白山神社と酒垂神社と巨大土器 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154169)」

宇出津にある3つの神社のうち、二つの神社を訪れました。

まずは白山神社

白山神社

実は能登には多くの白山神社があります。インターネットで調べたところ、全国約3000社といわれる白山神社のうち、石川県には156社あるとされています。ちなみに一番多い県は岐阜の525社だそうです(参考:岐阜県 525 福井県 421 新潟県 232 愛知県 220 石川県 156 ・・・東京40・・・)。

しめ縄

立派なしめ縄ですね。

階段を上って本殿へ向かいます。

龍さんがいますね。

龍

そのそばには変わった岩が埋まっていたので、写真撮影。

岩

社殿。

白山神社

本殿そばから、宇出津の港を望みます。

宇出津

いい景色ですね。

次に訪れたのは、酒垂神社。白山が宇出津の東の神社とすれば、酒垂神社は西の神社です。

酒垂神社

この神社も急な階段を上ります。

社殿です。

酒垂神社

宮司さんは能登の伝説にも詳しいと聞いていたので、会いたかったのですが、あいにく留守のようでした。

これは神社の由来が書かれた案内板。

案内板

この神社が最初に創られたのは平安時代の初め。その昔、酒樽に乗ってこの地に立ち寄った神が祀られているそうです。酒垂の宮とも酒垂明神とも呼ばれています。いわゆる漂着紳を祀った神社ですね。南方や大陸からやって来た人々が新しい技術や知識をもたらし、ありがたがられたのが、背景にあるのではないかと思います。

宇出津の西のはずれには、変わったものが展示されています。

これがその写真。

縄文土器

縄文土器のモニュメントですね。
真脇遺跡から出土した土器をモデルに町民が製作したそうです。高さ4・5メートル、重さ5トンはギネスブックが公認する世界一の縄文土器だとか。

宇出津を後にして、蝦夷穴古墳がある能登島へと向かいます。
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海の見える風景5 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154169)」

遠島山公園

朝早く目覚めてしまったので、二日目は午前8時には宿を出ました。
向かったのは車で5分ほどのところにある遠島山公園。羽根の隣町である宇出津にあります。

海に突き出た岬全体が公園になっているんですね。

海が見えます。

遠島山公園

この公園には散策コースや美術館などがあり、ちょっとした能登の穴場になっているようです。

海

これは羽根万象美術館。

美術館

日本画のコレクションを展示しているようですが、朝早すぎたのでまだオープンしていませんでした。

海沿いの散策コースを進むと、宇出津の港が見えます。

宇出津港

この辺りから、魚影がないか見張っていたそうです。

海

捕鯨なども行われていたと書かれていました。

湿気があるので、キノコもたくさん生えています。

キノコ

キノコの楽園のようなところです。

下へ降りる道があります。降りていくと・・・

隠し港

舟隠しと呼ばれる入江です。

隠し港

ちゃんと小舟が隠されていました。軍事的に軍船を隠すのに使われたと書いてありましたが、台風など嵐があったときの避難港にもなりそうです。

反対側を振り向くと、花菖蒲園になっていました。

菖蒲

もちろん今は咲いていません。おや、遠くにつり橋が見えますね。

そのつり橋に到着。

吊り橋

吊り橋から、菖蒲園と舟隠しを望みます。

菖蒲園

公園の先端からの眺望もいいですよ。

リアス式海岸

東の羽根の方角を撮影したものですが、リアス式海岸になっていることがよくわかりますね。

次は、宇出津にある二つの神社を紹介します。

雨に煙る宝立山 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154169)」

宝立山山頂へは、車ですぐそばまで簡単に行ける・・・はずでした。

ガソリンスタンドで詳細な地図を書いてもらい、これなら間違えないだろうと山頂を目指しました。ところが、かなり山道を登ってきたときです。なんと教えてもらった道が落石のために途中で通行止めになっていました。

さっきまで晴れていた天気も急に悪くなり、雨が降り出す始末です。

だれも訪ねて来ないような狭い山道で右往左往していると、幸いなことに木の実拾いに来ていた人に出会いました。その人に迂回路を聞いて、再び山頂を目指します。

迂回路もいい道ではありませんでしたが、慎重に運転しながらようやく山頂付近に到着。

ちょうど案内板があったので確認すると、どうやらこれが宝立山のようです。

宝立山

藪を押し分けて登っていくと、三角点がありました。

三角点

後で知ったのですが、宝立山は三つの峰からなるそうです。宝霊山、丸山、黒峰山で、三角点のあるのは丸山だったようです。

山頂近くからの景色です。

景色

雨で煙っていますが、見晴らしがよければ、日本海と北アルプスが見えるそうです。この場所を始点にして羽根ラインが南へと引かれたのかもしれませんね。

帰るときに再び道に迷いますが、無事に下山。

この日は羽根にある国民宿舎「能登うしつ荘」に泊まりました。

すっかり日が暮れています。

夕暮れ

ちょっと高台にあるので景色がきれいです。

疲れていたので、午後10時には就寝。羽根に泊まれば、夢の中で前世が出てくるかもしれませんね。

しかしその後約8時間、一度も起きずに眠り続け、朝起きたときには、それまで見た夢もすべて忘れていました。
(続く)

真脇遺跡 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154169)」

お魚土器、鳥さん土器・・・
シャロアヤたちがいったい、いつごろ日本にやって来たのかは、わかっていません。仮にTさんのチャネリングが真実だとすると、今から5000年前、縄文時代の前期ということになりますね。

そうであるならば、羽根海岸のそばの縄文遺跡に何らかの手がかりがあるかもしれません。

そこで真脇遺跡に行くことにしました。真脇遺跡は、縄文時代の前期初頭(約6000年前)から晩期終末(約2300年前)までの約4000年間も繁栄を続けた長期定住型集落遺跡です。ちょうど私が富山支局にいた1982~83年に発見され、メディアでも大々的に取り上げられた遺跡です。

真脇遺跡

この山の麓にあります。

真脇遺跡

青いビニールシートがかけられているところです。

真脇遺跡

近づいてみましょう。

真脇遺跡

現在は、発掘はお休み中です。

敷地の中には縄文館があり、真脇及び周辺で発掘された縄文時代の出土品が展示されています。

その中で目を引いたのは、まずはこれです(資料館内は撮影禁止なので、写真はすべて「能都町の文化財」に掲載されている写真を接写しています)。

お魚さん土器

5000年以上前の縄文前期後葉の土器で、「お魚土器」という愛称で呼ばれています。なぜお魚かというと、口縁部の出っ張ったところが、魚の口のように開いていて、写真ではよく分からないかもしれませんが、その「口」のそばに目のような丸い模様が刻まれているからです。

素晴らしいデザインですね。単なる想像ですが、この袋状になった「口」のところに縄をかけバルーンにつなげば、気球のかご(ゴンドラ)に早変わりします。実際、中期(約4000~5000年前)の土器には、口縁部に穴があいた有孔土器が多く見つかっています。4箇所ぐらいの穴に縄を通して吊るしていたことは間違いないようですね。

次に紹介するのは、こちら。

鳥さん土器

鳥さん土器」と呼ばれる縄文中期前葉(約4500~5000年前)の土器です。茶碗ぐらいの浅鉢に鳥さんの顔の装飾が施されています。鳥といえば、羽根、大空、飛翔のイメージに結びつきますね。羽根ラインや気球と関係があるのでしょうか。少なくとも、この時代の人々が鳥に親近感をもっていたことは確かです。

ほかに気になったのは、「トーテムポール」と土製仮面です。

真脇資料館

上の写真で左に写っているのが「トーテムポール」で右が土製仮面です。

トーテムポール」は縄文前期(5000~6000年前)の彫刻柱で、全長252センチ、直径45センチのクリの丸太に彫刻が施されています。祭祀に使われたとみられます。トーテムポールというと、北米のインディアンのものかと思っていましたが、日本の縄文時代にもそれに近いものがあったのですね~。凄いです。

土製仮面は縄文後期前葉(3500~4000年前)のものです。奇しくも今朝、朝日新聞などに「日本最古の木製仮面」が奈良県の纏向遺跡で見つかったという記事が載っています。それは三世紀前半の弥生末期のものですが、土製の仮面はそれよりも約2000年も古いんですね。能登の内浦町や輪島町では今日でも「アマメハギ」「面様年頭」といった仮面行事が行われているそうですが、縄文時代から同じような儀式や祭りがあったのかもしれません。縄文時代の人々が精神的に非常に豊かな人たちであったことが分かりますね。

次は、羽根海岸の真北にある宝立山山頂に向かいます。

海のある風景4 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154167)」

羽根海岸
私の退行催眠の中でシャロアヤたち一行が上陸したのが、この海岸です。

羽根海岸

羽根海岸――。羽根ラインの北の端となります。たぶん測量の始点は、この海岸の真北にある宝立山だと思います。

鳥居

羽根八幡神社の鳥居はまっすぐ南の海の方を向いています。

鳥居

そうです。この海の向こうの南中線上に、呉羽山と富山市の羽根、さらには位山、岐阜県萩原町の羽根、愛知県岡崎市の羽根、渥美半島の赤羽根が連なっているわけですね。

羽根

さすがに六〇キロも離れた対岸は見えませんね。ただし、晴れた日には北アルプスの山々が霞んで見えます。案内の看板にあった写真を写したのでぼやけていますが、こんな感じです。

北アルプス

こちらの案内板には、羽根の由来が書いてあります。

案内板

地元の漁師の若者と天女の悲恋を伝える弁天島伝説に由来する、と書かれています。
その伝説によると、若者の妻となった天女が嵐で遭難した若者を救うため、海に身を投げ、自分の命と引き換えに若者の命を救いました。助かった若者が打ち上げられたのがこの羽根海岸で、若者と一緒に天女の羽衣も流れ着いたことから羽根と名づけられたそうです。

羽根海岸のすぐそばには弁天島があります。

弁天島

さて、私はしばらく羽根海岸を歩いてみました。何か思い出すかもしれませんからね。

能登 184.jpg

でも実は、運転する車から外の景色を見ただけで、前世で私が居たのはこの場所であることはわかっていました。陸地の迫り具合や見晴らし、その雰囲気が退行催眠で感じたのと同じです。逆に言うと、だから退行催眠の中でも羽根海岸であるとわかったのです。既に二度、羽根にはドライブで来ていましたからね。今回が今生で三度目の羽根です。

ここはたぶん、私が気球を見上げていた場所。

羽根

この木が生えている辺りです。

さらに海岸をぶらぶらします。

羽根海岸

海岸には海草が打ち上げられています。

海草

なぜか、おいしそうだなと思ってしまいました。

鳥さんも浮かんでいますね。

鳥

ほとんど波がなく、まるで湖のようですね。

流木の上に座り、心を沈めて、何か浮かんでこないか試してみました・・・。

・・・何も浮かんできませんね。それより日差しが急に強くなって、それどころではありません。日影に退散しました。

神社は小さいものでした。

羽根八幡神社

能登半島では、海に向かっている神社は、漂着神を祀った神社である可能性が強いそうです。弁天島伝説に出てくる羽衣は、空を飛ぶためのもの。そこには、はるか遠い故郷のイメージと空のイメージがあります。遠い昔に気球(天空浮船)に乗ってやって来た人たちをこの場所に祀っているのかもしれませんね。

薔薇シリーズ15 「いい言葉(4335)」

ローズ座と「薔薇の匂い
ローズ

シェークスピアはローズ座(劇場)とも関係がありました。ローズ座などというと薔薇族専門の劇場やポルノ映画館を想像してしまいます(失礼!)が、イギリスではエリザベス朝演劇において一時代を築いた、当時としては革新的な劇場でした。俳優兼劇作家であったシェークスピアはその劇場で俳優として演じたり、初期の作品である『ヘンリー6世(パート1)』を発表したりしたとされています。

ローズ劇場は1587年、売春宿や見世物小屋が立ち並ぶ、ロンドン・テムズ川南岸のバンクサイド地区に建てられました。当時ロンドンでは五番目の演劇専門劇場で、バンクサイド地区では初めての劇場でもありました。ローズ劇場は興行的に成功を収めますが、ローズ劇場の成功に刺激されて他の劇団や劇場が続々と誕生。新興勢力に押されたローズ劇場は1606年までには完全に廃業に追い込まれ、地図からも消えてしまいます。

代わって台頭したのが、1599年にできたグローブ座でした。そのころまでにはシェークスピアもグローブ座に移籍、名作を次々に世に出して劇作家としての名声を不動のものにしました。この大物の「移籍」に関してはどのような取引があったのかわかりませんが、いろいろな策略や陰謀があったのではないかと、つい勝手に想像してしまいます。

さてここで、このシリーズの最初に紹介した『ロミオとジュリエット』のバラに話は戻ります。忘れた人のためにもう一度掲載します。

What's in a name? That which we call a rose
By any other name would smell as sweet;

なぜ、この有名なジュリエットの独白を再掲したかというと、実はこのroseとはローズ座のことではないかという珍説があるんですね。その説によると、実は当時、ローズ座はグローブ座などと比べて、衛生面で問題があった。つまりトイレの匂いがしたというのです。そして当時、誰もがそれを知っていた。

すると、ジュリエットのセリフは、次のように観客に聞こえることになります。

「名前が何だって言うの? 私たちがローズと呼んでいるもの(劇場)だって、どんなに美しい名前をつけようとも、同じような甘美な(トイレの)匂いがするでしょ」

観客は大爆笑したでしょうね。シェークスピアの悪ふざけもいいところです。このように演劇は、観客の知識や理解度によって、喜劇が悲劇になったり、悲劇が喜劇になったりする可能性もあるわけです。もっともこの珍説は、大衆伝説のようなもの。学界で定説になっているわけではありません。

その「甘美な香り」のするローズ劇場ですが、17世紀初めに姿を消した後、何と1989年に保存状態のよい遺跡として沈泥層の中で発見されました。「英演劇史上もっとも興奮する発見」です。その後、映画『恋に落ちたシェークスピア』でローズ座が再び脚光を浴びたこともあり、遺跡は保存され、一般にも公開されているそうです。
(続く)

海のある風景3 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154165)」

曽々木海岸は能登半島の外浦(日本海側)ですが、次に紹介する恋路海岸は内浦(富山湾側)になります。内浦になると、波が穏やかです。

恋路海岸

恋路海岸などというとロマンチックですが、その由来は悲恋物語です。

約700年前、木郎の里の助三郎と、多田の里の鍋乃は、人目を忍んでこの浜で逢瀬を重ねていました。真っ暗闇の中での逢引きは、鍋乃のともす灯だけが頼りです。ところが、鍋乃に横恋慕した源次は二人の仲をねたみ、鍋乃を閉じ込めたうえで、灯を崖のはずれに移します。騙された助三郎は誤って海中に没し、帰らぬ人となりました。残された鍋乃も海に身を投げ、助三郎の後を追ったのだそうです。

恋路海岸

このような場所で逢瀬を重ねていたのでしょうか。

恋路海岸

落ちないように気をつけてくださいね。

弁天島が海に浮かんでいます。

弁天島

悲恋を偲んで毎年7月27日に弁天島で行われる火祭りでは、松明が夜の海を赤く染め、幻想的な世界に浸ることができるそうです。

弁天島

次は、この旅の最大の目的地であった羽根海岸です。

海の見える風景2 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154163)」

千里浜の次は、能登半島の曽々木海岸です。

曽々木

野性的な海ですね。

曽々木

この日は祭日だったのですが、やはり人がほとんどいません。
波に洗われ丸くなった石がゴロゴロしています。

山が海岸に迫っている箇所もあります。

曽々木

感じがちょっと、新潟の親不知子不知の辺りに似ています。

曽々木

次の写真は、曽々木海岸の観光名所になっている窓岩です。

窓岩

窓のようになった穴が見えますね。

漁港もあります。

漁港

近くに山へ登る道があったので登ってみました。

いい景色です。

曽々木

登山道の林の間から海が見えます。

曽々木の海

曽々木

先ほどの窓岩も見えますね。

輪島の方向を望みます。

曽々木

曽々木海岸のそばには、有名な千枚田もあります。

千枚田

実際には千六枚あるそうです。この田んぼを耕しているのは実質的に4世帯、一世帯辺り250枚耕していることになりますね。

次は恋路海岸へと続きます。

海のある風景1 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154162)」

今日は薔薇シリーズをちょっとお休みして、去っていた夏を偲びながら海のある風景を紹介します。

海

ちょっと寂しげな海。

海

人もほとんどいません。

海岸

夏が去り、涼しげな海風が吹き抜けていきます。

カモメの死骸

写っているのは、カモメの死骸です。

そのようなガランとした海岸ですが、自転車で乗りつけた人が、波打ち際で何かやっていますね。

自転車

こちらでもやっています。

子供

子供たちです。足元に何かあるようですね。ツイストのようにして、足で砂を掘っています。何をしているのか、聞いてみました。

すると・・・

ハマグリ

潮干狩りでした。この時期に貝を採っていたんですね。

ハマグリ

地元の人に聞いたら、茶色っぽいのが朝鮮ハマグリ、白っぽいのが土着のハマグリだそうです。朝鮮ハマグリは放流しているそうです。ただし採ってもいいのは、直径3・5センチ以上のハマグリだとか。

5月ごろから7月ごろにかけては、何千人もの人がこの海岸に潮干狩りに来るのだと言っていました。

千里浜

石川県の宝達山麓にあるモーゼの墓(!)を訪れた後に立ち寄った千里浜です。砂の上を車で走ることができる渚のドライブウエーで有名ですね。24年ぶりの再訪でした。
(続く)

薔薇シリーズ14 「いい言葉(4335)」

クレオパトラと薔薇
薔薇

エジプトのクレオパトラがバラ好きであったことは、よく知られています。ローマの将軍シーザーやアントニウス(アントニー)を迎えたときには、宮殿全体をバラで飾り、廊下にはバラの花びらを20センチほど敷き詰めたとも伝えられています。

絶世の美女とされるクレオパトラですから、シェークスピアの『アントニーとクレオパトラ』にもバラがたくさん出てくるのかと思ったら、そうでもないんですね。読み進んでもなかなかバラが出てこない。もちろん、舞台監督によっては舞台をバラで飾る場合もあるでしょう。しかし戯曲を読むかぎり、バラのバの字も出てきません。

シェークスピアがわざとバラを出さないようにしたのかなと思っていたら、第三幕にようやくバラが登場しました。アクティウムの海戦でローマ軍と戦っている最中に敵前逃亡したクレオパトラとアントニー。その敗北に落胆しているクレオパトラのもとにローマから使者が来ます。そのときにクレオパトラは次のように言います。

Cleopatra
What, no more ceremony? See, my women!
Against the blown rose may they stop their nose
That kneel'd unto the buds.

ceremonyは礼儀、作法という意味ですね。クレオパトラはローマからの使者が一人だけだと聞いて、失望したようです。my womenは侍女たち。the blown rose は「咲いてしまったバラ」、つまりアントニウスのものになってしまったクレオパトラのことですね。stop one’s nose という慣用句はありませんが、stop one’s earsという慣用句が「耳をふさぐ」という意味であることを考えると、「鼻を覆う」とか「嗅ぐのを止める」という意味になると思います。最後の行のthatはtheyを修飾しています。kneel'dはkneeled ですね。the budsは蕾(つぼみ)ですが、処女、もしくは誰の男のものでもない女性を指すでしょうか。roseとnoseは韻を踏むのによく使われます。言葉にリズムが出てきますね。

クレオパトラ
えっ、儀礼はそれだけか! そらご覧、侍女たちよ!
蕾にはひざまずいた者たちも、咲いてしまったバラの前では香りを嗅ごうともしないようだ。 

バラの芳香をこよなく愛し、花弁から抽出したローズ・オイルで肌の手入れを欠かさなかったというクレオパトラにとって、その香りを無視されることは屈辱以外のなにものでもなかったでしょう。敗戦が決定的となり、アントニーも亡くなった後、ローマの囚われの身になるよりはと、毒蛇に胸を咬ませて自殺しました。

バラとは縁の深いクレオパトラですが、クレオパトラという名のバラは聞いたことがありません。バラの名前としては、ノーブル・アントニー(Noble Anthony)が有名ですね。なぜノーブル(気高い)と言われるかですが、これもシェークスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』から来ています。シーザーが暗殺された後、その棺を前にアントニーが演説します。そのときの演説に感銘した市民が”most noble Antony!”などと口々に叫びます。その有名な演説については、またの機会に紹介したいと思います。
(続く)

薔薇シリーズ13 「いい言葉(4335)」

女はバラ

女は薔薇

シェークスピアの戯曲に出てくるバラは、どちらかというとはかないもの、むなしいもののたとえとして出てくるケースが多いように思われます。『ハムレット』の「五月のバラ」もそうですし、これから紹介する『十二夜』に出てくるバラも、まさにはかなさの象徴です。

密かにオーシーノ公爵に恋心をもつヴァイオラが、男装して女であることを隠したままオーシーノと男女の恋愛について会話をする場面です。オーシーノは、女が若いほうが夫婦仲はうまく行くとした上で、ヴァイオラ扮するシザーリオに若い女を恋人にしろとアドバイスします。

ORSINO
Then let thy love be younger than thyself,
Or thy affection cannot hold the bent:
For women are as roses, whose fair flower,
Being once display'd, doth fall that very hour.

thy とthyselfはyou、yourselfであることはもうご存知ですね。二行目のorは「さもないと」という意味です。bentは傾向、hold the bentで「その傾向を保つ(保持する)」となります。三行目のforは「というのも~」と理由を説明するときに使います。whoseは関係代名詞でrosesを修飾して今すね。4行目のdoth はdoの三人称単数形。thatは副詞的に使っています。that very hourでat that very moment(hour)と同じで「まさにその瞬間に」という意味です。flowerとhourで韻を踏んでいますね。

オーシーノ
ならば、お前は年下を恋人にするがよい。
でないと、お前の愛も長続きはするまい。
女はバラのようなものだからな。ひとたび
美しい花を咲かせたら、その瞬間に散っていくのだ。

ヴァイオラはオーシーノに同意します。

VIOLA
And so they are: alas, that they are so;
To die, even when they to perfection grow!

so they are のsoはas rosesを指しますね。二行目のto dieはrosesを説明しています。to perfectionは副詞のperfectlyと同じで、「完全に」とか「申し分なく」という意味になります。soとgrowで韻を踏んでいます。

ああ、そうなのです。悲しいことに、やっと見事に咲いたと思ったら、その瞬間に死んでいくのです!

この男尊女卑ともいえるシェークスピアのセリフに、異論を唱える方もいるのではないかと思います。あるいは、その通りだと全面降伏されるでしょうか。

バラは、花が散ってもバラ。バラが生きた経験は年輪に刻まれ、より味わい深くなる。枯れていく花を愛でる詩人は出てこないのでしょうか。

愛でてこそいませんが、小野小町は色あせていくゆく花をモチーフに、味わい深い歌を残しましたね。そうです、百人一首に入った、あの有名な歌です。

花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに

(長雨が続き桜の花の色もすっかり色あせてしまった。私自身も、いろいろと物思いに耽って、人生をむなしく過ごしているうちに、すっかりふけてしまったなあ)

若きヴァイオラにはない味わいが、ここにはありますね。
(続く)

薔薇シリーズ12 「いい言葉(4335)」

おお、五月のバラよ!

バラ

シェークスピアの『ハムレット』に登場するオフィーリアも、後にバラの名前になりました。それは次のフレーズがあるからです。

O rose of May!
Dear maid, kind sister, sweet Ophelia!

おお、五月のバラよ!
愛しい乙女、優しい妹、かわいいオフィーリア!

ただし、これは愛を告白したときのセリフではありません。恋人ハムレットから冷たくされた挙句に、父親までハムレットに殺されたことを知ったオフィーリアは気が触れてしまいます。その様子を見た兄レアティーズが嘆き悲しむ場面です。
セリフは次のように続きます。

O heavens! is't possible, a young maid's wits
Should be as mortal as an old man's life?

is't はis it。Is it possible で「~のようなことがあってもいいのか」となります。wits は複数形で「健全な精神状態」とか「正気」という意味。

おお、神よ! うるわしい乙女の心が、
老人の命のようにはかなくていいのか?

バラは美しさや華やかさの象徴ですが、レアティーズは、五月のバラを美しくもはかないものにたとえていますね。

『ハムレット』には女性に関する名言・至言がたくさん出てきます。

父親を叔父に殺されたことを知ったハムレットが、仇を討つために狂気を装い、オフィーリアにわざと辛く当たります。そのときのセリフが、あの「尼寺へ行け」ですね。

Get thee to a nunnery: why wouldst thou be a
breeder of sinners?

get someone to ~で誰々を~へ連れて行く(来る)の意。 nunneryはカトリック教会の女子修道院のことですが、日本語的にはまさに尼寺となりますね。woudstは願望を表すwould の二人称単数形です。だからwhy would you be ~と同じ。a breeder of sinners(罪人たちの繁殖家)とは強烈な言葉ですね。

尼寺へ行け! 罪深いものたちをこれ以上増やしたいのか?

そして究めつけは、「弱きものよ、汝の名は女!」。
"Frailty, thy name is woman!"

frailtyは「意志の弱さ」。「不貞」という意味もあります。擬人法で、「弱きもの」に呼びかけていますね。父の死後2ヶ月足らずで父の弟と再婚した母ガートルードに対するハムレットの思いが込められています。その思いとは、嘆きと非難でしょうか。

当時、配偶者の兄弟姉妹と再婚することは、近親婚とみなされていたそうです。もちろん、遺伝学的には他人ですが、男女が結婚すると二人は一体になるという旧約聖書の記述が重んじられていたのでしょう。

しかし、時代は変わりました。同性愛者同士でも一部では結婚できるようにもなりました。そして、弱きものが女であるなどとは、ほとんど死語になっているかもしれませんね。

(冒頭の写真はオフィーリアではありませんので、あしからず)
(続く)

天空浮船に乗って 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154161)」

天空浮き船に乗って、下界を見下ろします。

空

ああ、雲海の彼方に陸地が見えますね。雲の層を突き出た山々のようです。
たぶん、こんな感じだったのでしょう。空は全くの別世界です。

雲海

取材のつもりが、ほとんど観光になってしまいました。いずれご報告します。

薔薇シリーズは明日から再開する予定です。

薔薇シリーズ11 「いい言葉(4335)」

バラ戦争

赤と白のバラ

文学が歴史上の事件の名称を決めることがあります。1455~1485年にイギリスの王位継承争いによって起こった、封建貴族同士の内乱であるバラ戦争ですね。その名前の由来は、赤いバラを象徴とするランカスター家と、白いバラを象徴とするヨーク家が中心となって争ったからとされていますが、当時はランカスター家の象徴である赤いバラの紋章はまだ存在しなかったとの説が有力です。

ではなぜバラ戦争と呼ばれるようになったかというと、シェークスピアの戯曲『ヘンリー6世』の中で、劇的効果を高めるために紅白のバラを道具として使ったからなんです。もちろんこれは、シェークスピアの創作でした。

では、その場面をご覧下さい。ロンドンのとある聖堂の庭園で、プランタジネットとサマセットの間で、おそらく些細なことから政治論争が始まります。

PLANTAGENET
Since you are tongue-tied and so loath to speak,
In dumb significants proclaim your thoughts:
Let him that is a true-born gentleman
And stands upon the honour of his birth,
If he suppose that I have pleaded truth,
From off this brier pluck a white rose with me.

sinceは「~なので」。tongue-tied は直訳すると「舌が縛られた」ですが、「ものを言わない」「無口の」という形容詞ですね。二行目のsignificantsは名詞です。たいていの辞書にはsignificantという形容詞しか出ていませんが、意味は「That which has significance; a sign; a token; a symbol.」、つまり兆し、印、シンボルといった(重要な)意味をもったもの。In dumb significantsで「無言の合図で」というような意味でしょうか。「しゃべりたくないのなら、無言の合図で考えを示せ」とは随分勇ましいですね。四行目のstand uponは固く守る。訳は次のようになります。

プランタジネット
諸君は舌が固まり、言葉を発したくないようだから、
無言の合図によって各自の考えを示していただこう。
名門の家に生まれた真の紳士にして
その家門の名誉をなにより重んじられる御仁で、
私の主張に真実があると思われるなら、
私とともにこの枝から白バラを手折っていただきたい。

サマセットもこれに対抗します。

SOMERSET
Let him that is no coward nor no flatterer,
But dare maintain the party of the truth,
Pluck a red rose from off this thorn with me.

Let him pluck a red rose from off this thorn with meという一つのセンテンスですね。一行目のthat以下二行目の終わりまではhimの説明。「~という御仁(him)はバラを手折っていただきたい」ということになります。

サマセット
卑怯者でなく、追従者でもない、
あえて真実を有するものに味方しようという御仁は、
この棘(いばら)から私とともに赤いバラを手折っていただきたい。

この「投票」によって、白のプランタジネットが勝つのですが、サマセットの怒りは収まりません。「血で白いバラを赤く染めてやろう」という主旨の捨て台詞を吐いて、二人の間の亀裂はますますひどくなります。

結局シェークスピアの劇では、この争論が発端となって紅白のバラ戦争へと突入していきます。このシーンがあまりにも印象的だったので、後世の人がバラ戦争と名づけたと考えられています。

そのバラ戦争も30年後、ランカスター家のヘンリー・チューダー(後のヘンリー7世)とヨーク家のエリザベスが結婚して終結します。面白いことに、戦争末期に象徴的な出来事があったと伝えられています。紅白が混じったような色のバラが見つかったというのです。そのバラは内乱終結のシンボルとして「ヨーク・アンド・ランカスター」と名づけられました。

ヘンリー7世も、自分の紋章に白バラと赤バラを重ねたような図案を採用しました。その図案はチューダー・ローズと呼ばれ、現在まで引き継がれているそうです。

(続く=続きは水曜日ごろになります)

薔薇シリーズ10 「いい言葉(4335)」

星の王子と赤い薔薇4
自分の星に残した薔薇がかけがえのない薔薇であることに気づいた王子は、薔薇のもとへ戻る決心をします。ところがその戻り方が、毒蛇にかまれて肉体的に死ぬことにより星に帰るという、“予想外”のやり方でした。浦島太郎は五色に輝く亀型の乗物に乗って、スバルや雨降り星に行っています。かぐや姫だって、月の都に帰るときには、ちゃんと飛ぶ車に乗っていますね。ところが星の王子は、黄色い蛇の毒で死ななければならなかった。

これには、かなり違和感を持った読者も多かったのではないでしょうか。なぜ王子は死ななければならなかったの、と。永遠の謎ですね。この物語に触発されたからかどうかわかりませんが、1997年3月26日にはアメリカのサンタフェで、ヘブンズゲートというカルト集団が、ヘールボップ彗星の「後ろに隠れている宇宙船」に乗るため39人が服毒自殺しています。当時私は、米国マサチューセッツ州の大学院で留学生活を送っていましたが、夜遅く寮に帰るときに、凍てつく夜空にこの彗星が浮かんでいた光景を、今でもはっきりと覚えています。

このように一見理解できない行動も、文学的に解釈するのはそう難しいことではありません。文学ではよく、シンボルで解釈するからです。文学的に「死」は、古いものへの決別、つまり再生へのスタートを意味します。新しい生き方をするには、肉体(古い考え)を脱ぎ捨てる必要があったのでしょう。

私はまだコンスエロの『バラの回想』を読んでいないのですが、孫引きさせていただくと、『星の王子さま』を書き上げた直後の1943年、サン=テグジュペリは北アフリカへ出征する際、次のような言葉を妻のコンスエロに残します。

「僕は銃殺される必要があるんだ。自分が洗われたと感じる、この戦争の中で、きれいになったと感じる必要があるんだ」

この自分の過去への決別は、星の王子さまの決別を思い起こさせますね。なぜ、サン=テグジュペリが過去を消し去りたかったかについては諸説ありますが、ナチス占領下にフランスに誕生した親独的ヴィシー政権を支持した過去を清算する意味合いがあったのではないかと思われます。

サン=テグジュペリにとって、薔薇を残した自分の星とは祖国フランス、薔薇は祖国の誇りのことでもあったわけです。

ところが、ド・ゴール将軍指揮下の北アフリカでは、反ド・ゴール派だったサン=テグジュペリは、フランス空軍への復帰を拒まれます。これでは過去と決別できません。そこで知人の伝を頼って、なんとか米連合軍情報部の飛行士になることに成功しました。後はご存知の通りです。

1944年7月31日、九度目の偵察飛行に飛び立ったサン=テグジュペリは二度と戻ることはありませんでした。しかし物語と違って、彼は薔薇(妻)のもとへ戻ったわけではありませんね。気ぐらいの高い薔薇は、また一人残されてしまいました。

そのようなことを考えながら、王子の最後の場面をお読みください。

Il dit encore:
- Tu sais... ma fleur... j'en suis responsable ! Et elle est tellement faible ! Et elle est tellement naïve. Elle a quatre épines de rien du tout pour la protéger contre le monde...
Moi je m'assis parce que je ne pouvais plus me tenir debout. Il dit:
- Voilà... C'est tout...
Il hésita encore un peu, puis il se releva. Il fit un pas. Moi je ne pouvais pas bouger.
Il n'y eut rien qu'un éclair jaune près de sa cheville. Il demeura un instant immobile. Il ne cria pas. Il tomba doucement comme tombe un arbre. Ça ne fit même pas de bruit, à cause du sable.

王子はこう言いました。

「そう・・・僕の花・・・僕は、あの花に責任があるんだ! だって、僕の花はとっても弱いんだ! とっても繊細なんだ! 僕の花には、周りの世界から身を守るのに、取るに足らない4つの棘しかないのに・・・」

私(注:サハラ砂漠に不時着した飛行士。この物語の語り部で、作者自身の投影でもあります)も座り込んでしまいました。もう立っていられなかったのです。王子は言いました。
「そう・・・そういうことなんだ」

王子はまた少しためらって、そして立ち上がりました。王子は一歩前に進みます。でも私は動くことができませんでした。

王子のくるぶしのあたりに、黄色く光るものがあったほかには何も見えませんでした。少しの間、王子は動きを止めていました。王子はかすかな悲鳴すら上げなかったのです。王子は木が倒れるようにゆっくりと倒れました。砂のせいで、音を立てることもありませんでした。

祖国の誇り

(星の王子さまシリーズは終わりです。薔薇シリーズは続きます)

薔薇シリーズ9 「いい言葉(4335)」

星の王子と赤い薔薇3

Le petit prince s'en fut revoir les roses:
- Vous n'êtes pas du tout semblables à ma rose, vous rien encore, leur dit-il. Personne ne vous a apprivoisé et vous n'avez apprivoisé n'êtes personne. Vous êtes comme était mon renard. Ce n'était qu'un renard semblable à cent mille autres. Mais j'en ai fait mon ami, et il est maintenant unique au monde.

王子は薔薇たちに再び会いに行きました。
「君たちは僕の薔薇に全然似ていないよ。君たちはまだ、なんでもない薔薇だからね」と、王子は薔薇たちに言いました。「誰も君たちに心を通わせていないし、君たちも誰にも心を通わせていないだろ。狐も最初はそうだったよ。最初はほかの何万匹もの狐と同じだった。でも、僕たちは友だちになったから、今では狐はかけがえのない狐なんだ」

ここでapprivoiserという単語について解説しておきましょう。英語で言うとtame(飼いならす、手なずける)という意味ですが、フランス語では少しニュアンスが違うようです。英語のtameは従わせるというような主従関係が存在しますが、apprivoiserはどうやらお互いの心を通わせる、親密になるという意味が強いように思います。つまりお互いが対等な関係にある感じがします。猫ちゃんと人間の関係に似ていますね。自分が飼いならしていると思ったら、実は猫ちゃんにも養われていた、なんてね。日本語にピタッと当てはまる言葉がないので、私は「心を通わす」「心が通う」と訳しました。英語版を訳せば、「飼いならす」となります。

Et les roses étaient bien gênées.
- Vous êtes belles, mais vous êtes vides, leur dit-il encore. On ne peut pas mourir pour vous. Bien sûr, ma rose à moi, un passant ordinaire croirait qu'elle vous ressemble. Mais à elle seule elle est plus importante que vous toutes, puisque c'est elle que j'ai arrosée. Puisque c'est elle que j'ai mise sous globe. Puisque c'est elle que j'ai abritée par le paravent. Puisque c'est elle dont j'ai tué les chenilles (sauf les deux ou trois pour les papillons). Puisque c'est elle que j'ai écoutée se plaindre, ou se vanter, ou même quelquefois se taire. Puisque c'est ma rose.

薔薇たちはとても気まずくなりました。
「君たちは美しいけど、むなしく咲いているだけなんだ」と、王子は続けて言いました。「誰も君たちのために死のうとは思わないよ。もちろん、通りがかりの人から見れば、僕の薔薇も君たちと同じだと思うかもしれない。でもあの花だけは、僕にとって君たちの誰よりも大事な花なんだ。だって、僕が水をあげた花なんだもの。覆いをかけてあげたのも、ついたてを立てて守ってあげたのも、毛虫を殺したのも(チョウチョウにするために2,3匹は残しておいたけどね)、あの花のためだったんだ。愚痴を聞いてあげたり、自慢話もきいてあげたり、時には黙り込んでいるときもそばにいて見守ってあげた。だって、僕の薔薇だからね」

Et il revint vers le renard:
- Adieu, dit-il...
- Adieu, dit le renard. Voici mon secret. Il est très simple: on ne voit bien qu'avec le coeur. L'essentiel est invisible pour les yeux.
- L'essentiel est invisible pour les yeux, répéta le petit prince, afin de se souvenir.

その後、王子は狐のところへ戻ってきて、言いました。
「お別れだね」
「お別れだよ」と狐は言いました。「さあ、僕が君に贈る秘密はこれだよ。とても単純なことさ。心で見ないと、ちゃんとよく見えない。大事なものは目に見えないんだ」
「大事なものは目に見えない」と、王子は忘れないようにその言葉を繰り返しました。

狐が王子にあげた秘密の贈り物は、言葉でしたね。L'essentiel est invisible pour les yeux.  L'essentielは本質的なもの、大事なもの。estはisと同じ。 invisibleは英語と同じで「目に見えない」の意味です。pour les yeux はなくても通じますが、「肉眼では」ということを強調しているように思います。

- C'est le temps que tu as perdu pour ta rose qui fait ta rose si importante.
- C'est le temps que j'ai perdu pour ma rose... fit le petit prince, afin de se souvenir.
- Les hommes ont oublié cette vérité, dit le renard. Mais tu ne dois pas l'oublier. Tu deviens responsable pour toujours de ce que tu as apprivoisé. Tu es responsable de ta rose...
- Je suis responsable de ma rose... répéta le petit prince, afin de se souvenir.

「君の薔薇がかけがえのない花となったのは、それだけ君が時間をかけたからさ」
「僕が時間をかけたから」と、王子は忘れないように繰り返しました。
「人間はそのことを忘れているんだ」と狐は言いました。「だけど、君は忘れちゃダメだよ。君は、自分が心を通わせたものに永遠に責任があるんだからね。君は君の薔薇に責任があるんだ」
「僕は僕の薔薇に責任がある」と、王子は忘れないように繰り返しました。


僕の薔薇

(続く)

薔薇シリーズ8 「いい言葉(4335)」

星の王子と赤い薔薇2

バラたち

こうして薔薇と喧嘩別れした王子は旅に出て、放浪の果てに地球にやってきます。地球で王子は、自分の星には一輪しかない薔薇がたくさん咲いていることにショックを受けます。そのようなとき王子は狐と出会い、仲良くなります。そして、自分の星に残した薔薇が、かけがえの無い薔薇であることを教えられます。

Ainsi le petit prince apprivoisa le renard. Et quand l'heure du départ fut proche:
- Ah! dit le renard... Je pleurerai.
- C'est ta faute, dit le petit prince, je ne te souhaitais point de mal, mais tu as voulu que je t'apprivoise...

こうして王子は狐と心が通うようになりました。そして別れの時が近づきます。
「ああ」と狐は言いました。「涙がでちゃうよ」
「君のせいだよ」と王子は言いました。「僕は君を傷つける気持ちなんか、これっぽちもなかったんだ。だけど君が親しくしたいって言うから・・・」

ここで議論の多いapprivoiserという単語が出てきますが、この単語の解説は後でします。

- Bien sûr, dit le renard.
- Mais tu vas pleurer ! dit le petit prince.
- Bien sûr, dit le renard.
- Alors tu n'y gagnes rien !
- J'y gagne, dit le renard, à cause de la couleur du blé.

「その通りだよ」と狐は言いました。
「でも、君は泣くんだろ!」と王子は言いました。
「もちろんさ」と狐。
「それじゃ、何にもならないじゃないか!」
「なったさ」と狐は言いました。「麦畑の色があるよ」

麦畑の色――。これには前段がありますね。狐はパンを食べないので、麦畑を見ても何も感じません。何も感じないということは、とっても悲しいことだ、と狐は言います。ところが王子と心を通わせれば、麦畑の色が王子の金色の髪のイメージと重なります。すると、これまでなんでもなかった麦畑を見るたびに、狐は王子のことを思い出すことになります。「そして、小麦にうずもれて聞く風の音も好きになる」と狐は言っていましたね。

Puis il ajouta:
- Va revoir les roses. Tu comprendras que la tienne est unique au monde. Tu reviendras me dire adieu, et je te ferai cadeau d'un secret.

狐は付け加えた。
「もう一度薔薇たちに会いにいってごらん。そうすれば、君の薔薇がかけがえのない薔薇だということがわかるはずだよ。その後、私にさよならの挨拶をしにきたときに、秘密の贈り物を君にあげるからね」

秘密の贈り物! 一体何でしょう。狐が何をくれるのか、楽しみですね。
(続く)

薔薇シリーズ7 「いい言葉(4335)」

星の王子と赤い薔薇1

赤い花

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子さま』にも、薔薇の花が登場します。王子の故郷の惑星に咲いた一輪の赤い薔薇。自惚れやで、怒りっぽくて、嘘つきで、棘があって、咳をする。

まずは、薔薇のわがままに嫌気が差した王子が、薔薇と別れる場面です。王子はもう帰って来るつもりはなかったので、薔薇に最後の別れを告げます。

- Adieu, dit-il à la fleur.
Mais elle ne lui répondit pas.
- Adieu, répéta-t-il.
La fleur toussa. Mais ce n'était pas à cause de son rhume.

adieuは決別のあいさつでしたね。dit-ilはsaid he(彼は言った)と同じです。この場合の彼は王子です。à la fleuはto the flower。Mais はbutと同じ。elleは彼女。この場合は薔薇の花のこと。ne~pasで否定形です。luiは彼の目的格ですが、フランス語の場合、動詞の前に来ます。réponditは「答える」の過去形。à cause deで「~の理由で」の意味で、rhumeは風邪です(以下は訳だけ記します)。

「さようなら」と王子は花に言った。
しかし、花は何も答えなかった。
「さようなら」と王子は繰り返した。
花は咳をした。だが、それは風邪をひいたからではなかった。

- J'ai été sotte, lui dit-elle enfin. Je te demande pardon. Tâche d'être heureux.
Il fut surpris par l'absence de reproches. Il restait là tout déconcerté, le globe en l'air. Il ne comprenait pas cette douceur calme.

「私が愚かでした」と、花はとうとう口を開いた。「私を許してくださいね。お幸せに」
バラが(いつものように)責めないので王子は驚いた。すっかり面食らって、風除けの覆いを持ったまま立ちすくんだ。王子にはどうしてバラが優しく穏やかなのかわからなかった。

- Mais oui, je t'aime, lui dit la fleur. Tu n'en as rien su, par ma faute. Cela n'a aucune importance.

「ええ、そうよ、私はあなたが好きです」と、花は王子に言った。「あなたはそれに気づきもしなかった。私のせいですけど。でもそんなことはもうどうでもいいわ」

Mais tu as été aussi sot que moi. Tâche d'être heureux... Laisse ce globe tranquille. Je n'en veux plus.

「でも、あなただって、私と同じぐらい愚かだったわ。お幸せに・・・。その覆いは結構です。もう必要ないわ」

- Mais le vent...
- Je ne suis pas si enrhumée que ça... L'air frais de la nuit me fera du bien. Je suis une fleur.

「だけど、風が吹いたら・・・」
「私は風邪を引いたりなんかしない・・・。さわやかな夜風はとても気持ちがいいわ。私は花なんですもの」

- Mais les bêtes...
- Il faut bien que je supporte deux ou trois chenilles si je veux connaître les papillons. Il paraît que c'est tellement beau. Sinon qui me rendra visite ? Tu seras loin, toi. Quant aux grosses bêtes, je ne crains rien. J'ai mes griffes.

「だけど、動物が来たら・・・」
「チョウチョと仲良くなりたかったら、毛虫の二匹や三匹は我慢しなければなりませんわ。
チョウチョは本当にきれいだわ。チョウチョがいなければ、一体誰が私のところへ来てくれると言うの? あなたは遠くへ行ってしまう、でしょ。もっと大きな動物が来たって、へっちゃらよ。私にだって爪がありますもの」

Et elle montrait naïvement ses quatre épines. Puis elle ajouta:
- Ne traîne pas comme ça, c'est agaçant. Tu as décidé de partir. Va-t'en.
Car elle ne voulait pas qu'il la vît pleurer. C'était une fleur tellement orgueilleuse...

そして花は無邪気に、4つの棘を見せびらかして、こう付け加えた。
「何をぐずぐずしているの、イライラするわ。もう行くと決めたのだから、さっさと行きなさい」
花は涙を見られたくなかったのだ。それはとても気位の高い花であった・・・。

この気位の高い花とは、サン=テグジュペリの妻コンスエロのことだったのではないかとされていますね。中米エルサルバドル出身のコンスエロについて、あまり知られていませんが、自由奔放に生きるコンスエロとサン=テグジュペリとの間では喧嘩が絶えず、別居を繰り返していたことが知られています。ただ、『星の王子さま』を書いているときは仲直りしており、ニューヨーク郊外で一緒に暮らしているときに書き上げたとされています。
(続く)

薔薇シリーズ6 「いい言葉(4335)」

病める薔薇

薔薇

THE SICK ROSE

O rose,thou art sick:
The invisible worm
That flies in the night,
In the howling storm,

Has found out thy bed
Of crimson joy;
And his dark secret love
Does thy life destroy.

これはただの薔薇について書いた詩ではありません。ロバート・バーンズは恋人を薔薇に譬えましたが、18~19世紀に活躍したイギリスの詩人ウィリアム・ブレイクは薔薇を人の心の状態に結び付けました。

thou はyou、artはareでしたね。thyはyour。構文自体はそれほど難しくありません。1行目は薔薇への呼びかけ。2行目から6行目までの主語は、The invisible worm(目に見えない虫)です。バーンズの薔薇が直喩だったのに対して、ブレイクの薔薇は暗喩になっています。wormとstorm、joyとdestroyで韻を踏んでいますね。

病める薔薇

「おお、薔薇よ、お前は病んでいる!
目に見えない虫が
吹きすさぶ嵐の中
夜の闇の中を飛び

深紅の喜びである
お前の寝床を見つけてしまった
その暗い秘密の愛が
お前の生命を滅ぼすのだ」

この詩の解釈は、それぞれの人の体験や心の状態によって異なるでしょう。読者一人一人が自分の物語をこの詩から作ることができますね。

薔薇を自分の恋人に置き換えたり、あるいは病める自分自身だとみなしたりすることもできます。目に見えない虫も同じです。虫は、二人の恋の間に忍び寄ってきた障害物であり、これから育もうとしていた愛に入った些細な亀裂であるかもしれません。あるいは虫は、抗うことのできない老いや病といった運命を暗示しているのかもしれない。

しかも、その「お邪魔虫」がやってくるのも、「暗い秘密の愛」、つまり違う視点(虫の視点)から見た愛のせいであるとしているのが面白いところです。いったいどのような愛なのでしょうね。近視眼的に見れば、虫の利己愛のように思われますが、宇宙的に見れば、それも神の愛なのかもしれない、などと思ってしまいました。すると、老いや病も、愛の表現であるということになります。

皆さんにとっての「病める薔薇」とは何だったでしょうか。
(続く)

薔薇シリーズ5 「映画鑑賞(5650)」

薔薇の蕾
薔薇

謎めいた薔薇もありました。映画監督オーソン・ウェルズが制作した不朽の名作『市民ケーン』に出てくる「rosebud(薔薇の蕾)」ですね。

「薔薇の蕾」は、映画の中で富豪の新聞王ケーンが死ぬ間際に残した謎の言葉です。その謎を解明しようと、上司の命を受けた一人の新聞記者がケーンの知人や友人や愛人を取材します。その取材の過程でケーンの生い立ちが明らかにされていくのですが、謎については結局わからずじまい。ところが、映画の最後では「薔薇の蕾」と書かれた、子供時代にケーンが遊んでいたソリが出てきて、それが燃やされるシーンが出てきます。それにより観客だけが「薔薇の蕾」の意味を何となく感じて終わります。

ケーンの家は元々、あまり裕福ではありませんでしたが、宿泊客から料金の形にもらった金鉱の権利書が巨大な富をもたらします。そのときケーンは雪の降り積もった外でソリ遊びなどをしています。家に戻ると、突如大金持ちの子供となり、人生が一変します。無邪気に田舎で遊ぶ生活は終わり、大都会で財産を運営・管理するための生活が始まります。観客はそのことを知っていますから、薔薇の蕾が象徴するものが、ケーンが失った少年時代の純粋な心や母親への愛のことではないかと気づくわけです。

薔薇の蕾には、処女性などの意味もあります。それらを含めて、「取り戻したくても取り戻すことができなかった(できない)もの」と言い換えられるかもしれません。

ところで、現実世界で「薔薇の蕾」が何であったかは別の話です。ケーンはご存知のように、当時実際に存在した俗物的新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストのことで、映画は彼を風刺していました。そう考えると、薔薇の蕾はハーストの愛人(マリオン・デイビーズ)を揶揄した言葉であるとも解釈できます。実際、ハーストの友人には次のように話している人もいるようです。

“Rosebud" was a euphemism for the most intimate part of his long-time mistress Marion Davies' female anatomy.

オーソン・ウェルズはこの話(噂?)をどこかで聞きつけ、映画の題材に使ったというのが真相に近いのではないかと思います。
(続く)

薔薇シリーズ4 「いい言葉(4335)」

赤い薔薇2
昨日の続きです。

Till a’ the seas gang dry, my dear,
And the rocks melt wi’ the sun :
And I will love thee still, my dear,
While the sands o’ life shall run.

最初の行は繰り返しになりますね。二行目のwi’はwithの略。海が干上がったり、岩が溶けたり、異常気象もここに極まれり、ですね。三行目も繰り返し部分です。四行目のo’はofの略。砂時計のイメージから来ているのでしょうか、sands of life(命の砂)は寿命という意味です。ロウソクの炎みたいなものです。直訳すると「命の砂が流れている間」。sunとrunで韻を踏んでいます。

「すべての海が枯れ果てても
太陽が岩を融かそうとも
愛しい人よ、私はあなたを常(とわ)に愛する
私の命がある限り」

And fare thee weel, my only love,
And fare thee weel a while !
And I will come again, my love,
Thou’ it were ten thousand mile.

この詩の最後の部分です。weelはwell。fare thee well でfarewell (to you)の意味。farewellは元々、fare(行く、旅をする)とwell(よく)が合体した「よい旅を!」という意味であることがわかりますね。Thou’はthough。mileは本来ならmilesと複数形になるべきだと思いますが、whileとmileで韻を踏むために単数形にしたのではないでしょうか。

「さようなら、私のたった一人の恋人よ
しばしの別れだ、さようなら!
恋人よ、私は必ず戻ってくる
千里の道があろうとも」

バーンズには『My Heart's In The Highlands(我が心はハイランドにあり)』という詩もあります。全部は紹介しませんが、リフレイン部分だけ翻訳します。

My heart's in the Highlands, my heart is not here,
My heart's in the Highlands, a-chasing the deer;
Chasing the wild-deer, and following the roe,
My heart's in the Highlands, wherever I go.

「我が心はハイランドにあり、我が心はここにはない
我が心はハイランドにあり、鹿を追う
野鹿を求め、そしてノロジカを追跡する
我が心はハイランドにあり、たとえどこへ行こうとも」

故郷ハイランドでの鹿を追う姿を思い浮かべているわけですが、「追う」という動詞や「鹿」という名詞を変えるなどして工夫していますね。「鹿」は段々具体的な鹿になっていきます。実は文章を書く場合、バリエーションをつけることは非常に大事なことです。翻訳をするときも同じで、私はあえて、「追う」「求める」「追跡する」という言葉を使い分けました。同じ単語を連発して単調になることを避けることが、文章を作成するコツですね。

さて、なぜこの詩を選んだかと言うと、バーンズが我が心の故郷であると謳っているのが、スコットランドのハイランド地方だからです。たいていの旅行者はスコットランドといっても首府エディンバラぐらいしか訪れないでしょうが、ハイランド地方があるのは、さらに奧、ネッシーで有名なネス湖辺りから北にあります。私も1980年9月にハイランド地方を旅して、手付かずの自然に圧倒されました。特にハイランド地方の北西部は圧巻です(たぶん今も・・・)。なるほどバーンズが心の故郷であると断ずるだけのことはあると、誰もが思うのではないでしょうか。写真もどこかにあると思いますので、いつかブログで紹介できればと思っています。

赤い薔薇
(続く)

薔薇シリーズ3 「いい言葉(4335)」

赤い薔薇1
赤い薔薇


ほとんど解説のいらない薔薇もあります。

A Red, Red Rose

My love is like a red, red rose
That’s newly sprung in June :
My love is like the melody
That’s sweetly played in tune.

As fair art thou, my bonnie lass,
So deep in love am I :
And I will love thee still, my dear,
Till a’ the seas gang dry.

Till a’ the seas gang dry, my dear,
And the rocks melt wi’ the sun :
And I will love thee still, my dear,
While the sands o’ life shall run.

And fare thee weel, my only love,
And fare thee weel a while !
And I will come again, my love,
Thou’ it were ten thousand mile.

18世紀のスコットランドの国民的詩人ロバート・バーンズ(1758~1786年)が書いた、恋人を赤い薔薇にたとえた詩です。歌にもなっていますね。

少しずつみていきましょう。
My love is like a red, red rose
That’s newly sprung in June :
My love is like the melody
That’s sweetly played in tune.

sprungはspringの過去分詞で、育つという意味です。ここでは6月に新しく花を咲かせたということでしょう。in tuneは正しい旋律。Juneとtuneで韻を踏んでいますね。

「私の恋人は真っ赤な薔薇のよう
6月に新しく花を咲かせた赤い薔薇
私の恋人は音楽のよう
甘美に奏でられる調べ」

As fair art thou, my bonnie lass,
So deep in love am I :

thouはyouのこと。artはare。bonnieはbeautifulとかlovelyと同じ意味です。いずれも今はあまり使わない言葉です。現代風に直せば、As fair are you, my lovely lass,となります。lass は乙女。 構文的にはas~so~ですから、「~であるように、そのように(同じく)~」と訳します。

「私のかわいい人よ、あなたは斯くも美しく
私の愛は斯くも深まる」

And I will love thee still, my dear,
Till a’ the seas gang dry.

thee はyouの目的格。still はここではalwaysの意味。古語や詩の中でよく見受けられる言葉です。a’ はallの省略形。gangはギャングではありませんよ。スコットランド語でgoのことです。ここも今風に直すと、And I will love you still, my Dear, Till all the seas go dry.となります。「すべての海が干上がるまで」は、日本語的には「すべての海が干上がっても」となるでしょうか。「I 」と「dry」で韻を踏んでいます。

「愛しい人よ、私はあなたを常(とわ)に愛する
すべての海が枯れ果てても」
(続く)

薔薇シリーズ2 「★つ・ぶ・や・き★(1265823)」

薔薇の名前
バラ

「バラに名前なんかいらないわ」と言ったのはジュリエットですが、その名前にこだわったのが、記号論の分野で有名なイタリアの哲学者ウンベルト・エーコが1980年に書いた小説『薔薇の名前』。1986年にはショーン・コネリーが主演した映画にもなっていますね。14世紀、北イタリアのカトリック修道院を舞台に起きた怪事件を、コネリー扮するフランシスコ会修道士が解決していくという物語です。

この小説の最後には12世紀に作られたラテン語の詩の一節が出てきます。
Stat rosa pristina nomine, nomina nuda tenemus.

rosa は薔薇、pristineは原初のとか、昔のという意味ですから、rosa pristinaで「原初の薔薇」あるいは「古代の薔薇」となります。statはあるとか、残るという意味。nomineは副詞的に使って「名前により」というような意味だと思います。前半部分は「古代の薔薇は名前に残り」となるでしょうか。

後半部分では、nomina は「名前」、nudaは「裸の」で、直訳すると裸の名前。「ありのままの名前」「純粋な名前」などという意味でしょうか。tenemusは「私たちは持つ」とか、「私たちは手にする」という意味。すると訳は「私たちが手にするのは純粋な名前」となるでしょうか。

意味を類推してつなげると、「古代にあった薔薇は名前で残っているに過ぎない、だから私たちに今あるのは、名前だけ」というような意味になると思います。

タイトルの「薔薇の名前」はこのラテン語の詩から取っていますが、いろいろな解釈が可能です。事実、映画の字幕では(私は忘れていましたが)、「バラは神の名付けたる名、我々のバラは名もなきバラ」と訳されているそうです。私の解釈とは、だいぶニュアンスが異なります。

ここには一つだけの正解というのはないように思われます。どうやら、概念が先か、個物が先かといった実念論と唯名論の間の哲学論争が背景にあるようです。「神は『光あれ』と言われた。すると光があった」とする旧約聖書の一説をめぐる神学論争でもあります。

ただそう難しく考えずに、この物語の「語り部」が思いを寄せた「名も無き農民の少女」を「薔薇の名前」であったと考えることもできます。一方、薔薇をローマやキリスト教に置き換えて解釈してもいいでしょう。栄華を誇った国も、美しきものも、やがては滅びます。そこに残るのは名前だけなのか、それとも・・・。答えはあなたの中にありますね。

薔薇
(続く)

薔薇シリーズ 「★つ・ぶ・や・き★(1265823)」

薔薇と名前

バラ

What's in a name? That which we call a rose
By any other name would smell as sweet;

シェークスピアの『ロミオとジュリエット』からの一節です。ジュリエットが恋に落ちた相手が仇敵モンタギュー家のロミオだと知って、バルコニーで心情を吐露する有名な場面ですね。私は学生時代、フランス文学だけでなく英文学も専攻していたので、覚えさせられた一節でもあります。

By any other nameで仮定法になっていますね。つまりif it is called by any other nameと同じことです。as sweetの後を補うとすると、as a rose.となるでしょうか。訳は次のようになります。

「名前が何だって言うの? 私たちがバラと呼んでいるものだって、ほかのどんな名前で呼んでも、同じように甘美な香りがするでしょ」

ジュリエットの独白(と言っても、バルコニーの下ではロミオが盗み聞きしていますが)は続きます。

So Romeo would, were he not Romeo call'd,
Retain that dear perfection which he owes
Without that title:--Romeo, doff thy name;
And for that name, which is no part of thee,
Take all myself.

call’dはcalledの省略形。were he not Romeo call'dは仮定法ですね。If he were not called Romeoと同じです。文法的にはwere he not called Romeoなのでしょうが、詩などではリズムを重視して単語の順番を入れ替えることがよくあります。

「ロミオだって同じよ。ロミオと呼ばれなくても、名前がなくたって彼の完璧さに変わりはないわ。・・・ロミオ、名前を捨てて。あなたの本質とはまったく関係のない名前を捨てる代わりに、私のすべてを受け取って」

こんなことを言われたら、すべてを受け取ってしまいそうですね。

薔薇
(続く)

気球の飛ばし方 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154158)」

先月26日、私の地元の代々木公園で熱気球の体験教室が開かれました。

気球

熱気球は、1783年にフランスのモンゴルフィエ兄弟が煙突から立ち昇る煙をヒントに研究を進め有人飛行に成功した、熱を使った空飛ぶ乗物です。でも、このブログを読んでいる方はお察しでしょうが、人類初とは言えないかもしれませんね。南米ペルーのナスカ高原では、約2000年前に有人の気球を飛ばしていた可能性があります。私が見た前世ビジョンや秋山さんの前世リーディングでも、古代日本において気球のような乗物が空を飛んでいたことになっていますね。

ともあれ、「最後の気球族」としては、気球と聞いて黙っていられません。熱気球を見学に行きました。

代々木公園の中央広場では、既に気球を立ち上げる準備が整っていました。

これは人が乗るゴンドラ(バスケット)。籐で編んであります。

ゴンドラ

バルーン(風船)部分とつなげるため寝かしてあります。ヘリウムガスなどの燃料や、計器類、消火器なども積み込まれます。

風船の部分は「球皮」と呼ばれ、ナイロン製パネルを縫い合わせて作られています。その球皮を広げます。

球皮

球皮とゴンドラをロープでつなぎ、インフレーターという大きな送風機を使って、球皮を膨らませていきます。

送風

送風口からも見ると、こんな感じです。

送風口

だいぶ膨らんできました。

半分膨らむ

このように半分ぐらい膨らんだところで、いよいよゴンドラに取り付けらているバーナーの登場です。

バーナー

プロパンガスを使用しています。家庭用ガスレンジの1000倍以上の火力があるそうです。

球皮に暖かい空気が入ると、気球はほどなく立ち上がってゆきます。その際、クラウンロープという球皮のてっぺんとつながっているロープを使って調節しながら、ゆっくりと立ち上げます。

立ち上げ

完全に立ち上がりました。

気球

このときの気球の大きさは、幅18メートル、高さ20~25メートルぐらいです。

球皮の内部を見てみましょう。

バーナー

バーナーで熱い空気が送り込まれています。バーナーのそば球皮には、スクープという燃えにくい布でできた風除けが付いています。バーナーの炎を風から守っているわけです。

さあ、あとはバーナーで球皮内の空気をドンドン暖めれば、離陸です。

気球と空

ただし、この日はここまで、空に気球を実際に浮かばせることはしませんでした。

球皮のてっぺんには、パラシュート・リップパネルというパネルがあります。ゴンドラまでつながっているリップラインという赤いロープを引っ張ると、このパネルが開き、熱気を逃がすことができます。当然、気球は急速に降下します。

熱気球は風任せ。目的地へ向かう風(高度によって風向きや強さが変わります)をつかめるかが操縦のポイント。うまく上空の風を利用すれば、発進場所に戻ってくることも可能なのだそうです(まずできないと言ってましたが)。

燃料ボンベは1本20キロで、約30分間飛行できるそうです。昼間は太陽の日射で上昇気流が生じて危ないため、気球を飛ばすことはしないとも言っていました。つまり飛ばせるのは、早朝か夕方となります。

空中散歩を楽しんだ後は、片付けです。

リップパネルを開いて、暖かい空気を逃がします。

しぼむ

すると、球皮はドンドンしぼんでいきます。

球皮内の空気を完全に外へ出します。

空気抜き

空気が抜けた球皮を折りたたみ、バッグにいれたら、作業終了。

バッグ

こんなに小さくなっちゃいました! それでも重さは約100キロあります。ゴンドラを含めた総重量は約300キロ。

一式、100万~300万円だそうです。デザイン次第で値段が変わるそうです。

私が前世ビジョンで見た気球は、こんなにカラフルではありませんでした。実際、目立たないようにしたのではないかと思います。熱気球と同じ原理を使っていたのかどうかもわかりませんが、やがて記憶が蘇ることもあるかもしれませんね。

夏の収穫 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154158)」

いきなり問題です。
このオレンジ色のものは何でしょう?

オレンジ

実はこれ、ゴーヤ(苦瓜)なんですね。えっ、ゴーヤって緑色ではなかったか、ですって?

そうです。緑なんですけど、収穫せずに熟れすぎると、このような色になってしまいます。

これが証拠写真。

ゴーヤ

大きさを見ても、熟れすぎたことがわかりますね。実家で収穫したものですが、時々収穫し忘れて、食べ損ねてしまいます。

実家ではヘチマヒョウタンも栽培しています。

ヒョウタンといっても観賞用のではなく、食用です。

ヒョウタン

ヒョウタンにはいろいろな種類がありますが、これはくびれていませんね。小さなかぼちゃぐらいの大きさになります。冬瓜と同じように味はほとんどありません。同時期にたくさん生るので、おすそ分けをしてもらいました。

ヘチマも食べます。

これは実家ではありませんが、ヘチマの写真です。

ヘチマ

神代植物園で撮影しました。
実家にも、これと同じものが生っています。ヒョウタンや冬瓜と違って、なんとも言えない風味があります。タワシになる(繊維質が多くなる)前に収穫するのがコツ。皮をピーラーで剥いて、輪切りにして、少し油でいため、そのまま水を注いで煮ればヘチマスープの出来上がりです。種なんかも柔らかくておいしいです。

ヘチマ、ゴーヤ、ヒョウタンの収穫も、あと2週間もすれば終わります。

最後は奥多摩で見つけた変わった植物。

やまこんにゃく?

道端に生えていましたが、近所の人に聞いたら「ヤマコンニャクではないか」と言っていました。後でネットで調べましたが、よくわかりません。サトイモ科のアルムに似ています。お分かりの方がいらっしゃいましたら、教えてください。

今日も夏休みの絵日記みたいなブログでしたね。

さらば、かくも短き夏のまばゆい光よ! 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

▼夏の風景

夏の光

Bientôt nous plongerons dans les froides ténèbres;
Adieu, vive clarté de nos étés trop courts!

これはフランスの詩人ボードレールの「秋の歌」の出だしですが、覚えているのはここまで。

Bientôtはまもなくという意味。nousは私たち。 plongeronsはplonger(潜る)という動詞の未来形。スキューバダイビングもフランス語ではplongeeと言います。 dansは中へという前置詞。 les は定冠詞、the と同じですね。froidesは冷たいという形容詞。 ténèbresは闇という意味です。

「やがて私たちは冷たい闇に沈んでいくだろう」という訳になります。

次のAdieuはさようならという意味ですが、英語で言うとgood bye というよりfarewellに近い、長期間にわたり(あるいは永遠に)会えなくなるときに使う告別(決別)のあいさつです。 viveは生き生きとしたという意味。 clartéは明るさ。 deは前置詞でofと同じ。 nosは私たちの。 étésは夏の複数形ですね。 なぜ複数になっているのかは忘れましたが、いくつもの夏と言うニュアンスか、夏の間のいくつもの思い出という意味が込められているのではないかと思います。tropは非常に。courtsは短い。

「さらば、かくも短き我らが夏のまばゆい光よ!」というような意味でしょうか。

ということで、暑かった夏も終わってゆきます。今日は、去り行く夏の風景をいくつか紹介しましょう。

まずは猫ちゃま。

猫ちゃま

暑さのために、日影になったコンクリートの上でグデーッと横たわっていました。

これは高尾山の杉林。

高尾山

この夏も体を鍛えるため、4回ほど高尾山に登ったでしょうか。たくさん汗をかきました。

以前紹介した夏の紅葉

8月の紅葉

これも奧高尾でしたね。

空を見上げると、カエルに似た雲が・・・。

カエル雲

カエルと言うより、ケロヨンでしょうか。

夏の雲です。

雲

木の上を通り過ぎていきます。

そして夕雲。

夕雲

夕闇が迫り、夕陽の最後の照射が雲に反映しています。

以上、夏休みの絵日記の宿題でした。

ところで、冒頭のフランス語ですが、もう25年ぐらい使っていません。30年近くが経ち、かつて長文で覚えていた、アポリネールの「ミラボー橋」も、ラテン語のキケロの「カテリーナ弾劾演説」も、やはりで出しの部分しか思い出せません。

時間という風とともに記憶も去っていくようです。「失われた過去」を今一度探す旅に出ないといけないようですね。

失われた過去を求めて(最終回) 「不思議な世界(409)」

既に起きた未来へ
二人の質疑応答はこの後も続く。その中でオコツトは物質世界が「妄影」であり、「精神が作り出した空間構造の影」のようなものであるとしたうえで、重要なことは「物質的な現象を取りまとめている空間のカタチを見ること」だとも言っている。やはり、この物質世界はただのシンボルなのだろうか。

このオコツトの主張は、綺竜さんがチャネリングした日本神界や宇宙存在の言っていることに通じるものがある。物質的な細部にはこだわらず、シンボルを重視するという姿勢や、人間に対する意識進化を促している点だ。

特に面白いのは、オコツトが素粒子の本質を理解するには、次元のカベを超えなくてはならないことに気づく必要があると説いていることだ。一方日本神界も、羽根ラインなどがこの世界の本質を気づかせるための仕掛けであるという。ここには、人間の意識変革や意識進化を促すためあらかじめ仕掛けられたトラップがあるという共通の主張がある。そして実は素粒子の世界こそ、人類を覚醒させるための、おそらく最大の仕掛けなのではないだろうか。

さて、このシリーズも今回で最終回である。と言っても、私の前世への旅が終わったわけではない。私が退行催眠で見たビジョンを裏付けるため、能登半島や富士山周辺の現地調査をしなければならないと思っている。

今後の展開については、いくつかのパターンが考えられる。ここまで読んでこられた読者なら察していると思うが、未来に起きる出来事は実はこの瞬間にも既に起きている。つまり、次に紹介する未来のパターンは既に起きており、私がこれからやろうとしていることは、そのいくつもあるパターンからどれを選択するか、にすぎないのである。

未来のパターン
・古代において気球が存在したことを示す何らかの物証を羽根ラインの付近で発見する。
・巨石にシャロアヤと刻まれた神代文字を発見する。
・霊感を得て、羽根ラインを作った前世を完璧に思い出す。
・そのまま別の次元世界に入り込み、帰って来られなくなる。
・何も証拠は見つからず、温泉にだけ入って帰ってくる。

ほかにも選択肢があるのだろうが、それは読者の想像力に委ねたい。

もう一度言うが、素粒子の世界では観測することにより、多くの世界が一つに収束されるのである。素粒子の世界が、私たちの世界の仕組みであり、宇宙の真の姿であるならば、このように考えられないだろうか。トロイ戦争はいくつかある過去の一つであった。ところがシュリーマンがこの神話を100%信じて明確な目的と意図を持って観測したから、トロイ戦争があった過去が選択され、トロイ遺跡の発掘につながった、と。

だとすれば、私が明確な意志を持って現地調査をすれば、羽根ラインを作った一つの過去が選択されるかもしれないのである。そのときに何が起こるのか。それはこのシリーズが再開されたときに、明らかにされる予定である。
=第一幕(?)の終了=

(お知らせ)明日からブログの更新は不定期(気まぐれ)になりますので、ご了承ください。

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