梅と猫 「ちいさな旅~お散歩・日帰り・ちょっと1泊(154157)」

昨日は天気もよかったので、マイナスイオンを取り込もうと、玉川上水経由で神代植物公園へ。

まず、玉川上水の土手を歩いている猫ちゃんを発見。

猫

飼い猫ちゃんですね。首輪をしています。

猫

猫

近くの民家では、縁側で猫ちゃんが日向ぼっこ。

猫

のどかな、懐かしい風景です。

神代植物公園では梅の花が咲き始めていました。

紅梅。

梅

梅

梅

梅

白梅です。

梅

梅

そして、蝋梅。

蝋梅

蝋細工のような、梅に似た花ということから、蝋梅と名づけられたそうです。

蝋梅

とてもいい香りがします。

蝋梅

これは梅の木のそばで咲いていた水仙。

水仙

可憐ですね。

ベンチに座っていると、どこからともなく猫ちゃんが現われました。

猫

人なつこそうな猫ちゃんです。

猫

日向ぼっこ。

猫

つい、まどろんでしまいますね。

猫

日影に隠れてしまいました。

猫

茂みにも猫ちゃんが隠れています。

猫

この猫ちゃんは、すぐに逃げてしまいました。

梅と猫の一日でした。
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四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

イオンクラフトの欠点と副作用
原理は以上のようなものであったが、本当に飛ぶことができるのだろうか。
「11PM」の番組内の実験では、照明を少し暗くしたスタジオで全長10センチほどの「イオンクラフト」が青白いコロナ放電の尾を引いて、空中をヒューヒューと飛行したのであった。

ただし、このイオンクラフトには欠点があった。原理からして空気中で飛行するものだから、空気のない宇宙空間まで同じ仕組みで飛行することはできないのだ。推進力を得るにはイオン化できる何らかのガス体が必要であるように思われた。

しかし内田は、その後の独自の実験で、宇宙に存在する電場を使えば空気がなくても推進力が得られるかもしれないと考えるようになったらしい。というのも、イオンクラフトの実験をすると、朝方は東の方向に動いていたイオンクラフトが夕方には南の方向に舞い上がったりしたからであった。地球に降り注ぐ電荷した微粒子群がイオンクラフトに影響を与えている。ならば宇宙に満ちている天体電磁波エネルギーを使えば、同様の原理でイオンクラフトを飛ばすことができるかもしれないのだ。

ガソリンエンジンでもロケットでもモーターでもない「イオンエンジン」を装着した、直径60センチほどの内田の円盤型イオンクラフトは音も立てずに動き続けた。イオンクラフトの実用化は確実なように思われた。ところが、そこにも落とし穴があった。これもプラスイオンなどイオン化した微粒子による悪影響なのだろうか。イオンクラフトの実験を重ねるうちに、内田自身に「電気中毒」ともいえる症状が現われ始めたのだ。腹痛、下痢、眼底への圧迫感――。強烈な副作用の前に、これ以上の実験は不可能に思えた。

内田が改良・開発した円盤状のイオンクラフトは、一種の電源装置として日本で特許を得た。だが、個人レベルの研究では限界があった。研究の引き受け手を探したが見つからず、この研究は中断されたままだという。
(敬称略=続く)

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

空飛ぶ円盤の開発・実験
磁場や電磁波、電荷(プラスイオン)などが人間に及ぼす悪影響については、そのメカニズムを含めてよくわかっていないが、内田はそれを、身をもって体験している。その恐怖の体験は、空飛ぶ円盤(UFO)の開発・実験中に起きた。この「UFO」こそ、コロナ放電による風で飛ぶという奇妙な飛行物体「イオンクラフト」であった。

内田によると、最初にイオンクラフトを飛ばすことを考え付いたのは、マジョール・デ・セバルスキーというアメリカ人で、1964年8月号の『ポピュラー・メカニック』という科学雑誌で発表された。その記事の翻訳が『科学読売』1965年五月号に掲載されたことから、まず千葉県の中学校教諭が日本製イオンクラフト第一号を完成させたのだという。その改良機が1971年4月26日に大橋巨泉が司会を務める日本テレビ系列の『11PM』で放映されるや、全国から問い合わせが相次いだ。

イオンクラフトは、どういう原理で空中を飛行するのか。内田は説明する。

空気中に相対抗する金属板を設置し、適当な電源によりそれぞれの金属板にプラスとマイナスの電圧を与える。この電圧を次第に高くし、空気がイオン化する電圧になると、プラス電極の周りにはプラスに、マイナス電極の周りにはマイナスにイオン化した空気分子ができる。

その二つの電極間の電圧をさらに上げると、このイオン化現象が激しくなり、コロナ放電の現象が肉眼でも見えるようになる。この状態でプラス側の電極を平板でなく針状の電極に取り替えるとどうなるか。

尖った針状電極は、避雷針と同様に、その先端の部分には電荷が集中する特性がある。従って、針状電極の先端の周りに存在する空気分子は他の部分の空気分子よりも強く帯電するようになる。帯電している空気分子は、電荷を中和する方向へと移動する。つまり、針状電極の周りの空気分子は平板なマイナス電極の空気分子より強く帯電しているので、平板電極側に引かれて集団移動を開始する。

これにより、針状電極と平板電極の間にある、イオン化していない空気分子の群を平板電極側に押しやることになる。このとき、平板電極側に空気分子群の抜け穴を開けておくと、平板電極側に強い力で引き寄せられた空気分子群は、電荷だけ平板電極に吸い取られて、平板電極の抜け穴から風が吹くように抜け去る。この風を推進力にすれば、物体は浮かぶわけである。
(敬称略=続く)

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

植物からの警告
内田はまた、当時親交のあった霊能力者の意見も紹介している。

ある霊能力者は言う。「地下に埋もれている石油は、やたらと使うものではない。最近は、日本の国のまわりの海底から、石油を吸い上げているというが、これは、日本の国のエキスを吸い取るようなもので、こんなことを長く続けるなら、歴史ある日本の国は腑抜けになって間もなく滅びるだろう」

別の霊能力者は内田に次のように言ったという。「石油は植物の精霊のエキスのようなもので、これをやたらと使うことは、地上に生物が誕生して以来、生物が住みやすいようにその老廃物を吸い取ってきた塊を、再び地上に振りまくようなものだ。こんなことを続けると、昔からの植物の精霊のたたりで、地上の生物は食物や飲み水を口にすることができなる。やがて空気が奪われ、生物が住むことができなくなり、人類も滅亡するだろう」

実際に植物のたたりで人類が滅亡するかどうかはわからないが、内田のプラスイオンの実験から40年近くが過ぎた現在において私たちが目撃する地球規模の気象変動は、人類の生存を脅かすほどになってきたことは間違いない。

内田自身も警告する。
東京の空に限らず、全国の都市部の空に充満する微粒子粉塵によるプラスイオンが、マイナスイオンを輻射する植物や、健康な人体の皮膚に飽きることなく集中攻撃を加えていることは実験からも明らかである。あたり一面に付着した微粒子粉塵は、雨で洗い流されたとしても、熱エネルギーが存在するかぎりプラスイオンを輻射し続ける。このプラスイオンは川や海に棲む魚介類を傷つけ、回り巡ってこれを食べる人間や生物の臓器や骨髄に攻撃を加えていく。

既にプラスイオンの恐怖は、光化学スモッグなどの公害となってキバをむきはじめた。一日も早く、石油を買い付けたり、使ったりするのをやめ、その副産物であるいっさいの製品の製造をやめ、手許にある石油関連製品いっさいを燃やすことを禁止しなければならない。そんなことをしたら、すべての産業構造が破壊され、調子が狂ってしまうという方が多いだろうが、1945年8月15日の終戦当時の大混乱を思えば、そう難しいことではないはずだ、と内田は主張している。

この問題の最後に、プラスイオンで汚染されている都会に居住する人たちが健康を維持するにはどのような工夫をすればよいか内田が提案しているので、それを紹介しておこう。「なんといっても熱い風呂に入って湯気がもうもう立ち込める中で、クンバハカ、つまり深呼吸を何回も繰り返し、汗を出すのがよい。実験によると、風呂の中の湯気は、温度によっても異なるが、マイナスイオンが充満しているのである」
(敬称略=続く)

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

プラスイオンの正体
内田のプラスイオンに関する実験は続いた。プラスイオンに帯電した微粒子粉塵は、接地・付着した物質の表面で、完全に酸化などするまで、温度に関連・比例してたくさんのプラスイオンを輻射し続ける特性があることが、実験によってわかったのだと内田は言う。 

厄介なことに付着した微粒子粉塵によるプラスイオンの輻射は、温度が上がるにつれて膨大な量になっていくという。夏の季節になり、外気の温度が上昇してくると、それまで潜んでいた微粒子粉塵からプラスイオンの輻射が始まる。すると新たにやってきたプラスイオンの微粒子粉塵はプラス同士で反発するので、付着・設置場所を見つけることができず空気中を漂う。そして安住の地を求めて、日中マイナスイオンを輻射している植物や日影になる冷たい場所に集中するようになる。

植物は過剰なプラスイオンに中毒を起こし、生気を失い、ドンドン枯れていく。一方、上空に舞い上がったプラスイオンの微粒子粉塵は、太陽からの紫外線などで上空にできるマイナスイオンと結びつき、雲を形成する。すると、地上に到達する紫外線の量が減り、マイナスイオンが空間にできにくくなるため、地表と空の雲との間には、互いに反発するプラスイオンの微粒子粉塵が充満し、スモッグが発生するのだと、内田は解説している。

ではどうしたら、微粒子粉塵によるプラスイオン汚染を制圧することができるのか。答えは簡単だと、内田は言う。「とりあえず石油を使うことをいっさい止めるとか、必要ギリギリに制限」すればよいのである。ガソリンや重油はもちろん、プラスチック類、農薬、PCB、化学調味料、洗剤など公害の元凶といわれているほとんどすべてのものは、石油が原料になっている。ガソリンや重油をたくさん使うから、このような副作用が発生してしまう。この答えは、奇しくも、地球温暖化問題に迫る映画『不都合な真実』の中でアル・ゴアが語る解決策とほぼ一致している。

内田は別の研究者による次のような主張も紹介している。日本人には知恵がある、なければないように、また新しい工夫をするようになる、いつまでも昔の方式のガソリンエンジンなど使うべきではない、改良に努力せよ、と。
(敬称略=続く)

「知りすぎた男」の語らなかった真実

ついうっかり、エドゥアルド・ハワード・ハントの死亡記事を見落としていました。ハントは拙著『ジョン・F・ケネディ暗殺の動機』と『カストロが愛した女スパイ』でも取り上げた、悪名高い元CIA情報部員ですね。カストロ暗殺計画やピッグズ湾事件、ウォーターゲート事件に関与しただけでなく、ケネディ暗殺事件の実行犯を現場で指揮した可能性の強い人物です。

ハントは自著で、ケネディ暗殺の背後にはリンドン・ジョンソンがいたことを示唆していますが、私から見れば、ハントを含むCIAの関与を否定するための詭弁もいいとこです。CIA内部のケネディ暗殺グループは当初、キューバのフィデル・カストロのせいにしてキューバに武力行使しようとしましたが、米ソの全面対決に発展することを恐れたジョンソン大統領に「カストロ暗殺犯説」をもみ消されたことを逆恨みしていました。だから同じくウォータゲート事件で捕まった部下のフランク・スタージスらに「ジョンソンは共産主義者と通じている」などと吹聴させたのです。もちろん、ジョンソンは共産主義者と通じていることもなければ、ケネディ暗殺にも関与していません。そもそもジョンソンは愚鈍で、そのような玉ではありませんね。

ニクソン大統領から「ヤツは知りすぎている」と言われたハントは今月23日(米国現地時間)、結局真実を何も語らないまま、マイアミで死去しました。88歳。詳しくは、ニューヨークタイムズこちらをお読みください。

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

プラスイオンとマイナスイオン
草花が咲き誇る野山など空気のよい場所はマイナスイオンで満ちる一方、曇り空にスモッグが漂う都会の汚れた空気にはプラスイオンが充満している。プラスに電荷した微粒子は人間の皮膚や周りの植物などの表面に付着し、そこからプラスイオンを輻射する。そしてプラスイオンに長い時間浸っていると、人間のツボなど生体電気に異常を引き起こし、イライラしたり病気になったりする。内田はこのように考えた。

内田はその考えを確かめるため、大気中のイオンを測る機械を使って、東京・世田谷の自宅の周りで計測を毎日行った。1970年代の世田谷といえば、空気のきれいな住宅地域ということになっていたが、空気中のイオンがマイナスになるのは一週間に一度あるかないかという有様だった。

その中で内田は、面白い現象に気が付いた。一週間か一〇日に一度ある「マイナスイオンの日」には、自宅屋上にあるラン、藤、月桂樹、バラといったすべての植物からは空気中のマイナスイオンの数倍から数十倍以上のマイナスイオンを輻射されていた。ところが、「プラスイオンの日」にはそうした植物から輻射されるマイナスイオンは打ち消され、ツツジ、アロエ、コンフリーなどがわずかにマイナスイオンを輻射する程度で、ほかの植物は「あたかもプラスイオンを輻射しているかのように実測」されたのだ。

内田の自宅から100メートル離れた場所には病院があるが、その病院には焼却炉があり、不要になった発泡スチロールの包装材やポリエチレンの薬瓶を焼いたりしていた。風が病院のほうから吹いているときに空気中のイオンを測ると、プラスイオンがとてつもなく跳ね上がる。湯をわかすのに古タイヤなどを燃やしている、300メートル離れた銭湯が風上にあるときにも、同様にプラスイオンの数値が極端に増加した。

都営のごみ焼却場も同様であった。しかも、プラスイオンの輻射が大きい、軽い微粒子粉塵ほど遠くへ飛んでいくのである。排気ガス、焼却場の黒煙――。都会で生活する人々を苦しめる光化学スモッグは、まさにプラスイオンが作り出す現代社会の病気であるように思われた。
(敬称略=続く)

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

有害なプラスイオン2
電極は両手両足にある26ヶ所のツボに貼り付けられ、実験前と実験後にそれぞれの電気的特性の変化を記録した。内田自身を被験者にしたデータによると、実験前には左右のツボの電気抵抗値は大体同じようなところを示していたが、排気ガスを吸った実験後は、左右のツボの電気抵抗値は非対称となり、明らかに異常が見受けられることがわかった。

立光伝博士がそれぞれのツボにおける電気抵抗値の異常を分析したところ、呼吸器系統のツボである肺経、心包経、心臓経が一様に異常を起こしていた。そして、小腸経、三焦経、大腸経といった消化器系や循環器系にも異常が認められ、肝経、腎経にズレがあることからホルモンの分泌がアンバランスになりイライラする状態にあることがわかった。そのほかの被験者でも、同様に内臓の働きに異常が起こっていることを示すデータが得られた。

電気的、磁気的なものにはオーラがあるのだから、プラスイオンにもオーラがあるはずである。内田は、自動車の排気ガスのオーラを霊能力者たちに尋ねた。彼らによると、排気ガスのオーラは一般的に黄色で、悪性のものは灰色とか薄黒い、いわゆる死のオーラに見えるのだという。この黄色いオーラの中に長時間いると、自分のオーラも黄色に染まる。黄色いオーラを放散する人物の特徴は、我が強く肝臓の機能に異常をきたしている場合が多いのだそうだ。

そこで内田は、長時間排気ガスにさらされている自動車整備工場の従業員四人に対しても、立光式ボディエレクトロンメーターを使って各人のツボの電気抵抗値を測ってみた。するとやはり、肝経と胆経のツボに異常が見受けられた。つまり肝臓機能に異常が認められるのである。

プラスイオンに満ちた空気を吸っている人たちはやがて、黄色いオーラを放散しはじめるのだろうか。少なくともプラスイオンが、生体電気に包まれた人体の働きに悪影響を与えることは確実であるように思われた。
(敬称略=続く)

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

有害なプラスイオン
人間に影響を与えるものの正体を研究しているうちに、磁場や電気的な変化が関係しているのではないかと考えるようになった内田は、次に空気中の静電気に着目した。工場の煙突から出る黒煙、自動車の排気ガスといった人間の体に有害だと思える微粒子の荷電状態を測定したのだ。

その実験は、日本発明振興協会公害対策委員の吉嶺国雄と共同で行われた。自動車の排気パイプの出口から約10センチ離れた場所に、排気ガスの帯電成分を捕らえる目の細かい網を張った電極を設けて、これに特殊な静電気想定装置をつなげて測った。その結果、排気ガスの中には、相当多量なプラスイオンが含まれていることがわかったのである。

内田らはさらに、整備不良のダンプカーと、同じタイプのダンプカーで整備がされているものの排気ガスを測定した。すると、いずれもプラスイオンが測定されたが、整備不良のダンプの方が約50倍もプラスイオンで帯電汚染したガスを排出していることがわかった。

ではこのプラスイオンを、空気とともに呼吸すると人体にどのような影響があるのだろうか。

その影響を調べるために内田が使用したのは、立光式ボディエレクトロンメーターであった。これは医学博士の立光伝が数十年にわたる臨床体験を基に開発した装置で、人体の皮膚の表面に一定の法則に従って点在する「鍼灸のツボ」の電気的な特性を測って、内臓の働き方などを診断する測定器である。

内田らは排気ガス実験をする前とした後で、両手両足のつぼの電気抵抗値を測り、電気的な特性の異常が生じるかどうかを調べた。
(敬称略=続く)

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

魔の方角4
エータ星の剣先が魔の方角を指し示すというのなら、ではその魔力の正体は何なのか。

内田は磁石の針が魔の踏み切りや魔の交差点付近で反転することから、人間の判断や行動を狂わす磁気を帯びた物質が宇宙から飛来するのではないかと考えた。その飛来する方向を示しているのがエータ星の剣先である、と。

これに関連して内田は、江戸時代の学者・平田篤胤の説を参考にしている。平田によると、北斗七星のエータ星とオリオン星座のゼータ(ζ)星を結ぶ線の方角が「魔が差す」方向である、つまりそこには「天のひび」があり、そこから暗殺剣、五黄殺といった恐ろしい魔が降ってくるのだという。

この「天のひび」こそ、磁北極の辺りであり、地球の電気的、時期的な窓ではないかと内田は考えた。この窓から、荷電微粒子や中性微粒子や電波が流れ込んでくる。荷電微粒子は人間の周りの磁場に変化を与える。そして磁場の変化が人間の判断力や行動を狂わせる。

そのような現象は、実際にありうるのだろうか。私は、内田のことをよく知る、知人の大学教授に聞いてみた。すると彼はこう言った。「宇宙や地球のある場所から人間に悪影響を与えるというプラスイオンが出ているとして、その地点に近づけば調子が悪くなり、遠ざかれば調子がよくなるということはありうるかもしれない。魔の方角が存在する可能性はある」

今でこそ、マイナスイオンは健康にいいとして商品化されたり、科学的根拠がないとして非難されたりしているが、内田がこの研究していた1960~70年代当時は、プラスイオン、マイナスイオンという考え自体、ほとんど知られていなかった。内田は魔の方角、魔の交差点、魔の踏み切りといった魔の研究を進めるうちに、このマイナスイオン、プラスイオンが人間にもたらす影響についても科学的考察を進めるようになるのであった。
(敬称略=続く)

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

魔の方角3
内田が注目したのは、1928年に出版された滝沢慎作の『運命三世相』という本であった。滝沢らによると、3000年以上の大昔から統計的に確かめられた天体現象がある。それが北斗七星であり、「この星座が人事の吉凶判断にもっとも重きをなす。北斗は別名四十三の星ともいって、第七の“揺光”を破軍の剣鋒となし、論争勝負対座する人これに逆らって向かうときは百事利あらずとなす」のだという。

第七の揺光とは、北斗七星の第七番目にあるエータ星のことである。滝沢はエータ星の剣先が指し示す方角がどうして人間の運命を左右するのかについては明らかにしていないが、九星学の吉凶の方角と異なり、時間によって方角が変化する「破軍の剣先」の考えに内田は魅せられた。

もしかしたら、自分の身に降りかかった交通違反などの災難もエータ星が関係していたのではないだろうか。内田は早速、月、日、時間によって星座の位置がわかる星座早見盤を使って調べてみた。すると、おおよそエータ星が指し示す方角であることがわかった。内田は当時起きた大きな事故でも、エータ星との関係を調べた。

たとえば1966年3月4日には、東京・羽田空港でカナダ太平洋航空のDC-8型機が事故を起こした。事故機は同日午後四時ごろ香港を出発して東京に向かったのだが、そのときのエータ星は、東北方向、つまり東京を指し示していたという。翌5日にはイギリスBOAC航空のボーイング707型機が、富士山麓に墜落する大惨事が起きた。事故機がホノルルを発って東京に向かったときのエータ星の向きは、経度差などを補正すると西北西、つまり東京を指していたという。

もちろん偶然の一致かもしれないが、内田はエータ星が指し示す方角に向かうことはミステリー世界の入り口に足を踏み入れることにほかならないと確信したのだった。
(続く)

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

魔の方角2
磁場の急激な変化が人間の行動に条件反射的な誤作動を引き起こすのだという仮説を、内田はドンドン発展させていく。人間の行動に誤作動を与えるのは地球磁場の変化だけでなく、たとえば微量かもしれないが、地下に埋設された異質物の電気的、磁気的変化も同様な現象を引き起こすのでないかと考えた。

さらに宇宙から来る微粒子群も人間に影響を与えているに違いないと仮定した結果が、先に紹介した、北斗七星の柄杓の柄に当たるエータ(破軍)星が指し示す方角から飛流するという「謎の色彩光線」であった。

内田がそう考えるようになったのには、あるきっかけがあった。1965年4月4日、内田はいつになく早く起きて、東京・立川に住む顧客のところに、商品代金5000円の集金に出かけた。その日は日曜日で朝が早かったためか、甲州街道はガラガラ。見通しもよいことからついアクセルを踏んで、当時制限時速40キロのところを10キロ以上オーバーして走行してしまった。

すると突然、前方50メートル先に交通取締りの警察官が出てきて、手を広げて「ピピー」と停止の合図をする。「しまった!」と内田が思っても、後の祭り。交通違反切符を切られ、罰金7000円を支払う羽目になった。差し引き2000円の損失である。

内田の家から立川の方角は、九星学(易学から派生した方位学)でいう吉方であり、「事故が起こらないことはもちろん、たとえ白バイにつかまりそうでも、運がよいために捕まらないはず」であった。ところが、内田は捕まってしまった。

それから約三週間後の4月24日、今度は自宅から見て西北に当たる場所で軽い交通事故を起こした。九星学的にはこの日は西北があまりよくないとわかっていたので、わざわざ西の国分寺から迂回して北上したのに事故に遭ってしまった。

内田はこの二つの出来事から、九星学では解けないような魔の方角や法則があるのではないかと考えるようになった。
(続く=敬称略)

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

魔の方角1
このエータ星が指し示すという魔の方角は、内田の「四次元哲学」の根幹をなす仮説であった。

内田の探究はまず、魔の踏み切りなど事故が頻発する現場がなぜ存在するのかという思索から始まった。その謎を解明する手がかりを得るため、内田は磁石を持って電車に乗り込んだ。電車が動く前、磁石は当然のように地球磁場の南北を示す(鉄材の影響を避けるため、なるべく窓際は避ける)。ところが電車が動き出し次の駅に停車するまでの間、運転手の操作などに従って、磁石の針は電車の進行方向に対して直角に振れる。

この針の振れ方を注意深く見ると、なだらかに触れる場合もあれば、急激に振れる場合もある。面白いことに後者の場合で乗客を観察すると、必ずといっていいほど行動に変化が現われるのだと内田は言う。急に窓の外を見たり、今まで読んでいた新聞を裏返したり、本をパラパラとめくりはじめたり、急激な磁場の変化に合わせて行動も変化するのだという。

磁場の急激な変化を実験する場所は、電車のガード下や踏切のすぐそばにある喫茶店でもできるという。電車が通過する影響などで磁場が急激に変化すると、客が席を立ったり、話の内容が急に変わったり、時には口論になったりするときがあることに内田は気付いた。

磁場の急激な変化が人間の考えや動作に影響を与えているのではないか。その瞬間、思考が乱れたり、判断力が鈍ったりするのかもしれない。実際、交通量の多い交差点や踏み切りでは、事故現場の手前に磁場が急激に変化する場所、つまり魔が差す場所があるのだと内田は言う。

近所の人から「魔の踏み切り」と呼ばれている場所を内田が調べたところ、おそらく架線の送電区間の区切り方の関係から、踏み切りの約2~6メートル手前で磁場の方向が逆転することがわかったのだ。
(続く)

羽根のラインの謎 「不思議な世界(409)」

以前、このブログに書いた「羽根のラインの謎」がムー四月号に掲載される予定です。原稿を手直しするときに、位山のTさんに電話をしたら、自動書記の文言を全部おしえてくれました(私はメモを取ってなかったのでうろ覚えでした)ので、今日はそれを紹介します。

Q:布施泰和さんからの質問です。位山を中心にして羽根の地名を作った人たちはどのような方々で、どのようにして南北を測量することができたのですか?

A:位山を中心に羽根の地名を作った人たちは尊い古い時代の方々で、そのときは上空から測量して南北を決めた。その人たちは、古代の浮船に乗って測量をした。それは気球のようなもので、あるエネルギーで浮かぶことができた。

結構面白い内容ですね。詳しくはムー四月号か、以前私が書いた「新聞記者の日常と憂鬱富山支局編(羽根の謎)」をご覧下さい。

今日はこれから出かけるので、「四次元世界を測った男」は明日再開します。

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

亡霊写真のメカニズム
この亡霊の写真について、内田はどのようなメカニズムで写るのか思い巡らした。目に見えなくともフィルムに感光するのだから、亡霊像の光の成分は可視光線の類か比較的波長が長い紫外線であるかもしれない。では、そのような色彩光線とは何か。

ここからは内田のユニークな解釈なのだが、内田は宇宙から飛流してくる微粒子群が心霊写真の撮影を可能にするのだと考えていたようだ。その微粒子群が色彩光線をかもし出すのである、と。内田によると、その目に見えない微粒子群は北斗七星の柄の部分にある第七番目の星η(エータ)星が指し示す方角から来るという。

このエータ星は、破軍星とも呼ばれ、戦国時代の武将・武田信玄も「破軍星」の秘法を使って戦闘を行ったといわれている。すなわち、「破軍星の方向に向かって戦いを挑めば必ず負け、破軍星を背にして戦えば必ず勝つ」のである。

内田はこの破軍星の秘法などから、エータ星が指し示す方角にこそ、摩訶不思議な四次元世界への入り口があるのではないかと考えた。そちらの方角へ向かうと、錯覚や注意力散漫、一時的な意識喪失といった不思議な魔力が働くのである。戦をすれば負け、乗物がそちらへ向かうと、事故に遭う。

実際、内田が霊能力者山田から教えられたクンバハカをして、ゾクゾクする感じがする方向を調べると、ほとんどがエータ星の指し示す方角と一致したのだという。このことから内田は、エータ星が指し示す方角から人間に影響を与える微粒子群が飛流してくるのだとほぼ確信するようになった。

源三窟は心霊写真を撮るには最適な場所であったと内田は言う。地下20メートルという鍾乳洞では、太陽光線やその反射光線がまったく入り込まない。木の葉などの紛らわしいものも無く、放送電波も入り込まない。そのような場所で写真に影響を与えられるのは、宇宙線などの中性子線か中性微粒子群の風しかないはずである。そうした条件を勘案すると、心霊写真は、エータ星の指し示す方角から飛流する正体不明の微粒子群によって醸し出される「目に見えない色彩光線」のなせる業ではないか、と内田は主張するのであった。
(続く=敬称略)

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

幽霊写真の撮り方
再度源三窟で亡霊の写真を撮るに当たって、山田は内田に幽霊の写真の撮り方を伝授した。

山田によると、ただ漠然とあたり構わず写せばいいのではないのだという。まず、以前紹介したヨガの行作法の一つ、クンバハカを三回以上行い、五感の感度を上げる。感度が上がると、やがて自然霊とか幽霊とか亡霊が、たとえ見えなくても現われる方向がわかるようになるという。

たとえば、背中が風もないのにゾクゾクする場合は、自分の前の方向か真後ろに現われる。左肩から左わき腹にかけてゾクゾク寒さを感じる場合は、右の方向を見てから左の方を見る。逆に右肩から右わき腹にかけてゾクゾクする場合は、左の方向を狙ってから右の方を狙うといいらしい。

内田は山田に言われたままにクンバハカをやり、源三窟の鎧と兜がある場所でゾクゾク現象を背中に感じたときにシャッターを押した。すると、鎧の胸のところに再び人間の顔のような模様が現われていた。兜にも相変わらず、不可思議な光が写っている。

ガラスに反射した何かの像や光なのか、それとも本物の心霊写真か。内田はその点を今一度確かめるため、一ヵ月後の9月27日、同じ場所で三度目の実験を試みた。その結果、ガラスに反射した像ではなく、明らかに鎧と兜の周りに、へばりつくように亡霊像が存在することがわかったのだという。しかも、同じ場所から撮っても、その像は撮影するたびに姿が変わるのであった。
(続く)

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

幽霊の写真を撮る
内田が母親の幽霊像を見てから13年が経った1966年の8月14日、内田はとうとう幽霊の写真撮影に成功したという。場所は栃木県の塩原温泉にある源三窟という鍾乳洞。そこに展示してある、ガラスケースに入った鎧と兜を撮影したら、その場では見えなかった亡霊が写っていた。

写真は二枚で、ほぼ同じ場所から撮影された。いずれの写真にも鎧の胸の辺りに模様のような人物像が浮かび上がり、一枚には兜のところに怪しげな光が写っていた。写真撮影する際には、フラッシュは使用せず、光源は裸電球一つであったが、電球の光がガラスケースなどに反射しないように、電球を手に持って調節するなど細心の注意を払った。

撮影現場にいたのは、心霊写真の否定論者ばかりの四人(内田は幽霊の存在は信じていたが、心霊写真はインチキが多いと思っていた)で、うち一人は禿げた頭が反射するかもしれないという理由で撮影現場から離れて立っていたほどだという。

鎧に映った模様と兜の光は何だったのだろうか。内田は霊能力者の山田祐子に鑑定を依頼した。山田はこの写真を手にした途端、真夏の暑い日だというのに、体全体が寒くなったらしく、ガタガタ震えだした。「まあ、嫌な写真をもってきたわね!」と山田は言う。そして、内田に写真に写った亡霊の故事来歴を語ったのであった。

内田はその詳細に関して明らかにしてないので、山田が説明したという亡霊の素性はわからない。内田によると、山田は写真に右手の中指で触れただけで、その人やものの過去から未来にわたって、その姿、形状の変化、移動する場所などあらゆる場面が、脳裏に白黒、カラーの影像となって映り、かつ音声を伴って再生されるのだという。

もし山田の言うとおり何らかの因縁により鎧に像が写ったのならば、必ず再現性がなければならないと内田は考え、8月25日に山田を伴って再び源三窟を訪れた。
(続く)

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

幽霊の存在2
内田は当時、幽霊の存在などまったく信じていなかった。では、今し方見た「亡き母の姿」は何だったのか。内田はできるだけ詳しく思い出し、記録にとどめた。

内田が「幽霊像」を見たのは、3,4秒間のことであった。そのとき真っ暗なはずの室内にあるすべてのものが、P4蛍光体の発光状態と同じような青みがかった白色の蛍光色にボーッと光っていた。幽霊像は壁やふすまにへばりついているのではなく、空間に見え、しかも、その背景は幽霊像の部分だけ見えなかった(つまり透き通ってはいなかった)。

幽霊の腹のあたりから、はっきりとして境目がなく、スーッとなくなり、足は見えなかった。目をパチクリしたところ、目を閉じれば見えなくなり、目を開いたときだけ見えた。幽霊像と室内のあらゆるものの解像度は、めがねをかけていなかったにもかかわらず、普段めがねをかけていないときよりもはっきりしていた。

大きな声で「出ぇたー」とどなったら、幽霊像は音もなく空間からスーッと消え、3~5秒後には、室内の蛍光発光現象も消えて、暗闇になった。幽霊が消えたあとは、何のにおいもなかった。外は雨も降っていなかった。再び寝てから見ようとしても、蛍光発光現象は見えなかった。そのときの寝ているときの状態は、頭の方角が南、足が北向きであった。

内田は考えた。脳の中にある昔の潜像が夢と同じように再現しただけだとの考えもあるようだが、幽霊像は目を閉じれば見えなくなり、目を開くと見えたわけだから、脳の中の潜像ではありえない。どう考えても、幽霊像は錯覚、幻覚ではなくて、その空間に存在したのは事実であり、現代の科学知識ではわからない現象であった。
(続く)

美しい落日 「今日の出来事(965998)」

今日も落日が美しかったですね。

落日

上の写真は国立競技場から見た落日です。

今日はその国立でラグビー大学選手権決勝が行われ、関東学院が早稲田を33対26で破り、早稲田の三連覇を阻みました。関東学院はラインアウトの制空権を完全に掌握、接点でも早稲田をほぼ抑え、まさに完勝という感じがしました。バックスの切れ味もよかったですね。完璧の仕上がりだったのではないでしょうか。昨年の決勝では、早稲田に接点で圧倒され完敗しましたから、その悔しさを一年後にぶつけてきました。関東学院には是非、トップリーグ四強の壁を崩してほしいものです(もちろん、早稲田にもそのチャンスはあると思いますが)。負けた早稲田も首藤、管野らのバックスがよく走りました。五郎丸も難しい角度から2本コンバージョンを決めたし、矢富も相変わらず、いい動きをしていた。ただやはり、制空権を取れなかったことでリズムが悪くなり、随所で焦りが出てしまいましたね。

下の写真は、荒ぶれなかった早稲田の選手たち。

早稲田

試合ですから、勝者がいれば敗者もいます。決勝での勝者には、勝者にしか味わえない栄光があるでしょうが、敗者には敗者にしか知ることができない貴重な経験があるように思います。

美しい落日のような敗北ーー。だけどいつまでも「敗者の美学」に浸っているわけにはいきませんよ。次のシーズンこそ、勝つ前に極まらないで、「荒ぶる」を目指してください。

帰り道で出会った猫ちゃんたち。

猫

猫

最近、三毛ちゃんに出会いません。世話をしている人に聞いたら、昨日まではちゃんといたのに、今日は探しても出てこないとのこと。三毛ちゃんは既に16歳だそうです。ちょっと心配です。

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

幽霊の存在
内田が四次元世界の研究に惹かれるようになった要因は、霊能力者との出会いがあったことは既に述べたが、内田自身が経験してきた数々の不思議な出来事によるところも多い。

1953年四月二十八日の真夜中のことであった。当時NHK技研に勤めていた内田は、試作した受信機の実験をして、午後11時ごろ就寝したのだが、やがて胸のあたりをギューギュー押さえつけられるような感じがして、息が苦しくてどうにもならなくなった。

やがて内田は、腹から足の方まで、重苦しく感じるようになった状態で目が覚めた。うっすら目を開けたら、異常な光景、状態が目に飛び込んできた。寝室の天井、壁、ふすま、柱といったすべてのものが、「P4蛍光体の発光状態」と同じように、ボーッと蛍光を発していたのである。普通、電灯を消して、真っ暗な状態であれば、相当に目の感度がよい状態でも、ものの形がはっきりわからない。ところが、内田が目をうっすら開いて、さらに室内の異状に気づいて、パチッと目を開きなおしても、その奇妙な状態は変わらない。

さらに驚いたことには、寝ている内田の足下付近に、1946年に亡くなった内田の母親の上半身の立っている姿が、色彩こそないが、蛍光体の蛍光色で見えるのだ。それは、確かに亡くなった母親の顔であった。その姿を認めた内田は、あまりの驚きでパチッと目が覚めた。

さらに目を凝らすと、母親の上半身の姿がありありと見えてくる。内田はガバッと起き上がり「出ぇたー」と叫ぶと、隣で寝ていた妻を揺り起こした。だが、どなったとたんに、亡くなった母親の姿はスーッと消え失せ、妻が「どうしたの、何が出たの」と起きたときには、室内全体の蛍光発光状態も消えて、真っ暗闇に戻っていた。電灯をつけて、時計を見たら、二十九日午前零時二十分だった。
(続く)

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

クンバハカ
ここで、内田秀男がよく言及するクンバハカについて触れておこう。
クンバハカとは、ヨガの瞑想・呼吸法の一種。日本ではヨガの哲人・中村天風によるクンバハカが知られているが、人によっていくつかのやり方があるようである。

内田がやったとみられるクンバハカは、へその周りを囲むように両手をそえて、いわゆる臍下丹田に気を込める。そして胸を張り、あごを引き、脊髄が後ろに弓なりに反るような姿勢をとる。尻は後ろに引いて肛門を締める。

その状態で、腹の底から息をなるべく時間をかけてゆっくりと吐ききる。吐ききった後、なるだけ長い間(最低5,6秒)息を止める。その後、息を吸うがそのとき肛門を緩める。

これを一セットとして三回以上行う。

両手を広げてやる方法もあり、内田は毎朝、東に昇る太陽に向かって両手を広げ、クンバハカの行を欠かさず続けた。雨が降っていても、曇っていても、早朝の太陽の方向に向かってやる。内田はこの行を百日間続けてやったところ、不思議な現象を見ることができるようになったという。

何が、見えたのか。内田は神社の御神体から放散する薄紫色の光が見えるようになったのだという。その光は「チェレンコフ現象による蛍光発光」のように、社殿の神棚などに納められていても、御神体の周りに「雲か絹の固まりのような感じ」で放散されていた。内田もオーラが見えるようになったのだ。

そのことを霊能力者の山田祐子らにすると、「(それは)御神体から出ているオーラで、それが神様の後光というもの。あなた(内田のこと)はまだ、霊的視感度が弱いから平気で御神体を見ておられるのですが、霊的視感度がよくなってきたら、とてもまぶしくて長い時間見られるものではない」とたしなめられたという。

クンバハカについて内田は、次のようにも忠告している。
クンバハカの行法は、スモッグの多い日や、スモッグの多い場所でやると、身体の健康上有害であるから、やらないほうがよい。

おそらく大地の気を取り込む行法なので、少なくとも空気のきれいな場所で実施しないと逆効果になるようである。
(続く)

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

第三の目に映る像4
影像がオーラの膜を通してはっきりと見えるという表現は面白い。『不思議な世界の歩き方』で紹介した秋山眞人によると、オーラは身体のそれぞれの細胞から針状に放射されている光の束なのだという。オーラを近くで観測すると、一本一本は糸のようなビーム(光線)で、そのビームが全体として波打っているように見える。身体の中で調子の悪いところから出ているビームは、歪んだように折れ曲がっており、そのあたりが暗くなる。ビームの延長上には小さな点のような光が見え、霊能力者がその点のような光に意識を合わせると、ズームアップしてきて、影像、文字など様々な情報が読み取れるのだそうだ。

おそらく第三の目など人間のツボからは、他の細胞よりも強いビームが出ており、よりはっきりとメッセージを発信しているのではないだろうか。山田が内田に語ったところによると、本人がウソの数字を言っている場合は、おでこに現われる「霊光文字」が、本当の数字とウソの数字が交互に入れ替わり、ときには重なって輝くが、ウソの数字はピクピクと歪むのでウソだとすぐにわかるのだという。

一方、磯部は内田に次のようにも言っている。おでこに現われる文字は額が髪の毛で覆われていても、帽子を被っていても見えるのだ、と。つまり、オーラの光は物体を難なく透過する。まさに霊光と言ってもいい、科学で解明されていない謎の光なのである。清田益章がやったという念写も額から出るビームのなせる業であったかもしれない。

内田の前途には、謎に満ちた不思議な世界が横たわっていた。おでこの電気抵抗値がクンバハカによって常識では考えられないほど大きくなることは、その謎を解くささやかな一歩にすぎなかった。こうした超常現象に魅せられた内田は、この後も四次元世界に科学のメスを入れ続けるのだった。
(続く)

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

第三の目に映る像3
内田がこのKの話に注目したのは、人間の思索は第三の目があるというおでこのあたりに影像として浮かび、霊能力者はその額に映る影像を捉える能力があるのではないかと考えたからだ。内田は以前、透視実験に協力してもらっていた「霊能力者」の磯部友紀子から、「相手のおでこのところに、その人が考えていることが全部映る」ということを聞いていた。磯部によると、おでこから数センチ離れた空間にスクリーンができたかのように影像が浮かぶのだという。

そのとき磯部は内田に、練習すれば誰でも見えるようになると告げた。そしてためしに「強力な念を入れて、額に何かの像を出してみますから、目を細くして額の中央を見なさい」と言う。同席していた一同がいっせいに磯部のおでこの辺りを見つめた。すると、なにかほんわかと赤い色が額の中央あたりに丸く漂っているのが見えた。

そのうち一人が「あっ、赤い灰皿だ」と言うと、次々に「そうだ、そうだ。確かに灰皿だ」と皆も同意する。磯部は「ご名答、よく当たりました。これは、なにもおでこのところに、赤い灰皿を念じたのではなくて、頭の中で赤い灰皿の形態と色彩を思い浮かべて、念を集中しただけです」と言う。その後、皆で念を集中してお互いの第三の目の影像を見る実験をやってみたが、磯部の額ほどはっきりとは浮かんでこなかったという。

おそらくKがニューデリーで出会った老人もKの額に映る影像を見ていたのではないだろうか。磯部の話を聞いた内田は、山田祐子にも第三の目の影像について聞いてみた。山田は次のように内田に言った。おでこの表面から約1センチ離れた空間に文字や画像が浮いたように映る、普通の人の目には見えない光「オーラ」の膜を通して、はっきり見えるのだ、と。
(続く)

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

第三の目に映る像2
白ターバンの老人はKにメモ用紙を渡し、お互いにこの用紙に答えを書き、ワン、ツー、スリーで見せ合おうではないかと提案した。Kは最初に結婚年月日を当てるように告げ、相手に見えないようにその数字をメモ用紙に書いた。すると老人は、Kの顔の額の辺りをまじまじと見つめ、自分のメモ用紙にサラサラと数字を書いた。そして同時に見せ合うと、1968年5月26日という数がピタリと一致したのだという。

数字だけではなく、趣味を当ててみろと言うと、老人は同様にして「フィッシング」という言葉を書き当てた。老人はこのようにして、Kの妻子の名や生年月日、Kの好きな花や食べ物などを次々と当てたのであった。

Kは不思議なことがあるのものだと、調子に乗ってドンドン質問したため、あっという間に手持ちの小遣いだった150ルピー(当時の為替レートで7200円)を使い切ってしまった。手品にも似たようなネタはあるが、Kが一番驚いたのは、その老人が最後に、Kがまったく覚えていない宝くじの番号を答えたことであった。その宝くじは日本のKの実家の洋服ダンスの引き出しの中の小箱に入っていた。老人はその番号が四組の158111であると断言したうえで、それは大変なラッキーナンバーでもしかしたら最高の賞金がもらえるかもしれないと言う。

このとき老人はKに500ルピーを要求したが、既に払える金は持ち合わせていなかった。それでもKは、聞いた番号を記憶にとどめて帰国。タンスの中の宝くじと照らし合わせてみると、まさに老人が言ったとおりの番号であった。さて、いよいよ当選かと喜び勇んで当選番号を確認したら、何と特等600万円の当たりくじは4組158222で、111の違いがあった。

Kはあのとき、500ルピーを老人に渡していれば、当選していたかもしれないと悔やむことしきりであったという。
(続く)

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

第三の目に映る像1
内田によると、霊能力者が霊視をする場合、おでこの真ん中にある「第三の目」が重要な役割を果たすのだという。その例として内田は、友人の知人Kがインドのニューデリーで体験したという不思議な話を紹介している。

その知人Kは一流商社の中堅幹部で、1970年3月からパキスタン、ミャンマー、タイなど東南アジア諸国に出張した際にその奇異な出来事に遭遇した。三月のある土曜日の朝、Kがニューデリー市内のホテルのそばを散策していると、頭にターバンを巻いた老人が英語で話しかけてきた。
「私はヨガ行者です。もし私があなたの奧さんの名前を当てたら、あなたは怒りますか、それとも喜びますか?」

不意に声をかけられたKは、その老人をしげしげと眺めた。老人は白く長いひげを伸ばし、鋭い眼光を放っていた。どうにも胡散臭い。Kは相手にしてもどうせ金をせびられるだけだと思い、立ち去ろうとした。するとその老人は「それなら、ためしにあなたは、数字を頭に思い浮かべなさい。声は出さなくてよいから」とつきまとう。

そのしつこさにKも根負け、老人の提案に従って、ある数字を思い浮かべた。老人は即座に「その数字は7でしょう」と言い当てた。さらに間髪いれずに「あなたは、それは違う、6とか8と答えてもいい。しかし神に誓うなら、あなたはきっと7と言うでしょう」と言う。

図星であった。でもどうして7という数字がわかったのか。Kはそれを確かめようと、老人の誘いに乗って、一つについて5ルピー(当時の為替レートで約240円)で数字当てゲームに付き合うことにした。
(敬称略=続く)

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

▼「第三の目」の実験
1968年二月二十六日、内田は偶然驚くべき現象を発見した。霊能者山田裕子宅を訪問し、「九星学の技術を電気的な測定器に実用化することに成功した岩見式生命力測定器」のテストを、測定器発明者の岩見と一緒に実施したときのことである。この測定器は、おでこの真ん中にある第三の目といわれるツボ「神庭」の電気的な抵抗値を測るものだったが、山田の場合、初めは大きく振れているだけだった針がやがてスケールアウトして(針が振り切れて)測定不能になってしまった。

岩見は驚いた。普通の人間ではありえない数値であり、現象だったからだ。

山田は「どうなんですか、私は正常なんですか、それとも何か変わっているのですか」と内田らに聞く。岩見は「実は私がこれまで、多数の人々についておでこの実験をしてきましたが、メーターの針がスケールアウトするのは初めてです。やはり山田先生はどこか変わっているのでしょう。私にはいまのところ、(どうしてなのか)はっきり返事ができません」と困った顔をして言う。

すると山田は「今測っている最中に、ちょっとクンバハカをやってみて、どれくらいメーターの針が変わるかを私が実験してみただけです」と言う。

クンバハカというのは、インドのヨガの行のひとつで、この行を積み重ねると、普通の人には見えないオーラや幽体の姿が見える霊能力者になるという。実験の最中、山田がこの行をやったために針が振り切れてしまったというのだ。

これを聞いた内田もクンバハカをやってテストしたが、どんなにやってもメーターの針がスケールアウトするまではいかない。ところが、山田裕子の下で修行した霊感の強い人で同様に試したところ、やはりスケールアウトしてしまった。

どうも霊感の強い人のおでこからは、何か普通の人とは異なったものがレーザービームのように輻射されているようだ、と内田は思った。少なくともこの実験により、クンバハカをすることによっておでこの真ん中のツボの電気抵抗値が大きく変わることがわかったのである。
(続く=敬称略)

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

霊能力者山田との出会い
イオンクラフトやオーラメーターの説明をする前に、内田が出会ったという霊能力者との不思議な体験について紹介しよう。

1966年6月17日、秋葉原ラジオセンター内にある内田の店が火事で半焼し、休業中のことだった。内田は時間ができたので、当時霊能力者として評判になっていた、「めぐみ会」の山田裕子会長に初めて会いに行った。

山田は内田に会うなり、いきなり内田に向かって右手をかざして「あなたは、いま肩に疲れがありますね。あなたは学術研究者であり、また商売人ですね。現在、心霊現象について研究しようという考えをもっているが、いまひとつは、今やっている事業にトラブルがあるか何かで、心配ごとがありますね」と言い切った。

そのとき内田が山田に話したのは、名前と生年月日だけだった。「ほかのことは何も話さないのに、心の状態、身体の状態をズバリ、スッパ抜かれたのには、本当に驚いてしまった」と内田は言う。

あっけにとられた内田は山田に「何も話さないのに、どうしてズバリ心の状態、身体の状態がわかるのですか?」と聞いた。山田は、特に何もしなくても、目を閉じていても、五感に感じると言う。「とくに手の指先を相手に向ければなおさらぴりぴり、ジンジンと正確に五感に感じる。手や指先は、ちょうどアンテナのような働きをする」のだという。

内田はすっかり山田の能力に感服し、以来山田の協力を得て、超常現象に関する数々の実験を実施するのであった。
(敬称略=続く)

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

超常現象研究への道
福をもたらす土地、不幸をもたらす土地があるかもしれないと思いつつ、内田は1962年、秋葉原のラジオセンター2階にラジオ部品などのジャンク屋を開店した。秋葉原は幸運の気に満ちていたのだろうか、やがて商売は押すな押すなの大盛況となる(注:この店は今でも、内田の妻らが経営している)。

商売がもうかり、生活に困らなくなると、内田は自由な研究時間ができるようになった。そのころ霊能力者と出会い、不思議な現象を経験したこともあり、内田は次第にいわゆる超常現象の研究に没頭するようになる。

内田には確信があったようだ。超常現象の研究は、三極鉱石の発見と同様、最初は相手にされないかもしれない、だがいつか、その現象が科学的に(少なくとも電子工学的に)解明される日が来る、と。

そして、その研究成果が、前述したオーラメーターと、空飛ぶ円盤の試作機ともいえるイオンクラフトであった。
(続く)

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

福の神、貧乏神
NHK技研と別れを告げた内田秀男は、受信機技術を指導する内田ラジオ研究所を創設したが、研究所といってもなんのことはない、実態はテレビの部品を販売するなどのサービス業であった。もっとも一時期、日立製作所や神戸工業の技術顧問を務めたこともあったという。

内田は1960年から1962年にかけて、東京・渋谷駅南口前の大通りでラジオ、テレビ、アンプなどの販売店を開いた。しかし、それほど大勢のお客さんが来るわけではない。あるときは一週間で数人しか来ないときもあったという。しかも来客があっても、買うとはかぎらない。

ところが内田は面白いことに気が付いた。知人のAさんが店に訪ねてくると、その日がどんなに雨が降っている悪天候でも、「ワンサとたくさんのアマチュア諸君が押し寄せてきて」、商売が繁盛した。ところが、その反対にBさんが訪ねてくると、どんなに天気の良い日でも「それからサーっとお茶を引いて、商売まるきり駄目」という現象が起きたのだ。

これらの人は福の神、貧乏神ではないか。では、どういうメカニズムが働いているのだろうか。内田は不思議でしょうがなかった。

内田は、その現象が人間だけでなく、土地でも起こるのではないかと考えた。福をもたらす土地がある一方、不幸をもたらす土地もあるのではないか、というのだ。内田はその例として次のようなエピソードを挙げている。

「ラジオ業界では名前の知られた方で、戦後有数な工場経営をやってこられたCさんは、戦後のラジオブームに乗って増大する受注に対応するため、新しく東京近郊の大工場を買収し、移転した。ところがその建物は、付近の古老の話によると、移転してくる方は必ず、事業に失敗するか、倒産するなどのいわくつきの建物であった。果たせるかな、その工場は、一年足らずのうちに小火を出し、四年目には全焼する火事に見舞われ、やっと立て直したと思ったら、七年目に膨大な金額の手形不渡りの事故にあい、十年目にはやはり労働争議に巻き込まれ、倒産してしまった」(『続四次元世界の謎』より)
(続く)

四次元世界を測った男 「不思議な世界(409)」

別の発見でリベンジ
失意のどん底にあったが、内田の研究に対する意欲がそがれることはなかった。内田はその後もNHK技研でテレビ受信機の研究に従事、その過程で新たな発見をする。

内田は、大国が原爆実験するたびごとに、日本に飛来する放射能の「チリ」がテレビ画面上に特有の白黒の斑点となって現われることに気が付いた。それは、パラパラ、パラパラと、白いものが、星のように出たり消えたりする現象であった。何度も追試して、自動車などによるノイズとは明らかに異なることもわかった。つまり、放射能がテレビで見えることを発見したのだ。

内田は1956年、この発見を「家庭用テレビで放射能が感知できる」として雑誌「電波技術」に発表。これが反響を呼び、朝日新聞とジャパンタイムズといった国内のメディアだけでなく、APなど海外通信社もこのことを報じ、世界的にも大きな話題となった。

内田のとっては、一種のリベンジであったかもしれない。その約10年前には、トランジスタ発明をアメリカにとられてしまった。しかし今回は、世界に先駆けて放射能がテレビで探知できることを発表できたのだ。

この発見について前出の杉本哲は、『初歩のトランジスタラジオの研究』の中で次のように書いている。

「このことがあって、前の悔しさが、幾分薄らいだように思いましたが、湯川さんの次に、もう一人、日本人がノーベル賞をもらいそこねたことは、かえすがえすも、残念なことであります」

内田はもはや、NHK技研ではやり残したことはないと思ったのか、NHKとは決別する。この報道があった翌年の1957年、NHK技研を辞め、内田ラジオ研究所を創設した。
(続く)

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