台湾取材旅行21 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

台中へ
夜の帳がすっかり下りた愛河の写真をアップするのを忘れていました。

愛河

夜景が川面に映えて、綺麗ですね。


翌5日は高雄から台中へ向かいました。この取材旅行も残すところあと3日ほどになりました。

台中へは再び台湾新幹線を利用。今回はビジネスクラスではない普通席。料金も高雄(左営駅)ー台中で790元(約2700円)でした。

台湾新幹線台中駅の周辺です。

台中駅

左端に見えるのが台中駅。台中市内から離れた、閑散とした場所にあります。

台中

これは大肚渓という川です。

台中

台中は台湾第三の都市。一年を通じて雨が少なく、年間平均気温23度と台湾でも気候にいちばん恵まれた都市だとされていますが、ちょうど寒気が入り込み、肌寒かったです。夏のようだった高雄からすると、冬に戻ったような感じでした。

台中市内のショッピング街・精明一街

台中

平日でしかも天気が悪かったせいで人がいませんが、これでも台中のシャンゼリゼと言われているお洒落な通りだそうです。

歴史都市の台南とも、大都市の台北とも、南国商業都市・高雄とも違う、穏やかな雰囲気がありました。
(続く)
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台湾取材旅行20 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

高雄の元宵節
午後1時までの自由時間もあっという間に終わり、「同行取材」に戻りました。ただこの日は日曜日、かつ旧暦の正月15日である元宵節ということもあり、のんびりムードです。

夕方からは再び自由時間となり、マカオから来た実業家と、高雄市内を流れる愛河という川にランタンフェスティバルを観に行きました。

愛河は日本統治時代に運河として開拓され「高雄運河」と呼ばれていましたが、今では両岸に楊柳が植えられた遊歩道が続く市民の憩いの場になっています。

これがその愛河です。

愛河

遊覧船も通っています。

愛河

両岸はイルミネーションで飾られ、多くの露店が出ています。

愛河

そして落日。

落日

ランタンフィシティバルが始まりました。

ランタンフィスティバル

元宵節には、台湾各地の寺院や廟で、ランタンを灯して春の訪れを祝う祭りが開かれます。ここ高雄では、イノシシ年の幕開けということで、イノシシや豚をデザインした巨大なランタンが出展され、コンクールも開催されました。

今日が開幕日。大勢の市民や観光客が訪れ、花火も打ち上げられるなどきらびやかで賑やかなムードの中で夜が更けていきました。
(続く)

台湾取材旅行19 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

伝説の動物
跳蚤市場でも翡翠の勾玉を探したのですが、やはりありません。
しかしこの場所は玉市場と違って、本当に古そうな骨董品から、コンピュータゲームなど最近の商品まで雑多なものを売っていました。店の数も面積もかなりあります。

その星の数ほどある商品の中で私が手に入れたのは、これです。

高雄

狛犬のようでもあり、沖縄のシーサーのようでもありますね。「ピーシュオー」という伝説の動物で、高さ12センチほどの小さな石の彫刻です。

正面から見るとこんな顔です。

高雄

舌をちょっと出してひょうきんな顔をしていますね。

実はこれ尻尾の付近が壊れているので、タダでお店の人にもらいました。

高雄

きっかけはちょっとした議論でした。お土産用に小さな猫の石(玉)の彫刻を200元(700円)で買った後、ほかの動物の彫り物を見ていると、何の動物かわからない彫り物がありました。そこで店員にこれは何の動物かと聞いたら、これは「ピーシュオー」という、昔実在した動物だと言うんですね。しかし私には、これまでに図鑑でも見たことがない動物だったので、説明を求めました。

そのとき隣で商売していた年配の女性が、議論に加わりました。その人も、「ピーシュオー」は今では滅んでしまったが実在の動物であったと譲りません。ちなみに漢字では「豹」の偏に旁(つくり)は毘と書いて「ピー(piの3声)」、次に再び「豹」の偏に旁を休と書いて「シュオー(shuoの1声)」だそうです。

その女性は龍も昔は実在したと言います。それなら私も、龍なら今でも実在しており、私の友人は龍を見たことがあると応じたら、その女性は「きっとその人は前世で功徳を積んだ霊性の高い人に違いない」といたく感心して、上の「ピーシュオー」の彫刻を譲ってくれました。

その議論にはその隣の店の年配の男性も加わり、「ピーシュオー」は龍が生んだ九番目の最後の子供であると説明してくれました(すべて漢字による筆談ですが)。

ではほかの8つの子供を教えてほしいと頼んだら、忘れてしまったという返事。ただ皆さん漠然とですが、龍も「ピーシュオー」も実在した動物だと確信しているところが面白いなと思いました。台湾の人は神獣が好きで、「招財動物」として彫刻にして崇めているのだと説明していました。
(続く)

台湾取材旅行18 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

高雄
玉市場を後にして、青空市場へと向かったと書きましたが、青空市場とはつまり蚤の市ですね。台湾語では跳蚤市場と書くようです。蚤が跳ねるのだから、まさにあの血を吸う蚤です。でも、もともとはフランス語で「蚤」と同時に「みすぼらしい」の意味があるpuce (marché aux puces)を直訳して英語でflea market =フリーマーケット(蚤の市)となり、日本や中国でも蚤が使われるようになりました。

さて、跳蚤市場に掘り出し物はあるでしょうか・・・

おっと、早速見つけました。

何とショーケースの上で店番をしているプードルです。

高雄

お店の人に写真撮影の了解をとってからシャッターを押したのですが、押した瞬間に吠えられてしまいました。プードルちゃんにも了解をとるべきでしたね。お店の人はちょうどお昼を食べていました。

次は陳列机の下で番?(お昼寝)をするワンちゃんです。

高雄

何とものんびりしていて、いいですね。
(続く)

春のスケッチ 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

春の風景をいくつか紹介しましょう。いずれも昨日(26日)に撮影したものです。

玉川上水。

春

土手には水仙やスミレが咲いています。

春

井の頭公園。

春

花見の人たちで賑わっていました。

春

都庁の月。

春

東京の夕暮れ。

春

春

そして夜景。

夜景

夜景

夜景

夜景

夜景

夜景

春の夜のはかない夢のようですね。

参考情報:都庁では第二第四月曜日の夜に限って、夜11時まで(普段は午後5時半まで)都庁の展望台を開放しています。都民の税金で建てたビルですから、もちろんタダです。外国からの観光客の人が多かったです。

台湾取材旅行17 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

高雄
台湾のソメイヨシノ!?

桜

・・・そんなはずはないですね。これは昨日撮影した、恒例の神田川の桜です。
ソメイヨシノの南限は屋久島辺りだそうです。台湾は南過ぎてソメイヨシノは育ちません。

桜

ところで、このまま温暖化が進めば、東京も台湾のような気候になり、桜が咲かなくなるそうです。この惑星の住人が選択したこととはいえ、桜が消えていくのには忍びませんね。

さて、高雄の続きです。
玉市場に到着後、早速翡翠の勾玉を探しました。すると、二軒目に小さな袋に入った翡翠らしき勾玉を見つけました。よかった見つけた、と思って値段を聞くと、同じく翡翠とみられる別の動物の彫り物とセット販売で1300元(約4500円)だと言います。翡翠の勾玉が500元で動物の彫り物が800元だそうです。

安いので本物の翡翠かと聞くと、本物だと言います。しかも古いものだと言います。そう言った矢先に、私が値切っていもいないのに値段がセット販売で1000元(約3500円)に下がりました。

ますます怪しくなります。そこで袋から出して、触らせてもらいました。ホテルの「ベテラン鑑定士」に聞いた、にわか翡翠鑑定法を実施。感触や太陽にかざして透けるかどうか、などを実施しました。それほど古いもののようには思えませんでしたが、偽物にも見えず一応合格。だけどほかのお店には、もっといいものがあるかもしれないと思い、市場をぐるりと見てからまた戻ってきますと言って、ほかのお店を見て回りました。

その玉市場には、100軒以上の「玉の店」が集まっていましたが、隈なく探しても勾玉を売っているお店はほかに一軒もありませんでした。

約一時間後、再びその市場で唯一の勾玉を売っていたお店に戻って、1000元で勾玉と動物の彫り物を購入しました。その後も台中などで勾玉を探しましたがどこにもなかったことを考えると、そこで買っておいてよかったと思いました。

さらに翡翠の勾玉を求めて、玉市場からそれほど離れていない青空市場へと向かいました。
(続く)

台湾取材旅行16 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

高雄
翌3月4日の日曜日は、台湾に来て初めて自由時間をもらえました(それまではホテルを出てから夕食までびっしりと現地の人が案内してくれるスケジュールでした)。ただし、その自由時間も午後1時まで。

日曜日といえば、マーケット。私は頼まれた翡翠の勾玉を探しに高雄駅の北にあるマーケットを訪れることにしました。行く前にホテルの年配の人に翡翠の見分け方を一応教えてもらいました。その人はしょっちゅう玉市場や青空市場に出かけては骨董品の掘り出し物を探しているベテランさんでした。ホテルのロビーに展示してあった三つ足青銅製の鼎も、青空市場で9000元(約3万円)で購入した「大掘り出し物」だったそうです。

そのような掘り出し物に巡り会えるでしょうか。

タクシーで、ホテルの人に教えてもらった玉市場と青空市場へ。

写真は青空市場。

青空市場

(続く)

台湾取材旅行15 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

高雄
旗津半島先端の向かい側には山がそびえています。
壽山公園がある壽山。東帝士85ビルからの展望写真でも紹介しましたね。海抜365メートルの珊瑚性石灰岩の山です。

高雄

地元の人の案内で、中腹の見晴らしのいい場所まで登りました。

高雄

廟もありますね。

ここから海に沈む夕日が見られるため、人気のデートコースになっているそうです。西日が強くて海の写真は撮りませんでした。その海の向こうには中国大陸がありますが、どんなに晴れた日でも見ることはできないそうです。ちょっと距離がありすぎますね。

と、そこで見つけたのが猫ちゃん。とことこ歩いていたのですが、暑いためかオートバイの下の日陰にササッと隠れました。

猫

猫語で呼びかけましたが・・・

猫

まったく知らん振り。日本風の猫語では通じないようです。

仕方なく、回り込んで撮影。

猫

ちょっと目ヤニが気になりますが、元気そうです。しばしの休息ですね。
(続く)

台湾取材旅行14 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

高雄
高雄市の西側には、まるで高雄港を覆うように幅約200メートル、長さ約11キロの砂州が延びています。それが旗津半島(きしんはんとう)という、海とグルメの観光ゾーンです。文字通り半島だったのですが、1975年に船を通すために切り開かれ、島となりました。

島へはフェリーか海底トンネルを使って渡ります。

私は地元の人の車で海底トンネルを使って島(半島)に渡りました。

海岸公園です。

高雄

上半身裸で砂遊びや水遊びに興じていますね。この日は暑かったですよ。30度近く(多分28度ぐらい)ありました。ただし、この辺りは潮の流れが強いので、遊泳禁止と書かれていました。

半島の先端に到着。

ちょうど大型タンカーが入港するところでした。

高雄

埠頭では釣りをする人も。

高雄

この日は土曜日だったこともあり、大勢の市民がくつろいでいるようでした。
(続く)

台湾取材旅行13 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

高雄
邪馬台国に別れを告げて、高雄へと進みましょう。

3月3日朝、地元の人の車に乗せてもらって台南から高雄へ。台南ー高雄間は距離にして40キロほど、車で1時間もあれば到着します。

高雄は台北に次ぐ台湾第二の大都市で、南国ムード漂う貿易・工業都市という感じです。

宿泊したホテルは寒軒国際大飯店。そのホテルの部屋から市内を撮影しました。

高雄

左奧に見えるのは、高雄のランドマークといえる超高層の東帝士85ビルです。

早速、東帝士85ビルの展望台に登り、高尾港の方角を望みます。

高雄

船が何隻か入港していますね。右に見える山は、市街の西部にそびえる壽(寿)山。寿山公園となっており、市民の憩いの場となっています。
(続く)

台湾取材旅行12 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

台湾と邪馬台国(下)
邪馬台国の議論をいびつにしている要因のひとつには、倭国と邪馬台国と日本が同一であるとの思い込みがあります。最初に結論ありき、なんですね。確かに7世紀になれば、倭国は大和朝廷とほぼ同一視され、『随書』など中国の文献に登場します。しかし3世紀の『魏志倭人伝』に登場する倭国が日本のことであると考えるのは、推測にすぎません。むしろ、倭人伝に描写されている倭人の生活風習・衣装、それに倭国の自然環境や気候を読むと、倭人とは九州地方を含む南方航海民(南洋海人)族である可能性が高いように思われます。

位置の記述と風習・気候の記述が南方の大海にある国を指し示している以上、南西諸島を候補地としなければならないのは当然だとしても、唯一の問題は南西諸島には陸行一月を要するような大きな島がないことですね。そこで浮上してくるのが、南西諸島に近い台湾やルソン島になるわけです。

そんなまさかと思われる人が多いと思いますが、5世紀の中国の紀行文『佛國記』には、仏僧法顕がインドから中国へ海路渡る途中、南シナ海周辺で嵐に遭遇、「耶婆提國」という謎の国に漂着して5ヶ月間を過ごしたと記述されています。「耶婆提國」は地理的な関係からフィリピンではないかとみられています。

またルソン島からはルソン壺という年代も製作者も不詳な「非常に古い土製の壺」が多数発見されています。一方台湾は、漢民族が流入する前はルソン島などから流れてきた海人族らが住んでいました。現在では山岳部など僻地に追いやられていますが、アミ族、タイヤル族、パイワン族など11の台湾原住民族が確認されています。

ルソン島が邪馬台国であったという説は以前、加瀬禎子さんという方が『邪馬台国はフィリピンだ』(月刊ペン社)という本を出されています。邪馬台国がいったいどこなのか、私にはわかりません。ただ巷にあふれている邪馬台国論争の本の中では、先入観を排除して原文に忠実である点で一番説得力があるように思います。

残念なことは、フィリピンや台湾の12世紀以前の歴史というのはほとんどわかっていないんですね。台湾については、同じ中国三国時代の三国志呉書孫権伝に「夷洲」として登場しますが、どのような国なのかについての記述はありません。「夷洲」とともに記述されている「檀洲」という国(島)も登場しますが、「檀洲」にいたってはどこに存在するのかもわからない謎の国(島)とされています。

実は台南最後の夜は、台中に住む黄耀能・成功大学教授(歴史学)と三時間ほど邪馬台国論争を含む日本の古代史について意見を交換しました。黄教授は東京大学で史学の博士号を取得、台湾の大学で歴史を教えながら、古代中国の社会・政治システムが日本へどのように伝わり、どう変遷したかを研究しています。

黄教授は東大で史学を勉強したこともあり、当然、邪馬台国は日本であったとの説を採っています。ただし、魏志倭人伝の記述を忠実に読むと、どう考えてもうまく説明できないことは認めています。

さて、ここで問題です。邪馬台国の所在地については黄教授と意見が異なりましたが、同教授とは「やまたいこく」という国も、「ひみこ」という女王も存在しないことで意見が一致しました。その理由は何でしょうか。


答えは・・・

台湾語の「おでん」のことを思い出してください。「黒輪」と書いて読みが「オーレン」でしたね。つまり漢字は当て字にすぎません。当時の魏の言葉で「邪馬台国」と「卑弥呼」をどう発音したかがわからないと、実際どういう名の国があり、どういう名前の女王がいたかわからないのです。邪馬台は「ジャマトゥ」であったかもしれないし「ヤバタイ」であったかもしれないし「セマダイ」であったかもしれないわけです。日本語の「ヤマタイ」と呼んだ可能性はほとんどありません。ヤマタイコクというのは架空の名前ですね。卑弥呼も同様です。「ペミフ」とか「ビミファン」という音に卑弥呼という漢字を当てたにすぎないのです。黄教授によると、当時の魏でどのような読みをしていたかははっきりとはわかっていないということです。

少なくとも卑弥呼を「ひみこ」と呼ぶことは、黒輪(オーレン)を「コクリン」と読むのと同様、意味がないことがわかります。「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」という川柳のような状態になってしまうわけです。「ひみこ」とは私のことかと、卑弥呼も古墳の中でつぶやいているかもしれませんね。

台湾取材旅行11 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

台湾と邪馬台国(上)
邪馬台国というと、一般的に九州説と近畿説がありますが、『魏志倭人伝』を素直に読むと、どうしても九州よりはるか南の大海上にあることになりますね。この大きな矛盾があるために、九州説も近畿説もこじつけにすぎないように私には思われます。

学者の人たちは先入観を持っていますから、関西地方の大学の学者は近畿説、関東地方や九州地方の大学の学者は九州説を採る傾向があることはよく知られた事実です。「おらが村が一番」的な学説が横行するのもそのためです。

先入観を持たずに『魏志倭人伝』を読めば、台湾は重要な意味を持ってきます。なぜなら『魏志倭人伝』には、九州地方とみられる場所から南へ水行20日で投馬国に至り、さらに南に水行10日、陸行一カ月で邪馬台国に至ると書かれているからです。沖縄諸島や台湾が投馬国、もしくは邪馬台国と関係してくる可能性が出てきます。

決定的なのは、『魏志倭人伝』には邪馬台国の場所が「まさに会稽の東冶の東」にあると明記されている点です。実際には「東冶」ではなく「東治」となっているのですが、どちらの場合をとっても、緯度で言うと北緯25度から北緯30度近辺にあった会稽(当時の会稽郡とみられる)の東にあったと記されています。これを日本列島に当てはめると、北は屋久島、南は宮古島、つまりまさに南西諸島が女王の国となるわけです。

ここで思い出してほしいのは、「羽根のライン」でも説明しましたが、古代航海術において自分がどれだけ北にいるのか南にいるのかを知ることはそれほど難しくなかったということです。天体(北極星など)の高度を測ればおおよその緯度はわかります。ところが経度(自分の船がどれだけ東や西に流されたか)を知るためには精密な時計の誕生を待たなければなりませんでした。

『魏志倭人伝』では自分の国(魏=だいたい北緯40度~30度)よりも南にあると明記されているわけですから、南へ船で進まなければなりません。船で20日も進めば、台湾ぐらまでは簡単に到達してしまいます。さらに10日間も南に進めば、フィルピンのルソン島です。

台湾はにわかに邪馬台国の候補地になるわけです。
(続く)

台湾取材旅行10 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

台南6
先を急ぎましょう。
これは鄭成功の記念廟である延平郡王祠

台南

鄭成功の生い立ちなどを紹介している資料館があります。

次は大南門の壁の穴から見たガジュマロの木。

台南

そして壁に張り付くように根を絡ませているガジュマロ。

カジュマロ

すごい生命力ですね。大南門は緑豊かな静かな公園の中に建っています。別名・月城。ロマンチックな名前ですね。

こうして台南での二日目が過ぎて行きました。翌日は高雄へ向かいました。
(続く)

台湾取材旅行9 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

台南
文聖とされる孔子を祀った孔子廟を簡単に紹介しましょう。孔子廟は台湾各地にありますが、台南にあるのは1665年に創建された台湾最古のものです。台湾の儒学発祥の地ともされています。

孔子廟の門。

門

敷地の中には廟や学堂など15の建築物が点在。

広場もあって、市民の憩いの場になっています。

台南

ここで問題です。

孔子廟の南門に続く道はたくさんのお店がならぶ商店街になっていますが、そのうちの一軒が「台湾黒輪」という看板を掲げていました。黒輪とは何でしょう?

お店


答えは・・・

台湾読みで「オーレン」。日本語では「おでん」です。日本統治時代の日本語のおでんの読みに漢字を当てはめたそうです。ただしよく見ると、日本が今食べているおでんとはちょっとちがいます。昔、赤塚不二夫の漫画『おそ松くん』に登場したチビ太が食べていたような串にさしたおでんを食べていました。
(続く)

台湾取材旅行8 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

台南
台南市街から西に行くと、台南運河があります。この運河は鄭成功軍とオランダ軍が激戦を繰り広げた場所でもありました。

その激戦地のそばにあるのが、この鹿耳門天后宮です。

台南

やはり祀られているのは、台湾の守護神ともいえる媽祖です。海の神様ですから、門の前に大きな船が置かれていました。

この媽祖廟内も豪華絢爛です。
これは天井に彫られた龍。

龍

台湾の廟には、いたるところに龍がいます。『不思議な世界の歩き方』では、龍の写真を撮るのに苦労しましたが、台湾や中国では苦労する必要がまったくありませんね。

これは絵馬(中国語で何というかはわかりません)。願い事が書いてあるようです。

絵馬

やはり屋根には龍がいます。

廟の中はワンちゃんもいました。

ワンちゃん

このワンちゃん、床の上に大きなお土産を残していましたが、だれも追い払ったりしません。ワンちゃんには大らかなようです。

町を歩いていても、よくワンちゃんに出会います。放し飼いにされている犬が多いように思いました。
(続く)

台湾取材旅行7 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

台南3
台湾にはいたるところに廟があります。日本でいえば、お宮(神社)に当たりますね。

これもそのひとつで、台南にある祀典武廟。中国の三国志に出てくる蜀の武将・関羽を祀った廟です。

台南

手前にあるのは香炉。赤いクッションのところにひざまずき、お線香を上げてお祈りします。台湾のお線香は日本の香と違ってかなり長いです。香炉の取っ手のような部分には龍の彫り物が、上部にも獅子のような彫り物がありますね。この廟の屋根の部分には、やはり龍が二体彫られています。

中国の聖人には「文聖」と「武聖」がいますが、武聖とはこの関羽のことです。文聖は孔子ですね。

関羽は、名は「羽」字は「雲長」といい、西暦160年に中国山西省で生まれました。「桃園の誓い」で劉備、張飛と義兄弟となり、劉備が挙兵した際、その部将として中原に武名を轟かせました。関羽が今もなお武聖・神として崇められるのは、彼が生涯を通じて義理を重んじ、その勇気に優れ、智に長じていたからだそうです。さらに簿記法にも長けていたらしく、商業の神としても奉祀され、中国各地で「義烈関帝」と崇められています。

次は確か、武廟の隣にある台南大天后宮の内部の写真です。

台南

日本の神輿(みこし)に似たものが置いてあったので撮影しました。豪華絢爛ですね。手前の牛さんもかわいいです。

台南大天后宮はもともと、明朝最後の王族・寧靖王の王宮として1684年に建てられましたが、王の死後は海の守護神であり、台湾でもっとも信仰を集める媽祖を奉る廟となりました。媽祖の話は「鹿港」の項で詳しく語りたいと思います。

台湾取材旅行6 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

台南2
これが鄭成功の像です。

鄭成功

鄭成功は中国・漢民族の英雄なのですが、日本でも二つの理由から親近感がわく人物として知られています。

ひとつは近松門左衛門の『国姓爺合戦』の主人公のモデルになっているからで、もうひとつは実際に鄭成功の母親が日本人だったからですね。

鄭成功は1624年、九州平戸で生まれました。母は日本人の田川松、父は初めは海賊の頭目で後に明朝の遣臣として厦門(アモイ)を中心に活躍した鄭芝竜。14歳で科挙の地方試験に合格、21歳のときにその才能を明王隆武帝に認められ、皇帝の姓(国姓)である「朱」を贈られました。鄭成功自身は恐れ多いという理由で国姓を名乗りませんでしたが、庶民は敬意を込めて鄭成功のことを「国姓爺(注:爺はだんなの意味)」と呼んだそうです。

しかし、ちょうどそのころ、明朝が滅ぼされ清朝が中国を支配するようになります。そこで鄭成功は明朝の再興を目指し、「異民族(満州族)王朝」の清朝を倒す決意をします。まずはオランダが支配する台湾に進攻、オランダ軍を激戦の末破り、台南に「反清復明」の拠点を築きました。

その後も台湾開墾を進める一方、清朝打倒のために各地で戦闘を繰り広げましたが、1662年に死去。息子の鄭経が父の遺志を引き継ぎました。だが清朝は1683年、台湾の鄭一族を打ち破り、台湾を支配するようになりました。

それでも鄭成功の人気は今でも高く、台南には鄭成功の足跡や偉業を称える碑が多く残っています。
(続く)

台湾取材旅行5 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

台南
お昼過ぎに新幹線の台南駅に到着。地元の人が駅まで出迎えてくれたので、その人の車に乗って台南市内へ。台南は台北と違って北回帰線を越えて南に入りますから、熱帯圏です。

熱帯植物も生えています。これは多分、ガジュマロ(台湾語で榕樹(ようじゅ)。

ガジュマロ

英語名で台湾バニヤン(Taiwan Banyan)とも呼ばれているようです。熱帯の樹木ですね。台北はビジネス都市でしたが、台南は歴史のある古都という感じでした。

昼食後、最初に訪れたのは、台南でもっとも古い史跡とされる「赤嵌楼(せきかんろう)」。

台南

もともと台湾には、ルソン島など東南アジアから渡来した台湾原住民が漁労や狩猟、焼き畑農業を営んで生活していましたが、17世紀になって台湾の地理的重要性に目をつけた西欧諸国のうちオランダとイスパニア(スペイン)が台湾に上陸し、通商基地として要塞を築き始めました。

1653年に台湾南部を占領したオランダ軍によって建てられたのがこの「赤嵌楼」で、プロビデンシャル城や紅毛城とも呼ばれました。

そのオランダ軍も清朝打倒を掲げる、海賊の息子・鄭成功に追い出されます。赤嵌楼はその後、地震で倒壊。基台の上に文昌閣と海神廟が建てられ、日本統治下では病院や宿舎として使われるなど激動の歴史を見つめてきた古城といえます。

上に紹介した写真は海神廟を小さな堀のあるところから撮ったものです。

これはその小さなお堀。

台南

コイが泳いでいるので、見物客が覗き込んでいます。

台南

海神廟からお堀を撮るとこうなります。

台南

羅漢でしょうか。建物の中に祀られていました。

台南

これは鄭成功が使ったとされる船の模型ですね。

船

鄭成功については、次回詳しく紹介します。
(続く)

台湾取材旅行4 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

台南へ
3日目の3月1日は、台湾高速鉄道で台南へ向かいました。いわゆる台湾新幹線ですね。ことし一月に営業を開始したばかり。

ただし、台北駅までの開業は翌日だったため、台北市の中心街からタクシーで30分ほど離れた板橋駅から台湾新幹線に乗り込みました。

これが板橋駅に入ってくる台湾新幹線。

台湾新幹線

ちょっとシャッターチャンスを逃し、先頭車両を撮り損ねました。

台湾新幹線開業までには、紆余曲折がありました。当初、フランス・ドイツによる欧州連合が契約を獲得しましたが、政治的な思惑や台湾大地震、ドイツの高速鉄道事故などが重なり、一転日本連合に切り替えられました。それでも欧州方式のシステムはすでに導入されていたため、分岐機はドイツ、列車無線はフランス、車両は日本製というように日欧混在システムとなりました。

このような寄せ集めの技術のせいもあってシステムトラブルなどが発生、本来なら昨年10月に開業の予定が大幅に遅れ、今年一月にずれ込んだのだそうです。

この新幹線の登場により、これまで特急で約4時間かかっていた台北ー高雄(左榮)間の約350キロを最短90分で結ぶようになるそうです。

最高時速300キロというこの新幹線の乗り心地は快適でした。トンネルに進入する際もほとんど揺れません。私が乗り込んだのは、12車両中一両しかないビジネスクラスの車両。奮発しました。といっても2180元(約7000円)ですから、それほどでもありません。

板橋駅を午前10時25分に出発した新幹線は、定刻どおり午後12時8分、台南駅に到着しました。
(続く)

台湾取材旅行 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

台北
TAIPEI101の北西すぐそばには、中山公園があります。早朝には太極拳や気功をやったり、休みの日には子供たちが凧揚げをしたりして遊びます。この中山というのは、国父・孫文の別名ですね。ちなみに蒋介石は中正と呼ばれています。

中山公園に隣接して、その孫文生誕100年を記念して1972年に建てられた記念館「国父紀念館」があります。

紀念館前の植木の芸術的な刈り込み。

台北

鹿さんですね(多分)。

台北

紀念館の中には、孫文に関する史料展示室があるだけでなく、2600人収容可能な国内最大級の劇場も備えています。

これは建物一階にある孫文像の前を見張る衛兵。

孫文

台湾にも兵役があり、私を案内してくれた同年代の台湾の人も陸軍に2年ほど入隊していたと話していました。

この日(2月28日)の午前中は、世界四大博物館にも数えられる故宮博物院を観に行きましたが、ちょうど2・28事件を記念して学校が休みだったらしく、大変混雑していました。

2・28事件は、第二次世界大戦後の中国における国共内戦の敗北で大陸から逃げてきた国民党政府とそれ以前から台湾に住んでいた台湾人との摩擦から生まれました。1947年2月27日の夜、国民党専売局のヤミタバコ摘発隊が、逃げ遅れたヤミタバコ売りの寡婦を殴ったことが事件の発端となりました。それに抗議して集まった群衆に摘発隊が発砲、一人が死亡。このことが火に油を注ぎ、翌28日には台湾人のデモ隊が専売局や行政長官公署に押しかけました。これに対し国民党政府は機関銃の一斉射撃で応じ、多数の死者を出す事態に発展。その後も蒋介石は抗議行動には徹底した弾圧を加え、国民党政府に反感を抱く知識人など数万人を殺害したとされています。

故宮博物院の院内の写真撮影は禁止されているので、残念ながら写真はありません。そもそも中国歴代王朝が引き継いできたという至宝の数々は中国大陸にあってしかるべきだと思いますが、蒋介石率いる国民党政府が台湾に逃げ込む際に当時南京にあった財宝類を台湾に運び込んでしまったんですね。皮肉なことにそのおかげで、めったにお目にかかれないような財宝の数々が台湾で観ることができるようになりました。

さて、再び問題です。次の写真は何の変哲もない中華(台湾)料理に見えますが、実は決定的に普通の中華料理とは違う点があります。それは何でしょう。

台湾


答えは・・・

実はすべて菜食(ベジタリアン)料理なんですね。動物や魚の肉、卵はいっさい使っていません。中国語では「素食」と書きます。粗食ではありませんよ、念のために。

下の料理など肉にしか見えませんね。

台湾

肉に見えるのは、実はキノコです。味もおいしいですよ。

次は蒲焼?

台湾

黒く見えるのは海苔。肉に見える部分は大豆など豆類を使っているようです。

本来素食はお寺の僧侶のための精進料理でしたが、健康にもいいということで台湾で一般化していきました。しかも味を追求しており、おいしくて健康にもいいと人気を博しているそうです。台湾に行かれたら一度試してください。

東京ではJR中野駅北口の「ブロードウエイ」二階にあります。麗安さんの「香林坊」。よく利用させていただいております。
(続く)

台湾取材旅行2 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

台北2
TAIPEI101の89階の展望台から見た台北の景色です。

台北

東京とそう変わらないですね。建物だらけです。

川が流れて、遠方には山が見えます。これは北の方角で、山は陽明山公園。温泉などが楽しめる人気スポットだそうです。

台北

これは東の方角を眺めたところです。

台北

山が市街地に迫っています。

これは南西の方角。

台北

雲が垂れ込めています。

西側に広がる台北市街地。

台北

日も落ちてきました。遠くに山々が連なっています。

台北

最後に問題です。これは何でしょう。TAIPEI101の中にあります。

何でしょう?


答えは・・・

風よけアンカー」です。直径5・5メートル、重さは何と660トン。巨大な振り子状の重り(錘)のようなもので、風や地震の際には101のような高層ビルの揺れを抑える働きがあるそうです。今のところ世界でもっとも大きくて重いアンカーで、建造費は1億3200万元(約四億6000万円)とのことです。
(続く)

台湾取材旅行1 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

台北
2月27日から3月8日までの台湾取材旅行。台北2泊、台南2泊、高雄2泊、台中3泊の9泊10日という日程でした。

台北に到着して最初に撮ったのがこの写真。

台湾

台北市内のホテル「康華大飯店」に着いた後、部屋の窓から撮った写真です。何の変哲もない写真ですが、タクシーの色が黄色で統一されていたり、看板が漢字だけだったり、ちょっと異国情緒があります。私は1977年の学生時代に中国を三週間旅行したことがありますが、台湾は初めてです。

このホテルの西側には松江市場という、小さな食料品店が並ぶマーケットがあって、到着後すぐに探検に行きました。魚や果物などを売っており、さっそく蓮霧という赤色の果物を購入して味わいました。うっすらと甘く、歯ごたえはシャキシャキしていておいしかったです。

次の写真は、中山公園から撮ったTAIPEI101

台湾

遠くにそびえるタワーが、高さ508メートル、地上101階建てと世界一高いTAIPEI101です。2004年12月にマレーシア・クアラルンプールの「ペトロナス・ツインタワー」を抜いて世界一になりましたが、中国・上海に今年完成予定の「上海環境金融中心(WTC)」に抜かれる見込みだそうです。バベルの塔はどこまで高くそびえるのでしょうか。

手前では子供たちが凧揚げに興じています。

(外出しなければならないので、続きはまた後で。)

量子論的に解釈した過去生と複数の過去、及び未来 「不思議な世界(409)」

干渉し合う世界と収束される世界
退行催眠で私が見た「過去」と霊能力者が見た「過去」が細部では異なっていても、だいたいで一致したことは、非常に面白い現象であると思う。私は未来も過去も、大きな流れは決まっているが、現在よりも時間的に遠く離れれば離れるほど変動幅も大きくなるのではないかと思っている。つまり遠い過去や未来になるほど、まるで時間が振動しているかのようにぶれる。70%の確率で起こる未来(あるいは過去)と20%の確率で起こる未来(過去)といったように、複数の未来や過去が同時に存在するのである。

実はこれは、並行宇宙論で紹介した量子力学の考え方と非常によく似ている。量子力学では、複数の世界が干渉し合いながら共存し、同時進行していると考える。そして、その根幹には、どんなに現実離れしている事象でも、起きる確率が必ず存在するとの考えがあるのである。

たとえば、板に小さなスリット(細い隙間)を上下並行に二つ開け、電子を一個ずつそのスリットに打ち込む。すると電子は、単純に二つの可能性を足したことにならないような分布を示す。上のスリットを通った世界と下のスリットを通った世界が同時に存在し、互いに干渉し合っている波動のような分布を示すのである。

ところがスリットの近くに測定器を設置し、電子が上と下のスリットのどちらを通ったかを観測すると、それまで干渉し合うように分布していた電子が、上か下かのどうちらかひとつを通ったかのような分布を示すのである。

これはすごい現象である。観測していないときは、電子が上のスリットを通った世界と下のスリットを通った世界が同時に存在して干渉し合っているのに、観測を始めると、上のスリットを通った世界と下のスリットを通った世界のどちらかひとつだけが選択されるのだ。観測する前には存在していた世界が、観測後には私たちの住む世界とは別の世界、パラレルワールドへと分岐してしまったと考えられるのである。

古代史も同様なのではないだろうか。現在私たちがいる世界は、複数の未来と複数の過去が同時に存在して干渉し合っている世界なのである。ところが観測者が観測を始めると、そのうちのひとつの世界(未来及び過去)が選択される。私が退行催眠で見たビジョンはひとつの過去の世界が選択されたに過ぎない。同様に霊能力者が見た私の過去生もまた、ひとつの世界が選択された結果となる。どちらも観測前には同時に存在した過去。観測(催眠および透視)することにより、どちらかひとつの過去に収束されたわけだ。

ただし現在の世界を構成するのに必要な大きな流れは変わらずに存在する。私が見たビジョンと霊能力者が透視した私の過去生が微妙に異なったものの大枠では一致した理由は、量子論が説明してくれているのであると考える。
(続く)

退行催眠、前世リーディング、チャネリングを利用した古代史謎解きプロジェクト 「不思議な世界(409)」

それは前世なのか、ただの想像なのか
前世はあるのかもしれないし、ないのかもしれない。もしあるとしたら、前世は今生にも何らかの影響を与えているのであろう。たとえば、今生で何かを見つけたり、誰かと出会ったりしたとき、その人の過去生と何らかのかかわりがあったのかもしれない。とにかく「袖触れ合うも他生の縁」と言うぐらいだ。それぐらいのことはあってもいいだろう。

今日発売の「ムー」にも書いたように、私は1984年に「竹内文書」の謎解きをしている際、東経137度11分に羽根のラインがあることを見つけた。ということは、私の過去生のいずれかにおいて、もしかしたら羽根のラインの形成に関与していた可能性がより強いわけだ。私の前世に古代史の謎を解く鍵があるのである。

そこで昨年12月、私はあるプロジェクトを始めることにした。私は退行催眠をかけてもらい、羽根のラインが築かれたであろう時代へと戻る実験をした。その実験の中で私は、古代の羽根に関する二つのビジョンを見た。しかしこれだけでは、ただの夢なのか、単なる私の想像なのか、それとも本当に自分の前世であるのか明確ではない。

次に私は、ある霊能力者に頼んで、前世リーディングをしてもらった。もちろんその霊能力者には先入観を与えないため、私が退行催眠時に見たビジョンについての情報はいっさい教えなかった。羽根のラインが形成された時代に私がいたのならば、それを見てもらうよう頼んだだけだ。

そのときの詳しい内容について今はまだ明らかにできないが、結論だけ言うと、私が「退行催眠」で見たビジョンと、その霊能力者がリーディングした私の「前世」は、大筋では一致したが、細部では異なっていた。

これをどう捉えるか。大筋があっていたのだから、ある程度客観的に私の前世が存在したと判断するか。それとも細部が違っていたのだから、どちらもただの頭が作り出したもの(でっち上げ)だと考えるか。あるいはどちらかが前世で、どちらかは想像の産物であるかもしれない。意見がわかれるところであろう。

そこで今考えているのは、第三の方法――チャネラーを使って古代史の謎に迫るものである。「ムー」でも紹介した位山の守人Tさんがやってくれたような、宇宙存在にたずねる方法だ。退行催眠の内容も、前世リーディングの内容も明かせないのはそのためである。いっさいの情報を知らせることなしに、もしチャネラーが語る古代が、私が見たビジョンや霊能力者の前世リーディングの内容と一致したら、ある程度は客観性をもって羽根のラインの謎が解けたといえるのではないだろうか。

このプロジェクトは進行中である。

次回は「古代史と量子力学」というテーマになる予定です。

ただいま戻ってまいりました!

今日無事にパラレルワールドから戻ってきました。今回のパラレルワールドは台湾への10日間の取材旅行でした。この取材の成果は、すぐには結実しませんが、おそらく2,3年後には形にできるのではないかと思っています。向こうで撮った写真は、近日中にこのブログで紹介します。

台湾に出かける一日前の2月26日にも、古代史の関係で面白い取材ができましたが、この詳しい内容は残念ながらまだ明らかにするわけいはいきません。差し障りのない範囲で言うと、私の「前世」を使って古代史の謎を明らかにしてしまおうという無謀ともいえるプロジェクトです。結構、面白い結果が出ています。あともう少しですね。

以前お知らせしましたが、明日(一部地域は今日)発売の「ムー」の110ページに私の原稿が出ています。それではまた明日。

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