terror less
Hysterica passio of its own emptiness?

ここ、入り口の右手にある、この青銅の頭像。
人間的な、超人的な、眼だけが鳥のようなつぶらなほかは
すべてしぼんで、ミイラのように死んでいる。
墓場をさまよう女性はどれだけ尊く、遠くの空を見渡し、
(すべてが死んでいるが、何かが漂っている)
そこに、自分の恐怖を自分の空虚さから生じる発作的激情に
変える力を減じさせるものなどないことを知るのであろうか?

No dark tomb-haunter once; her form all full
As though with magnanimity of light,
Yet a most gentle woman; who can tell
Which of her forms has shown her substance right?
Or maybe substance can be composite,
profound McTaggart thought so, and in a breath
A mouthful held the extreme of life and death.

かつては墓をさまよう暗い女性ではなかった。
容貌は麗しく、輝ける寛大さを身にまとい、
素晴らしく優しい女性であった。一体誰が
どちらの姿が彼女の実在を正しく表していると言えようか?
あるいは、実在とはそのような混合物なのかもしれない。
かの博識なマクタガートが考えたように、たった一呼吸に
究極の生と死が内包されているのだ。

But even at the starting-post, all sleek and new,
I saw the wildness in her and I thought
A vision of terror that it must live through
Had shattered her soul. Propinquity had brought
Imagiation to that pitch where it casts out
All that is not itself: I had grown wild
And wandered murmuring everywhere, "My child, my
child! '

しかし、つややかで真新しい門出であっても、
私は彼女の中に野生を見た。そして彼女が経なければならない
恐怖の幻影が彼女の魂を粉々にしたと思うのだった。
近親性は、それ以外のものは一切追い払う想像をもたらした。
私も野生になり、そこらじゅうをさまよって、
「わが子よ、わが子よ!」とつぶやいた。

Or else I thought her supernatural;
As though a sterner eye looked through her eye
On this foul world in its decline and fall;
On gangling stocks grown great, great stocks run dry,
Ancestral pearls all pitched into a sty,
Heroic reverie mocked by clown and knave,
And wondered what was left for massacre to save.

あるときはまた、私は彼女の中に超自然を見た。
彼女の眼を通して、より荘厳な眼が、
衰退と凋落が進むこの汚れた世界を見ているかのようだった。
ひょろ長い一族が権勢を振るえば、それまで権勢を誇っていた一族は枯れ果てる。
先祖伝来の真珠は豚小屋に投げ込まれ、
英雄の物語は道化やごろつきにあざけられる。
眼は訴える、虐殺を防ぐ手立ては残されていないのか、と。

いかがでしょうか。薔薇は出てきませんでしたが、お気づきのように「彼女」とはモード・ゴーン、イェイツの永遠の薔薇でした。「青銅の頭像」とは、ダブリン市営ギャラリーの入り口付近に展示された、青銅色に塗られた石膏でできたゴーンの頭像のことであるとされています。

ゴーンの頭像は生気がなく、墓場をさまよう、干からびたミイラのようでしたが、眼だけは輝きを失っていないと詩人は言います。かつてはその眼を通して、詩人自信も野生に目覚め、狂おしいばかりに人生を歩んできたんですね。イェイツは、ゴーンの眼を通して、古代ケルトの英雄たちを見て、そこに理想を見たのではないかと思われてきます。

晩年のイェイツとゴーンの関係は良好ではあったようです。だけど政治的にはイェイツが、まずは自治権を得たほうがよいとする現実派であったのに対し、ゴーンは依然としてアイルランドの完全独立を目指す理想主義者でした。ゴーンは、過激派組織IRA(アイルランド共和国軍)とも密接に関係していたようです。

老いてなお理想に燃えるゴーンを見て、イェイツはあきれつつも、感嘆せずにはいられなかったのでしょう。イェイツが死ぬ数ヶ月前、捕まったIRA活動家からゴーンの密書が見つかったことを伝える新聞記事を読んだイェイツは、両手を天に広げ「なんという女だ! なんという生命力! なんというエネルギーであることか!」と嘆息したと言われています。ミューズとして霊感をもたらし、常に驚きを与えてきたゴーンは、紛れもなくイェイツの人生の薔薇であったと思わずにいられませんね。

薔薇

薔薇シリーズ96 「いい言葉(4335)」

▼三本の薔薇
時間を進めて、イェイツの晩年の詩を紹介します。50代前半でゴーンとの結婚をあきらめ、心霊術仲間のジョージ・ハイド・リースと結婚したイェイツの作風は、円熟味を増すとともに劇的に変化していきます。私生活では子供も生まれ、秘密結社とも決別を果たし、1922年にはアイルランド自由国の上院議員に選ばれ、翌23年にはノーベル文学賞を受賞します。

今日取り上げる詩は、イェイツ最晩年の詩集『Last Poems(最後の詩集)』(1939年)の中の「三本の薔薇」です。イェイツはこの年に亡くなっていますから、文字通り最後の作品となったわけです。タイトルのbushesとは低木、薔薇の木のことです。

The Three Bushes

(An incident from the `Historia mei Temporis'
of the Abbe Michel de Bourdeille)
(ミシェル・ド・ブールデイユ師の『現代史』に出てくる一つの事件)

Said lady once to lover,
'None can rely upon
A love that lacks its proper food;
And if your love were gone
How could you sing those songs of love?
I should be blamed, young man.
O my dear, O my dear.

ご婦人が恋人に言った。
「ふさわしい滋養のない
恋なんて当てにならない。
恋してなければ、どうやって
恋の歌なんか歌えるの?
非難されるべきは私ね、若い人」
(ああ大変、おや大変)

Have no lit candles in your room,'
That lovely lady said,
'That I at midnight by the clock
May creep into your bed,
For if I saw myself creep in
I think I should drop dead.'
O my dear, O my dear.

「あなたの部屋のロウソクの灯はともさないでおいてね」
そのご婦人は言いました。
「時計が真夜中を告げたとき
私があなたのベッドにもぐりこむことができるように。
だって、そんな自分の姿を見たら、
卒倒しちゃうと思うのよ、私」
(ああ大変、おや大変)

'I love a man in secret,
Dear chambermaid,' said she.
'I know that I must drop down dead
If he stop loving me,
Yet what could I but drop down dead
If I lost my chastity?
O my dear, O my dear.

「私はあの人を密かに愛しているの、
私のメイドさん」と彼女は言った。
「もし彼が私を愛さなくなったら、
私はきっと死んでしまうわ。
だけど、もし処女を失ったら、
死ぬ以外に道はないでしょ?」
(ああ大変、おや大変)


'So you must lie beside him
And let him think me there.
And maybe we are all the same
Where no candles are,
And maybe we are all the same
That stip the body bare.'
O my dear, O my dear.

「だから、あなたは彼と共寝して
私と寝ていると彼に思わせてちょうだい。
ロウソクの灯がなければ
あなたも私も同じ体のようなもの。
すべてを脱いで裸になれば
あなたも私も同じようなものよ」
(ああ大変、おや大変)

But no dogs barked, and midnights chimed,
And through the chime she'd say,
'That was a lucky thought of mine,
My lover. looked so gay';
But heaved a sigh if the chambermaid
Looked half asleep all day.
O my dear, O my dear.

犬は吠えずに、幾夜も過ぎた。
真夜中の鐘が鳴ると、彼女はこう言ったものだ。
「あれは良い思いつきだったわ。
私の恋人は嬉しそうだったもの」
だけど、メイドが一日中眠たそうな顔をしていると、
彼女もため息を漏らしてしまう。
(ああ大変、おや大変)

'No, not another song,' siid he,
'Because my lady came
A year ago for the first time
At midnight to my room,
And I must lie between the sheets
When the clock begins to chime.'
O my dear, O my d-ear.

「もう、別の歌など歌わない」と彼は言った。
「一年前に初めて私の恋人は
真夜中、私の部屋にやって来た。
時計が真夜中を告げるときには
私はベッドに潜り込んで
寝ていなければならないんだ」
(ああ大変、おや大変)

'A laughing, crying, sacred song,
A leching song,' they said.
Did ever men hear such a song?
No, but that day they did.
Did ever man ride such a race?
No, not until he rode.
O my dear, O my dear.

「笑いと悲嘆の神聖な歌、
卑猥な歌を」と彼らは言った。
そんな歌を聞いたことがあったか?
いいや、だが、その日は違った。
男はそんな競馬レースに出たことがあったか?
いいや、だけど、その日は違った。
(ああ大変、おや大変)

But when his horse had put its hoof
Into a rabbit-hole
He dropped upon his head and died.
His lady saw it all
And dropped and died thereon, for she
Loved him with her soul.
O my dear, O my dear.

彼の馬がウサギの穴に
足をとられたそのときに、
彼は頭から落ちて、死んでしまった。
彼の恋人はこれを見て、
倒れてそのまま死んでしまった。
彼女は心から彼を愛していたのだ。
(ああ大変、おや大変)

The chambermaid lived long, and took
Their graves into her charge,
And there two bushes planted
That when they had grown large
Seemed sprung from but a single root
So did their roses merge.
O my dear, O my dear.

メイドはその後も長く生き、
二人の墓を守っていた。
その墓に二株の薔薇を植えたところ、
二つの薔薇は大きく育って、
一つの株から伸びたように
互いの花を混じり合わせた。
(ああ大変、おや大変)

When she was old and dying,
The priest came where she was;
She made a full confession.
Long looked he in her face,
And O he was a good man
And understood her case.
O my dear, O my dear.

メイドが老いて、死にかけているとき、
僧侶が今際(いまわ)の彼女のもとへ来た。
彼女はすべてを告白した。
彼は長い間、彼女の顔を覗き込み、
ああ、僧侶は善良な人であった、
彼女の事情をすべて飲み込んでくれた。
(ああ大変、おや大変)

He bade them take and bury her
Beside her lady's man,
And set a rose-tree on her grave,
And now none living can,
When they have plucked a rose there,
Know where its roots began.
O my dear, O my dear.

彼は命じて、遺体を運ばせ、
男の傍らに彼女を埋めた。
そして彼女の墓に一本の薔薇の木を植えさせた。
そこにある一輪の薔薇を摘んだとしても、
今となってはもう誰も知るものはいない、
その薔薇が植えられたいきさつを。
(ああ大変、おや大変)

かつては、ゴーンや理想の国家や神秘性の象徴だった薔薇も、ここでは別の使われ方をしていますね。形式も物語風のバラードになっています。二人の女性と一人の男性をめぐる、恋と死の物語(イェイツとゴーンとジョージの関係に少しダブります)を民謡のように語っていますね。最初に出てくるミシェル・ド・ブールデイユ師も、『現代史』という書物も、イェイツの想像の産物です。

この詩の中に出てくる薔薇とは何でしょう。私にはこの薔薇こそ詩そのもの、あるいはベールに包まれた歴史や伝説や神話を明らかにする詩人の力のシンボルなのではないかと思われます。表面的には美しい薔薇も、それが植えられた背景には、悲しい物語がありました。一つの国の歴史も同じです。詩人には、そのルーツを明らかにする力、歴史に埋もれたものを掘り起こす力があるんですね。それが古代アイルランドの歴史であり、神話でありました。そうすることで、失われたものを蘇らせることができるのです。イェイツやゴーンも、やがてこの世を去ってしまいます。しかしイェイツが作った詩という薔薇の中では、言葉があり続けるかぎり、二人の魂の恋の物語は永遠に語り継がれるのだということを、さりげなく語っているように思えます。

薔薇
(続く)

薔薇シリーズ95 「いい言葉(4335)」

▼薔薇と騎士
『秘密の薔薇』には、「Out of the Rose(薔薇のために)」という騎士の物語が散文で書かれています。変わった物語で、輝きが刻々と濃い紫に変化していくルビー製の小さな薔薇を兜に付けた一人の騎士が、自分が死ぬ大義を求めてさまよっています。そして、今にも沈み行く太陽に向かって、お祈りをします。

After gazing a while towards the sun, he let the reins fall upon the
neck of his horse, and, stretching out both arms towards the west, he
said, 'O Divine Rose of Intellectual Flame, let the gates of thy
peace be opened to me at last!'

(しばらく太陽を見つめた後、男(騎士)は手綱を馬の背にたらして、西に向けて両手を広げて、次のように言った。「おお、英知の炎の神聖なる薔薇よ、汝の平和への扉を最後に私の前で開かせよ!」)

そこへ、森の盗賊に村の豚を奪われたので、豚を取り返そうと盗賊を追っている村人の一団がやって来ます。騎士は村人が信心深く、盗賊は不信心者であると聞いて、村人に加勢することを決心します。騎士は、死ぬ大義が見つかったと思ったのです。そして盗賊と激しく戦い、騎士は重傷を負いますが、村人たちは豚を取り返すことができたので、騎士を森に残して村へ引き上げます。

残された騎士のもとへ、村の使いとして若者がやって来ます。実は騎士は戦いの前に、村人たちの戦意を高めるため、盗賊一人の首と引き換えに銀貨五枚を与えると約束していたんですね。村人たちは騎士が死ぬ前に、賞金をもらいに若者を使いに寄こしたのでした。騎士は約束通り、賞金を若者に払います。若者は騎士の手当てをしながら、どうして命を掛けて村人たちを助けたのか聞きます。

その質問に答えて、騎士は身の上を語ります。騎士は遠い国から来た聖ヨハネ騎士団の一員で、あるとき「炎の薔薇」を見たというパレスチナの騎士に出会ったそうです。「炎の薔薇」からは声が聞こえ、それは神の啓示そのものであったというんですね。

その声が語るには、人々の心の中にはかつて光があったが、やがてその光は消え、腐敗が生じた、そして真実と古代のあり方をはっきり知っていてもなお、この腐敗した世にとどまるものは、神の王国である「薔薇の心」には入れない、従って腐敗した世に抗議する意を示すため薔薇に住む神に命を捧げなければいけない、ということなのだそうです。

騎士の話は続きます。

While the Knight of Palestine was telling us these things we seemed
to see in a vision a crimson Rose spreading itself about him, so that
he seemed to speak out of its heart, and the air was filled with
fragrance.

(パレスチナの騎士が私たちにこれらのことを話している最中に、一輪の深紅の薔薇が彼の周りに咲き広がっていく光景が見えた。そのため彼がその薔薇の中心から話しているように感じられ、辺りは芳しい香りで満たされた)

騎士はこのように、村人のために戦った理由を若者に語った後、息絶えます。若者は感動しましたが、よく理解できないようでした。そして、騎士のために墓を掘っているときに、雄鶏が鳴く声が聞こえたので、その声が聞こえた谷の方へ走り去っていきます。

シンボリックな物語ですね。『秘密の薔薇』が書かれたのは1897年ですから、どうしてもゴーンとイェイツの関係を思い浮かべてしまいます。さしずめ、騎士がゴーンで、村人はゴーンの内縁の夫であるミルボワイエでしょうか。イェイツから見ると、ゴーンの内縁の夫は、アルザス・ロレーヌ地方(豚)をドイツ(盗賊)から奪還するため、ゴーンを利用しただけであると映っていたのでしょうね。しかし利用するだけ利用して、ゴーンを森の中で見捨てます。

アイルランド独立のために身を捧げるゴーンは、炎の薔薇のために死のうとする騎士の姿に重なります。武力闘争を辞さない点でも、騎士そのものですね。

そうなると、騎士の傷の手当てをする若者はイェイツ本人でしょうか。イェイツ自信も、炎の薔薇のために身を捧げる覚悟です。ただし、騎士の理念には理解を示しつつも、武力闘争には加わりません。ただ傷ついたゴーンを優しく包み込もうとします。でもその若者も、雄鶏の声が聞こえると、そちらの方へ走り去ってしまいます。イェイツのその後の未来を暗示しているようでもありますね。

冬の薔薇

1月10日に撮影した薔薇の蕾です。その後間もなく、剪定されてしまいました。
(続く)

薔薇シリーズ94 「いい言葉(4335)」

▼白い鳥と薔薇(再訪)
すでに紹介した「白い鳥」も、イェイツとゴーンの関係がわかってから読むと、詩の内容がよく理解できます。今日はもう一度、「白い鳥」を読んでみましょう。

The White Birds

I would that we were, my beloved, white birds on the foam of the sea!
恋人よ、私たち二人が海の泡の上に降り立った白い鳥であったならば!

We tire of the flame of the meteor, before it can fade and flee;
私たちは、掻き消え行く前の流れ星の輝きにも飽きている。

And the flame of the blue star of twilight, hung low on the rim of the sky,
そして、空の縁に低くかかる黄昏の蒼き星のきらめきは、

Has awaked in our hearts, my beloved, a sadness that may not die.
恋人よ、消えることのない悲しみを私たちの心に芽生えさせる。

A weariness comes from those dreamers, dew-dabbled, the lily and rose;
倦怠は、あの夢見るものたち、露のしずく滴る百合と薔薇から生まれる。

Ah, dream not of them, my beloved, the flame of the meteor that goes,
ああ、恋人よ、夢を見るのをやめよ。去り行く流れ星の輝きの夢も、

Or the flame of the blue star that lingers hung low in the fall of the dew:
露の滴の中に、低く輝き続けている蒼き星のきらめきの夢も

For I would we were changed to white birds on the wandering foam: I and you!
その代わり私とあなたが、漂う泡の海に休む白い鳥に変わることができたらいいのに!

I am haunted by numberless islands, and many a Danaan shore,
私の心に浮かぶのは、数え切れないほどの島々と、多くのダナン神の浜辺

Where Time would surely forget us, and Sorrow come near us no more;
そこでは、時間はきっと私たちのことを忘れてくれ、もはや悲しみが私たちに近づくこともない。

Soon far from the rose and the lily and fret of the flames would we be,
やがて、薔薇も百合も離れて行き、情熱の炎に対する苛立ちも消えるであろう。

Were we only white birds, my beloved, buoyed out on the foam of the sea!
恋人よ、海の泡に浮かぶ白い鳥にさえなれればいいのに!

この詩が書かれたのは、おそらく1891年(発表は1892年)ではないかとみられます。イェイツはこの年の7月、ダブリンに来たゴーンに再会します。ゴーンはそのとき、顔がやつれ、何かに思い悩むような様子だったとイェイツは書いています。当時、ゴーンには内縁の夫(ミルボワイエ)がおり、その内縁の夫との間に生まれた子供を育てていたそうです。

そのような内縁生活に疲れたのか、あるいは育児がうまくいかなかったのか(翌月、長男が亡くなったとの説もあります)、その悩みの詳細はわかりませんが、イェイツはそのようなゴーンの姿を見て、「悲しみの陶酔感に圧倒」されたそうです。もちろんイェイツは、そのときすでにゴーンに恋焦がれています。

翌日イェイツは、友人たちと北アイルランドへ旅立ちました。ところが一週間ぐらい経ったとき、ゴーンから手紙が届きます。その内容はイェイツにとって衝撃でした。何と、イェイツとゴーンは前世で兄妹であり、アラビアの砂漠で奴隷として売られた、砂漠を遠くまで旅をした――そのような夢を見たと手紙に書かれていたのです。

運命の女性に違いないと確信したイェイツはすぐにダブリンに戻り、ゴーンにプロポーズします。これが最初の求婚でした。しかしゴーンは、訳があって結婚はできないと拒絶します。ゴーンには内縁の夫がいて、子供までいるわけですから、断るのも無理はありませんね。

翌日、二人はダブリン南の郊外にあるホウス岬を散策します。二人の頭上を白いカモメが飛び去って行きます。そのとき、ゴーンはつぶやきます。「鳥になれるのなら、カモメになりたい・・・」

この言葉に霊感を得たイェイツが、三日後にゴーンに贈った詩が「白い鳥」だったんですね。その中で詩人は、流れ星、薔薇、ユリといった、はかなく悲しいことは忘れ去って、白い鳥になって妖精たちが暮らす国へ行こうと呼び掛けます。そこには、二人の間を邪魔するような社会的慣習も政治的状況も存在しません。頬をやつれさせるような苦しみや悲しみもなければ、老いることすらありません。魂だけが結びつく王国です。

それが現世ではむなしい願いであったことは、すでに皆さんのご存知の通りですね。

イェイツとゴーン

写真は白い鳥ではありませんが、昨年12月18日に神代植物園で撮影したカルガモの夫婦です。夕日が水面でキラキラ光って、幻想的でした。

梅が咲くころ 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154169)」

昨日は天気が良かったので、散策に出ました。

いつもの神代植物公園ですが、バラ園はもうすっかり剪定されて、寂しげな風景です。

バラ園

誉れ高き(高慢な)エリザベス女王も・・・

エリザベス女王

・・・首を刎ねられてしまいました。

温室では極楽鳥花が咲いています。

ゴクラクチョウカ

パピルスもよく茂っています。

パピルス

再び外に出て、散策します。
これは橘。

タチバナ

おいしそうな実がなっていますね。

私がよく昼寝をする芝生の広場で、ふと空を見上げると、何とそこには龍が!

凧

・・・ではなくて、凧でした。一月らしい風景ですね。

広場のそばの一年草の花壇には、菜の花が咲き誇っていました。

菜の花

菜の花畑の向こうに富士山があるのですが、今日はかすかに見える程度で、写真撮影は断念しました。

飛行機雲

飛行機雲が、梢の間からくっきりと浮かび上がります。

梅が咲いていると言うので、梅園へ。

すると、確かに咲いています。

八重寒紅

八重寒紅です。

別の木には白梅が・・・

冬至

冬至のころから咲く、冬至梅。

最後は猫ちゃん。

黒猫様

帰る途中、神田川沿いの家の軒下で日向ぼっこをしておりました。

ということで、今日の薔薇シリーズはお休みです。

薔薇シリーズ93 「いい言葉(4335)」

▼恋人と薔薇7
「時の十字架にかけられた薔薇に」の後半です。

Come near, come near, come near - Ah, leave me still
そばへおいで、そばへおいで、そばへおいで。ああ、でも、

A little space for the rose-breath to fill!
薔薇が呼吸できるように、少しだけ私から離れておくれ。

Lest I no more bear common things that crave;
そうしないと、生きようとするありふれたものに、これ以上我慢できなくなる。

The weak worm hiding down in its small cave,
小さな穴に入り込んで隠れている弱い虫、

The field-mouse running by me in the grass,
草の中を走って傍らを通り過ぎる野ねずみ、

And heavy mortal hopes that toil and pass;
そして重く、死ぬまで苦役の中で続く希望といったものだ。

But seek alone to hear the strange things said
また、そうしないと、昔死んだ者たちの輝く心に

By God to the bright hearts of those long dead,
神が語りかける奇妙な事柄を聞こうとだけして、

And learn to chaunt a tongue men do not know.
人間には理解できない言葉で歌おうとしてしまう。

Come near; I would, before my time to go,
そばに来ておくれ。私の時が尽きる前に

Sing of old Eire and the ancient ways:
古代のアイルランドとその昔の物語について歌おう。

Red Rose, proud Rose, sad Rose of all my days.
赤い薔薇、誇り高き薔薇、私の人生の悲しみの薔薇よ!

予習のほうは、いかがでしたか。かなり訳すのが難しかったのではないかと思います。一体、どこまでがどういう構文なのかを見分けるのに骨が折れますね。

そこで訳す場合の簡単なヒントを差し上げましょう。それが「;(セミコロン)」です。
The semicolon chiefly separates equal and balanced sentence elements.
(セミコロンは主に同等かつ釣り合った文章の要素を分けるものである)

つまり、セミコロンの後は同等かつ釣り合った文章の要素(節など)が来るわけです。後半部分でいうと、3行目のcraveの後と、6行目のpassの後にセミコロンがありますね。この二つのセミコロンにより、9行目のピリオドまでの文章が、ほぼ同等の三つの節A(3行目)、B(4~6行目)、C(7~8行目)に区切られることがわかります。

ただしこの場合、ちょっと例外的でA、B、Cと分けられた文章のうち、BはAの説明的な節、AとCは完全な同格の節になっています。厳密に言うと、craveの後はセミコロンではなく、説明の節が後に続くのでコロンにすべきではないかと私は思いますが、そうすると、コロンとセミコロンが混在してわかりづらくなるので、セミコロンにしたのかもしれません。

余談ですが、英語の論文を書く場合など、よくこのセミコロンやコロンを使います。特にセミコロンは、and, but, or, for, so, yetなどのcoordinate conjunction(等位接続詞)でリンクできない節を結ぶときに使いますので、覚えておくと便利です。

ちょっと話は難しくなりましたが、A、B,Cの句がほぼ同等であることさえわかれば、7行目のBut seekの主語が(Lest)Iであることが察せられるわけです。

寄り道をしてしまいましたが、内容の説明に入りましょう。

イェイツは「薔薇」にそばにおいでと言いながら、近づきすぎるなと言っていますね。近づき過ぎるとどういうことが起きるかというと、どうやら「薔薇」の美に圧倒されて、神の物語(神の理想)だけに興味を持つようになり、人間では理解できない言葉(古代ケルト語)で歌ってしまうようになると懸念しているんですね。

誰も理解できない詩を書いても意味がありません。この愛憎に満ちた、苦しみのある現世(うつしよ)には、野ねずみもいれば、小さな虫もいます。そして苦しみの中に希望もある。イェイツは抽象的な理想ばかりを詩にするのではなく、現実の野ねずみや小さな虫といった「みすぼらしく愚かなもの」や、時間とともに老いる肉体の持つ苦悩や喜びや希望も詩にしたいと言っているように思います。

同時にそれはイェイツにとって、アイルランド独立運動の理想と現実でもあるんですね。理想だけを追い求めると過激になりすぎて、現実的な事柄が見えてこなくなり、破滅へと進んでしまいます。「戦争の薔薇」を思い出してください。独立と言う理想(理想の薔薇)のために死んでいく闘士の傍らで、恋人(現実の薔薇)がいるなら家に戻るべきだと主張する、まさに現実的な詩人イェイツがそこにいました。

ここで思い出さなければならないのは、シンボルとしての薔薇十字です。薔薇は、時間が来たら死滅する肉体(時の十字架)にはりつけられた魂です。生きているかぎり、磔という肉体的な苦痛や精神的な苦悩は続きます。肉体(誰にも理解できる言葉)を持たず、魂(神だけが使う言葉)だけでは、詩を伝えることはできません。神の言葉や理想の美を伝えるのは、やはり誰もが理解できる言葉によってしか方法はないのです。それは、苦しみを味わって初めて得られる永遠でもあります。その意味で、薔薇はイェイツの詩的な魂、十字架は生みの苦しみを伴う言葉という現実のコミュニケーション手段ということになります。

もちろん、薔薇はイェイツの永遠の恋人モード・ゴーンでもありますね。ゴーンの薔薇には、理想の美とアイルランド独立運動の精神という二つの象徴的な意味が込められています。

このように、この詩の中で薔薇は、より多くの意味やシンボルを持っています。というのも、この詩は、詩集『薔薇』の冒頭の詩なんですね。そのため目次のような、あるいは詩集全体のイントロダクションのような内容になっています。だから、薔薇により多くの複合的な意味合いを語らせているんです。永遠の恋人、アイルランド独立の精神、詩人の魂、完璧な美、理想・・・。そして、イェイツがあえて古代ケルトの物語を歌おうとするのも、古代のアイルランドに理想の国、つまり「薔薇」を見たからではないでしょうか。

薔薇

背景は藤棚、桜、メタセコイヤです。
(続く)

薔薇シリーズ92 「いい言葉(4335)」

▼恋人と薔薇6
薔薇

イェイツが1893年に発表した詩集『薔薇』から紹介する最後の詩です。そのタイトルは「時の十字架にかけられた薔薇に」。イェイツがモード・ゴーンに対する恋で身を焦がしている時期に書かれた詩ですから、タイトルを見ただけで、十字架に磔にされたイェイツの姿が浮かんできてしまいます。

イェイツは後に、この詩が書かれた時期のことを振り返って次のように述べています。
「私は激しい心労と悲しみに苦しんでいた。恋人が私を去ってから約7年間にわたり、他の女性が私の生活に入り込むことはなかった」

その苦しみの中で書かれた詩です。

To The Rose Upon The Rood Of Time

Red Rose, proud Rose, sad Rose of all my days!
赤い薔薇、誇り高き薔薇、私の人生の悲しみの薔薇よ!

Come near me, while I sing the ancient ways:
そばに来ておくれ、古代の物語を歌うから。

Cuchulain battling with the bitter tide;
クーフーリンは激しい潮流と戦う

The Druid, grey, wood-nurtured, quiet-eyed,
灰色で、木に育てられた、静かな目のドルイドは

Who cast round Fergus dreams, and ruin untold;
ファーガスを夢で包み込み、破滅が語られることはなかった。

And thine own sadness, where of stars, grown old
そして汝自身の悲しみのために、海の上で

In dancing silver-sandalled on the sea,
銀のサンダルを履いて踊る老いた星々が

Sing in their high and lonely melody.
高く、寂しげなメロディーで歌を歌う。

Come near, that no more blinded by man's fate,
そばに来ておくれ、もう運命によって光を失うことはないのだから。

I find under the boughs of love and hate,
私は愛憎の枝の下で、

In all poor foolish things that live a day,
その日を生きるすべてのみすぼらしく愚かなものの中に、

Eternal beauty wandering on her way.
永遠の美が歩む姿を見出すのです。

ここまでが前半です。豊かなイメージが展開しますね。
クーフーリンは、アイルランドの伝説に出てくるウルスターの英雄。ドルイドはケルトの司祭でしたね。ファーガスもウルスターの伝説の王です。イェイツが同じ『薔薇』の中で書いた詩「ファーガスとドルイド」では、王位を譲った悩めるファーガスがドルイドに賢者の知恵を求める場面で、次のようなくだりが出てきます。

Fergus. A king is but a foolish labourer
Who wastes his blood to be another's dream.
ファーガス:王は愚かな雇われ人にすぎない。
他人の夢のために血を無駄に流している。

Druid. Take, if you must, this little bag of dreams;
Unloose the cord, and they will wrap you round.
ドルイド:必要とあれば、この小さな夢の袋を取るがいい。
ヒモを解けば、夢がお前を包み込むであろう。

しかし、このような夢物語の展開も、9行目のCome near辺りから様子が一変します。10行目には「the boughs of love and hate(愛憎の枝)」という表現が出てきますね。枝は木の十字架を連想させます。愛憎とは、苦しみや喜びが混在する現実のこと。みすぼらしく、愚かなものがいる世界です。十字架は肉の苦しみの象徴でもあります。

その中で詩人は、永遠の美を見つけるんですね。

さて、後半はどうなるんでしょうか。長くなりそうなので、後半部分は明日解説します。
予習できるように後半部分を掲載しておきますね。

でも、ご安心ください。別に宿題ではありません。翻訳の腕に自信のある方は、試してみてください。その他の方は、私が翻訳で苦しむ姿でも想像しながら、明日までお待ちくださいませ。

Come near, come near, come near - Ah, leave me still
A little space for the rose-breath to fill!
Lest I no more bear common things that crave;
The weak worm hiding down in its small cave,
The field-mouse running by me in the grass,
And heavy mortal hopes that toil and pass;
But seek alone to hear the strange things said
By God to the bright hearts of those long dead,
And learn to chaunt a tongue men do not know.
Come near; I would, before my time to go,
Sing of old Eire and the ancient ways:
Red Rose, proud Rose, sad Rose of all my days.
(続く)

薔薇シリーズ91 「いい言葉(4335)」

▼恋人と薔薇5(モード・ゴーンの後半生)
1890年代のモード・ゴーンは、イングランド、スコットランド、フランス、アメリカで講演活動をして独立運動の活動資金集めに奔走しました。講演でゴーンは、小鳥の入った鳥かごを持参、講演が終わったときにかごを開けて、小鳥を解き放つというパフォーマンスもしていたようです。もちろん小鳥はアイルランドを象徴していました。

一方、ミルボワイエとの関係は1899年に完全に終わります。その時期、ゴーンはイェイツから何度もプロポーズされますが、すでに紹介したように、その都度拒絶します。ただし、ゴーンとイェイツは急進派と穏健派という違いはありましたが、アイルランド独自の文化を守り、自主独立を目指すという点では一致していました。ゴーンとイェイツは1897年のヴィクトリア女王即位60周年の祝典にも抗議しています。

ゴーンはイェイツとともに、女性活動家のための団体を発足、1902年には、イェイツが書いた愛国的散文劇「キャスリーン・ニ・フーリハン」の主役を演じ、センセーションを巻き起こします。この戯曲を簡単に説明すると、アイルランドを象徴する老婆が、息子が裕福な家の女性と結婚することが決まった農家に突然現れます。そして浮かれている人たちに、不当に奪われた4つの美しい草原(アイルランドの4つの地方の象徴)について語ります。それを聞いた息子は、草原を取り返すため、安楽な生活と決別して戦う決心をします。すると年老いた女性は若返り、女王の威厳をもって、彼女のために戦うものたちは永遠に忘れ去られることはないだろう、と謳い上げます。ずいぶんわかりやすい劇ですね。

その年、ゴーンはカトリックの洗礼を受けます。翌1903年には、カトリックへの改宗を拒むイェイツを尻目に、アイルランドの活動家ジョン・マクブライドとパリで結婚します。1904年には息子ショーンが生まれますが、結婚生活は間もなく破綻。別れた後、マクブライドはアイルランドで独立運動に専念しますが、1916年の復活祭蜂起で捕まり処刑されたことはすでに述べましたね。

マクブライドとの結婚が破綻した後も、ゴーンはイェイツからたびたび言い寄られますが、結婚を拒否し続けます。ゴーンはすでにその急進的な活動により、イギリス政府から要注意人物として「お尋ねもの」になっていました。1917年まで主にフランスで暮らしていましたが、1918年にアイルランドに戻ると、逮捕され、数ヶ月間刑務所暮らしを経験します。

1921年12月、英国・アイルランド条約で32州のうち北アイルランド6州を除く26州がアイルランド自治領になりました。だが、ゴーンは不十分であるとしてこの条約にも反対します。1922年にはアイルランドへの定住を決め、完全な独立を勝ち取るべく運動を続けました。アイルランドは1937年12月、憲法を制定し、英連邦内の共和国としてようやく独立しました。しかし、前にも紹介したように北アイルランドの問題は残ったわけです。

1938年、ゴーンは自分の半生を記した『女王のしもべ』を出版します。女王とは、英女王のことではなく、アイルランドの象徴的女王キャスリーンを念頭に置いたものでした。その自伝の出版を見届けるかのように、1939年1月にはイェイツが73歳で死去します。そして、イィエツにアイルランドの「薔薇」や「女王」にたとえられたゴーンも、1953年に亡くなります。86歳でした。

薔薇

薔薇シリーズ90 「いい言葉(4335)」

▼恋人と薔薇4(モード・ゴーンの人生)

薔薇

イェイツによって、理想のアイルランドやその誇りを象徴する「薔薇」にたとえられる独立運動の女性闘士モード・ゴーンとは、どのような人物だったのでしょうか。ゴーンの人生を振り返ってみましょう。

ゴーンは1865年12月、イギリスで生まれました。父親はアイルランドの裕福な家の出身で、英国軍の将校でした。母親はゴーンが4歳ぐらいのときに亡くなったので、ゴーンは妹とともにフランスに送られ、そこで教育を受けました。

1882年に父親がアイルランドのダブリンに赴任したのを契機に、ゴーンもダブリンに移り、父親と暮らすようになります。その父親も1886年に病死、多額の遺産を得たことにより、経済的に独立することができます。

ゴーンはフランスに戻り、そこで急進的なフランスの政治活動家ルシアン・ミルボワイエと出会い、恋に落ちます。二人は、アイルランドの独立とアルザス・ロレーヌ地方のドイツからの奪還のために闘うことを誓い合います。

ゴーンはその誓いを果たすためアイルランドに戻り、イギリスに捕らえられたアイルランド人政治犯の釈放を求めるなど、独立運動を積極的に支援しはじめます。そして1889年、若き詩人イェイツに出会います。出会いはイェイツの詩を気に入ったゴーンのほうから働きかけて実現したようですが、イェイツはゴーンの美しさと歯に衣着せぬ性格にすっかり魅了され、その魅力の囚われの身となります。ゴーンは、それ以降イェイツの生涯にわたり彼の作品に多大な影響を与え続けます。

イェイツのそんな気持ちとはかかわりなく、ゴーンは翌1890年に再びフランスへ戻ります。そこでミルボワイエと再開、恋を再燃させます。その一方で1891年、イェイツが入会している秘密結社「黄金の夜明け団」にイェイツの紹介で入団します。ゴーンは急進的な活動家でしたが、実は小さいときから神秘的な体験をしており、超常的な現象にも興味を持っていたようです。しかしフリーメイソンは、大英帝国の支配を助長するだけだとの考えから、ほどなく「黄金の夜明け団」を退団します。

ゴーンは1893~94年にかけて、ミルボワイエの子供を二人産みます。非嫡出子です。上の男の子はすぐに亡くなってしまいましたが、女の子イズールトは無事に育ちます。イズールトは1916年になんと、母親のゴーンに振られ続けているイェイツから求婚もされているんですね。母親が駄目なら娘でも、ということでしょうか。いやはや、恐るべし、イェイツの恋の執念! イズールトは母親同様、プロポーズを断り、後にオーストラリア生まれのアイルランド人作家フランシス・スチュアートと結婚します。
(続く)

薔薇シリーズ89 「いい言葉(4335)」

▼恋人と薔薇3

「平和」、「戦争」の次は「世界」です。タイトルも「世界の薔薇」。薔薇尽くしの詩集ですね。

The Rose Of The World

Who dreamed that beauty passes like a dream?
For these red lips, with all their mournful pride,
Mournful that no new wonder may betide,
Troy passed away in one high funeral gleam,
And Usna's children died.

美は夢のように通り過ぎると夢想したのは誰か?
赤い唇のために、彼らは悲しみに沈む誇りをもって、
無理からぬ悲しみに浸りながら、
トロイは気高い弔いの微光の中に滅び、
ウシュナの息子たちも亡くなった。

We and the labouring world are passing by:
Amid men's souls, that waver and give place
Like the pale waters in their wintry race,
Under the passing stars, foam of the sky,
Lives on this lonely face.

私たちと、この苦しみの世は、はかなく通り過ぎる。
空の泡、流れ星の下で、
冬の早瀬を流れる青白い水のように、
よろめき、消え去る人間の魂の中にあって、
彼女の寂しげな顔は生き続ける。

Bow down, archangels, in your dim abode:
Before you were, or any hearts to beat,
Weary and kind one lingered by His seat;
He made the world to be a grassy road
Before her wandering feet.

大天使よ、あなたの朧な住処において、ひれ伏したまえ。
あなたの前に、生きとし生けるものが生まれる前に、
疲れた、優しい魂が、神の玉座の傍らにたたずんでいた。
神は、彼女がさまよう芝生の道になるようにと、
この世界をつくったのだ。

これも、モード・ゴーンの美を賛美した詩です。美ははかないと言ったものは誰か、と呼び掛けた後、人間ははかないが、寂しげな顔をもつゴーンの美は不滅だと謳っていますね。

トロイ戦争でトロイが滅びたのは、王子パリスが恋した一人の王妃のせいでした。アイルランド神話に出てくるウシュナの息子たちも、美女ディアドラをめぐってコノール王と争い、殺されました。争いの原因には「赤い唇」があったわけです。

しかし、はかなく滅びていく人間の中にあって、ゴーンの美は生き続けます。イェイツは、その永遠の美の前では大天使でさえ、ひれ伏すべきであると主張しているんですね。ゴーンの不滅の美は世界が誕生する前から神の座のそばにあり、世界は彼女が歩くために作られたというのですから、すごい賛辞ではあります。

アイルランド独立運動の女性闘士ゴーンはまた、アイルランドの象徴です。トロイとギリシャの戦争はアイルランドとイギリスの戦いとダブってきます。美のために戦わざるをえなかったトロイと、理想を手に入れるために戦い続けるアイルランド。闘士たちの命は尽きても、理想は残ると言いたかったのかもしれませんね。

一方、ゴーンとイェイツの関係ですが、ヘレンがトロイに戦乱をもたらしたように、ゴーンはイェイツに混乱をもたらします。最後の行のher wandering feet(彼女の歩き回る足)には、ゴーンに振り回されるイェイツの姿が浮かびます。同時に「エイ、天界の衣を願う」の最後で語った「私の夢の上を歩くのですから、優しく歩いてください」という願望のイメージも蘇ってきます。ゴーンはイェイツにとって、見果てぬ夢だったのでしょうね。

薔薇
(続く)

薔薇シリーズ88 「いい言葉(4335)」

▼恋人と薔薇2

昨日は「平和の薔薇」でしたが、今日は「戦争の薔薇」です。

The Rose Of Battle

Rose of all Roses, Rose of all the World!
薔薇の中の薔薇、世界で一番大事な薔薇よ!

The tall thought-woven sails, that flap unfurled
時間の潮流の上を、帆を高くはためかせながら、

Above the tide of hours, trouble the air,
思想を編み込んだ帆船たちが大気を切り裂く。

And God's bell buoyed to be the water's care;
そして海路の障害を、神の鐘が音を鳴らして知らせる。

While hushed from fear, or loud with hope, a band
恐れから黙り込み、あるいは希望から大声を出している一団が

With blown, spray-dabbled hair gather at hand,
波しぶきを受けた髪を風になびかせながら、近くに集まる。

Turn if you may from battles never done,
できるなら、決して勝利することのない戦争に行かないでおくれ、

I call, as they go by me one by one,
そばを通り過ぎる彼らの一人一人に私は呼び掛ける。

Danger no refuge holds, and war no peace,
戦場には安全な場所などなく、戦争が平和をもたらすこともない。

For him who hears love sing and never cease,
恋人の静かな隠れ場所、綺麗に掃除された囲炉裏端で

Beside her clean-swept hearth, her quiet shade:
止むことのない愛の歌を聞く者は、行かないでおくれ。

But gather all for whom no love hath made
しかし、愛が沈黙を紡ぐこともなく、

A woven silence, or but came to cast
大声で歌を歌いながら通りすぎ、

A song into the air, and singing passed
青白い夜明けに微笑む者は

To smile on the pale dawn; and gather you
集まるがいい。そして、雨や露、

Who have sougft more than is in rain or dew,
太陽や月、あるいは大地、

Or in the sun and moon, or on the earth,
あるいは、とりとめのない、星のように輝く楽しさの最中に

Or sighs amid the wandering, starry mirth,
つくため息以上のものを求める者、あるいは

Or comes in laughter from the sea's sad lips,
海の悲しげな唇からもれる笑い以上のものを求める者は、集まるがいい。

And wage God's battles in the long grey ships.
そして長い灰色の船に乗って神の戦争を遂行するがいい。

The sad, the lonely, the insatiable,
悲しく、寂しく、飽くことを知らない者よ

To these Old Night shall all her mystery tell;
古代の夜はあなた方に、恋人の神秘をすべて語る。

God's bell has claimed them by the little cry
神の鐘は、生きることも死ぬこともない彼らの悲しみに沈む心から

Of their sad hearts, that may not live nor die.
湧き出る小さな叫びによって、彼らの命を奪ってしまった。


Rose of all Roses, Rose of all the World!
薔薇の中の薔薇、世界で一番大事な薔薇よ!

You, too, have come where the dim tides are hurled
あなたもまた、薄暗い潮流が悲しみの波止場で砕け散る場所にやって来て、

Upon the wharves of sorrow, and heard ring
私たちを呼ぶ鐘の音を聞いた。

The bell that calls us on; the sweet far thing.
甘い遥かなるもの、

Beauty grown sad with its eternity
永遠とともに悲しく育った美が

Made you of us, and of the dim grey sea.
私たちと薄灰色の海から、あなたを作ったのだ。

Our long ships loose thought-woven sails and wait,
私たちの大きな船は思想で織られた帆を緩め、待っている。

For God has bid them share an equal fate;
神が同じ運命を分かち合うよう船に命じたからだ。

And when at last, defeated in His wars,
そしてとうとう、神の戦争に敗れ、

They have gone down under the same white stars,
彼らは同じ白銀の星々の下に沈んでしまった。

We shall no longer hear the little cry
もはや生きることも死ぬこともない、私たちの悲しみに沈む心から、

Of our sad hearts, that may not live nor die.
小さな叫びを聞くこともない。

訳すのは結構難しい詩ですね。大意は次の通りです。これから戦争に向かうため浜辺に集まった者たちに対して詩人は、戦争は平和をもたらさない、大事な恋人がいるならば家に帰るべきだと呼び掛けています。薔薇もまた、多くの兵士を見送りますが、だれも戻ることはなかった、というような内容の詩です。

しかし、この薔薇に込められたイェイツの心情は複雑です。簡単に言えば、薔薇はイェイツの片思いの恋人モード・ゴーンとなります。ゴーンは武力闘争も厭わぬアイルランド独立運動の女性闘士、「戦争の薔薇」です。一方イェイツは、文学的立場から独立を支持しつつも、武力闘争には消極的な穏健派であったとされています。

ゴーンが何度もイェイツのプロポーズを断った背景には、そうした政治的な信条の不一致があったからではないかとも言われています。イェイツは、イギリスに対する何世紀にもわたる武力闘争がことごとく失敗してきたアイルランドの歴史を振り返りながら、もし恋人がいるならば、恋人の待つ家へ戻ってくれと呼び掛けます。よく言えば平和主義者ですが、その弱腰とも思われる姿勢に、ゴーンは嫌気していたのかもしれませんね。

薔薇はまた、祖国アイルランドを象徴する女性でもあります。イェイツはアイルランド独立のために命を落とした活動家に対しても、詩の中で神の弔いの鐘を鳴らします。「薔薇の中の薔薇」とは、何事にも代えることのできない大切なもの、という意味が込められています。祖国愛を賛美しつつも、できれば恋人のために戦場へ赴かないで欲しいという、詩人としての複雑な心情もうかがえるように思います。

アイルランドが独立を勝ち取るのは、この詩が書かれてから約30年後の1922年のことです。その間、多くの独立の闘志が亡くなりましたが、その中にはゴーンが1903年に結婚(後に離婚)したジョン・マクブライドも含まれています。マクブライドは1916年の復活祭蜂起でイギリス軍に捕まり、「薔薇の木」で紹介したジェームズ・コノリーらとともに処刑されました。

ゴーンとマクブライドの間に生まれた息子ショーン・マクブライドは、後にアイルランドの政治家として活躍、アムネスティ・インターナショナルなど多くのNGO(非政府組織)の設立や運営に尽力した功績が評価されて、1974年にノーベル平和賞を受賞しました。

理想の薔薇は、別の枝で花開いたようにも思われてきます。

薔薇の理想
(続く)

薔薇シリーズ87 「いい言葉(4335)」

▼恋人と薔薇1

薔薇

「白い鳥」に出てきた恋人もそうですが、イェイツには彼の詩のミューズともいえる女性がいました。モード・ゴーンというアイルランド独立運動の女性闘士です。1893年に発表された詩集『薔薇』は、まさに彼女のために書かれた詩集でもあります。ところが、この恋はイェイツの片思いで、1889年に出会って以来、何度も結婚を申し込みますが、そのたびに断られます。

それでもイェイツはあきらめきれず、ゴーンを詩の中で崇めつづけました。その「薔薇」をいくつか紹介しましょう。最初は「平和の薔薇」です。

The Rose Of Peace

If Michael, leader of God's host
When Heaven and Hell are met,
Looked down on you from Heaven's door-post
He would his deeds forget.

天軍率いる大天使ミカエルが
天と地の戦いの最中に、
もし天国の扉の柱の陰からあなたのことを見初めたら、
彼は自分の仕事を忘れただろう。

Brooding no more upon God's wars
In his divine homestead,
He would go weave out of the stars
A chaplet for your head.

彼の聖なる屋敷において
神の戦争に思い巡らすことをやめ、
星々を紡いで
あなたの頭上に掲げる花輪を織るだろう

And all folk seeing him bow down,
And white stars tell your praise,
Would come at last to God's great town,
Led on by gentle ways;

人々は彼が頭を垂れるのを目撃し、
白金の星々はあなたを誉めそやし、
彼はとうとう、緩やかな道に導かれ、
神の住む都にやってくるだろう。

And God would bid His warfare cease,
Saying all things were well;
And softly make a rosy peace,
A peace of Heaven with Hell.

そこで神は、すべてが順調であると告げて、
彼に停戦を命じるだろう。
そして優しい薔薇色の平和が訪れ、
天国と地獄が仲直りするのだ。

いやはや、イェイツはゴーンにメロメロだということがよくわかりますね。ゴーンの美しさの前では、ミカエルもルシファーとの戦いが馬鹿らしくなり、神もすべてが順調であるとお墨付きを与えて、平和が訪れるんだそうです。実におめでたい話です。

ただしこの詩は、ゴーンを称えるだけではなく、さりげなくキリスト教(特にカトリック)をからかっているとも解釈できます。というのも、ミカエルと言えば、天上界ではもっとも有名な大天使様。そのミカエルが一人の女性を崇め奉るというのですから、不敬罪この上ない詩であるとも読めるからです。あなた方が神として崇めているもの、あなた方の教義は、一人の女性の美にもかなわないのだと、イェイツは言っているようにも聞こえます。

イェイツとゴーンの奇妙な関係については、詩を通じて、おいおい説明していきたいと思います。ゴーンの写真はこちらをご覧ください。
(続く)

薔薇シリーズ86 「いい言葉(4335)」

▼錬金術の薔薇3

「錬金術の薔薇団」への入会式に先立ち、イェイツは古代の舞踊を覚えるように言われます。その旋律は「永遠の車輪」であり、その上でのみ霊魂は自由になるという魔術的な踊りです。その後、マイケルはイェイツに薔薇の形に似た香炉を渡し、小さな扉を開けるように告げます。そしてイェイツがその扉の取っ手に手をかけた瞬間、香の強烈な香りとマイケルの魔術により、再び夢幻の世界へと落ちてゆきます。

扉の向こう側には大きな円形の部屋があり、天井にはモザイクの巨大な薔薇が、壁にはやはりモザイクで神々と天使たちの戦闘の様子が描かれています。やがて古代の音楽に合わせて踊りが始まります。舞踊の輪は、頭上にある薔薇の形を床の上に再現するように動きます。舞踊は次第に熱を帯びてきて、イェイツの意識も朦朧としてきます。ふと天井を見ると、そこに描かれた大きな薔薇は、まるで生き物のように、香の立ち込める空中をゆるやかに下ってくるのが見えます。

幻想なのか、現実なのか。イェイツは香の煙の中をさまようように踊ります。髪にユリを挿した不死の女が現れて、恍惚感の中で一緒に踊ります。ところが突然、不死の女が自分の魂を飲み込むのではないかとの恐怖感に襲われ、そのまま意識を失います。

どのくらい時間が流れたのでしょうか。イェイツは、何かに起こされたように目を覚まします(セクション5)。モザイクの薔薇だと思ったものは、大雑把に描かれた薔薇の絵で、壁の絵も描きかけで、何の絵かも定かでないものでした。イェイツの周りには、20人ほどの人たちが服を乱して仰向けになって倒れています。夜明けの光が窓から差し込んできました。

そのとき、家の外から男女の怒声が聞こえてきます。町の人たちが、マイケルの「錬金術の薔薇団」を怪しげな儀式をする「邪教集団」とみなし、押しかけて来たんですね。彼らの多くは漁師ですが、ニシンが獲れなくなったのは邪教集団のせいであると考えているようです。

イェイツは近くで倒れていたマイケルを起こそうとしますが、意識が混濁したまま起き上がれません。漁師たちは玄関の扉を打ち破ろうとしています。怖くなったイェイツは、台所の扉から外へと逃げ出します。後方からは漁師や女たちの叫び声が聞こえます。惨劇が繰り広げられているのでしょうか。振り向くと、押しかけた男の一人がこちらを指差して、仲間に向かって何か叫んでいるところでした。イェイツは命からがら、その場を立ち去ります。

その事件から10年以上が経ち、イェイツが当時を振り返ります。

There are moments even now when I seem to hear those voices of
exultation and lamentation, and when the indefinite world, which has
but half lost its mastery over my heart and my intellect, seems about
to claim a perfect mastery; but I carry the rosary about my neck, and
when I hear, or seem to hear them, I press it to my heart and say:
'He whose name is Legion is at our doors deceiving our intellects
with subtlety and flattering our hearts with beauty, and we have no
trust but in Thee'; and then the war that rages within me at other
times is still, and I am at peace.

今でも、あの叫び声や嘆き声が聞こえる気がするときがある。心や知性の支配を半ば失ったような不確かな世界が、今でも私の中で完全な支配を求めているように思われるときがある。しかし私は、首にロザリオをかけており、あの声が聞こえたとき、あるいは聞こえたと思われたときには、ロザリオを胸に押し当て、次の言葉を唱えるのである。「レギオンという名の男が戸口に現れ、私たちの知性を欺き、美によって私たちの心を誘惑しています。しかし私たちは、神であるあなたのほかには、何ものも信じません」。すると、私の心中で荒れ狂う感情は静まり、平穏を取り戻すのである。

(注:レギオンとはローマ軍団の名前ですが、新約聖書には、レギオンによる虐殺を目撃して発狂し、悪霊にとり憑かれた男が、イエスに名前を尋ねられ「レギオン」と答えるという説話があります)

物語はこれで終わります。面白いのは、ここで10年以上前のことを振り返る冒頭のイェイツに戻るような形で終わることです。冒頭でイェイツは、10年以上前に起きたマイケル・ロバッツとその仲間の悲劇について触れます。だから、その後の展開は当時を振り返る形で進むのですが、マイケル・ロバッツと再会した後で、イェイツは「この男はマイケル・ロバッツでは断じてない。彼は10年、いや20年前に死んだのだ」とつぶやく場面があります。この言葉によって、実はこの物語が円環していることがわかるんですね。

しかも、この物語の中に出てくる登場人物はすべて、イェイツの心の反映でもあります。ケルト的な魔術の世界を代表するマイケル・ロバッツ、秘密結社を邪教だとして否定する民衆(世俗)、世俗から離れ穏やかな瞑想的生活を続けるイェイツ。詩人のイェイツは、永遠の美に触れることのできる魔術に惹かれながらも、恐れから逃げ出し、キリスト教の象徴であるロザリオを固く握り締めます。すべてが、イェイツの葛藤の世界の出来事であると解釈することができますね。その心の揺れが、円環となってイェイツの心に何度も去来するわけです。

物語の最後では、キリスト教の神への帰依を確認して終わる形になっていますが、物語が円環することにより、実はそうではないこともわかります。実際、この物語を書いた後もイェイツは秘密結社「黄金の夜明け団」の会員であり続け、ロンドン支部長にもなるんですね。

「神秘の薔薇」や「錬金術の薔薇」は、イェイツにとって「永遠の車輪」、生涯変わらぬテーマであったように思われます。

薔薇
(続く)

薔薇シリーズ85 「いい言葉(4335)」

▼錬金術の薔薇2

マイケル・ロバッツはイェイツの分身で、人生や死の哲学を究明する孤独な哲学者として、しばしばイェイツの詩や物語に登場します。この物語の中では、イェイツの友人として現れました。目的はただひとつ、秘密結社「錬金術の薔薇団」へのイェイツの入会です。

マイケルは、イェイツが周りにいくら素晴らしい美術品を集め、世俗から超越した暮らしをしようとも、決して満たされることはないと忠告します。次にマイケルは不思議な香を焚き、イェイツを怪しげな幻想の世界へと導きます。そして追い討ちをかけるように、イェイツが見ている幻想の世界を説明しはじめます。

・・・and there is the mother of the God of humility who cast so great a spell
over men that they have tried to unpeople their hearts that he might reign alone, but she holds in her hand the rose whose every petal is a god; and there, O swiftly she comes! is Aphrodite under a twilight falling from the wings of numberless sparrows, and about her feet are the grey and white doves.

・・・ほら、あそこには謙譲の神の聖母がいる。聖母は人々にあまりに強い魔法をかけたので、人々は謙譲の神のみが支配者であるように、彼らの心からほかのものを追い出そうとした。しかし聖母は、その一つ一つの花弁が神である薔薇を手に持っているのである。そしてあそこには、ああ、何とすばやく、アフロディーテがやって来ることか。無数のスズメの羽から落ちる薄光の下で、彼女の足の周りには灰色や白い鳩が群れいている。

これらはすべて、マイケル・ロバッツがイェイツの夢想の中に作り出したイメージなんですね。それらはまた、イェイツが得ようとして得られなかった、不滅の美と触れ合うことのできる神秘的な体験でもありました。イェイツは最初こそ、マイケルを拒んでいましたが、この神秘体験により、マイケルの言葉に従う決心をします。

イェイツは、海辺のそばにある秘密結社のアジトに連れて行かれます。入会の儀式をするためです(セクショ3)。マイケルは、儀式が始まる1時間前に戻ると言い残して姿を消します。そこへ一人の女性が部屋に入ってきて、翼を広げた孔雀が描かれたブロンズの箱をテーブルの上に置いて、立ち去ります。イェイツがその箱を覗き込むと、一冊の本が入っています。

In the box was a book bound in vellum, and having upon the vellum and in very delicate colours, and in gold, the alchemical rose with many spears thrusting against it, but in vain, as was shown by the shattered points of those nearest to the petals.

箱の中には、上質の羊皮紙で装丁された一冊の本が入っていた。その羊皮紙の上には、非常に繊細な色と金を使って、多くの槍先を突きつけられた錬金術の薔薇が描かれていた。しかし、槍先は薔薇の花弁近くのところで砕け散っており、薔薇に触れることはなかった。

黄金の薔薇?

錬金術の薔薇とは、黄金色の薔薇なのでしょうか。どうやらこの本は、秘密結社の成り立ちや秘儀を記した本だったようです。イェイツはその本を手に取って、読みはじめます。

その本によると、錬金術の研究をしていた6人のケルト人の学生が南フランスで偶然にも出会い、研究成果を話し合ううちに、錬金術とは死すべき肉体を脱ぎ捨て不滅の衣をまとうようになるまで、魂の中身が次第に蒸留していくことにほかならないとの考えに達します。そのとき、フクロウが飛び立ち、杖をついた老女がやって来て、精神界における錬金術の秘法を学生らに授けるとともに、錬金術の薔薇団を結成するように告げ、消え去ったのだということです。

イィエツは蝋燭の下で、その書物を読みふけります。やがて日が暮れて2,3時間経ったころ、マイケル・ロバッツが戻ってきます(セクション4)。入会式がいよいよ始まろうとしていました。
(続く)

薔薇シリーズ84 「いい言葉(4335)」

▼錬金術の薔薇1

薔薇

錬金術を実践する秘密結社「黄金の夜明け団」のロンドン支部長だったイェイツは、その秘密結社と錬金術をテーマに「Rosa Alchemica(錬金術の薔薇)」という短い散文の物語を書いています。詩ではなく、短編小説としてはおそらくイェイツの最高傑作であるとの呼び声も高い作品です。

この小説に登場する主要人物は、イェイツ本人と、『葦間の風』にも登場するイェイツの別の自我であるマイケル・ロバッツ。物語は5つのセクションに分かれ、セクション1ではイェイツがダブリンの古い街区にある自宅で、イェイツの人生を変えたマイケル・ロバッツにかかわる悲劇についての追想と、錬金術に対する思いを語る場面で始まります。その中ではまず、カルロ・クリヴェルリの聖母マリアを描いた絵でマリアが手に持つ薔薇についての記述があります。

The portraits, of more historical than artistic interest, had gone; and
tapestry, full of the blue and bronze of peacocks, fell over the
doors, and shut out all history and activity untouched with beauty
and peace; and now when I looked at my Crevelli and pondered on the
rose in the hand of the Virgin, wherein the form was so delicate and
precise that it seemed more like a thought than a flower, or at the
grey dawn and rapturous faces of my Francesca, I knew all a
Christian's ecstasy without his slavery to rule and custom;

芸術的な興味というよりも歴史的な価値しかないような肖像画は取り除き、青や青銅色の孔雀の羽を一面にちりばめた綴れ織を扉から垂らした。そして、美と平穏に関係のない歴史と活動はすべて生活から閉め出してしまった。そうして私は、クリヴェルリの絵を眺め、そのあまりに繊細で緻密さゆえに、一輪の花というよりは一つの思想ではないかと思われるような、聖母マリアの手の中にある薔薇に思いを馳せるとき、また(ピエロ・デラ・)フランチェスカの絵に描かれた灰色の夜明けや恍惚とした表情を見たとき、それらすべてが、規則や習慣に囚われないキリスト教徒たちのエクスタシーであることを知るのだった。

聖母マリアが持つ薔薇が一つの思想であると言っているところが面白いですね。

そしてイェイツは、錬金術についてこのように語ります。

As I thought of these things, I drew aside the
curtains and looked out into the darkness, and it seemed to my
troubled fancy that all those little points of light filling the sky
were the furnaces of innumerable divine alchemists, who labour
continually, turning lead into gold, weariness into ecstasy, bodies
into souls, the darkness into God; and at their perfect labour my
mortality grew heavy, and I cried out, as so many dreamers and men of
letters in our age have cried, for the birth of that elaborate
spiritual beauty which could alone uplift souls weighted with so many
dreams.

こうしたことを考えながら、私はカーテンを開け、外の暗がりを見つめた。私の波立つような夢想の中で、夜空を満たす小さな光の点がすべて、無数の神聖な錬金術師の炉のように思われた。錬金術師たちは、鉛を金に、倦怠を恍惚に、肉体を魂に、暗闇を神に変えようと、絶えず努力している。そうした彼らの完璧な仕事ぶりを見ると、やがては滅びる運命にある自分の存在がひどく重く感じられた。そして、同じ時代の大勢の夢想家や文学者が、多くの夢を負って重くなった魂を高揚させる唯一のものである、精緻な霊的な美の誕生を求めて叫んだように、私も叫び声を上げるのであった。

イェイツの言う錬金術とは、金属としての黄金をつくるのではなく、魂を揺さぶる永遠不滅の美を作り出すことであることがわかりますね。その目指すものが「錬金術の薔薇」というわけです。

どうやったら魂を揺り動かすような陶酔を得ることができるのか、イィエツはもがき、あるいは夢想します。その夢想は、イェイツの家の扉を叩く大きな音で破られます(セクション2)。扉の向こうには、マイケル・ロバッツが立っていました。
(続く)

薔薇シリーズ83 「いい言葉(4335)」

▼イェイツと薔薇十字
イェイツの詩に出てくる薔薇で厄介なのは、イェイツ自身が「黄金の夜明け団」という秘密結社の幹部であったため、その象徴でもある薔薇が何かの暗号か、秘密のメッセージではないかとつい思ってしまう点です。少なくともイェイツの頭の中に、「黄金の夜明け団」がその流れを汲むという「薔薇十字団」の存在があったことは間違いないでしょう。

薔薇十字団は17世紀に登場した謎の秘密結社です。当時出版されたいくつかの著作によると魔術を信奉する団体のように描かれていますが、実はこれはすべてフィクションで、実在しなかったのではないかともみられています。

その薔薇十字団のシンボルとされるのが、十字架の中央に(赤い)薔薇をあしらった薔薇十字です。赤い薔薇は女性を、十字架は男性をそれぞれ表し、同時に薔薇は霊的なものの、十字架は人間の肉体の象徴となります。つまり、人間の肉体(十字架)に固定された人間の魂(薔薇)を全体で表しているんですね。

薔薇十字団は架空の結社だったかもしれませんが、そのシンボルと、カバラ的数秘術、魔術、錬金術などの理念・思想は「黄金の夜明け団」に受け継がれました。そのため、イェイツが「不滅の薔薇よ」などと呼び掛けると、どうしても秘密結社の魔法の呪文のように聞こえてしまうわけです。

ついでに、この薔薇十字の原形であったともいえる「ケルト十字」についても触れておきましょう。十字架の中央に円が描かれたシンボルですね。この起源には諸説があり、キリスト教徒がケルトの地を支配したときに、異教徒のケルト人をキリスト教に改宗させるために、ケルトのシンボルである円環とキリスト教のシンボルである十字架を組み合わせたという説が有力になっています。一方、十字と太陽のシンボルである円環の組み合わせはキリスト教伝来以前からあったという説もあります。

なぜケルトのシンボルが円環であるかというと、ケルトの輪廻転生思想から来ているという見方があります。そう、ケルト人は、肉体が死んでも魂は不滅で生まれ変わるという思想を持っていたんですね。その思想は、ジュリアス・シーザーが紀元前58年から同49年にかけてガリア地方(ケルト人の一派のガリアが住む地方という意味)を遠征したときに自ら記した戦争の記録『ガリア戦記』にも、驚きをもって紹介されています。古代ローマでは、輪廻転生など思いも寄らない異文化の話だったことがわかります。

イェイツは当然、こうしたケルトの思想の影響を受けています。また、19世紀に開花した心霊学にも興味を持ち、1887年にはブラバツキー夫人が主宰する神智学会の会員にもなっています。

イェイツの作品に、円環(輪廻転生)、常若の国(霊界)、魔術(超能力)などが出てくるのは、こうしたケルトの思想と、その思想の延長線上にある秘密結社や心霊学会などの存在があったことは留意する必要があります。それを知って読むと、イェイツの薔薇の世界が少し違って見えてくるのではないでしょうか。
(続く)

薔薇シリーズ82 「いい言葉(4335)」

▼龍と薔薇2(解説編)まずタイトル「The Poet Pleads With The Elemental Powers」から説明します。
この詩の語り手である詩人とは、エイのことです。失われた恋やはかない恋をよく嘆く、イェイツの分身であるエイ。この詩でもなにやら嘆いています。the Elementarl Powersとは、天界における大原動力、すなわち四大(地水火風)の力のこと。plead with~は、「~に懇願する」です。

エイが何を嘆いているかというと、不滅であるはずの薔薇を摘み取られてしまったことですね。実は、この薔薇を摘み取った力というのが、四大の力によって起きる風や波や炎であったと詩人は嘆いているようです。

3行目のthe Seven Lights(7つの光)とは、大熊座の7つ星、つまり北斗七星のことです。そして、問題の極龍ですが、北極星を守るように夜空に横たわる天龍座のことを指しています。

この龍はもともと、ギリシャ神話に出てくる龍で、ヘスペリテの楽園で女神ヘラが大切にしていた金のリンゴの番をしていましたが、英雄ヘルクレスに殺されて金のリンゴを奪われてしまいます。それでも長年リンゴを守ってきた功績により、空に上げられ星座になったそうです。

イェイツはその神話を基にして、夜空の極龍は不滅の薔薇、つまり自分の恋人を守る龍であるという話に仕立て上げます。ところが極龍は、幾重にもとぐろ(rings=環)を巻いていた体を長々と伸ばして、眠ってしまうんですね。エイは、守人であるはずの龍が寝てしまったから薔薇が摘まれてしまったのだと嘆いているのです。一方、北斗七星はエイに同情して、涙を流しながらキラキラと踊るように輝いています。

エイは失った恋にまだ未練があるようです。薔薇を奪った四大の力に対して、薔薇を丁重に扱うように懇願していますね。わからないのは、夜と昼の網を覆い隠せと言っている件です。夜と昼の間にある境目の網のことを言っているのでしょうか。それを覆い隠すということは、夜も昼もない、時間のない世界にするということを言っているように思われます。だとすると、それこそ「不滅の薔薇」の世界なのでしょうね。

そうしたことを念頭に置いて、もう一度この詩を読み返してみてください。不滅の薔薇を夢見ながら、独り夜空を見上げ、取り戻せない恋人のことを思って悲しむエイの心に触れることができるかもしれませんね。

さて、今日の写真です。薔薇を守る龍の写真があれば、一番いいのですが、そのような写真はありません。一番それらしいのは、この写真。

龍と薔薇

桜の木の枝が龍のように薔薇を守っているように見えないでしょうか。
(続く)

薔薇シリーズ81

▼龍と薔薇
次に紹介するイェイツの詩は、さらに神秘の世界へと読者を誘います。龍や宇宙の星々が出てくる壮大なビジョンが眼前に展開します。タイトルは「詩人、天界の四大の力に祈願す」。

The Poet Pleads With The Elemental Powers

The Powers whose name and shape no living creature knows
生きとし生けるものにとって、名前も形もわからない諸力が

Have pulled the Immortal Rose;
不滅の薔薇を摘み取ってしまった。

And though the Seven Lights bowed in their dance and wept,
7つの光は、踊りながら頭を垂れ、泣いたけれども、

The Polar Dragon slept,
極龍は眠り、

His heavy rings uncoiled from glimmering deep to deep:
その重い、いくつもの環は、ほのかに光る深みから深みへとほぐれながら落ちていく。

When will he wake from sleep?
彼が眠りから覚めるのはいつのことか?

Great Powers of falling wave and wind and windy fire,
砕け散る波や風や吹きすさぶ炎を支配する偉大な力よ、

With your harmonious choir
あなたの心地良い聖歌隊とともに

Encircle her I love and sing her into peace,
私が愛する恋人を包み込み、彼女を平安へと誘う歌を歌っておくれ。

That my old care may cease;
そうすれば、私の長年の杞憂も消えるでしょう。

Unfold your flaming wings and cover out of sight
あなたの燃えるような翼を広げ、

The nets of day and night.
昼と夜の網を覆い隠しておくれ。

Dim powers of drowsy thought, let her no longer be
眠たげなる思いの、ぼんやりとした4大の力よ、

Like the pale cup of the sea,
私の恋人をもうこれ以上、海の青白き杯のようにはしないでおくれ。

When winds have gathered and sun and moon burned dim
雲たなびく空の縁の上に、風は集い、

Above its cloudy rim;
太陽と月はおぼろげに燃える。

But let a gentle silence wrought with music flow
せめて、妙なる調べで織りなした優しい静寂を、

Whither her footsteps go.
彼女の足が進む彼方へと流させたまえ。

不思議な、神秘的な詩ですね。外出しますので、解説と写真は後ほど。
(続く)

薔薇シリーズ80 「いい言葉(4335)」

▼神秘の薔薇2
昨日紹介した「秘密の薔薇」の後半です。神秘の薔薇の大いなる花びらが包み込むものは何かという内容の続きになります。そこに登場するのは、ほとんどがアイルランドの神話上の人物です。イェイツ自身による注釈なしには、読み解けない物語がここにはあります。

・・・・and him
Who met Fand walking among flaming dew
そして、風が決して吹かない灰色の岸辺で、

By a grey shore where the wind never blew,
燃えるように輝く露の中を歩く女神ファンドに出会い、

And lost the world and Emer for a kiss;
一度のキスのために、この世界と妻のイマーを失った男。

And him who drove the gods out of their liss,
そして、砦から神々を追い払い

And till a hundred morns had flowered red
百の朝が赤い花を咲かせるまで宴を催し、

Feasted, and wept the barrows of his dead;
戦いで死んだ仲間の墓に涙した男。

And the proud dreaming king who flung the crown
そして、王冠と悲しみを投げ捨てて、

And sorrow away, and calling bard and clown
森の奥深く、吟遊詩人と道化を呼んで、

Dwelt among wine-stained wanderers in deep woods:
酒に溺れた浮浪者とともに暮らす、夢見る誇り高き王。

And him who sold tillage, and house, and goods,
そして、田畑や家、家財を売り払い、

And sought through lands and islands numberless years,
幾年もの間、諸国や島々を探し回り、

Until he found, with laughter and with tears,
ようやく、輝けるばかりに美しく、

A woman of so shining loveliness
その巻き毛、掠め取ったわずかな巻き毛さえあれば、

That men threshed corn at midnight by a tress,
真夜中に脱穀ができるほどに輝いた女性に

A little stolen tress. I, too, await
涙と笑いの中でめぐり会えた男。私もまた、

The hour of thy great wind of love and hate.
あなたの大いなる、愛と憎しみの風が吹く時を待っています。

When shall the stars be blown about the sky,
鍛冶場で飛び散る火花のように、星々が

Like the sparks blown out of a smithy, and die?
夜空に砕け散るのはいつのことだろうか?

Surely thine hour has come, thy great wind blows,
本当に、あなたの時が来て、あなたの偉大な風が吹くことがあるのだろうか?

Far-off, most secret, and inviolate Rose?
遥か彼方にある、いと神秘なる、穢れなき薔薇よ

いくつか難解な表現が出てきますね。
女神ファンドに出会い、妻のイマーを失ったという男の伝説は、アイルランドのウルスター神話に出てきます。男の名はクーフーリン。ウルスターの剛勇なる王(武神)です。

彼は魔法の船で「幸福の野」にたどり着き、そこで常若の国から来た女神ファンドに出会います。二人はたちまち恋に落ち、クーフーリンは一年後の再会を約して、ウルスターに戻ります。でも彼には妻のイマーがいたんですね。夫とファンドとの関係を知ることになったイマーは嘆き悲しみます。それを見たファンドは身を引いて、常若の国へと帰っていくという話です。

イェイツはそれをちょっとアレンジして、クーフーリンはイマーを捨てて、この世を離れたかのように書いていますね。あるいはそのようなバージョンの物語もあったのかもしれません。

砦から神々を追い払った男というのは、キールタというフィンヌ族の英雄で、韋駄天のようです。イェイツ本人の注釈によると、キールタの伝説はかつて聞いた話を、記憶を頼りに再構築して、詩の中に取り入れたということです。kissと韻を踏むlissなどという単語も普通の辞書には出てきませんが、注釈にはfort(砦)のことであると書かれています。

そのほか、「夢見る誇り高き王」や「土地や家財を投げ打って美しい女性に出会った男」も、アイルランドの伝説や神話で読んだ人物をモチーフにして、創作した物語であるとイェイツは書いています。

伝説に語られた幾多の者たちを包み込んだという神秘の薔薇。詩人はそれが自分のところにもやって来て、包み込んでくれることを願っていますね。ただし薔薇は、幸福をもたらすだけの「聖なるもの」ではないようです。愛と憎しみの風だと言っていますね。例として挙げられた伝説の人物たちの境遇も、「得たと同時に失った者」「勝利と同時に敗北を噛み締める者」「富めるのに貧しい者たちとともに暮らす王」「諸国遍歴の果てに悲しみと喜びを知る者」といのように、人生の酸いも甘いも知り尽くした人物です。

どうやら「遥かなる神秘の薔薇」には、人間の感情を劇的に揺さぶる力があるようです。あるいは、あらゆる激しい感情を優しく包み込む力があるのでしょうか。しかも薔薇は、星々を砕け散らせるほどの力を持っているわけですから、宇宙の摂理を司る「聖なるもの」と解釈することもできそうです。

確かにそのような薔薇に、出会ってみたくもありますね。

神秘の薔薇とまではいきませんが、このような薔薇もあります。

神秘の薔薇

イェイツの薔薇の詩はまだ続きます。
(続く)

薔薇シリーズ79 「いい言葉(4335)」

▼神秘の薔薇
次はイェイツの「秘密の薔薇」ですが、非常にキリスト教的で東方の三賢人やキリストの磔のイメージが出てきて、ラテン語のrosa mystica(the mystical rose=神秘の薔薇)を彷彿とさせます。rosa mysticaとは、キリスト教文化ではしばしば聖母マリアのことを指します。それを念頭にお読みください。やはり長いので二回に分けて、解説します。

The Secret Rose

Far-off, most secret, and inviolate Rose,
遥かなる、もっとも神秘的で、穢れなき薔薇よ

Enfold me in my hour of hours; where those
私を包み込んでください、流れ行く時の私の時の中で、

Who sought thee in the Holy Sepulchre,
あなたを聖墓所や酒桶の中に求めし者が

Or in the wine-vat, dwell beyond the stir
敗れた夢の騒乱のかなたに住むところで、

And tumult of defeated dreams; and deep
そして、人々が美と名付けた眠りにより

Among pale eyelids, heavy with the sleep
重くなった、青白いまぶたの奥で。

Men have named beauty. Thy great leaves enfold
あなたの大いなる花弁が包み込むのは、

The ancient beards, the helms of ruby and gold
冠をかぶった東方の賢者たちの老いた白髯と

Of the crowned Magi; and the king whose eyes
宝石をちりばめた兜、そして、釘に貫かれた手と

Saw the pierced Hands and Rood of elder rise
ニワトコの木でできた十字架がドルイドの

In Druid vapour and make the torches dim;
香煙の中に現れ、松明が薄らぐのを見て、

Till vain frenzy awoke and he died; and him
むなしい狂気に駆られて、死んでしまった王。

まだ続きますが、ここで止めましょう。一つの文章が非常に長く、多くのイメージが連続して出てきますね。構文的には簡単で、最初は薔薇に対して包み込んでくださいと呼びかけます。そして、包み込んでもらいたい時や場所が語られますが、注目すべきは酒桶でしょうか。

この「秘密の薔薇」は、詩集『葦間の風』の中では先に紹介した「祝福されしもの」のすぐ後に掲載されていあす。「祝福されしもの」では葡萄酒の赤さに祝福がありましたが、酒桶に薔薇を求めるとは、まさにこのイメージと重なりますね。聖なるもの、祝福、薔薇は同義的に扱われていることがわかります。

次に、薔薇が花びらで包み込むものが語られます。生まれたばかりのキリストを拝むために、ベツレヘムの星をしるべに、多くの宝物を持って東方より来た三人の博士や、キリストが磔にされる場面をドルイド(ケルトの祭司)が焚く煙の中に霊視した王が登場します。

この王とは注釈によると、アイルランド神話に出てくるアルスターの王コノハアのことだそうです。イェイツは伝説のコノハアの死を、キリストの磔刑の悲憤と結びつけて、この詩を作ったようです。

ところでドルイドはケルト語でDaru(ナラの木)とvid(知識)に由来するそうです。「楢(ナラ)の賢者」とは、洒落ています。ナラは文字通り樽にも使われます。イェイツの詩に木の精だけでなく酒や酒樽が出てくるのも、そのせいかもしれません。

明日は後半を解説します。
(続く)

今日の写真は、薔薇と桜の木。

桜と薔薇

薔薇シリーズ78 「いい言葉(4335)」

▼酒と薔薇2
昨日の続きで「祝福されしもの」の後半部分です。今度は薔薇が登場します。

'And which is the blessedest,' Cumhal said,
'Where all are comely and good?
Is it these that with golden thuribles
Are singing about the wood?'

「では皆が見目麗しく、良き人たちばかりならば」
とクーアルは言った。「一番祝福されているのは誰ですか?
黄金の香炉を持ち、森を歌いさまよう
者たちでありましょうか?」

'My eyes are blinking,' Dathi said,
'With the secrets of God half blind,
But I can see where the wind goes
And follow the way of the wind;

「私の眼は光り輝いている」とデェシイは言った。
「神の秘密を湛えながら半ば盲目となりつつも、
しかし私には、風がどこから吹いているかを見ることもできれば、
風の後を追っていくこともできる」

'And blessedness goes where the wind goes,
And when it is gone we are dead;
I see the blessedest soul in the world
And he nods a drunken head.

「そして風の行くところに祝福があり
風が止むと、私たちにも死が訪れる。
私にはこの世界で最も祝福されたものが見える
酩酊して頭をたれるものが見える」

'O blessedness comes in the night and the day
And whither the wise heart knows;
And one has seen in the redness of wine
The Incorruptible Rose,

「ああ、祝福されしものは、夜となく昼となく現れる
どこに現れるかは、賢き心が知る。
ワインの赤さの中に祝福を見出すものもいる、
あの朽ちることのない薔薇に」

'That drowsily drops faint leaves on him
And the sweetness of desire,
While time and the world are ebbing away
In twilights of dew and of fire.'

薔薇はその人の上に色淡き葉と、
欲望の甘き香りを落とす。
一方、時とこの世界は、
露と炎のたそがれの中で、衰え消えていくのだ。

ここで詩は終わります。この世界で一番祝福されているものは誰かとのクーアルの質問に対して、木の精、もしくは賢者であるデェシイは、すべて風の吹くところはどこも祝福されていると答えます。おそらく風は生命の息吹のこと。賢者は、生きていることが実は祝福であるのだと説いているようでもありますね。

my eyes are blinkingは、そのまま訳すと「私は目をしばたたかせている」となりますが、blinkは眼の中の輝きと解しました。何しろ神の秘密を湛えているわけですから、まばたきではイメージが合いません。デェシイが木であるとすると、木漏れ日のきらめき、あるいは、緑の葉に反射する太陽の光、ということになるでしょうか。木であるなら、「半ば盲目」という説明にも納得してしまいますね。木は目が見えなくても、風の行方を知ることができます。

その賢きものが知るという「祝福」が、酔っ払いが見る葡萄酒の赤さの中にあるというのも面白いですね。ここでやっと薔薇が出てきます。永遠の美しさ、祝福の象徴としての赤い薔薇です。その薔薇の祝福の中にいる間だけは、時間は止まったようになります。心の欲するままに生きる甘美な世界――幸福は熱中や没頭の中にあるということでしょうか。だけどその間にも、外の世界では時が進み、衰退への道を歩むのだと賢者は言っていますね。ここにも、イェイツがよく描く、この世とあの世の世界の対比があるように思われます。そのようなことを踏まえながら、前後半を通してお読みください。偶数行で脚韻を踏んでいますが、blindとwindだけは正しく韻を踏んでいません。もしかしたら、windを[waind]と読ませたのかもしれません。

ところで、私もよく葡萄酒を飲みます。これからは、光にワインレッドを透かし、祝福を感じながら飲ませていただくことにいたしましょう。

今日の薔薇は、房咲きの赤い薔薇。

祝福

たくさん祝福されているように感じますね。

明日は「秘密の薔薇」です。
(続く)

薔薇シリーズ77 「いい言葉(4335)」

▼酒と薔薇1
薔薇シリーズの再開です。

木

イェイツの詩はいよいよ、神秘的、夢幻的になっていきます。
登場人物も、アイルランドの神話や伝説に出てくる神や精霊や英雄や賢者であったりします。
次に紹介する「祝福されしもの」も同様です。長いので二回に分けて解説します。

The Blessed

Cumhal called out, bending his head,
Till Dathi came and stood,
With a blink in his eyes, at the cave-mouth,
Between the wind and the wood.

クーアルは頭(こうべ)をたれて、呼んだ。
すると、洞窟の入り口に、
風と森の間から抜け出たように
デェシイが現れて、目をきらめかせて立っていた。

And Cumhal said, bending his knees,
'I have come by the windy way
To gather the half of your blessedness
And learn to pray when you pray.

そしてクーアルは、跪いて言った。
「私は風が吹きすさぶ道をやって来ました。
あなたの祝福の半分でも得られればと、
そしてあなたの祈り方を学ぼうと思って」

'I can bring you salmon out of the streams
And heron out of the skies.'
But Dathi folded his hands and smiled
With the secrets of God in his eyes.

「私は川から鮭を、空から鷺を
獲ってくることができます」
しかしデェシイは、腕を組んだまま笑っていた。
目には神の秘密を湛えていた。

And Cumhal saw like a drifting smoke
All manner of blessed souls,
Women and children, young men with books,
And old men with croziers and stoles.

そのときクーアルの眼前に、漂う煙を見るように、
祝福された魂のすべての様子が現れた。
その中には、女性、子供、本を読む若者、
杓杖(しゃくじょう)を持ち、ストールを羽織った老人もいた。

'praise God and God's Mother,' Dathi said,
'For God and God's Mother have sent
The blessedest souls that walk in the world
To fill your heart with content.'

「神と聖母を褒め称えよ」とデェシイが言った。
「というのも神と聖母は、この地上に
最も祝福された魂たちを送られたのだから
あなたの心を満たすために」

ここまでが前半です。薔薇はまだ出てきませんが、いくつかの面白い現象がここで語られていますね。一番印象深いのは、クーアルの眼前に煙のスクリーンが現れて、祝福された者たちの映像が見えたかのように描かれていることです。霊視とまったく同じ現象ですね。デェシイがクーアルにそのようなビジョンを見せたのでしょうね。只者ではありません。一体何者でしょうか。

そこでアイルランドの神話をインターネットで調べてみました。すると、デェシイの木というのが出てくるんですね。どんな木かというと、トネリコの一種であり、655年にキリスト教がアイルランドの地を支配した際に象徴的に切り倒された5本の魔法の木のうちの一本であるとの記述があります。また別の記述では、デェシイの木は詩人の「ミューズ神」そのものであり、ケルト神話の中に出てくる伝説の森で最後に倒されたとも書かれています。

非常にシンボリックな木です。イェイツは魔法の木であるデェシイを擬人化して、詩の中では賢者のように描いていることになりますね。そう言われてみれば、風と森を強調する描写の理由もわかってきます。それに魔法が使えるわけですから、クーアルの眼前のスクリーンにビジョンを見せることなど訳はなかったことでしょう。

一方、クーアルは何者でしょうか。同様に調べてみました。クーアルはおそらく、キリスト教がアイルランドを支配する前の騎士もしくは猟師をモデルにしているのではないかと思われます。3世紀ごろのアイルランドを描いたとみられる「フィアナ伝説」の中にそれらしき人物が出てきます。川から知識の鮭フィンタン(Fintan)を捕まえる話も出てくるので、まず間違いないでしょう。ただしイェイツの『秘密の薔薇』の中には、修道院で十字架に磔にされる吟遊詩人クーアルの話もありますので、あくまで伝説上の人物をモチーフにしてイェイツが創作した人物であるとも言えます。

これで状況がなんとなく飲み込めましたね。宿題はそのまま生きていますので、後半はご自分で・・・・・・というのは嘘で、後半は明日のブログで解説します。
(続く)

今日の写真は、詩の中に薔薇が出てこなかったので、魔法の木とも言える生きた化石メタセコイアです。

メタセコイア

すっかり葉が落ちて、丸裸。
冒頭の写真も同様です。

正月の風景 「今日の出来事(966020)」

1月2日、3日は神代植物公園で新春コンサートをやっていると言うので、行ってきました。

今日は快晴で素晴らしいお天気です。

大木

上を見上げると、すっかり葉を落とした大木が青空に向かって伸びています。

バラ園を通ると、何本か綺麗に咲いている薔薇が・・・

薔薇

今日一番美しく咲いていた薔薇。まさに「今日の薔薇」ですね。

さて、園内のコンサート会場に到着。

演奏者は「カート&ブルース」。箏と尺八を演奏するアメリカ人の二人組です。

演奏

2年前にコンビを結成しましたが、単独ではそれぞれ20年近く筝と尺八を演奏しているとのことです。日本滞在暦も長いです。コンビとしては今度初めて「海外ツアー」(つまり凱旋帰国コンサートですね)を敢行、アメリカとカナダで演奏するのだと言っておりました。カートさんはもともとはピアノ奏者、ブルースさんはフルート奏者だったそうです。「春の海」「千鳥の曲」など日本の伝統曲のほか、自分で作った曲も演奏しておりました。

そしてお正月の風景で欠かせないのが、これです。

バラ園と富士

バラ園の向こう、温室と林の間に何か見えますね。

富士山

そう、富士山ですね。
唯一、この角度からしか見えません。
神代植物公園に来た人も、ほとんどの人が気づかずに帰ってしまいます。
今度行かれたら、見えるかどうか、お試しください。
午後はかすんでしまうことが多いので、午前中がお勧めです。

蝋梅も咲いていましたよ。

蝋梅

芳しい香りをお届けできないのが残念です。

神代植物公園のお正月の風景でした。

プロフィール

白山菊理姫竹内文書

Author:白山菊理姫竹内文書
FC2ブログへようこそ!



最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR